鈴木尚之の情報(すずきなおゆき) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鈴木 尚之さんについて調べます
■名前・氏名 |
鈴木尚之と関係のある人
大佛次郎: 1967年にNHKから明治100年記念にちなんだ歴史ドラマの執筆を依頼され、小説作品では未刊だが『逢魔の辻』を中心に『その人』『薔薇の騎士』などを組み込み、維新の時代に生きる旗本3人の姉妹の生涯を描いた大河ドラマ『三姉妹』が放映された(鈴木尚之脚本)。 佐伯孚治: 1966年、佐伯の置かれた状況を心配した同期の脚本家・鈴木尚之の計らいもあって、『渥美清の泣いてたまるか』(製作:国際放映)を監督。 大内啓伍: 同年、鈴木尚之を秘書に採用。 渥美清: 映画においては山田洋次、野村芳太郎両監督とは別に、『沓掛時次郎 遊侠一匹 』『祇園祭』『スクラップ集団』『あゝ声なき友 』『おかしな奴』の脚本を書いた鈴木尚之とのコンビも長い。 依田義賢: 1963年 - 武士道残酷物語 鈴木尚之との共作 原作南條範夫、監督・今井正 |
鈴木尚之の情報まとめ
鈴木 尚之(すずき なおゆき)さんの誕生日は1929年10月5日です。岐阜出身の脚本家のようです。
父親、卒業、映画、退社、ドラマ、姉妹、テレビに関する情報もありますね。2005年に亡くなられているようです。
鈴木尚之のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鈴木 尚之(すずき なおゆき、1929年10月5日 - 2005年11月26日)は、日本の脚本家。岐阜県高山市(旧・吉城郡国府村大字広瀬)出身。 父親は警察官で、岐阜県内で転校を繰り返し、父は退官時は高山警察署の署長であった。旧制岐阜二中(現・岐阜県立加納高等学校)の二学年下に篠田正浩がいたが、在学中に面識はない。同中学から日本大学藝術学部に進み、大学卒業後、1954年東映に入社。同期に東映京都撮影所に配属された高岩淡ら。東映東京撮影所の助監督となるが、同スタジオの埃が原因で、気管支炎を患い、一番仲良しだった深作欣二は引き留めてくれたが、やむなく1955年、本社企画本部脚本課に転属し脚本家となる。間もなく内田吐夢の担当になり、「宮本武蔵シリーズ」5部作(1961年―1965年)を手掛け、1963年、当時東京撮影所所長だった岡田茂から『人生劇場 飛車角』の脚本を書かされ(別人名義)、「東映任侠映画」の路線化に貢献。作品の大成功により、同年岡田からの指示で岡田のプロデュース作品『人生劇場 続飛車角』(相井抗名義)『武士道残酷物語』『宮本武蔵 二刀流開眼』『五番町夕霧楼』『おかしな奴』と6本の脚本を担当。これらのハードな仕事をこなした信頼から、岡田に1965年『飢餓海峡』の脚本に抜擢され代表作とした。『人生劇場 続飛車角』では、鶴田浩二が脚本に注文を付け、大ゲンカになったが、役者の意見を聞かない方針の鈴木は一切妥協せず、鶴田の要求を突っぱねた。岡田茂は鈴木を「企画構成者としての才能を持つ数少ないライター。企画から興行成績の見通しまで的確に指摘できるライターは東映では鈴木しかいない」と評価した。大川橋蔵の人気挽回を思案した岡田から「橋蔵主演・今井正監督で『源氏物語』を書いてくれ」との発注を断り増々評価を上げた。鈴木はここから巨匠たちから脚本指名を受けるようになり、"巨匠キラー"と呼ばれるようになった。後続の脚本家のため、一作づつギャラを上げ、一本100万円になった1967年、東映を退社しフリーとなる。以降、NHK大河ドラマ『三姉妹』、『白い巨塔 (1978年のテレビドラマ)』、『不毛地帯 (1979年のテレビドラマ)』等を執筆した。日本シナリオ作家協会会長を歴任。 作家山崎豊子の信頼が厚く、『白い巨塔』『不毛地帯』の脚本は山崎の指名によるものであった。 佐久間良子ら名のある女優たちからも信頼されており、「鈴木さんの脚本なら出演します」と言わしめた。渥美清の信頼も深かったらしく、野村芳太郎・山田洋次系列以外の作家としては唯一、長年にわたってコンビを組んでいる。 脚本の直しをしないライターとして知られ、鈴木「なおさず」と呼ばれていた。 『飢餓海峡』『宮本武蔵』を監督した内田吐夢についての「私説内田吐夢伝」を上梓している。 2005年11月26日午前1時25分、肺癌のため都内の病院で死去。76歳没。 ※がある作品は合作 つばくろ道中 (1960年)※ 江戸っ子奉行 天下を斬る男 (1961年) ※ 宮本武蔵 (1961年の映画)(1961年) ※ ちいさこべ (1962年) ※ 宮本武蔵 般若坂の決斗 (1962年) ※ 武士道残酷物語 (1963年) ※ 人生劇場 続飛車角 (1963年) 宮本武蔵 二刀流開眼 (1963年) ※ おかしな奴 (1963年) 五番町夕霧楼(1963年) ※ 宮本武蔵 一乗寺の決斗 (1964年) ※ 鮫 (1964年) 飢餓海峡 (1964年) 冷飯とおさんとちゃん (1965年) 宮本武蔵 巌流島の決斗 (1965年) ※ 沓掛時次郎 遊侠一匹 (1966年) ※ 湖の琴 (1966年) あかね雲 (1967年) 祇園祭 (1968年) ※ スクラップ集団 (1968年) 婉という女 (1971年) 辻が花 (1972年) あゝ声なき友 (1972年) 海軍特別年少兵 (1972年) 子育てごっこ (1979年) 子どものころ戦争があった (1981年) 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ (1982年) 鶴っ子 (1965年、フジテレビ) 城砦 (1966年、フジテレビ) 泣いてたまるか 「ビフテキ子守歌」(1966年 - 1968年、TBS) ※ 泣いてたまるか 「吹けよ春風」(1966年 - 1968年、TBS) ※ 三姉妹 (1967年、NHK大河ドラマ) 並木海岸 (1967年) ながい坂 (1969年、NET) 不貞ということ (1969年、NET) 戦国艶物語 (1969年 - 1970年、ABC) 柳橋物語 (1970年、フジテレビ) 遺書配達人 (1970年、NHK) 湖笛 (1970年、NET) しがらき物語 (1970年) 渦中の女 (1972年、CBC) 私は忘れたい (1972年 - 1973年、TBS) むかしも今も (1972年、NET) 加那子という女 (1973年、日本テレビ) 北国の女の物語 (1973年、NET) あにいもうと (1973年、NET) 明治一代女 (1973年、NET) 花はあしたに(1974年、読売テレビ) 華麗なる一族 (1974年 - 1975年、NET / 毎日放送) 女の勲章 (1976年、フジテレビ) 天の花と実 (1977年、テレビ朝日) 白い巨塔 (1978年 - 1979年、フジテレビ) 不毛地帯 (1979年、毎日放送) 紅い花なら (1980年、毎日放送) 女、その愛と別れ・残菊物語より (1981年、日本テレビ) 仇討選手 (1981年、フジテレビ) 死者と栄光への挽歌 (1982年、読売テレビ) ※ 文豪シリーズ・殺意の瞬間 (1988年、テレビ東京) ※ 1965年 『飢餓海峡』 - 毎日映画コンクール脚本賞 『鈴木尚之 人とシナリオ』同出版委員会編、シナリオ作家協会、1998年 『私説 内田吐夢伝』岩波書店、1997年/岩波現代文庫、2000年 ^ 日本シナリオ作家協会鈴木尚之 人とシナリオ出版委員会『鈴木尚之 人とシナリオ』日本シナリオ作家協会、1998年、24-26頁。ISBN 4-915048-08-X。 鈴木尚之『私説内田吐夢伝』岩波書店、320-366頁。ISBN 978-4000001779。 ^ 桂千穂「鈴木尚之」『にっぽん脚本家クロニクル』青人社、1996年、840-854頁。ISBN 4-88296-801-0。 ^ 「追悼鈴木尚之 『シナリオは、いのち。鈴木尚之の軌跡』 文・藤田芳康」『「映画芸術」2006年春号 No415 編集プロダクション映芸 pp.104-107』。 ^ 高橋正一「『湖の琴』撮影ルポ ―『湖の琴』はどんな映画になるか―」『シナリオ』1966年1月号、日本シナリオ作家協会、36 - 37頁。 ^ 東映『クロニクル東映:1947-1991』 1巻、東映、1992年、200-201頁。 ^ 「追悼鈴木尚之 『シナリオは、いのち。鈴木尚之の軌跡』 文・藤田芳康」『「映画芸術」2006年春号 No415 編集プロダクション映芸 p.104』。 ^ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕(Internet Archive)、人生劇場 飛車角/東映チャンネル(Internet Archive) ^ 滅びの美学 任侠映画の世界 - シネマヴェーラ渋谷 ^ 押川義行「《特集》現代の主題・映画作家の内奥にあるもの レポート 文字と映像の間 インタビュー・松山善三・山田信夫・蔵原惟繕・鈴木尚之」『シナリオ』1967年1月号、日本シナリオ作家協会、36 - 37頁。 ^ 飢餓海峡|一般社団法人日本映画製作者連盟 ^ 深作欣二「(口絵の作家人物スケッチ〕 鈴木尚之に関する四章」『シナリオ』1965年5月号、日本シナリオ作家協会、23頁。 脚本家一覧 岐阜県出身の人物一覧
表 話 編 歴 久板栄二郎(1946) 植草圭之助(1947) 伊丹万作(1948) 小津安二郎、野田高梧(1949) 新藤兼人(1950) 木下恵介(1951、1953) 黒澤明、橋本忍、小国英雄(1952) 木下惠介(1954) 八住利雄(1955) 橋本忍(1956、1958) 依田義賢(1957) 水木洋子(1959) 橋本忍(1960、1966) 松山善三(1961) 和田夏十(1962) 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明(1963) 八木保太郎(1964) 鈴木尚之(1965) 山内久(1967) 今村昌平、長谷部慶次(1968) 田村孟(1969) 山田洋次、宮崎晃(1970) 佐々木守、大島渚(1971) 石森史郎(1972) 山田洋次、宮崎晃、朝間義隆(1973) 橋本忍、山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 山田信夫(1976) 山田洋次、朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) 古田求、野村芳太郎(1982) 大島渚/森田芳光(1983) 荒井晴彦、澤井信一郎(1984) 中上健次(1985) 内田裕也、高木功(1986) 伊丹十三(1987) 鎌田敏夫(1988) 松田寛夫(1989) 山田太一(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 丸山昇一(1992) 崔洋一、鄭義信/松山善三(1993) 田中陽造(1994) 橋口亮輔(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 中島丈博(1998) 諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子(1999) 山田洋次、朝間義隆、平松恵美子(2000) 宮藤官九郎(2001) 鄭義信(2002) 西川美和/深作健太、木田紀生(2003) 荒井晴彦(2004) 内田けんじ(2005) 加藤正人(2006) 渡辺あや(2007) 橋口亮輔(2008) 田中陽造(2009) 佐藤有記(2010) 新藤兼人(2011) ヤン・ヨンヒ(2012) 荒井晴彦(2013) 安藤桃子(2014) 原田眞人(2015) 向井康介(2016) 石井裕也(2017) 野尻克己(2018) 阪本順治(2019) 丸山昇一(2020) 𠮷田恵輔(2021) 早川千絵(2022) 阪本順治(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 日本の映画の脚本家 日本のテレビの脚本家 日本大学出身の人物 岐阜県立加納高等学校出身の人物 岐阜県出身の人物 1929年生 2005年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/17 11:58更新
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