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原晋の情報 (はらすすむ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月3日】今日誕生日の芸能人・有名人

原晋の情報(はらすすむ) 陸上競技/長距離 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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原 晋さんについて調べます

■名前・氏名
原 晋
(読み:はら すすむ)
■職業
陸上競技
長距離
■原晋の誕生日・生年月日
1967年3月8日 (年齢57歳)
未年(ひつじ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和42年)1967年生まれの人の年齢早見表

原晋と同じ1967年生まれの有名人・芸能人

原晋と同じ3月8日生まれの有名人・芸能人

原晋と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


原晋と関係のある人

石川顯: 元々は教員志望だったが、早稲田大学教育学部卒業後、1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。


田口万莉: 松原晋啓のクマ社長よろBUZZをこめて(KBS京都ラジオ、土曜21:30 - 22:00、アシスタント)きのせひかる後任


佐々木勝彦: トットチャンネル(1987年、東宝) - 栗原晋


神野大地: 陸上部員から「陸上のために生活全てをかけている」と言われ、監督の原晋からは「チームの模範生」と言われた。


久保田和真: 続けるなら切り替えてくれ!辞めるなら1月4日に直ぐ出て行け!!」と諭され、2014年正月の箱根駅伝翌日に原晋監督と相談して手術を決意した、とインタビューで語っている。


三波豊和: なかなか!ドジラんぐ(1987年、テレビ朝日) - 大田原晋


大野雄二: 松木恒秀(ギター)、長岡道夫(ベース、SHŌGUNのミッチー長岡)、数原晋(トランペット)、渡嘉敷祐一(ドラムス)、市原康(ドラムス)などと結成した「You & Explosion Band」はテレビ番組、松田優作に関わる作品が多い。


ゆいざらす: 7月3日(月曜日)、京都・本能寺 塔頭 龍雲院への襖絵奉納や、超歌舞伎、早乙女太一、堂本剛、松田美由紀など様々な著名人への作画提供を行う画家・芸術家の柏原晋平(カッシー)と鳥 very birdの相方おきんとんが主に公園でひたすらに飲むだけという摩訶不思議な脱力系YouTubeチャンネル「月曜から飲むんかい」(シーズン3)のゲスト出演回(タイトルは「みんなで食べよう昆虫食!?伝説の名店中華・上海小吃でゲンゴロウに挑む!!」)が公開される。


大野雄二: 後年の『ルパン三世』TVスペシャルのサウンドトラック録音でも、数原晋、杉本喜代志(ギター)ら、1970年代当時のメンバーも多い。


太刀川寛: 椿三十郎(1962年) - 河原晋


小島康臣: 1964年4月、TBSに第9期生アナウンサーとして入社(同期には石川顯・大沢悠里・平原晋太郎・桝井論平・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。


恵俊彰: 2022年4月、『ひるおび』の不定期コメンテーター・原晋(青山学院大学教授・陸上競技部長距離ブロック監督)からの勧めで、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(修士課程)に入学した。


稲垣次郎: ^ 前田憲男(キーボード)、松本博(キーボード)、渡嘉敷祐一(ドラムス)、岡沢章(ベース)、立山健彦(ギター)、数原晋(トランペット)、佐野健一(トランペット)、吉岡孝時(トランペット)、橋田章(トランペット)、川口日出男(トロンボーン、フルート)、原田忠幸(バリトンサックス)、大野えり(ボーカル)、シンガーズ・スリー(ボーカル)


宇野淑子: 東京教育大学卒業後、1964年4月、TBSにアナウンサー9期生として入社(同期に石川顯、大沢悠里、小島康臣、平原晋太郎、桝井論平、高階玲子、二村義子、山田照子、吉野好子)。


きのせひかる: 松原晋啓のクマ社長よりBUZZを込めて(2020/9/5 - 、京都放送)


岡部達: ボクシング中継では、具志堅用高のWBA世界ジュニアフライ級(ライトフライ級)王座初挑戦の試合(対ファン・ホセ・グスマン)を担当以来、13回目のタイトル防衛戦まで担当した(王座陥落の14回目は、平原晋太郎が担当)。


神野大地: スポーツバラエティ番組「炎の体育会TV」(TBSテレビ系列)には過去に2回、原晋監督と一緒にスタジオへ登場している。


大沢悠里: 1964年(昭和39年)4月 - TBSへアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。


神野大地: 2017年12月3日開催の福岡国際マラソンでは、青山学院大在学中指導を受けた、原晋監督がゲスト解説で生出演。


郷ひろみ: 12月10日、都内で行われた第95回箱根駅伝競走前の監督会見で、青山学院大学陸上競技部・長距離ブロック監督の原晋が、青山学院大の箱根駅伝・総合5連覇達成を目指し「ゴーゴー大作戦」と満面の笑みで発表。


塚山エリコ: 野田の「カリブの夢」ライブでは、岡本郭男、渡辺直樹、数原晋、ボブ・ザングら塚山のレコーディングの常連である一流スタジオ・ミュージシャンがサポートに入った。


桝井論平: 1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。


青戸慎司: 青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督の原晋は大学の1年先輩に当たる。


小島康臣: "1964.4<9期生> 10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢悠里 小島康臣 平原晋太郎 桝井貞之 宇野淑子 高階玲子 二村義子 山田照子 吉野好子"。


石川顕: 元々は教員志望だったが、早稲田大学教育学部卒業後、1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。


西田健: 第8話「電話で殺人を…」(1974年) - 桑原晋


岡田有希子: 数原晋 - フリューゲルホルン


神野大地: ところが、山道での練習において一色より速いタイムで走ったことから、原晋・長距離ブロック監督により一色と入れ替わりで急遽5区に抜擢され、原監督曰く「1時間17分台」を目標とした。


小橋琢人: 2023年11月17日、高円寺Jirokichiにて栗原晋太郎(Sax)、加藤エレナ(Key)、森本隆寛(G)、山田裕之(B)と共にadd+Vibes!のバンド名でライブを行う。


小島康臣: "64.4 <9期生>10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢 悠里 小島 康臣 平原晋太郎 桝井 貞之 宇野 淑子 高階 玲子 二村 義子 山田 照子 吉野 好子"。


原晋の情報まとめ

もしもしロボ

原 晋(はら すすむ)さんの誕生日は1967年3月8日です。広島出身の陸上競技
長距離のようです。

もしもしロボ

タレント・コメンテーターの活動について、駅伝大会スローガン・大作戦名などについてまとめました。今年の情報もありました。原晋の現在の年齢は57歳のようです。

原晋のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

原 晋(はら すすむ、1967年3月8日 - )は、日本の陸上競技指導者、大学教員、タレント、コメンテーター、評論家、スポーツ解説者、コンサルタント、パネリスト、司会者、元陸上選手、元中国電力営業職員。妻は青学大町田寮・寮母の原美穂。

青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック監督、青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授、関東学生陸上競技連盟・駅伝対策委員長、GMOアスリーツ・元アドバイザー、埼玉医科大学・客員教授、スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード、アディダス・キャンペーンアンバサダー、プロ・フィッツ名誉監督、HLBスポーツ・顧問、バディ企画研究所・社外取締役、アスリートキャリアセンター・会長(三重県桑名市と連携協定)、日本トライアスロン連合・理事、ジョリーグッド・社外取締役、神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣、熊本県球磨郡水上村・アドバイザー。

2015年正月の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走では、青山学院大学の監督として史上初の往復路・総合優勝を果たす。それ以降も同陸上部は箱根駅伝競走で合計7回の総合優勝を達成し、「大学駅伝界の名将」として知られている。それと同時に講演会講師の活動と、数多くのマスメディア出演等を頻繁に行っている。

瀬戸内の古い港町である広島県三原市糸崎町松浜東の出身。小学生の頃から、ソフトボールは4番でピッチャー、相撲は主将と運動万能であった。原が小2の頃、漁港で遊んでいる時に不慮の事故で足を複雑骨折し、長期入院。これを機にリハビリを兼ねて、町内を走るジョギングを始めた。なお、幼馴染みによると、雨の日でも休まずに毎日走っていたそうで、自分で決めた事はやり通す、意志の強い少年だったとのことである。

中学校に入学後、野球部に入部するか迷っていたが、幼稚園から彼を知る近所の同級生からの勧めもあって陸上部に入部し、長距離走を始めた。中学1年生のマラソン大会では上級生を抑えて校内1位になり、中学3年生の県総体1500m競走では2位に入賞した。広島県立世羅高等学校3年生時の1984年には、主将として第35回全国高等学校駅伝競走大会に出場。4区で6人抜きの区間2位と総合2位に貢献した(優勝校は報徳学園高校)。

世羅高校OBが陸上競技部の監督を務めていた中京大学に進学し、3年時に日本インカレ5000メートル3位。但し、原曰く「大学時代の1・2年生の頃はパチンコと飲み会に明け暮れてしまい、私が希望した実業団からは門前払いでした」と、中途半端だった旨を明かしている。

1989年、郷里の中国電力(広島県広島市)に入社し、陸上競技部の創設に参加。1993年には主将として、全日本実業団駅伝への初出場にも貢献した。しかし捻挫などの故障が完治せず、さらには監督との軋轢などで成績不振が続いた原因により、入社5年目の1995年に27歳の若さで選手生活を現役引退。

競技引退後は10年間、中国電力でサラリーマン生活を送っていた。同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の山口県徳山市(現・周南市)の営業所。ここで蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げた。「伝説の営業マン」を自称する。この間、中国電力陸上競技部は坂口泰監督の手腕と有力選手の加入により実業団トップチームへの道を歩む事となった。

箱根駅伝の出走経験はなく、出場校OBではなかったが、36歳の時に母校・世羅高校陸上競技部の2年後輩、青山学院大学陸上競技部OBであり中国放送勤務の瀬戸昇から大学に推薦され、2004年に中国電力を突如退職の後、青山学院大学・陸上競技部監督に就任した。当初の条件は3年契約の嘱託職員。妻のためにも、ダメになった時は中国電力に籍を置いて出向という形を取れないかという話を親会社に持ち掛けたが、そんな都合のよい話はないといって断られる。そのやりとりが、勤務先である子会社、ハウスプラス中国住宅保証の吉屋文雄社長の耳にも入り、吉屋から「箱根駅伝で出場を狙うのなら、それなりの覚悟がいる。覚悟を示さなければ、部員たちもついてこない。退路を断て。」という言葉をもらい、きっぱり退路を断ち、覚悟を持って3年契約の嘱託職員として監督に就任した。

なお、妻の美穂は仕事を始めたばかりで、突然「中国電力を退社し、青学陸上部監督になって箱根駅伝で優勝を目指す。ついては夫婦で寮に住み込むことになる。」と言われて吃驚仰天、猛反対したという。

青学大・陸上監督就任から間もない頃、駅伝強豪校に行くと「大学は素晴らしいけれど、駅伝は箱根に出ていないでしょう」と断られ、選手のスカウティングには苦労した。だが、自身の出身校である世羅高校と出身大学の系列校・中京大中京高校からは継続的に好選手を入部させていった。「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言したため、就任3年目の2006年の第82回箱根駅伝予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった。

迎えた就任5年目の第84回箱根駅伝(2008年)で関東学連選抜の監督としてチームを総合4位に導くと、箱根駅伝出場を目指す大学の強化支援もあって、第85回箱根駅伝(2009年)記念大会に於いては、史上最大のブランクとなる33年ぶりに同陸上部を箱根駅伝出場に導いた(22位)。

第86回箱根駅伝(2010年)大会では8位に躍進させ、41年ぶりのシード権獲得をもたらす。

第87回箱根駅伝(2011年)の復路ではアンカーの10区において、青学大を含めた合計4校がゴール直前迄熾烈なシード権争いを展開。結果8位の日本体育大学とは1秒差の9位で、2年連続でシード権獲得となった(10位は3秒差に國學院大学、11位に國學院大から僅か3秒の差で遅れた城西大学がシード権落選となった)。

第88回箱根駅伝(2012年)では、往路・復路共に7位ながら青学大として当時最高位となる総合5位に入った。2012年10月、第24回出雲駅伝では青山学院大学として「大学三大駅伝」において、初めての総合優勝を達成する。

第89回箱根駅伝(2013年)でも初優勝が期待された。だが、往路は6位だったものの復路では9位に下がって総合8位に終わり、箱根駅伝初制覇はならなかった。2013年10月の第25回出雲駅伝は5位、同年11月の第45回全日本大学駅伝は6位に終わった。

2014年1月の第90回箱根駅伝では往路5位・復路6位の総合5位と、前々回と同じ最高順位タイに留まった。続く同年11月の第46回全日本大学駅伝は明治大学との2位争いに敗れ、3位だった(2014年10月の第26回出雲駅伝は平成26年台風第19号の接近による影響で開催中止)。

2015年1月の第91回箱根駅伝では往路・復路共に首位でゴールインし、青山学院大として念願だった史上初めての箱根駅伝・総合優勝へついに導いた。

この箱根駅伝初制覇を機会に、原は自らタレントとしてテレビや新聞などを媒体としたマスコミ陣営への登場を急増させる事と成る。

2015年10月に第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝も、同年11月は第47回全日本大学駅伝では、優勝した東洋大学とは1分2秒差の2位に終わる。

2016年1月の第92回箱根駅伝では、2年連続して往路・復路共に首位でフィニッシュ、完全優勝に導いた。同年2月、原は箱根駅伝優勝メンバーと共に首相官邸へ出向き、安倍晋三内閣総理大臣より表敬を受けている。

2016年2月のリオデジャネイロ五輪・男子マラソン選考会を兼ねた東京マラソン2016では、日本有力選手が相次いで優勝争いから脱落する中、当時・青学大2年生の下田裕太が10代マラソン日本記録を更新する2時間11分34秒で総合10位(日本人2着)、青学3年生の一色恭志も11秒遅れの2時間11分45秒で総合11位(日本人3着)と2選手共に大健闘。ゴール後の原は「特に下田はリオ五輪・男子マラソン日本代表の最有力候補ですよ。彼の伸び代は120%、200%有るし将来性も計り知れません。4年後の2020年東京五輪を見据えて、下田をリオ五輪に必ず選出するべきです」と監督自ら猛烈にアピール。然し下田・一色揃ってリオ五輪マラソン代表は落選した事に、日本陸連の強化委員会へ対して「信頼が置けない」と憤慨しながらコメントした。

2016年10月、第28回出雲駅伝で2年連続3回目の優勝を皮切りに、同年11月の第48回全日本大学駅伝でも同大会初優勝。

2017年1月の第93回箱根駅伝で完全優勝による3連覇と、青学大としても歴代初の「大学駅伝三冠」を達成する。さらに同年3月には、サプライズ・特別ゲストとして東京都内の自民党大会に出席、昨年2月に引き続き安倍首相と対面し笑顔で握手を交わしていた。2017年4月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科・トップスポーツマネジメントコース(修士課程1年制)に入学。だが2017年10月の第29回出雲駅伝は2位、同年11月の第49回全日本大学駅伝も3位に終わり、2年連続の大学駅伝3冠は成らなかった。

2018年1月の第94回箱根駅伝では往路でも東洋大に先を越され、36秒差で往路2位と4年連続での箱根駅伝・往路優勝を逃す。それでも、復路6区で東洋大を逆転して以降は完全独走となり、結果日本大学(1935年 - 1938年)・順天堂大学(1986年 - 1989年)・駒澤大学(2002年 - 2005年)と並び、史上4校目の箱根駅伝・総合4連覇を成就した。

2018年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科卒業。2018年10月の第30回出雲駅伝で2年ぶり4回目、及び同年11月の第50回全日本大学駅伝でも2年振り2回目の優勝をそれぞれ達成。

2019年1月の第95回箱根駅伝では、中央大学(6連覇・1959年 - 1964年)と日本体育大学(5連覇・1969年 - 1973年)に引き続く、史上3校目の総合5連覇と及び2年振り2回目の大学駅伝3冠が期待された。往路の2区は8位と出遅れたものの、3区で一時は首位に立った。ところが4区では2年連続で往路優勝の東洋大と、同回において箱根駅伝・総合初制覇を達成した東海大学に追い抜かれて3位に落ち、5区の山登りでも竹石尚人が大ブレーキとなり3校(國學院大・駒澤大・法政大)に次々かわされてしまう。青学大は往路6位に沈み、往路首位の東洋大はと5分30秒の差、往路2位・東海大にも4分14秒差をつけられる厳しい状況となり、まさかの展開に原は往路終了後渋い表情を浮かべた。翌日の復路では奇跡の大逆転を目指して、6区の山下りで5位、7区でも2校追い越し3位に浮上。最終10区では東洋大にも逆転して総合2位へ上昇、結果5年連続での復路優勝は果たしたが、総合優勝の東海大とは3分41秒の差で、青学大の箱根駅伝総合連覇は「4」でストップとなった。

同年4月より、青山学院大地球社会共生学部・地球社会共生学科の大学教授に就任。

2019年2月の別府大分毎日マラソンでは、昨年同様に2年連続でセンターゲスト解説として生実況を担当。かつて青学大時代の教え子だった橋本崚(GMOアスリーツ)が、総合5位(日本人2着)ながら2時間9分台の好記録でゴール、更に青学大出身者では初めてマラソングランドチャンピオンシップ(MGC・東京五輪男子マラソン選考会)獲得を達成。その快挙に「橋本の故郷・大分県の皆様の声援が、彼の大きな力になった事でしょう。応援有難う御座います」と大いに喜び感謝の言葉を述べつつ、「ほか原軍団の卒業生も橋本に続けろよ!お前達ならば出来るぞ!!」と青学OBらに対し奮起を促している。

2019年3月の東京マラソン2019でも、青学大出身の藤川拓也(中国電力)と神野大地(プロランナー・セルソース所属)の2人追加してMGC出場権を獲得。青学大OBとしては、東洋大・駒澤大出身者と並ぶ3選手がMGCの出場を果たし、同マラソンに応援へ駆けつけた原は「青学大は箱根駅伝だけではないことを証明してくれた」と手放しで喜びを表していた。更に同年4月のハンブルクマラソンでは、一色恭志(GMOアスリーツ)もワイルドカードでMGC出場権獲得、此れで青学大OBのMGC出走予定選手は合計4人と成った。

2019年9月15日開催のMGC本番レースでの青学出身者は、一色が調整不足による欠場の為に3選手(橋本・藤川・神野)が出走となる。結果は終盤まで優勝争いに加わっていた橋本の5位が最高順位で、神野は17位・藤川も24位と、青学OBからの東京五輪男子マラソン日本代表選出はならなかった。

2019年10月14日開催の第31回出雲駅伝では5位、同年11月3日開催の第51回全日本大学駅伝でも2位と、両駅伝共に昨年に続く2連覇を逃した。それでも、11月9日のイベント「青トレコンディショニング」に出席時の原は「箱根駅伝ではやはり『山登り』と『山下り』だが、其処にようやく光が見えてきた。後は冷静に走れれば再び優勝も狙える」と、自信に満ちたコメントを述べている。

2020年1月2日開催の第96回箱根駅伝・往路は、最初の1区で7位とやや出遅れたが、2区のルーキー・岸本大紀で首位に立つ。3区では2位に下がるも、4区では吉田祐也の区間新記録達成で再び首位に。5区の山登り区間も無難な走りで、青学大チームとしては3年ぶり4度目の往路優勝、及び5時間21分16秒の往路大会新記録を達成。翌1月3日の復路でも、6区の山下り区間から最後の10区まで一度も首位を譲らずに独走状態のまま、2年振り5度目の総合優勝、及び10時間45分23秒の大会新記録で圧倒的な勝利を成し遂げた(ただし復路優勝は東海大に譲り、わずか20秒差で復路6連覇は逃した)。

2020年2月、新型コロナウイルス・感染症拡大の影響により、同年3月15日に開催予定だった青学大の「箱根駅伝祝勝会」が中止された。それについて原は、ワイドショー番組で「ウチの学生達は常に意識が高いので、今迄に16年間も箱根(駅伝)に挑戦しましたが、インフルエンザやノロウイルスの集団感染は一度も有りません。それだけ意識を持ちつつ、(コロナ)ウイルスを勉強して対策すれば、人間の抵抗力は有る程度強いので全く感染しないんです」と胸を張りつつ、「寮生活はだめ、クラブ活動もダメと言い張って大人の固定観念だけで言い訳し続ける、無責任な指導者が多いのですよ」と非難している。さらには自身のTwitter等において、「国難の中どの世代に目線を置き施策を考える!? 私は若者だと思う。教育活動も課外活動も全てストップ。高々スポーツが…と言う人も居るであろうが、今後の日本を背負う若者がスポーツを通じて、人格形成を養う大切な徳育の場が失われる事が有っていいものか??」等と疑問視している。

2020年7月、同年10月11日に決行予定だった第32回出雲駅伝が中止を検討していると報道に関して、原は「毎年島根県へ行く度に『お帰り』『感動有難う』『いつも生きる勇気頂いてる』と、多くの出雲市民様から温かく迎えて下さっている。選手達は規則正しい生活をし日々練習に励んでいる。なんとか実現を!」と述べた。しかし結局、当回出雲駅伝は同年7月27日に正式中止が公表された事に、「大変に残念。多くの若者がチャレンジの機会を失っている。今後は学生達に是非ともチャンスを与える場を設けるべきだ」「出雲駅伝はコロナ禍でボランティアが足りないとの理由だが、幾らでも簡素化できた筈。余裕が無くても最低限で運営出来るやり方は絶対に有る。新型コロナウイルスを必要以上に恐れ過ぎて『100%安全確保』を言い出したら、いつまで経っても大会は断念せざるを得ない。良い意味での適当さが今の日本に必要不可欠だ」と、箱根駅伝を始めとする公式レースの開催復活を熱望し続けている。さらに、2020年10月4日開催予定の「第1回奥球磨駅伝」(熊本県球磨郡・多良木町役場発着)も1年延期となった。

2020年9月20日、第97回箱根駅伝(翌2021年1月2日・3日)が「無観客試合」で開催する事を公表。これに関して原は、「多くのスポーツイベントが中止される中、特に大学4年生らは凛とした態度でチームを引っ張った事に、指導者として誇りに思います。学生達に箱根駅伝を走るチャンスを与えてくれて嬉しい」と笑顔を見せていた。但し、関東学連から「感染状況や今後の社会情勢の変化等で、大会中止の可能性も有る」と言及した事については、「今回は沿道観戦に来ないように自粛し、テレビでの応援に協力して貰いたい」「学生達を沢山預かる立場として、いつ我々も感染するか分からない。政治家の皆様は『気の緩み』と国民に責任を押し付けてる気がするので、誰もが安心出来る医療の整備体制を作って頂きたい」等と述べている。

一時は中止が危ぶまれながらも開催された2020年11月1日の第52回全日本大学駅伝では、7区で暫定首位に立つも、アンカー・8区で後続の選手に次々と追い抜かれ、4位留まりだった。

2年連続6回目の総合優勝を目指した2021年1月の第97回箱根駅伝では、往路1区は6位発進だったが、2区で13位・3区も11位各通過と後手に回る。4区の1年生・佐藤一世の区間4位で10位通過へ浮上したが、5区山登りでは実質5年生(1年留年)の竹石尚人が4度も足の痙攣による立ち止まりで、区間17位と大ブレーキとなってしまう。青学大はシード権外の往路12位と大きく出遅れ、往路首位の創価大と7分35秒、往路2位・東洋大は5分21秒、往路3位・駒澤大も5分14秒の大差をそれぞれつけられ、よもやの展開に原自ら「ゲームオーバー」と、当回の総合優勝は絶望的となった。翌日の復路では6区山下りで10位、7区で7位、8区で5位各通過と徐々に順位を上げていった。9区では東海大を追い越し4位通過に浮上、10区では東洋大を追い越し一旦3位に浮上したが、ゴール手前で東洋大に再逆転されてしまい、結局総合優勝の駒澤大とは5分12秒の差で総合4位に留まる(青学大は2年振り6回目の復路優勝を達成、2秒の僅差で駒澤大が復路2位)。これにより、2013年度以来7年ぶりに「大学三大駅伝」の制覇を逃した。

2021年3月5日、競技人口拡大など目的とした一般社団法人活動の一環で、クラブチームを創設した事を公表した。チーム名は「絆ランニング倶楽部」で、市民ランナーや実業団選手のセカンドキャリアをサポートする方針で活動すると共に、毎年元日開催の全日本実業団対抗(ニューイヤー)駅伝への初出場をも目指す予定である。

2年振りに実施となった、2021年10月10日決行の第33回出雲駅伝では1位・東京国際大に1分57秒差をつけられ2位、同年11月7日決行の第53回全日本大学駅伝でも優勝・駒澤大学に僅か8秒差の2位に留まった。それでも同年12月17日、箱根駅伝に向けて壮行会の場で原は「青学大としては史上過去最高の状態に仕上がっています。『パワフル大作戦』、一緒に断行していきましょう!」と強い自信をのぞかせていた。

2022年1月の第98回箱根駅伝では、往路1区は5位、2区で2位の通過だったが、3区のルーキー・太田蒼生が区間2位(1年生としては歴代最速)の好走でついに首位通過へ。4区に当時の主将・飯田貴之と、5区山登りも1年生・若林宏樹が2人共に区間3位の安定した走りで、青学大は2年ぶり5度目の往路優勝(往路記録・5時間22分06秒)を成し遂げる。翌1月3日の復路も、6区山下りから最後のアンカーまで完全無欠の独走状態、特に7区・岸本大紀、9区・中村唯翔、10区・中倉啓敦の3年生トリオが区間賞(中村と中倉は区間新記録樹立)の大活躍で、青学大は2年振り6回目の総合優勝返り咲きと、更に10時間43分42秒の大会新記録で往路・復路共に完全勝利をも達成した。優勝フィニッシュ後の原は、自らTVカメラに向い満面の笑顔でガッツポーズ、更に部員達から歓喜の胴上げをされていた。

2022年4月1日、新型コロナウイルス感染防止として3回目のワクチン接種を勧告する政府広報のCM出演へ、元サッカー日本代表の内田篤人に引き続き放送された。

2022年10月10日開催の第34回出雲駅伝では優勝した駒澤大、2位・國學院大、3位・中央大に遅れを取り、1分46秒差の4位。 同年11月6日の第54回全日本大学駅伝では、1区こそ2位で通過したものの2区でトップと2分11秒差の13位に後退し、早くも優勝に黄信号が灯る。ただその後は怒涛の追い上げを見せ、7区では2分27秒差の2位まで浮上。しかし8区の15km過ぎで3位・國學院大に抜かされてしまい、ゴール直前では4位・順大に猛迫されたが辛うじて1秒差で振り切った。だが3連覇を果たした駒澤大には3分58秒の大差をつけられてしまった。

2023年1月の第99回箱根駅伝は、往路で1区が7位発進。2区は4年生エース・近藤幸太郎が区間2位で3位に浮上。3区も3位通過、4区は2年生・太田蒼生が区間2位(歴代3位)の記録で、1位・駒澤大と1秒の僅差で2位へ順位を上げた。だが、5区山登りの出走予定だった若林が体調不良により、本来6区に出走予定だった4年生・脇田幸太朗へ変更。しかし2km手前から駒澤大・山川拓馬に抜け出されると、4km過ぎには中央大・阿部陽樹にもかわされる。脇田は下りに入ってから立て直したものの区間9位に終わり、青学大は往路3位ながら往路優勝の駒澤大と2分03秒、往路2位・中央大とは1分33秒差で原曰く「危険水域を超えた」と総合優勝に危機感を募らせつつ、「でも最後まで諦めない」と復路での逆転に望みを掛けた。

ところが翌日の復路は、6区山下りで4年生・西川魁星が序盤からペースが全く上がらず、早大・國學院大・法政大・創価大に次々追い越され、7位まで転落。レース後半で西川はフラフラの状態ながら辛うじて襷を繋いだが、まさかの区間最下位と大ブレーキで1位・駒澤大と7分4秒もの大差をつけられ、青学大は2年連続7回目の総合優勝が絶望的となってしまう。続く7区の佐藤一世も順大・浅井皓貴に抜きさられ8位に後退、8区の田中悠登は3km手前で12秒前の法政大と順大の6位集団に追いついたが、14km手前で再び差をつけられ結局順位を上げられず。それでも9区・岸本大紀が唯一の区間賞で5校を追い抜き、3位まで浮上。しかし前回10区で区間記録を打ち立てた中倉は区間7位と振るわず、先頭の青柿響(駒澤大)に差を41秒広げられてしまう。結局青学大は総合優勝の駒澤大と7分14秒の大差で、総合3位(往路3位、復路9位)と表彰台を守るのが精一杯。また、第90回大会以来9年ぶりに総合・往路・復路のいずれも首位を逃しての無冠で終わった。当回駅伝終了後記者陣に対し「人生いろいろ、箱根も色々。箱根駅伝には登り坂、下り坂、『まさか』の坂が有りますが、その2ピースが上手くハマりませんでした」と微笑みつつ総括した。

2023年2月5日、2024年パリ五輪男子マラソン・2023年MGC出場権選考会を兼ねた第71回別府大分毎日マラソンでは、当時青学大4年生だった横田俊吾が、従来の藤原正和(中央大学卒業・現中大陸上部監督)が持つ学生男子マラソン日本記録を、20年振りに25秒更新する2時間07分47秒で総合4位(日本人2着)でフィニッシュ。当大会にて実況解説者を務めた原はゴール後、教え子の横田と共に「大アッパレ。よこたっきゅう(横田の愛称)、全開です!」等とTVカメラに向ってVサインしていた。

2024年パリ五輪男子マラソン・2023年MGC出場権選考会の有資格者は67選手で、そのうち青学大出身者は合計7名(神野大地・吉田祐也・下田裕太・中村祐紀・橋本崚・横田俊吾・飯田貴之)と、駒澤大OBの7人と並び最多タイとなる。原は「大事なのはここから。パリ五輪を目指して果敢に挑戦して欲しい」とエールを送った。

しかし、期待された2023年10月15日開催のMGC男子本番レース(パリ五輪選考会)は強い冷雨が降り続く悪条件の中、結局横田の30位が青学OBでの最高順位に終わり、ほか飯田38位・橋本43位・下田45位・吉田50位・中村52位・神野56位(完走者最下位)と、青学出身者は20位以内にゴール成らずの惨敗だった。

2023年10月9日の第35回出雲駅伝は駒澤大に2連覇を許し、2位・創価大、3位・城西大、4位・國學院大に次いでの5位に終わった。同年11月5日の第55回全日本大学駅伝でも駒澤大に1区から先行されたまま3分34秒差で4連覇を成し遂げられ、アンカー区間は3位・國學院大と4位・中央大にゴール手前迄争って僅差の2位に甘んじた。

2024年1月の第100回箱根駅伝では、往路1区は9位とやや出遅れるも、2区は黒田朝日が7校を追い抜き区間賞の快走で、暫定首位の駒澤大学とは22秒の差まで短縮。そして3区では太田蒼生が駒澤大・佐藤圭汰に追い付いた後デッドヒートを繰り広げ、終盤で突き放し逆転に成功。さらに4区・佐藤一世も青学大チームとして3人連続の区間賞を獲得、5区山登りは雨天の中若林宏樹が区間2位の好走で、青学大は2年ぶり6度目の往路優勝(往路記録・5時間22分06秒)を達成。翌1月3日の復路も青学大チームは、往路2位の駒澤大学と大きく差を広げ、8区・塩出翔太と9区・倉本玄太の2人連続して区間賞を受賞などで完全独走に。結果青学大チームは、2年振り7度目の箱根駅伝総合優勝(復路も2年振り8度目の優勝)に返り咲き、さらに10時間41分25秒と大会記録をも更新した。優勝インタビューの原は「箱根駅伝100年、青山学院創立150年、そして私の監督就任が20年目という節目のタイミングで優勝させて頂き大学関係者を始め、特に妻の美穂に支えられ迎えられた事を嬉しく思う」「私自身20年間の『原メソッド』を体系化させた基本軸が有るからこそ、年末のトレーニングを柔軟に対応しながら、大会新記録で優勝することが出来ました!」と、TVカメラに向い人差し指でNo.1ポーズを作りながら屈託ない笑顔を浮かべていた。

タレント・コメンテーターの活動について

原は現在、評論家・コメンテーター・タレントとして、テレビ番組やスポーツ新聞等でも積極的に活動している。原曰く、「出過ぎた杭は絶対に打たれない」「周囲の空気を読めずに発言出来る人を育成」をモットーに、「陸上競技以外の話題に関してはあくまでも素人だが、常日頃から『おかしい』と大変疑問に感じる事が沢山有る。日本の将来の為に、今後は是非とも思い切った改革をするべき」などと、メディアを通じて独自の意見で提言や苦言・持論展開を述べ続けている。

その一方では、原が自ら「政治家への転身」及び「高校野球の監督就任」へのオファーを、以前から受け続けている事を肯定していた。

4月、当時の公務員(現・プロ)ランナー・川内優輝が「原晋監督は箱根駅伝を語って良いが、マラソンはまだ早い」と批判した件で、原はNEWSポストセブン(小学館)の記者に向って「川内選手と会話はしてないが、別に怒ってませんよ」と返答しつつも、「私は陸上競技界に属する、駅伝だけでない『陸上部』の監督です。駅伝とマラソンは陸上競技の一種なのに、駅伝監督だから『何もしゃべるな』は可笑しな話でしょう」「私が青学大の生徒を東京マラソンに挑戦させたのは、従来と全く違う取組みだから。それがどの世界も今の常識が、将来の非常識になるのです」と即座に反論。その上で原は「川内選手は青学の合同練習へ参加して結構です。その際は私が監督として指導しますよ。結局1人の考えだけじゃ偏りが出るし、他選手達の積極的な意見が出る事で色々なアイデアも浮かんで、『チーム・ジャパン』は世界と戦えるように成ります」等と、自ら仰天構想を発言していた。

1月、第94回箱根駅伝・4連覇達成時の会見で原は、「いやあ、こんなに学生達は強かったですかね?(笑)」と吃驚しながらも、勝因の理由を「『必勝メカニズムの開発』と『真の自主性』だと思う。私が他の仕事で一々いなくても、選手達自らでしっかり纏めるチームが出来た」と胸を張った。

その一方で「何故俺が居ないと練習をやらないの?そうやって走れない要因を俺に責任転嫁しているのでは無いか!?」と男子部員達に叱責、一時監督と選手対立のチーム崩壊危機だったエピソードを明かしつつ、「他大学の悪口を言うつもりは無いが、『自主性』と言いながら指導放棄している人が多い」とも語っている。それから約1か月後の同年1月28日、青学大相模原キャンパス付近の商店街で、4回目の箱根駅伝優勝パレードを開催時での原は「メディアに沢山出る事を色々言う人がいたが、やはり露出は間違いなかった」と終始笑顔で自画自賛している。

1月、第95回箱根駅伝にて5連覇消滅後の挨拶で原は「我々は良い負け方が出来たと思う。アンカーの鈴木塁人が笑顔でゴールしたのもよかったです」と振り返るも、総合5連覇を逃した事には「甘えがあった。50歳を過ぎて優しくなってしまい、『こだわり』『しつこさ』が無くなった。私自身もっと心を鍛えないといけない。連覇を重ねる毎に『進化』を恐れてしまった」と後悔の念に駆られている。ほか、テレビ出演の増加や「監督は(部員達以上に)目立ちたがり屋」と批判的な意見が有る中で「一応復路は首位だから、今後もテレビに登場し続けます」と即答していた。また、同年1月6日放映のTBS系列「サンデーモーニング」の「週刊御意見番」コーナーにおいて張本勲が「青学大の原監督に『注意の喝』だ!バラエティ番組に出過ぎだよ。やっぱり勝ってから出るならいいけどね。人気者は良いがあれだけ出ると、反感買いますよ」と厳しく忠告し続けた後で、原自ら張本に対して「同じ広島県出身の大先輩に『喝』を入れられたのは、ある意味認められたという事。有り難く頂戴致します」と感謝の言葉を述べつつ、「来年の箱根駅伝では、張本さんに『あっぱれ!』を貰えるように頑張ります」とコメントしている。

1月4日、TBS系『ひるおび!』に生出演した原は「3区で首位に立った時、箱根駅伝5連覇を確信してテンションも上がったのが結果的に油断となり、直後に多数知人からの『おめでとう』『今回も優勝だね』というLINEやメールに『多分大丈夫』と次々返信してしまった」事を打ち明けている。また同日、午後5時5分の予定で原が自らTwitterのアカウントを開設し、フォロワー55万人を目標とする事を発表した(然し実際ツイッターの最初のつぶやきは午後5時6分と、1分遅れての開始となった。)。1月10日の「箱根駅伝報告会」においての原は、「箱根駅伝の借りは箱根駅伝で返すしかない。2位じゃ駄目なんです。我々はチャレンジを続けます」と王座奪回に意欲を燃やしていた。

3月17日、東京都港区のホテルにて行われた「3大駅伝・報告会」において原は自ら「本来なら3大駅伝制覇と箱根駅伝5連覇が共に叶ったら、ひっそり監督業を去ろうかなと思った時もありました」と話し会場をざわつかせる場面があった。だが、その直後に「『まだまだ続けなさいよ』という、今年の箱根駅伝・総合準優勝はそういうメッセージかなと。これからも皆様に愛される青学を作っていきます」と新たに王者奪還へ向けての意気込みを語り、会場から拍手喝采を浴びていた。

1月、第96回箱根駅伝で2年振り5度目の総合優勝達成後、記者会見では「昨年負けた事で、私の活動自体を批判する人も居た。しかし陸上界の発展の為に、自ら様々な媒体で情報発信している。沿道の光景が変わり、色んな層が箱根駅伝を見てくれている。露出の良い影響が出てると改めて体感出来た」と笑顔で胸を張った。また、「1年間ある意味私の我が儘を聞いてくれた、特に4年生に対して本当に感謝したいと思ってます。今までついて来てくれて有難う。4年生達は格好良かったです」と謝礼の言葉を述べた。さらに1年前の箱根駅伝終了後、5連覇を逃した青学大の原監督に向かって「テレビの出過ぎに注意の喝」と酷評した、TBS系列「サンデーモーニング 新春スペシャル」(2020年1月5日放送)に生出演の張本勲は「アッパレ!」を連呼。続いて張本は「今回は(復路で)1度も首位を明け渡さなかったね」と原を絶賛しつつ、「去年の『喝!』は撤回せないかんね。チーム作りも上手くやりました」と誉め称えていた。

12月20日の全国高校駅伝競走では、原の母校で広島県代表の県立世羅高校が同大会5年振りの男女アベック優勝を達成した。此の報道に関して原が自らTwitterで「男女W優勝おめでとう。前監督の素晴らしい指導を引継いでの優勝は、男女新監督の指導力は元より、高校の練習環境や町民OB組織体制の伝統の力。これからも『駅伝の里世羅』を全国発信して下さい」等と綴っている。男子の部でアンカーを務めた塩出翔太が今年1月の全国都道府県対抗男子駅伝競走に出走し、広島県チームが総合3位に入った際にレース後の報告会で原から「『強い世羅であれ』」と熱い言葉を貰いました」とコメントしていた。

1月3日、第97回箱根駅伝で2年連続6度目の総合優勝を逃し、翌1月4日にTBS系列『ひるおび!』へ生出演した原は、復路9区で3年生の飯田貴之に「神林(故障で欠場の主将)以上の走りをしろ!それがあいつの思い出だ!!」と伴走車からゲキを飛ばし、当番組でそのシーンが放送された事について「実業団と違って大学のスポーツは毎年メンバーが変わるんですよね。私が現場の責任者としてやらせてますが、そのチームのカラーを作るのは4年生で主将。キャプテンの偉大さで1・2・3年生が、先輩達についていってチームの色が出てくる」「主将の為に走るのが大学スポーツの良さですが、その全てを神林に託し過ぎたのかなあ。もう少し責任を分散すれば良かったと思いますね」と振り返っている。当番組の司会者の恵俊彰(ホンジャマカ)が「早稲田大学のアンカー・10区の山口君は鶴丸高校出身で、地元では進学校ですよ」と同じ鹿児島県出身の山口賢助に触れた際、原は「実は私もスカウトしたんですが、『僕は勉強して早大に行きます』って言われて」とのエピソードを明かしていた。

3月15日、都内で開催の「春の睡眠の日」(3月18日)をテーマに、高反発マットレス「スリープオアシス」のライズTOKYOが主催する早稲田大学スポーツ科学学術院准教授・早大睡眠研究所の西多昌規所長が研究した「寝具(マットレス)の違いが夜間睡眠および日中の眠気、疲労回復度に及ぼす影響」の研究結果の中間発表会に、寝具ブランド・RISE健康睡眠プロジェクトの名誉監督として参加した。その会合には、同年から日本プロ野球・読売巨人軍(セ・リーグ)の投手チーフコーチ補佐を務める桑田真澄と初対談を果たした。なお、原と桑田は同じ早大大学院スポーツ科学研究科の卒業者でも有り、その席において原は桑田に対して「もし桑田さんが野球では無く、マラソン・駅伝をやっていれば超一流なランナーになり、陸上(競技)でも超一流の指導者になったでしょうね」と笑顔でコメントしている。

4月8日、同じくライズTOKYOが協賛する「ライズで♯スポーツ睡眠・スリープオアシスナイター」の開催時にも原は、プロ野球(パ・リーグ)千葉ロッテ-オリックス戦(ZOZOマリンスタジアム)の始球式に登場し、ワンバウンドの投球を披露した。千葉ロッテの監督を務める井口資仁も青山学院大学硬式野球部の出身者で、一昨2019年12月に青山学院大・相模原キャンパス内で2000本安打達成の記念プレート除幕式に、偶然通りすがった原と初対面している。更に、昨2020年1月に第96回箱根駅伝で青学大が通算5度目の総合優勝を果たした際、井口は母校へ祝福のメッセージを寄せていた。

1月3日、第97回箱根駅伝で2年連続7度目の総合優勝ならず、翌日の1月4日に準レギュラーで生放送コメンテーターの「ひるおび」へ生出演。その際に「今朝は日本テレビの情報番組(ZIP!・スッキリ)は一切見ないまま、TBSへ直行した」と、総合司会の恵俊彰や八代英輝(弁護士)を始め、当番組の共演者達を苦笑いさせた。その上で、原自ら「箱根駅伝の全国化が100回大会のみで終わっては、未来永久に陸上界の底辺が広がらない。サッカーや野球の人気が続く中、身体能力が高い選手ばかりで無く、箱根を目指す少年達が全国から育つ文化が結果として、日本陸上長距離界の向上に繋がる」と、改めて関東学連に提言している。

なお当回駅伝・往路2区では、暫定首位だった駒沢大・田澤廉の後方に、レース中盤2位争いで中央大・吉居大和が青学大・近藤と共に追走。終盤で吉居はペースアップすると近藤を置き去り、そしてラストスパートでは田澤をも追い越して1位で3区へ襷を繋いだ。その映像シーンに、原は「吉居君の最後のスパートが物凄かった。急な坂を駆け上がってからも、彼はスピードが全く衰えない。世界を狙える、素晴らしい走りだった」と大絶賛。さらに吉居と近藤は愛知県出身の幼馴染みでも有り、レース中近藤は吉居に並んだ時「ついて来いよ!」と合図。ゴール後は二人して健闘を称えながら抱擁した。このエピソードを聞いて「(吉居は)何故青学に来なかったんだよ!」と、原は苦笑交じりに嫉妬すると共に、1月7日に藤木直人がパーソナリティを務めるラジオ番組にて、ゲスト出演の原は「あの時吉居選手が少しバテていたのに、近藤が自ら吉井君に『一緒に行こうぜ』という仕草をしたんです。監督の立場からだと「余計なお世話だぞ!」という感じなんですが(笑)」と苦言も呈していた。

4月6日、フジテレビ系「Live News イット!」のコメンテーターとして生出演の原は、世界有数の金融機関クレディ・スイスの債券を「サラリーマンの年収を数倍購入していた」が、今年3月にアメリカ・シリコンバレーバンクが経営破綻の要因により金融不安の煽りを食らい、スイス拠点のクレディ・スイスも倒産寸前に陥った。同じスイスの多国籍投資銀行・UBSグループに買収された為、クレディ社が発行した2兆円以上の外債が、原曰く「全てが紙切れ同然の無価値・ゼロ円と成ってしまった」「紙クズと成るリスクは一切聞いてない。老後の資金として貯蓄したのに」などと、憤慨しながらコメント。その数日後、週刊文春の記者に対して原は「どうにかしてよ…ババ引いてしまったなあ、もう」と、投資の大失敗に困惑の表情を浮かべていた。

7月3日、都内で開催の「日本最適化栄養食協会」設立発表会にゲストで出席の際、「ピザが大好きでよく食べるんですが、ここ数年体重が増加しウエストが太くなった。その影響からか約2週間前に痛風を発症してしまい、大変な想いをしました」と苦笑しながら自戒した。

7月8日、フジテレビ系「川島明の芸能界㊙通信簿」へゲスト登場時、原自ら「全国各地の講演会で莫大な収入額を得ている」と告白。講演会の問合せだけで1年間に千件以上も有り、自身の年収については「ぶっちゃけ、日本プロ野球の監督ぐらい。一億円は軽く超えるかなあ?」と打ち明け、スタジオ内を驚愕させていた。

8月2日、翌2024年正月開催予定の第100回箱根駅伝から、関東学生連合チームの編成廃止を強行決定した事実に関し、原はX(旧Twitter)で「箱根駅伝監督会議決行は年4回で、決定事項報告での場だけ。10年近く監督会議を最低月1回は開催し、様々な課題に議論する必要だと提案しても未だ見直さない。この対応・体質は如何なものか!?」と、当駅伝主催者の関東学連に対して猛批判した。

12月25日、箱根駅伝第100回大会の直前で週刊現代の取材に対し「日本陸上界の将来の為に声を大にしているので、嫌われても構わない」と前置きした上で、「才能有る少年達が長距離競技を選ぶには、箱根駅伝を今以上にエンターテイメント化して盛り上げる事が最も大事。もし箱根駅伝が無かったら、誰がこんな地味できつ過ぎる競技をするのか?と」「然し駅伝人気を向上させるには、まだ高い障壁が有る。それは、日本社会においてもよく見られる『歪み』と言える」とコメント。「第100回箱根駅伝の予選会では、全国の大学に参加資格が与えられたが、この『1回限りの全国化』は茶番劇にしか過ぎない。例えば私が同志社大学(京都府)の監督をすれば、3~5年で箱根駅伝に出場させる自信が有る」「なぜ未だに箱根駅伝は全国化されないのか。その理由に『関東学連がムラのような組織』で、改革を阻み続けている」等と、終始怒り心頭の口調で訴えていた。

1月3日、第100回箱根駅伝復路終了後15時30分より閉会式の予定だったが、約30分遅延。その原因に、監督会議で「金栗四三杯」(箱根駅伝・MVP)の選考時、往路5区で区間新記録をマークした山本唯翔(城西大学)の受賞決定に、原一人だけが長く異議を唱えていたという。スポニチの取材に対し原は「山本選手の選出に異論は無いが、往路3区で日本人記録更新の太田蒼生(青学大)とW獲得でも良かったのでは?」と強く推薦した事を述べていた。なおスポーツライターの武田薫によると、原は太田との二選手受賞を認めない関東学連の選考委員会に向かって、「だから素人は!」等と激昂が漏れ聞こえた、と報道している。

1月21日、ABEMAニュース(Youtube)にて高橋茂雄(サバンナ)と対談中に、原曰く「今年はオリンピックイヤーですが、日本の陸上の強化に箱根駅伝は役立ってるのか?」「五輪の為に学生達は箱根駅伝を走ってる訳じゃ無い!」と疑問を呈しつつ、「そもそもオリンピックに興味があって此処まで価値を見出すのは、実際日本人だけですよ。例えばアメリカではアメフトやバスケットが人気が有るので、優勝後は五輪で金メダル級の記者会見になるのですから。100社位の記者からも注目を浴びてる訳で、別に五輪は関係ないでしょ。今箱根駅伝はスーパーコンテンツで日本独自の文化に成ってるのだし、それを五輪に紐付けしてる事自体が日本はまだまだ発展途上の国と思いますね」等と熱弁を振るっていた。

2月7日、TBS系「ひるおび」にコメンテーターとして生出演中、自民党安倍派(清和政策研究会)の裏金問題について、原自ら持論を展開。「今回の問題によって議員個人に責任を、という話題になってますが、長期間(裏金)環流の組織や運営を作ったのは、自民党として派閥の長を中心に動いたのでは」と分析し、その上で「ある程度柔らかい言い方をすれば、議員達には恩赦を与えるような形で一旦全てオープンにして、新たな仕組みを作って未来志向で頑張って貰いたい気持ちがある」と語った。然し、この原のコメントに対しSNS等では批判の声が溢れ返り、更に「原監督がいずれ政界進出を企んでの発言では?」との声も上がっている。

駅伝大会スローガン・大作戦名

2013年・第89回箱根駅伝競走の頃より、原が名付けた「駅伝大会スローガン・大作戦名」が箱根駅伝の本番前監督会見(前年12月に東京都内で開催)などで、自ら笑みを浮かべながら発表する事が毎年恒例となっている。

青山学院大学として総合5連覇を目指していた2019年・第95回箱根駅伝競走においては、昨2018年12月10日に行われた同駅伝前の監督会見での原は、満面の笑顔を振り撒きつつ「ゴーゴー大作戦」と評していた。その名前に因んだ歌手・郷ひろみは、『第69回NHK紅白歌合戦』本番前日のリハーサル時に「心から青学大の(箱根駅伝総合)5連覇を期待しています」とエールを送った。

    結果、青学大の箱根駅伝5連覇は果たせなかったが、2019年3月に都内で開催の「青学3大駅伝報告会」に、郷ひろみがサプライズ・ゲストとして突如登場。郷は「実は今、子供が青学の幼稚園でお世話になっている縁もあります」とコメント、更に郷自ら「日本レコード大賞では新御三家(ほか野口五郎、故・西城秀樹)の中で、僕だけが名前を呼ばれなかった事が有る。その悔しさが僕を引っ張ってくれました」等と苦い体験談を明かす。最後は「これからも頑張って欲しい。青学の勝利に向けて、ゴー!ゴー!ゴー!!」と青学大駅伝チームを激励しつつ、会場を盛り上げていた。

    2015年・第91回箱根駅伝から2018年・第50回全日本大学駅伝まで「大学三大駅伝」において、青学大チームが総合優勝を逃したのは、2015年・第47回全日本大学、2017年・第29回出雲、同年第49回全日本大学の3大会だけだった。だが2019年・第95回箱根駅伝で5連覇が消滅して以降、3大駅伝で総合優勝の達成は、2020年・第96回箱根、2022年・第98回箱根、2024年・第100回箱根の3大会のみ。

      第89回箱根駅伝(2013年1月)「マジンガーZ大作戦」<8位>

      第90回箱根駅伝(2014年1月)「S大作戦」<5位>

      第91回箱根駅伝(2015年1月)「ワクワク大作戦」

      第27回出雲駅伝(2015年10月)「青トレ大作戦」

      第47回全日本大学駅伝(2015年11月)「あっぱれ大爆走作戦」<2位>

      第92回箱根駅伝(2016年1月)「ハッピー大作戦」

      第28回出雲駅伝(2016年10月)「神ってるぞ 青山大作戦」

      第48回全日本大学駅伝(2016年11月)「エビフライ大作戦」

      第93回箱根駅伝(2017年1月)「サンキュー大作戦」

      第29回出雲駅伝(2017年10月)「陸王大作戦」<2位>

      第49回全日本大学駅伝(2017年11月)「青山祭大作戦」<3位>

      第94回箱根駅伝(2018年1月)「ハーモニー大作戦」

      第30回出雲駅伝(2018年10月)「ヨロシク大作戦」

      第50回全日本大学駅伝(2018年11月)「メラメラ大作戦」

      第95回箱根駅伝(2019年1月)「ゴーゴー大作戦」<2位>

      第31回出雲駅伝(2019年10月)「出てこい! 駅伝男大作戦」<5位>

      第51回全日本大学駅伝(2019年11月)「私、失敗しないんで大作戦」<2位>

      第96回箱根駅伝(2020年1月)「やっぱり大作戦」

      第32回出雲駅伝(2020年10月)

      第52回全日本大学駅伝(2020年11月)「コロナに負けるな! 大作戦」<4位>

      第97回箱根駅伝(2021年1月)「絆大作戦」<4位>

      第33回出雲駅伝(2021年10月)「結び大作戦」<2位>

      第53回全日本大学駅伝(2021年11月)「男前大作戦」<2位>

      第98回箱根駅伝(2022年1月)「パワフル大作戦」

      第34回出雲駅伝(2022年10月)「パチパチ大作戦」<4位>

      第54回全日本大学駅伝「プライド大作戦」(2022年11月)<3位>

      第99回箱根駅伝 「ピース大作戦」(2023年1月)<3位>

      第35回出雲駅伝(2023年10月)「イット!大作戦」<5位>

      第55回全日本大学駅伝(2023年11月)「名古屋大作戦」<2位>

      第100回箱根駅伝(2024年1月)「負けてたまるか!大作戦」

        上記の「太字」は総合優勝達成時の大作戦名、「取り消し線」は開催中止の各駅伝大会

2024/05/29 16:04更新

hara susumu


原晋と同じ誕生日3月8日生まれ、同じ広島出身の人

浅田 真由(あさだ まゆ)
1990年3月8日生まれの有名人 広島出身

浅田 真由(あさだ まゆ、1990年3月8日 - )は、広島県広島市出身の広島ローカルタレント。安田女子大学家政学部管理栄養学科卒業。趣味はスポーツ観戦、料理(栄養士の資格をもつ)、ドライブ、ゲーム、…

藤井 謙二(ふじい けんじ)
1969年3月8日生まれの有名人 広島出身

藤井 謙二(ふじい けんじ、1969年3月8日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、ギタリスト。広島県福山市出身。身長180cm。 1987年上京。THE GIFTに参加。ボーカルの茂…

内藤 守三(ないとう もりぞう)
1857年3月8日生まれの有名人 広島出身

内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857年3月8日) - 昭和21年(1946年)2月22日)は、実業家、政治家。国勢調査創設者。安芸国賀茂郡板城村馬木(現在の広島県東広島市)出身…

川崎 卓吉(かわさき たくきち)
1871年3月8日生まれの有名人 広島出身

川崎 卓吉(かわさき たくきち、1871年3月8日(明治4年1月18日) - 1936年(昭和11年)3月27日)は、日本の官僚、政治家。広島県賀茂郡広村(現:呉市広町)生まれ。 医師の二男として…

佐伯 旭(さえき あきら)
1917年3月8日生まれの有名人 広島出身

佐伯 旭(さえき あきら、1917年(大正6年)3月8日 - 2010年(平成22年)2月1日 )は実業家。シャープ二代目社長、中興の祖。「第2の創業者」とも称された。広島県出身。 1931年早川…

細谷 四方洋(ほそや しほみ)
1938年3月8日生まれの有名人 広島出身

細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 2024年1月22日)は、広島県尾道市出身の元レーシングドライバー。 トヨタ純血ワークスチームだった「チーム・トヨタ」のキャプテンを務めた。 …

今井 尚(いまい ひさし)
1945年3月8日生まれの有名人 広島出身

3月8日生まれwiki情報なし(2024/05/26 10:52時点)

大本 友子(おおもと ともこ)
1965年3月8日生まれの有名人 広島出身

トモ子(トモ子、3月8日 - )は、日本のシンガーソングライター。広島県出身。1992年、OLシンガーソングライター大本友子として創美企画よりアルバム『日比谷公園で待ってる』でデビュー。1994年…

小林 つん太(こばやし - た)
1963年3月8日生まれの有名人 広島出身

小林 つん太(こばやし - た、1963年3月8日 - )は、日本の作曲家・編曲家・音楽プロデューサーである。 広島県尾道市出身。大阪大学大学院出身。工学修士。 ドラマ、映画、アニメーション等サ…

かこちん(3月8日 - )
3月8日生まれの有名人 広島出身

かこちん(3月8日 - )は、日本の元YouTuber。広島県生まれ。本名は山根 佳子(やまね かこ)。 2017年にYouTuberのゆきりぬが母校である横浜国立大学の学祭を訪れた際に動画に出演…


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原晋と近い名前の人

立原 元夫(たつはら もとお)
1913年1月14日生まれの有名人 出身

立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年不明)は、東京市品川区出身のサッカー選手。父は法曹の雄と呼ばれた花井卓蔵。 東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属高校)在学中より…

笠原 隆(かさはら たかし)
1918年3月26日生まれの有名人 出身

笠原 隆(かさはら たかし、1918年3月26日-没年不明)は、日本の元サッカー選手。大学生の時にサッカー日本代表として出場経験があり、現役時代のポジションはミッドフィールダー。 笠原は神戸一中サ…

福原 黎三(ふくはら れいぞう)
1931年4月2日生まれの有名人 広島出身

福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 1970年2月27日)は、広島県東広島市八本松町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 1945年8月6日、原爆投下後の広島市に入り入市被爆。…

桑原 勝義(くわはら かつよし)
1944年5月30日生まれの有名人 静岡出身

桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - )は静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現・静岡県サッカー協会専務理事、日本サッカー協会理事、日本フットボールリーグ理事長。実…

桑原 楽之(くわはら やすゆき)
1942年12月22日生まれの有名人 広島出身

桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - 2017年3月1日)は、広島県広島市白島(現中区)出身 のサッカー選手。実兄は桑原弘之。1968年メキシコシティオリンピック銅メダリスト。 …

原 正文(はら まさふみ)
1943年12月21日生まれの有名人 熊本出身

原 正文(はら まさふみ1943年12月21日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 新日本製鐵などに所属し、日本代表としても1970年のアジア競技大会など、国際Aマッチ5試合に出…

原 博実(はら ひろみ)
1958年10月19日生まれの有名人 栃木出身

原 博実(はら ひろみ、1958年10月19日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。栃木県那須塩原市(旧・黒磯市)出身。2022年より大宮アルディージャフットボール本部長。…

高原 郁夫(たかはら いくお)
1957年10月14日生まれの有名人 出身

高原 郁夫(たかはら いくお、1957年10月14日 - )は、日本出身の元サッカー選手。 三菱重工などに所属し、日本代表としてもモスクワオリンピック予選など、国際Aマッチ4試合に出場し、2得点し…

井原 正巳(いはら まさみ)
1967年9月18日生まれの有名人 滋賀出身

井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。現在はJリーグ・…

菊原 志郎(きくはら しろう)
1969年7月7日生まれの有名人 神奈川出身

菊原 志郎(きくはら しろう、1969年7月7日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。中央大学卒業。 読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也から繋がり、菊原…

吉原 宏太(よしはら こうた)
1978年2月2日生まれの有名人 大阪出身

吉原 宏太(よしはら こうた、1978年2月2日 - )は、大阪府藤井寺市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 初芝橋本高校のエースとして、第74回全国…

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