もしもし情報局 > 1941年 > 10月29日 > アニメ演出家

鳥海永行の情報 (とりうみひさゆき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

鳥海永行の情報(とりうみひさゆき) アニメ演出家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

鳥海 永行さんについて調べます

■名前・氏名
鳥海 永行
(読み:とりうみ ひさゆき)
■職業
アニメ演出家
■鳥海永行の誕生日・生年月日
1941年10月29日 (年齢2009年没)
巳年(へび年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和16年)1941年生まれの人の年齢早見表

鳥海永行と同じ1941年生まれの有名人・芸能人

鳥海永行と同じ10月29日生まれの有名人・芸能人

鳥海永行と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


鳥海永行と関係のある人

須田正己: 作画技術の評価は非常に高く、『科学忍者隊ガッチャマン』では、総監督の鳥海永行が演出する回に指名されて作画を担当することが多かった。


宮﨑駿: 同年生まれのアニメ監督に、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。


鳥海尽三: 同じくタツノコプロに在籍し、同じ作品を担当したこともある演出家の鳥海永行とは血縁関係はない。


岡本喜八: これは、監督だった鳥海永行が岡本のファンで、会いたいがために話が進んだのではないかと鳥海の弟子だった押井守が語っている。


伊藤和典: 鳥海永行は「ダイアローグは大丈夫だ。


押井守: この時に後の師匠となる鳥海永行が演出した『科学忍者隊ガッチャマン』を観て感銘を受ける。


吉田喜昭: 『昆虫物語 みなしごハッチ』 : 製作・原作吉田竜夫、企画鳥海尽三、監督九里一平・原征太郎・富野喜幸・鳥海永行、声の主演栗葉子、製作タツノコプロダクション、1970年4月7日 - 1971年12月28日放映(連続テレビアニメ映画・全91回) - 鳥海尽三・前里元義・陳野修・多地映一・梅田智江・滝三郎・金沢文平・柏戸比呂子・能加平・由起圭・山崎晴哉・桜井京介・池端俊策とともに脚本


押井守: 1979年、私淑する鳥海永行に続く形でスタジオぴえろに移籍。


宮崎駿: 同年生まれのアニメ監督に、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。


案納正美: タツノコプロ、葦プロダクションの演出を経て1979年5月に布川ゆうじ、鳥海永行らと共にぴえろ(当時:スタジオぴえろ)を発足させた。


布川ゆうじ: 1979年に『ニルスのふしぎな旅』を制作するため、鳥海永行、案納正美らと共に株式会社スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を設立し、社長に就任した。


鳥海永行の情報まとめ

もしもしロボ

鳥海 永行(とりうみ ひさゆき)さんの誕生日は1941年10月29日です。神奈川出身のアニメ演出家のようです。

もしもしロボ

テレビ、家族、父親、ドラマ、退社、映画、現在、兄弟に関する情報もありますね。2009年に亡くなられているようです。

鳥海永行のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - 2009年1月23日)は、日本のアニメーション監督、演出家、小説家。神奈川県伊勢原市出身。中央大学法学部政治学科卒。

アニメーションの監督として、その演出は非常にシャープで完成されたものであり、同じアニメ監督の押井守に強い影響を与えている。押井は鳥海のことを「師匠」と公言している。「演出家であろうがアニメーターであろうが、やりたい奴にやらせてはいかん。こっちがやらせたい奴にやらせろ」というのが持論で、押井も参考にしているという。そのため、「やりたい」と自ら手を上げる人間よりも彼自身が「こいつは才能がある」と思う人間を重視し、そうではない人間は早々に切っていたという。また、「誰もがものをいえない場では、最初に声を発した者の勝ち」や「自分から辞めるな」、「勝てない勝負は早々に逃げ出せ」などの教えも役に立ったという。押井が監督として一本立ちすると、その後は弟子といえども一切口を出さなかった。

タツノコプロやスタジオぴえろを拠点に活動し、テレビアニメの演出家として、『科学忍者隊ガッチャマン』、『ニルスのふしぎな旅』、幼児向け教育アニメの『しましまとらのしまじろう』など、数多くの作品を手掛けた。また、1983年に押井守と共同で監督したアニメ『ダロス』は、世界初のOVA (オリジナルビデオアニメーション)作品となった。

タツノコプロでは、笹川ひろしとの二枚看板でその全盛期を支えた。担当は鳥海はハードなリアル物、笹川はギャグと、それぞれ住み分けていた。

作品では常に家族を描いてきた。中でも「父親と息子」というのは鳥海にとって永遠のテーマだった。一方、男女のドラマには一切興味がなかった。

鳥海を周囲は「演出家としては実写志向だ」と盛んに評していたが、鳥海自身は「あまりに写実的だとつまらなくなってくる。アニメらしい動きの中に1カットの写実的でリアルな動きのカットを収めていると、非常に印象的な面白いものが出来上がる」と話している。

小説家としても活動し、代表作は、英仏百年戦争と日本の南北朝時代を背景に、数奇な運命により流れ着いたヨーロッパで戦闘奴隷となった村上水軍の男の冒険と復讐を描いた『球形のフィグリド』シリーズ。タツノコプロを退社して一時フリーになったのを機に、本格的な執筆活動に入り、主に歴史に題材をとった伝奇小説を書いている。古代から中世にかけての日本を舞台にした作品が多く、中世の御伽草子や近世の読本をはじめとして、すでに伝奇物語として成立している作品に史実を丹念に組み合わせて独自の世界観を構築するのを得意とする。作品群には一貫して、当時の社会常識や変動を描くことで、そうした環境に翻弄される人物の悲劇を描こうとする傾向がある。

弟子の1人である押井守によれば、サディスティックな描写を演出する傾向があり、『科学忍者隊ガッチャマン』などに垣間見えるという。

1966年2月、タツノコプロへ入社。映画に興味を持ち、大学在学中からシナリオ研究所に通っていたこともあり、当初は脚本家を志望していたが、当時のタツノコプロには文芸部がなかったために演出部に所属。九里一平、笹川ひろし、原征太郎らに指導を受け、演出家の道を歩むことになった。タツノコプロとしては、漫画家からの転身でも他のスタジオからの転職でもないスタジオ育ちの演出家の第一世代になる。

いくつかの作品で演出を経験した後、1972年に『科学忍者隊ガッチャマン』で総監督に抜擢される。放映当時、そのリアル志向とハードな描写・演出は、当時の「テレビまんがは子供のもの」という常識を覆し、高い評価を受ける。タツノコプロの代名詞となる大ヒットを記録、その後のアニメブームの先駆けとなった。

以降、『破裏拳ポリマー』、『宇宙の騎士テッカマン』、『ゴワッパー5 ゴーダム』の総監督を手がけたのち、1978年12月に退社。フリーランスとして活動を始める。

タツノコ退社前に『ガッチャマン』の続編を監督して欲しいという話があったが、鳥海としてはすでに物語に決着を付けていてやることがなかったため、引き受けなかった。他の人間もみな断ったので、仕方なく笹川ひろしがアシスタントを付けて監督することになった。

1979年5月、先にタツノコを退社していた布川ゆうじが『ニルスのふしぎな旅』制作のため、株式会社スタジオぴえろ(現・ぴえろ)を設立。鳥海も、案納正美、川端宏、高橋資祐、上梨満雄らタツノコ出身演出家とともに発起人としてそこに加わった。翌年1月には同社の第1作である『ニルスのふしぎな旅』の放映がスタート。鳥海がチーフディレクターを務めたが、鳥海への弟子入りを志願して後を追って移籍してきた押井守も演出の一人として参加した。

1982年、日仏合作アニメ『太陽の子エステバン』の総監督を務める。『ニルス』スタッフとの制作を望んで受けた仕事だったが、社長の布川から『うる星やつら』の監督を打診された押井が、鳥海に黙ってそのオファーを受けて監督補佐の座を降りている。日本ではさほどの反響を呼ばなかったものの、海外では根強い人気があり、1980年代からフランスをはじめとする西ヨーロッパ地域で度々放映されている。とりわけ合作のパートナーとなったフランスでの人気は絶大で、2013年春から中国を舞台にした独自の続編を制作して放送したほか、同年8月には『Mysterious Cities of Gold universe:Secret Paths』というタイトルのゲームの開発も発表された。

1983年に世界初のOVAとなった『ダロス』、1985年には同じくOVAの『エリア88』を手がける。『エリア88』は第4回日本アニメ大賞オリジナルビデオソフト最優秀作品賞を受賞している。

その後、スタジオぴえろを退社して再びフリーで活動を始める。

1990年、日本テレビ系列で放送されたテレビスペシャル『雲のように風のように』で総監督を務める。酒見賢一の第一回日本ファンタジーノベル大賞受賞作『後宮小説』をアニメ化したもので、キャラクターデザイン・作画監督を担当した近藤勝也(『となりのトトロ』『魔女の宅急便』)を筆頭に、当時のスタジオジブリの精鋭スタッフが多数参加したことでも話題になった。

「しましまとらのしまじろう」は当初はユン・チアンの「ワイルド・スワン」の映像化企画だったが、スタジオ旗艦社長の草野啓二から「実現までに時間かかると思うから、これをやってくれない?」と出されたつなぎの企画だった。「これは俺の分野じゃない。一旦考えさせてくれないか」と持ち帰り、幼年向けのアニメーションに向いている監督の候補を数人ピックアップした上で、再度草野に相談したら、草野は「そうじゃない。あなたにやってほしいんだ。『ニルスのふしぎな旅』に感動したんだ。こういう演出ができるのはあなたしかいない」と説得した。それを受けた鳥海が幼年の世代と真正面から向き合うために、「回想シーンは作らず、現在進行形での物語を作る」「受けは狙わない」「淡々とした雰囲気でもいい」「色彩の明るさ・動きが少なくても、飽きの無い切り返し、リズムを大事にする」というポリシーで挑んだ。

2009年1月23日午前0時4分、心不全のため67歳で死去。

2019年、東京アニメアワードにおける「アニメ功労部門」の顕彰者に選出された。

鳥海は後輩への指導について「自分のライバルを自分で育てることはない」「人を指導しようという意識はなかった」と答えている。一方、「自分の仕事ぶりを見せれば影響を与えるという考えがあった」とも答えている。鳥海を追う形でタツノコプロからスタジオぴえろへ移籍し、鳥海が総監督を務めた『ニルスのふしぎな旅』に各話演出として参加した押井守は、この作品で鳥海に演出家として育ててもらったと回想している。押井守、西久保瑞穂、うえだひでひと、真下耕一らタツノコプロに所属していた若手演出家達は、当時の鳥海について「厳しい人」「怖かった」と口を揃える。

SF作品も多く手掛けているが、押井守曰く「うちの師匠はSFは全然ダメな人」。押井に勧められた映画『エイリアン』は冒頭で寝てしまったらしい。『ニルスのふしぎな旅』のような堅実な路線を描きたくて始めた『太陽の子エステバン』が、徐々にSF的様相を呈していくのは、9話から合作となり、フランス側からの意向を受けてのことだという。

担当する作品ではウィットの利いたキャラが多く『しましまとらのしまじろう』の黒猫三兄弟(ドット、カラクサ、ペイズリー)が『はっけん たいけん だいすき! しまじろう』以降のしまじろう作品に登場しなくなったのも担当していた彼が降板し、その後亡くなったことが原因とされている。

同時期にタツノコプロに在籍していた脚本家の鳥海尽三とは血縁関係はない。タツノコプロ周辺では、両人を体格から「タツノコの大鳥(尽三)、小鳥(永行)」と呼んだという。

マッハGoGoGo(1967-1968年)演出

おらぁグズラだど(モノクロ版:1967-1968年、リメイク版:1987-1988年)演出、脚本

ドカチン(1968-1969年)演出

紅三四郎(1969年)演出

昆虫物語 みなしごハッチ(1970-1971年)演出

アニメンタリー 決断(1971年)演出

樫の木モック(1972年)演出

科学忍者隊ガッチャマン(1972-1974年)総監督、企画、脚本、演出

破裏拳ポリマー(1974-1975年)総監督、企画、脚本、演出

宇宙の騎士テッカマン(1975年)総監督、企画、脚本、演出

ゴワッパー5 ゴーダム(1976年)総監督、企画、脚本、演出

ポールのミラクル大作戦(1976-1977年)演出

科学忍者隊ガッチャマンII(1978-1979年)企画

科学忍者隊ガッチャマンF(1979-1980年)企画

ザ☆ウルトラマン(1979-1980年)チーフディレクター、絵コンテ

ニルスのふしぎな旅 (1980-1981年)チーフディレクター、演出

太陽の子エステバン(1982-1983年)総監督、アニメーション制作、絵コンテ、演出

宇宙戦士バルディオス(1980-1981年)脚本

星銃士ビスマルク (1984-1985年)企画

忍者戦士飛影(1985-1986年)絵コンテ

雲のように風のように(1990年)総監督

満ちてくる時のむこうに(1991年)監督

しましまとらのしまじろう(1993-2008年)総監督、シリーズ構成、OP・EDコンテ&演出

白雪姫の伝説(1994-1995年)絵コンテ

ピンカと海のお友達(1998年)監督

魔装機神サイバスター (1999年)監修

旋風の用心棒 (2001年)ストーリーアドバイザー、脚本

はっけん たいけん だいすき! しまじろう(2008-2009年)総監督、シリーズ構成

劇場版 科学忍者隊ガッチャマン(1978年7月15日公開)監督

劇場版 ニルスのふしぎな旅 (1983年、劇場未公開)監督

劇場版 宇宙戦士バルディオス(1981年)総監督

ダロス(1983-1985年)原作、監督、脚本、演出

エリア88 (1985-1986年)監督

バリバリ伝説 (1986年)監修

LILY-C.A.T.(1987年)原作、監督

沙羅曼蛇 (1988-1989年)監督

バオー来訪者 (1989年)総監修・絵コンテ

深山幻想譚(『夢枕獏 とわいらいと劇場』の1篇、1991年)コーディネーター

創竜伝(1991-1993年)監督、絵コンテ

『SFロマン 科学忍者隊ガッチャマン』 朝日ソノラマ(1978)

『月光、魔鏡を射る時』 ソノラマ文庫(1979)

『時の影』 ソノラマ文庫(1980)

『標的は悪魔』 ソノラマ文庫(1981)

『フルムーン伝説インドラ(前編)』 ソノラマ文庫(1982)

『フルムーン伝説インドラ(後編)』 ソノラマ文庫(1982)

『ダロスールナリアン伝説(神話崩壊編)』 講談社X文庫(1984)

『水無し川かげろう草子』 朝日ソノラマ(1987)

『LILY-C.A.T.(リリイ・キャット)』 ソノラマ文庫(1987)

『黄金の国から来た男ー球形のフィグリド(1)』 ソノラマ文庫(1988)

『天使の仮面を持つ悪魔ー球形のフィグリド(2)』 ソノラマ文庫(1988)

『双頭の虎ー山嵐妖綺伝』 角川スニーカー文庫(1989)

『死神たちの戦場ー球形のフィグリド(3)』 ソノラマ文庫(1989)

『南国水狼伝ー球形のフィグリド(上)』 ソノラマノベルズ(1991)

『南国水狼伝ー球形のフィグリド(中)』 ソノラマノベルズ(1991)

『南国水狼伝ー球形のフィグリド(下)』 ソノラマノベルズ(1991)

『妖門記』 朝日ソノラマ(1993)

『折れた聖剣ー光の騎士伝説』 電撃文庫(1993)

『青銅の魔剣ー光の騎士伝説』 電撃文庫(1994)

『復活の神剣ー光の騎士伝説』 電撃文庫(1994)

「黄金龍の息吹ー光の騎士伝説外伝」(『ドラゴン殺し』所収)メディアワークス(1996)

『聖・八犬伝 巻之一 伏姫伝奇』 電撃文庫(1995)

『聖・八犬伝 巻之二 芳流閣の決闘』 電撃文庫(1995)

『聖・八犬伝 巻之三 対牛楼の仇討』 電撃文庫(1996)

『聖・八犬伝 巻之四 庚申山の怪猫』 電撃文庫(1996)

『聖・八犬伝 巻之五 妖怪城の逆襲』 電撃文庫(1997)

『信長幻記 覇王欧州伝 ー冥府の軍師』ワニノベルス(1997)

^ 陶山智と共同。

^ 酒井あきよしと共同。

^ 第14話から第26話まで。第1話から第13話までは笹川ひろしが担当。

^ 吉田健二と連名。

^ 九里一平、柳川茂、陶山智と連名。

^ 第1話から第13話まで。第14話以降は神田武幸が担当。

^ 新シリーズから実写パートが加わったが、アニメーションパートのみ担当。

^ 岡本喜八が名目上の総指揮にクレジットされる。

^ 完成後も公開されず、幻の作品となっていたが、 2015年1月に東京・アップリンク渋谷で初上映された。

^ テレビ版の演出だった案納正美、押井守と連名。

^ ノンクレジットだが、実際は押井守との共同監督だった。

^ 第7話から第9話まで。他の話数は出崎統、鹿島典夫、御厨恭輔が担当。

^ テレビアニメのノベライズ作品。

^ 初のオリジナル作品。

^ パイロット版が完成したのみで実現しなかったアニメ企画『フルムーン伝説インドラ』を小説として発表したもの。

^ “アニメ様の七転八倒 小黒祐一郎 第100回 タツノコ的な『ザ☆ウルトラマン』”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル (2008年8月29日). 2022年9月25日閲覧。

^ “押井守 師匠たちに教えられたこと 第9回(全10回) 鳥海永行【前半】”. ぴあ (2018年9月25日). 2022年9月25日閲覧。

^ “押井守の幻の初期作品「劇場版 ニルスのふしぎな旅」が劇場公開”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム (2015年1月14日). 2022年9月25日閲覧。

^ “押井守監督が語る日本アニメーションの「あの頃」と「これから」”. 京都精華大学 (2016年8月10日). 2022年9月25日閲覧。

^ “押井守 師匠たちに教えられたこと 第10回(全10回) 鳥海永行【後半】”. ぴあ (2018年9月28日). 2022年9月25日閲覧。

^ “ガッチャマンの監督、鳥海永行氏が死去”. スポーツニッポン. (2009年1月26日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/01/26/kiji/K20090126Z00001590.html 2022年9月25日閲覧。 

^ “ガンダム0083、∀、王立宇宙軍…アニメ界のレジェンドプロデューサー回顧録! 植田益朗×渡辺 繁【インタビュー】”. アニメ!アニメ!. イード (2020年12月15日). 2022年9月25日閲覧。

^ “007、009、そしてガッチャマンに通じるもの「007 ロシアより愛をこめて」(1963)前編 (3)”. 日経ビジネス. 日経BP (2020年3月5日). 2022年9月25日閲覧。

^ アニメーション・インタビュー 2018, p. 179.

^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P60

^ “「劇場版Infini-T Force/ ガッチャマン さらば友よ」、笹川ひろし&大河原邦男登壇のレジェンドトークショー公式レポートが到着!”. アキバ総研. カカクコム (2018年2月28日). 2022年9月25日閲覧。

^ “押井守監督“お蔵入り”『劇場版 ニルスのふしぎな旅』1・31国内初公開”. ORICON NEWS. オリコン (2015年1月13日). 2022年9月25日閲覧。

^ ニルスのふしぎな旅 DVD-BOX1 2002, p. 14.

^ “「太陽の子エステバン」 フランスで新テレビシリーズ企画”. アニメ!アニメ!. イード (2008年11月16日). 2022年9月25日閲覧。

^ “「太陽の子エステバン」ゲームソフトがKickstarterに登場 PC版、英語版に3万ドル目標”. アニメ!アニメ!ビズ. イード (2013年9月4日). 2022年9月25日閲覧。

^ “「雲のように風のように」HDリマスター版配信決定。BD特典絵柄も公開”. AV Watch. インプレス (2020年12月10日). 2022年9月25日閲覧。

^ “「魔女の宅急便」の近藤勝也がキャラデザ 「雲のように風のように」HDリマスター版で初配信”. アニメハック. エイガ・ドット・コム (2020年12月10日). 2022年9月25日閲覧。

^ アニメーション・インタビュー 2018, p. 187.

^ アニメーション・インタビュー 2018, p. 188.

^ アニメーション・インタビュー 2018, p. 190.

^ “「TAAF2019」アニメ功労部門顕彰者に「ガンダム」大河原邦男、「ハイジ」杉山佳寿子ら”. アニメ!アニメ! (2018年12月21日). 2022年10月19日閲覧。

^ “これまでの顕彰者 東京アニメアワードフェスティバル”. 2022年10月19日閲覧。

^ ニルスのふしぎな旅 DVD-BOX1 2002, p. 13.

^ 世界の子供たちに夢を 2013, p. .

^ “放送40周年記念、「宇宙の騎士テッカマン」がHDリマスターでBlu-ray BOX化”. AV Watch. インプレス (2015年3月16日). 2022年9月25日閲覧。

^ “「劇場版 ニルスのふしぎな旅」制作40周年を記念した上映イベント、10月9日に開催”. コミックナタリー. 株式会社ナターシャ (2022年9月22日). 2022年9月25日閲覧。

星まこと『アニメーション・インタビュー 伝説のアニメ職人たち 第1巻』まんだらけ、2018年5月1日。ISBN 978-4860721428。 

但馬オサム『世界の子供たちに夢を〜タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡〜』メディアックス、2013年1月9日。ISBN 978-4862016539。 

鳥海永行『ニルスのふしぎな旅 TVシリーズ DVD-BOX1』(解説書「総監督鳥海永行インタヴュー」)(ブックレット)ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント、2002年(原著1980年)。 

科学忍者隊ガッチャマン

科学忍者隊ガッチャマンII

科学忍者隊ガッチャマンF

ガッチャマン クラウズシリーズ

GATCHAMAN

おはよう忍者隊ガッチャマン

グッド・モーニング!!!ドロンジョ(続編)

ガッチャマン (映画)

交響組曲 科学忍者隊ガッチャマン

タツノコファイト

SIMPLEキャラクター2000シリーズ 科学忍者隊ガッチャマン THE シューティング

タツノコ VS. CAPCOM CROSS GENERATION OF HEROES

TATSUNOKO VS. CAPCOM ULTIMATE ALL-STARS

科学忍者隊ガッチャマン (パチスロ)

タイムボカン王道復古 - Infini-T Force

吉田竜夫

九里一平

鳥海尽三

鳥海永行

笹川ひろし

中村光毅

大河原邦男

天野喜孝

高田明美

ボブ佐久間

すぎやまこういち

タツノコプロ

フジテレビ(FNN/FNS)

日本テレビ(NNN/NNS)

文化放送

日活

東宝

科学忍者隊ガッチャピン

たちゅまる劇場

ZIP!

カプコン

フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメ

ISNI

VIAF

WorldCat

スペイン

フランス

BnF data

アメリカ

日本

オランダ

CiNii Books

CiNii Research

SNAC

IdRef

日本のアニメーション監督

日本の小説家

タツノコプロの人物

ぴえろの人物

中央大学出身の人物

神奈川県出身の人物

1941年生

2009年没

出典のページ番号が要望されている記事

2024/11/17 16:18更新

toriumi hisayuki


鳥海永行と同じ誕生日10月29日生まれ、同じ神奈川出身の人

篠原 梨菜(しのはら りな)
1996年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

篠原 梨菜(しのはら りな、1996年10月29日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 神奈川県川崎市の出身で、川崎市立高津中学校から東京学芸大学附属高等学校を経て、東京大学文科三類へ進学。大学…

北見 綾野(きたみ あやの)
1986年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

北見 綾野(きたみ あやの、1986年10月29日 - )は、日本のアイドル・歌手。 神奈川県出身、オフィス福笑所属。 『3年B組金八先生』に出演したいという思いから、総合芸能学院テアトルアカデミ…

宮田 和征(みやた かずゆき)
10月29日生まれの有名人 神奈川出身

宮田 和征(みやた かずゆき、10月29日 - )は、日本の声優、俳優。以前はプロダクション東京ドラマハウスに所属していた。神奈川県出身。血液型はO型。 ドラゴニア(ロイ) みずいろ 影喰らい 静岡…

酒井 健太(さかい けんた)
1983年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

酒井 健太(さかい けんた、1983年〈昭和58年〉10月29日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビアルコ&ピースのツッコミ(ネタによってはボケ)担当、立ち位置は向かって右。 神奈川県…

佐藤 優平(さとう ゆうへい)
1990年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

佐藤 優平(さとう ゆうへい、1990年10月29日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロサッカー選手。Kリーグ2・全南ドラゴンズ所属。ポジションは、ミッドフィールダー。 Kリーグ時代の登録名は優平(…


佐川 和夫(さがわ かずお)
1939年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

佐川 和夫(さがわ かずお、1939年10月29日 - )は、日本の特撮監督。 日本大学藝術学部在学中に円谷特技研究所に出入りし、特撮を研究するため円谷英二に師事し、東宝映画の撮影現場で修業する。卒…

江原 由美子(えはら ゆみこ)
1952年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

江原 由美子(えはら ゆみこ、1952年10月29日 - )は、日本の社会学者。旧東京都立大学名誉教授。横浜国立大学教授。2005年より社団法人神奈川人権センター理事長。専門は、女性学、ジェンダー論、…

藍 とも子(あい ともこ)
1954年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

藍 とも子(あい ともこ、(1954年〈昭和29年〉10月29日 - )は、日本の女優。本名、村上 ふみ代(むらかみ ふみよ)。

真壁 京子(まかべ きょうこ)
1967年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

真壁 京子(まかべ きょうこ、1967年10月29日 - )は、日本の気象予報士である。ウェザーマップに所属し、セント・フォースによるマネジメントを受けている。 神奈川県平塚市出身。ミッション系中高…

黒沢 ゆう子(くろさわ ゆうこ)
1982年10月29日生まれの有名人 神奈川出身

黒澤 友子(くろさわ ゆうこ、1982年10月29日 - )は東京都出身の元グラビアアイドル。サンキャラットに所属していた。 2001年後期のファイブスターガールの1人に選ばれた。 2006年10…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


鳥海永行と近い名前の人


鳥海 貴樹(とりうみ たかき)
1969年2月22日生まれの有名人 東京出身

鳥海 貴樹(とりうみ たかき、1969年2月22日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 歴史学者で東京大学名誉教授・鳥海靖の二男として東京都に生まれる。早稲田高校を経て上智大学卒業後、1992年…

鳥海 浩輔(とりうみ こうすけ)
1973年5月16日生まれの有名人 神奈川出身

鳥海 浩輔(とりうみ こうすけ、1973年5月16日 - )は、日本の男性声優。神奈川県茅ヶ崎市出身。アーツビジョン所属。 小学校時代は将来の夢などは無かったため、皆が書いていたこと、野球をしていた…

鳥海 勝美(とりうみ かつみ)
1963年11月6日生まれの有名人 埼玉出身

鳥海 勝美(とりうみ かつみ、1963年11月6日 - )は、日本の声優、俳優。所属事務所はぷろだくしょんバオバブ。埼玉県川口市出身。 日本大学櫻丘高等学校卒業、日本大学文理学部卒業。 7歳の時に…

鳥海ペドロ(とりうみ ぺどろ)
1983年11月4日生まれの有名人 東京出身

鳥海 ペドロ(とりうみ ペドロ、1983年11月14日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。ABO式血液型はA型。 2010年、第50回なかよし新人まんが賞において『甘い悪魔が笑う』で準入選を受賞し…

鳥海 尽三(とりうみ じんぞう)
1929年2月1日生まれの有名人 北海道出身

鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 2008年1月17日)は、日本の男性脚本家、小説家。 シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師、日本シナ…


鳥海 巌(とりうみ いわお)
1933年2月22日生まれの有名人 千葉出身

鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 2014年1月10日)は日本の実業家。丸紅社長・会長、東京国際フォーラム社長、東京都交響楽団理事長、経済同友会副代表幹事を歴任。いわおの漢字は正し…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
鳥海永行
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

Silent Siren CoverGirls 愛乙女★DOLL Prizmmy☆ LinQ でんぱ組.inc 乙女新党 ライムベリー 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「鳥海永行」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました