鹿島守之助の情報(鹿嶋守之助) 経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鹿島 守之助さんについて調べます
■名前・氏名 |
鹿島守之助と関係のある人
平泉渉: その後、在フランス大使館に勤務し、1954年に訪仏した鹿島守之助を案内したことがきっかけで守之助に見込まれ、その三女・三枝子と結婚。 塚田十一郎: 長崎高商事務官に転じていた1938年(昭和13年)、鹿島守之助のスカウトにより鹿島組に入社。 鹿島俊雄: 鹿島守之助 松野幸泰: 鹿島守之助 梶木又三: 鹿島守之助 松嶋喜作: 鹿島守之助 伊江朝雄: 鹿島守之助 古賀雷四郎: 鹿島守之助 木部佳昭: 鹿島守之助 鈴木和美: 鹿島守之助 三浦辰雄: 鹿島守之助 周東英雄: 鹿島守之助 神谷信弘: 勲章の川/ショウベ/鹿島守之助/校長/成田与吉(東京芸術座) 穐山篤: 鹿島守之助 山崎平八郎: 鹿島守之助 天野光晴: 鹿島守之助 井上吉夫: 鹿島守之助 小里貞利: 鹿島守之助 竹山祐太郎: 鹿島守之助 片山正英: 鹿島守之助 鈴木和美: 鹿島守之助 三浦辰雄: 鹿島守之助 始関伊平: 鹿島守之助 矢追秀彦: 鹿島守之助 梶原清: 鹿島守之助 岡田勢一: 鹿島守之助 天野光晴: 鹿島守之助 瀬戸山三男: 鹿島守之助 古賀雷四郎: 鹿島守之助 片山正英: 鹿島守之助 |
鹿島守之助の情報まとめ
鹿島 守之助(鹿嶋 守之助)さんの誕生日は2月2日です。兵庫出身の経営者のようです。
卒業、結婚、引退、事件、映画、現在に関する情報もありますね。1975年に亡くなられているようです。
鹿島守之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鹿島 守之助(鹿嶋 守之助、かじま もりのすけ、明治29年(1896年)2月2日 - 昭和50年(1975年)12月3日)は、日本の外交官、実業家、政治家、参議院議員(3期)。位階は正三位。北海道開発庁長官(第14代)、外交史研究家。文化功労者。法学博士。鹿島建設会長。鹿島建設「中興の祖」。戦前よりアジアの地域統合「パン・アジア」(汎アジア)を提唱し、生涯にわたりその思想のもとに行動する。旧姓永富(ながとみ)。 兵庫県揖保郡半田村新在家(のちたつの市揖保川町新在家)に父・永富敏夫、母・くわんの四男として生まれた。 父・敏夫について、鹿島守之助の『私の履歴書』によれば、「明治8年(1875年)父敏夫が、わずか12歳の年少の身で家督をついだ時には、さしも広大を誇った永富家の所有田地も、30町歩余に激減し、倉に残されていた100余振りの刀剣も、そのほとんど目ぬきの金が無残に切りとられて、売り払われていた。詩人でもあり篤農家でもある父敏夫は、撫松(ぶしょう)山人と号して文人墨客と交わり、関西詩壇に名声を得たが、名利や世俗のことには超然として孤高を愛し、それを誇りとした人物」という。 永富家は浄土真宗本願寺派亀山本徳寺と江戸時代から縁を築き、守之助も本徳寺の信徒総代を長く務めた。 龍野中学、京都の第三高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、外務省に入省する。外務省同期に阪本瑞男、加瀬俊一などがいる。 1922年(大正11年)、外交官としてヨーロッパに赴く船上にて鹿島組社長鹿島精一、鹿島組重役永淵と出会う。鹿島精一は、永富守之助の人柄に惚れ込み、以降猛烈に永富守之助獲得に動く。はじめは養子だということで相手にしなかった。ある日永淵がたずねて来たとき「私は役人を辞めて政治家になりたい」と言ったら「そりゃけっこうですな。鹿島組の事業には、政治が必要ですよ」と言う。とうとう決心して婚約が成立した。 1927年(昭和2年)2月、鹿島精一長女卯女と結婚し、鹿島姓となる。以降、鹿島組(当時)を率いる指導者となる。 ドイツ駐在中にパン・ヨーロッパ連合の指導者リヒャルト N. 栄次郎・フォン・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と親交を開始する。クーデンホーフ=カレルギー伯爵は自分がヨーロッパをまとめてゆくから君はアジアで、この2つの地域は協力して真の世界平和を実現しようではないかという壮大な話を鹿島に聞かせ、それを聞かされた鹿島は大感激したようである。 鹿島は1930年1月に外務省を退官して翌月に立候補した衆院選挙、1942年第二次世界大戦下の翼賛選挙、ともに落選。落選後間もなく大政翼賛会調査局長として翼賛体制に加担。鹿島は戦後、大政翼賛会調査局長を「断り切れずに引き受けた」、「もとより私は平和主義者であり、大東亜戦争についてはその前に、極力これを阻止しなければならないと主張した。しかし、当時私は、一旦戦争が起こった以上は ...」と自己弁護に腐心することになる。彼はパン・アジアを戦時中、大東亜共栄圏と同一のものとして語り、戦後の一時期、アジア・太平洋共同体論になり、再びパン・アジアに収まる。大東亜共栄圏に関して鹿島は、「大東亜共栄圏の結成は、方向としては正しかったのであるが、これが軍部の独走にゆだねられたため侵略主義の過失を犯すことになり ...」、このように大東亜共栄圏は悪くなく軍部が悪かったのだと回想している。 戦後公職追放に遭う。追放解除後の1953年の参院選挙で当選し、初めて国会議員になる。この当選(自由党)で3期・4期の参議院議員を務め、1959年の改選の当選(自由民主党)で5期・6期を務め、1965年の改選に当選し(自由民主党)、7期・8期を務めて1971年7月引退。 国際平和に貢献があった人物に「鹿島平和賞」を表彰するなど文化的活動でも知られる。鹿島平和研究所が明治百年記念事業として企画し発刊した『日本外交史』全38巻により文化功労者の表彰を受けた。拓殖大学名誉教授、国際法学会理事、日本国際問題研究所会長、日本国際連合協会理事、経団連理事等を歴任。 経営者としての手腕は「鹿島中興の祖」といわれるほどであり、「事業成功秘訣二十箇条」はよく知られる社訓である。鹿島建設は日本の原子力発電における半世紀の間に原子力関連工事のおよそ半数を手掛け「原子力の鹿島」の名をほしいままにし、施行した原子炉は2010年時点において日本全国20か所61基(建設中・廃止中含む)のうち38基にのぼる(原子燃料サイクル施設除く)。その先駆的な取り組みは1950年代に鹿島による熱意で開始した日本原子力研究所第1号原子炉の建設である。鹿島が会長就任後、鹿島建設の年間受注高は1963年に世界第1位(1368億円)に達し、1965年に鹿島建設は日本初の超高層ビルとして「霞が関ビルディング」を着工し超高層建設に先鞭をつけた。そうした偉業の傍ら、過酷労働で中国人137人を死亡させたことによる花岡事件(1945年6月)は鹿島が社長の時に発生し、花岡事件を踏まえた日雇い労働者搾取に対する鹿島建設爆破事件(1974年12月)は鹿島が会長の時に発生した。 1975年11月19日、鹿島建設はドイツ民主共和国において超高層ビルの「DDR国際貿易センタービル」を受注した。鹿島守之助が哲学・思想を形成したドイツであり、彼は建設を熱望していた。その14日後に死去。 鹿島守之助が鹿島組取締役に就任した1936年当時、会社の経営状態は芳しくなかった。そこで1936年10月に鹿島が発表した二十か条。 第一条 第二条 第三条 第四条 第五条 1920年(大正9年) 7月、東京帝国大学法学部政治学科卒。外務省入省。12月、外務属・通商局第2課。 1921年(大正10年) 5月、外務事務官。 1922年(大正11年) 5月、ドイツ、在ベルリン日本大使館駐在外交官補。 1925年(大正14年) 7月、外務省欧米局(日本)。 1926年(昭和元年) 12月、イタリア赴任、日本大使館3等書記官。 1927年(昭和2年) 3月、在ローマ日本大使館駐在。 1930年(昭和5年) 1月、在ローマ日本大使館2等書記官。同月、外務省依願退官。2月、日本にて第17回衆議院議員総選挙(兵庫4区)出馬・落選。 1934年(昭和9年) 4月、法学博士号取得(東京大学)。論文の題は『世界大戦原因の研究』。 1936年(昭和11年) 4月、株式会社鹿島組取締役に就任。 1937年(昭和12年) 5月、鹿島組副社長に就任。 1938年(昭和13年) 7月、鹿島組(1947年より鹿島建設)社長に就任(1957年4月まで)。鹿島組で初の新入社員教育を開始、社員教育として2週間の夏期講習も実施。 1942年(昭和17年) 1月、鹿島組に人事部を設置し、人事部長に就任(社長兼任)。4月、第21回衆議院議員総選挙(兵庫4区)出馬・落選。6月、大政翼賛会調査局長に就任(1943年9月まで)。 1944年(昭和19年) 4月24日、鹿島守之助の邸宅が空襲で全焼。 1945年(昭和20年) 鹿島社長、9月6日付の通達により、「働く意志と能力をもったものは解雇しない」方針、特に大陸から復員する社員は1人も辞めさせぬ旨、明示。 1946年(昭和21年) 1月、公職追放(1951年8月まで)。 1947年(昭和22年) 2月、鹿島精一、死去。12月、社名を鹿島建設株式会社に変更。 1949年(昭和24年) 戦争で閉鎖した軽井澤ゴルフ倶楽部を買い受け、旧軽井沢ゴルフクラブとして再開。秋期、日米のジョイントベンチャー(JV)結成の音頭をとり、1950年2月沖縄で日本初JV誕生(米建設大手モリソン=クヌードセン社と提携)。 1950年(昭和25年) 厚木・松島飛行場工事に関する「昭和25年のクレーム事件」勝訴(鹿島側に非がないため元・外交官の鹿島社長、駐留軍司令部に対して堂々と物申した)、これにより建設業者の地位向上する(当時は、工事完成直前に駐留軍側監督官の機嫌一つで追放される日本側の業者が多かった)。 1951年(昭和26年) 4月、拓殖大学教授(1957年1月まで)。 1953年(昭和28年) 4月、第3回参議院議員通常選挙(全国区)出馬・初当選(4位)。参議院議員として建設委員会委員、中央建設業審議会委員を歴任。建設業法の改正等にあたる。以後、1971年7月まで参議院議員を務める。 1954年(昭和29年) 妻・卯女とともにロサンゼルス訪問。 1957年(昭和32年) 4月、第1次岸内閣国務大臣北海道開発庁長官に就任(1957年7月まで)。7月、鹿島建設会長(1975年12月まで)。12月、建設業要職に就いて業界の発展に寄与したとして藍綬褒章受章。 1959年(昭和34年) 5月、学士院賞受賞(『日英外交史』および『日本外交政策の史的考察』)。6月、参議院議員、再選。 1961年(昭和36年) 12月、妻・卯女とともに約1か月半、南北アメリカ、ヨーロッパを視察(1962年1月まで)、12月中にロサンゼルスのリトル・トーキョーを訪問。 1964年(昭和39年) ロサンゼルスに設立したカジマ・インターナショナル社(KII)の会長に就任。前年2月に兵庫県相生市へ噴水1基寄付により1964年4月19日紺綬褒章受章、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。 1965年(昭和40年) 7月、参議院議員、再当選(100万票超で全国区1位当選)。同選挙で鹿島建設専務平泉渉、参議院議員に初当選(自民党)。 1966年(昭和41年) 勲一等瑞宝章受章。 1967年 (昭和42年) 前年8月に兵庫県揖保郡揖保川町公民館建設費として200万円寄付により1967年4月26日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。 1970年(昭和45年) 10月、第58回列国議会同盟会議に出席(日本代表)、欧米視察。 1973年(昭和48年) 文化功労者。 1975年(昭和50年) 死去。死没日をもって勲一等旭日大綬章追贈、正六位から正三位に叙される。 1946年(昭和21年) 1月、子会社・播州塩業を設立。 1949年(昭和24年) 4月、建設業界で初めて技術研究所を設立。 1956年(昭和31年) 4月、東亜不動産株式会社設立。11月、財団法人鹿島育英会設立。 1957年(昭和32年) 鹿島研究所設立(1966年に鹿島平和研究所へ発展・改組)。 1962年(昭和37年) 鹿島精一記念展望台の建設。旧盛岡藩士葛西晴寧と葛西すえの長男であった義父・精一の故郷盛岡市に記念として発案。鹿島建設が建設し、盛岡市に寄贈。義父・鹿島精一(1875年7月1日–1947年2月6日)もまた鹿島家の婿養子であり、鹿島家の支援で帝国大学に入学し、1899年に東京帝国大学工科大学を2番の成績で卒業(土木工学科)し逓信省鉄道作業局に勤務、同1899年に鹿島糸子と結婚し葛西姓から鹿島姓になり鹿島組の副組長に就任した。東大卒キャリア官僚を結婚相手に選び、政・官・財界に人脈を拡大してゆくのが鹿島創業一家の伝統である。 1963年(昭和38年) 3月、鹿島研究所出版会設立(のちの鹿島出版会)。4月、日本技術映画社設立(1969年9月より鹿島映画、1987年よりカジマビジョン、2012年よりKプロビジョン)。映画への関心はトロツキーの「20世紀には成人は全て映画によって決定的な教育を受けるであろう」という言葉と、「これを何回見たかしれない」という米国大手建設会社モリソン=クヌードセン(Morrison-Knudsen: MK)によるアフガニスタンとスリランカ(セイロン)の開発事業の記録映画の影響である。 1964年(昭和39年) 2月、米国ロサンゼルス市に現地法人KII(Kajima International, Inc.)設立。8月、「日本版ブルッキングス研究所」の鹿島建設赤坂別館竣工。赤坂別館は晩年の鹿島会長にとって大好きな本たちに囲まれ最高の癒しの場所になった。 1966年(昭和41年) 7月、財団法人(2012年より一般財団)鹿島平和研究所設立。1967年から1977年まで鹿島平和研究所は鹿島平和賞の顕彰を行い、10人に授与した。第1回クーデンホーフ=カレルギー伯爵、第2回鳩山薫(鳩山一郎夫人)、第3回ヒューバート・H・ハンフリーとウィリアム・ベントン(William Benton)、第4回佐藤尚武、第5回ハメンクブウォノ9世、第6回ヴァルター・シェール、第7回佐藤栄作、第8回イメルダ・マルコス、第9回アミントレ・ファンファーニ(第9回は守之助死去により卯女が授与)。鹿島は鳩山薫と佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞するための活動もした(鳩山薫に関しては失敗した)。 社長時、「太平洋戦争で荒れ果てた森林を再建することこそ、国家再興の基礎である」という信念で社有林を保有。 1976年(昭和51年) 4月、公益財団法人鹿島学術振興財団設立。 1977年(昭和52年) 7月4日、八重洲ブックセンター設立。 長男・昭一: 「鹿島のドン」。 長女・伊都子: 元鹿島建設名誉会長渥美健夫の妻。渥美国際交流財団理事長。伊都子の証言によると、父・守之助は、子どもの頃から何かと言うとクーデンホーフ=カレルギー伯爵の話をした。 二女・ヨシ子: 初代経団連会長石川一郎の六男石川六郎の妻。画家。 三女・三枝子: 元東大教授平泉澄の三男で元科学技術庁長官平泉渉の妻。鹿島平和研究所常務理事を務める。美智子妃と古くから交友し、「軽井沢のクイーン」との呼び名もあったという。作家三島由紀夫からラブレターを送られた人物としても知られる。 その他の親戚 梁瀬次郎 稲山嘉寛など 鹿島家 『世界大戦原因の研究』(岩波書店、1937年) 現代の外交 外交時報社 1937 最近日本の国際的地位 巌松堂 1938 帝国外交の基本政策 巌松堂 1938 『日本外交政策の史的考察』(鹿島研究所、1958年) 防共協定とナチス・ファッショ革命 巌松堂 1938 欧洲大戦を繞る外交 巌松堂 1939 ビスマルクの外交政策 巌松堂書店 1939 勝利への道 鹿島組 1940 世界新秩序を繞る外交 巌松堂 1940 帝国の外交と大東亜共栄圏 翼賛図書刊行会 1943 日本外交政策の史的考察 巌松堂書店 1951 私の事業と信条 実業之日本社 1953 現代の建設 鹿島建設技術研究所出版部 1954 『日英外交史』(鹿島研究所、1957年) 『日米外交史』(鹿島研究所出版会、1958年) 春及廬随談 わが思想と行動 岩手放送 1958 日本外交政策の新基調 鹿島研究所 1960.7 ジョイント・ヴェンチュア 改訂版 鹿島研究所 1961 コンラット・アデナウアー 外交時報社 1962 わが経営を語る 理解と創造 河出書房新社 1964 日本外交の展望 時事通信社 1964 (時事新書) 私の履歴書 鹿島研究所出版会 1964 わが回想録 思想と行動 鹿島研究所出版会 1965 日本外交史 鹿島研究所出版会 1965 新生西ドイツ アデナウアーを中心にして 鹿島研究所出版会 1965 日本の外交政策 鹿島研究所出版会 1966 日本と西ドイツの安全保障 鹿島研究所出版会 1967 日本の外交 過去と現在 鹿島研究所出版会 1967 わが経営を語る 続 鹿島研究所出版会 1967.3 創造の生活 鹿島研究所出版会 1968 日本の平和と安全 鹿島研究所出版会 1969 日本外交史 13巻別巻2 鹿島研究所出版会 1970-71 わが経営を語る 第3集 躍進日本の建設業 鹿島研究所出版会 1971 鹿島守之助外交論選集 全12巻別巻3 鹿島研究所出版会 1971-73 鹿島守之助経営論選集 全13巻別巻3 鹿島研究所出版会 1974-75 鹿島守之助追懐録 鹿島守之助追懐録刊行委員会 鹿島出版会 1976 私の履歴書 経済人 7 日本経済新聞社, 1980.9 私の履歴書 2 日本経済新聞社 1992.9 北海道総合開発の諸問題 編 ダイヤモンド社 1958 クーデンホーフ・カレルギー伝 鹿島研究所出版 1966 日本外交史 34 総括編 鹿島研究所出版会 1973 『南部イタリー開発 第一次五カ年計画(一九五〇-一九五五年)の成果』鹿島研究所 1958 『英国の外務省』Lord Strang等 鹿島研究所 1959 『中共とアジア 米国政策への挑戦』A.D.バーネット 鹿島研究所、1961 『欧州共同市場 通商政策の分析』アイザイア・フランク 鹿島研究所 1962 『ヨーロッパ合衆国』E.エリオ 鹿島研究所 1962 『南方アジアにおける対外援助 理論と実際』C.ウルフ 鹿島研究所 1962 『国際連合・平和への機構』アーネスト・A.グロス 鹿島研究所 1963 『東南アジアの今日明日』リチャード・バットウェル 鹿島研究所出版会 1963 『アメリカン・ビジネスのための外交政策』トーマス・エイトケン 鹿島研究所出版会 1963 『アメリカと極東』W.L.ソープ編 鹿島研究所出版会 1963 『進歩のための同盟』ジョン・G.ドライアー編 鹿島研究所出版会 1963 『中共展望』 A.ドーク・バーネット 日本国際問題研究所〔ほか 1964 『ソ連外交政策の戦略と戦術』 J.M.マッキントッシュ 日本国際問題研究所ほか 1964 『大西洋共同体の将来 欧州と米国の提携を期して』 K.ビルレンバッハ 鹿島研究所出版会 1964 『中共の外交政策』 R.G.ボイド 日本国際問題研究所〔ほか 1964 『国際ジョイント・ヴェンチュア』 W.G.フリードマン,G.カルマノフ編 鹿島研究所出版会 1964 『原爆から生き残る道 変化・希望・爆弾』 D・E・リリエンソール 鹿島研究所出版会 1965 『今日の北朝鮮』 スカラピーノ編 鹿島研究所出版会 1965 『科学革命と世界政治』 C.P.ハスキンズ 鹿島研究所出版会 1965 『現代ドイツ政治外交の基調』 シュレーダー外相の思想と行動 ゲルハルト・シュレーダー 鹿島研究所出版会 1965 『対外援助と外交政策』 E.S.メイソン 鹿島研究所出版会 1965 『外交問題評議会の委員会活動』 J.バーバー 鹿島研究所出版会 1965 『諜報の技術』 アレン・ダレス 鹿島研究所出版会 1965、中公文庫 2022 『アメリカの東南アジア政策』 R.H.フィフィールド 鹿島研究所出版会 1965 『不安な国々 世界緊張と開発の研究』 世界緊張評議会編 日本国際問題研究所ほか 1965 『第三次世界大戦の防止』 M.ドイッチェ,W.エバン,Q.ライト 日本国際問題研究所〔ほか 1965 『永遠の都ローマ 歴史と芸術をたずねて』 モーリス・パレオローグ 鹿島卯女共編 鹿島研究所出版会 1966 『世界情勢と米国 1956-1966』 鹿島研究所 1959-67 『新しい国家主義』 ドイツの新政策 オイゲン・ゲルシュテンマイアー 鹿島研究所出版会 1967 『歴史家と外交官』 フランシス・L.ローウェンハイム 鹿島研究所出版会 1968 (鹿島平和研究所選書) 『第二次世界大戦の原因』ピエール・ルヌーバン 鹿島研究所出版会 1972 『ニクソンの平和政策』フランク・ヴァン・デア・リンデン 鹿島研究所出版会 1973 『パン・ヨーロッパ』クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所 1961 『ヨーロッパ国民』R.N.クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所 1962 『実践的理想主義』R.N.クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所 1963 『世界平和への正しい道』クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1963 『物質主義からの離脱』クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1963 『ヨーロッパの三つの魂 英雄か聖者か』クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1963 『ヨーロッパにおける女性の使命』リヒァルト・クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1963 『ヨーロッパの統合』 リヒァルト・クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1963 『ゼントルマン』リヒァルト・クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1964 『クーデンホーフ・カレルギー回想録』 思想はヨーロッパを征服する 鹿島研究所出版会 1964 『人生の戒律 金言集』 クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1964 『悲惨なきヨーロッパ』R.N.クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1964 『技術による革命』 R.N.クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1964 『倫理と超倫理』 R.N.クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1965 『美の国 日本への帰郷』 リヒアルト・クーデンホーフ・カレルギー 鹿島研究所出版会 1968 『クーデンホーフ・カレルギー全集 全9巻』 RICHARD COUDENHOVE KALERGI 鹿島研究所出版会 1970-71
クーデンホーフ=カレルギー伯爵の妹たちの著書
『結婚と孤独』イダ・フリーデリケ・ゲレス 鹿島研究所出版会 1965 ^ 旧姓クーデンホーフ=カレルギー。ゲレス姓は婚姻先の姓。 ^ 鹿島建設 1974, p. 32 ^ 鹿島建設 1974, p. 30 ^ 鹿島建設 1974, p. 27 ^ 鹿島建設 1974, p. 21 ^ 鹿島建設 1974, p. 19 ^ 鹿島建設 1974, p. 16; 鹿島建設 1989, p. 3 ^ 鹿島の軌跡 | 第12回 バルーチャン発電所, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki12/index-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 『官報』第9298号359-360頁 昭和32年12月18日号 ^ 鹿島ブランドを考える……第1回 - 月報KAJIMAダイジェスト, 鹿島建設, (2002年2月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/feb_2002/tokushu/toku02.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 本徳寺 (hontokuji), 鹿島建設, (1996年4月4日), オリジナルの2011年9月13日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20110913082126/http://www.kajima.co.jp/csr/culture/hontoku/intron-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 『私の履歴書 経済人7』 pp. 303-306 ^ 渥美 2007, p. 3 ^ 平川 2011, p. 31 ^ 平川 2011, pp. 31–33 ^ 参議院会議録情報 第80回国会 決算委員会 第2号, 国立国会図書館 国会会議録検索システム, (1977年3月16日), https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=108014103X00219770316 2014年11月21日閲覧。 ^ 特集「鹿島と原子力」:鹿島の施工実績 - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2010年5月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/may_2010/feature/construction/index-j.html 2014年12月2日閲覧。 ^ 「大政奉還」は遠い? 鹿島創業家と社長人事の裏側, PRESIDENT Online, (2014年8月28日), http://president.jp/articles/-/13285 2014年11月20日閲覧。 ^ 沿革:昭和中期, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/prof/overview/history-3.html 2014年12月2日閲覧。 ^ 鹿島紀行 第13回 超高層のあけぼの~霞が関ビルはいかに造られたか/産業芸術映画の新分野を開拓~ - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2005年1月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2005/kajimakiko/kiko.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 平川 2011, p. 5 ^ 戸澤 「クーデンホーフ・カレルギーと鹿島守之助」, chpt. (3) ^ 渥美 2000, p. 2 ^ 平川 2008, pp. 10–11 ^ 平川 2008, p. 11 ^ 平川 2011, p. 15 ^ 平川 2011, pp. 13–14; 鹿島は小冊子『アドルフ・ヒツトラー』 (1940年7月) において次のように書いた。 “今日世界に最も必要なのは指導者である。ドイツは過去15年間、実にモーゼスの如き指導者を求めつゝあつたが、ヒツトラーにおいて初めてこれを発見した” ^ 特集:鹿島赤坂別館 第3話 鹿島平和賞授賞の舞台 - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2005年4月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/apr_2005/tokushu/toku03.htm 2014年11月17日閲覧。 ^ 平川 2011, p. 6 ^ 平川 2008, p. 9; 平川 2011, p. 10 ^ なぜ鹿島は原発の建設に強いのか, 東洋経済オンライン, (2011年11月29日), https://toyokeizai.net/articles/-/8183 2014年11月17日閲覧。 ^ 渥美 2007, p. 2 ^ 「紅陵健児 (?) の女子部同窓会」『茗荷谷たより』第130号、拓殖大学学友会、2頁、1977年2月1日。http://takushoku-alumni.jp/wp-content/uploads/tayori130.pdf。2015年4月16日閲覧。 ^ 特集:鹿島赤坂別館 第2話 鹿島文化の発信基地 - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2005年4月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/apr_2005/tokushu/toku02.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 寺島実郎 (2009年5月31日), 第24回目, オンザウェイ・ジャーナル 月刊 寺島実郎の世界, http://www2.jfn.co.jp/blog/terashima/2009/05/24.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 寺島実郎 (2009年), 連載「脳力のレッスン」7月号: 四六年前の手紙と寺島文庫, 三井物産戦略研究所, http://mitsui.mgssi.com/terashima/nouriki0907.php 2014年11月24日閲覧。 ^ 特集:鹿島赤坂別館 第4話 赤坂別館が遺したもの - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2005年4月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/apr_2005/tokushu/toku04.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島守之助関係文書 | 憲政資料室の所蔵資料, 国立国会図書館, (2012年12月20日), https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/kensei/kajimamorinosuke 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島の軌跡 | 第19回 新入社員教育の変遷 | こぼれ話, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki19/kobore19.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島の軌跡 | 第19回 新入社員教育の変遷, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki19/index-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 平川 2011, p. 16 ^ 鹿島の軌跡 | 第5回 戦災の中で, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki05/index-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島の軌跡 | 第36回 鹿島組広島出張所 – 戦後の混乱と支店の誕生 –, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki36/index-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島建設 1974, p. 7 ^ 鹿島紀行 第10回 軽井沢 ~碓氷線施工と避暑地開発/いまも「鹿島ノ森」の名を残す - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2004年10月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/oct_2004/kajimakiko/index-j.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ シリーズ100年をつくる会社 (6):新たなる出発 1945年~1950年 - 月報KAJIMAダイジェスト, 鹿島建設, (1999年8月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/aug_1999/100nen/100nen.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 特集:鹿島の160年 年表 - 月報KAJIMAダイジェスト, 鹿島建設, (1999年2月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/feb_1999/tokushu/toku1.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ コラム集 | 鹿島の歴史, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-9.html 2014年11月20日閲覧。 ^ シリーズ100年をつくる会社 (7):戦後の経済復興へ 1951年~1955年 - 月報KAJIMAダイジェスト, 鹿島建設, (1999年9月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/sep_1999/100nen/100nen.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島の軌跡 | 第39回 リトルトーキョー再生 –よみがえったアメリカの日本人町 –, 鹿島建設, http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki39/index-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島守之助関係文書目録(仮), 国立国会図書館, (2007年5月), https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/jp/index_kajimamorinosuke.pdf 2022年12月22日閲覧。 ^ 法学博士鹿島守之助君の「日英外交史」及び「日本外交政策の史的考察」に対する授賞審査要旨, 日本学士院, https://www.japan-acad.go.jp/pdf/youshi/049/kajima.pdf 2014年11月21日閲覧。 ^ 特集:鹿島赤坂別館 第1話 鹿島赤坂別館の誕生 - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2005年4月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/apr_2005/tokushu/toku01.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 『官報』第11204号17-22頁 昭和39年4月21日号 ^ 『官報』第12113号13-15頁 昭和42年5月4日号 ^ 鹿島建設 1974, p. 24 ^ シリーズ100年をつくる会社 (11):躍進の時代とオイルショック 1971~1975年 - 月報KAJIMAダイジェスト, 鹿島建設, (2000年2月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/feb_2000/100nen/index-j.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 『官報』第14681号9-10頁 昭和50年12月10日号 ^ 特集:創業170年記念 鹿島紀行特集 第4話 鹿島精一記念展望台~岩山から見た故郷の景色~ - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2009年1月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2009/tokushu/toku04.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島建設 1989, p. 1 ^ 盛岡の先人たち 第127回:鹿島精一 (かじませいいち), 盛岡市, (2013年12月20日), http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/senjin/007575.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 鹿島 精一, 公益社団法人 土木学会, http://www.jsce.or.jp/president/successive_president.shtml#president34 2014年11月20日閲覧。 ^ 特集:米国鹿島40年 - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2004年6月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/jun_2004/tokushu/index-j.htm 2014年11月20日閲覧。 ^ 吉武 2010, pp. 37, 38, 43 ^ 特集:生物多様性と鹿島の取組み - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2008年10月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/oct_2008/tokushu/toku03.html 2014年11月20日閲覧。 ^ 「現代 第16巻 第5~6号」(講談社、1982年)177頁 ^ 永富六郎兵衛菅久 ━ 永富六郎兵衛頼貞 ━ 永富六郎兵衛常清 ━ 永富幸治常休 ━ 永富六郎兵衛定政 ━ 永富六郎兵衛定村 ━ 永富正右衛門宗定 ━ 永富敏夫貞明 永富家系図 鹿島建設『鹿島建設 : 百三十五年の歩み』渋沢社史データベース、1974年3月。http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=340。2014年11月20日閲覧。 鹿島建設『鹿島建設の歩み : 人が事業であった頃』渋沢社史データベース、1989年9月。http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=360。2014年11月20日閲覧。 平川均 (名古屋大学経済学研究科教授)「鹿島守之助とパン・アジア主義 (2007年11月2日 渥美奨学生の集い講演録 於: 鹿島新館ホール)」『SGRAレポート 43』、公益財団法人 渥美国際交流財団 関口グローバル研究会、2008年3月1日。http://www.aisf.or.jp/sgra/member/gcitizen/report/SGRAreport43.pdf。2014年11月17日閲覧。 平川均 (名古屋大学経済学研究科教授)「鹿島守之助とパン・アジア論への一試論」『SGRAレポート 58』、公益財団法人 渥美国際交流財団 関口グローバル研究会、2011年2月15日。http://www.aisf.or.jp/sgra/member/gcitizen/report/SGRAreport58.pdf。2014年11月17日閲覧。 渥美伊都子「理事長のことば『パン アジアの夢』」『1999年度 渥美国際交流奨学財団年報』、公益財団法人 渥美国際交流財団、2000年6月。http://www.aisf.or.jp/AnnualReport99/No2.pdf。2014年11月17日閲覧。 渥美伊都子「理事長のことば『クーデンホーフ伯爵と父: 共同体への夢』」『2006年度 渥美国際交流奨学財団年報』、公益財団法人 渥美国際交流財団、2–3頁、2007年6月。http://www.aisf.or.jp/AnnualReport06/Atsumi_2006.pdf。2014年11月24日閲覧。 戸澤英典「クーデンホーフ・カレルギーと鹿島守之助」『リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー通信』、東北大学大学院・法学研究科 公共政策大学院/法学部 教授 戸澤英典 研究室。http://www.law.tohoku.ac.jp/~tozawa/RCK%20HP/RCKjap1.htm。2014年11月17日閲覧。 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学 -ノーベル平和賞と日本:序説-」『地域政策研究』第12巻、第4号、高崎経済大学地域政策学会、21-43頁、2010年3月。http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun12-4/02yoshitake.pdf。 『私の履歴書 昭和の経営者群像2』 日本経済新聞社 1992年 83-148頁 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 149-152頁 神一行 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店 2002年 289-302頁 たつの市立龍野歴史文化資料館 神川彦松 特集:受け継がれる文化の礎 - KAJIMA Monthly Report ダイジェスト, 鹿島建設, (2003年11月), http://www.kajima.co.jp/news/digest/nov_2003/tokushu/index-j.htm 守之助社長の理念に基づいて (1949~1956年), 鹿島技術研究所, http://www.kajima.co.jp/tech/katri/general/history/history_01/index-j.html 設計施工一貫分離論争: 鹿島論争, 社団法人 日本建築家協会, http://www.jia.or.jp/web/nishibe8.htm 表 話 編 歴 小日山直登 田中武雄 三土忠造 村上義一 平塚常次郎 増田甲子七 苫米地義三 北村徳太郎 岡田勢一 小沢佐重喜 大屋晋三 山崎猛 石井光次郎 三木武夫 吉野信次 宮沢胤勇 中村三之丞 永野護 重宗雄三 楢橋渡 南好雄 木暮武太夫 斎藤昇 綾部健太郎 松浦周太郎 中村寅太 荒舩清十郎 藤枝泉介 大橋武夫 中曽根康弘 原田憲 橋本登美三郎 丹羽喬四郎 佐々木秀世 新谷寅三郎 徳永正利 江藤智 木村睦男 石田博英 田村元 福永健司 森山欽司 地崎宇三郎 塩川正十郎 小坂徳三郎 長谷川峻 細田吉蔵 山下徳夫 三塚博 橋本龍太郎 石原慎太郎 佐藤信二 山村新治郎 江藤隆美 大野明 村岡兼造 奥田敬和 越智伊平 伊藤茂 二見伸明 亀井静香 平沼赳夫 亀井善之 古賀誠 藤井孝男 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 木村小左衛門 一松定吉 一松定吉 益谷秀次 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 小沢佐重喜 竹山祐太郎 馬場元治 南条徳男 根本龍太郎 遠藤三郎 村上勇 橋本登美三郎 中村梅吉 河野一郎 小山長規 瀬戸山三男 橋本登美三郎 西村英一 保利茂 坪川信三 根本龍太郎 西村英一 木村武雄 金丸信 亀岡高夫 小沢辰男 仮谷忠男 竹下登 中馬辰猪 長谷川四郎 櫻内義雄 渡海元三郎 渡辺栄一 斉藤滋与史 始関伊平 内海英男 水野清 木部佳昭 江藤隆美 天野光晴 越智伊平 小此木彦三郎 野田毅 原田昇左右 綿貫民輔 大塚雄司 山崎拓 中村喜四郎 五十嵐広三 森本晃司 野坂浩賢 森喜朗 中尾栄一 亀井静香 瓦力 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 大野伴睦 緒方竹虎 三好英之 大久保留次郎 正力松太郎 川村松助 鹿島守之助 石井光次郎 山口喜久一郎 村上勇 西川甚五郎 小沢佐重喜 川島正次郎 佐藤栄作 増原惠吉 福田篤泰 前尾繁三郎 二階堂進 木村武雄 野田武夫 西田信一 渡海元三郎 福田一 江﨑真澄 町村金五 福田一 天野公義 小川平二 加藤武徳 渋谷直蔵 後藤田正晴 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 古賀雷四郎 綿貫民輔 粕谷茂 坂元親男 井上吉夫 阿部文男 砂田重民 木部佳昭 谷洋一 伊江朝雄 北修二 上原康助 佐藤守良 小里貞利 小沢潔 高木正明 岡部三郎 稲垣実男 鈴木宗男 井上吉夫 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 西村英一 丹羽兵助 金丸信 天野光晴 田沢吉郎 櫻内義雄 中野四郎 園田清充 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 山崎平八郎 綿貫民輔 奥野誠亮 内海英男 野中英二 石井一 佐藤守良 西田司 東家嘉幸 井上孝 上原康助 左藤恵 小沢潔 池端清一 鈴木和美 伊藤公介 亀井久興 柳澤伯夫 井上吉夫 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 扇千景 石原伸晃 北側一雄 冬柴鐵三 谷垣禎一 中山成彬 金子一義 前原誠司 馬淵澄夫 大畠章宏 前田武志 羽田雄一郎 太田昭宏 石井啓一 赤羽一嘉 斉藤鉄夫 中野洋昌 表 話 編 歴 佐藤尚武 野田俊作 櫻内辰郎 大隈信幸 有馬英二 徳川頼貞 佐藤尚武 石黒忠篤 山川良一 梶原茂嘉 小瀧彬 笹森順造 寺本広作 青柳秀夫 杉原荒太 鹿島守之助 草葉隆圓 木内四郎 近藤鶴代 井上清一 岡崎真一 黒川武雄 青柳秀夫 小柳牧衞 寺尾豊 木内四郎 赤間文三 三木與吉郎 山本利壽 長谷川仁 松平勇雄 八木一郎 平島敏夫 伊藤五郎 二木謙吾 高橋雄之助 寺本広作 安孫子藤吉 菅野儀作 石破二朗 秦野章 稲嶺一郎 増田盛 後藤正夫 平井卓志 最上進 宮澤弘 森山眞弓 堀江正夫 山東昭子 岡野裕 大鷹淑子 野沢太三 井上章平 田村秀昭 木庭健太郎 釘宮磐 寺澤芳男 大久保直彦 廃止 表 話 編 歴 星一↓ 柳川宗左衛門† 早川慎一 松本治一郎† 高橋龍太郎 田中耕太郎↓ 梅原真隆 佐々木良作 山本勇造 尾崎行輝 堀越儀郎 柏木庫治 伊藤保平 西園寺公一 岡部常 膳桂之助† 西田天香 赤松常子 岩間正男 徳川宗敬 和田博雄↓ 鈴木清一 広瀬与兵衛 宮城タマヨ 大野幸一 楠見義男 東浦庄治↓ 奥むめお 原虎一 高瀬荘太郎 木下辰雄 金子洋文 青山正一 高良とみ 河崎なつ 岡田宗司 木内キヤウ 大隈信幸↓ 慶松勝左衛門† 稲垣平太郎 水橋藤作 高田寛 兼岩伝一 中村正雄 鈴木直人↓ 荒井八郎↓ 岡村文四郎 鬼丸義斎 井上なつゑ 小泉秀吉 岡本愛祐 川上嘉 中山寿彦 中川以良 丹羽五郎 羽仁五郎 寺尾豊 下条康麿 河野正夫 佐々弘雄↓ 重宗雄三 宿谷栄一 市来乙彦 安部定 大西十寸男↓ 藤井新一 水久保甚作 鎌田逸郎 中野重治 安達良助 堀真琴 松野喜内 木村禧八郎 寺尾博 穂積真六郎 矢野酉雄 藤井丙午 飯田精太郎 小川友三↓ 小野光洋 塚本重蔵 松井道夫 吉松喬† 星野芳樹 北條秀一 三島通陽 小林勝馬 中西功↓ 来馬琢道 新谷寅三郎 松嶋喜作 内村清次 大山安 浅岡信夫 江熊哲翁 松村真一郎 伊東隆治 細川嘉六 小杉イ子 仲子隆 国井淳一↑ 山川良一 高木正夫 加藤正人 杉山昌作 岩沢忠恭 加藤シヅエ 泉山三六 荒木正三郎 大谷瑩潤 長島銀蔵 菊川孝夫 三浦辰雄 常岡一郎 野田卯一↓ 高橋道男 瀧井治三郎 岡田信次 一松定吉 野溝勝 内村清次 平井太郎 藤原道子 栗山良夫 溝口三郎 石川清一 愛知揆一↓ 上条愛一 小笠原二三男 松原一彦 小酒井義男 片柳真吉 宮本邦彦 重宗雄三 堀木鎌三 高田なほ子 羽仁五郎 松本昇↓ 大矢半次郎 石川栄一 矢嶋三義 小野義夫 小林政夫 鈴木文四郎↓ 白波瀬米吉 小林孝平 田中一 須藤五郎 木村禧八郎 細川嘉六† 森八三一 中山寿彦 小川久義 鈴木恭一↓ 椿繁夫 山花秀雄↓ 寺尾豊 加藤シヅエ 加藤正人 高田なほ子 中村正雄 下条康麿 藤原道子 竹中恒夫 柴田栄 重宗雄三 天坊裕彦 鈴木強 占部秀男 野溝勝 北村暢 田中一 杉山昌作 迫水久常 栗山良夫↓ 松村秀逸 泉山三六 大谷藤之助 岩沢忠恭 辻武寿 小笠原二三男 手島栄 平林剛 小野義夫↓ 勝俣稔 阿部竹松 塩見俊二 一松定吉 小酒井義男 大谷瑩潤 荒木正三郎 本多市郎↓ 矢嶋三義 石黒忠篤↓ 常岡一郎 岩間正男 横川正市 谷口弥三郎 大竹平八郎 小林孝平↓ 北条雋八 江藤智 森八三一 堀木鎌三 光村甚助 稲浦鹿蔵 内村清次 柴谷要 小西英雄† 上条愛一↑ 中上川アキ↓ 加藤シヅエ 長谷川仁 迫水久常 源田実 浅井亨 山崎斉 丸茂重貞 北条雋八 鈴木一弘 山下春江 大谷藤之助 渋谷邦彦 二宮文造 小林武 岩間正男 鈴木市蔵 稲浦鹿蔵 森八三一 野知浩之 天坊裕彦 小西英雄↓ 林塩 田中一 重宗雄三 辻武寿 野々山一三 中村順造 藤原道子 鬼木勝利 北村暢 高山恒雄 鈴木強 占部秀男 江藤智 日高広為 横川正市 小酒井義男 野溝勝 豊田雅孝 竹中恒夫 向井長年 手島栄↓ 中村正雄 川野三暁 大竹平八郎 柴谷要 森田たま 光村甚助 松村秀逸↓ 阿部竹松↑ 山高しげり↑ 石原慎太郎↓ 青島幸男 上田哲 今春聴 重宗雄三 長谷川仁 大松博文 三木忠雄 小林国司 二宮文造 田渕哲也 鈴木一弘 上林繁次郎 小笠原貞子 塩出啓典 岩間正男 永野鎮雄 峯山昭範 森八三一 沢田実 加藤シヅエ 小林武 内田善利 向井長年 山田勇 松本英一 藤原房雄 渡辺武 中村正雄↓ 上田稔 若林正武 玉置猛夫 迫水久常 源田実 鈴木強 大竹平八郎 長田裕二 和田静夫 藤原道子 田口長治郎 大谷藤之助 江藤智 亀井善彰 長屋茂 山下春江 田中一 安永英雄 阿具根登 高山恒雄 横川正市 北村暢 宮田輝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 山東昭子 斎藤栄三郎 丸茂重貞 小林国司 目黒今朝次郎 田渕哲也 三木忠雄 秦豊 糸山英太郎 鈴木一弘 峯山昭範 片山甚市 佐藤信二↓ 和田静夫 二宮文造 内田善利 山中郁子 案納勝 岡田広 江藤智 迫水久常↓ 阿具根登 藤原房雄 太田淳夫 長田裕二 松本英一 坂野重信 野田哲 向井長年↓ 大谷藤之助 内藤功 福間知之 源田実 立木洋 塩出啓典 柄谷道一 粕谷照美 安永英雄 上林繁次郎 神谷信之助 和田春生↓ 大鷹淑子 神田博↓ 下村泰 渡辺武 小巻敏雄 森下泰 岩間正男 上田稔 近藤忠孝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 宮田輝 中山千夏 山東昭子 大鷹淑子 岡部三郎 美濃部亮吉↓ 大河原太一郎 田渕哲也 田沢智治 斎藤栄三郎 村上正邦 長田裕二 岡田広 井上孝 関口恵造 板垣正 源田実 山中郁子 福間知之 丸茂重貞↓ 梶原清 目黒今朝次郎 鈴木一弘 松浦功 田中正巳 峯山昭範 坂野重信 片山甚市 大川清幸 野田哲 江藤智↓ 鈴木和美 二宮文造 阿具根登 太田淳夫 塩出啓典 藤原房雄↓ 鶴岡洋 松本英一 近藤忠孝 中野鉄造 柄谷道一 伊藤郁男 立木洋 粕谷照美 和田静夫↓ 秦豊↑ 宇垣一成↓ 加賀山之雄 横川信夫↓ 鹿島守之助 上林忠次 三浦義男↓ 松本治一郎 木島虎蔵 白井勇 高良とみ 重政庸徳 津島壽一 鮎川義介 横山フク 梶原茂嘉 八木幸吉 永岡光治 鶴見祐輔 青木一男 吉田萬次↓ 早川慎一 西岡ハル 豊田雅孝 雨森常夫 久保等 森田義衛 小沢久太郎 赤松常子 前田久吉 山口重彦 岡三郎 奥むめお 藤田進 土田國太郎 高橋衛 阿具根登 野本品吉 林了↓ 岸良一 苫米地義三 大和与一 高野一夫 高瀬荘太郎 中山寿彦↓ 榊原亨 宮城タマヨ 青山正一 大倉精一†↑ 関根久蔵†↑ 大谷贇雄†↑ 八木秀次†↑ 柏木庫治†↑ 楠見義男† 平林剛↑ 米田正文 鹿島守之助 辻政信 前田久吉 石田次男 金丸冨夫 奥むめお 重政庸徳 天埜良吉 大倉精一 石谷憲男 赤松常子 加賀山之雄 中尾辰義 小平芳平 野上元 木村禧八郎 鮎川義介↓ 原島宏治↓ 下村定 北畠教真 松本治一郎 植垣弥一郎 梶原茂嘉 上林忠次 牛田寛↓ 山本伊三郎 岡三郎 青木一男 鹿島俊雄 鶴園哲夫 大谷贇雄 鈴木恭一 横山フク 岡村文四郎 山本杉 阿具根登 高瀬荘太郎 永岡光治 高野一夫 久保等 野本品吉 田中清一 山口重彦 千葉千代世 須藤五郎 川上為治 基政七 豊瀬禎一 徳永正利 中村順造 向井長年 鹿島守之助 春日正一 玉置和郎 田中寿美子 須藤五郎 楠正俊 柏原ヤス 岡本悟 野上元 内藤誉三郎 山崎昇 小林章 多田省吾 木村美智男↓ 山田徹一 山内一郎 西村尚治 山本伊三郎 瓜生清↓ 大倉精一 小平芳平 矢追秀彦 青木一男 平泉渉 岡村文四郎↓ 重政庸徳 松本治一郎↓ 山本茂一郎 久保等 鹿島俊雄 鶴園哲夫 鈴木力 片山武夫 宮崎正義 徳永正利 原田立 大谷贇雄↓ 永岡光治 山本杉 黒柳明 千葉千代世 横山フク 北畠教真↓ 八田一朗 中尾辰義 内田芳郎 黒木利克 金丸冨夫 山高しげり 梶原茂嘉 米田正文 石本茂 田英夫 志村愛子 鈴木美枝子 町村金五 栗林卓司 柏原ヤス 山本茂一郎 山田徹一 梶木又三 矢追秀彦 玉置和郎 西村尚治 原田立 須藤五郎 春日正一 岡本悟 小平芳平 村上孝太郎↓ 多田省吾 内藤誉三郎 中尾辰義 加藤進 古賀雷四郎 野上元↓ 細川護熙 平泉渉↓ 田中寿美子 宮崎正義 塚田大願 中村利次 野々山一三 星野力 徳永正利 檜垣徳太郎 片山正英 鹿島俊雄 石本茂 伊部真↓ 山本伊三郎↓ 山崎昇 山内一郎 楠正俊 藤井恒男 柴田利右エ門↓ 今泉正二 水口宏三↓ 鈴木力 宮之原貞光 青木一男 松岡克由 黒住忠行↑ 野末陳平↑ 田英夫 江田五月 福島茂夫 玉置和郎 梶木又三 内藤誉三郎 楠正俊 町村金五 増岡康治 栗林卓司 柳沢錬造 古賀雷四郎 伊江朝雄 野末陳平 西村尚治 柏原ヤス 竹内潔 矢追秀彦 徳永正利 前島英三郎 中尾辰義 堀江正夫 松前達郎 中野明 片山正英 大森昭 小平芳平 扇千景 下田京子 大木正吾 多田省吾 渋谷邦彦 山田勇 和泉照雄 藤井恒男 高橋圭三 安西愛子 中村利次↓ 宮本顕治 宮崎正義 円山雅也 安恒良一 山崎昇 田中寿美子 藤井裕久 石本茂 宮之原貞光 佐藤三吾 市川正一 穐山篤 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オーストラリア 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀日本の実業家 日本の法学者 日本の政治学者 法学博士取得者 20世紀日本の翻訳家 日本の平和運動家 国際関係研究者 北海道開発庁長官 昭和時代戦後の閣僚 全国区選出の参議院議員 自由党(日本 1950-1955)の参議院議員 自由民主党の参議院議員 昭和時代の参議院議員 公職追放者 拓殖大学の教員 鹿島建設の人物 日本の原子力関連人物 戦前日本のアジア主義の人物 戦後日本のアジア主義の人物 戦前日本の外交官 正三位受位者 正六位受位者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 藍綬褒章受章者 紺綬褒章受章者 文化功労者 日本学士院賞受賞者 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー 私の履歴書の登場人物 東京大学出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 兵庫県出身の人物 1896年生 1975年没 プロジェクト人物伝項目 Wikifyが必要な項目/2020年10月 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/15 10:19更新
|
鹿嶋 守之助
鹿島守之助と同じ誕生日2月2日生まれ、同じ兵庫出身の人
TOPニュース
鹿島守之助と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「鹿島守之助」を素材として二次利用しています。