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平野光泰の情報 (ひらのみつやす)
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【1月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

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平野 光泰さんについて調べます

■名前・氏名
平野 光泰
(読み:ひらの みつやす)
■職業
野球選手
■平野光泰の誕生日・生年月日
1949年4月23日 (年齢2023年没)
丑年(うし年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和24年)1949年生まれの人の年齢早見表

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平野光泰と関係のある人

西本幸雄: 鈴木啓示は西本に「負けない投手になれ」と言われ安定感重視の投球になり、打倒阪急の秘密兵器として柳田豊をトレードで獲得し、平野光泰、佐々木恭介、栗橋茂、羽田耕一、梨田昌崇らが力をつけ、トレードでチャーリー・マニエルを得た1979年(昭和54年)に球団初のリーグ優勝を果たした(2シーズン制時代の1975年〈昭和50年〉に後期優勝)。


阿部成宏: 1977年には打撃が低迷し平野光泰にポジションを譲る。


鈴木葉留彦: 8月21日の近鉄戦(日生)では1回表ジム・タイロンのソロ本塁打で先制したが、2回裏には同点の後に梨田昌崇のソロ本塁打で逆転、なおも3回裏平野光泰の場外へのソロ本塁打で追加点を許した。


江夏豊: また、一度も柵越えの本塁打を打たれたことが無く、唯一打たれたのは明星高の平野光泰にランニング本塁打を許したのみだった。


金村義明: ただし、当時一軍のレギュラーだった栗橋茂・平野光泰両外野手や、当時一軍で売り出し中だった内野手の森脇浩司など、厳しくも優しい姿勢で金村に接していた先輩選手も少なからずいる。


羽田耕一: 同期入団組に佐々木恭介・梨田昌孝・平野光泰らがいる。


佐藤竹秀: 1977年に平野光泰が台頭すると、押し出される形となって出場機会が激減する。


西本幸雄: 西本の教え子には阪急時代には米田哲也、梶本隆夫、足立光宏、森本潔、長池徳士、福本豊・山田久志・加藤秀司の「花の44年トリオ」、近鉄では鈴木啓示、佐々木恭介、梨田昌孝、羽田耕一、平野光泰、井本隆、栗橋茂、柳田豊などが挙げられる。


山口高志: 近鉄とのプレーオフ第2戦では5回からリリーフ登板したが、中軸打者ではない平野光泰・有田修三に本塁打を奪われて降板、球威の衰えを印象づけた。


仁科時成: 1984年5月29日の近鉄戦(日生)でも9回裏2死のあと1人の場面で平野光泰によってノーヒットノーランを阻まれた。


平野光泰の情報まとめ

もしもしロボ

平野 光泰(ひらの みつやす)さんの誕生日は1949年4月23日です。大阪出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、引退、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。2023年に亡くなられているようです。

平野光泰のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

平野 光泰(ひらの みつやす、1949年4月23日 - 2023年9月9日)は、大阪府大阪市西区出身。のプロ野球選手(外野手、右投右打)、野球解説者。

明星高校では、1967年にエースとして春夏の甲子園に出場。春の選抜では2回戦(初戦)で県岐阜商に完封負け。夏の選手権は1回戦で大島忠一らのいた中京高に打ち崩され大敗。また高校時代は1学年上の江夏豊からランニング本塁打を記録している(江夏にとって高校時代唯一の被本塁打)。卒業後は社会人野球のクラレ岡山へ進み、1971年に外野手へ転向。同年の都市対抗では右翼手、五番打者として活躍。同年秋に開催されたドラフト会議で、近鉄バファローズから6位指名され、プロ入り。この年のドラフト会議で近鉄は、平野のほか、1位に佐々木恭介、2位に梨田昌孝(昌崇)、4位に羽田耕一といった後の主力となる選手の指名・入団に成功している。

1972年から一軍に上がるが、しばらくはこれといった成績を上げられずにいた。

1975年には19試合に先発出場。

1977年は不調の阿部成宏に代わり中堅手として起用され、初の規定打席(20位、打率.262)に達する。

1978年は5月から一番打者に定着。8月28日の対南海ホークス戦(日生球場)では両者無得点で迎えた延長10回無死無走者の打席で平沢隆好からサヨナラ本塁打を放った。

1979年から2年連続でダイヤモンドグラブ賞を獲得した。 同年6月25日の対ロッテオリオンズ戦(日生球場)では1試合3本塁打、10月2日の対ロッテ戦(日生球場)では6-6の同点で迎えた9回に望月卓也からサヨナラ本塁打を放つなど、1979年のリーグ優勝に貢献。広島東洋カープとの日本シリーズでは第6戦まで無安打と不調に沈む。しかし第6戦では犠飛、犠打等で3打点を稼ぎ、第7戦では5回に山根和夫から同点となる2点本塁打を放った。

1980年、7月17日の対阪急ブレーブス戦(阪急西宮球場)でサイクル安打を記録している。9月18日の対ロッテ戦(日生球場)では5回二死満塁の打席で梅沢義勝から満塁本塁打を放ち、シーズンでは自己最高の23本塁打を記録。ロッテとのプレーオフでは打率.750、2本塁打、5打点の成績でMVPに選出された。広島との日本シリーズでは2年連続で敗退したが、26打数9安打7四球とリードオフマンの役割を十分に果たし、同シリーズの優秀選手賞を獲得。

1983年は自己最高の打率.292(14位)を記録する。

1984年までレギュラーを守る。同年5月29日の対ロッテ戦(日生球場)ではロッテの仁科時成が9回二死までノーヒットノーランを続けていたが、最後に平野が安打を放ち、仁科の記録達成を阻んでいる。

1985年12月10日に自由契約選手となり、同年限りで現役引退。その後は京都テレビ、ラジオ大阪などで野球解説者を務め、飲食店を経営していた。

俊足・強肩に加えて長打力も兼ね備えた好選手であり、「ガッツマン」と通称されるほど闘志を前面に押し出したプレースタイルで人気を博した。特に語り草となっているのが「執念のバックホーム」である。近鉄は1979年6月26日、南海との前期最終戦を、勝つか引き分けならば前期優勝(当時のパ・リーグは前後期制)、負けたら2位の阪急にも優勝の目がある状況で迎えた。1-1の同点で迎えた8回裏、南海二死一、二塁の場面で、阪本敏三の打球は緩い打球の中前安打、二死だったこともあり二塁走者の定岡智秋は躊躇なく本塁へ向かい、近鉄の西本幸雄監督も勝ち越されるのを覚悟した。その瞬間、中堅手・平野がものすごい形相で前進、打球をつかみそのままバックホーム。送球はノーバウンドで捕手・梨田昌崇のミットに届き、定岡はタッチアウト。試合はそのまま引き分けとなり近鉄は前期優勝を決めた。

また、1980年のオールスターゲーム第2戦(川崎球場)では平松政次から決勝2点本塁打を放ち、MVPに輝いた。4回のオールスター出場のうち、1981年、1982年はファン投票での選出であった。

打席は「両打」と登録されていた年がある(1976年)。

引退後、プロ野球解説や飲食業を営む傍ら、知人を介して訪ねてくる子どもを個人的に指導していた。その後、知人の紹介で姫路市内の児童養護施設の敷地を借り、無料の野球教室を始める。週4回の教室には、姫路市内をはじめ赤穂、たつの市などから約20人の小中学生が通った。教室のモットーは「基礎、基本を大切にすること」。「自分に何が足りないか。それを考えながら練習しなければ向上はない」と話す。「ずっと野球で飯を食わせてもらった。子どもを育てることは、私にとっての恩返しです」。グラウンドで子らを見守った。

2023年9月9日、姫路市内の病院で死去した。74歳没。訃報は同月17日に公表された。

各年度の太字はリーグ最高

ダイヤモンドグラブ賞:2回(外野手部門:1979年、1980年)

日本シリーズ優秀選手賞:1回(1980年)

オールスターゲームMVP:1回(1980年 第2戦)

パ・リーグプレーオフMVP:1回(1980年)

初出場:1972年7月30日、対東映フライヤーズ19回戦(宮城球場)、11回裏に中堅手として出場

初先発出場:1973年6月5日、対ロッテオリオンズ前期11回戦(日生球場)、1番・左翼手として先発出場(偵察要員、試合開始時に小川亨と交代)

初安打:1973年10月1日、対南海ホークス後期11回戦(日生球場)、8回裏に有田修三の代打として出場、松原明夫から単打

初打点:1974年7月3日、対太平洋クラブライオンズ前期12回戦(日生球場)、8回裏に三輪悟から適時打

初本塁打:1975年4月23日、対日本ハムファイターズ前期2回戦(後楽園球場)、9回表に有田修三の代打として出場、テリー・レイからソロ

1000試合出場:1983年8月9日、対ロッテオリオンズ16回戦(日生球場)、5番・中堅手として先発出場 ※史上236人目

100本塁打:1984年6月27日、対日本ハムファイターズ12回戦(ナゴヤ球場)、4回裏に間柴茂有から左越先制ソロ ※史上130人目

1000安打:1984年7月29日、対日本ハムファイターズ18回戦(札幌市円山球場)、9回表に坂巻明から左前安打 ※史上132人目

サイクル安打:1980年7月17日、対阪急ブレーブス後期3回戦(阪急西宮球場) ※史上32人目(33度目)

オールスターゲーム出場:4回(1979年 - 1982年)

37(1972年 - 1975年)

22(1976年)

9(1977年 - 1985年)

近鉄バファローズナイター

ラジオ大阪ドラマティックナイター

KBS京都エキサイトナイター

^ “元近鉄・平野光泰さんが9日に死去 1980年の日本シリーズ優秀選手賞”. スポーツ報知. (2023年9月17日). https://hochi.news/articles/20230917-OHT1T51150.html 2023年9月17日閲覧。 

^ 元近鉄の平野光泰氏死去、74歳 79年「奇跡のバックホーム」で初V貢献「江夏の21球」にも - 日刊スポーツ 2023年9月17日

^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

^ 「鈴木完封21勝 平野サヨナラ7号」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1978年(昭和53年)8月29日付朝刊、17面。

^ 「守備No.1 若返る プロ野球 ダイヤモンドグラブ賞決まる」『北海道新聞』(縮刷版) 1979年(昭和54年)11月10日付朝刊、17面(スポーツ面)。

^ 「衣笠、小川ら初受賞 新人で木田、史上二人目 ダイヤモンド・グラブ賞」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)11月13日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「近鉄 きょうにも胴上げ 平野大暴れ3アーチ 井本、価値ある完投」『北海道新聞』(縮刷版) 1979年(昭和54年)6月26日付朝刊、13面(スポーツ面)。

^ 「平野、サヨナラ17号 マニエル35号、近鉄8連勝 レオン3発 一気に32号」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1979年(昭和54年)10月3日付朝刊、19面。

^ 「記録メモ 平野(近鉄)サイクル安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月18日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「マニエル44号、平野「満塁」 乱戦4時間 近鉄が14点」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1980年(昭和55年)9月19日付朝刊、17面。

^ 「ガッツ大試合男 「最高の一発だ」」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)10月19日付朝刊、15面 (スポーツ面)。

^ 「プレーオフの表彰選手」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)10月19日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「表彰選手」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1980年(昭和55年)11月3日付朝刊、17面。

^ 「9回二死 ノーヒットノーランまた逃す 仁科1安打完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1984年(昭和59年)5月30日付朝刊、17面。

^ 「近鉄、平野を自由契約」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1985年(昭和60年)12月11日付朝刊、17面。

^ 「ガッツ平野 決勝2ラン 緊迫破り全パ雪辱」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月21日付夕刊、6面。

^ 「表彰選手」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月21日付夕刊、6面。

^ 「播磨びと、わが道」神戸新聞社編 2013年12月22日

^ 「記録メモ 平野(近鉄)通算1000試合出場」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)8月10日付朝刊、16面(スポーツ面)。

^ 「記録メモ 平野(近鉄)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1984年(昭和59年)6月28日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「記録メモ 平野(近鉄)通算1000本安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1984年(昭和59年)7月30日付朝刊、15面(スポーツ面)。

大阪府出身の人物一覧

大阪近鉄バファローズの選手一覧

個人年度別成績 平野光泰 - NPB.jp 日本野球機構

1957 豊田泰光

1958 中西太

1959 杉山光平

1960 近藤和彦

1961 塩原明

1962 岩下光一

1963 王貞治

1964 K.ハドリ

1965 林俊彦

1966 長嶋茂雄

1967 D.スペンサー

1968 柴田勲

1969 足立光宏

1970 黒江透修

1971 黒江透修

1972 長嶋茂雄

1973 高田繁

1974 山崎裕之

1975 中沢伸二, 外木場義郎

1976 B.ウイリアムス

1977 福本豊

1978 若松勉

1979 水谷実雄

1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

1951 川上哲治, 野口明, 林義一

1952 飯島滋弥

1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

1954 中西太, 山内和弘

1955 山内和弘, 西沢道夫

1956 森下正夫, 吉田義男

1957 大下弘, 宮本敏雄

1958 宮本敏雄, 中西太

1959 山内和弘, 中利夫

1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

1962 ブルーム, 張本勲

1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

1969 土井正博, 船田和英

1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

1989 村田兆治, 彦野利勝

1990 R.ブライアント, 清原和博

1991 古田敦也, 広沢克己

1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

1993 清原和博, T.オマリー

1994 秋山幸二, G.ブラッグス

1995 落合博満, 松井秀喜

1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

1997 松井稼頭央, 清原和博

1998 川上憲伸, 松井秀喜

1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

2002 G.アリアス, 的山哲也

2003 高橋由伸, 金本知憲

2004 松坂大輔, SHINJO

2005 金城龍彦, 前田智徳

2006 青木宣親, 藤本敦士

2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

2008 山﨑武司, 荒木雅博

2009 青木宣親, 松中信彦

2010 阿部慎之助, 片岡易之

2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

2016 筒香嘉智, 大谷翔平

2017 内川聖一, A.デスパイネ

2018 森友哉, 源田壮亮

2019 森友哉, 近本光司

2020 (中止)

2021 菊池涼介, 島内宏明

2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

2023 柳田悠岐, 万波中正

2024 牧秀悟,佐藤都志也

1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊

1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊

1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊

1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊

1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊

1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊

1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二

1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二

1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二

1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二

1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二

1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二

1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二

1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二

1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文

1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭

1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙

1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博

1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙

1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙

1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙

1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙

1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠

1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮

1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮

1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮

1998 イチロー, 大友進, 大村直之

1999 秋山幸二, イチロー, 大友進

2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮

2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知

2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知

2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人

2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO

2005 大村直之, サブロー, SHINJO

2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO

2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲

2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲

2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆

2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧

2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆

2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文

2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾

2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐

2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏

2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男

2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝

2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝

2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝

2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝

2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐

2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平

2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介

2024 辰己涼介, 周東佑京, 万波中正

1位:佐々木恭介

2位:梨田昌崇

3位:橘健治

4位:羽田耕一

5位:上水流洋(入団拒否)

6位:平野光泰

7位:池谷公二郎(入団拒否)

8位:薮内正彦(入団拒否)

9位:宮本実(入団拒否)

日本の野球選手

明星高等学校出身の野球選手 (大阪府)

クラレ岡山硬式野球部及びその前身チームの選手

大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手

NPBオールスターゲーム選出選手

NPBオールスターゲームMVP

野球解説者

大阪府出身のスポーツ選手

大阪市出身の人物

1949年生

2023年没

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2025/01/27 08:06更新

hirano mitsuyasu


平野光泰と同じ誕生日4月23日生まれ、同じ大阪出身の人

鷲塚 諫(わしづか いさむ)
1938年4月23日生まれの有名人 大阪出身

4月23日生まれwiki情報なし(2025/01/28 11:04時点)

大月 みやこ(おおつき みやこ)
1946年4月23日生まれの有名人 大阪出身

大月 みやこ(おおつきみやこ、1946年4月23日 - )は、日本の演歌歌手。 大阪府立八尾高等学校卒業。謡を嗜む父と、日本舞踊の好きな母の間にひとり娘として生まれる。小学生時代は、両親へ頼み込み、…

河島 英五(かわしま えいご)
1952年4月23日生まれの有名人 大阪出身

河島 英五(かわしま えいご、1952年(昭和27年)4月23日 - 2001年(平成13年)4月16日)は、日本のシンガーソングライター、俳優。 大阪府東大阪市出身。大阪府立花園高等学校卒業。 …

中村 豊(なかむら ゆたか)
1973年4月23日生まれの有名人 大阪出身

4月23日生まれwiki情報なし(2025/01/25 02:21時点)

北川 智子(きたがわ ともこ)
1979年4月23日生まれの有名人 大阪出身

4月23日生まれwiki情報なし(2025/01/25 02:21時点)


久保山 知洋(くぼやま ともひろ)
1984年4月23日生まれの有名人 大阪出身

久保山 知洋(くぼやま ともひろ、1984年4月23日 - )は、日本の俳優。大阪府出身。身長169.5cm、体重76kg。大阪学院大学高等学校卒業。サンミュージックブレーン所属。 2005年に東京…

田中 明日菜(たなか あすな)
1988年4月23日生まれの有名人 大阪出身

田中 明日菜(たなか あすな、1988年4月23日 - )は、大阪府堺市南区出身の女子サッカー選手。韓国・WKリーグの華川KSPO(英語版)所属。元サッカー日本女子代表。ポジションはミッドフィールダー…

阪本 智子(さかもと ともこ)
1988年4月23日生まれの有名人 大阪出身

阪本 智子(さかもと ともこ、1988年4月23日 - )は、日本の女性モデル、タレントである。 血液型はA型の牡牛座。趣味、特技はフェイシャルマッサージ、ネイルアート。 好きな食べ物は苺、マカロニ…

出口 真人(でぐち まさと)
1982年4月23日生まれの有名人 大阪出身

出口 真人(でぐち まさと、1982年4月23日 - )は、日本の漫画家。大阪府出身。大阪総合デザイン専門学校出身。 2003年5月 『月刊少年ジャンプ』新人賞 ブロンズ賞 2004年5月 『月刊少…

田中 末一(たなか すえかず)
1951年4月23日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 田中 末一(たなか すえかず、1951年4月23日 - )は、大阪府松原市新堂出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 大鉄高校で…


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平野光泰と近い名前の人


平野 稔(ひらの みのる)
1934年12月1日生まれの有名人 岐阜出身

平野 稔(ひらの みのる、1934年12月1日 - )は、日本の男性俳優、声優、劇作家。岐阜県山県郡美山町(現・山県市)出身。 日本大学医学部中退後、俳優を志し、東宝系列の東京映画の専属俳優を経て、…

平野 美宇(ひらの みう)
2000年4月14日生まれの有名人 静岡出身

平野 美宇(ひらの みう、2000年4月14日 - )は、静岡県沼津市生まれ、山梨県中央市出身の、日本の女子卓球選手。身長158cm、体重45kg。右シェーク裏裏ドライブ型。ITTF世界ランキング最高…

平野 謙_(野球)(ひらの けん)
1955年6月20日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 平野謙の野球道 平野 謙(ひらの けん、1955年6月20日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者、野…

平野 謙_(評論家)(ひらの けん)
1907年10月30日生まれの有名人 京都出身

平野 謙(ひらの けん、男性、1907年(明治40年)10月30日 - 1978年(昭和53年)4月3日)は、日本の文芸評論家。明治大学教授。本名平野朗(あきら)。左翼運動からの転向を経て、「近代文学…

平野 紫耀(ひらの しょう)
【Number_i】
1997年1月29日生まれの有名人 愛知出身

平野 紫耀(ひらの しょう、1997年〈平成9年〉1月29日 - )は、日本の歌手・俳優・タレント。男性アイドルグループ・Number_iのメンバーで、King & PrinceおよびMr.K…


平野 孝(ひらの たかし)
1974年7月15日生まれの有名人 静岡出身

平野 孝(ひらの たかし、1974年7月15日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手。元日本代表。現役時のポジションはMF、FW。サッカー番組の司会者・解説者。 清水商業高…

平野 綾(ひらの あや)
1987年10月8日生まれの有名人 愛知出身

平野 綾(ひらの あや、1987年10月8日 - )は、日本の声優、女優、歌手、アイドル、タレント、ラジオパーソナリティ。愛知県名古屋市出身。 代表作に『涼宮ハルヒの憂鬱』(涼宮ハルヒ)、『DEAT…

平野 夢来(ひらの ゆら)
2005年2月3日生まれの有名人 静岡出身

平野 夢来(ひらの ゆら、2005年(平成17年)2月3日 - )は、日本の元ファッションモデル。静岡県出身。Popteenの元専属モデルである。愛称はゆぴぴ。 2018年にPopteenモデルオー…

平野 由実(ひらの ゆみ)
1984年6月14日生まれの有名人 大阪出身

平野 由実(ひらの ゆみ、1984年6月14日 - )は、日本のファッションモデルである。本名、平野 由美子。 大阪府出身。大阪信愛女学院短期大学卒業。身長168cm。所属事務所はイデア。雑誌『wi…

平野 由希(ひらの ゆき)
1986年8月7日生まれの有名人 北海道出身

平野 由希(ひらの ゆき、1986年8月7日 - )は北海道出身のグラビアアイドル・タレントである。BESIDE所属。 2005年「ミニスカポリス7ティ〜ン」の一員に選ばれる。 現在は撮影会やCS放…


平野 もえ(ひらの もえ)
1994年11月8日生まれの有名人 千葉出身

平野 もえ(ひらの もえ、1994年11月8日 - )は、日本の元タレント、元グラビアアイドル、元女優。千葉県出身。アイドルユニット・Project『L』元メンバー。かつてマグニファイエンタテインメン…

平野 麻樹子(ひらの まきこ)
2月18日生まれの有名人 千葉出身

平野 麻樹子(ひらの まきこ、1976年2月18日 - )は、日本の女優。千葉県鴨川市出身。千葉県立長生高等学校、明治学院大学文学部芸術学科卒業。所属事務所はスーパーキュート。 大学入学後に劇団を…

平野 舞(ひらの まい)
1984年11月12日生まれの有名人 大阪出身

平野 舞(ひらの まい、1984年11月12日 - )は、日本の女優。新潟県出身。身長161cm血液型はO型。所属事務所は株式会社アンカット。 趣味・特技はバスケットボール。 高校生3年の秋に俳優…

平野 文(ひらの ふみ)
1955年4月23日生まれの有名人 東京出身

平野 文(ひらの ふみ、1955年〈昭和30年〉4月23日 - )は、日本の声優、女優、ナレーター、ラジオパーソナリティ、エッセイストである。東京都杉並区西荻窪出身。青二プロダクション所属。 杉並区…

平野 裕加里(ひらの ゆかり)
1966年10月21日生まれの有名人 愛知出身

平野 裕加里(ひらの ゆかり、1966年10月21日 - )は、愛知県知立市出身のフリーアナウンサー。有限会社 LIBRA代表。 愛知県立豊明高等学校から南山大学経営学部経営学科卒業。血液型AB型。…

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平野光泰
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