小山祐士の情報(こやまゆうし) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


小山 祐士さんについて調べます
■名前・氏名 |
小山祐士と関係のある人
杉村春子: 1929年、築地小劇場が分裂・解散した後は友田恭助らの築地座に誘われて参加、1935年の舞台『瀬戸内海の子供ら』(小山祐士作)に出演した。 伊馬春部: 1934年、太宰治、森敦、中原中也、檀一雄、今官一、山岸外史、中村地平、小山祐士、木山捷平、北村謙次郎らと文藝同人誌『青い花』を創刊。 田村秋子: 『一人の女優の歩んだ道』(小山祐士共著、白水社) 1962年 伊藤豪: 1963年 小山祐士作「泰山木の木の下で」宇野重吉演出 太地喜和子: 冬の花(小山祐士作) 森本薫: 森本が田宮虎彦らと創刊した同人誌「部屋」に執筆した『一家風』が、1934年(昭和9年)に小山祐士と田中千禾夫の目に入り、雑誌「新思潮」に発表した『わが家』は岩田豊雄の演出により築地座で初演され、森本は劇作家としての地歩を固めた。 |
小山祐士の情報まとめ

小山 祐士(こやま ゆうし)さんの誕生日は1906年3月29日です。広島出身の作家のようです。

姉妹、卒業、退社に関する情報もありますね。1982年に亡くなられているようです。
小山祐士のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小山 祐士(こやま ゆうし、1906年(明治39年)3月29日 - 1982年(昭和57年)6月10日)は、日本の劇作家。 広島県福山市笠岡町(今町)生まれ。誠之館中学(現福山誠之館高校)を経て慶應義塾大学法学部卒(1931年)。劇作を志したのは慶応在学中の1925年(大正14年)に築地小劇場で、チェーホフの『三人姉妹』を9日間続けて観たことがきっかけ。9回とも感激したという。在学中は広島市出身の小山内薫が会長を務めた慶応劇研究会へ所属し、小山内に私淑。卒業後は銀座の櫻田機械工業営業部に就職(1937年退社)。傍ら同郷の井伏鱒二に紹介された岸田國士に師事した。 1932年(昭和7年)、菅原卓らと同人誌『戯作』を創刊。この時期は久保田万太郎に師事。同年『飜えるリボン』で作家デビュー。テアトル・アンチーム劇団で上演された。 1933年(昭和8年)に発表した戯曲『十二月』が築地座で上演、翌1934年(昭和9年)の『瀬戸内海の子供ら』で第2回芥川龍之介賞候補に選ばれ、劇作家としての地位を確立した。 この作品はチェーホフに学び、陰影の濃い台詞を福山地方の方言で描く手法で、戦争のにおい漂う瀬戸内の鬱屈した青春を描き、第2回芥川賞に決定と新聞発表までされながら、戯曲は対象外として取り消された。 1935年(昭和10年)『瀬戸内海の子供ら』四幕が岸田國士の演出で、劇団『築地座』で上演され、杉村春子の好演もあり大ヒットした。 1937年(昭和12年)、文学座創立に脚本家として参加。 1941年(昭和16年)、日本移動演劇連盟を創立し、参加。同年わかもと製薬に入社、文化事業部主事となり、演劇と放送の仕事をする。1942年(昭和17年)にはNHK嘱託となり放送劇も書いた。 1945年(昭和20年)、本土空襲が本格化していた同年5月、海軍出身者で作る民間の海洋吹奏隊の北海道演奏旅行にわかもと製薬の文化部長として同行。帰郷後、妻の実家・岡山県玉島市(現倉敷市)に疎開。広島原爆投下後の広島を目撃した。戦後、瀬戸内海の島々をまわって歩き、その生活や言葉のあまりの独自性に驚いたのが小山の創作の原点。生涯に亘り、瀬戸内の素朴な暮らしを愛し、詩情あふれる柔らかな方言で、人々の心模様を繊細に編んだ。戦後、全国的に素人演劇や自立演劇が興ったため、1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)まで、各都道府県県庁、マスコミの依頼により岡山・広島・山口・福岡など各地を講演に歩き、また、自立演劇コンクールの審査を各地で引き受ける。1950年(昭和25年)上京。戦後は、叙情的作風に原爆や公害問題を織り込む作風で活動。 原爆の傷跡を描いた『二人だけの舞踏会』で1956年(昭和31年)、岸田演劇賞受賞。瀬戸内の封建的な町をイメージした戯曲『蟹の町』の上演は、毎日演劇賞を受賞した。その他大久野島の毒ガス製造問題を告発した『日本の幽霊』(1965年)、『泰山木の木の下で』(1962年)などを発表。戦争や原爆の暗い影を背負った人間の孤独を描写し続けた。『泰山木の木の下で』は二幕を劇団民藝が始めて上演、同作は今日まで公演が続く劇団民藝の代表的演目の一つとなっている。著作集に『小山祐士戯曲集』(全5巻、テアトロ)などがある。 日本演劇界への著しい貢献が認められ、1968年(昭和43年)、芸術選奨文部大臣賞(文学評論)を受賞。1975年(昭和50年)、紫綬褒章受章。墓所は冨士霊園の文学者の墓。 『瀬戸内海の子供ら』(白水社) 1935年 『魚族 戯曲集』(ぐろりあ・そさえて) 1940年 『光つてる女たち 戯曲集』(世界文学社) 1949年 『一人の女優の歩んだ道』(田村秋子共著、白水社) 1962年 『小山祐士戯曲全集』全5巻(テアトロ) 1967年 - 1971年 『女優の一生』(杉村春子共著、白水社) 1970年 ^ 『小山祐士』 - コトバンク ^ “小山祐士”. 作家名データ&資料一覧. ふくやま文学館. 2024–11–10閲覧。 ^ こやま・ゆうし – 福山誠之館同窓会 ^ 尾崎宏次「〈ばらえてぃ〉 今も残る戦争のツメ跡を描く 俳優座上演『日本の幽霊』を書いた小山祐士」『週刊朝日』1965年11月26日号、朝日新聞社、114頁。 ^ 渡辺敬子 (2013年4月26日). “戦時下の人間模様 克明 小山祐士「北海道演奏旅行記」(ふくやま文学館)”. ヒロシマ平和メディアセンター (中国新聞社). オリジナルの2024–11–09時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20241109224105/https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=18755 2024–11–10閲覧。 ^ “小山祐士”. 岸田國士と、築地座、劇作派. 新国立劇場. 2024–11–10閲覧。 ^ “日本でも毒ガス作る 小山祐士の苦心作『日本の幽霊』 俳優座8日から上演”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 12. (1965年11月1日) ^ 2022年上演作品 泰山木の木の下で – 劇団民藝ホームページ ^ “人間が抱える「原罪」描く 劇団民芸「泰山木の木の下で」”. カナロコ (神奈川新聞社). (2019年12月5日). オリジナルの2021–04–16時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210416003905/https://www.kanaloco.jp/news/culture/bunka/entry-213319.html 2024–11–10閲覧。 中村地平 太宰治 誠之館人物誌 「小山祐士」 劇作家 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research 20世紀日本の劇作家 過去の文学座所属者 紫綬褒章受章者 慶應義塾大学出身の人物 広島県立福山誠之館高等学校出身の人物 広島県出身の人物 1906年生 1982年没 冨士霊園に埋葬されている人物 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2025/03/30 03:35更新
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koyama yuushi
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