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梶谷隆幸の情報 (かじたにたかゆき)
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【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

梶谷隆幸の情報(かじたにたかゆき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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梶谷 隆幸さんについて調べます

■名前・氏名
梶谷 隆幸
(読み:かじたに たかゆき)
■職業
野球選手
■梶谷隆幸の誕生日・生年月日
1988年8月28日 (年齢36歳)
辰年(たつ年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
島根出身

(昭和63年)1988年生まれの人の年齢早見表

梶谷隆幸と同じ1988年生まれの有名人・芸能人

梶谷隆幸と同じ8月28日生まれの有名人・芸能人

梶谷隆幸と同じ出身地島根県生まれの有名人・芸能人


梶谷隆幸と関係のある人

渡辺直人: シーズンに入ると、石川が事実上の二塁手コンバートとなり、遊撃手にはオープン戦で絶好調だった梶谷隆幸が入ったため、開幕からしばらくは控え続きとなる。


三浦大輔: 2021年は梶谷隆幸、井納翔一が読売ジャイアンツへFA移籍した上、新型コロナウイルス感染対策の入国制限により、ネフタリ・ソト、タイラー・オースティン、エドウィン・エスコバーら外国人選手の合流が間に合わないまま開幕を迎えた。


筒香嘉智: しかし、8月13日の中日戦(ナゴヤドーム)の1回裏、中日の大島洋平の左中間に放った打球を追って中堅手の梶谷隆幸と交錯、グラブが顔面に当たった上、地面に頭から落下。


多村仁志: 2014年に梶谷隆幸と筒香嘉智が外野にコンバートされ、この2人がスタメンでほぼ固定され、残りの外野1枠を荒波翔や金城龍彦などと日替わりオーダーで出場するか、右の代打要員となり、73試合の出場。


近藤健介: 2010年のイースタン・リーグ盗塁王だった梶谷隆幸の盗塁を阻止したことで、首脳陣に注目された。


関根大気: 第3戦では、梶谷隆幸が1回表の打席で左手首に死球を受けたため、梶谷の代走からその裏の守備に就くと、同点の2回表一死一・二塁で迎えた打席で一時は勝ち越しとなる犠飛を放った。


桑原将志: 2021年は、梶谷隆幸がFAで巨人に移籍したことで再び中堅手のレギュラーとして定着、4年ぶりに規定打席に到達し、一時は首位打者に立つなど好調をキープ。


原辰徳: オフの12月14日にはDeNAからFA宣言していた井納翔一、梶谷隆幸を獲得し、原同席のもと入団会見を行った。


白崎浩之: シーズン後半の公式戦では、山崎憲晴や梶谷隆幸で遊撃手のレギュラーを争うようになった影響で、三塁手に起用される機会も多かった。


井納翔一: 2020年12月14日、井納と同じくDeNAからFA宣言をしていた梶谷隆幸とともに巨人と契約したことが発表された。


下園辰哉: 2014年のシーズン前半戦は梶谷隆幸と筒香嘉智の外野手転向などにより出場機会を減らし、夏場は二軍暮らしが続いた。


工藤えみ: 2018年12月にプロ野球選手の梶谷隆幸と結婚。


高森勇気: また、同期の梶谷隆幸と仲が良く、戦力外通告の際には「俺の分も頑張ってくれ」とのメッセージを伝えている。


高梨雄平: 7月、8月、9月と月別防御率0点台を記録する好投を見せていたが、10月18日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で梶谷隆幸に満塁本塁打を打たれるなどシーズン終盤の10月には月間防御率4点台と調子を落とした。


中畑清: 監督在任中は4年連続Bクラス、通算負け越し80と成績としては振るわなかったものの、筒香嘉智や梶谷隆幸、山﨑康晃といった若手を積極的に起用しチームの主力選手へ育てるなど、いわゆる「暗黒時代」から抜け出すDeNAの礎を作った。


内海哲也: 後を受けたスコット・マシソンが梶谷隆幸に同点適時打を打たれ、勝利投手になれなかった。


白根尚貴: 高校の先輩である梶谷隆幸とチームメイトになったことから、梶谷とクリーンアップを組めるほどの活躍を目標に挙げた。


井手正太郎: 5月14日の中日ドラゴンズ戦では、梶谷隆幸に代わって3番に起用され、5回裏の打席で1号ソロ本塁打を放った。


中畑清: しかし、二塁手の梶谷隆幸はベースカバーに入らず一塁方向へ走っていたため、石川は慌てて一塁への送球に切り替えたが、内野安打になったばかりか、2人の走者の本塁生還を許した。


荒波翔: 「7番・中堅手」として開幕戦のスタメンに抜擢されると、1番打者を任されていた梶谷隆幸の不振を受けて、4月後半から1番打者に抜擢された。


笠井崇正: しかし、3月27日の読売ジャイアンツとの開幕2戦目で、DeNAから移籍した梶谷隆幸から移籍後初安打となる満塁本塁打を打たれるなど1回6失点の大炎上を喫し、この1試合の登板のみで4月8日に登録を抹消された。


田中俊太: 2020年12月18日、梶谷隆幸がFA権を行使して読売ジャイアンツに移籍したことに伴い、人的補償として横浜DeNAベイスターズに移籍することが両球団より発表された。


三嶋一輝: シーズン終了後の11月には、チームメイトの梶谷隆幸・井納翔一とともに、台湾で催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に日本代表として出場。


渡邊雄貴: 現役時代に自主トレを共にした先輩の梶谷隆幸とは親交深い。


神里和毅: オープン戦で好調だったことや、前年までの正右翼手・梶谷隆幸が出遅れていたことなどを背景に、公式戦の開幕を一軍でスタート。


アレックス=ラミレス: 2016年シーズンの山﨑康晃、梶谷隆幸、ホセ・ロペスなど主力と位置付けているが不調に苦しむ選手は、復調を信じて辛抱強く起用し続けて「スランプは誰しもがある。


松原聖弥: しかし、オープン戦で一軍帯同後、新外国人ルイス・ブリンソンや現役ドラフトで加入のオコエ瑠偉の台頭、梶谷隆幸の支配下復帰により、オープン戦終了後に二軍に降格した。


梶谷隆幸の情報まとめ

もしもしロボ

梶谷 隆幸(かじたに たかゆき)さんの誕生日は1988年8月28日です。島根出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

兄弟、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。梶谷隆幸の現在の年齢は36歳のようです。

梶谷隆幸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

梶谷 隆幸(かじたに たかゆき、1988年8月28日 - )は、島根県松江市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。

松江市立持田小学校4年生の時に「持田ボンバーズ」で軟式野球を始める。松江市立第二中学校野球部を経てクラブチームの乃木ライオンズシニアに所属。開星高等学校への進学後は、3年夏の第88回全国高校野球選手権大会に「1番・遊撃手」として日大山形高校との初戦に臨んだが、2-6で敗れた。

2006年9月25日に行われた高校生ドラフト会議では、横浜ベイスターズから3巡目で指名を受け、契約金4500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で、内野手として入団。背番号は63。

2007年は、一軍公式戦の出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、52試合の出場で打率.136に終わった。

2008年は、イースタン・リーグ公式戦で、遊撃手のレギュラーに定着。84試合の出場で、打率.250、19打点、14盗塁という成績を残したが、2年続けて一軍への昇格を見送られた。

2009年は、4月9日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で、二塁の守備要員として出場したことを皮切りに、一軍公式戦22試合に出場。4月26日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に「2番・二塁手」として一軍公式戦初スタメンを経験すると、初盗塁も記録した。4月30日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では、久保康友から初本塁打を記録した。

2010年は、一軍公式戦での出場はわずか5試合(4打数0安打)にとどまったが、イースタン・リーグ公式戦では、湘南シーレックス史上最多のシーズン33盗塁を達成。同リーグの盗塁王も獲得した。

2011年は、故障などの影響で一軍公式戦への出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、盗塁数を大幅に減らすなど成績を落とした。シーズン終了後には、金本知憲・野村謙二郎や新井貴浩・良太兄弟も通う広島市内のトレーニングジム「アスリート」で、肉体改造に勤しんだ(詳細後述)。

2012年は、この年から一軍監督に就任した中畑清が「機動力野球」という方針を掲げたことを受けて、オープン戦で17試合に出場。打率.347(セ・パ12球団の規定打席到達者中6位)、12球団トップの13盗塁という好成績を残したため、3月30日には阪神との開幕戦(京セラドーム大阪)に「1番・遊撃手」としてスタメンに起用された。開幕後もスタメンでの起用が続いたが、二軍降格を経験するなど、深刻な打撃不振に陥った。結局、一軍公式戦では、80試合の出場で打率.179と低迷。そのため、秋のみやざきフェニックス・リーグでは、中畑から直々に指導を受けた。

2013年は、レギュラー二塁手・内村賢介のバックアップ要員として迎えた前半戦に、守備・走塁でボーンヘッドを連発したため、一時は二軍調整を余儀なくされた(詳細後述)。再昇格後に復調したものの、7月11日の対広島東洋カープ戦(横浜)で、二塁へのスライティング中に右足首を痛めて戦線離脱。しかし、戦線に復帰した8月には、81打数33安打、打率.407、8本塁打、22打点という好成績で打線を支えた。終盤には成績を若干落としたが、シーズン全体では、一軍公式戦77試合に出場。規定打席には届かなかったものの、打率.346、7盗塁、チーム2位の16本塁打を記録した。シーズン終了後の11月には、台湾で催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に、日本代表の一員として全3試合にスタメンで起用。7打数3安打2打点という成績を残した。

2014年は、この年から外野手に転向すると共に、背番号を3に変更。開幕から主に、「3番・右翼手」として起用された。5月下旬から調子を落とすと、6月には、月間打率.151、8安打と低迷したが、7月には、打率.368を記録するなど復調した。ユリエスキ・グリエルが5月下旬に入団すると、シーズン後半には1番打者を任せられる試合が増えた。さらに、荒波翔の故障離脱や金城龍彦の不振により、中堅手としての起用も増加し、シーズン通算では一軍公式戦142試合に出場するとともに、39盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。自身初めての規定打席到達も果たしたが、打率(.263)が前年を下回ったほか、リーグワースト3位の135三振を喫した。しかし、守備では両リーグ2位のUZR11.2、補殺も8という成績を記録した。

2015年は、主に「3番・右翼手」としてレギュラーに定着するとともに、チームの前半戦首位ターンに貢献。前半戦終了後のオールスターゲームには、自身およびチームの好調を背景に、セントラル・リーグ外野手部門のファン投票3位で初出場を果たすと、2戦連続で先発出場し、2戦合計で4安打3打点を記録した。2打席連続で適時打を放った第2戦では敢闘選手賞を受賞した。一軍公式戦全体では134試合に出場し、打率.275、3年連続の2桁本塁打(13本塁打)、リーグ2位の28盗塁、リーグトップの得点圏打率.352を記録した。守備でもUZRで両リーグ2位の7.6、補殺8という好成績を収めた。シーズン終了後には、推定年俸8300万円(3700万円増)で契約を更改している。11月に開催の第1回WBSCプレミア12では、なお、シーズン中の7月16日に第1回WBSCプレミア12日本代表の第1次候補へ入ったことが発表されたが、シーズン後に開かれた大会では登録されなかった。

2016年は、中畑に代わり一軍監督へ就任したアレックス・ラミレスが、「2番・中堅手」として起用することを明言。2月の春季キャンプ中には、3月開催の「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」に向けて、日本代表に再び選出された。しかし、一軍キャンプ中盤の守備練習でフェンスへ激突。その影響で故障(球団の発表では「左脇腹の筋肉炎」)したため、キャンプを離脱したうえで、前述の日本代表を辞退した。実際には肋骨・筋肉の損傷や骨挫傷を伴う重傷で、3月中旬の調整中に患部を再び痛めたことから、一軍への再合流は5月4日の対ヤクルト戦(横浜)まで持ち越された。梶谷自身は、4番と8番以外の全打順を経験したほか、シーズン中盤以降は前年に続いて右翼手に起用された。その結果、自己最多の18本塁打を記録するなどの活躍で、チームを史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出へ導いた。CSでは、巨人とのファーストステージ第1戦(10月8日)で、3回表にマイルズ・マイコラスからCS初となる本塁打と打点を記録した。ファーストステージ第3戦で内海哲也から死球を受けて左手薬指を骨折したが、チームは広島とのファイナルステージへ進出。全5試合に出場しながら骨折をものともしないプレーで奮闘したが、チームは1勝4敗で日本シリーズへの進出を逃した。特に10月15日の第3戦では、5回表の打席で勝ち越しの適時打を放つと、3点リードの8回裏二死満塁で迎えたピンチでは新井貴浩の飛球を右翼ファウルゾーンでダイビングキャッチ。攻守にわたる活躍によって、チームにステージ唯一の勝利をもたらした。出場時には痛み止めを服用し、添え木で薬指と小指を固定しながら打席に立ち、愛用していたグラブの小指付近を切って穴を開けて指に負担がかからないようにするなど満身創痍であった。

2017年は、チームの優勝と25本塁打・40盗塁の達成を目標に春季キャンプへ臨んだ。持病のぎっくり腰がオープン戦の期間中に再発したものの一軍公式戦の開幕から「2番・右翼手」としてスタメンに起用された。しかし、「梶谷を下位の打順で自由に打たせたい」というラミレスの意向も背景に、7月2日の対巨人戦(東京ドーム)以降は、捕手の起用状況に応じて6番打者や7番打者で起用されることもあった。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦137試合の出場で、リーグ最多の157三振を記録。最終打率も.243にとどまったが、21本塁打・21盗塁で、チームの2年連続CS進出に貢献した。DeNAの選手が一軍公式戦で同じシーズンに20本塁打と20盗塁を達成した事例は、大洋ホエールズ時代の桑田武(1959年・1961年)および、横浜大洋ホエールズ時代の長崎慶一(1978年)に次いで4例目である。ポストシーズンでは、阪神とのCSファーストステージ(甲子園)3試合で打率が.538(13打数7安打)にまで達すると、チームが19年ぶりの日本シリーズ進出を決めた広島とのファイナルステージ第5戦(10月24日・マツダ)8回表に2点本塁打を記録。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、「2番・右翼手」として出場した10月29日の第2戦(福岡ヤフオク!ドーム)6回表に、東浜巨からソロ本塁打を放った。DeNAの選手による日本シリーズでの本塁打は、埼玉西武ライオンズと対戦した横浜ベイスターズ時代の1998年第5戦(西武球場)9回表にロバート・ローズが放って以来であった。日本シリーズ第6戦では延長11回裏に、二死一・二塁から川島慶三が放ったゴロを前進守備で処理した後に本塁へ悪送球。このプレーがソフトバンクのサヨナラ勝利につながったため、チームは2勝4敗で19年ぶりのシリーズ制覇を逸した。それでも、12月6日の契約交渉では、推定年俸1億2800万円(前年から3500万円増)で契約を更改した。

2018年は、右肩の状態が思わしくなかったことから、キャンプを二軍で過ごした。オープン戦から一軍へ合流したものの、終盤に右の背筋を痛めたことや、神里が好調だったことから公式戦の開幕も二軍でスタート。4月26日の対広島戦(横浜)から一軍に復帰したが、当初は右翼手として神里と併用されていた。この年に入団したネフタリ・ソトを「2番・右翼手」としてスタメンに固定する方針を首脳陣が打ち出したことを機に、5月中旬から「1番・中堅手」として再スタート。ソトとの1・2番コンビで3割近い打率(.290)と6本塁打を記録したが、腰痛を発症したため、6月7日付で出場選手登録を抹消された。7月16日から一軍へ復帰したが、8月1日の対巨人戦(横浜)2回裏の打席で吉川光夫から死球を受けた際に右手の尺骨を骨折。翌8月2日に登録を再び抹消されると、8月20日に右肩のクリーニング手術を受けたため、手術後は実戦へ復帰せずリハビリへ専念した。一軍公式戦への出場はわずか41試合で、打率.268、8本塁打、18打点、5盗塁。5年ぶりにセ・リーグの最終規定打席を下回ったほか、本塁打も6年ぶりに1桁にとどまった。シーズン終了後の契約交渉では、1億円プレーヤーになった前年から3200万円減の年俸(推定9600万円)で契約を更改した。

2019年は、前年に右肩の手術を受けたことを踏まえて、春季キャンプでは二軍で調整。キャンプ終盤の2月25日に組まれた中日との練習試合で、指名打者ながら、前年8月1日の対巨人戦(前述)以来の実戦復帰を果たした。レギュラーシーズンでは、一軍の開幕戦に「1番・中堅手」としてスタメンに起用されながら、序盤戦で1安打しか放てず、打率.038を記録するほど打撃が低迷。5月上旬からは、二軍での調整を余儀なくされた。調整中にイースタン・リーグの公式戦で13本塁打を放つなど復調したことから、8月23日に一軍へ復帰すると、同日の対巨人戦(東京ドーム)に「1番・右翼手」としてスタメンで出場。9月19日の対広島戦(横浜)では、4点ビハインドの6回裏一死満塁で代打に起用されたところ、一軍公式戦通算100号本塁打を九里亜蓮からマーク。このような夏場以降の活躍でチームの2年ぶりCS進出を後押ししたものの、球団からの評価は厳しく、シーズン終了後の12月4日には前年から2200万円減の推定年俸7400万円で契約を更改した。

2020年は、2年連続で一軍公式戦の開幕スタメンに「1番・中堅手」として名を連ねたことを皮切りに、シーズンを通して高い打率をキープ。8月中旬に左かかとの打撲で一時欠場したものの、開幕から2か月余りの間に、一軍公式戦としては自身3年ぶりのシーズン2桁本塁打を達成した。NPBの規定によって、8月21日付で国内FA権を初めて取得。一軍公式戦27試合に出場した9月には、7試合で猛打賞を達成したほか、通算で42安打を放って球団の月間最多安打記録を樹立した。10月18日の対巨人戦(横浜)では、7回裏の打席で満塁本塁打(詳細後述)、続く8回裏の打席で2点本塁打を放って最大6点差からの逆転勝利に貢献するとともに、一軍公式戦としては自身7年ぶりの1試合6打点を記録している。さらに、シーズン終盤は佐野との間で首位打者争いを展開。結局は4番打者の佐野に軍配が上がったものの、リーグ2位の打率.323、19本塁打、53打点というキャリアハイの成績を残した。

2020年シーズン終了後の11月27日に、国内FA権を行使することを表明。12月5日付で、フリーエージェント宣言選手としてNPBから公示された。DeNA球団は宣言したうえでの残留を認めているが、梶谷が他球団の評価を聞く意向を示したことから、巨人が獲得の意向を表明。梶谷も公示の2日後(12月7日)から巨人との交渉に臨んだ。

2020年12月14日、梶谷と同じくDeNAからFA宣言をしていた井納翔一とともに入団記者会見が開かれ、4年契約で推定総額8億円、背番号は13となった。DeNA時代にはトレードマークともなっていたヒゲを剃って会見に臨んだ。

移籍に伴い、人的補償としてDeNAに田中俊太が移籍した。

2021年は、3月27日の対DeNA戦(東京ドーム)では7回二死満塁の打席で笠井崇正から移籍後初安打・初本塁打となる満塁本塁打を放った。5月23日の中日ドラゴンズ戦の守備中に左太ももを負傷し途中交代、5月23日に登録抹消。6月22日のDeNA戦で一軍復帰を果たした。7月10日の阪神戦で死球を受け途中交代、右第3中手骨骨幹部骨折と診断された。復帰を目指していた9月7日に腰痛を発症し、10月27日に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けた。移籍1年目は故障が続き、61試合出場、打率.282、4本塁打、23打点にとどまった。4年契約の1年目を終え、オフに現状維持の2億円で契約を更改した。

2022年、前年の手術の影響で、春季キャンプは新設された「立ち上げ班」からのスタートとなり、別メニュー調整となった。3月中の実戦復帰を目指し順調な調整をつづけていたが、その3月に入ると左膝の不調を訴え、5月12日に左膝内側半月板の縫合手術を受けたため、同年中の復帰は絶望的となった。 10月23日に自由契約公示され、12月14日に育成契約への切り替えと背番号の005への変更が発表された。これにより球界では初の年俸1億円を越える育成選手となった。

2023年は、3月24日に支配下復帰。背番号は育成契約以前同様13となった。開幕2戦目となった4月1日の中日戦では「1番・左翼手」で2021年7月10日の阪神戦以来630日ぶりの先発出場を果たし、2安打を打ち、2021年7月8日の中日戦以来632日ぶりとなる安打となった。4月17日に一軍登録を抹消されるも、5月5日に一軍復帰した。6月は、2日の対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)では5回一死無走者の打席で鈴木健矢から2021年4月27日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)以来766日ぶりとなる本塁打、15日の対西武戦(東京ドーム)では2-2の同点で迎えた延長10回一死一・二塁の打席で平井克典から移籍後初のサヨナラ打となるサヨナラ二塁打を放ったが、21日に再び出場選手登録を抹消。7月2日に一軍に再昇格すると、通算1000試合出場を迎えた同月5日の対中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で延長12回一死二・三塁の打席で祖父江大輔から決勝2点適時打を放った。8月は月間打率.338の成績を残すが、29日に発熱のため、特例2023で出場選手登録を抹消される(9月1日に復帰)。

2024年は、開幕戦である3月29日の対阪神タイガース戦に「3番・右翼手」で先発出場。3回の表に森下翔太の打球をダイビングキャッチで捕球し、即座に送球してダブルプレーを成立させ、5回の裏には自身と相性の良い青柳晃洋からチーム1号となる2点本塁打を放つなど、チームの好発進に大きな貢献を果たした。しかし、4月3日にはコンディション不良で登録抹消。1か月後の5月3日に再び一軍登録されたが、4日後の5月7日に、古傷である左膝の不調により登録抹消された。この年、チームは4年ぶりのリーグ優勝を果たし、自身初のリーグ優勝を経験した。オフの10月22日に引退を発表した。引退会見では「18年本当に幸せだったなというのが強くて、なかなかこれだけ長くやれる方も少ない中で、厳しい世界の中で、自分はこうやって自分なりにやってきて18年間できたことは誇りに思っていますし、本当に満足というか、やりきったという気持ちですね」と晴れやかな表情で語り、巨人に来た理由に同学年の坂本勇人と一緒に野球をやりたいという思いも理由の一つだったと明かし、梶谷は「(坂本)彼と一緒にプレーできたことは本当に楽しかったしうれしかったですね」と話した。また、引退会見にサプライズで、坂本勇人、長野久義、オコエ瑠偉、菅野智之、小林誠司、重信慎之介、立岡宗一郎、門脇誠、大城卓三、浅野翔吾が登場し、梶谷はたくさんの花束を手に笑顔を見せ、引退会見を終えた。

レギュラー外野陣の一角に定着した2014年から2017年までに、4シーズン続けて一軍公式戦で10本塁打・20盗塁を達成するなど、走塁・攻撃・守備のバランスに優れる。高い身体能力の持ち主で、横浜への入団記者会見(2006年12月11日)ではY字バランスを披露した。

2011年のオフシーズンには、「アスリート」でのトレーニングによって、体重を74kgから80kg、除脂肪体重を67.4kgから73.6kg、体脂肪率を9.0%から8.0%にそれぞれ増減させた。「アスリート」の平岡洋二代表は、梶谷について「150人に迫るプロ野球選手の指導歴の中でもトップクラスの肉体。3割・30本塁打・30盗塁のトリプルスリーさえ達成可能な、無限の可能性を秘めた肉体である」と語っている。特に、筋力がその身体能力の裏付けとなっており、スクワットは190kg・ベンチプレスは110kgを記録している。これは体重当たりの筋力に換算すると、2.35倍・1.35倍となり、平岡によればこれまで指導してきたプロ野球選手の中でもトップクラスである。

打撃面では強く振ることを信条としていることもあって、三振が多い傾向にある。2017年には157三振を記録し、セ・リーグの三振王となった(パ・リーグと合わせても1位)。

2016年からDeNAの一軍監督として「梶谷の2番起用構想」を掲げているラミレスは、梶谷を2番打者に据えるメリットに、「犠打の指示を出さなくても、持ち前の長打力によって早い回で得点を取ったり、3番・4番打者につないだりすることができること」を挙げている。もっとも同年には、梶谷が前述した故障でレギュラーシーズンの開幕に出遅れたことなどから、2番打者として起用された公式戦が8試合にとどまった。その一方で、3番打者として47試合、6番打者として21試合、1番打者として16試合、7番打者として9試合に出場するなど、4番と8番以外の全打順を経験した。梶谷自身は、このような起用について、「状態に応じて配慮してもらっていました。正直、レギュラー落ちも覚悟していたので、(ラミレスには)感謝しています」と述懐。その一方で、「僕自身、打順はあまり意識していない。1番じゃなければ、正直何番でもいいんです」「僕は多くは考えませんから(笑)。ただ打てばいいと思っている。だから2番に難しさは正直感じていません」とも述べている。

走塁面では、50m走5秒7の俊足が持ち味であり、2014年シーズンから4年連続で20盗塁を記録。2014年には、39盗塁でセ・リーグの盗塁王を獲得した。本人曰く、「盗塁数よりも、盗塁成功率、あるいは次の塁を貪欲に狙う走塁意識の向上をむしろ強く心掛けている」とのことである。ラミレスの方針で盗塁企図の判断が梶谷自身に委ねられた2017年には「無謀な企図を控える」との理由で以前より企図数を減らし、盗塁成功率を向上させている。

守備面では、内野手時代の一軍公式戦で、イージーミスやボーンヘッドが目立っていた。二塁手として出場していた2013年4月9日の対広島東洋カープ戦(横浜)では、3回表二死満塁の場面で大竹寛が放ったゴロを処理した遊撃手の石川雄洋が封殺を狙って二塁へ送球。梶谷がベースカバーに入らず一塁方向へ走っていたため、石川は慌てて一塁への送球に切り替えたが、内野安打になったばかりか2人の走者の本塁生還を許した。このプレーが原因で、梶谷は試合後に中畑から二軍への降格を告げられた。外野手へのコンバート後は、守備力の総合指標であるUZRでリーグトップの数値を示すシーズンがあるほど、高い守備力を発揮している。

愛称は「カジ」。

開星高等学校時代に監督として梶谷を指導した野々村直通は、梶谷の性格について、「私がバッティングについて『こういうふうにやれよ』と言っても、練習を見たらしていなかったりするが、プロではいろんな人の意見を聞いて自滅することも多いため、むしろよかったのでは」と語っている。

普段は感情をあまり表に出さないことから、寡黙でクールなイメージが強いと思われがちだが、根は熱い魂の持ち主であり、勝利への人一倍の執着心を併せ持つ選手であるという。それを象徴するエピソードの一つが、先述の2016年のクライマックスシリーズファイナルステージである。このCSの第1ステージ第3戦で、内海哲也から死球を受けて左手薬指を骨折して「フルスイングが難しい」状態であったが、ファイナルステージ第3戦で適時打やダイビングキャッチ、第4戦で本塁打を放つなど随所で貢献し、「打率.250(16打数4安打)、1本塁打、3打点」の成績で終えた。このときの心境について、「骨折しているのに出て、だめだったらたたかれるのは分かっていた。だから、出ると決めた以上は腹をくくって、絶対に結果を残そうと。それに球団で初めて出場するCSに出なかったら一生、後悔すると思った」「これで試合に出なかったら、内海さんに申し訳ないでしょ」と述べており、CS終了後、「俺ってけっこう根性あるんだな、と思いました。自分で自分をようやったな、と。個所によっては骨が折れてもやれるんだな、と分かりました」と振り返っている。

2015年8月18日の横浜DeNA 対 ヤクルト19回戦では5回表にヤクルト・雄平(高井雄平)のライトへの打球をフェンスに当たりながら捕球した際にフェンスの扉が開き、そのまま奥に吸い込まれるように消えたというハプニングシーンを演じている。

本人曰く「もともと本来は喜怒哀楽が激しいタイプなんです。だからこそ、一つひとつのプレーに一喜一憂しないようにしています。試合中は完全に自分を『作って』ます」「(2016年の)CSで本当は熱い人間であることを報道してくれて正直嬉しかった。本塁打を打ったときは、そりゃめちゃくちゃ嬉しいですよ」という趣旨のことを述べている。

DeNA時代の元チームメイトで自主トレを共に行っていた渡邊雄貴とは仲が良い。2016年オフに渡邊の引退が決まり、退寮した日に二人で食事に行き、梶谷は渡邊に「お前が誰よりも練習しているのはみんな知ってる。本当によく頑張った」と号泣しながら労いの言葉を掛けている。

2020年10月18日の対巨人戦7回裏無死満塁の打席で初対戦の高梨雄平から放った満塁本塁打は、チームが6点差から3点を返した直後に出たため、一塁を回る直前にベースコーチの永池恭男とのハイタッチを試みた。その弾みで一塁を踏み損ねたものの、すぐに気付いて踏み直したため、本塁打の取り消しを免れた。試合後に語ったところによれば、「『永池コーチとハイタッチしよう』と思ったんですけど、思った以上に(永池との距離が)遠くて(一塁を踏み損ねました)」という。

2024年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)へ球団名変更

2024年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

盗塁王:1回(2014年)

月間MVP:2回(打者部門:2015年3・4月、2020年9月)

オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2015年第2戦)

初出場:2009年4月9日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、9回表に仁志敏久に代わり二塁手で出場

初打席:2009年4月11日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(横浜スタジアム)、9回裏に野口寿浩の代打で出場、林昌勇から中飛

初先発出場:2009年4月26日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、「2番・二塁手」で先発出場

初安打:同上、4回表に松岡健一から中前安打

初盗塁:同上、9回表に二盗(投手:林昌勇、捕手:相川亮二)

初本塁打・初打点:2009年4月30日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、5回表に久保康友から右越2ラン

100本塁打:2019年9月19日、対広島東洋カープ25回戦(横浜スタジアム)、6回裏に齋藤俊介の代打で出場、九里亜蓮から右越満塁 ※史上296人目

1000試合出場:2023年7月5日、対中日ドラゴンズ13回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、「6番・左翼手」で先発出場 ※史上521人目

月間31得点:2013年8月 ※球団記録、セ・リーグ2位タイ、史上4人目

2試合連続先頭打者本塁打:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(横浜スタジアム)~2014年9月11日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム) ※球団記録タイ、史上31人目

オールスターゲーム出場:1回(2015年)

63(2007年 - 2013年)

3(2014年 - 2020年)

13(2021年 - 2022年、2023年3月24日 - )

005(2023年 - 同年3月23日)

「Sad To Say」Jasmine(2009年)

「Tell You」0 Soul 7(2010年)

「仲間」ケツメイシ(2011年 - 2012年)

「マジありがとう」LGYankees feat. 吉見一星(2013年 - 2014年)

「3090~愛のうた~」LGMonkees(2014年)

「Way Back Home」SHAUN(2019年)

「FAMILY」A.F.R.O.(2015年 - )

「Life Goes On」導楽(2016年 - )

「Can't Hold Us feat. Ray Dalton」Macklemore & Ryan Lewis(2016年、2020年 - 2021年)

「Travesuras」Nicky Jam(2020年)

「Hall of Fame feat. will.i.am」The Script(2021年)

「Glorious feat. Skylar Grey」Macklemore(2023年 - )

^ 中畑監督は、梶谷を抜擢した理由として、「2月のキャンプで初めてチームを見た時に、真っ先に目に飛び込んできたのが梶谷だった。脚力、身体のバネ、パワー、守備範囲、なんというか超人的というような身体能力の高さを持っている雰囲気があった。こいつの可能性にかけてみたい、そう思わせる魅力があった。さらに実際にオープン戦で起用してみると結果も出した。タイトルが狙える、そう期待して開幕の先発にも抜擢した」と述べている。

^ 後に2017年1月のインタビューにて、「開幕に間に合わせようと無理をして、故障を悪化させてしまい、チームに迷惑をかけたし自分も後悔した」「特に打撃面での『感覚』を取り戻すまでに想像以上に長い時間がかかってしまった」という趣旨のことを述べている。

^ 捕手ながら打点や得点圏打率がチーム上位である戸柱恭孝にスタメンマスクを任せる場合に限って、戸柱を6番、梶谷を7番に起用。逆に、戸柱に比べて打力の弱い捕手をスタメンで7番に起用する場合には、梶谷に6番を任せている。

^ 1番打者での起用をあまり望まない理由として、本人曰く「試合が始まっていきなり打席に入るので、忙しく感じるから」とのことである。

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横浜DeNAベイスターズの選手一覧

読売ジャイアンツの選手一覧

ハンカチ世代

個人年度別成績 梶谷隆幸 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

選手プロフィール - 読売ジャイアンツ公式サイト

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

梶谷隆幸 #3 (@kjtn8228) - Instagram

横浜DeNAベイスターズ 梶谷隆幸オフィシャルブログ「Connecting the dots 」 - Ameba Blog

梶谷隆幸 Official Takayuki Kajitani (梶谷隆幸-Official-Takayuki-Kajitani-288619127956724) - Facebook

公式サイト - ウェイバックマシン(2015年1月3日アーカイブ分)

83 阿部慎之助

76 二岡智宏(ヘッド兼打撃チーフ)

75 橋上秀樹(作戦戦略)

74 村田善則(総合)

79 亀井善行(打撃)

86 古城茂幸(内野守備)

92 松本哲也(外野守備兼走塁)

81 杉内俊哉(投手チーフ)

77 内海哲也(投手)

88 實松一成(バッテリー)

73 桑田真澄(監督)

78 川相昌弘(野手総合)

80 矢野謙次(打撃チーフ)

87 橋本到(打撃)

71 山口鉄也(投手チーフ)

72 大竹寛(投手)

85 脇谷亮太(内野守備)

82 鈴木尚広(外野守備兼走塁)

89 加藤健(バッテリー)

70 駒田徳広(監督)

103 金城龍彦(野手総合)

100 三澤興一(投手チーフ)

107 野上亮磨(投手)

105 吉川大幾(内野守備兼走塁)

107 立岡宗一郎(外野守備兼走塁)

102 市川友也(バッテリー)

84 久保康生(投手)

110 ウィーラー(打撃)

15 大勢

17 西舘勇陽

18 菅野智之

19 山﨑伊織

20 戸郷翔征

26 今村信貴

28 高橋礼

29 グリフィン

30 近藤大亮

31 赤星優志

32 鈴木康平

33 ケラー

36 馬場皐輔

41 中川皓太

45 畠世周

46 又木鉄平

47 森田駿哉

48 田中千晴

49 バルドナード

52 伊藤優輔

53 高梨雄平

54 直江大輔

56 石田隼都

57 髙橋優貴

58 船迫大雅

62 横川凱

63 泉圭輔

64 大江竜聖

65 メンデス

66 平内龍太

68 代木大和

90 山田龍聖

91 堀田賢慎

93 松井颯

96 菊地大稀

97 井上温大

99 京本眞

22 小林誠司

24 大城卓三

27 岸田行倫

37 郡拓也

67 山瀬慎之助

94 喜多隆介

00 湯浅大

0 増田大輝

2 吉川尚輝

5 門脇誠

6 坂本勇人

25 岡本和真

35 泉口友汰

39 モンテス

40 中山礼都

55 秋広優人

60 菊田拡和

61 増田陸

95 中田歩夢

98 ウレーニャ

7 長野久義

8 丸佳浩

12 萩尾匡也

13 梶谷隆幸

23 立岡宗一郎

38 岡田悠希

42 ヘルナンデス

43 重信慎之介

44 佐々木俊輔

50 オコエ瑠偉

51 浅野翔吾

59 若林楽人

012 三浦克也

016 千葉隆広

018 木下幹也

019 園田純規

020 戸田懐生

023 田村朋輝

026 吉村優聖歩

028 富田龍

034 森本哲星

035 ルシアーノ

041 黃錦豪

047 鴨打瑛二

063 花田侑樹

006 坂本勇人

010 大津綾也

022 亀田啓太

004 村山源

005 田上優弥

007 宇都宮葵星

008 相澤白虎

027 北村流音

003 鈴木大和

009 笹原操希

013 ティマ

031 三塚琉生

033 平山功太

037 フルプ

044 大城元

051 舟越秀虎

1950 金山次郎

1951 土屋五郎

1952 金山次郎

1953 金山次郎

1954 吉田義男

1955 本多逸郎

1956 吉田義男

1957 飯田徳治

1958 岡嶋博治

1959 岡嶋博治

1960 中利夫

1961 近藤和彦

1962 河野旭輝

1963 高木守道

1964 古葉竹識

1965 高木守道

1966 柴田勲

1967 柴田勲

1968 古葉竹識

1969 柴田勲

1970 東条文博

1971 高田繁

1972 柴田勲

1973 高木守道

1974 中塚政幸

1975 大下剛史

1976 衣笠祥雄

1977 柴田勲

1978 柴田勲

1979 高橋慶彦

1980 高橋慶彦

1981 青木実

1982 松本匡史

1983 松本匡史

1984 高木豊

1985 高橋慶彦

1986 屋鋪要, 平野謙

1987 屋鋪要

1988 屋鋪要

1989 正田耕三

1990 緒方耕一, 野村謙二郎

1991 野村謙二郎

1992 飯田哲也

1993 緒方耕一, 石井琢朗

1994 野村謙二郎

1995 緒方孝市

1996 緒方孝市

1997 緒方孝市

1998 石井琢朗

1999 石井琢朗

2000 石井琢朗

2001 赤星憲広

2002 赤星憲広

2003 赤星憲広

2004 赤星憲広

2005 赤星憲広

2006 青木宣親

2007 荒木雅博

2008 福地寿樹

2009 福地寿樹

2010 梵英心

2011 藤村大介

2012 大島洋平

2013 丸佳浩

2014 梶谷隆幸

2015 山田哲人

2016 山田哲人

2017 田中広輔

2018 山田哲人

2019 近本光司

2020 近本光司

2021 中野拓夢

2022 近本光司

2023 近本光司

2024 近本光司

希望入団枠:高崎健太郎

3巡目:木村雄太(入団拒否)

4巡目:下園辰哉

5巡目:下窪陽介

6巡目:吉原道臣

1巡目:北篤

3巡目:梶谷隆幸

4巡目:高森勇気

日本の野球選手

開星高等学校出身の人物

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