依田義賢の情報(よだよしかた) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
依田義賢と関係のある人
佐伯秀男: 『モデルと若様』 : 企画絲屋寿雄、監督高木孝一、脚本依田義賢、主演水島道太郎、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1947年5月27日公開 - 出演・「白川三郎」役 増村保造: 悪名 縄張荒らし(1974年、勝プロ/東宝)原作:今東光、脚本:依田義賢 溝口健二: その中で溝口が最も信頼を置いた人物は、脚本家の依田義賢と美術監督の水谷浩である。 佐伯秀男: 『女優須磨子の恋』(『女優須磨子の戀』) : 企画絲屋寿雄、監督溝口健二、原作長田秀雄、脚本依田義賢、主演田中絹代、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1947年8月16日公開 - 出演・「東儀鉄笛」役、96分の上映用プリントをNFCが所蔵 長塚圭史: 夜の女たち(2022年、KAAT神奈川芸術劇場ほか、原作:久板栄二郎、映画脚本:依田義賢、上演台本:長塚圭史)。 木村威夫: 『お吟さま』(1978年、熊井啓監督、依田義賢脚本、今東光原作、岡崎宏三撮影、伊福部昭音楽)宝塚映画=大和新社共同作品。 松尾貴史: 1982年、大阪芸術大学の教授だった脚本家の依田義賢の勧めで、ギャグ・パフォーマンスのカセットテープを新名義一と共同で制作・録音して配り歩く。 邦枝完二: 『歌麿をめぐる五人の女』(1946年、松竹京都撮影所) - 溝口健二監督作品、脚本は依田義賢。 溝口健二: 脚本は自分では書かず、依田義賢や成澤昌茂などの脚本家に執筆させた。 伊丹万作: 翌1945年(昭和20年)、遺稿『東海道膝栗毛』(依田義賢原作)を執筆し、大映の1946年(昭和21年)度の正月映画に予定されるが、連合軍総司令部民間情報教育局(CEI)の検閲により映画化不許可となった。 勝新太郎: 玉緒とは『不知火検校』や、一匹狼のやくざ・朝吉役で主演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作、依田義賢脚本、田宮二郎共演)などで共演している。 田村道美: 白い姉 後篇 1931年 監督・脚本村田実、原作大仏次郎、共同脚本依田義賢、主演小杉勇、共演夏川静江、 田村道美: 白い姉 前篇 1931年 監督・脚本村田実、原作大仏次郎、共同脚本依田義賢、主演小杉勇、共演田中春男、夏川静江、山県直代 佐伯秀男: 『武装警官隊』 : 監督大曾根辰夫、脚本依田義賢、主演原保美、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1948年8月10日公開 - 出演・「親分倉橋」役 溝口健二: 溝口は若い時から古美術が好きで、暇があると京都や奈良の仏像を見て歩いたり、後年に依田義賢らを伴って博物館や美術展へ行ったりした。 溝口健二: この作品も第14回ヴェネツィア国際映画祭に出品され、溝口は『祇園囃子』撮影後の8月、脚本の依田義賢や主演の田中絹代らとともに映画祭に出席するためイタリアへ渡った。 邦枝完二: 『悲恋 おかる勘平』(1956年、東映京都撮影所) - 佐々木康監督作品、面白娯楽部所載の原作を依田義賢と新人斎木祝が共同脚色。 村田実: 以前(1927年頃)『小型映画』に講座を執筆している関係で京極キネマ倶楽部の小型映画審査に出向き、そこで出会った当時住友銀行員でアマチュア映画を制作していた依田義賢が1930年に村田付きの助監督・スクリプターとして入社しているが、『海のない港』(1931年)以降は「製作している村田の姿にも勢いがなく、持病の糖尿病が嵩じてきているのではないかと思える元気のなさや、セットに身を投げ、悩むように頭をかかえて、演出を案ずる姿など痛いたしいこともあった」と回想している。 木村威夫: 『本覺坊遺文 千利休』(1989年、熊井啓監督、依田義賢脚本、井上靖原作、栃沢正夫撮影、松村禎三音楽)西友作品。 村田実: 」と語る一方、依田義賢は「私がついた頃の村田さんはだいぶ調子が落ちてた頃で」と断った上で「私の場合、どうしても溝口健二と比べてしまう。 溝口健二: 溝口作品の脚本家の依田義賢によると、溝口はよく「人間の体臭が匂うように描かなくてはだめ」「かんきつ(奸譎)な人間を描いてほしい」と注文したという。 溝口健二: 脚本:依田義賢(23本)、畑本秋一(20本)、川口松太郎(9本)、成沢昌茂(3本) |
依田義賢の情報まとめ
依田 義賢(よだ よしかた)さんの誕生日は1909年4月14日です。京都出身の脚本家のようです。
卒業、映画、テレビ、姉妹、兄弟、家族に関する情報もありますね。1991年に亡くなられているようです。
依田義賢のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)依田 義賢(よだ よしかた、1909年4月14日 - 1991年11月14日)は、日本の脚本家である。溝口健二監督の最盛期の作品で知られ、後年は大阪芸術大学映像学科教授を務めた。 1909年(明治42年)4月14日、京都市に生まれる。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)を卒業後銀行に勤務。 1930年(昭和5年)日活太秦撮影所脚本部に入り、翌1931年(昭和6年)9月16日公開の村田実監督のサイレント映画『海のない港』で、22歳で脚本家デビュー。 1936年(昭和11年)、永田雅一の第一映画に移籍し、依田にとって初めてのトーキー作品である溝口健二監督の『浪華悲歌』で高い評価を受ける。 以後、主として溝口のために多くの脚本を手がけ、代表的なものに『残菊物語』(村松梢風原作)、『西鶴一代女』、『雨月物語』などがある。苛烈な溝口の注文に要求によく応え、クランクイン後もリライト要求に備えて現場に待機するなど忠誠を尽くした。溝口が死病であることを知ったときは自らもショックで寝込んでいる。その死後も文芸映画の巨匠として多くの作品を執筆するが、『悪名』のような娯楽性豊かなヒットシリーズもものにしている。晩年は熊井啓の脚本を書いたり、大阪芸術大学映像学科の教授から学部長に就任し後進の指導に当たった。 天野忠、山前実治ら関西の詩人達との交友が深く、「冬晴」(1941年)、「ろーま」(1956年)などの詩集を著す。 1991年(平成3年)11月14日に死去した。82歳没。墓所は左京区圓通寺。 映画『スター・ウォーズ』のキャラクター「ヨーダ」のモデルだったとも言われている。『映画秘宝』Vol.12や扶桑社『スター・ウォーズ完全基礎講座』などで、プロデューサーのジョージ・ルーカスと依田の関係について状況証拠がいくつも挙げられ、息子で哲学者の依田義右もテレビのワイドショー番組でこのことを語っていた。 ヨーダの顔のモデルはスチュアート・フリーボーンとアルベルト・アインシュタインであり、依田は無関係である。 1931年 - 海のない港 - 監督・共同脚本村田実、主演夏川静江 1936年 - 浪華悲歌 Osaka Elegy 1936年 - 祇園の姉妹 1937年 - 愛怨峡 1938年 - 亜細亜の娘 監督田中重雄 1939年 - 侠艶録 監督田中重雄 1939年 - 残菊物語 The Story of the Last Chrysanthemums 1940年 - 浪花女 1941年 - 1942年 - 元禄忠臣蔵 The 47 Ronin 原作真山青果 1944年 - 高田馬場前後 監督松田定次 1946年 - 歌麿をめぐる五人の女 1947年 - 女優須磨子の恋 1948年 - 夜の女たち 1950年 - 雪夫人絵図 原作舟橋聖一 1950年 - 千石纏 (館岡謙之助と連名) 原作子母沢寛、監督マキノ雅弘 1951年 - お艶殺し 原作谷崎潤一郎、監督マキノ雅弘、 1951年 - お遊さま 原作谷崎潤一郎(『芦刈』) 1951年 - 武蔵野夫人 原作大岡昇平 1952年 - 西鶴一代女 The Life of Oharu 1952年 - 滝の白糸 原作泉鏡花、監督野淵昶 1953年 - 雨月物語 Ugetsu 原作上田秋成 1953年 - 祇園囃子 A Geisha 1954年 - 山椒大夫 Sansho the Bailiff 原作森鷗外 1954年 - 噂の女 1954年 - 近松物語 The Crucified Lovers 原作近松門左衛門(『大経師昔暦』)・川口松太郎(『おさん茂兵衛』) 1955年 - 藤十郎の恋 原作菊池寛、監督森一生 1955年 - 新・平家物語 原作吉川英治 1956年 - 父子鷹 原作子母澤寛、監督松田定次 1957年 - 大阪物語 原作井原西鶴、監督・吉村公三郎 1957年 - 異母兄弟 原作田宮虎彦、監督・家城巳代治 1959年 - 荷車の歌 原作山代巴、監督・山本薩夫 1959年 - 千代田城炎上 安田公義監督 1960年 - 妖刀物語 花の吉原百人斬り 監督・内田吐夢 1960年 - 武器なき斗い 原作西口克己、監督・山本薩夫 1961年 - 悪名 原作今東光、監督・田中徳三(以後シリーズ化) 1962年 - 婦系図 原作泉鏡花、監督・三隅研次 1962年 - 恋や恋なすな恋 監督内田吐夢 ※モチーフは歌舞伎『保名』 1963年 - 女系家族 原作山崎豊子、監督・三隅研次 1963年 - 武士道残酷物語 鈴木尚之との共作 原作南條範夫、監督・今井正 1965年 - 悪名無敵 監督・田中徳三 1967年 - 古都憂愁 姉いもうと 監督・三隅研次 1967年 - なみだ川 監督・三隅研次 1968年 - 牡丹燈籠 原作三遊亭円朝、監督・山本薩夫 1969年 - 眠狂四郎卍斬り 原作柴田錬三郎、監督・池広一夫 1978年 - お吟さま 原作今東光、監督熊井啓 1980年 - 天平の甍 原作井上靖、監督熊井啓 1989年 - 千利休 本覺坊遺文 原作井上靖、監督熊井啓 1957年 - ビルの谷間 演出山田智也(大阪テレビ放送) 1957年 - 古瀬戸(『東芝日曜劇場』、中部日本放送) 『詩集 冬晴』、ウスヰ書房、1941年 『詩集 ろーま』、骨発行所、1956年 『溝口健二の人と芸術』、映画芸術社、1964年 / 田畑書店、1970年、新版1983年 / 現代教養文庫、1996年 『京のおんな』、駸々堂出版、1971年 『祇園まち丶一噺』、駸々堂出版、1973年 『むみやうのすみか』、駸々堂出版、1974年 『舞妓の四季』、駸々堂出版、1975年 『依田義賢シナリオ集 1』、映人社、1978年 『依田義賢シナリオ集 2』、映人社、1984年 『スクリーンに夢を託して 映画と時代と私』 講話・新書判「なにわ塾叢書32」、1988年 ^ 依田義賢『出身県別 現代人物事典 西日本版』p466 サン・データ・システム 1980年 ^ 轟夕起夫「ヨーダとは何者か? 『悪名』サーガ考」『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』河出書房新社、2002年、pp.47-49. ^ DVD-BOX「STAR WARS TRILOGY」特典ディスクでのフリーボーン自身による証言 ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、75,444頁。 依田義賢 - allcinema 依田義賢 - KINENOTE 依田義賢 - 日本映画データベース Yoshikata Yoda - IMDb(英語)
表 話 編 歴 久板栄二郎(1946) 植草圭之助(1947) 伊丹万作(1948) 小津安二郎、野田高梧(1949) 新藤兼人(1950) 木下恵介(1951、1953) 黒澤明、橋本忍、小国英雄(1952) 木下惠介(1954) 八住利雄(1955) 橋本忍(1956、1958) 依田義賢(1957) 水木洋子(1959) 橋本忍(1960、1966) 松山善三(1961) 和田夏十(1962) 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明(1963) 八木保太郎(1964) 鈴木尚之(1965) 山内久(1967) 今村昌平、長谷部慶次(1968) 田村孟(1969) 山田洋次、宮崎晃(1970) 佐々木守、大島渚(1971) 石森史郎(1972) 山田洋次、宮崎晃、朝間義隆(1973) 橋本忍、山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 山田信夫(1976) 山田洋次、朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) 古田求、野村芳太郎(1982) 大島渚/森田芳光(1983) 荒井晴彦、澤井信一郎(1984) 中上健次(1985) 内田裕也、高木功(1986) 伊丹十三(1987) 鎌田敏夫(1988) 松田寛夫(1989) 山田太一(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 丸山昇一(1992) 崔洋一、鄭義信/松山善三(1993) 田中陽造(1994) 橋口亮輔(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 中島丈博(1998) 諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子(1999) 山田洋次、朝間義隆、平松恵美子(2000) 宮藤官九郎(2001) 鄭義信(2002) 西川美和/深作健太、木田紀生(2003) 荒井晴彦(2004) 内田けんじ(2005) 加藤正人(2006) 渡辺あや(2007) 橋口亮輔(2008) 田中陽造(2009) 佐藤有記(2010) 新藤兼人(2011) ヤン・ヨンヒ(2012) 荒井晴彦(2013) 安藤桃子(2014) 原田眞人(2015) 向井康介(2016) 石井裕也(2017) 野尻克己(2018) 阪本順治(2019) 丸山昇一(2020) 𠮷田恵輔(2021) 早川千絵(2022) 阪本順治(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 八住利雄(1957) 橋本忍(1958) 和田夏十(1959) 橋本忍(1960、1966、1967) 水木洋子(1961、1964) 新藤兼人(1962) 今村昌平(1963) 熊井啓(1965) 田村孟/佐々木守/深尾道典/大島渚(1968) 田村孟(1969) 山田洋次/宮崎晃(1970) 大島渚/田村孟/佐々木守(1971) 神代辰巳(1972) 笠原和夫(1973) 橋本忍/山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 田村孟(1976) 朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) つかこうへい(1982) 森田芳光(1983、1986) 澤井信一郎/荒井晴彦(1984) 筒井ともみ(1985) 伊丹十三(1987) 荒井晴彦(1988) 依田義賢(1989) じんのひろあき(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 石井隆(1992) 崔洋一/鄭義信(1993) 田中陽造(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 鄭義信(1998) 鈴木智/高杉良/木下麦(1999) 阪本順治/宇野イサム(2000) 宮藤官九郎(2001) 山田洋次/朝間義隆(2002) 荒井晴彦(2003) 崔洋一/鄭義信(2004) 内田けんじ(2005) 西川美和(2006、2009) 周防正行(2007) 小山薫堂(2008) 吉田修一/李相日(2010) 荒井晴彦/阪本順治(2011) 内田けんじ(2012) 荒井晴彦(2013) 高田亮(2014) 橋口亮輔(2015) 庵野秀明(2016) 石井裕也(2017) 相澤虎之助/瀬々敬久(2018) 阪本順治(2019) 濱口竜介/野原位/黒沢清(2020) 濱口竜介/大江崇允(2021) 梶原阿貴(2022) 阪本順治(2023) FAST ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ オランダ CiNii Books CiNii Research SNAC IdRef 日本の映画の脚本家 サイレント映画 大阪芸術大学の教員 京都市出身の人物 1909年生 1991年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 06:16更新
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