小林成光の情報 (こばやしまさみつ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
小林 成光さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
小林成光
小林 成光(こばやし まさみつ)さんの誕生日は1978年4月13日です。栃木出身のサッカー選手のようです。
所属クラブ、個人成績などについてまとめました。卒業、事故、引退に関する情報もありますね。現在の年齢は46歳のようです。
小林 成光(こばやし まさみつ、1978年4月13日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは主にミッドフィールダーで、左右のサイドアタックを担った。 小学校2年生の時にサッカーを始める。1994年、佐野日大高校に進学し、在学中3年連続で国体栃木県選抜に選出された。 1997年、高校を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてジャパンフットボールリーグ・東京ガスFC(現 FC東京)に入団し、同年リーグ開幕戦にスタメン出場。ガス検診をこなしながらも「凄く我慢して起用してくれた(小林談)」大熊清監督の期待に応えるために必死に戦い、全試合に出場。新人王に輝いた。その後チームと共にJ2、J1と舞台を移しながらプレー、2002年からプロ契約を結んだ。同年より監督に就任した原博実は自身の掲げる攻撃的サッカーの担い手として小林を左ウイングに抜擢。開幕戦、小林は前年度優勝の鹿島を相手に2得点2アシストの大活躍で脚光を浴び(翌日の日刊スポーツ紙では、「日韓W杯の秘密兵器」という見出しで一面を飾った)、次節の浦和戦でも決勝点を挙げてFC東京の開幕ダッシュの立役者となった。 しかしその直後の2002年4月15日、練習場に向かう為にオートバイを運転中に突風でバランスを崩し転倒。右大腿部骨幹部を骨折し、長期のリハビリを強いられる。右大腿骨には重い随内釘(ボルト)が埋め込まれ、骨盤からの骨移植も行われた。2004年にはシーズン開幕前のキャンプから軽快なプレーを見せ、同年3月のナビスコカップ鹿島戦で途中出場、9月の同杯準々決勝G大阪戦では約2年4ヶ月ぶりに公式戦のスターティングメンバーに名を連ねた。シーズン終了後、プレーの質を取り戻すべく、再骨折のリスクを覚悟で髄内釘を除去。これが事故以来4度目の手術だった。 2006年、J2サガン鳥栖へ移籍。同年9月の神戸戦で4年半ぶりにリーグ戦での90分フル出場を果たした。 2007年、J2クラブからもオファーを受ける中、地元栃木でJリーグ昇格を目指すJFL・栃木SCへ移籍。サイドでの突破力を発揮して チーム2位の6得点を挙げ、復調を印象付けた。2008年、クラブはリーグ2位に入り翌年からのJリーグ加盟を果たしたが、小林はこの年限りで栃木との契約を満了。予てより栃木でサッカーを終える意思を持っていたため、故郷のクラブのJ2昇格を花道に現役引退を表明した。 2009年、古巣のFC東京にて育成部コーチに就任。感性と冷静に見る目を併せ持ち、選手個々に考えさせる指導ができる、とクラブ上層部からの評価は高く2010年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンス取得。また、東京都社会人リーグのFCフエンテ東久留米でもプレーし、1部昇格に貢献した。 2017年、栃木の作新学院大学コーチに就任。 所属クラブ旗川クラブ (佐野市立旗川小学校) 佐野市立西中学校 佐野日本大学高等学校 1997年 - 2005年 東京ガスフットボールクラブ / FC東京
2006年 サガン鳥栖 2007年 - 2008年 栃木SC 2010年 - FCフエンテ東久留米 個人成績1999年3月14日:J2初出場 - J2第1節 vsサガン鳥栖 (西が丘) 1999年4月23日:J2初得点 - J2第7節 vsヴァンフォーレ甲府 (小瀬) 2000年3月11日:J1初出場 - J1 1st第01節 vs横浜F・マリノス (横浜国際) 2000年5月6日:J1初得点 - J1 1st第11節 vs川崎フロンターレ (駒沢) 2024/05/17 02:47更新
|
kobayashi masamitsu
小林成光と同じ誕生日4月13日生まれ、同じ栃木出身の人
小林成光と近い名前の人
話題のアホネイター
話題の芸能人・有名人
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小林成光」を素材として二次利用しています。