オリビア=ニュートン=ジョンの情報 (OliviaNewton-John) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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オリビア=ニュートン=ジョン
オリビア=ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John)さんの誕生日は1948年9月26日です。
その他、ディスコグラフィなどについてまとめました。父親、家族、映画、結婚、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。73歳で亡くなられているようです。
オリビア・ニュートン=ジョン(Dame Olivia Newton-JohnAC DBE、1948年9月26日 - 2022年8月8日)は、オーストラリア出身のイギリス人ポピュラー歌手。 1970年代から1980年代半ばにかけて多くのヒット曲を放ち、高い人気を博した。以後はレコーディングやコンサートの会社運営、自社ブランドのオーナーなど実業家としても活躍。乳がんを患ってからはがん治療の啓発活動家としても広く知られた。 そうした活動が認められ、オーストラリア勲章(英語版)、大英帝国勲章を受章し、日本でも旭日小綬章が授与されている。公称身長は、167.5 cm(5フィート6インチ)。 代表曲に「愛の告白」「そよ風の誘惑」「愛のデュエット」「マジック」「フィジカル」「ハート・アタック」「運命のいたずら」、日本では「ジョリーン」「カントリー・ロード」などが有名。 イングランド・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。母方の曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリングである。 5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。 クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続いたが、1970年にヴァル・ゲスト監督による『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』で映画主演し、歌も披露。1971年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー「イフ・ノット・フォー・ユー (If Not For You)」がヒットしたのをきっかけにスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めた。1973年頃よりAOR、コンテンポラリー色を強め、1974年のシングル「愛の告白 (I Honestly Love You)」が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。同じく1974年にはユーロビジョン・ソング・コンテストに英国代表として出場し、「Long Live Love」を歌唱して4位を記録した。 1975年にアメリカに移住した後も「そよ風の誘惑 (Have You Never Been Mellow)」などのヒットを連発する。 女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演。興行成績は大成功を収め、サントラからも「愛のデュエット」、アカデミー賞歌曲賞候補となった「愛すれど悲し」、「想い出のサマー・ナイツ」が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなる。1980年の映画『ザナドゥ』に主演。興行成績は不発に終わるも、サントラ曲「マジック」、ELOとの「ザナドゥ」、クリフ・リチャードとのデュエット「恋の予感」(日本ではシングルにならず「春風の誘惑 (Suspended in Time)」がシングル・カット)がヒット。アンディ・ギブと「愛は微笑みの中に」など、AOR系のデュエット曲を発表。 1981年にはロック色を強め、アップテンポなディスコ調の「フィジカル」をリリース。全米でビルボード10週連続1位、キャッシュボックス8週連続1位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録(エアプレイ中心のラジオ&レコーズでは「フィジカル」は1位にならず、ビルボード、キャッシュボックスで「フィジカル」に抑えられ2位どまりだったフォリナーの「ガール・ライク・ユー」が逆に1位を独走していた)。最終的にこの曲はビルボードにおいて、1980年代の全米チャートで最もヒットした曲となった。当時のフィットネスブームを意識し、ミュージックビデオではレオタード姿でエアロビクスを踊るという強烈なイメージ戦略があたり、オリビアのセールスはこの頃にピークを迎えた。しかし、その意味深な歌詞のせいもあって、保守色の強い州南部などの一部の放送局では、この曲の放送を自粛する動きも見られた。 トラボルタと再度共演した『セカンド・チャンス』のサントラ曲「運命のいたずら」、「ディスペレイト・タイムス」といったヒットを挟み、1985年のシングル「ソウル・キッス」がミディアム・ヒットに終わってセールスが一段落すると、ポーランド人のダンサーであるマット・ラッタンジーとの結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置く。その後、環境保護活動などに取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめた。1992年には乳がん闘病中と公表、以後はがん治療の啓発活動にも力を入れるようになった。 1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行なうほか、2000年のシドニーオリンピック開会式で「Dare To Dream」を披露した。 2012年、約35年ぶりに、ジョン・トラボルタと共演したデュエット・アルバム『ディス・クリスマス』をリリース。自身が鬱病との闘病生活を送っている事を告白。 2017年、がんが脊髄に転移していると公表。 2021年秋に、日本政府より『日本国の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功』により旭日小綬章が授与された。 2022年8月8日、長い闘病ののち南カリフォルニアの自宅にて死去(73歳没)。翌年の2023年2月26日に故郷のメルボルンで国葬が行われた。 その他『グリース』で共演したジョン・トラボルタとはその後も良き友人である。また、カーペンターズのカレン・カーペンターとも友人であった。 「オリビアを聴きながら」 - 作詞・作曲が尾崎亜美で、杏里が最初に歌った楽曲で、歌詞に「Making Good Things Better」と出てくるのはオリビアの歌「きらめく光のように (Making A Good Thing Better)」を複数形にしたもの。 1992年に乳癌と診断され、2013年に再発し肩に転移し闘病しながら活動していたが、2017年に3度目となる脊髄の癌を発病した。乳癌の際には、自ら簡易乳癌検査器具(触診用)のリヴエイドをプロデュースした。製造はシルバー精工。また、オーストラリアのメルボルンにがんセンター「オリビア・ニュートン・ジョン・がん健康研究センター」を設立している。 ディスコグラフィ『イフ・ノット・フォー・ユー』 - If Not for You (1971年) 『オリビア』 - Olivia (1972年) 『レット・ミー・ビー・ゼア』 - Let Me Be There (1973年) 『とこしえの愛』 - Long Live Love (1974年) If You Love Me, Let Me Know (1974年) 『そよ風の誘惑』 - Have You Never Been Mellow (1975年) 『クリアリー・ラヴ』 - Clearly Love (1975年) 『水のなかの妖精』 - Come on Over (1976年) 『たそがれの恋』 - Don't Stop Believin' (1976年) 『きらめく光のように』 - Making a Good Thing Better (1977年) 『さよならは一度だけ』 - Totally Hot (1978年) 『虹色の扉』 - Physical (1981年) 『麗しの瞳』 - Soul Kiss (1985年) 『噂〜うわさ』 - The Rumour (1988年) 『美しい星と子供たちに〜ウォーム・アンド・テンダー』 - Warm and Tender (1989年) 『ガイア〜新たなる旅立ち〜』 - Gaia: One Woman's Journey (1994年) 『バック・ウィズ・ア・ハート〜オリビアより愛を込めて』 - Back with a Heart (1998年) 'Tis the Season (2000年) ※with ヴィンス・ギル 『デュエット・ウィズ・オリビア』 - (2) (2002年) 『インディゴ:ウーマン・オブ・ソング』 - Indigo: Women of Song (2004年)
『ストロンガー・ザン・ビフォアー』 - Stronger Than Before (2005年) 『グレイス&グラティチュード』 - Grace and Gratitude (2006年) Christmas Wish (2007年) 『セレブレイション・イン・ソング』 - A Celebration in Song (2008年) 『ディス・クリスマス』 - This Christmas (2012年) ※with ジョン・トラヴォルタ 『リヴ・オン』 - Liv On (2016年) ※エイミー・スカイ、ベス・ニールセン・チャップマン連名 Friends for Christmas (2016年) ※with ジョン・ファーナム 『愛のパフォーマンス』 - Love Performance (1981年) Highlights from The Main Event (1998年) One Woman's Live Journey (2000年) Olivia's Live Hits (2008年) 『サマー・ナイツ〜ライヴ・イン・ラスベガス』 - Summer Nights: Live in Las Vegas (2015年) Two Strong Hearts Live (2015年) First Impressions (1974年) 『クリスタル・レイディ』 - Crystal Lady (1976年) 『詩小説』 - Olivia Newton-John's Greatest Hits (1977年) 『O.N.J.グレイテスト・ヒッツ Vol.2』 - Olivia's Greatest Hits Vol. 2 (1982年) 『オリビア・ニュートン・ジョン・スーパー・ベスト 1971-1992』 - Back to Basics: The Essential Collection 1971–1992 (1992年) Magic: The Very Best of Olivia Newton-John (2001年) 『クリスマス・コレクション』 - The Christmas Collection (2001年) 『オリビア〜ベスト・オブ・オリビア・ニュートン・ジョン』 - The Definitive Collection (2002年) 『ラヴ・ソングス』 - Love Songs (2004年) Gold (2005年) 『40/40〜ベスト・セレクション』 - 40/40: The Best Selection (2010年) Hopelessly Devoted: The Hits (2018年) 「イフ・ノット・フォー・ユー」 - "If Not For You" (1971年) ※全米25位、全英7位 「バンクス・オブ・ジ・オハイオ」 - "Banks of the Ohio" (1971年) ※全英6位 「美しき人生」 - "What Is Life" (1972年) ※全英16位 「カントリー・ロード」 - "Take Me Home, Country Roads" (1972年) ※全英15位。1976年に「たそがれの恋」との両A面で日本でシングルカットされオリコン6位。オリコン洋楽チャートで1976年11月29日付から15週連続1位を獲得。1995年公開の日本のアニメーション映画『耳をすませば』のオープニング曲。 「レット・ミー・ビー・ゼア」 - "Let Me Be There" (1973年) ※全米6位 「青空の天使」 - "Long Live Love" (1974年) ※全英11位 「愛しい貴方」 - "If You Love Me (Let Me Know)" (1974年) ※全米5位 「愛の告白」 - "I Honestly Love You" (1974年) ※全米1位、全英22位 「そよ風の誘惑」 - "Have You Never Been Mellow" (1975年) ※全米1位 「プリーズ・ミスター・プリーズ」 - "Please Mr. Please" (1975年) ※全米3位 「秋風のバラード」 - "Something Better To Do" (1975年) 「レット・イット・シャイン」 - "Let It Shine" (1975年) 「フォロー・ミー」 - "Follow Me" (1975年) 「フライ・アウェイ」 - "Fly Away" (1975年) ※ジョン・デンバーのシングルにデュエット参加 「一人ぼっちの囁き」 - "Come On Over" (1976年) 「ジョリーン」 - "Jolene" (1976年) ※オーストラリア・日本・ヨーロッパ圏の一部の国で発売 「たそがれの恋」 - "Don't Stop Believin'" (1976年) 「恋する瞳」 - "Compassionate Man" (1976年) ※日本のみ発売 「サム」 - "Sam" (1976年) ※全英6位 「きらめく光のように」 - "Making A Good Thing Better" (1977年) 「サッド・ソング」 - "Sad Songs" (1977年) ※日本のみ発売 「愛のデュエット」 - "You're The One That I Want" (1978年) ※ジョン・トラボルタとのデュエット。全米1位、全英1位 「愛すれど悲し」 - "Hopelessly Devoted To You" (1978年) ※全米3位、全英2位 「想い出のサマー・ナイツ」 - "Summer Nights" (1978年) ※全米5位、全英1位 「愛は魔術師(マジジャン)」 - "A Little More Love" (1978年) ※全米3位、全英4位 「さよならは一度だけ」 - "Totally Hot" (1978年) 「愛の炎」 - "Deeper Than The Night" (1979年) 「愛は微笑みの中に」 - "Rest Your Love On Me" (1979年) ※アンディ・ギブとのデュエット 「アイ・キャント・ヘルプ・イット」 - "I Can't Help It" (1979年) ※アンディ・ギブとのデュエット 「マジック」 - "Magic" (1980年) ※全米1位 「ザナドゥ」 - "Xanadu" (1980年) with ELO ※全米8位、全英1位。ソフトバンクモバイル『ホワイトプラン』CMソング 「恋の予感」 - "Suddenly" (1980年) ※クリフ・リチャードとのデュエット。全英15位 「春風の誘惑」 - "Suspended In Time" (1980年) ※日本のみ発売 「フィジカル」 - "Physical" (1981年) ※全米1位、全英7位。オリコン洋楽チャートで1982年1月25日付から9週連続1位を獲得 「ムーヴ・オン・ミー」 - "Make A Move On Me" (1982年) ※全米5位 「ランドスライド」 - "Landslide" (1982年) ※全英18位 「ハート・アタック」 - "Heart Attack" (1982年) ※全米3位 「タイド・アップ」 - "Tied Up" (1983年) 「運命のいたずら」 - "Twist of Fate" (1984年) ※全米5位 「テイク・ア・チャンス」 - "Take A Chance" (1984年) ※ジョン・トラヴォルタとのデュエット 「ディスペレイト・タイムス」 - "Livin' In A Desperate Times" (1984年) 「ソウル・キッス」 - "Soul Kiss" (1985年) ※全米20位 「恋愛専科」 - "Toughen Up" (1985年) 「ベスト・オブ・ミー」 - "The Best of Me" (1986年) ※デイヴィッド・フォスターとのデュエット 「噂」 - "The Rumour" (1988年) 「愛を抱きしめて」 - "Can't We Talk It Over In Bed" (1988年) 「リーチ・アウト・フォー・ミー」 - "Reach Out For Me" (1989年) 「アイ・ニード・ラヴ」 - "I Need Love" (1992年) 「ドント・カット・ミー・ダウン」 - "Don't Cut Me Down" (1994年) "Had To Be" (1995年) ※クリフ・リチャードとのデュエット。全英22位 「愛の告白」 - "I Honestly Love You" (1998年) ※「愛の告白」のセルフカバー "Back With A Heart" (1998年) "Love Shouldn't Hurt" (1998年) ※チャリティ・シングルCD with オール・フォー・ワン、スティーヴン・ビショップ、マイケル・ボルトン、ボビー・コールドウェル、ジョーダン・ヒル、クリス・スティルス、スティーヴン・スティルス、リチャード・スタイツ、タミア、アン・ウィルソン、カーニー・ウィルソン & ウェンディ・ウィルソン、グレゴリー・カーティス、ローラ・デイヴィス、オーウェン・エリオット、エマニュエル・オフィサー "Dare to Dream" (2000年) ※ジョン・ファーナムとのデュエット。シドニー・オリンピック・テーマ曲 "Physical" (2010年) ※デュエット with ジェーン・リンチ (テレビドラマ『glee/グリー』より) iTunes配信シングル "Hotel Sessions" (2014年) ※配信 EP 2024/05/26 12:25更新
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