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荒巻淳の情報 (あらまきあつし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

荒巻淳の情報(あらまきあつし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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荒巻 淳さんについて調べます

■名前・氏名
荒巻 淳
(読み:あらまき あつし)
■職業
野球選手
■荒巻淳の誕生日・生年月日
1926年11月16日 (年齢1971年没)
寅年(とら年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
大分出身

(大正15年/昭和元年)1926年生まれの人の年齢早見表

荒巻淳と同じ1926年生まれの有名人・芸能人

荒巻淳と同じ11月16日生まれの有名人・芸能人

荒巻淳と同じ出身地大分県生まれの有名人・芸能人


荒巻淳と関係のある人

仰木彬: 初本塁打:1954年5月20日、対毎日オリオンズ7回戦(後楽園球場)、8回表に荒巻淳から2ラン


白石勝巳: 道路を隔てた向かい側のライバル会社・星野組が、永利勇吉や荒巻淳を獲得して都市対抗野球出場を目指すという。


今久留主淳: 1950年に星野組の仲間だった荒巻淳、西本幸雄、弟の今久留主功と共に毎日オリオンズへ入団。


関口清治: 関口は星野組では4番を打ち、荒巻淳・西本幸雄・今久留主淳・今久留主功らといった、後にプロ野球で大活躍する選手らとともに第20回都市対抗野球大会でチームを全国制覇に導いた。


清家政和: 日本シリーズでプロ初本塁打を打ったのは史上3人目であり、第一号の荒巻淳は投手、第二号の森下整鎮は達成時ルーキー、清家は当時プロ10年目での初本塁打であった。


大下弘: 当時、マイナーリーグチームのオーナーであったビル・ベックから、別当薫・荒巻淳とともに契約を申し込まれるが、まだ日本とアメリカは太平洋戦争の講和条約締結前であったこともあり、渡米は実現しなかった。


今久留主功: 関口清治、荒巻淳、西本幸雄、兄・淳と、後にプロ野球で活躍する選手と共に都市対抗野球にも出場し、全国制覇に貢献した。


稲尾和久: 稲尾は「星野組はスターだった」と回顧しており、星野組のエースである荒巻淳に憧れて野球選手を目指すようになった。


武末悉昌: 決勝の相手の星野組はエース投手の荒巻淳を骨折で欠いてはいたものの、西本幸雄一塁手・今久留主淳三塁手・今久留主功二塁手・永利勇吉捕手など、後にプロ野球界に進む野手6人のいる強力チームで(翌年の第20回大会では優勝)、これを4安打1点に抑えて優勝。


深見安博: 当時の九州地区は大岡虎雄選手兼任監督率いる八幡製鉄、荒巻淳を擁する別府星野組、名門・門司鉄道局など強豪揃いで、活況を呈していた。


高倉照幸: 当時毎日のエースであった荒巻淳を打ち崩したことをきっかけにサウスポーを得意とし、左殺しとも呼ばれた。


藤岡貴裕: 新人が4月までに3勝を記録したのが、毎日時代の荒巻淳、榎原好、上野重雄、中西勝己に次いで球団史上56年ぶり5人目の快挙。


松坂大輔: MLB選抜チーム相手の完投勝利は、荒巻淳(毎日)以来、51年ぶり史上2人目の記録となった。


宮崎一夫: しかし、監督・別当薫とそりが合わず、エースの荒巻淳を優遇する投手起用方針に対して意見するなど、しばしば言い争うことがあった。


若生智男: 打たれて悩んだ時には荒巻淳が支えとなり、若生も一軍で荒巻のゲーム運びや、投げる姿を参考にして、自分の成績に繋げた。


広瀬叔功: ロッテオリオンズ内で一番の俊足、かつプロ野球史上屈指の投手守備を誇った荒巻淳は、1956年9月8日の対南海ホークス戦で、一塁に代走で出場した広瀬に対し、次打者(木塚忠助)の送りバントで二塁に送球し野選、次々打者(蔭山和夫)の送りバントで三塁へ送球して再び野選とされた時に受けた衝撃を、「バントが転がされた瞬間、アウトに出来るか出来ないか、経験上ピンとくる。


山根俊英: 鳥取農専時代は大分経専の荒巻淳と並ぶ快速球で知られ、1946年の「全国専門学校野球大会」で準優勝を果たす。


永利勇吉: その後、社会人野球の強豪チームの星野組で荒巻淳らと共に都市対抗野球大会でプレーし、第19回都市対抗野球大会では本塁打2本を放ちこの大会チームは準優勝。


鈴木武: 1955年の毎日オリオンズとの開幕戦で、荒巻淳と二塁上で交錯し右足首を骨折したことでシーズンを棒に振る。


河村英文: 一軍復帰後に3連敗するが、9月10日の毎日戦では荒巻淳と投げ合い初勝利を完封を飾り、以降閉幕までに3勝を挙げた。


白石勝巳: この時の巨人の宿舎・日名子旅館は荒巻淳の養家で植良組から徒歩1分の所にあり、さらに旅館から坂を上がった所に稲尾和久の生家があったという。


関口清治: 一方で、当時巨人は星野組のエース・荒巻淳の獲得を狙っていたが、星野組の社長は都市対抗で優勝するまでは荒巻を手放さないという情報を入手、星野組は打力が弱かったため三原が関口を星野組に貸し出すことにした、との話も伝わっている。


杉山悟: 1960年に近鉄バファローに移籍し、6月30日の大毎オリオンズ戦では荒巻淳から逆転打を放ちプロ野球記録の18連勝中だった大毎をストップする殊勲もあったが、全盛期のような成績は残せずこの年に現役引退した。


久保康友: しかし8月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦で連勝は止まり、1950年の荒巻淳、榎原好以来となる球団新人記録の8連勝はならなかった。


大下弘: 毎日は伊藤庄七・片岡博国を交換要員としてあげるが、荒巻淳を求める東急側と折り合わず、阪急は戸倉勝城との交換を打診するが東急は阿部八郎を要求するなど、いずれも交換要員が折り合わず話は流れた。


浜崎真二: 有望選手争奪は叶わず、「中西太も荒巻淳も広岡達朗も小森光生も獲れた。


荒巻淳の情報まとめ

もしもしロボ

荒巻 淳(あらまき あつし)さんの誕生日は1926年11月16日です。大分出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、映画、結婚、引退、テレビ、病気に関する情報もありますね。1971年に亡くなられているようです。

荒巻淳のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 1971年5月12日)は、大分県大分市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。

本格派の左腕で、その速球から「火の玉投手」と呼ばれ、1985年に野球殿堂入り。

大分市堀川に鮮魚店の息子として生まれる。大分商業学校時代の1942年夏に文部省主催の全国中等学校野球大会へ出場するが、1回戦で仙台一中に2-3で敗れた。卒業後は大分経専に進学し、1946年の全国専門学校野球大会に出場。横浜経専を17奪三振を記録して破ると、決勝戦では荒巻と並ぶ快速球で知られた山根俊英を擁する鳥取農専相手に23個の三振を奪って、優勝を果たし、一躍注目を浴びた。その後は社会人野球の強豪・星野組に入部し、1949年の都市対抗に出場。エースとしてチームを優勝に導き、橋戸賞を受賞する。その頃から球の速さは抜群で、当時メジャーリーグ随一の快速球投手だったボブ・フェラーにあやかり、和製火の玉投手と呼ばれた。

この球威に1948年頃からプロ野球チームの争奪戦が始まり、巨人・大阪・阪急・大映などが様々な手段で星野組に勧誘を試みる。巨人は別府での練習時に星野組社長の岡本忠夫が経営する日名子旅館を宿舎に利用、阪急は浜崎真二監督が自ら別府に赴き、大映は北九州地区映画館収益の分配を約束したりした。大井廣介の著書『タイガース史』(ベースボール・マガジン社、1958年)や松木謙治郎の著書には一度阪神と契約を結んだという記述があり、当時阪神に在籍した若林忠志の次男も若林からの伝聞として阪神が荒巻と契約していたと証言している。若林の次男や松木は、若林が荒巻を勧誘したと述べている。

1949年の夏以降、プロ野球参入を目指す毎日新聞社が星野組の選手に勧誘をかける。西本幸雄選手兼任監督が交渉役になったが、荒巻だけは星野組社長の岡本が後見人を務め、契約も岡本が当たった。岡本は次女を荒巻と結婚させていた。最終的に荒巻は毎日オリオンズに入団した。松木は、プロ野球再編問題で荒巻が私淑する若林が阪神から毎日に移ったことと、星野組を主体に毎日が結成されたことで、荒巻も毎日に入ったとしている。

1950年は新人ながら26勝8敗、防御率2.06の好成績を挙げ、最多勝利、最優秀防御率、新人王のタイトルを獲得。毎日のパ・リーグ初代優勝と第1回日本シリーズ制覇に貢献した。1年目の酷使が祟って2年目からは速球の威力に陰りが見え始める。

1951年は10勝をマーク。

1952年は7勝と成績が落ち込むが、カーブの威力に磨きをかけた。

1953年には17勝でリーグ4位の防御率2.14と復活。同年の日米野球では、日本のプロ野球選手として初の完投勝利を収めた。その後も、1959年まで7年連続で15勝以上の勝ち星を記録し、1954年22勝、1956年24勝と2度の20勝をマークした。1959年からは主将を務めるとともに救援に回って17勝を挙げるが、1960年には10年ぶりにリーグ優勝する傍らで、荒巻は未勝利に終わる。

1961年オフに星野組のチームメイトで前大毎監督であった西本が阪急のコーチに就任すると、同じくチームメイトであった西鉄の関口清治と共に阪急へ移籍。

1962年はコーチ兼任であったが、僅か2試合の登板に終わり、同年限りで現役を引退。生涯508登板のうちの339登板がリリーフであり、救援勝利数(98勝)は、金田正一(132勝)、稲尾和久(108勝)に次ぐNPB史上3位である。

1963年から阪急一軍投手コーチを務める。

1965年に胸部疾患で退団。

退団後は日本テレビ「○曜ナイター」解説者(1966年 - 1967年)を経て、1970年からはヤクルトアトムズ一軍投手コーチに就任。1971年オープン戦の転戦中に病気に倒れ、同年5月12日に肝硬変のため京都府立医科大学附属病院で死去。44歳没。1985年に野球殿堂入りした。

全身がバネのようで、小躍りするような投球フォームから速いテンポで投げる快速球で知られ、当時メジャーリーグの速球投手で火の玉投手と呼ばれたボブ・フェラーにあやかって和製火の玉投手と呼ばれた。その快速球は小気味よいほど低めに決まったが、時にはホップし、打者が地面ぎりぎりだと思って見逃した球が高めのストライクになったとの伝説がある。制球にも優れ快速球や落差の大きいカーブをコーナーいっぱいに決めたほか、日本で最初にチェンジアップを駆使した国際派でもあった。

常に爪切りを持ち歩き、指先の手入れを1時間かけて入念にやっていた。華奢な身体付きで、「こんな細い体でよく13年も投手が務まったものだ」というのが荒巻の口癖だったという。

足が速かったため代走として起用されたことがある。

各年度の太字はリーグ最高

毎日(毎日オリオンズ)は、1958年に大毎(毎日大映オリオンズ)に球団名を変更

最多勝利:1回 (1950年)

最優秀防御率:1回 (1950年)

新人王 (1950年)

ベストナイン:1回 (投手部門:1950年)

野球殿堂競技者表彰(1985年)

初登板・初勝利:1950年3月15日、対南海ホークス1回戦(大須球場)、4回表2死から2番手で救援登板・完了、5回1/3を4失点

初先発登板・初先発勝利・初完投:1950年3月20日、対西鉄クリッパーズ2回戦(後楽園球場)、9回3失点

初完封:1950年4月14日、対西鉄クリッパーズ3回戦(後楽園球場)

100勝:1955年10月8日、対トンボユニオンズ20回戦(川崎球場)

150勝:1958年8月10日、対南海ホークス21回戦(後楽園球場)

リーグ最多無四球試合無しで通算25無四球試合 ※歴代最多

オールスターゲーム出場:5回 (1953年 - 1957年)

11 (1950年 - 1961年)

31 (1962年)

30 (1963年 - 1965年)

50 (1970年)

61 (1971年)

^ 『20世紀のプロ野球名選手100人』53頁

^ 内田 2011, pp. 222–224

^ 内田 2011, pp. 217–219

^ “荒巻淳、小野正一&成田文男、木樽正明、金田留広「オリオンズ栄光のエース」/プロ野球20世紀の男たち”. 週刊ベースボール. (2019年12月8日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191208-10 2021年9月25日閲覧。 

^ “1950年 パシフィック・リーグ”. 年度別成績. 日本野球機構. 2021年9月25日閲覧。

^ 『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』38-39頁

^ 『朝日新聞』1971年5月12日付夕刊 (3版、9面)

^ 文藝春秋 1986, p. 232

^ ベースボール・マガジン社 2004, p. 55

^ 文藝春秋 1986, p. 234

内田, 雅也『若林忠志が見た夢:プロフェッショナルという思想』彩流社、2011年1月。ISBN 9784779115844。 NCID BB05157350。 

『豪球列伝:プロ野球不滅のヒーローたち』文藝春秋、1986年10月。ISBN 4168108023。 NCID BA31753007。 

『Great players:栄光のタイトルホルダー列伝』ベースボール・マガジン社〈スポーツシリーズ No.207. プロ野球70年〉、2004年12月。ISBN 4583612923。 NCID BA71253575。 

『20世紀のプロ野球名選手100人 Nippon sports mook (42)』日本スポーツ出版社、2000年

大分県出身の人物一覧

千葉ロッテマリーンズの選手一覧

オリックス・バファローズの選手一覧

稲尾和久 - 星野組時代の荒巻に憧れて野球選手を目指した。

殿堂入りリスト 荒巻淳 - 公益財団法人野球殿堂博物館

個人年度別成績 荒巻淳 - NPB.jp 日本野球機構

60 ヴィクトル・スタルヒン

62 池田豊

63 中島治康

64 若林忠志

65 川上哲治、鶴岡一人

69 苅田久徳

70 天知俊一、二出川延明

72 石本秀一

74 藤本定義、藤村富美男

76 中上英雄

77 水原茂、西沢道夫

78 松木謙治郎、浜崎真二

79 別所毅彦

80 大下弘、小鶴誠

81 飯田徳治、岩本義行

83 三原脩

85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

89 島秀之助、野村克也、野口二郎

90 真田重蔵、張本勲

91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

93 稲尾和久、村山実

94 王貞治、与那嶺要

95 杉浦忠、石井藤吉郎

96 藤田元司、衣笠祥雄

97 大杉勝男

99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

00 米田哲也

01 根本陸夫、小山正明

02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

03 上田利治、関根潤三

04 仰木彬

05 村田兆治、森祇晶

06 門田博光、高木守道、山田久志

07 梶本隆夫

08 山本浩二、堀内恒夫

09 若松勉

10 東尾修

11 落合博満

12 北別府学、津田恒実

13 大野豊

14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

15 古田敦也

16 斎藤雅樹、工藤公康

17 伊東勤

18 松井秀喜、金本知憲

19 立浪和義

22 髙津臣吾、山本昌

23 アレックス・ラミレス

24 谷繁元信、黒田博樹

09 青田昇

10 江藤慎一

11 皆川睦雄

13 外木場義郎

16 榎本喜八

17 星野仙一、平松政次

18 原辰徳

19 権藤博

20 田淵幸一

23 ランディ・バース

59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

62 市岡忠男

64 宮原清

65 井上登、宮武三郎、景浦將

66 守山恒太郎

67 腰本寿

68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

71 小西得郎、水野利八

72 中野武二、太田茂

73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

74 野田誠三

76 小泉信三

77 森茂雄、西村幸生

78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

79 平沼亮三、谷口五郎

80 千葉茂

81 佐伯達夫、小川正太郎

82 鈴木龍二、外岡茂十郎

83 内村祐之

84 桐原眞二

85 田中勝雄、山内以九士

86 中河美芳、松方正雄

87 藤田信男、山下実

88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

89 池田恒雄、伊達正男

90 佐伯勇

91 中澤良夫

92 吉田正男

94 廣岡知男

95 呉昌征、村上實

96 牧野直隆、保坂誠

97 山本英一郎

98 中尾碩志、井口新次郎

99 吉國一郎

00 福島慎太郎

01 武田孟、長谷川良平

02 中澤不二雄、生原昭宏

03 松田耕平

04 秋山登

05 志村正順

06 川島廣守、豊田泰光

07 松永怜一

08 嶋清一

09 大社義規、君島一郎

10 古田昌幸

12 長船騏郎、大本修

13 福嶋一雄

14 相田暢一

15 林和男、村山龍平

16 松本瀧藏、山中正竹

17 郷司裕、鈴木美嶺

18 瀧正男

19 脇村春夫

20 前田祐吉、石井連藏

21 川島勝司、佐山和夫

22 松前重義

23 古関裕而

24 谷村友一

02 フランク・オドール、正岡子規

03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

1950 荒巻淳

1951 蔭山和夫

1952 中西太

1953 豊田泰光

1954 宅和本司

1955 榎本喜八

1956 稲尾和久

1957 木村保

1958 杉浦忠

1959 張本勲

1961 徳久利明

1962 尾崎行雄

1965 池永正明

1967 高橋善正

1969 有藤通世

1970 佐藤道郎

1971 皆川康夫

1972 加藤初

1973 新美敏

1974 三井雅晴

1975 山口高志

1976 藤田学

1977 佐藤義則

1978 村上之宏

1979 松沼博久

1980 木田勇

1981 石毛宏典

1982 大石大二郎

1983 二村忠美

1984 藤田浩雅

1985 熊野輝光

1986 清原和博

1987 阿波野秀幸

1988 森山良二

1989 酒井勉

1990 野茂英雄

1991 長谷川滋利

1992 高村祐

1993 杉山賢人

1994 渡辺秀一

1995 平井正史

1996 金子誠

1997 小坂誠

1998 小関竜也

1999 松坂大輔

2001 大久保勝信

2002 正田樹

2003 和田毅

2004 三瀬幸司

2005 久保康友

2006 八木智哉

2007 田中将大

2008 小松聖

2009 攝津正

2010 榊原諒

2011 牧田和久

2012 益田直也

2013 則本昂大

2014 石川歩

2015 有原航平

2016 高梨裕稔

2017 源田壮亮

2018 田中和基

2019 高橋礼

2020 平良海馬

2021 宮城大弥

2022 水上由伸

2023 山下舜平大

1950 荒巻淳

1951 江藤正

1952 野口正明

1953 川崎徳次

1954 宅和本司, 田中文雄

1955 宅和本司

1956 三浦方義

1957 稲尾和久

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 小野正一

1961 稲尾和久

1962 久保征弘

1963 稲尾和久

1964 小山正明

1965 尾崎行雄

1966 米田哲也

1967 池永正明

1968 皆川睦男

1969 鈴木啓示

1970 成田文男

1971 木樽正明

1972 山田久志, 金田留広

1973 成田文男

1974 金田留広

1975 東尾修

1976 山田久志

1977 鈴木啓示

1978 鈴木啓示

1979 山田久志

1980 木田勇

1981 今井雄太郎, 村田兆治

1982 工藤幹夫

1983 東尾修, 山内和宏

1984 今井雄太郎

1985 佐藤義則

1986 渡辺久信

1987 山沖之彦

1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明

1989 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 野茂英雄

1991 野茂英雄

1992 野茂英雄

1993 野田浩司, 野茂英雄

1994 伊良部秀輝

1995 K.グロス

1996 K.グロス

1997 西口文也, 小池秀郎

1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏

1999 松坂大輔

2000 松坂大輔

2001 松坂大輔

2002 J.パウエル

2003 斉藤和巳

2004 岩隈久志

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 涌井秀章

2008 岩隈久志

2009 涌井秀章

2010 和田毅, 金子千尋

2011 D.ホールトン, 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 大谷翔平, 涌井秀章

2016 和田毅

2017 東浜巨, 菊池雄星

2018 多和田真三郎

2019 有原航平

2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

2024 有原航平、伊藤大海

1950 荒巻淳

1951 柚木進

1952 柚木進

1953 川崎徳次

1954 宅和本司

1955 中川隆

1956 稲尾和久

1957 稲尾和久

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 小野正一

1961 稲尾和久

1962 久保田治

1963 久保征弘

1964 妻島芳郎

1965 三浦清弘

1966 稲尾和久

1967 足立光宏

1968 皆川睦男

1969 木樽正明

1970 佐藤道郎

1971 山田久志

1972 清俊彦

1973 米田哲也

1974 佐藤道郎

1975 村田兆治

1976 村田兆治

1977 山田久志

1978 鈴木啓示

1979 山口哲治

1980 木田勇

1981 岡部憲章

1982 高橋里志

1983 東尾修

1984 今井雄太郎

1985 工藤公康

1986 佐藤義則

1987 工藤公康

1988 河野博文

1989 村田兆治

1990 野茂英雄

1991 渡辺智男

1992 赤堀元之

1993 工藤公康

1994 新谷博

1995 伊良部秀輝

1996 伊良部秀輝

1997 小宮山悟

1998 金村暁

1999 工藤公康

2000 戎信行

2001 N.ミンチー

2002 金田政彦

2003 斉藤和巳, 松坂大輔

2004 松坂大輔

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 成瀬善久

2008 岩隈久志

2009 ダルビッシュ有

2010 ダルビッシュ有

2011 田中将大

2012 吉川光夫

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 大谷翔平

2016 石川歩

2017 菊池雄星

2018 岸孝之

2019 山本由伸

2020 千賀滉大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

2024 L.モイネロ

 投  荒巻淳

 捕  土井垣武

 一  飯田徳治

 二  本堂保次

 三  中谷順次

 遊  木塚忠助

 外  別当薫 / 大下弘 / 飯島滋弥

1950 榎原好

1951 星野武男

1952 野村武史

1953 野村武史

1954 清水宏員

1955 荒巻淳

1956 荒巻淳

1957 植村義信

1958 荒巻淳

1959 荒巻淳

1960 小野正一

1961 小野正一

1962 坂井勝二

1963 小野正一

1964 堀本律雄

1965 小山正明

1966 妻島芳郎

1967 小山正明

1968 坂井勝二

1969 坂井勝二

1970 木樽正明

1971 木樽正明

1972 成田文男

1973 木樽正明

1974 成田文男

1975 村田兆治

1976 村田兆治

1977 村田兆治

1978 村田兆治

1979 村田兆治

1980 村田兆治

1981 村田兆治

1982 村田兆治

1983 水谷則博

1984 水谷則博

1985 深沢恵雄

1986 村田兆治

1987 村田兆治

1988 村田兆治

1989 村田兆治

1990 村田兆治

1991 小宮山悟

1992 小宮山悟

1993 小宮山悟

1994 小宮山悟

1995 伊良部秀輝

1996 園川一美

1997 小宮山悟

1998 小宮山悟

1999 黒木知宏

2000 黒木知宏

2001 黒木知宏

2002 N.ミンチー

2003 N.ミンチー

2004 清水直行

2005 清水直行

2006 久保康友

2007 清水直行

2008 小林宏之

2009 清水直行

2010 成瀬善久

2011 成瀬善久

2012 成瀬善久

2013 成瀬善久

2014 成瀬善久

2015 涌井秀章

2016 涌井秀章

2017 涌井秀章

2018 涌井秀章

2019 石川歩

2020 石川歩

2021 二木康太

2022 石川歩

2023 小島和哉

2024 小島和哉

日本の野球選手

大分県立大分商業高等学校出身の野球選手

星野組硬式野球部の選手

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

橋戸賞

最多勝利 (NPB)

最優秀防御率 (NPB)

パシフィック・リーグ最優秀新人 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

日本の野球指導者

東京ヤクルトスワローズ関連人物

日本の野球殿堂表彰者

大分大学出身の人物

大分県出身のスポーツ選手

1926年生

1971年没

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/21 17:52更新

aramaki atsushi



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