山中巽の情報(やまなかたつみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山中 巽さんについて調べます
■名前・氏名 |
山中巽と関係のある人
木俣達彦: 1年上のチームメイトに山中巽、江藤省三、相羽欣厚、大森秀男(巨人)がいた。 佐野真樹夫: 1960年秋季中部大会準決勝に進むが、中京商の山中巽に抑えられ敗退。 高橋善正: 一時は5点リードするが逆転され、山中巽・林俊彦の継投に屈し7-8で惜敗。 東条文博: 1回戦で中京商の山中巽、林俊彦両投手の継投の前に完封を喫する。 槌田誠: 5日の試合では森の代打で打席に立つも山中巽に三振を喫し、6日の大洋戦(川崎)では9回表にシーズン初の完封負けを目前にして、ベンチはまるで通夜のように静かであった。 島野育夫: 初出場:1963年10月22日、対阪神タイガース28回戦(阪神甲子園球場)、5回表に山中巽の代打として出場 豊田泰光: 同年には2試合連続で代打サヨナラ本塁打を達成し(この記録は豊田と若松勉しか達成していない)、相手投手は2試合とも中日ドラゴンズの山中巽だった。 江藤省三: 高校同期に山中巽、相羽欣厚、大森秀男(巨人)、1年下に林俊彦、木俣達彦がいた。 桑野議: 初安打:1968年10月10日、対中日ドラゴンズ27回戦(阪神甲子園球場)、山中巽から単打 加藤斌: 1年目の1963年から一軍で登板し、10月22日の最終戦では山中巽をリリーフ、5イニングを無失点で抑え阪神タイガースから初勝利を挙げた。 住友平: 夏の選手権では、準々決勝で中京商の山中巽から本塁打を放つなど活躍し、順調に勝ち進む。 岩郷泰博: 一時は5点リードするが逆転され、山中巽、林俊彦の継投に屈し7-8で惜敗。 相羽欣厚: 高校同期に山中巽、江藤省三、大森秀男(巨人)、1年下に林俊彦、木俣達彦がいた。 赤井喜代次: しかし山中巽、江藤省三らのいた中京商に敗れ、甲子園には届かなかった。 |
山中巽の情報まとめ
山中 巽(やまなか たつみ)さんの誕生日は1944年1月4日です。愛知出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。山中巽の現在の年齢は80歳のようです。
山中巽のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 山中 巽(やまなか たつみ、1944年1月4日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)。 中京商業高校では1年生の時、1959年夏の甲子園に控え投手として出場するが、1回戦で高鍋高に敗退、登板機会はなかった。この時の3年生に遊撃手の石黒和弘がいた。1961年はエースとして甲子園に春夏連続出場。春の選抜は1回戦で小倉工に惜敗。夏の選手権は準々決勝で、この大会に優勝した浪商の尾崎行雄と投げ合うが0-14で大敗した。当時のチームメイトには同期の江藤省三三塁手(巨人他)、相羽欣厚中堅手(巨人他)、大森秀男捕手(巨人)、1年下の林俊彦投手(南海)、木俣達彦捕手(中日)がいた。 翌1962年に中日ドラゴンズに入団。豪快なフォームから繰り出される直球を武器に、2年目の1963年には15勝(6敗)をマークし、最高勝率(.714)のタイトルを獲得。1965年にも12勝(2敗)、勝率.857で再び同タイトルを獲得するなど、権藤博の後の中日のエースとして活躍した。決め球はフォークボールを武器としており、時折、スライダー、シュートやカーブも投げた。 1968年8月24日と25日の両日、明治神宮野球場でのサンケイアトムズ戦にて連投した際には、豊田泰光に2日続けて代打サヨナラ本塁打を打たれたという珍記録を残している。 その後、内臓疾患を患ったことから1970年のシーズン終了後に26歳で現役を引退。引退後は球団に残りスコアラーを経てフロント入りし、営業部主任などを務めた。 各年度の太字はリーグ最高 最高勝率:2回 (1963年、1965年)※セ・リーグ5位タイ 初登板:1962年4月14日、対大洋ホエールズ1回戦(川崎球場)、7回裏から3番手で救援登板・完了、2回無失点 初先発登板:1962年4月29日、対読売ジャイアンツ3回戦(中日球場)、2回2/3を4失点で敗戦投手 初勝利・初先発勝利:1963年4月14日、対国鉄スワローズ3回戦(中日球場)、8回3失点 初完投勝利:1963年8月1日、対大洋ホエールズ19回戦(中日球場)、9回2失点(自責点1) 初完封:1963年8月4日、対国鉄スワローズ18回戦(中日球場) オールスターゲーム出場:1回 (1966年) 21(1962年 - 1970年) ^ 【8月25日】1968年(昭43)サヨナラ男・豊田、2戦連続同じ投手から決着弾 『日めくりプロ野球-8月』スポーツニッポン - ウェイバックマシン(2016年9月11日アーカイブ分) 愛知県出身の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 個人年度別成績 山中巽 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 藤村隆男 1953 大友工, 石川克彦 1954 杉下茂 1955 大友工 1956 堀内庄 1957 木戸美摸 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 伊藤芳明 1962 小山正明 1963 山中巽 1964 石川緑 1965 山中巽 1966 堀内恒夫 1967 堀内恒夫 1968 島田源太郎 1969 高橋一三 1970 村山実 1971 坂井勝二 1972 堀内恒夫 1973 倉田誠 1974 松本幸行 1975 星野仙一 1976 加藤初 1977 新浦寿夫 1978 鈴木康二朗 1979 藤沢公也 1980 福士敬章 1981 江川卓 1982 都裕次郎 1983 津田恒美 1984 江川卓 1985 北別府学 1986 北別府学 1987 川端順 1988 小野和幸 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 北別府学 1992 斎藤雅樹 1993 山本昌広 1994 紀藤真琴 1995 石井一久 1996 斎藤雅樹 1997 三浦大輔 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 入来祐作 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 安藤優也 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 館山昌平 2009 D.ゴンザレス 2010 久保康友 2011 吉見一起 2012 杉内俊哉 2013 小川泰弘 2014 山井大介 2015 M.マイコラス 2016 野村祐輔 2017 薮田和樹 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1936春夏 牧野潔 1936秋 加藤智男 1937春 森井茂 1937秋 森井茂 1938春 松尾幸造 1938秋 森井茂 1939 松尾幸造 1940 村松幸雄 1941 森井茂 1942 河村章 1943 松尾幸造 1944 森井茂 1946 森井茂 1947 松尾幸造 1948 服部受弘 1949 服部受弘 1950 清水秀雄 1951 近藤貞雄 1952 大島信雄 1953 杉下茂 1954 石川克彦 1955 石川克彦 1956 杉下茂 1957 伊奈努 1958 中山俊丈 1959 伊奈努 1960 伊奈努 1961 板東英二 1962 柿本実 1963 河村保彦 1964 河村保彦 1965 柿本実 1966 山中巽 1967 小川健太郎 1968 小川健太郎 1969 小川健太郎 1970 小川健太郎 1971 伊藤久敏 1972 水谷寿伸 1973 稲葉光雄 1974 星野仙一 1975 松本幸行 1976 星野仙一 1977 松本幸行 1978 星野仙一 1979 星野仙一 1980 藤沢公也 1981 三沢淳 1982 小松辰雄 1983 小松辰雄 1984 鈴木孝政 1985 小松辰雄 1986 郭源治 1987 杉本正 1988 小松辰雄 1989 小野和幸 1990 西本聖 1991 小松辰雄 1992 郭源治 1993 今中慎二 1994 今中慎二 1995 今中慎二 1996 今中慎二 1997 山本昌 1998 山本昌 1999 川上憲伸 2000 野口茂樹 2001 山本昌 2002 山本昌 2003 川上憲伸 2004 川崎憲次郎 2005 川上憲伸 2006 川上憲伸 2007 川上憲伸 2008 川上憲伸 2009 浅尾拓也 2010 吉見一起 2011 M.ネルソン 2012 吉見一起 2013 吉見一起 2014 川上憲伸 2015 山井大介 2016 大野雄大 2017 大野雄大 2018 小笠原慎之介 2019 笠原祥太郎 2020 大野雄大 2021 福谷浩司 2022 大野雄大 2023 小笠原慎之介 2024 柳裕也 日本の野球選手 中京大学附属中京高等学校出身の野球選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 最高勝率 (野球) 名古屋市出身の人物 1944年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/24 13:21更新
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