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仁科時成の情報 (にしなときなり)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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仁科 時成さんについて調べます

■名前・氏名
仁科 時成
(読み:にしな ときなり)
■職業
野球選手
■仁科時成の誕生日・生年月日
1951年6月2日 (年齢73歳)
卯年(うさぎ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
岡山出身

(昭和26年)1951年生まれの人の年齢早見表

仁科時成と同じ1951年生まれの有名人・芸能人

仁科時成と同じ6月2日生まれの有名人・芸能人

仁科時成と同じ出身地岡山県生まれの有名人・芸能人


仁科時成と関係のある人

白武佳久: 移籍後の背番号は仁科時成の引退とコーチ就任(74に変更)で1年間空き番だった20となった。


深沢恵雄: 仁科時成と共にアンダースローの二本柱として1980年代のチームを支えた。


古屋英夫: 100本塁打:1985年6月29日、対ロッテオリオンズ8回戦(後楽園球場)、8回裏に仁科時成から2ラン ※史上137人目


袴田英利: 前述のように堅実なリードが売りの一つであったが、プロ入り当初は、ある試合で仁科時成とバッテリーを組んだ際、出すサインのほとんどに首を振られショックを受けたという。


中嶋聡: 初安打:1988年4月30日、対ロッテオリオンズ4回戦(阪急西宮球場)、3回裏に仁科時成から


吉岡悟: 5打数3安打と結果を残すと、同10日のロッテ戦(後楽園)では仁科時成から1年ぶりの本塁打を放ち、これが現役最後の本塁打となった。


柏原純一: 150本塁打:1982年5月9日、対ロッテオリオンズ前期9回戦(後楽園球場)、10回裏に仁科時成から左越サヨナラソロ ※史上64人目


藤井栄治: 同年のロッテとのプレーオフでは10月9日の第1戦(西宮)で仁科時成から満塁本塁打を放ち、巨人との日本シリーズでも2試合に代打として出場。


トニー=ソレイタ: 150本塁打:1983年9月23日、対ロッテオリオンズ21回戦(川崎球場)、2回表に仁科時成からソロ ※史上72人目


中居謹蔵: 4月23日には、当初仁科時成が先発予定であったが、強行スケジュールでの移動のために首脳陣に先発回避を直訴。


仲根正広: 8月20日のロッテ戦で9回二死までノーヒットに抑えていた仁科時成から右前安打を放ち、記録を阻止した。


稲尾和久: 投手陣は3本柱の石川賢・深沢恵雄が15勝(石川は最高勝率のタイトルも獲得)、仁科時成が13勝と、チーム防御率は12球団最下位の5.12をリーグ3位の4.22と改善させた。


松永浩美: 初本塁打:1981年5月12日、対ロッテオリオンズ前期7回戦(阪急西宮球場)、3回裏に仁科時成から


平野光泰: 同年5月29日の対ロッテ戦(日生球場)ではロッテの仁科時成が9回二死までノーヒットノーランを続けていたが、最後に平野が安打を放ち、仁科の記録達成を阻んでいる。


山崎裕之: 自己最多の82打点を記録し、9月18日のロッテ戦で仁科時成から当時プロ野球18人目となる通算2000安打も達成している。


深沢恵雄: ロッテではアンダースローで似たタイプの仁科時成が先発ローテーションに入っており、学生時代からの友人である捕手の袴田英利もアンダースローのリードに慣れていたことから、1982年から先発陣の一角を占め、その能力を発揮することとなる。


橋野純: 仁科時成とは同期だった。


仁科時成の情報まとめ

もしもしロボ

仁科 時成(にしな ときなり)さんの誕生日は1951年6月2日です。岡山出身の野球選手のようです。

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詳細情報、参考文献などについてまとめました。卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。仁科時成の現在の年齢は73歳のようです。

仁科時成のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

仁科 時成(にしな ときなり、1951年6月2日 - 2020年1月、日付不詳)は、岡山県浅口郡寄島町(現:浅口市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。

中学時代は岡山県浅口郡下でナンバーワンの投手と言われたが、無名の山陽高校に進学。卒業後は大倉工業に入社するが、直前に行ったトレーニングでバーベルを上げた際に腰痛を発症。1年半はユニフォームを着ることが出来ず、2年目にボールを握れるようになったと同時に投球フォームがオーバースローからサイドスロー、腕が次第に下がっていってアンダースローにチェンジ。

村上義則・宮脇敏など好投手がおり、なかなか大舞台は踏めなかったが、1975年の都市対抗に電電四国の補強選手として出場。1976年の社会人野球日本選手権は1回戦で住友金属鹿島を相手に完投勝利したが、2回戦では新日本製鐵光の児玉克雅と投げ合い、好投するが延長11回裏0-1でサヨナラ負けを喫した。

1976年のドラフト3位でロッテオリオンズに入団。

1977年は開幕直後から先発として一軍で起用され5勝を挙げる。

1978年から2年連続9勝を挙げ、村田兆治が肘痛でリタイアしていた時期はエースとしても奮投。

1979年には初めて規定投球回(10位、防御率4.00)にも達する。

1980年には握りを少し変えた落ちる球を習得したことも功を奏して17勝8敗を記録、防御率3.19(リーグ3位)の好成績を残す。同年は開幕から絶好調で、開幕第2戦となった4月6日の阪急戦(西宮)に完投してロッテのシーズン初白星を挙げると、自身2試合目の登板で、本拠地開幕戦でもある同12日の日本ハム戦(川崎)に完封、その勢いのまま6月10日の日本ハム戦(宮城)で早くも10勝に到達した。その後は急失速したものの、前期優勝へ向けてのスタートダッシュに貢献し、9月21日の阪急戦(平和台)では7回表にボビー・マルカーノから左前打を浴びたのみで完封した。投球フォームは左太股を高く掲げるワインドアップから上体を極端に屈め、大きなバックスイングで力を溜めてからリリースに至るまで上体を倒しきった姿勢を維持する独特なものであった。

1981年に福間納とのトレードで阪神から移籍してきた深沢恵雄と共にアンダースローの二本柱として1980年代のオリオンズを支えたが、超低空からリリースされる浮き上がるような速球を武器にした本格派投手の深沢と異なり、時に球速100km/h以下を記録する変化球を駆使し、打者の状態によりリリースのタイミングを微妙にずらしたり、時にはサイドスローで投球して打者を眩惑するといった投球術を武器とする技巧派投手であった。投手としての活躍だけでなく、ほぼ同時期に正捕手だった袴田英利のリードにも影響を与えた。結果として、深沢が阪神時代の低迷から脱する事にも繋がった。

1983年には左肩の打撲もあって下半身を強化して復活を遂げ、8月20日の近鉄戦(川崎)ではコーナーにスライダー、シンカーを決める完璧な投球を展開。9回表2死まで出塁は2失策と敬遠四球のみのノーヒットに抑えていた。次打者仲根政裕との対戦では2ストライクまで追い込み、ファウルチップでゲームセットになるはずだったところ捕手の土肥健二が落球。その後はファウルをもう1本打たれたのちに、シンカーが落ちず、真ん中へ入った99球目を中根に右前打にされ、ノーヒットノーランを阻止される。

1984年5月29日の近鉄戦(日生)でも9回裏2死のあと1人の場面で平野光泰によってノーヒットノーランを阻まれた。同ケースは過去に19例あるが、2回逃したのは仁科と西口文也だけである。

1986年に通算100勝を達成。

1988年限りで現役を引退

引退後はロッテの二軍投手コーチ(1989年 - 1990年, 1994年 - 1995年, 2002年)・一軍投手コーチ(1991年 - 1993年, 2001年)・合宿所寮長などを務め、1996年には船橋市内に飲食店「サブマリン」を開店している。

フジテレビONEで2011年12月6日に放送された「プロ野球ここだけの話」第17回「潜航御礼!サブマリンここだけの話」に於いて、松沼博久・山田久志と共に出演した渡辺俊介は、アンダースローの歴代三傑の一人として、杉浦忠・山田と共に仁科の名を挙げており、プロ初年にコーチとして師事を受けた関係で仁科の「左足を掛ける独特の投球フォーム」を真似ようとしたが、とても真似出来なかったとも述べていた。

詳細情報

年度別投手成績

各年度の太字はリーグ最高

記録

初登板・初先発・初勝利:1977年4月7日、対クラウンライターライオンズ前期2回戦(平和台野球場)、8回1/3を2失点

初奪三振:同上、5回裏に土井正博から

初セーブ:1977年4月22日、対阪急ブレーブス前期1回戦(阪急西宮球場)、8回裏1死に2番手として救援登板・完了、1回2/3を1失点

初完投:1978年6月17日、対阪急ブレーブス前期8回戦(川崎球場)、9回9失点で敗戦投手

初完投勝利:1978年8月15日、対日本ハムファイターズ後期7回戦(川崎球場)、9回1失点

初完封勝利:1979年9月11日、対日本ハムファイターズ後期9回戦(川崎球場)

1000投球回数:1983年5月4日、対阪急ブレーブス4回戦(川崎球場)、4回表3死目に達成

1500投球回数:1985年10月1日、対日本ハムファイターズ19回戦(後楽園球場)、6回裏1死目に達成

100勝:1986年9月18日、対近鉄バファローズ23回戦(川崎球場)、先発登板で7回2/3を2失点

1イニング4被本塁打:1983年6月28日、対西武ライオンズ14回戦(西武ライオンズ球場)、3回裏に立花義家・スティーブ・オンティベロス・田淵幸一・大田卓司から

オールスターゲーム出場:1回 (1980年)

背番号

20 (1977年 - 1988年)

74 (1989年 - 1991年)

82 (1992年 - 1993年)

73 (1994年 - 1995年)

84 (2001年 - 2002年)

参考文献

『日本プロ野球記録大百科2004』(ベースボール・マガジン社) 1946頁

2024/06/14 08:08更新

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