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光格天皇の情報 (こうかくてんのう)
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光格天皇さんについて調べます

■名前・氏名
光格天皇
(読み:こうかくてんのう)
■職業
皇族
■光格天皇の誕生日・生年月日
1771年9月23日
卯年(うさぎ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
京都出身

光格天皇と同じ1771年生まれの有名人・芸能人

光格天皇と同じ9月23日生まれの有名人・芸能人

光格天皇と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


光格天皇と関係のある人

皇太后良子: 裕仁親王妃良子女王は第119代天皇・光格天皇の皇后(中宮)である欣子内親王(在位:1794年 - 1820年)以来の「皇族出身の皇后」となった。


明治天皇: これは明治天皇の曽祖父である119代天皇光格天皇と同じ幼名であり、『周易』の「自天祐之、吉无不利」(「天佑があって、吉であり万事に有利」)に由来し、孝明天皇が深慮あって選んだものである。というのも、光格天皇は、在位中は諸朝儀・神事の再興復古による朝廷再興に邁進し、そのためには江戸幕府に強い姿勢をとり、時に軋轢を起こしながらも奮闘し、また宮廷文化の振興にも務め、譲位後も朝廷の政務処理や意思決定に重要な役割を果たし、天皇・朝廷の権威を高めた天皇だったからである。孝明天皇にとって光格天皇は理想の天皇の一人だったのである。


高山彦九郎: 芝山持豊が光格天皇の側近であったことから天皇とも彦九郎は間接的に関わることとなった。


後桜町天皇: 後桜町上皇は廷臣の長老で前関白の近衛内前と相談し、伏見宮家より養子を迎えようとしたが、結局現関白九条尚実の推す典仁親王六男、9歳の祐宮(師仁、兼仁、光格天皇)に決まった。


中御門天皇: 中御門天皇の皇統は玄孫にあたる欣子内親王(曾孫にあたる後桃園天皇の唯一の子女)が、傍系(弟の閑院宮直仁親王の孫)にあたる光格天皇の中宮となって、温仁親王と悦仁親王(何も中御門天皇の来孫)を産んだことにより、欣子内親王を介して女系の血も受け継ぐものと思われていたが、2親王とも嗣子なく、寛政12年(1800年)と 文政4年(1821年)にそれぞれ薨去したことにより途絶えてしまう(欣子内親王は二度と子を産むことなく、弘化3年(1846年)に崩御)。現在の皇室まで続く皇統は、光格天皇の典侍である勧修寺婧子が産んだ仁孝天皇(温仁親王の異母弟かつ悦仁親王の異母兄)が継いだ。


明治天皇: 明治17年(1884年)は、『明治天皇紀』において記録される天皇の活動は、前年の反復が多く、目新しい活動が少ない年だが、恐らくこの年に天皇にとってもっとも重要だったのは、3月14日に曽祖父光格天皇の実父にあたる閑院宮典仁親王に90年忌を期して慶光天皇の諡を追号したことだった。この件をめぐっては、寛政元年(1789年)に光格天皇が実父に太上天皇の尊号を宣下しようとした時、江戸幕府の妨害で阻止された事件が起きていた(尊号一件)。


後桜町天皇: 上皇はたびたび内裏に「御幸」し、光格天皇と面会している。ことに寛政元年(1789年)の尊号一件に際し、「御代長久が第一の孝行」と言って光格天皇を諭したことは有名である。このように朝廷の権威向上に努め、後の尊皇思想、明治維新への端緒を作った光格天皇の良き補佐を務めたことから、しばしば「国母」といわれる。


後桜町天皇: ちなみに、その後に崩御した光格天皇以降は「院」でなく「天皇」の号を贈られたため、最後の女帝であるとともに崩御後に「院」と称された最後の天皇でもある。


明治天皇: 光格天皇の童形践祚の先例にならって、髪型は総角(みずら)、衣装は御引直衣、衵、単、張袴、横目扇という童型践祚を行った。


明治天皇: また、有栖川宮幟仁親王(男系で霊元天皇の4世孫)は、光格天皇の猶子(養子)として仁孝天皇から親王宣下を受け、有栖川宮熾仁親王(男系で霊元天皇の5世孫)・伏見宮貞教親王(男系で崇光天皇の15世孫、女系で霊元天皇の6世孫)は、仁孝天皇の猶子として、孝明天皇から親王宣下を受けていた。以上のような事情があったものの、孝明天皇は、自身の祖父・光格天皇の幼名を与えるほど、唯一の皇子である祐宮に大きな期待を抱いていた。


高山彦九郎: 寛政3年(1791年)3月、志水喜間多(南涯)が琵琶湖で捕獲された緑毛亀を得たとの手紙を彦九郎に寄越したことから、『淵鑑類函』に「亀有毛者文治之兆、緑毛黄甲皆祥瑞」とあるのを見いだし、3月30日、この亀を御所に持参し光格天皇に御覧頂いた。


松平定信: 大政委任論では朝廷の権威を幕政に利用するが、光格天皇が実父の閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとすると朱子学を奉じていた定信は反対し、この尊号一件を契機に、父である治済に大御所の尊号を贈ろうと考えていた将軍・家斉とも対立していた。


ニコライ=レザノフ: 襲撃直後に江戸をはじめ各地に被害が大袈裟に伝えられたこともあり、やむなく幕府は京都の朝廷(光格天皇)に事件の経緯を報告せざるを得なくなった(『伊光記』文化4年6月29日条)。


光格天皇の情報まとめ

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光格天皇(こうかくてんのう)さんの誕生日は1771年9月23日です。京都出身の皇族のようです。

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人物、系譜などについてまとめました。兄弟、事件、現在に関する情報もありますね。

光格天皇のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

光格天皇(こうかくてんのう、1771年9月23日〈明和8年8月15日〉 - 1840年12月11日〈天保11年11月18日〉)は、日本の第119代天皇(在位: 1780年1月1日〈安永8年11月25日〉 - 1817年5月7日〈文化14年3月22日〉)。御称号は祐宮(さちのみや)。諱は師仁(もろひと)、のち兼仁(ともひと)。

父は閑院宮典仁親王(東山天皇の皇孫)。母は大江磐代(鳥取藩倉吉出身の医師岩室宗賢の娘)。東山天皇は曽祖父、桃園天皇(先代、後桃園天皇の父)と後桜町天皇(先代、後桃園天皇の伯母)は再従姉弟にあたる。践祚前の安永8年11月8日(1779年12月15日)に危篤の後桃園天皇の養子となり、儲君に治定される(実際には天皇は前月中既に崩御しており、空位を避けるために公表されていなかった)。光格天皇の兄弟には閑院宮美仁親王や真仁法親王がいる。

一世一元の詔発布(一世一元の制導入)以前に譲位した最後の天皇であり、以降、平成31年(2019年)4月30日に第125代天皇明仁が譲位するまでの202年間、天皇が譲位する例はなかった。

明和8年8月15日(1771年9月23日)、閑院宮典仁親王(東山天皇の皇孫)の第六王子として生まれる。誕生の翌年、聖護院宮忠誉入道親王の附弟となり、聖護院に入寺。将来出家して聖護院門跡を継ぐ予定であった。

安永8年10月29日(1779年12月6日)、後桃園天皇が崩御したときに皇女しかおらず、皇子がいなかったため、世襲親王家から新帝を迎えることになった。後継候補者としての伏見宮邦頼親王の第一王子・嘉禰宮(5歳、のちの伏見宮貞敬親王)、閑院宮典仁親王の第一王子・美仁親王(23歳、のち閑院宮当主)、第六王子・祐宮(9歳、光格天皇)の3人があげられた。先帝の唯一の遺児女一宮(欣子内親王、1歳)を新帝の妃にするという構想から既婚の美仁親王が候補から消え、残り2人のうち近衛内前と後桜町上皇は嘉禰宮を、九条尚実は祐宮を推薦した。会議の結果、嘉禰宮が門跡の附弟になっておらず、年下で女一宮とも年が近いものの、世襲親王家の中で創設が最近で、後桃園天皇の再従叔父にあたる祐宮が選ばれ、急遽養子として迎え入れられた。

安永8年11月25日(1780年1月1日)、践祚。直前に儲君に治定されていたものの、立太子はなされなかった。

天明2年(1782年)、天明の大火により京都御所が焼失したのち、御所が再建されるまでの3年間、聖護院を仮御所とした。

天明7年(1787年)6月、天明の大飢饉の際に御所千度参りが行われると、後桜町上皇はりんご3万個を民衆に配布。光格天皇は事態を憂慮し、朝廷が幕府の方針に口出しをしないという禁中並公家諸法度の定めを破り、幕府に民衆救済を申し入れた。そのため、天皇の叔父でもある関白・鷹司輔平も厳罰を覚悟して、同様の申し入れを行った。これに対して、幕府は米1,500俵を京都市民へ放出する施策を決定、法度違反に関しては事態の深刻さから、天皇や関白が行動を起こしたのももっともな事であるとして不問とした。

ゴローニン事件の際には交渉の経過を報告させるなど、朝廷権威の復権に努める。また、朝幕間の特筆すべき事件として、尊号一件が挙げられる。天皇になったことのない父・典仁親王に、一般的には天皇になったことのある場合におくられる太上天皇号をおくろうとした天皇の意向は、幕府の反対によって断念せざるを得なかったが、事件の影響は尾を引き、やがて尊王思想を助長する結果となった。ただし、尊号の件以外は江戸幕府は天皇の意向を前向きに受け入れる姿勢を取っており、天皇自身も譲位の直前に将軍・徳川家斉に対して御衣とともに感謝の書状を送る など、在位中は大きな対立は発生せず、朝幕関係はむしろ安定していたとする指摘もある。

寛政6年3月7日(1794年4月6日)、欣子内親王を中宮に冊立した。

寛政11年(1799年)、聖護院宮盈仁法親王が役行者御遠忌(没後)1100年である旨の上表を行った。同年、正月25日に権大納言烏丸光祖を勅使として聖護院に遣わし、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号を贈った。

寛政12年1月22日(1800年2月15日)、欣子内親王との間に生まれたばかりの温仁親王を、早くも同年3月7日(3月31日)に儲君に治定するも、翌月4月4日(4月27日)に薨去。これを受け、恵仁親王(のちの仁孝天皇)を文化4年7月18日(1807年8月21日)に儲君に治定し、文化6年3月24日(1809年5月8日)に皇太子とした。

文化14年3月22日(1817年5月7日)、恵仁親王に譲位。翌々日の3月24日(5月9日)に太上天皇となる。なお、202年後の平成31年(2019年)4月30日に退位した第125代天皇明仁は太上天皇ではなく天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく「上皇」の地位でこれが正式な称号であるため、現在でも光格天皇が最後の太上天皇である。

天保11年11月18日(1840年12月11日)、崩御。宝算70。

人物

光格天皇は博学多才で、学問に熱心であり、作詩や音楽をも嗜み、父・典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。

寛政9年11月7日(1797年12月24日)には善光寺の等順より、三帰戒及び十念を授け奉られている。

系譜

令和元年(2019年)5月1日現在、先帝とは2親等以上離れた続柄かつ傍系の宮家より践祚した最後の天皇でもある。次代・仁孝天皇以後は皇太子(天皇の直系子孫)によって皇位が継承され、この皇統が現在の皇室に至っている。光格天皇から見て徳仁は仍孫にあたる。

2024/05/31 00:22更新

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