パブロ=カザルスの情報(PabloCasals) ミュージシャン/チェロ 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
パブロ=カザルスさんについて調べます
■名前・氏名 |
パブロ=カザルスと同じ出身地の人 |
パブロ=カザルスの情報まとめ
パブロ=カザルス(Pablo Casals)さんの誕生日は1876年12月29日です。
解散、引退に関する情報もありますね。1973年に亡くなられているようです。
パブロ=カザルスのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)パブロ・カザルス(Pablo Casals、カタルーニャ語:Pau Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ奏者、指揮者、作曲家。カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルラス・サルバドー・カザルス・イ・ダフィリョー(Pau Carles Salvador Casals i Defilló)。 チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことが挙げられる。 早くから世界的名声を築き、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ次のような賛辞を残している。「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。 カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。 1876年、スペイン・カタルーニャ地方タラゴナ県アル・バンドレイに生まれる。4歳でピアノを始め、6歳で「マズルカ」を作曲。9歳になると、ペダルに足が届くようになったことでオルガンを始める。11歳でチェロを弾き始める。 1888年、第1回バルセロナ万博の時、バルセロナに移り住む。 1888年から1893年まで、母の勧めでバルセロナ市立音楽院に入学し、チェロ、ピアノ、音楽理論、作曲などを学ぶ。チェロはホセ・ガルシアに、作曲は当時の音楽院長であったホセ・ロドレダに師事する。入学から半年ぐらいして、町はずれのカフェ・トストで働くようになった。カザルスはまだ少年であったが、チェロの名手として評判になり、遠方からも客が聞きに来るようになった。 1890年、バルセロナの楽器店でバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会う。母の勧めでマドリードに居を移す。スペイン王室の庇護を受けるようになる。 1896年、母とブリュッセル、パリと渡り歩いた後、20歳の時バルセロナの音楽学校で教え始める。以後はバルセロナを拠点に、パリやニューヨークにも住みながら、世界を演奏旅行した。 1899年、パリでデビュー。 1904年、バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏する。 1905年、アルフレッド・コルトー(ピアノ)、ジャック・ティボー(ヴァイオリン)との三重奏団(カザルス三重奏団)を結成。 1908年、コンセール・ラムルー管弦楽団の演奏会に指揮者兼ソリストとして登場。このときが指揮者活動の始まりとみられる。 1919年、第一次世界大戦の影響により、カタルーニャに戻る。 1931年、53歳、カタルーニャ自治政府誕生を祝う記念式典(ムンジュイック宮殿、現カタルーニャ美術館)には、自らのオーケストラと地元の合唱団とともに、ベートーベンの第九を指揮した。それまでどの選挙でも投票しなかったカザルスは、この時には自治政府首班フランセスク・マシア(1859年 - 1933年)に一票を投じた。 1939年、スペイン内戦のため、フランスへ亡命。スペインとの国境に近いプラード(プラド)に隠棲。 1945年、6月から演奏活動を再開。しかし、各国政府がフランコ政権を容認したことに抗議して11月から演奏活動を停止。 1950年、ヴァイオリン奏者アレクサンダー・シュナイダーの説得によってカザルスを音楽監督とするプラド音楽祭が開催される。 1955年、本拠地をプエルトリコに移す。プエルトリコは、カザルスの母、また妻マルタの故郷である。 1960年、自作カンタータ『まぐさ桶』を初演。 1961年、弟子の平井丈一朗の帰国と合わせ来日。東京交響楽団、京都市交響楽団を指揮。文京公会堂で才能教育(スズキ・メソード)で学ぶ児童400人の演奏を聴き「世界は音楽で救われるだろう」と述べる。 この中にはカザルスの最初の日本人弟子である佐藤良雄のもとでカザルスの奏法を学ぶ生徒も多く含まれる。 1971年10月24日(国連の日)、ニューヨーク国連本部にて演奏会、国連平和賞が授与される。 1973年、心臓発作によりプエルトリコで死去。遺言によって、遺体は生地ベンドレイの墓地に埋葬された。 カザルスは12歳でバルセロナの市立音楽院でチェロを学ぶことになるが、ホセ・ガルシアから教授されたチェロ奏法に当初から違和感を抱き、独自の奏法の追究を始めた。当時のチェロ奏法は、両ひじを両脇につけるという窮屈なものであった。この状態で、右手は手首を持ち上げ加減にして前腕だけで弓を扱い、左手は指の間隔を広げずにすべらせて音程移動させていた。このような奏法は、ヨーゼフ・ヨアヒム一門によるヴァイオリン奏法を機械的に模倣したものと考えられている。 カザルスは、右手を脇から自由にして弓による表現性を広げ、左手も脇から離し、指の間隔を拡張させて同じポジションで半音広く弾くことができるように改良した。このとき、カザルスは、アンリ・ヴュータンやウジェーヌ・イザイなどフランコ・ベルギー派のヴァイオリン奏法を参考にしたともいわれる。これらの奏法の確立には11年から12年を要した。カザルスは、自身では奏法革命とか改革という表現は使っていない。名技性ではなく、あくまで音楽的な完全性をめざすために必要だったと述べている。 この奏法の改革がなければ、20世紀のチェロ無伴奏作品のほとんどが作曲されることはなかっただろうと言われる。 この理論の初期の実践者に、ギレルミナ・スッジアがいる。 カザルスの演奏は、シャープ記号(半音高く)の音が半音より高く、フラット記号(半音低く)の音がより低い傾向があると指摘されたり、音程が不正確で現代と比べれば技巧的には前時代的などと批判的に指摘する者もいる。しかしカザルスは、音程も表現の手段であり、同じ音階でも上昇するときと下降するときでは異なる音程をとる必要があると語っている。したがって、カザルス自身はそのことを十分承知の上で、表現上あえて音程をずらしていたのである。カザルスの政治姿勢プラド音楽祭の誕生鳥の歌カザルスの楽器参考文献
^ 『音楽がわかる世界地図』(ロコモーションパブリッシング ISBN 9784862120281)p.74 ^ 1957年から1961年にかけてカザルスに師事。カザルスはニューヨークでの会見で「平井こそは我が後継者となるだろう」と述べた。 ^ 『愛に生きる―才能は生まれつきではない』(講談社現代新書 ISBN 9784061154865) ^ “チェロ科の歴史”. スズキ・メソード チェロ科公式サイト. 2022年2月7日閲覧。 ^ キャンベル (1994)、227頁。 ^ 音程に関するカザルスの考えは『カザルス The art of interpretation』(デイビッド・ブルーム著)や『現代チェロ奏法』(モーリス・アイゼンバーグ著)に詳しい。 ^ ただし、戦後1958年に行なわれたコルトーの引退コンサートには出演し、ベートーヴェンのチェロソナタ第3番をコルトーのピアノで演奏している。 ^ ブダペスト弦楽四重奏団の一員でもある ^ なお、一部はペルピニャンで開催された年もある。 ^ mp3: [1] ^ NHK「にっぽん点描 最期のコンサート~あるチェロ奏者の死」(1996年11月17日初放送) モンセラート・アルベット『Memories of Casals カザルスの思い出』岡部真一郎訳、主婦の友社、1990年10月、ISBN 4079367767 石井清司『4分間の第九交響曲 カザルスの果たされた夢』日本放送出版協会、1999年11月、ISBN 4140804831 井上頼豊『回想のカザルス』新日本出版社、1996年12月、ISBN 4406024867 井上頼豊『カザルスの心 平和をチェロにのせて』「岩波ブックレット」岩波書店、1991年8月、ISBN 400003152X アルバート・E.カーン編『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』吉田秀和、郷司敬吾 訳、朝日新聞社「朝日選書」、1991年12月、ISBN 4022595396
コレドール『カザルスとの対話』佐藤良雄訳、白水社、1967年、新装版1988年2月、ISBN 4560036810
ジャン・リュック・タンゴー編著『コルトー・ティボー・カザルス 夢のトリオの軌跡』
『コルトー=ティボー=カザルス・トリオ 二十世紀の音楽遺産』 ロバート・バルドック『パブロ・カザルスの生涯』浅尾敦則訳、筑摩書房、1994年1月、ISBN 4480872329 デイヴィッド・ブルーム『カザルス The art of interpretation』為本章子訳、音楽之友社、1985年3月、ISBN 427620366X
フリッツ・ヘンリー撮影『カザルス 写真集 芸術と人生のパンセ』小学館、1977年3月 ジュリアン・ロイド・ウェバー編『パブロ・カザルス 鳥の歌』池田香代子訳、筑摩書房、1989年9月、ISBN 4480871381 / ちくま文庫、1996年9月、ISBN 448003188X
ジャン=ジャック・ブデュ『パブロ・カザルス 奇跡の旋律』遠藤ゆかり訳、創元社「知の再発見」双書、2014年7月、ISBN 9784422212241 日本大学カザルスホール カザルスホールを守る会 岩崎淑 主婦の友社 萩元晴彦 永田音響設計(永田穂)
Web oficial del Festíval Casals de Puerto Rico (San Juan)(スペイン語) Cello.org: Portrait of Pablo Casals(英語) Bach-Cantatas.com: Pablo Casals - Short Biography(英語) パブロ・カザルスによるバッハ無伴奏チェロ組曲第1番の映像 1954年フランス、プラド村郊外のサン・ミシェル・ド・キュクサ修道院(Saint-Michel-de-Cuxa) FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー チリ スペイン フランス BnF data カタルーニャ ドイツ イスラエル フィンランド ベルギー アメリカ スウェーデン ラトビア 日本 チェコ オーストラリア ギリシャ 韓国 クロアチア オランダ ポーランド ポルトガル CiNii Books CiNii Research MusicBrainz ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア)
公文書館(アメリカ) RISM SNAC IdRef パブロ・カザルス カタルーニャのチェリスト スペインの指揮者 スペインの作曲家 カタルーニャの作曲家 タラゴナ県出身の人物 1876年生 1973年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ HAudioマイクロフォーマットがある記事 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 BNC識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 CANTICN識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 KANTO識別子が指定されている記事 KBR識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 Libris識別子が指定されている記事 LNB識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NLG識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NSK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 PortugalA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 NARA識別子が指定されている記事 RISM識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 22:46更新
|
Pablo Casals
パブロ=カザルスと同じ誕生日12月29日生まれの人
TOPニュース
パブロ=カザルスと近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「パブロ=カザルス」を素材として二次利用しています。