古畑種基の情報(ふるはたたねもと) 法医学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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古畑種基の情報まとめ

古畑 種基(ふるはた たねもと)さんの誕生日は1891年6月15日です。三重出身の法医学者のようです。

事件、卒業、現在、趣味、病気に関する情報もありますね。1975年に亡くなられているようです。
古畑種基のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年(明治24年)6月15日 - 1975年(昭和50年)5月6日)は、日本の法医学者。医学博士。日本学士院会員。東京大学名誉教授。位階は正三位。科学警察研究所所長を務め、科学捜査の研究に寄与。日本の法医学の草分けの一人である。ABO式血液型の研究に若干の功績を残した。その一方でその鑑定方法は権威主義的であり、冤罪事件を多数作り出した御用学者と見なす向きもある。 三重県南牟婁郡相野谷村(現紀宝町)出身。古畑虎之助の次男。和歌山中学校、第三高等学校を経て1912年、東京帝国大学(医科)に入学。1916年、同大学を卒業し同大学助手となり1921年、欧米各国に留学した。1923年、医学博士の学位を授与された。 1924年、金沢医科大学教授兼同大学附属医学専門部教授に任じ同大学附属図書館長を経て1936年3月、東京帝大教授に任ぜられ医学部に勤務する。日本の科学捜査の進歩に貢献して、1956年に文化勲章を受章。 1891年(明治24年)- 6月15日、三重県南牟婁郡相野谷村(現・紀宝町)平尾井に生まれる。 1900年(明治33年)- 和歌山市内に転居。 1909年(明治42年)- 県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)卒業。 1912年(明治45年)- 第三高等学校卒業。 1916年(大正5年)- 東京帝国大学医科大学卒業。 1924年(大正13年)- 金沢医科大学教授。以後、東京大学(1936年 - 1952年)、東京医科歯科大学(1952年 - 1960年)の教授を歴任。 1947年(昭和22年)- 日本学士院会員に選出される。 1956年(昭和31年)- 法医学研究の業績が認められ、文化勲章受章。 1960年(昭和35年)- 科学警察研究所所長。 1970年(昭和45年)- 春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。 1971年(昭和46年)- 脳血栓で倒れ、療養に入る。 1975年(昭和50年)- 5月6日、死去。叙正三位、贈勲一等旭日大綬章。83歳没。
冤罪・再審
事件">関連した事件
日本共産党スパイ査問事件 首なし事件 下山事件 弘前大教授夫人殺し事件 二俣事件 財田川事件 松山事件 島田事件 三里塚事件 趣味は読書、旅行。宗教は曹洞宗。住所は東京都新宿区下落合。 父・虎之助(開業医) 母・じう(1864年 - ?、生) 妻・芳(1900年 - ?、大阪、薬学博士・大槻弌の長女) 男(1919年 - ?) 女(1920年 - ?) 二男(1927年 - ) 三男(1929年 - ) 四男・和孝(社会心理学者、東京大学名誉教授、1931年 - ) 三女(1933年 - ) 五男(1936年 - ) 義父・大槻弌(薬学博士、大阪薬学専門学校長) 『血液型と親子鑑定・指紋学 近代犯罪科学全集 第12篇』武侠社、1930年 『血液型と其の決定法 臨牀医学講座』金原商店、1936年 『簡明法医学』金原商店、1937年、のち日本医書出版、金原出版 『犯罪と法医学』河出書房、1938年 『法医学』文精社、1939年、のち南山堂 『法医学と犯罪捜査』人文書院、1939年 『血液型』生活社(日本叢書)、1945年 『血液型学』学術書院、1947年、のち医学書院 『犯罪と法医学』日本医書出版、1948年 『民族と血液型』村松書店(民族衛生叢書)、1948年 『法医学雑記』筑紫書房、1949年 『犯罪の科学』弘文堂(アテネ文庫)、1950年 『血と指紋とミイラの話』東和社、1952年 『法医学入門』中山書店、1953年 『法医学の話』岩波新書、1958年(絶版) 『今だから話そう 法医学秘話』中央公論社、1959年 『法医学ノート』中央公論社、1959年、のち中公文庫 『血液型の話』岩波新書、1962年 『一本の毛は語る 科学捜査物語』良書普及会、1963年 『遺伝と疾病』金原出版(新臨床医学文庫)、1964年 『血液型を考える 法医学のはなし』雷鳥社、1972年 『血液型の文献集』古畑種基 編、金原商店、1935年 『歯科法医学』古畑種基・山本勝一 共著、医歯薬出版、1963年 『病気の遺伝とその応用』古畑種基・古庄敏行 共著、金原出版(新臨床医学文庫)、1968年 『基礎遺伝医学』古畑種基・古庄敏行 共著、金原出版、1971年 冤罪事件 冤罪 ^ 1968年時点にすでにこれが疑われており、学研の『原色現在科学大事典6 人間』(1968)のP327の表1に「両者(P型とQ型)は同じものであるという説がある」と但し書きがされている。 ^ 古畑自身もE型について「O物質と関係がある」と書いており、他にも「元となるウナギの血清は人の血球すべてに反応するI型、O型血球に強く働くII型、O型に弱く他に強く働くIII型があり、E型鑑定に使えるのはII型のウナギ血清のみ。」と不安定な面をあげている。 ^ 『人事興信録 第15版 下』フ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月10日閲覧。 ^ 『人事興信録 第13版 下』フ106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月3日閲覧。 ^ 『学位大系博士氏名録 昭和10年版』38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月5日閲覧。 ^ 古畑 種基とは コトバンク。2016年11月3日閲覧。 ^ 医学部では教えない、ある法医学者の「業績」:日経メディカル ^ 古畑種基博士『東紀州百科事典』東紀州ほっとネットくまどこ。 ^ 『血液型の話』岩波新書、1962年、P43-46。 ^ 『血液型の話』岩波新書、1962年、P52-54。 ^ 『血液型の話』岩波新書、1962年、P52-53。 ^ 沿革(東大法医学教室ウェブページ) ^ 正木ひろし『正木ひろし著作集 第1巻 首なし事件 プラカード事件 チャタレイ事件』(三省堂 1987年)34頁 ^ 『法医学の話』 24頁 ^ 佐々木嘉信『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』(新潮社 2004年)232頁 ^ 佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理-刑事弁護の心・技・体』(有斐閣、2007年)373頁 ^ 『法医学の話』12頁 ^ 高松地決昭和54年6月6日判時929号37頁、 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=24459 高松高決昭和56年3月14日高刑集34巻1号1頁「第二 原決定の理由」 ^ 木村厚『つくられた死刑囚 再審・松山事件の全貌』(評伝社 1984年)173頁 ^ 佐藤友之、真壁旲『冤罪の戦後史 つくられた証拠と自白』(図書出版社 1981年) 45頁 ^ 伊佐千尋『島田事件』(新風舎文庫 2005年)233頁 ^ 正木ひろし『正木ひろし著作集 第3巻 三里塚事件 菅生事件 丸正事件 ほか7事件』(三省堂、1987年)56-62頁 大日本博士録編輯部編『学位大系博士氏名録 昭和10年版』発展社出版部、1931年 - 1935年。 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ レオポルディーナ ドイッチェ・ビオグラフィー 医学博士取得者 日本の法医学者 日本学士院賞受賞者 文化勲章受章者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 正三位受位者 日本学士院会員 帝国学士院会員 20世紀日本の医師 東京大学の教員 東京医科歯科大学の教員 金沢大学の教員 科学警察研究所の人物 東京大学出身の人物 和歌山県立桐蔭高等学校出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 三重県出身の人物 冤罪 日本の冤罪事件 1891年生 1975年没 2025/03/31 02:47更新
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furuhata tanemoto
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