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土肥洋一の情報 (どいよういち)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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土肥 洋一さんについて調べます

■名前・氏名
土肥 洋一
(読み:どい よういち)
■職業
サッカー選手
■土肥洋一の誕生日・生年月日
1973年7月25日 (年齢50歳)
丑年(うし年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
熊本出身

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

土肥洋一と同じ1973年生まれの有名人・芸能人

土肥洋一と同じ7月25日生まれの有名人・芸能人

土肥洋一と同じ出身地熊本県生まれの有名人・芸能人


土肥洋一と関係のある人

真田雅則: 土肥洋一に破られるまで、J1の145試合「連続試合フルタイム出場」記録を保持していた。


服部公太: J1とJ2にまたがるため非公認扱いではあるが、リーグ戦に関しては2007年6月30日第18節対アルビレックス新潟戦(新潟スタ)に、土肥洋一を抜いて連続フル出場のJリーグ記録160試合を達成、記録は171試合まで伸ばしたが2007年10月20日第29節対大宮アルディージャ戦(駒場スタジアム)で途中交代したことにより記録が途絶えた。


金沢浄: 原博実監督によって左SBのレギュラーに据えられると、優れた基本技術と状況判断でチームにフィットし、GK土肥洋一と並びリーグ戦全試合にフル出場。


南雄太: すぐさま土肥洋一から定位置を奪うと、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出された。


下田崇: 翌2006年2月、土肥洋一・曽ヶ端準の2人がケガで代表離脱したため約3年半振りに代表招集の声がかかった。


高木義成: クラブでは本並健治と菊池新吉が引退した後の2002年よりレギュラーを務めてきたが、2008年はFC東京から移籍してきた土肥洋一にポジションを奪われ、控えに回された。


浅利悟: 一番影響を受けた選手には土肥洋一を挙げ、「日々の体のケアやオフの体作りを目の前で見ていてこれぞプロだと感じた。


塩田仁史: 同年は、正GK土肥洋一の日本代表遠征による不在の穴を埋めるべくナビスコカップで準決勝までの8試合に起用され決勝進出に大きく貢献。


内藤就行: FC東京はこの年J1初参加だったため多くのJ1経験者を補強していたが、その中でレギュラーを確保できたのはGK土肥洋一と内藤だけだった。


曽ヶ端準: 元FC東京などに在籍していた土肥洋一が保持していた出場記録を更新した。


吉田宗弘: 1999年と2000年はリーグ戦で約10試合ほど出場機会を得たものの同時期に南雄太が土肥洋一に代わって正GKに定着したためレギュラー獲得には至らず、2003年に柏時代の恩師である西野朗を頼って、地元のガンバ大阪へ完全移籍。


加藤竜二: 昇格に貢献した土肥洋一からポジションを奪いレギュラーを掴んだ。


小澤英明: 半月板の故障で出遅たこともあって正GK土肥洋一からポジションを奪えず、この年は大量得点でリードした2試合に出場(うち1試合は終盤に途中出場)。


土肥洋一の情報まとめ

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土肥 洋一(どい よういち)さんの誕生日は1973年7月25日です。熊本出身のサッカー選手のようです。

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所属クラブ、個人成績などについてまとめました。卒業、テレビ、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。土肥洋一の現在の年齢は50歳のようです。

土肥洋一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。

中学校1年生の時にサッカーを始めた。1992年、熊本県立大津高等学校卒業後の日本サッカーリーグが内定していたが、足の骨折により契約が流れた。

プロ選手への夢を諦めきれず、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演。Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所サッカー部(後の柏レイソル) との契約を果たした。

加藤竜二らとのポジション争いを経て正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、1998年以降は南雄太 や吉田宗弘の台頭を受け、ベンチ入りメンバーからも外れがちとなっていた。

2000年には出場機会を求め、この年よりJ1に昇格したFC東京に完全移籍で加入。大熊清監督の標榜する全員守備の要として、開幕からレギュラーポジションを維持。課題のポジショニングや状況判断を向上させ、安定感を高めた。

2002年に原博実監督が就任してからもその信頼は揺るがず、2004年2nd第11節対広島戦で、146試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を達成(以前の記録は元清水GK真田雅則の145試合)。この年のJリーグベストイレブンにも選出された。また、同年のナビスコカップ決勝では、退場者を出す不利な状況の中、浦和の猛攻に耐え、優勝に貢献すると共に自らもMVPを獲得。

その後は、日本代表との並行によるコンディション調整に苦心しながらも、シュートへの鋭い反応と正確なキャッチング、守備陣を動かすコーチングを武器に正GKとして出場を続け、2006年第33節対浦和戦の不出場に至るまで、2000年開幕戦から延べ216試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を打ち立てた(この記録は2014年に鹿島の曽ヶ端準が更新。)。2007年は塩田仁史にレギュラーを奪われるようになり、同年末に退団。試合での好守だけでなく、主将を任され精神的にもチームを牽引する存在だった。

2003年、J1ファーストステージにおいてFC東京がリーグ最小失点を記録したことで評価を高め、同年6月に日本代表としてコンフェデレーションズカップに帯同。

以後も川口能活、楢﨑正剛に次ぐ第3GKの立場ながら メンバー入りを続け、2004年2月のキリンチャレンジカップ・マレーシア戦で国際Aマッチ初出場を果たした。2005年の東アジア選手権第3戦の韓国戦ではスーパーセーブを連発し、日本の勝利に貢献した。

2006年ドイツワールドカップにも選出され、試合出場こそ無かったが最年長選手としてチームを盛り立て、対ブラジル戦のハーフタイムでは出場していた川口を励ます様子が見られた。日本代表の紅白戦では攻撃的なポジションを任されることが多く、得点を挙げることもあった。

2008年、福西崇史と共に、J1へ復帰した同じ東京のライバル・東京ヴェルディへと完全移籍。移籍後は高木義成を抑えて正GKの座を獲得し、リーグ戦全試合出場と奮闘したがチームは17位となりJ2降格。クラブの経営悪化により一度は契約非更新が発表されたが、減俸での再オファーに応じ、翌2009年の1月に再契約が発表された。J2降格後も正GKの座を守り、高木は名古屋移籍した。

2011年5月4日、古巣FC東京との「東京ダービー」試合中に負傷交代。左アキレス腱断裂により全治6ヶ月と診断され 離脱。

持ち前の闘志は衰えず、2012年7月15日、第24節鳥取戦で1年2ヶ月ぶりに復帰し、柴崎貴広からポジションを奪取。至近距離でのシュートセーブの鋭さを見せ、健在ぶりを発揮していたが、この年限りで戦力外となり、シーズン終了後、契約満了により退団。

2013年1月、現役引退と東京Vの育成GKコーチ就任が発表された。同年末、Jリーグ功労選手賞受賞。2014年、JFA公認A級ジェネラルライセンス取得。

また、トレーナー木場克己と共にアスリートのコンディション調整治療やトレーニング指導などを行う株式会社アスリートウェーブの経営者としても活動している。

2014年9月、東京Vトップチーム監督冨樫剛一の要望を受け、同チームのGKコーチに就任。冨樫の退任に伴い2016年限りで退任。

2017年、東京ヴェルディの育成GKコーチに就任。シーズン終了後の11月に同コーチを契約満了で退任。その後、2018年シーズンからレノファ山口FCトップチームGKコーチに就任することが発表された。

2023年シーズン終了後、契約満了により退任した。その後、2024シーズンにから横浜FCのGKコーチに就任したことが発表された。

所属クラブ

熊本市立城南小学校

熊本市立城南中学校

1989年 - 1991年 熊本県立大津高校

1992年 - 1999年 日本の旗 日立製作所本社サッカー部 / 日立FC柏レイソル / 柏レイソル

2000年 - 2007年 日本の旗 FC東京

2008年 - 2012年 日本の旗 東京ヴェルディ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 日立 旧JFL1部 0 0 -
1993 31 0 0 0 0 0 0 0 0
1994 旧JFL 15 0 1 0 0 0 16 0
1995 - J 17 0 - 2 0 19 0
1996 30 0 15 0 2 0 47 0
1997 1 19 0 8 0 3 0 30 0
1998 8 0 0 0 1 0 9 0
1999 J1 3 0 0 0 0 0 3 0
2000 FC東京 20 30 0 2 0 0 0 32 0
2001 1 30 0 3 0 1 0 34 0
2002 30 0 7 0 1 0 38 0
2003 30 0 6 0 2 0 38 0
2004 30 0 1 0 3 0 34 0
2005 34 0 0 0 2 0 36 0
2006 32 0 2 0 0 0 34 0
2007 14 0 4 0 0 0 18 0
2008 東京V 34 0 4 0 0 0 38 0
2009 J2 43 0 - 1 0 44 0
2010 34 0 - 1 0 35 0
2011 2 0 - 0 0 2 0
2012 18 0 - 0 0 18 0
通算 日本 J1 341 0 52 0 17 0 410 0
日本 J2 97 0 - 2 0 99 0
日本 旧JFL1部 15 0 1 0
総通算 453 0 53 0

1995年7月1日:Jリーグ初出場 - J1サントリー第21節 vs浦和レッドダイヤモンズ (柏)

2000年8月5日:J1 100試合出場 - J1 2nd第8節 vs柏レイソル (西部緑地陸)

2004年4月3日:J1 200試合出場 - J1 1st第3節 vs東京ヴェルディ1969 (味スタ)

2007年5月26日:J1 300試合出場 - J1第13節 vs名古屋グランパスエイト (味スタ)

Jリーグ連続出場記録 - 216試合 (2000年 - 2006年)

2024/06/13 00:22更新

doi youichi


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