道原裕幸の情報(みちはらひろゆき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
道原 裕幸さんについて調べます
■名前・氏名 |
道原裕幸と関係のある人
原伸次: 初出場:1981年6月28日、対読売ジャイアンツ18回戦(後楽園球場)、7回表に道原裕幸の代打として出場 伊原春樹: 大学の1年下に捕手の道原裕幸がおり、3番道原・4番伊原が打の中心であった。 柴田猛: 水沼四郎・道原裕幸の2人をカバーするのが主な役割であり、古葉も「まあ見ていてください。 水沼四郎: 1975年のリーグ初優勝に貢献、同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでは、シーズン後半に台頭した道原裕幸が主に先発マスクを被るが、全6試合に出場し投手陣を支えた。 田部輝男: 岩下光一、切通猛、片岡新之介、河村健一郎、伊原春樹、道原裕幸らは教え子。 原伸次: 初安打:1981年8月8日、対読売ジャイアンツ20回戦(後楽園球場)、7回表に道原裕幸の代打として出場、加藤初から単打 河村健一郎: 高校卒業後は1965年に芝浦工業大学へ進学し、道原裕幸は高校・大学の2年後輩となる。 久保俊巳: 1975年8月9日の阪神戦(西京極)で、阪神が1-0でリードしていた7回表2死満塁の場面で道原裕幸の代打で登場し、阪神先発の江夏豊からプロ初本塁打となる1号満塁本塁打を放つ。 |
道原裕幸の情報まとめ
道原 裕幸(みちはら ひろゆき)さんの誕生日は1949年5月30日です。山口出身の野球選手のようです。
卒業、事件、引退に関する情報もありますね。道原裕幸の現在の年齢は75歳のようです。
道原裕幸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 道原 裕幸(みちはら ひろゆき、旧名:博幸、1949年5月30日 - )は、山口県柳井市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ、解説者。 山口県桜ケ丘高校では2年上に河村健一郎、2年下に長州力がいた。捕手として2年次の1966年に秋季中国大会県予選で準決勝に進出するが、豊浦高に敗退。3年次の1967年夏は県大会準々決勝でまたも豊浦高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 高校卒業後は芝浦工業大学に進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1970年春季リーグに優勝。1年上の三塁手・伊原春樹と共にクリーンアップを打ち、リーグ通算79試合出場、264打数75安打、打率.284、8本塁打、32打点。ベストナイン3回(捕手)受賞。同期には二塁手の大野保雄(日本石油)がいた。学生運動の影響で体育会の推薦制度が廃止されたため後輩部員が皆無な状態での活動であった。 1971年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。即戦力捕手として期待されるが、打撃面での低迷もあって水沼四郎、西沢正次らの壁を破れず、出場機会に恵まれなかった。 1975年にはリード面に成長が見られ、水沼と併用されて55試合で先発マスクを被り、球団史上初のリーグ優勝に貢献。同年の阪急との日本シリーズでは5試合に先発し、9打数3安打2打点を記録。以後も水沼に次ぐ2番手捕手として1979年、1980年の2年連続日本一に貢献。 1981年には50試合に先発マスクを被るが、7月19日の大洋戦(横浜)でアート・ガードナーが本塁を踏み忘れて3点本塁打を取り消される事件が起こる。生還した走者の道原がガードナーを出迎えた際、立っていた位置が本塁上であったため、結果的にガードナーをブロックする形で起こった珍事であった。 1982年も40試合に先発出場するが、その後は達川光男の台頭により、水沼と共に控え捕手としての起用が続く。 1984年限りで現役を引退。 引退後は広島で二軍バッテリーコーチ補佐(1985年)、寮長兼二軍バッテリーコーチ補佐(1986年)、寮長兼一軍バッテリーコーチ(1987年)、一軍バッテリーコーチ兼寮長(1988年, 1990年 - 1991年)、二軍バッテリーコーチ兼寮長(1989年)、二軍バッテリーコーチ(1992年 - 1993年, 1999年 - 2000年, 2007年)、一軍バッテリーコーチ(1994年 - 1998年, 2001年 - 2004年)、三軍バッテリーコーチ(2008年)、三軍野手コーチ(2009年)、三軍野手コーチ兼大野寮長(2010年)を歴任。コーチ業の合間を縫って、RCC解説者(2005年 - 2006年)を務めた。2008年シーズン途中、HFM「DO THE CARP」でDJを務めていた阿部慶二コーチが球団と業務提携を結ぶ中国野球リーグ・広東レパーズに派遣されたため、7月28日の放送よりDJ業を引き継ぐが、予定より早く阿部が日本に戻ってきたため、8月25日で卒業。 2011年からは大野寮長専任となる。 2013年からは球団編成部担当。 初出場:1972年4月22日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、8回表に久保祥次の代打として出場 初先発出場:1972年5月2日、対ヤクルトアトムズ3回戦(山梨県営総合運動場)、1番・中堅手として先発出場(偵察要員、井石礼司と交代) 初安打・初本塁打・初打点:1972年10月8日、対ヤクルトアトムズ25回戦(広島市民球場)、2回裏に榎本直樹から左越3ラン 10(1972年 - 1984年) 87(1985年 - 2004年) 81(2007年 - 2010年) 道原 博幸(みちはら ひろゆき、1972年 - 1979年) 道原 裕幸(みちはら ひろゆき、1980年 - ) 山口県出身の人物一覧 芝浦工業大学の人物一覧 広島東洋カープの選手一覧 RCCカープナイター 個人年度別成績 道原裕幸 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 屋上で寝た名投手、夜な夜な"放水"も 珍事頻発…壮絶だったプロ野球の寮生活 | Full-Count 表 話 編 歴 1位:道原博幸 2位:劔持節雄 3位:永射保 4位:荒谷稔(入団拒否) 5位:岡義明 6位:山形和幸 7位:根建忍 8位:浜納一志 9位:松田節男(入団拒否) 10位:若松茂樹(入団拒否) 日本の野球選手 芝浦工業大学硬式野球部の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 日本の野球指導者 野球解説者 山口県出身のスポーツ選手 1949年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/03 19:44更新
|
michihara hiroyuki
道原裕幸と同じ誕生日5月30日生まれ、同じ山口出身の人
TOPニュース
道原裕幸と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「道原裕幸」を素材として二次利用しています。