足立巻一の情報(あだちけんいち) 詩人、作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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足立巻一の情報まとめ
足立 巻一(あだち けんいち)さんの誕生日は1913年6月29日です。東京出身の詩人、作家のようです。
再婚、卒業に関する情報もありますね。1985年に亡くなられているようです。
足立巻一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。元大阪芸術大学教授。 メディアを通して本居宣長の顕彰に大きな功績を残した。代表作である『やちまた』は、盲目の国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である。 東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。 諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。関西学院中等部に入学、同校の国語教諭であり、自らも歌人であった池部宗七(筆名は石川乙馬、「夕暮れに苺を植えて」はその評伝である)から短歌の手解きを受ける。 恩師池部の母校である神宮皇學館(現:皇學館大学)を受験するが、2度にわたって失敗、1934年に3度目の受験で合格する。同館在学中も詩誌、歌誌等を中心に活動した。この頃に本居春庭を知り、研究を始める。 1938年、神宮皇學館本科国漢科卒業。高校教諭となるが、同年に応召、中国に渡り北支戦線に従軍。帰国後新大阪新聞社に勤務、学芸部長、社会部長等を歴任した。1948年、井上靖の発案で児童詩誌『きりん』の創刊より編集に携わり、児童詩運動が終生の一事業となる。1956年に新聞社を退職して執筆活動に専念する。 毎日放送の『真珠の小箱』(1959年 - 2004年)で番組の構成に参加、出演も多数。立川文庫の研究も行い、1961年には尾崎秀樹、武蔵野次郎が創立した「大衆文学研究会」に編集委員として参加。『文学』(岩波書店)、『思想の科学』、『大衆文学研究』はじめ多くの雑誌に執筆した。 1977年、大阪芸術大学芸術学部文芸学科教授を経て、1980年、神戸女子大学文学部国文学科教授。 1984年8月、鈴屋学会の第1号会員となる。同年12月、発会式を兼ねた第1回鈴屋学会大会が本居宣長記念館で開催され、そこで記念講演を行った。翌1985年に死去。 1975年:『やちまた』 - 第20回芸術選奨文部大臣賞 1982年:『虹滅記』 - 第30回日本エッセイスト・クラブ賞 1984年:『雑歌』 - 第17回日本詩人クラブ賞 宣長と二人の女性(1943年、佃書房)、『宣長・鈴屋関係資料集 研究篇4』(2012年、クレス出版)に2刷(1944年)再録 『全日本児童詩集』Ⅰ(1950年、尾崎書房)竹中郁・星芳郎・浮田要三共編 『全日本児童詩集』Ⅱ(1952年、むさし書房)同上 『全日本児童詩集』Ⅲ(1955年、創元社)同上 『きりんの本』Ⅰ~Ⅲ(1958年、理論社)同上 (詩集)夕刊流星号(1958年、六月社) 石をたずねる旅(1962年、鉄道弘報社) 黒部峡谷(1964年、保育社) 『日本の旅名詩集』Ⅲ(1967年、三笠書房)小野十三郎共編 関西人(1967年、弘文堂新社) 大衆芸術の伏流(1967年、理論社) 『現代日本の文学』第1部50巻(1969~1971年、学研) 鏡―詩人九鬼次郎の青春と歌稿(1970年、理論社) バカらしい旅行(1971年、理論社) 牛乳びんの歌(1972年、理論社) 『現代日本文学アルバム』全16巻(1974年、学研)奥野健男・尾崎秀樹・北杜夫共編 『復刊立川文庫傑作選』(1974年、講談社) やちまた(1974年、新版1990年、各上下、河出書房新社)、朝日文庫(1995年)、中公文庫(2015年) 『現代日本の文学』第2部10巻(1976年、学研)奥野健男・尾崎秀樹・北杜夫共編 『真珠の小箱』全6巻(1979年、角川書店)監修・執筆 立川文庫の英雄たち(1980年、文和書房)、中公文庫(1987年) 夕暮れに苺を植えて(1981年、新潮社)、朝日文庫(1995年) 夕刊流星号(1981年、新潮社) 虹滅記(1982年、朝日新聞社)、朝日文庫(1995年) 戦死ヤアワレ(1982年、新潮社) 石の星座(1982年、編集工房ノア) 雑歌(1983年、理論社) 親友記(1984年、新潮社) 足立巻一詩集(1984年、土曜美術社) 人の世やちまた(1985年、編集工房ノア) 評伝竹中郁 その青春と詩の出発(1986年、理論社) 日が暮れてから道は始まる(1987年、編集工房ノア) ^ 『きりん』は1971年に通巻220号で終刊。 ^ その夥しい仕事は、足立巻一 (1985)所収の「足立巻一略年譜」が、執筆目録ともなっていて最も詳しい。 ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 48. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』学問と人生の重さ 語学者「本居春庭」の評伝」『読売新聞』1974年11月18日、朝刊、9面。 ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』」『毎日新聞』1974年12月2日、朝刊、7面。 ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』人生の陰影も活写」『朝日新聞』1974年12月16日、朝刊、10面。 ^ 峯島正行 (2009), p. 378. ^ 「芸術選奨きまる 田中絹代さんら11人 新人賞9人 新分野へ、異色の顔」『読売新聞』1975年3月15日、朝刊、18面。 ^ 「女優の田中さんら 芸術選奨 20氏決まる」『朝日新聞』1975年3月15日、朝刊、22面。 足立巻一『人の世やちまた』編集工房ノア〈ノア叢書8〉、1985年10月。 東秀三『足立巻一』編集工房ノア、1995年8月。 峯島正行『荒野も歩めば径になる:ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社、2009年9月。 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長年表:(稿)』本居宣長記念館、2018年3月。 杉山平一「戦後関西詩壇回想(11)足立巻一のことなど」『現代詩手帖』第37巻第1号、思潮社、1994年1月、176-179頁。 倉橋健一「詩的60年代:足立巻一・その周辺」『現代詩手帖』第40巻第10号、思潮社、1997年10月、178-179頁。 森晴彦「足立巻一最晩年の仕事:整理とその継承」『解釈』、解釈学会、2014年2月、2-9頁。 神戸文学館 灰谷健次郎 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀の小説家 日本の小説家 20世紀日本の詩人 日本の中等教育の教員 神戸女子大学の教員 大阪芸術大学の教員 皇學館大学出身の人物 東京都出身の人物 1913年生 1985年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/09 14:46更新
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