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西本幸雄の情報 (にしもとゆきお)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

西本幸雄の情報(にしもとゆきお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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西本 幸雄さんについて調べます

■名前・氏名
西本 幸雄
(読み:にしもと ゆきお)
■職業
野球選手
■西本幸雄の誕生日・生年月日
1920年4月25日 (年齢2011年没)
申年(さる年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
和歌山出身

西本幸雄と同じ1920年生まれの有名人・芸能人

西本幸雄と同じ4月25日生まれの有名人・芸能人

西本幸雄と同じ出身地和歌山県生まれの有名人・芸能人


西本幸雄と関係のある人

加藤秀司: 上田からのコーチ就任要請に加藤は困惑したが、西本幸雄と相談した結果、就任要請を快諾した。


根本陸夫: (根本)監督がウチに来ないかと言ってるぞ」と話し、実際に根本は近鉄の西本幸雄監督に佐々木のトレードを申し込んだ。


有田修三: 現役時代に監督だった西本幸雄は梨田を「打ち取ったら投手のおかげ、打たれたら捕手のリードのせいと投手を立てるタイプ」、有田を「打ち取ったら捕手のリードのおかげ、打たれたらコントロールミスした投手のせいと我の強いタイプ」というように評した。


金田義倫: 3年生夏の府大会の2回戦の際に、監督の西本幸雄が視察に来ており、これが入団の決め手になった。


柳田浩一: 1994年に近鉄バファローズに移籍、西本幸雄監督以来欠番となっていた背番号68を着けるが佐々木恭介監督就任で変更となった1996年限りで現役引退。


嶋清一: 嶋清一については、同郷(和歌山県出身)で中等学校と大学時代に対戦経験がある西本幸雄が「彼の球は本当に速かった。


広瀬叔功: 西本幸雄は「(2番打者の)阪本は福本の足を生かすために、自分を犠牲にした。


岡村浩二: ただ、奇しくも岡村と土井(余談だが、送球した山口は中退、阪急監督の西本幸雄走塁の際に打席に立っていた長嶋茂雄も)は大学では先輩後輩(岡村は2年で中退だが二つ上)の関係にあり、岡村は「大学の後輩と言う事で、土井に対して甘くなってしまった。


佐伯勇: 1974年、西本幸雄を監督に迎え、1979年に創立30年目にして初優勝を果たした。


野村克也: 1980年は控えに回ることが多くほとんど目立った活躍はなかったが、オールスターゲームには全パ・西本幸雄監督の推薦により出場。


森本潔: そういった活躍の半面、激しい性格の一方で投げ遣りな面もあり、時々、ちゃらんぽらんなプレーで、立大の先輩である西本幸雄監督を怒らせていた。


後藤修: 次は阪急のテストを受けに行ったが、二軍捕手相手に50球ほど投げ込んだところで、歩いてきた西本幸雄監督が「後藤君、本当に残念なのだがストレートが捕手の前でみんなお辞儀をしてしまう」と不合格を告げた。


三原脩: なお、この初戦を翌日に控えた前夜に、日本教育テレビ(NET)で「シリーズ直前インタビュー」と題して大毎監督・西本幸雄と大洋監督・三原の対談番組が放送される予定だったが、予定時間になっても三原が現れず、西本と番組のホスト役だった野球解説者の佐々木信也との対談に終始した。


成田光弘: その後もコーチ補佐としてプロ野球界に在籍していたが、西本幸雄監督の退団と共に1973年限りで引退。


柳田利夫: 1960年は開幕直後に遊撃手の八田正が故障欠場、新監督の西本幸雄に抜擢され、一番打者、遊撃手として起用される。


鈴木啓示: 1974年に監督に就任した西本幸雄の指導により、力任せの直球主体の投球を改め制球・配球を重視する頭脳的なピッチングを構築していく。


小川亨: 大学の先輩である西本幸雄監督就任後は1975年は打率こそ3割を切ったものの、最高出塁率のタイトルを獲得したほか、7月10日の南海戦(日生)から9月6日の太平洋戦(藤井寺)まで歴代3位の180打席連続無三振記録を樹立した。


水谷宏: 引退後、西本幸雄監督から「打撃投手をやってくれないか」と要請され、梨田昌孝、佐々木恭介、大石大二郎、中村紀洋ら「いてまえ打線」を陰からサポートした。


鶴岡一人: 蔭山は西本幸雄の誘いで阪急ブレーブスのヘッドコーチへの就任が内定しており、鶴岡と同じく6日に退団の意思を表明していたが、球団から慰留されて鶴岡の後任を引き受け、13日に監督に就任したばかりだった。


野呂瀬義昭: 荒れ球気味の金田に対して、野呂瀬の投球は「きれいなスピンで糸を引くような球」(金田の証言)で、監督の西本幸雄は打者の調子に合わせて二人を使い分けた。


今久留主淳: 1950年に星野組の仲間だった荒巻淳、西本幸雄、弟の今久留主功と共に毎日オリオンズへ入団。


野村克也: 1981年オフにロッテから監督要請があったが断り、近鉄でも西本幸雄の後任として候補が挙がったが、内部昇格に切り替えたので、立ち消えとなった。


荒巻淳: 西本幸雄選手兼任監督が交渉役になったが、荒巻だけは星野組社長の岡本が後見人を務め、契約も岡本が当たった。


長池徳士: この日、西武対中日の日本シリーズ第3戦が行われ、評論家取材で西武球場で「長池解任」報を聞いた西本幸雄は「なぜ長池が辞めんといかんのや」と球団に電話してきたと後に聞いた。


岡野祐: 球団社長在任中の1966年オフに、監督の西本幸雄が選手に対して「信任投票」を実施しその結果から岡野に辞表が提出されたが、オーナーの小林米三が監督の交代を望まず、留任となった。


真田重蔵: 阪急と近鉄で合計10年、コーチとして同郷の先輩であった西本幸雄監督をサポートしたが、阪急時代には投手をつぎ込もうとする西本に対して「監督の気持ちはわかるが、それは無茶です」と制止していたという。


広岡達朗: 広岡自身は自著「意識革命のすすめ」他で、歴代プロ野球で最も評価する監督として西本幸雄を挙げている。


鈴木啓示: 現役時代の前半は直球勝負にこだわり、1974年に監督就任した西本幸雄には「20勝もエエけど、同じするなら負けを1桁にせんとエースとは言えん」「ストレートを思い切り投げて、打たれたら本望、なんて言うのはマスターベーションや」と批判された。


小池兼司: この時はチームメイトの野村克也が二塁打を放ちチャンスメークをしたが、西本幸雄監督は「ノムの足では1本で還ってこれへん」との判断で代走に池永を起用。


梨田昌孝: 近鉄で1シーズン以上務めた歴代監督16人の中で、通算成績で勝ち越しているのは三原脩、西本幸雄、仰木彬、そして梨田の4人である。


西本幸雄の情報まとめ

もしもしロボ

西本 幸雄(にしもと ゆきお)さんの誕生日は1920年4月25日です。和歌山出身の野球選手のようです。

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引退、父親、卒業、テレビ、現在、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2011年に亡くなられているようです。

西本幸雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ・監督、解説者・評論家。

選手としては、社会人野球の星野組時代に選手兼任監督として都市対抗野球大会で優勝、その戦力を見込まれて他のメンバーとともに入団した毎日オリオンズでは最初の日本選手権シリーズにも出場して優勝を経験した。現役引退後、40歳でオリオンズ(当時は「大毎オリオンズ」)監督に就任して初年度にリーグ優勝を達成、以後61歳で退任するまで、3球団で合計8回のリーグ優勝を成し遂げた。阪急ブレーブスと近鉄バファローズでは弱小チームを鍛えて強豪に育てあげ、その手腕が高く評価されて野球殿堂の表彰者となった。一方監督として出場した日本選手権シリーズでは一度も優勝を経験することがなく、「悲運の名将」とも呼ばれる。

父親は日本勧業銀行和歌山支店の支店長であり、裕福な家庭に育つ。1933年に野球の名門校であった旧制和歌山中学校へ進学するが、当時は野球部に入れば「勉学をあきらめる覚悟が必要」だったため入部を諦め、3年次の1935年にはラグビー部に所属していた。野球名門校であった和歌山中学には野球特待生もおり、そうではなかった西本は野球部の勧誘を受けたものの両親にもいえなかったという。しかし、4年次の1936年秋、5年生7人が引退して5人だけになった野球部に入部し、二塁手と一塁手を務め、時にはリリーフ投手としてマウンドにも立った。西本の入部前に引退した上級生の一人に宇野光雄がいる。

5年次の1937年夏の甲子園紀和大会予選決勝では旧制海草中と対戦し、当時3年生の嶋清一の前に敗れて甲子園出場はならなかった。西本は嶋について「球が見えないんや。とにかくかすらない。それぐらい速かった」と述べている。記録ではこの試合で西本は1安打を放っているが、自身は記憶になく「どうせ当たりそこないや。まともなヒットなら嬉しくて印象に残っているはずだから」と話している。

卒業後の1938年に旧制立教大学へ進学するが、当時の野球部には監督がおらず、後には実質的な監督役を務めている。文部省の命令でリーグ戦が中止となった1943年5月には、自ら申し入れて旧制明治大学との対外試合を行った。明大のマウンドには嶋清一が立ったが、西本によると「球は海草時代ほどではなかった」という。学徒出陣により同年秋に応召すると、陸軍中尉にまで昇進し、温情に満ちた隊長として部下に尊敬されていた。中国で終戦を迎え、復員後は東洋金属、八幡製鐵、全京都を経て、立教の後輩の永利勇吉の誘いで星野組に移籍。星野組時代の1949年には監督・一塁手・3番打者として第20回都市対抗野球大会に出場し、チームを優勝に導いた。当時、西本は進駐軍から入手した中古のファーストミットを使用していた。電気コードを紐の代用にしたところ、強振すると捕球網の部分が伸びる効果を生み、少し離れた打球や送球でも捕球できたという。

有力社会人チームの星野組に、プロ野球参入を目指す毎日新聞社は選手の供給源として着目し、西本によると都市対抗野球大会優勝直後からチームに勧誘がなされた。西本は毎日新聞との交渉役となり、ここでも統率力を発揮して「選手全員の受け入れ」を毎日側に要請、最終的に西本を含む7人が毎日オリオンズに入団する。入団直後の1949年11月26日には、「毎日のホープ西本」というキャプションでスポーツニッポンの1面を写真が飾った。

1950年、毎日の選手として公式戦に出場する。プロ入り時には既に30歳であり、選手としてのピークは過ぎていたが、1番(または2番)・一塁手の定位置を確保し、毎日のパ・リーグ優勝と日本一(日本シリーズ優勝)に貢献した。1952年には主将となり、1954年からはコーチを兼任。1955年引退

その後も毎日・大毎に残留し、1956年(昭和31年)から1958年(昭和33年)まで二軍監督、1959年(昭和34年)はヘッドコーチを務めた。同年11月14日限りで退任した別当薫に代わって監督に就任。永田雅一オーナーは別当の後任に他球団から集客力のあるスター監督を迎えようしたが上手くいかず、そんな時に相談したのが南海ホークスの鶴岡一人監督で、鶴岡が「外で探さなくとも、チーム内に適任がいるではないか」と名前を挙げたのが西本であった。永田は鶴岡の助言に渋々承諾した。「これだけの戦力を持って、負けるわけがない。」と自信を持っていた西本はミサイル打線を結成し、打力を全面的に押し出した野球を展開。1年目にしてチームをリーグ優勝に導いたが、日本シリーズ第2戦での戦術(1死満塁のチャンスにスクイズプレイを仕掛けたがダブルプレー)を巡り永田オーナーと対立して解任(辞任の経緯については後述)。1961年(昭和36年)は日本短波放送「プロ野球ナイトゲーム中継」解説者、スポーツニッポン評論家 を務めた。1960年オフに読売ジャイアンツ監督に就任した川上哲治はヘッドコーチとして招聘しようとしたが、招聘する1日前に前述の解説者としての契約を結んだことを理由に拒否したために実現しなかった。その後、川上は牧野茂を招聘した。

1961年(昭和36年)11月21日、阪急ブレーブス一軍コーチに就任。1962年(昭和37年)11月6日からは監督に昇格。就任当時は弱小球団だったブレーブスを基本から厳しくたたき上げ、1年目のキャンプではキャッチボールから教えた。森本潔をレギュラーに抜擢し、長池徳二は西本門下の「ヤングブレーブス」の象徴の4番打者、山田久志は当初は速球頼みだったが西本に制球力の重要性を説かれ投手生命を伸ばし、福本豊は西本の教えで長打を秘めた打撃を貫き、「西本さんのおかげ」と感謝し、加藤秀司は3番打者に定着した。1967年(昭和42年)に初優勝を飾ると、1973年(昭和48年)までの7年間で5度のリーグ優勝に導き、常勝球団へと育て上げた。日本シリーズでは5度いずれも川上哲治率いるV9時代の読売ジャイアンツに敗れた。パ・リーグに2シーズン制が導入された1973年(昭和48年)、後期優勝しながらもプレーオフで前期優勝の南海ホークスに敗れて優勝を逃し、10月25日に退任した。

11月16日に翌1974年(昭和49年)シーズンより近鉄バファローズ監督を務めることが発表された。ここでも弱小だったチームを一から鍛えあげ、1975年に後期優勝もプレーオフで阪急に敗退。鈴木啓示は西本に「負けない投手になれ」と言われ安定感重視の投球になり、打倒阪急の秘密兵器として柳田豊をトレードで獲得し、平野光泰、佐々木恭介、栗橋茂、羽田耕一、梨田昌崇らが力をつけ、トレードでチャーリー・マニエルを得た1979年(昭和54年)に球団初のリーグ優勝を果たした(2シーズン制時代の1975年〈昭和50年〉に後期優勝)。日本シリーズでは広島東洋カープの前に敗れ、またしても日本一を逃す。1980年(昭和55年)もリーグ優勝するが、再度、日本シリーズで広島に敗れた。1981年(昭和56年)10月2日、勇退を表明した。その後は1982年(昭和57年)から2003年(平成15年)までフジテレビ・関西テレビ、および、1982年(昭和57年)から1990年(平成2年)までニッポン放送の野球解説者、1982年(昭和57年)から2011年(平成23年)までスポーツニッポンで野球評論家として活動していた。

1988年(昭和63年)、野球殿堂入り。

監督勇退後は長らくプロ野球ニュース(フジテレビ系)の解説者を務めたが、東京(フジテレビ)のスタジオに出向くことは比較的少なく、特に高齢となった1990年代後半からは大阪・関西テレビからの中継が多かった。この他、1984年(昭和59年)オフに大洋、同年限りで辞任した安藤統男の後任監督として阪神から10月16日に球団社長自ら西本の自宅を訪問し直接監督就任要請を受けるも、表向きは高齢であることを理由に10月18日辞退を表明し、「伝統ある阪神を立て直す監督はやはり、情熱豊かな阪神OBがふさわしいのではないか。私の知る限りでは、吉田君が最適だと思う。」同じテレビ局で解説をしていた吉田義男を推薦し、吉田が監督に就任した。投手コーチは西本の推薦で、同じテレビ局で解説をしていたことに加え阪神への在籍経験がある米田哲也が就任した。阪神からは1994年(平成6年)暮れ、次期監督として本社役員室で白羽の矢を立つが当時74歳の西本が「体力、気力に問題あり」となり、中村勝広が続投し、1996年(平成8年)オフにも藤田平の後任監督として声が掛かったが、やはり断っている。更に2001年のオフにも、妻(野村沙知代)の不祥事を理由に辞任した野村克也が、自ら西本と星野仙一を後継指名したもののやはり高齢であったために叶わず、星野が就任している。2003年(平成15年)9月15日には、阪神がセ・リーグ優勝を決めた阪神対広島戦を最後に、高齢ということもあり同局の解説業から勇退した。

晩年はめったに公の場に登場する機会はなく、兵庫県宝塚市にて隠居生活を送っていた。また2008年(平成20年)7月8日に夫人を亡くしたことを、2011年(平成23年)元日よりスポーツニッポン紙上で連載を始めた自身の回想録『我が道』にて明らかにした。

2004年のプロ野球再編問題では、ストライキを行った日本プロ野球選手会に批判的な立場を取り、読売新聞などにコメントを寄せていた。

2011年(平成23年)11月25日午後8時40分、隠棲していた兵庫県宝塚市の自邸に於いて心不全のため死去。91歳没。その葬儀は同29日に自らが采配を揮った阪急西宮スタジアムの跡地(現在の阪急西宮ガーデンズ)にほど近いエテルノ西宮にて執り行われた。法名は「慈徳院釋将幸」(じとくいんしゃくしょうこう)。弔辞は梨田昌孝が読んだ。

20年間の監督生活で8度のリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズでは1度も日本一に就けず、「悲運の名将」と言われた。ただし西本当人は自分が「悲運の名将」と言われることには否定的で、「もし、私が本当に悲運なら戦争で死んでいるし、復員してからも野球に再会できたり、大毎・阪急・ここ(近鉄)の3チームで素晴らしい選手に巡り合えて、8度も日本シリーズに出場などできない。“悲運の名将”なんておこがましい。敢えて言うなら“幸運な凡将”ですね(笑)」と語っている。3つのチームを優勝に導いた監督は、プロ野球史上で西本、三原脩、星野仙一のみである(2024年現在)。三原が指揮したのが1リーグ時代の巨人とセ・パ両リーグから1チームずつ(西鉄・大洋)、星野がセ・リーグの中日・阪神とパ・リーグの楽天だったのに対し、西本が指揮したチームはすべてパ・リーグであり、現役時代も含めてパ・リーグ一筋の野球人生だった。

阪急・近鉄時代には時間をかけて選手を育て、チームを作り変え、弱小球団を常勝軍団へと導いた。2球団を優勝に導いた監督は前記の三原・星野以外にも複数いるが、西本のように、2チームで自らチームの土台を作り上げて優勝させた監督は少ないとされる。

1960年の大毎監督辞任、1966年の信任投票事件、1975年の羽田殴打事件などに見られるように、チームの強化と見込んだ選手の育成のためにはあえて鉄拳制裁や自身の首をかけることも辞さなかった。1978年オフには監督辞任を表明したが、「俺たちを見捨てないでくれ!」と選手に引き止められて辞任を撤回し、1979年・1980年とリーグ二連覇を達成。選手にこれほど慕われた監督は珍しく、勇退表明後、最後の試合となった1981年10月4日の近鉄対阪急最終戦(日生球場)では試合終了後に両チームの選手から胴上げされた。

阪急の監督を勇退した次のシーズンから同一リーグである近鉄の指揮を執ったが、このときは近鉄側から阪急の森薫オーナーに対して近鉄の監督に迎えたいという要請があり、森オーナーも本人の意向に任せるとしてこれを承諾した。近鉄との契約の席には森と近鉄社長の今里英三が同席する異例の形となった。このため、後に野村克也や星野が阪神の監督に就任したときのような非難めいた議論は当時起きなかった(また、野村や星野の阪神監督就任時にこの西本の前例にはほとんど言及されなかった)。西本は戦前・戦後の野球界の実情を知る数少ない人物でもあっただけでなく、鶴岡一人、千葉茂亡き後、日本プロ野球界において川上哲治に次ぐ重鎮中の重鎮として多大な影響力を持ち、西のドンとも呼ばれた人物であった。

西本の教え子には阪急時代には米田哲也、梶本隆夫、足立光宏、森本潔、長池徳士、福本豊・山田久志・加藤秀司の「花の44年トリオ」、近鉄では鈴木啓示、佐々木恭介、梨田昌孝、羽田耕一、平野光泰、井本隆、栗橋茂、柳田豊などが挙げられる。指導者について厳しい評価をすることで知られている広岡達朗は自著『意識革命のすすめ』で、西本をその育成能力の高さから、「プロ野球史上最高の監督」として評価している。吉田義男は「西本さんは名将であり、名コーチでありました」と話している。

上田利治は「阪急では改めて西本さんのすごさを感じました。本当に野球が好きで、チームを強くしたいという熱い気持ちがある。その分、選手にもなかなか妥協しない。でも、ただ怒るんじゃなくて、俺がここまでやるんだからお前もと引っ張る感じですね。厳しさと優しさがあった」、「あの情熱と責任感、忍耐力。決して自分が表に出るわけじゃなく、しゃべる人でもなかったけど、ひとつひとつの言葉が重かった。戦争体験も大きく関係してると思うけど、もうああいう監督、リーダーは出てこんでしょうね」と西本について語っている。西本の近鉄監督時にコーチを務めていた仰木彬は、近鉄監督就任時の会見で「目標は将来につなぐ為に若い選手を育成し、勝つこと。私は三原さんから知を学び、西本さんから情熱を学んだ。お二人の足したような野球がやりたい」と抱負を語っていた。仰木の戦術は西本より三原に近い。

阪急監督時代、「良い外野手を作るには良いノッカーを作らなければならない」という考えから、当時打撃コーチだった中田昌宏に速く伸びる打球を打つように練習させた。福本豊は「ノックを受けた阪急の外野手は、そりゃうまくなりましたね」と振り返っている。

後述にもあるが、「殴る監督」として有名であった。試合中は常にピリピリとした雰囲気があり、手抜きや怠慢と見られる自軍のプレーに対しては容赦なく拳を振るった。ただし、あくまでも「厳しいのはグラウンドの中だけ」というのが基本で、余程のことでなければグラウンド外に怒りを持ちだすことはしなかったという。

佐々木信也(スポーツ評論家)がNHK教育テレビジョン「知るを楽しむ」で語ったところによると、1960年の日本シリーズ開幕を翌日に控え、西本と大洋ホエールズの三原脩監督の直前対談(佐々木司会)が日本教育テレビ(NETテレビ。現・テレビ朝日)の生放送で行われることになっていた。

ところが生放送のスタジオに三原がなかなか現れず、18時の放送開始当初から佐々木と西本による2人での座談会に終始した。これに西本は激昂し退席しようとしたが、佐々木が引き止めて何とか30分の対談は行われた。しかし三原はとうとう出演せず、本番終了後も西本の怒りは収まらず、NETからの出演ギャラも受け取らずに早々に自宅に引き上げた。

チームをリーグ優勝に導いた1960年の日本シリーズ終了後、在任わずか1年で西本は大毎監督を辞任する。その原因は、日本シリーズの采配にあった。三原脩監督率いる大洋の先勝で迎えた第2戦(10月12日、川崎球場)の8回表、大毎は、まず先頭打者の坂本文次郎がセーフティ・バントで出塁、続く田宮謙次郎の時に土井淳のパスボールで坂本が進塁、田宮も四球を選ぶ。さらにこの試合で本塁打を放っていた榎本喜八にバントを命じてランナーを送らせ、1死二・三塁のチャンスを作った。ここで大洋は先発・権藤正利をあきらめ、アンダーハンドのエース秋山登を投入し、山内一弘を敬遠させ、次の谷本稔と勝負する作戦に出た。谷本の第1打のファウルの後、西本はスクイズプレイのサインを送った。第2打で、谷本はサイン通りスクイズを仕掛けたが、打球はグラウンドでバウンドして捕手・土井の方向に転がった。土井は即座にボールをつかむと、本塁に駆け込んできた坂本にタッチした後、一塁に送球して打者走者の谷本を刺しダブルプレーとした。結局大毎はこの試合を落とし、2連敗を喫した。

大毎のオーナー・永田雅一は試合をプロ野球関係者と一緒に観戦していたが、このスクイズを「今のはどうなの?」と聞くと、その関係者は今の場面でスクイズはありえない、と説明したため、試合後、永田は西本に電話を入れ、「ミサイル打線を誇る大毎が、好機にバントなどというアホらしい作戦を採るとは何事か!!」とスクイズの件を非難した。しかし西本も「打線の状態は私が一番熟知しているので、ご安心下さい」と主張して退かなかった。このシーズン、大毎は18連勝(1引き分け挟む)するなど快調に飛ばしていたが、終盤失速し、優勝を決めたのは最終戦の2試合前だった。

その後、永田の「あのバントはない。評論家もみなそう言っている」という言葉に、西本が「作戦は監督が決めるものです。だからこそ責任もとる。しかし、無責任な評論家が事後にいうことによって何かを言われるのは心外です」と反論したため、永田は激怒。「馬鹿野郎!!」と西本を罵り、西本は「馬鹿野郎とはなんですか、撤回していただきたい」と取り消しを求めた。しかし永田は応じず、そのまま電話を切ってしまい、会話は終わった。結局、日本シリーズは大毎のストレート負けで終わり、西本は現役時代から所属した大毎を実質的な解任で去った。伊集院光によると、TBSに入社した永田の孫の守は「もし横浜(TBSは大洋の後身である横浜を2002年に買収)が優勝を狙えるチームになったら、西本さんを監督に招いて、『これで亡き祖父を許してくれないか』と伝えたい」と語ったという。

当時大毎のスカウトを務め、永田雅一のもとにいた青木一三は、西本の監督退任について以下のように記している(要約)。「永田はシリーズ終了後に一応西本が挨拶に来るのを待っていたが、毎日新聞系の球団幹部が西本を温泉に「隔離」して会わせなかった。これを大映と毎日の「二頭政治」の弊害だと考えた永田は経営を大映に一本化して毎日側の役員を退任させ、同時に毎日側の役員が就任させた西本も合わせて退任した。」

これに対して西本は1967年の座談会で、シリーズ終了後2日ほど自宅に帰る気になれず「雲隠れ」したものの、青木が言うようなことはなかったと発言。戻ったあとに後援者などによる「残念会」の席で「4連敗についてはおわびせにゃいかんな」と電話のダイヤルを回しかけたが、「もうやめたらどうか」という声が参加者からあがったため、かけずにそのままになり、足を運んでお詫びをする気にもならないでいたところ、監督やスタッフが決まっていたと述べている。西本はその後永田のもとに出向いて「お世話になりました」とだけ挨拶したという。西本は2001年のインタビューでは「解任されたのか自分から辞めたのか、どちらかよくわからない」と語っている。

沢木耕太郎は、西本が監督を辞めたことにより、「(永田は)オリオンズの黄金時代を築ける芽を潰してしまった」と指摘している。西本の次になった監督は、同年にセ・リーグで国鉄を最下位にしてクビになっていた宇野光雄であり、永田が宇野を選んだ理由は「元巨人の選手(知名度がある)」だったからであった。しかし宇野の指揮能力はお世辞にも高いとはいえず、1961年7月25日の東映戦では代打に須藤豊を送ろうとした際に配慮のない言葉を掛けて須藤に怒鳴り返されるなどそれまでの上位チームらしい緊張感に満ちた雰囲気が弛んでしまい2年連続4位に終わって辞任。これ以降オリオンズは低迷するようになり、永田は監督に苦労し、後の山内一弘のトレード放出などによる「ミサイル打線」の解体に繋がった。西本は後年に「公平に見て、本来なら3・4年はミサイル打線をもつオリオンズの天下が続いたはずや」と述べている。

第2戦のスクイズの采配は波紋を呼び、更に大毎は第3戦・第4戦と続けて1点差で敗れた。これによって敵将の三原監督は、このシリーズを観戦していた石原慎太郎に「三原はおそらく当代のヒーローだろう」と賞賛されるなど、声価を高めた。一方、シリーズ終了後に西本は三原と比較され、特に第2戦のスクイズの采配に批判が集中した。監督1年目にしてリーグ優勝という功績は忘れ去られ、多くの評論家が西本にクレームをつけた。西本は後年、「今でもあのスクイズが誤りとは思っていない」と語っている。

1962年、西本は阪急のコーチに就任する。この当時の阪急は「灰色の時代」と揶揄されるほどの弱小球団であった。オーナーの小林米三から「道楽で野球をやっているのではありません。どうか、ブレーブスから灰色のイメージを取り払ってください」と懇願されての就任だった。翌1963年に西本は監督に昇格し、弱小チームを立て直すためキャッチボールのやり方からやり直させるという厳しい練習姿勢で臨んだ。就任1年目は最下位だったが小林からは「小言の一つもなかった」とされ、以後2位、4位、5位の成績で、若手選手の成長が見られながらも結果が伴わなかった。5位に終わった1966年、西本は球団社長の岡野祐(のちにパシフィック・リーグ会長)に「これだけ負けたらもう辞めた方がいいですかね?」と尋ねて慰留を受けた。しかし、岡野は一方で河野旭輝を中心とする有力選手をたびたび自宅に招いて宴席を設けていた。福本豊は伝聞として、岡野がヘッドコーチの青田昇に監督を替えて河野をヘッドコーチとする方針を決めていたと記している。

西本は、その年の秋季キャンプ直前の10月14日、来季も残留する選手に信任投票を義務付けるという思い切った策に出た。西宮球場の会議室に選手を集め「次のシーズンも引き続き、一緒に戦ってくれる覚悟のある者は○印を、そうでない者は×印」を無記名で記載するというものだった。一軍・二軍のマネージャー(矢形勝洋と白井半二)によって開票された結果、45票中「×」が7票、白紙が4票だった。「×」と白紙の合計が11票という結果を西本は重く受け止め、岡野に辞任を申し出た。

この結果には「主力・若手とも分け隔てなく鍛える」という西本の育成法に、当時の主力選手が辟易していたという事情があった。当時のエース米田哲也は「西本さんはとても困った監督で、練習態度が悪かったり試合前に飲んで二日酔いでゲームに出れば、たとえ主力でも使ってもらえなかった。試合での活躍が月給にはね返る我々としては、たとえふらついていようが試合に使ってもらいたい…と考えていた。でないと、勝てない。これを考えると西本さんの厳格さは困ったものだ」と引退後に述懐している。一方、「×」を記した一人の梶本隆夫は、「監督が辞めるかどうかを決める投票だったとは思いませんでした。僕はそんなつもりで書いたのではありません」と直後に矢形勝洋に電話したという。

岡野は西本の辞意を小林に伝えたが、小林は「うちの監督は西本君しかいない」とそれを認めず、続投が決まった。小林のもとには「西本を辞めさせるな」という手紙がシーズン中よりいくつも届いていた。西本は後年「あんな馬鹿なことをやった私を、オーナーはそれでも信頼してくれた」と語ったという。秋季練習の最終日に偶然から始まった西本と選手のマンツーマンによる打撃練習には、やがて主力選手も参加するようになり「西本道場」と呼ばれた。この練習も功を奏して、翌1967年、阪急は球団創設32年目にして悲願のリーグ優勝を果たした。

一方、電鉄本社はこの事件を教訓に、球団との意思疎通を向上させる目的で、それまで選手出身者を充てていたチームのマネージャーに電鉄からの出向者を任じる方針を採用した。

西本は、大毎監督だった1960年にも似たような事件を起こしている。

当時の大毎には前監督の別当薫を慕う「別当派」と呼ばれる選手がおり、九州でのオープン戦では球場に来ないなどして西本に反抗していた。西本はチーム分裂を憂い、後日のミーティングで「監督として俺を信任するかしないか、投票を行ってくれ」と言い残して部屋を去った。

それから選手だけによる話し合いが行われたが、山内一弘の「俺は野球さえやれればそれでいい。だから監督が別当さんだろうが西本さんだろうがかまわない」という言葉に榎本喜八が同調したことから、事態は収拾。結局、信任投票は行われなかった。

西本はリーグ優勝によって選手の信頼を勝ち得ることができ、監督を辞任する時には選手たちから時計を贈られたという。

1975年5月30日、阪急西宮球場での対阪急戦の試合中に西本が羽田耕一を殴打した事件である。

この年、話題を集めた阪急のルーキー・山口高志に対して、近鉄は打撃投手を前から投げさせるなどの対策を練り、9日前の初対戦では勝利した。この日は先発した山口に4回を終わって0-1の状況で、5回表の攻撃前に西本監督は円陣を組ませ、「ワンストライクを待て。高めのボールは絶対に手を出すな」と注意した。しかしこの回の先頭打者だった羽田は、2球続けて高めのボール球をファウルした後、ショートゴロに打ち取られる。怒った西本は、ベンチに戻ってきた羽田の頬を平手打ちした。オフのためネット裏から目撃した鈴木啓示は「びっくりした」と述べた。

実は羽田は、試合の円滑な進行のための先頭打者の慣習としてウエイティングサークルに入っており、西本の指示は聞きようがなかった。当の羽田自身は、引退後に「最初は悔しかったけど、時間が経つにつれてしょうがないと思った。僕は怒られることは多かったが監督に対して絶対的な信頼があったので反抗したことはなかった」と語っている。なお、5回の攻撃で羽田が凡退した後に近鉄は3点を挙げて逆転、最終的には6-2で勝利している。

西本は後日、羽田が円陣に加われなかったことを梨田昌崇から「羽田はあの時監督の指示を聞いてません」と指摘され、「しまった!」と感じたものの、羽田に対しての謝罪は行っていない。これは近鉄が球団合併によって消滅する際に出された刊行物の中での西本のインタビュー、羽田と栗橋茂の対談で明かされている。

2015年2月2日に行われた三田学園高校の監督就任会見の際羽田は理想とする指導者として西本の名前を挙げて「本当に厳しい方で、今ではやってはダメだけど、手を出す方。でもグラウンドから一歩出ると優しくて、面倒見のいい監督だった。当時の選手は誰一人、悪口を言わなかった。そういう選手から慕われる監督でありたい」と述べていた。

1979年、ヤクルトから移籍したチャーリー・マニエルを擁して球団創設以来の初優勝を果たした直後の大阪スタヂアムで行われた広島東洋カープとの日本シリーズ第7戦。1点ビハインドの9回裏1アウト満塁で打者石渡茂にスクイズのサインを送るが、江夏豊に見破られ、三塁走者が挟殺。その後石渡も三振に終わり、ゲームセットとなる。この場面は山際淳司がSports Graphic Number創刊号にて「江夏の21球」として活写したことでも知られる。

なお、西本が采配をとった翌年のオールスター第3戦において、1点ビハインドの9回表無死満塁で全セのマウンドに江夏が登板、16球でゲームセットとなり「またも満塁で江夏に抑えられた」と言われた。2死になったとき打順はピッチャーだったが、すでに野手をすべて使ってしまっていたため、南海の投手である山内新一を代打として送り込んだもののあえなく三振に終わる。山内を起用したのは「彼が打撃がうまいという話だったから」と西本はコメントしている。その時、三塁走者だった福本豊は、「素人(山内)が、江夏を打てるわけないから」と本盗をしようとベンチを見たところ、「オヤジ(西本)に睨みつけられたため止めた。」と語っている。また、山内は他の南海選手のヘルメットが合わなかったため、近鉄のヘルメットをかぶっていた。

左投げの選手は一般に、捕球して一塁に投げる時、「蟹の横這い」のような形になってしまうため、一塁手を除く内野手に不向きと言われている。左投げでありながらプロ野球で二塁手を経験したのは、西本と大東京の鬼頭数雄、阪急の山田伝の3人だけである。

1951年8月16日、対西鉄戦、試合は毎日が選手を総動員する展開になり、9回の守りに入った時には、使える内野手が、一塁しか守れない三宅宅三だけになった。そこで西本は湯浅禎夫総監督に「三宅を入れましょう。自分は二塁に回ります。二塁は中学時代に経験があります」と進言。湯浅は背に腹は代えられないとして西本を二塁に回したが、守備機会はなかった。

西本が一塁以外を守ったのは、プロではこの時が唯一である。

初の日本シリーズで対決して(試合前も含めて)苦杯をなめた三原脩とはその後も縁が続いた。三原が近鉄を率いてチーム初優勝に挑んだ1969年に、阪急の監督としてそれを阻んだのが西本だった。そしてそれから10年後に、西本が近鉄の指揮をとり、三原のなしとげられなかった近鉄の初優勝が実現した。

また、当時三原が相談役を務めていた日本ハムが、球団譲渡以来の初優勝(1980年後期)に“マジック1”と迫ったシーズン最終戦に西本率いる近鉄に大敗し、後期及びシーズンの優勝を近鉄に譲った。

2012年までは3チームで胴上げ監督になったのは西本と三原だけであった。

※1 1960年、1966年から1996年までは130試合制

※2 1963年・1964年は150試合制

※3 1965年は140試合制

※4 1973年から1982年までは前後期制のため、ゲーム差欄は前期順位、後期順位の順に表示

野球殿堂競技者表彰(1988年)

正力松太郎賞:1回 (1979年)※監督として表彰

5 (1950年 - 1955年)

50 (1956年、1960年、1962年 - 1971年)

60 (1957年 - 1958年)

51 (1959年)

65 (1972年 - 1973年)

68 (1974年 - 1981年)

KTVプロ野球中継〔西暦〕(関西テレビのローカル中継のタイトル)

    時折フジテレビ制作のヤクルトまたは大洋主催、東海テレビ・フジテレビ共同制作の中日主催、テレビ新広島・フジテレビ共同制作の広島主催の対巨人戦全国中継や、テレビ新広島制作の広島主催試合のローカル中継(主に森永勝也とのダブル解説)にも出演することがあった。

    プロ野球ニュース(フジテレビ

      1987年のオフシーズンにおける企画コーナーとして放送された「西本幸雄の水戸黄門」(関西テレビ製作)にて水戸光圀役を演じた。

      第18回NHK紅白歌合戦(1967年、審査員)

      河久(日本料理店)

      総理府「政府広報・60歳定年制促進キャンペーン」

      シバウラ

        トラクター(スタイガーシリーズ)

        コンバイン(杉本彩と共演)

        古河機械金属

        コンタック600(鼻炎用風邪薬)

        明治パイ&クッキー(1982年)

        近畿日本ツーリスト

        別寅かまぼこ

        ニッポン放送ショウアップナイター(ニッポン放送)

        ^ 後述するように、宇野は大毎オリオンズで西本の後任監督を務めた。

        ^ 他の複数球団優勝監督のうち、就任前年の成績がいずれもBクラスだったのは広岡達朗・野村克也・星野仙一の3人。

        ^ 自らが近鉄監督になった時には西本の着けていた背番号68とした。

        ^ 近鉄の選手だった梨田昌孝は著書でこの事件が「75年(昭和50)近鉄-阪急のプレーオフ第2戦」で起きたと記しているが、事件が報じられるまでの経緯をスポーツ紙面とも照らし合わせて記載した鎮勝也の著書の記述を本記事では採用する。

        ^ 2013年に星野仙一が東北楽天ゴールデンイーグルスを率いて優勝を果たし、3チームで胴上げ監督となった(ほか2球団は中日(1988年、1999年)・阪神(2003年))。

        ^ 西本幸雄 - 野球殿堂博物館

        ^ “西本幸雄さん生誕100年…阪急教え子の福本豊氏と加藤秀司氏が思い出語る(上)「何してんねん」殴られた でも―優しかった”. スポーツ報知. (2020年4月25日). https://hochi.news/articles/20200424-OHT1T50278.html?page=1 2024年8月16日閲覧。 

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        『プロ野球 歴代監督の「采配力と人間力」』(別冊宝島編集部)宝島社〈宝島SUGOI文庫〉、2012年。 

        和歌山県出身の人物一覧

        立教大学の人物一覧

        千葉ロッテマリーンズの選手一覧

        個人年度別成績 西本幸雄 - NPB.jp 日本野球機構

        60 ヴィクトル・スタルヒン

        62 池田豊

        63 中島治康

        64 若林忠志

        65 川上哲治、鶴岡一人

        69 苅田久徳

        70 天知俊一、二出川延明

        72 石本秀一

        74 藤本定義、藤村富美男

        76 中上英雄

        77 水原茂、西沢道夫

        78 松木謙治郎、浜崎真二

        79 別所毅彦

        80 大下弘、小鶴誠

        81 飯田徳治、岩本義行

        83 三原脩

        85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

        88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

        89 島秀之助、野村克也、野口二郎

        90 真田重蔵、張本勲

        91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

        92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

        93 稲尾和久、村山実

        94 王貞治、与那嶺要

        95 杉浦忠、石井藤吉郎

        96 藤田元司、衣笠祥雄

        97 大杉勝男

        99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

        00 米田哲也

        01 根本陸夫、小山正明

        02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

        03 上田利治、関根潤三

        04 仰木彬

        05 村田兆治、森祇晶

        06 門田博光、高木守道、山田久志

        07 梶本隆夫

        08 山本浩二、堀内恒夫

        09 若松勉

        10 東尾修

        11 落合博満

        12 北別府学、津田恒実

        13 大野豊

        14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

        15 古田敦也

        16 斎藤雅樹、工藤公康

        17 伊東勤

        18 松井秀喜、金本知憲

        19 立浪和義

        22 髙津臣吾、山本昌

        23 アレックス・ラミレス

        24 谷繁元信、黒田博樹

        09 青田昇

        10 江藤慎一

        11 皆川睦雄

        13 外木場義郎

        16 榎本喜八

        17 星野仙一、平松政次

        18 原辰徳

        19 権藤博

        20 田淵幸一

        23 ランディ・バース

        59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

        60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

        62 市岡忠男

        64 宮原清

        65 井上登、宮武三郎、景浦將

        66 守山恒太郎

        67 腰本寿

        68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

        69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

        70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

        71 小西得郎、水野利八

        72 中野武二、太田茂

        73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

        74 野田誠三

        76 小泉信三

        77 森茂雄、西村幸生

        78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

        79 平沼亮三、谷口五郎

        80 千葉茂

        81 佐伯達夫、小川正太郎

        82 鈴木龍二、外岡茂十郎

        83 内村祐之

        84 桐原眞二

        85 田中勝雄、山内以九士

        86 中河美芳、松方正雄

        87 藤田信男、山下実

        88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

        89 池田恒雄、伊達正男

        90 佐伯勇

        91 中澤良夫

        92 吉田正男

        94 廣岡知男

        95 呉昌征、村上實

        96 牧野直隆、保坂誠

        97 山本英一郎

        98 中尾碩志、井口新次郎

        99 吉國一郎

        00 福島慎太郎

        01 武田孟、長谷川良平

        02 中澤不二雄、生原昭宏

        03 松田耕平

        04 秋山登

        05 志村正順

        06 川島廣守、豊田泰光

        07 松永怜一

        08 嶋清一

        09 大社義規、君島一郎

        10 古田昌幸

        12 長船騏郎、大本修

        13 福嶋一雄

        14 相田暢一

        15 林和男、村山龍平

        16 松本瀧藏、山中正竹

        17 郷司裕、鈴木美嶺

        18 瀧正男

        19 脇村春夫

        20 前田祐吉、石井連藏

        21 川島勝司、佐山和夫

        22 松前重義

        23 古関裕而

        24 谷村友一

        02 フランク・オドール、正岡子規

        03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

        藤田省三 1950 - 1952

        芥田武夫 1952 - 1957

        加藤久幸 1958

        千葉茂 1959 - 1961

        別当薫 1962 - 1964

        岩本義行 1965 - 1966

        小玉明利 1967

        三原脩 1968 - 1970

        岩本堯 1971 - 1973

        西本幸雄 1974 - 1981

        関口清治 1982 - 1983

        岡本伊三美 1984 - 1987

        仰木彬 1988 - 1992

        鈴木啓示 1993 - 1995

        佐々木恭介 1996 - 1999

        梨田昌孝 2000 - 2004

        三宅大輔 1936 - 1937

        村上実 1937

        山下実 1938 - 1939

        村上実 1939

        山下実 1940

        井野川利春 1940 - 1942

        西村正夫 1943 - 1944, 1946 - 1947

        浜崎真二 1947 - 1953

        西村正夫 1954 - 1956

        藤本定義 1957 - 1959

        戸倉勝城 1959 - 1962

        西本幸雄 1963 - 1973

        上田利治 1974 - 1978

        梶本隆夫 1979 - 1980

        上田利治 1981 - 1990

        土井正三 1991 - 1993

        仰木彬 1994 - 2001

        石毛宏典 2002 - 2003

        レオン・リー 2003

        伊原春樹 2004

        仰木彬 2005

        中村勝広 2006

        テリー・コリンズ 2007 - 2008

        大石大二郎 2008 - 2009

        岡田彰布 2010 - 2012

        森脇浩司 2013 - 2015

        福良淳一 2016 - 2018

        西村徳文 2019 - 2020

        中嶋聡 2021 - 2024

        岸田護 2025 -

        湯浅禎夫 1950 - 1952

        別当薫 1952

        若林忠志 1953

        別当薫 1954 - 1959

        西本幸雄 1960

        宇野光雄 1961 - 1962

        本堂保次 1963 - 1965

        田丸仁 1966

        戸倉勝城 1967

        濃人渉 1967 - 1971

        大沢啓二 1971 - 1972

        金田正一 1973 - 1978

        山内一弘 1979 - 1981

        山本一義 1982 - 1983

        稲尾和久 1984 - 1986

        有藤道世 1987 - 1989

        金田正一 1990 - 1991

        八木沢荘六 1992 - 1994

        ボビー・バレンタイン 1995

        江尻亮 1996

        近藤昭仁 1997 - 1998

        山本功児 1999 - 2003

        ボビー・バレンタイン 2004 - 2009

        西村徳文 2010 - 2012

        伊東勤 2013 - 2017

        井口資仁 2018 - 2022

        吉井理人 2023 - 現在

        1977 王貞治

        1978 広岡達朗

        1979 西本幸雄

        1980 古葉竹識

        1981 藤田元司

        1982 広岡達朗

        1983 田淵幸一

        1984 衣笠祥雄

        1985 吉田義男

        1986 森祇晶

        1987 工藤公康

        1988 門田博光

        1989 藤田元司

        1990 森祇晶

        1991 秋山幸二

        1992 石井丈裕

        1993 野村克也

        1994 長嶋茂雄, イチロー

        1995 イチロー

        1996 仰木彬

        1997 古田敦也

        1998 佐々木主浩

        1999 王貞治

        2000 松井秀喜

        2001 若松勉

        2002 原辰徳

        2003 王貞治, 星野仙一

        2004 伊東勤

        2005 ボビー・バレンタイン

        2006 王貞治

        2007 落合博満

        2008 渡辺久信

        2009 原辰徳

        2010 西村徳文

        2011 秋山幸二

        2012 原辰徳, 阿部慎之助

        2013 星野仙一

        2014 秋山幸二

        2015 工藤公康

        2016 栗山英樹

        2017 デニス・サファテ

        2018 工藤公康

        2019 工藤公康

        2020 工藤公康

        2021 高津臣吾

        2022 中嶋聡

        2023 岡田彰布

        2024 三浦大輔

        2004 イチロー

        2013 田中将大

        2021 稲葉篤紀, 大谷翔平

        2022 村上宗隆

        2023 栗山英樹, 大谷翔平

        2024 大谷翔平

        1950 湯浅禎夫

        1951 山本一人

        1952 山本一人

        1953 山本一人

        1954 三原脩

        1955 山本一人

        1956 三原脩

        1957 三原脩

        1958 三原脩

        1959 鶴岡一人

        1960 西本幸雄

        1961 鶴岡一人

        1962 水原茂

        1963 中西太

        1964 鶴岡一人

        1965 鶴岡一人

        1966 鶴岡一人

        1967 西本幸雄

        1968 西本幸雄

        1969 西本幸雄

        1970 濃人渉

        1971 西本幸雄

        1972 西本幸雄

        1973 野村克也

        1974 金田正一

        1975 上田利治

        1976 上田利治

        1977 上田利治

        1978 上田利治

        1979 西本幸雄

        1980 西本幸雄

        1981 大沢啓二

        1982 広岡達朗

        1983 広岡達朗

        1984 上田利治

        1985 広岡達朗

        1986 森祇晶

        1987 森祇晶

        1988 森祇晶

        1989 仰木彬

        1990 森祇晶

        1991 森祇晶

        1992 森祇晶

        1993 森祇晶

        1994 森祇晶

        1995 仰木彬

        1996 仰木彬

        1997 東尾修

        1998 東尾修

        1999 王貞治

        2000 王貞治

        2001 梨田昌孝

        2002 伊原春樹

        2003 王貞治

        2004 伊東勤

        2005 ボビー・バレンタイン

        2006 トレイ・ヒルマン

        2007 トレイ・ヒルマン

        2008 渡辺久信

        2009 梨田昌孝

        2010 秋山幸二

        2011 秋山幸二

        2012 栗山英樹

        2013 星野仙一

        2014 秋山幸二

        2015 工藤公康

        2016 栗山英樹

        2017 工藤公康

        2018 辻発彦

        2019 辻発彦

        2020 工藤公康

        2021 中嶋聡

        2022 中嶋聡

        2023 中嶋聡

        2024 小久保裕紀

        春日由三

        吉本明光

        中山晋平

        春日由三

        吉川義雄

        春日由三

        吉川義雄

        川村専一

        狩野近雄

        河上英一

        笹本恭彦

        明瀬裕

        池田太郎

        牧定忠

        春日由三

        吉川義雄

        渋沢秀雄

        横山隆一

        西崎緑

        貝谷八百子

        田付辰子

        メイ牛山

        春日由三

        吉川義雄

        岩田専太郎

        勅使河原蒼風

        千代の山雅信

        小山いと子

        吉村公三郎

        市川翠穂

        マヤ片岡

        春日由三

        吉川義雄

        三國連太郎

        小西得郎

        栃錦清隆

        青木茂高

        河上牧子

        水木洋子

        坂西志保

        田村佐紀子

        吾妻徳穂

        吉川義雄

        田中角栄

        菊田一夫

        若乃花勝治

        金田正一

        奥むめお

        森田たま

        細川ちか子

        近藤百合子

        吉川義雄

        横山泰三

        水原茂

        稲垣浩

        朝汐太郎

        沢田美喜

        杉村春子

        戸川エマ

        赤堀全子

        吉川義雄

        木下惠介

        大宅壮一

        杉浦幸雄

        若羽黒朋明

        長谷川春子

        大濱英子

        榊淑子

        谷桃子

        吉川義雄

        秋山登

        唐島基智三

        柏戸剛

        松本幸四郎

        中村汀女

        田中絹代

        秋山ちえ子

        江上トミ

        長沢泰治

        土門拳

        高田元三郎

        仲代達矢

        大鵬幸喜

        和田夏十

        勅使河原霞

        村山リウ

        森光子

        長沢泰治

        工藤昭四郎

        東郷青児

        森英恵

        大山康晴

        山内一弘

        佐田の山晋松

        藤間紫

        岡田茉莉子

        十返千鶴子

        浪花千栄子

        長沢泰治

        細川隆元

        丹羽文雄

        實川延若

        中西太

        栃ノ海晃嘉

        飯田蝶子

        貞閑晴

        新珠三千代

        花柳壽輔

        佐久間良子

        長沢泰治

        大林清

        北葉山英俊

        林与一

        古賀忠道

        春風亭柳橋

        岩下志麻

        司葉子

        長谷川町子

        林美智子

        吉屋信子

        坂本朝一

        円地文子

        安達曈子

        入江美樹

        藤村志保

        小絲源太郎

        松下幸之助

        ファイティング原田

        緒形拳

        坂本朝一

        樫山文枝

        五代利矢子

        浜美枝

        山崎豊子

        大佛次郎

        尾上菊之助

        加藤芳郎

        鶴ヶ嶺昭男

        中山卯郎

        福島慎太郎

        木村秀政

        西本幸雄

        石坂浩二

        福原美和

        栗原小巻

        塩月弥栄子

        平岩弓枝

        中山卯郎

        江夏豊

        王馬熙純

        榊原仟

        鈴木俊一

        曽野綾子

        高田敏子

        藤田弓子

        三船敏郎

        中山卯郎

        浅丘ルリ子

        市川海老蔵

        今井通子

        大谷直子

        菅野義丸

        佐藤愛子

        鶴岡一人

        平幹二朗

        中道定雄

        坂東玉三郎

        樋口久子

        小林弘

        三田佳子

        志村喬

        武原はん

        玉の海正洋

        中山律子

        仲代達矢

        小野田勇

        浪花家辰造

        大場政夫

        宇田川竜男

        堀内寿子

        大山英子

        村山加代子

        中山きよ子

        樫山文枝

        山口果林

        高橋信雄

        山下迪子

        館弘子

        石田芳夫

        中山紀子

        井沢つま

        森戸辰男

        溝尾正志

        花本方美

        為久優子

        成田知子

        桑田たつ子

        村上巳里

        山下誠

        小川善三郎

        河野久枝

        桑原永子

        田川由紀子

        佐藤太圭子

        山田三智穂

        大谷豊二

        高橋優子

        貴ノ花利彰

        赤塚洋文

        平内義幸

        富岡雅寛

        平賀輝子

        中川時子

        加藤稔

        池内淳子

        中原誠

        森英恵

        小林桂樹

        中村汀女

        井上ひさし

        中野貴代

        神田好武

        真木洋子

        輪島大士

        高橋洋子

        生沼スミエ

        棟方志功

        村上元三

        京マチ子

        サトウサンペイ

        高田ユリ

        尾上菊五郎

        寺島純子

        北の湖敏満

        根本良夫

        橋本明治

        杉村春子

        尾上松緑

        栗原小巻

        堀江謙一

        檀ふみ

        魁傑將晃

        新垣留美子

        根本良夫

        尾上梅幸

        高橋展子

        吉永小百合

        加藤剛

        三林京子

        大竹しのぶ

        古葉竹識

        三重ノ海五郎

        池田彌三郎

        浅丘ルリ子

        中村梅之助

        小野清子

        村上隆

        堤加蓉子

        カロリーナ・ピレス・ド・リオ

        若三杉壽人

        川上哲治

        川口幹夫

        市川染五郎

        上田利治

        旭國斗雄

        水島新司

        川橋幸子

        橋田壽賀子

        新井春美

        竹下景子

        川口幹夫

        北の湖敏満

        岩下志麻

        植村直己

        八千草薫

        安奈淳

        森和人

        森下洋子

        山本浩二

        加藤好雄

        若山富三郎

        ミヤコ蝶々

        菅原文太

        大原麗子

        松本零士

        重兼芳子

        古葉竹識

        多岐川裕美

        加藤好雄

        松本幸四郎

        陳舜臣

        佐久間良子

        木田勇

        向田邦子

        島田陽子

        鈴木喜久子

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        1920年生

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