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古橋達弥
古橋 達弥(ふるはし たつや)さんの誕生日は1980年11月7日です。静岡出身のサッカー選手のようです。
所属クラブ、個人成績などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。現在の年齢は43歳のようです。
古橋 達弥(ふるはし たつや、1980年〈昭和55年〉11月7日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。2003年度、JFL得点王(29試合出場31得点)。JFL最長連続得点記録保持者(14試合連続得点)。 2005年Jリーグベストイレブン受賞者。 1999年に磐田東高校(同級生に藤ヶ谷陽介)から、地元・浜松市を本拠地にする日本フットボールリーグ(JFL)の本田技研工業サッカー部(現Honda FC)に入団。2年目以降は定位置をつかみ、2000年から2003年まで4年連続ベストイレブン、2003年には1試合1得点を越えるペースとなる29試合出場31得点での得点王を獲得。2003年から2004年にかけては、未だにJFL記録となっている14試合連続得点を達成するなど、アマチュアを代表する選手として活躍した。 JFLで119試合85得点という実績を買われ、2004年の2ndステージから、J1のセレッソ大阪に完全移籍。2ndステージで5得点を挙げ、C大阪でもレギュラーとなる。2005年には中心選手として、最終節まで優勝争いを繰り広げたチームの快進撃に貢献し、Jリーグベストイレブンを受賞した。 2006年からは、森島寛晃に代わりゲームキャプテンも務めた。この年にC大阪はJ2に降格し、多くの主力選手が抜ける中でいくつかのオファーを断り、C大阪に残留。その後もコンスタントに出場機会を得ていた。 2008年シーズン途中から、出場機会が減少したことや、西澤明訓の復帰に押される形で、2009年よりモンテディオ山形へ完全移籍。2009年は怪我もありシーズン途中で離脱した。 2010年J1第2節清水戦でJ1リーグ戦100試合出場を達成。しかし、2011年はJ2降格に伴い、戦力外通告を受けた。 2012年より、山形のチームメイトだった下村東美と共に湘南ベルマーレへ完全移籍した。同年9月2日のJ2第32節の対京都戦にて、J2での通算出場数100試合出場を達成し、JFL・J2・J1と日本のサッカーの全国リーグ全てで通算100試合出場を達成した初めての選手となった。 2013年シーズン終了後、契約満了により退団。 2014年、Honda FCへ復帰。 2017年には、14年振りのベストイレブンに選出された。 2019年には天皇杯でJ1クラブに得点を決めるなど、チームの勝ち上がりに貢献。 2020年11月27日、現役を引退すると発表された。2014年の復帰以降、133試合出場で42得点を決める活躍だった。 2021年2月、Honda FC U-18のコーチに就任した。 所属クラブ1988年 - 1992年 浜松市立芳川北小学校 1993年 - 1995年 浜松市立南陽中学校 1996年 - 1998年 磐田東高校 1999年 - 2004年6月 本田技研工業/Honda FC 2004年6月 - 2008年 セレッソ大阪 2009年 - 2011年 モンテディオ山形 2012年 - 2013年 湘南ベルマーレ 2014年 - 2020年 Honda FC 個人成績Jリーグ初出場 - 2004年8月14日 J1 2nd第1節 FC東京戦(長居陸上競技場) Jリーグ初得点 - 同上 2024/05/17 21:14更新
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furuhashi tatsuya
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