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久保康友の情報 (くぼやすとも)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

久保康友の情報(くぼやすとも) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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久保 康友さんについて調べます

■名前・氏名
久保 康友
(読み:くぼ やすとも)
■職業
野球選手
■久保康友の誕生日・生年月日
1980年8月6日 (年齢44歳)
申年(さる年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
奈良出身

(昭和55年)1980年生まれの人の年齢早見表

久保康友と同じ1980年生まれの有名人・芸能人

久保康友と同じ8月6日生まれの有名人・芸能人

久保康友と同じ出身地奈良県生まれの有名人・芸能人


久保康友と関係のある人

森山周: 初打点:2006年7月29日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(京セラドーム大阪)、2回裏に久保康友から中前適時打


岩﨑達郎: 初打席:同上、8回裏に久保康友から捕手ゴロ


笠井崇正: DeNA1年目のチームメイトで、クイックモーションに定評のある久保康友を参考にしながら、自身の研究結果をプレーに反映させている。


岡崎太一: 後にプロでもチームメイトとなる久保康友とバッテリーを組みながら、強肩を武器に活躍した。


松本尚樹: 後に主力選手となる今江敏晃、西岡剛、久保康友などの入団に尽力した。


涌井秀章: 2005年に交流戦が開始されて以降にこの記録を達成した10人のうち、所属球団が最小の2球団で達成したのは久保康友・石井一久・杉内俊哉に次ぐ史上4人目。


能見篤史: 翌2004年には、後に阪神でもチームメイトになる渡辺亮・久保康友らと共に、第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表として第22回ハーレムベースボールウィークに出場。


吉村裕基: 5月18日の対千葉ロッテマリーンズ戦では久保康友 - 里崎智也バッテリーからプロ初盗塁を記録。


クレイグ=ブラゼル: のちにトラッキーや関本賢太郎も加わるようになったほか、オールスターゲームに出場して本塁打を放った際には久保康友・城島健司・藤川球児といったチームメイトのみならず、巨人のラミレス・阿部、中日の和田一浩も参加していた。


小山良男: 中村順司前PL監督が指揮を執る第3回AAAアジア選手権大会日本代表では寺本四郎・杉内俊哉・久保康友・上重聡ら松坂以外の投手からも全幅の信頼を置かれ優勝に貢献。


高宮和也: 久保康友が国内FA権の行使でDeNAへ移籍したことに伴う補償措置で入団した鶴岡一成捕手が、背番号40を着用することによる。


益田直也: 林安夫と大原慎司が持つ新人最多登板記録(71試合)、攝津正が持つ新人最多ホールド記録(34ホールド)を共に更新し、チームとしては久保康友以来7年ぶりとなる新人王を受賞した。


福原忍: 2013年も中継ぎとして開幕当初から安定したピッチングを続け、途中腰痛による登録抹消はあったものの、開幕当初の守護神だった久保康友が不調で二軍落ちするなどの背景もあり、クローザーとして定着、8月24日の中日戦(ナゴヤドーム)で自身初の10セーブ目を挙げた。


加藤康介: 2013年は開幕当初から中継ぎとして活躍、開幕当初の守護神だった久保康友の不調によりセットアッパーとして起用された。


小川泰弘: その後、2016年8月17日の対横浜DeNAベイスターズ戦(明治神宮野球場)で決勝2点本塁打を久保康友から、2022年6月3日の対埼玉西武ライオンズ戦で決勝ソロ本塁打を高橋光成からそれぞれ打った。


溝脇隼人: 2014年8月26日、対横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)にて、「8番・遊撃手」としてプロ入り初出場をスタメンで飾り、3打席目で久保康友からプロ初安打を放った。


藤岡好明: シーズン終了後の契約更改でチームに残留したが、自身より年上の久保康友・林昌範両投手がこの年限りで退団したため、32歳ながらチーム最年長の投手になった。


小笠原道大: 2010年4月7日の阪神戦で久保康友から本塁打を打つ。


梶谷隆幸: 4月30日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では、久保康友から初本塁打を記録した。


森越祐人: 初打席:同上、8回裏に久保康友から投手ゴロ


アンディ=トレーシー: 初打席:同上、2回表に久保康友から一塁ゴロ


城所龍磨: 7月2日に千葉マリンスタジアムにて行われた対千葉ロッテマリーンズ戦8番レフトで出場し、第2打席4回無死一三塁、相手先発久保康友の初球を右中間へ運び走者一掃の2点タイムリースリーベースを放ち、これがプロ初タイムリーとなった。


橋本健太郎: 2009年3月4日に、久保康友との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。


吉田一将: 初打席:2015年5月26日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、2回表に久保康友から空振り三振


内村賢介: 初盗塁:2008年8月16日、対千葉ロッテマリーンズ16回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に二盗(投手:久保康友、捕手:橋本将)


妹尾軒作: 2年夏は5回戦で久保康友がいた関大一高に敗れた。


アンディ=トレーシー: 初安打:同上、6回表に久保康友から右前安打


愛敬尚史: 同期入社には久保康友、大久保勝信がいる。


河村説人: 5回5安打1失点で2勝目を挙げると、10月6日の埼玉西武ライオンズ戦では6回2失点の好投で球団新人では2005年久保康友以来となる先発登板4連勝を記録。


久保田智之: 3回戦で後にプロでチームメイトとなる久保康友を擁する関大一高に敗れたが、3試合で計6イニングを投げて無失点に抑えた。


久保康友の情報まとめ

もしもしロボ

久保 康友(くぼ やすとも)さんの誕生日は1980年8月6日です。奈良出身の野球選手のようです。

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趣味、卒業、家族、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。久保康友の現在の年齢は44歳のようです。

久保康友のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

久保 康友(くぼ やすとも、1980年8月6日 - )は、奈良県橿原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。

2017年に日本プロ野球界を離れてからは「野球は趣味」として海外球団を中心に現役を続けている(詳細後述)。

橿原市立鴨公小学校時代は藤原京跡グラウンドをホームグラウンドとする少年野球チーム「ホワイトベアーズ」に所属し、橿原市立八木中学校時代は軟式野球部でプレーしていた。

関西大学第一高校時代は、同校に合宿所がないこともあり、橿原市の自宅から大阪府吹田市の学校まで電車を乗り継ぎ、1時間半かけて通学していた。3年時にはエースとして同校の69年ぶりとなる第70回選抜高等学校野球大会に出場し、松坂大輔・小池正晃・後藤武敏・小山良男らを擁する横浜高校と決勝で対戦し、準優勝。夏の第80回全国高等学校野球選手権大会にも出場を決めて春夏連続出場を果たし、また同校初の選手権大会となったが、準々決勝で寺本四郎・高橋一正らを擁する明徳義塾高校に2-11で敗れた。大会後に中村順司が率いる第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され、同大会優勝に貢献。高校時代の同級生には工藤和樹がいる。

高校卒業後は松下電器に入社したが、野球部入部当初は度重なる故障に悩まされて登板機会が少なく、入社5年目の2003年後半から好成績を残して主力選手に成長した。同年の第30回社会人野球日本選手権大会では圧倒的優位が予想されていた対伏木海陸運送戦でリリーフ登板し、4イニングを投げて最速148km/hの速球で7三振を奪ったが、9回裏の先頭打者に四球を与えたのをきっかけにサヨナラ負けを喫した。2004年はこの時の反省を生かしエースとしてフル回転し、後にプロでチームメイトとなる手嶌智・能見篤史・渡辺亮らと共に第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出された。

2004年11月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団。松坂世代で最後に自由獲得枠でプロ入りした選手となり、2007年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに多田野数人が指名されるまでは「松坂世代最後の大物」と呼ばれていた。

2005年4月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦にリリーフでプロ初登板。4月24日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初先発・初勝利・初完封を記録。5月4日にチームが45年ぶりの12連勝を記録した試合で勝利投手になり、5月19日まで7連勝を記録。しかし8月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦で連勝は止まり、1950年の荒巻淳、榎原好以来となる球団新人記録の8連勝はならなかった。9月17日の対西武ライオンズ戦で3度目の完封勝利となる10勝目を挙げ、前述の荒巻(26勝8敗)と榎原(16勝7敗)以来球団史上55年ぶり、右投手では球団初となる新人での2桁勝利を記録した。最終的に規定投球回到達はならなかったが、オフの11月4日には球団史上6人目、投手としてはチームが前回日本一になった1974年の三井雅晴以来となる新人王を獲得。同日に婚約を発表した。

2006年は清水直行、渡辺俊介らがWBCからの帰国直後で休養をとる必要があり、小林宏之が右太腿筋痛を訴え、小野晋吾は発熱するなどのチーム事情から、3月25日の対ソフトバンク戦で開幕投手を務めたが5失点で敗戦投手となった。同年は前半だけで6勝を挙げたが、セ・パ交流戦以降は防御率6点台で、8月以降は6連敗を喫するなど最終的には7勝にとどまった。シーズン防御率は4点台でリーグ2位の13敗を記録したが、プロ入り初めて規定投球回に到達した。

2007年の前半戦は勝利投手となっても防御率が悪い状態が続き、6月25日の対横浜ベイスターズ戦で左手甲に打球を受け左第5中手骨骨折で全治6週間と診断され6月29日に登録抹消された。8月7日に一軍復帰して以降は防御率3点台前半と好調を維持した。10月3日、10月5日には同年初の中継ぎ登板をしたが、これは10月8日から始まるクライマックスシリーズを見据えての調整登板だった。同年は9イニング平均で与四球が0.77個と少なかった。

2008年は開幕から大量失点を繰り返し、中継ぎへの配置転換や二軍降格も経験した。シーズン後半は巻き返しも見せたが、登板数33、自己ワーストの4勝、防御率4.95に終わり、投球回数も初めて100に届かなかった。

2009年3月4日、橋本健太郎との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。社会人時代の同僚でバッテリーを組んでいた岡﨑太一と再びチームメイトとなった。背番号は橋本が着けていた34をそのまま受け継いだ。3月5日に入団発表を行い、翌6日にチームに合流した。4月7日の対広島東洋カープ戦で移籍後初登板。チームは勝ったものの勝敗がつかず、その後も好投しながら勝ち星が付かなかったが、5月25日の対ロッテ戦で古巣相手に移籍後初勝利を挙げた。7月14日の対中日ドラゴンズ戦において史上7人目、最年少での全球団勝利を達成し、7月30日の対横浜戦では4年ぶりの完封勝利を記録するなどシーズンを通して先発ローテーションとして投げ、防御率3.75, 9勝8敗の成績を記録した。その一方でリーグ最多の16死球、同2位の9暴投を喫した。

2010年3月31日の対広島戦で先発としてシーズン初登板・初勝利を挙げた。故障や不調で手薄だった先発陣の中で唯一、先発ローテーションを最初から最後まで守りきり、打線の援護にも恵まれて勝利を重ねた。8月12日の対広島戦で10勝目を挙げて5年ぶりの2桁勝利を達成。8月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、自己新記録となる11勝目を挙げた。最終的には14勝してリーグ最高勝率となる勝率.737を記録し、自身初のシーズン200投球回に到達した。

2011年は契約更改が遅れたことにより、春季キャンプには当初は自費で参加し、そのキャンプ中に契約更改を行った。前年の実績もあり開幕投手候補にもなったが、開幕2カード目の対中日1戦目がこのシーズンの初登板となった。当初は先発投手陣の一角を担っていたが、シーズン中盤に左脇腹の故障で一時離脱したことが響き、成績は8勝止まりだった。

2012年も先発陣の一角となったが、5月20日の対楽天戦にて4回4失点で敗戦投手となったのを機に一軍登録を抹消、交流戦明けの7月14日の対ヤクルト戦で先発復帰し、勝敗はつかなかったものの7回を無失点に抑えたが、以降は打線の援護に恵まれない場面が続き、最終的に自身初の防御率2点台を記録しながらも自己ワーストタイの4勝、さらに移籍後初のシーズン負け越しとなった。なお、この年はシーズン終了間際に国内フリーエージェント (FA) 権を取得とNPBが一時発表したが、9月22日、NPBのミスによりFA資格を得るための日数が「7年23日」から「7年」と訂正。2012年の国内FA権取得は不可能となった。同日、甲子園で行われた対中日戦前、NPBの下田事務局長が久保に直接謝罪した。

2013年、前年まで抑えを務めてきた藤川球児のMLB移籍に伴い、久保が後任として抑えに転向、4月11日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初セーブを挙げた。3月・4月は11試合で2勝1敗、4セーブ2ホールド、防御率0.64の成績だったが、5月に入って8試合で防御率12点台と打ち込まれるようになった。敗戦投手になった久保はこの試合が6度目の救援失敗で、翌29日に登録を抹消された。太ももの故障も重なり、一軍復帰は8月5日にまでずれ込んだ。その間の抑えには福原忍がほぼ定着していたが、久保は7回 - 8回にかけてのセットアッパー起用に変更された。結局この年の先発登板はなかった。最終成績はプロ入り最多の44試合登板で3勝4敗6セーブ11ホールド・防御率2.85の成績を残した。オフの11月15日に国内FA権を行使することを表明した。

2013年12月2日に横浜DeNAベイスターズが、久保の獲得を発表した。背番号は、前身球団の大洋ホエールズで長らくエースの座にあった平松政次が着用していた27。

2014年には2年ぶりに先発に復帰し、一軍公式戦の開幕から先発ローテーションの一角を担った。5試合に登板した7月には、高い援護率(8.16)を背景に、4勝と防御率2.79を記録。月間MVPの候補に挙げられたが、受賞には至らなかった。8月終了時点での勝利数は11勝で、リーグの最多勝利を狙える位置にあった。9月には、一軍公式戦5試合に登板。月間投球回数40イニングで、防御率0.90、WHIP 0.85ながら、援護率が1.98にとどまった影響で、1勝を挙げただけにとどまった。結局、最多勝利のタイトルも逃したが、一軍公式戦全体では自身4年ぶりの2桁勝利(12勝)を記録した。

2015年には9年ぶりに開幕投手に抜擢されたが敗戦投手となった。7月13日の対巨人戦(横浜スタジアム)で一軍公式戦通算1000奪三振を記録したが、8月下旬に右肩の痛みを訴えて戦線を離れると、そのままシーズンを終えた。一軍公式戦全体では、21試合に登板。2年連続でチームトップの勝ち星(8勝)を挙げたが、セ・リーグの最終規定投球回には到達せず、防御率も4.12に達した。

2016年には同姓の久保裕也が入団したことを受けて、スコアボードの表記を久保康に変更。レギュラーシーズンでは、8月24日に古巣の阪神戦(横浜)で一軍公式戦通算1500投球回を達成する一方で、一軍と二軍を4回往復。一軍公式戦全体では、15試合の登板で、防御率3.55ながら5勝8敗と負け越した。8月25日には、レギュラーシーズン5回目の出場選手登録抹消。チームはレギュラーシーズン3位で史上初のクライマックスシリーズ進出を果たしたが、久保自身にはポストシーズンでの登板機会がなかった。

2017年には、久保裕也の退団(楽天への入団テスト経由で移籍)によって、スコアボードの表記が苗字だけ(久保)に戻った。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦の開幕に出遅れたものの、4月30日の対広島戦(横浜)でシーズン初登板・初先発・初勝利を挙げた。6月17日の対オリックス戦(横浜)から7月9日の対中日戦(ナゴヤドーム)まで先発で3連勝を記録したものの、実際にはローテーションの谷間の試合で先発を任されていただけに過ぎず、一軍公式戦の登板数は7試合にまで減少。チームは2年連続のクライマックスシリーズと1998年以来19年ぶりの日本シリーズ進出へ至ったものの、久保自身は8月8日の対ヤクルト戦(神宮)でシーズン2敗目を喫したことを最後に、一軍から遠ざかった。9月に翌年の契約をめぐって球団幹部と交渉。この際、翌年の戦力構想外であることが告げられ、他球団での現役続行を模索することで合意し、10月5日に自由契約扱いで退団することが発表され、12月2日付で、自由契約選手として公示された。

後年、この時には既に現役に強いこだわりがなかったことを明かしており、戦力構想外であることが告げられた瞬間、「ずっと今までプロ野球をやるために色んなことを我慢してきた。これでやっと自分の好きなことができる」という感謝の思いで、立ち上がって「ありがとうございます」と球団幹部と握手したという。もともと久保自身は、自分を必要としてもらえる間は自分から辞めることはしない方針であり、球団に呼ばれた際、「クビになるんじゃないか」という気持ちと「やっと新しいこと始められる」という気持ちが混ざり合っていた。当日、妻と話した際には「今がほんま楽しそう」と言われたという。

2018年4月20日、独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのゲーリー・サウスショア・レイルキャッツと契約した。5月17日の開幕を待たずして同月13日に自由契約となったが、これは選手枠調整のための一時的措置であり、後日改めて再契約された。7月13日にアトランティック・リーグのシュガーランド・スキーターズに移籍。

2019年2月25日、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのレオン・ブラボーズへ移籍。背番号は10。26試合に登板し、8勝14敗、防御率5.98の成績を残す。この年はオールスターに選ばれた上に154三振を奪い、リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。シーズン後は翌年も残留する見通しであったが、2020年1月9日、チームの投手陣の再編を進められ、トレードもまとまらず、退団する見通しであることが地元紙で報じられた。なお、球団に契約内容不履行や給与支払い遅延などの問題があったため、久保自身もレオンでのプレー続行は望んでいなかったという。

2020年も現役続行の意向で、所属先未定のまま日本で練習に励んでいたが、新型コロナウイルス流行の影響で練習を自粛せざるを得なくなった。台湾球界からオファーが届いたとされるが、久保はレオン以外のリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル球団でのプレー続行を希望していた。その後、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルは2020年シーズンの開催が中止され、この年は海外リーグへの所属を断念。無職の状態で、国内で家族とともに過ごしており、新型コロナウイルス流行が収まり次第、海外で野球を再開する予定としている。

2021年6月6日、セ・パ交流戦のDeNA対ロッテ戦の開始前に行われた特別企画「伝説のOB1打席対決」に登場。ロッテOBの里崎智也と1打席真剣勝負を行い、レフトフライに打ち取った。球速は最速140km/hを計測した。

2022年は関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の兵庫ブレイバーズで現役を続行。背番号は15に決まった。最後に野球チームに所属してから2年ほど経っており、「いきなり向こう(海外)でやるのは難しい」といった理由から、2021年後半に久保側から兵庫球団に“逆オファー”を行い入団が決まった。

2022年3月10日、堺シュライクスとのオープン戦に初登板したが、救援で1回を投げて与四球2、暴投1、2失点の内容だった。シーズン開幕後は4月15日の対堺戦(くら寿司スタジアム堺)で公式戦初登板。3対1の9回に登板し、与四球1、無安打無失点の投球でセーブを記録した。同年8月4日、同月11日に実施される北海道ベースボールリーグ・富良野ブルーリッジとの交流戦の後、そのまま現地にとどまって翌日から約2週間(8月23日まで)富良野にレンタル移籍することが発表された。このレンタル移籍は久保自身の提案により実施されたと報じられている。移籍前日の8月11日に富良野市民球場で会見を開き、「自分のできることは現場の選手にとっていい刺激になること。どんどん自分の経験などを富良野の選手のみなさんに伝えられたら」と抱負を話した。富良野では8月13日と21日の公式戦(いずれも相手はすながわリバーズ)にそれぞれ先発登板し、前者は3回を投げて自責点0、後者は5回を投げたが試合は敗戦という結果だった。富良野在籍中には、チームの開いた野球教室で、地元の中学生野球部選手への指導もおこなった。シーズン終了後の10月31日に、兵庫からの退団(自由契約)が発表された。

2022年12月24日、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルク・スティーラーズ(ドイツ語版)への入団が発表された。背番号は27。

2023年、レギュラーシーズンでは15試合に先発し、11勝4敗となった。週間最優秀選手賞を2回受賞したほか、勝利数、投球回(122)、奪三振(104)、防御率(1.62)で同シーズンの北地区最高成績を記録し、北地区最優秀投手賞を受賞した。

帰国後の11月からはかつて所属した兵庫の練習に合流した。2024年3月、同月12日の対堺シュライクスのオープン戦限定で兵庫にスポット参加することになり、3月10日に選手登録された。しかし登板が予定されていたオープン戦は、雨天によるコンディション不良予測により、前日に中止が決定した。登板がないまま3月16日に選手登録が抹消され、19日に再度ドイツ・ハンブルクへ発った。

6月9日、ケルン・カージナルス戦に先発登板し、7回コールドながら完全試合を達成した。

平均球速約142km/h、最速151km/hのストレートにスライダー、カット・ファスト・ボール、フォークボール、シュート、チェンジアップなどの多彩な球種を投げ分ける。コーナーを突く制球力に優れ、第一線を退いた後のドイツのリーグでもその制球力は健在である。 クイックモーションは通常は1.2秒台で及第点と言われているが、社会人時代には1秒を切って0.99秒を記録している。当時バッテリーを組んでいた岡﨑の二塁送球は1.8秒台(1.8 - 1.9秒台が「強肩」の基準)だったため、塁上の走者が盗塁を行うのは不可能に近かったという。ロッテで同僚だった渡辺俊介は自身の著書『アンダースロー論』の中で、「久保のクイックも速いけど、あれは全ての動作が速い。真似出来ません」と述べている。2013年シーズンに抑えで起用されることになったのも、このクイックモーションの速さが決め手の一つであった。

ロッテ在籍時の愛称は、松下電器(パナソニック)出身であることから「パナ」、および一般公募で決まった「ソニック」。

DeNA退団後は第一線ではプレーしない決断を下しており、「今、野球は趣味」「プロ野球から身を退いた時点で、野球はもう『仕事ではなくなった』という認識」「やりたい時に野球をやればいい、やりたくなければやらなかったらいい」と言い切っている。アメリカ独立リーグやリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルといった海外の球団でプレーを続けているが、世界遺産巡りなどをして様々な国の文化や慣習を知りたいからだという。日本とは常識感の違った環境が多い中でも順応している様を見せている。「投げられる限り、メキシコでも中南米でも台湾、ヨーロッパでもプレーしてみたい。とにかく知らない世界を見たいんで」と世界中を冒険しつつ野球を続けたいという意向を示している。2020年は新型コロナ禍で海外リーグに行けず、所属球団がない状態となったが、そうなってからは特に練習やトレーニングも行っておらず、「体力や技術が落ちても、そのレベルに合わせて野球ができる場所はいくらでもある。頑張ることは今まで散々やってきたので、もういいです」と語っている。2021年12月、兵庫ブレイバーズへの入団会見で、現役にこだわる理由を問われた際、「特に現役にこだわるというのはいままで考えたことないです」「未だに現役かどうかも自分自身よく分かっていない状態なんですよね」と回答している。

野球への執着は薄く、第一線を退いてから、テレビでプロ野球中継を見ることは少なく、古巣を応援することもないという。コーチの誘いなどもあったようだが、「教えることに興味はない」「球界の外で、今までとは違うことをやる方が楽しい」と応じなかった。ただ、2021年5月27日の阪神対ロッテ3回戦では、サンテレビボックス席で初めて解説(当日は「ゲスト解説」)を務めた。ドイツのリーグへ移籍した後は、日本での現役時代に抱いていた違和感から、価値観の押し付けが横行する日本プロ野球界を痛烈に批判している。

2022年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

最高勝率:1回(2010年) ※当時連盟表彰なし(セントラル・リーグでは、1972年までと2013年以降表彰)

新人王(2005年)

2005ゴールデン・ルーキー賞(2005年)

月間MVP:2回(投手部門:2005年6月、2010年6月)

オールスターゲーム・ベストピッチャー賞:1回(2010年第2戦)

サンスポMVP特別賞(2010年)

初登板:2005年4月2日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表二死に3番手で救援登板、1/3回無失点

初先発・初勝利・初完投勝利・初完封勝利:2005年4月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(フルキャストスタジアム宮城)

初奪三振:同上、2回裏に山﨑武司から空振り三振

初ホールド:2007年10月3日、対福岡ソフトバンクホークス24回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点

初セーブ:2013年4月11日、対読売ジャイアンツ3回戦(阪神甲子園球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点

初安打:2005年5月26日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、3回表に工藤公康から中前安打

初打点:同上、5回表に真田裕貴から中堅フェンス直撃2点適時二塁打

1000投球回:2012年8月1日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(阪神甲子園球場)、4回表一死目に畠山和洋を見逃し三振で達成 ※史上328人目

1000奪三振:2015年7月13日、対読売ジャイアンツ11回戦(横浜スタジアム)、3回表に長野久義から空振り三振 ※史上143人目

1500投球回:2016年8月24日、対阪神タイガース18回戦(横浜スタジアム)、1回表無死目に上本博紀を左飛で達成 ※史上174人目

開幕投手:2回(2006年、2015年)

オールスターゲーム出場:1回(2010年)

全球団勝利:2009年7月14日、対中日ドラゴンズ9回戦(阪神甲子園球場)※史上7人目(プロ5年目・28歳11か月・通算34勝目での達成はいずれも最速)

2022年度シーズン終了時

16(2005年 - 2008年)

34(2009年 - 2013年)

27(2014年 - 2017年、2023年

10(2019年)

15(2022年)

14(2022年) ※富良野での背番号

Everybody (BACKSTREET'S BACK) - BACKSTREET BOYS(2014年)

R.Y.U.S.E.I. - 三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE, MONSTER - BIGBANG, Dragon Night - SEKAI NO OWARI(2015年 - )

Sonatine I - 久石譲(2016年)

Heat Miser - Massive Attack(2017年)

^ 永谷脩「「遅れてきた松坂世代」久保康友は逆襲の立役者。~CSにかける阪神の原動力~」『Number Web』2009年9月25日。2023年4月20日閲覧。

^ 「阪神、来季の守護神は久保! - プロ野球ニュース」『日刊スポーツ』2012年12月11日。2023年4月20日閲覧。

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^ 「久保がFA宣言 安藤、福原は残留」『デイリースポーツ』2013年11月12日。2013年11月25日閲覧。

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^ 黒川裕生「「無収入でも今が一番楽しい」松坂世代切っての異才・元DeNA久保康友が語る野球と人生」『まいどなニュース』2020年10月12日。2020年11月17日閲覧。

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^ 「出た!久保康友氏140キロ 里崎智也氏と伝説のOB対決」『Sponichi Annex』2021年6月6日。2021年6月6日閲覧。

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^ 「異例の「逆オファー」久保康友 2年無所属41歳無給…兵庫で夢の続き追う」『日刊スポーツ』2021年12月2日。2021年12月3日閲覧。

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^ 「「松坂世代」久保康友が独立リーグ初登板でセーブ ロッテ、阪神、DeNAでNPB通算97勝」『日刊スポーツ』2022年4月16日。2022年5月7日閲覧。

^ 「兵庫Bs vs 堺Sh 試合経過-さわかみ関西独立リーグ2022年公式戦」『一球速報.com』OmyuTech。2022年5月7日閲覧。

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^ 「元阪神の久保康友 富良野にレンタル移籍 23日まで」『北海道新聞』2022年8月4日。2022年8月4日閲覧。

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^ 富良野ブルーリッジ [@furanoridge] (2022年8月20日). "連勝に向けて8/21(日)の先発投手は背番号14 #久保康友". X(旧Twitter)より2022年8月24日閲覧。

^ 富良野ブルーリッジ [@furanoridge] (2022年8月22日). "8/21の昨日の試合は". X(旧Twitter)より2022年8月24日閲覧。

^ 「中富良野中野球部員に投打の技術伝授 元阪神・久保投手ら教室」『北海道新聞』2022年8月18日。2022年8月24日閲覧。

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^ 兵庫ブレイバーズ [@hbs_202112] (2024年3月10日). "【重大発表】". X(旧Twitter)より2024年3月10日閲覧。

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^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。

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^ 小関順二『野球力‐ストップウォッチで判る「伸びる人材」』p.15

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^ 「ロッテ、阪神、DeNAで13年間活躍・久保康友 プロ野球選手を肩書に持つ冒険家になっていた」『東スポWeb』2019年9月27日。2020年1月11日閲覧。

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^ 「【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2016年11月23日。2017年9月8日閲覧。

奈良県出身の人物一覧

千葉ロッテマリーンズの選手一覧

阪神タイガースの選手一覧

横浜DeNAベイスターズの選手一覧

兵庫ブレイバーズの選手一覧

松坂世代

個人年度別成績 久保康友 - NPB.jp 日本野球機構

選手の通算成績と情報 MLB、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

Yasutomo Kubo stats - MiLB.com (英語)

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 荒巻淳

1951 蔭山和夫

1952 中西太

1953 豊田泰光

1954 宅和本司

1955 榎本喜八

1956 稲尾和久

1957 木村保

1958 杉浦忠

1959 張本勲

1961 徳久利明

1962 尾崎行雄

1965 池永正明

1967 高橋善正

1969 有藤通世

1970 佐藤道郎

1971 皆川康夫

1972 加藤初

1973 新美敏

1974 三井雅晴

1975 山口高志

1976 藤田学

1977 佐藤義則

1978 村上之宏

1979 松沼博久

1980 木田勇

1981 石毛宏典

1982 大石大二郎

1983 二村忠美

1984 藤田浩雅

1985 熊野輝光

1986 清原和博

1987 阿波野秀幸

1988 森山良二

1989 酒井勉

1990 野茂英雄

1991 長谷川滋利

1992 高村祐

1993 杉山賢人

1994 渡辺秀一

1995 平井正史

1996 金子誠

1997 小坂誠

1998 小関竜也

1999 松坂大輔

2001 大久保勝信

2002 正田樹

2003 和田毅

2004 三瀬幸司

2005 久保康友

2006 八木智哉

2007 田中将大

2008 小松聖

2009 攝津正

2010 榊原諒

2011 牧田和久

2012 益田直也

2013 則本昂大

2014 石川歩

2015 有原航平

2016 高梨裕稔

2017 源田壮亮

2018 田中和基

2019 高橋礼

2020 平良海馬

2021 宮城大弥

2022 水上由伸

2023 山下舜平大

1950 榎原好

1951 星野武男

1952 野村武史

1953 野村武史

1954 清水宏員

1955 荒巻淳

1956 荒巻淳

1957 植村義信

1958 荒巻淳

1959 荒巻淳

1960 小野正一

1961 小野正一

1962 坂井勝二

1963 小野正一

1964 堀本律雄

1965 小山正明

1966 妻島芳郎

1967 小山正明

1968 坂井勝二

1969 坂井勝二

1970 木樽正明

1971 木樽正明

1972 成田文男

1973 木樽正明

1974 成田文男

1975 村田兆治

1976 村田兆治

1977 村田兆治

1978 村田兆治

1979 村田兆治

1980 村田兆治

1981 村田兆治

1982 村田兆治

1983 水谷則博

1984 水谷則博

1985 深沢恵雄

1986 村田兆治

1987 村田兆治

1988 村田兆治

1989 村田兆治

1990 村田兆治

1991 小宮山悟

1992 小宮山悟

1993 小宮山悟

1994 小宮山悟

1995 伊良部秀輝

1996 園川一美

1997 小宮山悟

1998 小宮山悟

1999 黒木知宏

2000 黒木知宏

2001 黒木知宏

2002 N.ミンチー

2003 N.ミンチー

2004 清水直行

2005 清水直行

2006 久保康友

2007 清水直行

2008 小林宏之

2009 清水直行

2010 成瀬善久

2011 成瀬善久

2012 成瀬善久

2013 成瀬善久

2014 成瀬善久

2015 涌井秀章

2016 涌井秀章

2017 涌井秀章

2018 涌井秀章

2019 石川歩

2020 石川歩

2021 二木康太

2022 石川歩

2023 小島和哉

2024 小島和哉

1950 今西錬太郎

1951 高野裕良

1952 高野裕良

1953 江田貢一

1954 権藤正利

1955 権藤正利

1956 江田孝

1957 大石正彦

1958 大石正彦

1959 鈴木隆

1960 幸田優

1961 秋山登

1962 島田源太郎

1963 稲川誠

1964 稲川誠

1965 稲川誠

1966 秋山登

1967 森中千香良

1968 森中千香良

1969 平岡一郎

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 山下律夫

1973 平松政次

1974 平松政次

1975 平松政次

1976 平松政次

1977 渡辺秀武

1978 平松政次

1979 平松政次

1980 平松政次

1981 斉藤明雄

1982 斉藤明夫

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 遠藤一彦

1986 遠藤一彦

1987 遠藤一彦

1988 欠端光則

1989 斉藤明夫

1990 中山裕章

1991 中山裕章

1992 野村弘樹

1993 有働克也

1994 有働克也

1995 野村弘樹

1996 盛田幸希

1997 盛田幸希

1998 川村丈夫

1999 三浦大輔

2000 川村丈夫

2001 小宮山悟

2002 三浦大輔

2003 吉見祐治

2004 三浦大輔

2005 三浦大輔

2006 三浦大輔

2007 三浦大輔

2008 寺原隼人

2009 三浦大輔

2010 S.ランドルフ

2011 山本省吾

2012 高崎健太郎

2013 藤井秀悟

2014 三嶋一輝

2015 久保康友

2016 井納翔一

2017 石田健大

2018 石田健大

2019 今永昇太

2020 今永昇太

2021 濵口遥大

2022 東克樹

2023 石田健大

2024 東克樹

自由獲得枠:久保康友

自由獲得枠:手嶌智

4巡目:竹原直隆

5巡目:大松尚逸

6巡目:木興拓哉

7巡目:青松敬鎔

中村順司

1 松坂大輔

2 寺本四郎

3 久保康友

4 上重聡

5 杉内俊哉

6 村田修一

7 新垣渚

8 小山良男

9 西本雅成

10 實松一成

11 田中勇吾

12 赤田将吾

13 古畑和彦

14 東出輝裕

15 吉本亮

16 藤本敏也

17 田中一徳

18 大島裕行

30 萩野友康

31 西正文

32 小島啓民

11 久保康友

14 能見篤史

15 渡辺亮

16 坂本保

17 手嶌智

18 野間口貴彦

19 磯村秀人

22 坂田精二郎

24 河田寿司

27 松下和行

1 四之宮洋介

2 高橋史明

3 岩本裕治

5 草野大輔

6 岩本達也

7 高橋賢司

8 清水昭秀

9 松田直樹

10 平石洋介

21 金子洋平

23 今村直樹

26 石井康雄

29 吉浦貴志

日本の野球選手

関西大学第一高等学校出身の野球選手

パナソニック野球部及びその前身チームの選手

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

阪神タイガース及びその前身球団の選手

横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手

アトランティックリーグ選手

レオン・ブラボーズの選手

兵庫ブレイバーズ及びその前身球団の選手

富良野ブルーリッジ

北海道ベースボールリーグの選手

パシフィック・リーグ最優秀新人 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

最高勝率 (野球)

在アメリカ合衆国日本人の野球選手

在メキシコ外国人の野球選手

在メキシコ日本人

奈良県出身のスポーツ選手

1980年生

存命人物

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2024/11/21 18:09更新

kubo yasutomo


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久保 竜彦(くぼ たつひこ、1976年6月18日 - )は、福岡県朝倉郡筑前町出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。元日本代表。 高い跳躍力とスピードを持…


大久保 嘉人(おおくぼ よしと)
1982年6月9日生まれの有名人 福岡出身

大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 - )は、福岡県京都郡苅田町出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。現在はタレントとして活動して…

久保 晴生(くぼ はるお)
1936年7月18日生まれの有名人 香川出身

久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー、日テレ学院スーパーバイザー。旧・満洲奉天市出身。 1960年に早稲田大学を卒業と同時に日本テレビのアナウン…

大久保 三代(おおくぼ みよ)
1976年7月27日生まれの有名人 鹿児島出身

大久保 三代(おおくぼ みよ、現姓:加納、1976年(昭和51年)7月27日 - )は、日本の元政治家。衆議院議員を1期務めた。 社会福祉士・精神保健福祉士・保育士の資格を持つ。厚生労働省老人保健健…

久保田 直子(くぼた なおこ )
1981年9月28日生まれの有名人 東京出身

久保田 直子(くぼた なおこ、1981年9月28日 - )は、テレビ朝日アナウンサー。 東京都町田市出身。鷗友学園女子中学校・高等学校、立教大学社会学部卒業。 小学生時代に転校を経験。5年生で中学…

久保井 朝美(くぼい あさみ)
1988年9月20日生まれの有名人 愛知出身

久保井 朝美(くぼい あさみ、1988年9月20日 - )は、ウェザーマップ所属の気象予報士、防災士。 愛知県名古屋市で生まれ、岡崎市で育つ。 愛知県立岡崎高等学校を経て、慶應義塾大学文学部卒業。…


久保 ユリカ(くぼ ゆりか)
1989年5月19日生まれの有名人 奈良出身

久保 ユリカ(くぼ ユリカ、本名:久保 由利香〈くぼ ゆりか〉、1989年〈平成元年〉5月19日 - )は、日本の声優、歌手、タレント、モデル。奈良県出身。ステイラックに所属。所属レコードレーベルはポ…

久保 純子(くぼ じゅんこ)
1972年1月24日生まれの有名人 東京出身

久保 純子(くぼ じゅんこ、1972年1月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。元NHKアナウンサー。本名は清重 純子(きよしげ じゅんこ)旧姓は久保。愛称は「クボジュン」、「…

久保 恵子(くぼ けいこ)
1972年3月19日生まれの有名人 神奈川出身

久保 恵子(くぼ けいこ、本名:北 恵子、旧姓:久保、1972年3月19日 - )は、日本のタレント・女優・薬剤師である。圭三プロダクション所属。 神奈川県横浜市出身。身長159cm、スリーサイズB…

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