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三浦大輔の情報 (みうらだいすけ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

三浦大輔の情報(みうらだいすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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三浦 大輔さんについて調べます

■名前・氏名
三浦 大輔
(読み:みうら だいすけ)
■職業
野球選手
■三浦大輔の誕生日・生年月日
1973年12月25日 (年齢50歳)
丑年(うし年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
奈良出身

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

三浦大輔と同じ1973年生まれの有名人・芸能人

三浦大輔と同じ12月25日生まれの有名人・芸能人

三浦大輔と同じ出身地奈良県生まれの有名人・芸能人


三浦大輔と関係のある人

上茶谷大河: 自身の投球フォームも模索するあまりバラバラになってしまい、三浦大輔監督からモノマネ禁止令を出されたことがある。


阿部慎之助: 100本塁打:2005年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(東京ドーム)、4回裏に三浦大輔から右越ソロ ※史上241人目


山崎康晃: 三浦大輔が現役時代に横浜スタジアムで開催された試合で子どもたちに向けてグローブプレゼントを行ってきた企画を継承し、山﨑も2018年から「夢に向かってJUMP!!山崎康晃グローブプレゼント」と題し、横浜スタジアムで行われる試合で抽選で5名にグローブをプレゼントする企画を行っている。


リック=ガトームソン: 5月28日の対横浜ベイスターズ戦(新大分球場)では、投手では交流戦史上初となる場外ホームランを三浦大輔から左翼へ放った。


斉藤肇: “元横浜の斉藤肇氏が静岡・星陵高コーチ就任…1991年ドラフトでDeNA・三浦大輔監督と同期入団”. スポーツ報知 (2021年3月25日). 2021年3月28日閲覧。


工藤隆人: それでもシーズン終盤から再び1軍に合流すると、8月28日の横浜DeNAベイスターズ戦で三浦大輔からプロ初本塁打を放った。


牛島和彦: 2005年には20完投を記録しており、そのうちの10完投は三浦大輔によるものであった。


岩﨑恭平: 初本塁打・初打点:2013年9月23日、対横浜DeNAベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から左越ソロ


小宮山悟: オフには古田敦也、吉井理人、仲田幸司、山本昌、香田勲男、星野伸之ら40年会メンバーと、中村紀洋、小笠原道大、三浦大輔らをメンバーとする「プロ野球昭和48年会」と合同でイベントを行っている。


田中健二朗: 背番号は三浦大輔が1997年までに着けていた46。


工藤隆人: 初本塁打:2014年8月28日、対横浜DeNAベイスターズ19回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に三浦大輔から右越3ラン


岩隈久志: 6月5日の対横浜ベイスターズ戦では三浦大輔から三振を奪い、通算1000奪三振を記録。


山崎賢一: これは山崎の目つきが悪かったことに由来するが、後に三浦大輔へ「ハマの番長」として受け継がれた。


田中要次: SOUL TRAIN(2006年、監督:三浦大輔


池内博之: “三浦大輔演出、愛とセックス描くブラジル戯曲『禁断の裸体』追加キャストに池内博之”. CINRA.NET (2014年12月26日). 2016年1月20日閲覧。


大木ひびき: 横浜DeNAベイスターズ(元エース投手で現監督の三浦大輔とも親交がある)と、Jリーグ(J1リーグ)ガンバ大阪のファンである。


蝦名達夫: 代打起用が続いていたが、監督の三浦大輔からしぶとく食らいつく打撃を買われ、5月27日の福岡ソフトバンクホークス戦(横浜)で6番・右翼手としてスタメンに抜擢。


内村賢介: しかし、2013年8月20日には三浦大輔の代打として阪神タイガースの右投手、ランディ・メッセンジャーと対戦したが、右打席に入った。


石原まこちん: 監督・脚本:三浦大輔


石井琢朗: シーズン最終戦となる10月8日の対古巣・DeNA戦(横浜スタジアム)では試合前に引退セレモニーが行われ、かつてのチームメイトの三浦大輔と金城龍彦から花束を受け取り、両チームのファンによる応援歌の合唱が行われた。


相川七瀬: 次男が横浜DeNAベイスターズのファンであることから、そこから同球団との交流が始まってDeNA主催試合で何度か始球式を務め、三浦大輔とは家族ぐるみの付き合いがある。


柳田悠岐: レギュラーシーズンでは、6月2日の横浜DeNAベイスターズ戦では三浦大輔からスコアボード直撃となる特大本塁打を打ち、その際にビジョンの一部が壊れる事態となった(壊れたビジョンのパネルはソフトバンクの本拠地である福岡 ヤフオク!ドームに展示されている)。


片平保彦: ブルペン捕手転向後の1992年に大洋へ入団した三浦大輔からは、2001年から毎年のシーズン前に特注のキャッチャーミットを贈られたり、春季キャンプ前の自主トレーニングへの帯同を認められたりするほど信頼が厚いという。


相川亮二: 攻守ともに総合力が高く、横浜時代にバッテリーを組んできた三浦大輔からは「当たり前のことがすべて当たり前にできる捕手」と評されていた。


山内壮馬: シーズン全体では、この試合を含めて、対横浜戦での先発で同球団のエース・三浦大輔と互角の投げ合いを演じることが多かった。


伊賀大介: 何者(2016年、三浦大輔監督)


嶺井博希: DeNAへの入団1年目には、当時の一軍監督・中畑清や三浦大輔などから、「声がハスキーすぎて何を言ってるのかわからない」とからかわれた。


ジェイソン=ベバリン: 初本塁打:2004年4月2日、対横浜ベイスターズ1回戦(明治神宮野球場)、3回裏に三浦大輔から右越先制ソロ


森唯斗: この投球について監督の三浦大輔は「あそこはちょっとね、こちらの責任です。


大江裕: その後、工藤公康に右利きと判断され、右投げの三浦大輔から投球方法を教わって本番に臨んだ。


三浦大輔の情報まとめ

もしもしロボ

三浦 大輔(みうら だいすけ)さんの誕生日は1973年12月25日です。奈良出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

経歴、選手としての特徴などについてまとめました。現在、引退、卒業、テレビに関する情報もありますね。三浦大輔の現在の年齢は50歳のようです。

三浦大輔のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球監督。現在は横浜DeNAベイスターズの監督を務める。

愛称は「ハマの番長」もしくは「番長」。

俳優の三浦剛は実弟、サンケイスポーツ競馬担当記者の三浦凪沙は長女。

横浜大洋ホエールズへ入団した1992年以降、後継球団の横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズを通じて一貫して横浜でプレーしたフランチャイズ・プレイヤーである。また「NPBの現役最年長選手および、横浜大洋への在籍経験を持つ最後の選手」として迎えた2016年には「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録を達成し、同年シーズン限りで現役を引退(詳細後述)。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

マネジメントはエイベックス・マネジメント。また、日本中央競馬会登録の馬主でもある。

引退後は、横浜DeNAベイスターズの球団スペシャルアドバイザーを経て、2019年より一軍投手コーチを務め、2020年シーズンは二軍監督。2021年からは同球団の一軍監督を務める。

経歴

プロ入り前

橿原市立真菅北小学校時代、2人の弟と共に「真北リトルズ」で野球を始める。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた縁があり、地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を当時から岡田は評価していた。なお、花屋を経営していた三浦の父が岡田の後援会「岡田会」の主要メンバーであった関係から、幼少の頃から三浦は岡田と顔見知りであった。横浜入団後の2008年に三浦が国内FA権の行使を宣言した際には、岡田がかつて在籍した阪神タイガースから横浜を上回る条件で移籍を打診された。

橿原中学校時代は「北大和シニア」に所属。中学時代までは三塁手兼投手の8番打者であまり目立つ存在ではなかった。足も遅く、中学で野球を辞めようかと考えていたこともあったが、3年生のときにコントロールを褒められるようになり、チームのエースが辞めたのをきっかけに投手に定着する。

高田商業高校に進学。高校までずっと一緒に野球をやってきた2学年下の弟の剛曰く中学までは大した活躍をしていなかったが、この頃から速い球を投げるようになったという。高校時代は小学校の頃からの練習漬けに嫌気が差し、1か月ほどズル休みをしたこともあったが、監督やチームメイトに引き止められ復帰した。1991年の県大会はエースで4番を務め、春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れ甲子園出場は叶わなかった。

1991年11月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6位指名を受けて入団。背番号は「46」。担当スカウトは高松延次。

大洋・横浜・DeNA時代

1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)に、3番手投手として一軍デビュー。「横浜大洋ホエールズ」としては最後の公式戦で、篠塚和典から三振を奪うなど打者6人を完璧に抑えた。

1993年9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利・初完投を記録。

プロ入りしてからしばらく、ピンチになると力んだ投球をしてしまい失敗を繰り返していたが、1994年4月22日の対広島戦(横浜スタジアム)でピンチになった際にマウンドで当時投手コーチだった小谷正勝から「己を知りなさい。自分はどういうピッチャーなんだ。力んでも150キロは出ないだろ」と言われ冷静に自分の投球ができるようになり、プロ初完封勝利を手にする。この言葉は三浦にとってプロ野球人生の軸となり、逆境に立った時も自分をコントロールできるようになったと語っている。

1995年から先発ローテーションに加わって活躍し始め、1997年は自身9連勝などもあって初の2桁勝利を挙げる(10勝3敗)。7月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では5回まで無安打に抑える快投を見せるも、8回に代打を出されて無安打のまま降板。

1998年には前年の活躍が認められ、背番号を以前から自身が希望していた「18」へ変更。この年は安定感が増し、8月に肝機能障害で1か月離脱するアクシデントはあったが自己最多となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発したものの、球数を多く費やし6四球を出すなど苦しみ、序盤で降板して敗戦投手となっている。

2000年と2001年はチームの生え抜き先発投手陣が不調や配置転換など苦しむ中で安定した成績を収め、押しも押されもせぬエースの座に君臨する。

2002年7月3日の対巨人戦で、投球中に右肘の違和感を訴えて途中降板、同年のシーズンオフに欠けた骨を取り除く内視鏡手術を行った。また、契約更改では2003年から2008年までの6年契約を結んだ。

2003年は前年受けた手術の影響もあって春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も出遅れる。

2004年に行われたアテネオリンピックでは、日本代表に選ばれて銅メダルを獲得。

2005年は2001年(11勝)以来となる2桁勝利(12勝)を挙げ、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率・最多奪三振)を獲得し、4年ぶりのチームAクラス入りに貢献した。28試合中23試合で7イニング以上を投げ、21試合でQS達成(うちHQS16試合)、10完投と大活躍だった。

2006年は野球規則委員会が「二段モーションなどは不正投球とする」という見解を示したことから、日本野球機構もこれを承認したことでフォーム改造を余儀なくされ、その影響からか前半は勝ち星に恵まれず8勝(12敗)に終わるも9完投、3完封、3無四球完投はいずれもリーグ最多であり、自己最多の216回2/3と、前年に続き2年連続で200イニング以上を投げた。また5月9日の楽天戦で通算100勝を達成。

2007年6月20日から同年7月27日にかけて35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新した。また、プロ野球選手としての社会貢献活動が認められ第9回ゴールデンスピリット賞を受賞している。

2008年シーズンオフにFA権を行使した。当時の球団に不満を抱えており、横浜との交渉では金額の話よりもフロントに疑問点をぶつけることに時間を費やした。阪神タイガースが三浦の獲得に動き、三浦自身も真剣に悩んでいたが、そんな最中にファン感謝デーがあり、ファンの声を直接聞き「強いところを倒して優勝したい」と考えるようになり残留を発表した。横浜はこの頃からチームの主力選手のFA移籍が続いたが、他球団へ移籍したチームメイトについて三浦は「問題なのは球団だと思った。はっきり言って当時の横浜は出て行きたいチームだった」と振り返っている。

2009年は失点、被本塁打ともリーグ最多を記録したが、3戦連続を含む6完投もリーグ最多だった。2年ぶりの2桁勝利となる11勝を挙げた。

2010年は開幕前のオープン戦で振るわず開幕直前で二軍落ちとなった。その後一軍に復帰したが不安定な投球が多く3勝8敗と不振に陥り、1994年以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。この年のチームは開幕前の構想から外れた戦いを強いられたことでシーズン中盤までは粘ったが、後半は負け試合がさらに多くなり、3年連続最下位に終わってしまった中でも自身の不振は大きく響いた。

2011年7月10日の対中日戦(横浜スタジアム)に先発して勝利投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新した。この年の三浦は開幕当初こそ二軍落ちする不本意な成績であったが、イースタン・リーグでの調整を通して全身を鍛えるために短距離ダッシュを繰り返すなど独自の練習で調整するなか、往年の球威と制球力を取戻して7月に昇格するとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年のチームで唯一の完投・完封を含む、チーム最多タイ(高崎健太郎と同数)の5勝を記録した。投球回数も規定投球回には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えるなど健在ぶりを発揮した。

2012年には、4月1日の対阪神戦(京セラドーム大阪)で勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となった。7月4日の対巨人戦で、2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利となり、同時に通算150勝を達成した。通算150勝を挙げて以降は調子を上げて前半戦は8勝を挙げ、3年ぶりのオールスターゲームにも出場。チームトップの9勝を挙げリーグ最多の6完投を記録した。

2013年には、6月12日の対ロッテ戦(QVCマリン)で完封勝利し、小山正明の39歳1か月での球団最年長完封記録を39歳3か月で更新するなどチームトップの9勝を挙げた。

2014年からは、投手として現役生活を続けながら一軍投手コーチを兼任している。この年には開幕から4連敗を喫したが、7月13日のヤクルト戦で一軍公式戦22年連続勝利(米田哲也に並ぶNPB歴代3位)を達成したことを皮切りに5連勝。チームの後半戦巻き返しに貢献した。8月は1完投を含む3勝0敗、セ・リーグ唯一の防御率1点台(1.20)の活躍で月間MVPに選ばれた。シーズン通算では、5勝6敗と負け越しながら、チーム5位の投球回数を記録した。

2015年には、5月5日の対ヤクルト戦で一軍でのシーズン初登板を果たすと、一軍公式戦23年連続勝利のNPB最長タイ記録を樹立(右投手としては新記録)。5月20日の同カードでは、一軍でのシーズン初安打を打ったことによって、一軍公式戦23年連続安打(NPBの投手新記録)を達成した。さらに5月27日の対オリックス戦にも勝利したことで、シーズン初登板からの一軍公式戦3連勝を記録した。三浦はセ・リーグの40代投手では初めて、パシフィック・リーグを含めたNPBの投手としても最年長の記録であった。シーズン終了後には、NPB最年長(50歳)の山本昌や同期入団の斎藤隆(45歳)など、年齢で41歳の自身を上回る8選手が相次いで現役を引退。三浦自身は、11月28日に投手兼任コーチとしての契約を更改したことによって、2016年シーズンにおけるNPBの現役最年長選手になった。

2016年には、7月11日の対中日戦(横浜)で先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験。4回6失点という内容で敗戦投手になったが、2回裏の第1打席で一軍公式戦通算122本目の安打を打ったことによって一軍公式戦24年連続安打(野手を含めたNPB歴代4位タイ記録)を達成した。さらにこの記録が「プロ野球の公式戦で投手が安打を打った最多連続年数」というギネス世界記録に認定されたため、三浦は8月22日に公式認定員から認定証が授与された。同年は、一軍公式戦に登板しない期間も前年に続いて投手コーチとして一軍の遠征に帯同。遠征のない場合には、もっぱら二軍で投手としての調整を続けていた。

この年は若手の台頭により8月を終えても一軍登板はこの1試合のみにとどまり、三浦も自身の中で引退を決意していた。9月16日の対阪神戦(甲子園)に先発投手としてシーズン2度目の一軍公式戦登板を果たすも、1回裏に福留孝介の本塁打で2点を失った末に4回1/3で降板し、シーズン2敗目を喫した。三浦はこの試合後に高田繁GMへ現役引退を申し入れ、球団側も引退を了承した。チームが9月19日に球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたことを受け、翌20日にシーズン限りでの引退を表明した。理由を「自分では勝てなくなったから」と語り、引退後の進路については「現役(生活)からは卒業するが、野球からは卒業しないので、ずっと野球に関わっていたい」と述べた。

球団は、三浦が1998年から19年にわたって着用してきた背番号「18」を「横浜ナンバー」として「準永久欠番」にし、着用にふさわしいとされる選手が現れた場合にのみ、球団と三浦による協議を経て継承を認めることを発表した。その18番は、球団と三浦と協議した結果、2022年から小園健太が着用使用することが決定した。

三浦は本拠地の横浜スタジアムで行われた9月29日の2016年レギュラーシーズン最終戦に、先発投手として現役最後の登板に挑んだ。この試合ではDeNAの全選手が三浦の背番号18を入れたユニフォームを着用(三浦含め、背ネームはなしの特別仕様)し、試合前には三浦の長男による始球式が行われた。三浦はこの試合のスタメンとして一軍初出場を果たしたヤクルトのルーキー・廣岡大志に初打席初本塁打となる3点本塁打を打たれるなど6回表終了時点で10失点を喫したが、アレックス・ラミレス監督の計らいもあって6回裏には現役最後の打席に立ち(結果は中飛)、次イニングも続投を決意。7回表のマウンドに向かう際、捕手の髙城俊人から最後の対戦打者への直球一本勝負を提案され、イニング先頭の雄平から三球で空振り三振を奪い降板となった。三浦も6回1/3で119球を投じ8三振を奪うも、12被安打10失点(自身初の2桁失点)という結果になった。

試合後に三浦の引退セレモニーが開催され、三浦は「今は最高に気分が良く、『できることなら、このまま時間が止まってくれればな』と思っています。でも、チームはやっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかった時を乗り越えて、やっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます」「横浜一筋で25年来られたのも、皆さんのおかげです。これからの人生も、横浜一筋で来られたことを誇りに頑張っていきます。今シーズンをもちまして現役を引退致しますけれども、これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!」と挨拶し、チームメイトから三浦の背番号にちなんで18回にわたって胴上げされた。三浦の引退により、横浜大洋ホエールズに所属した選手が全員引退した。同時に兼任していた一軍投手コーチも退任する意向を引退試合の翌日(9月30日)に球団へ伝え、退団を表明。

現役引退

2017年以降はTBSテレビテレビ神奈川の野球解説者、日刊スポーツの野球評論家を務めながら、横浜DeNAベイスターズのスペシャルアドバイザーとしても活動していた。

スペシャルアドバイザーとしては、球団の標榜する「横浜スポーツタウン構想」に対する地域活動への参加やアドバイスをするという役割を担うこととなり、「野球」「横浜」「横浜DeNAベイスターズ」の3つの軸を根幹として活動を展開していた。具体的な活動としては、野球教室の開催やMLBの視察などである。視察では、元チームメイトのスティーブン・ランドルフの紹介でアリゾナ・ダイヤモンドバックスのマイク・ブッチャー投手コーチとの対談やメジャー・マイナー・ルーキーリーグ等の試合を観戦した。またドーザー・パークで行われたセントルイス・カージナルス傘下組織のシングルA、ピオリア・チーフスの試合では、試合前に来賓として始球式を行った。2018年も引き続き、同職として活動を継続していくことが発表された。

2019年シーズンより一軍投手コーチとして現場復帰。背番号は準永久欠番となっている「18」を引き続き背負う。コーチ業は選手兼任だった2016年以来3年ぶり、4年目のシーズンになる。

2020年シーズンより二軍監督に就任。

2020年11月17日、同年シーズンをもって退任するアレックス・ラミレスの後任として2021年シーズンからの一軍監督に就任することが発表された。背番号は現役時代から背負ってきた「18」から「81」に変更。

2021年は梶谷隆幸、井納翔一が読売ジャイアンツへFA移籍した上、新型コロナウイルス感染対策の入国制限により、ネフタリ・ソト、タイラー・オースティン、エドウィン・エスコバーら外国人選手の合流が間に合わないまま開幕を迎えた。開幕から6連敗(2引き分けを挟む)を喫し、これはチームとして12年ぶり、新人監督ワーストタイの記録だった。4月4日の広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)で9戦目にして監督としての初勝利を挙げたが、投打ともに奮わず、4月22日の中日ドラゴンズ戦(横浜)では球団の新人監督として山下大輔以来18年ぶりとなる10連敗を記録。結局、4月を6勝21敗4分、借金15で終えた。5月以降は強力な打線を中心に奮起し、ルーキー・牧秀悟の活躍もあって一時は4位に浮上したが、終盤になると抑えの三嶋一輝、三嶋の代役に指名した山崎康晃が不調に陥って勝ちパターンが崩れた上、4番打者のオースティンの離脱も原因となり、10月12日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)に敗れたことで12球団最速でクライマックスシリーズ出場の可能性が消滅した。そして10月26日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)に敗れたことで、1度も貯金を作れないまま6年ぶりの最下位が確定した。

2022年は、現役時代の同僚でもある石井琢朗、斎藤隆、鈴木尚典、相川亮二が一軍コーチに就任。三浦の師匠でもある小谷正勝もコーチングアドバイザーに就いた。3月上旬の時点で2年目の牧秀悟を4番起用を明言し、開幕を迎えるが、開幕早々からネフタリ・ソト、タイラー・オースティン、エースの今永昇太の故障による不在や、新型コロナウィルスのチーム内感染により主力メンバーを欠く中での戦いを強いられ、4月終了時点で借金5と苦戦。最大借金9まで行くが、リリーフ投手陣が安定した投球を続け、故障で抜けた三嶋一輝に代わり、3年目の伊勢大夢が飛躍を見せ、エドウィン・エスコバーと伊勢が左右のセットアッパーとして活躍。2年目の入江大生も成長を見せ8月にはセットアッパーに昇格。前年まで不調に苦しんだ山崎康晃がシーズン通して安定感を取り戻し、抑え投手に返り咲くなど、前年崩壊していた勝ちパターンの立て直しに成功した。4連敗以上の大きな連敗は重ねず、少しずつ借金を減らしていき、8月5日に借金を完済。8月6日の中日戦で監督通算100勝を達成。6月下旬から本拠地での強さを発揮し、8月10日には横浜スタジアム10連勝で2位に浮上。8月21日の広島戦まで横浜スタジアムで17連勝し、プロ野球史上3球団目、球団史上初の本拠地連勝記録を作り、8月は18勝6敗と、球団としては1997年8月以来の月間18勝を記録した。しかし、そこから首位ヤクルトとのゲーム差を詰めることができず、ヤクルトの優勝が迫った9月25日の直接対決で敗れ、2年連続で目の前で優勝を決められてしまう。同時にシーズン2位が確定し、球団の生え抜き監督としては初のAクラス入りを達成した。クライマックスシリーズに進出し、ファーストステージで阪神タイガースと対戦(横浜スタジアム)も、1勝2敗で敗退。

選手としての特徴

オーバースローから平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートと、カットボール、スライダー、フォーク、スローカーブ、シュートなどを投げ分ける技巧派。立浪和義は「カット系の小さいスライダーを覚えてから厄介な投手になった印象があります」と評価している。また、90 km/h以下のスローカーブは他の投手にない武器であり主に緩急をつけるのに用いられている。曲がりの大きな変化球があるわけではなかったが、微妙に変化するインローアウトローの出し入れが絶妙でストレートとの見分けが付きにくく、古田敦也は「これほど球種を読むのが難しいピッチャーはいなかった」と語る。

最大の武器は抜群の制球力。通算与四球率は2.42で、プロ8年目以降は1度も与四球率3.0を超えたことが無く、2.0以下は6度記録している。2010年6月12日放送の『すぽると!』における「1/100 この選手がすごい!投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。豊富なスタミナを活かした完投能力も併せ持っており、通算16回の無四球完投を記録している。また2012年にはセ・リーグ最多の6完投を記録したが、39歳シーズンでの最多完投は歴代最年長である。2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も高かった他、プロ通算25年間、3276投球回700守備機会で失策数はわずか9(守備率.987)であることからも分かる通り、堅実なフィールディングも売りであった。

2段モーションの先駆けかつ代表格の存在であったが、2006年以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされた。この2段モーションは、上体に力が入りすぎてしまう投げ方を改善するために取り入れたもので、足を上げ直すことで軸足に体重が乗りタメを作ることができる。投手コーチをしていた小谷正勝曰く、三浦の一番の長所は臨機応変さで、「コレがダメなら次はコレ」と研究熱心に取り組み、そこで養った修正能力には何度も感心させられたという。

通算172勝184敗のうち、阪神に対しては46勝32敗と阪神キラーとしても知られた。阪神に対して特別意識していたことはないが、自身が子どもの頃から阪神ファンであったため、マウンド上で阪神の応援歌が聴けることや甲子園で7回まで投げるとジェット風船が上がる光景がマウンド上で見られるということがモチベーションにも繋がったという。

打撃面では1993年から2016年にかけて24シーズン連続で安打を記録しているがこれは投手では歴代1位、野手を含めても歴代4位タイの記録である。

2024/06/14 19:23更新

miura daisuke


三浦大輔と同じ誕生日12月25日生まれ、同じ奈良出身の人

中西 哲夫(なかにし てつお)
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哲夫(てつお)
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三浦大輔と近い名前の人

三浦 大助(みうら だいすけ)
1928年3月27日生まれの有名人 長野出身

三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27日 - )は、日本の政治家、厚生官僚。元長野県佐久市長。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)生まれ。旧制長野県野沢中学校(現・長野県野沢…

三浦 大知(みうら だいち)
1987年8月24日生まれの有名人 沖縄出身

三浦 大知(みうら だいち、1987年8月24日 - )は、日本のダンサー、歌手、エンターテイナー。作詞、作曲、自身のライブなどの振付、演出 も行う。沖縄県出身 で、身長175 cm、血液型…

三浦 綾子_(アナウンサー)(みうら あやこ)
1977年8月31日生まれの有名人 東京出身

三浦 綾子(みうら あやこ、本名:河野 綾子、旧姓:三浦、1977年8月31日 - )は、株式会社PICANTE所属のフリーアナウンサー。新潟テレビ21(UX)を経てテレビ神奈川 (tvk)に在籍した…

三浦 太郎_(政治家)(みうら たろう)
1928年10月28日生まれの有名人 奈良出身

三浦 太郎(みうら たろう、1928年〈昭和3年〉10月28日 - 2003年〈平成15年〉1月22日)は、日本の政治家。元奈良県橿原市長(5期)。 奈良県出身。1949年〈昭和24年〉摂南工業専…

三浦 太郎_(文化人類学者)(みうら たろう)
1955年1月23日生まれの有名人 東京出身

三浦 太郎(みうら たろう、1955年1月 - )は、日本の文化人類学者、中部大学教授。 三浦朱門・曽野綾子(本名・三浦知寿子)夫妻の長男として東京に生まれる。東京都立三田高等学校、南山大学文学部…

三浦 知良(みうら かずよし)
1967年2月26日生まれの有名人 静岡出身

三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手。リーガ・ポルトガル2・UDオリヴェイレンセ所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。元フッ…

三浦 泰年(みうら やすとし)
1965年7月15日生まれの有名人 静岡出身

三浦 泰年(みうら やすとし、1965年〈昭和40年〉7月15日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手、元サッカー解説者、愛称はヤスで実弟は"カズ"こと三浦知良。弟嫁(知良の妻)は女優の三浦りさ…

三浦 淳寛(みうら あつひろ)
1974年7月24日生まれの有名人 大分出身

三浦 淳寛(みうら あつひろ、本名および選手時代の登録名:三浦 淳宏〈読み同じ〉、1974年7月24日 - )は、埼玉県所沢市生まれ、大分県大分市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポ…

三浦 弦太(みうら げんた)
1995年3月1日生まれの有名人 愛知出身

三浦 弦太(みうら げんた、1995年3月1日 - )は、愛知県豊橋市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 小学校1年でサッカーを始め…

三浦 優奈(みうら ゆうな)
1993年12月28日生まれの有名人 愛知出身

三浦 優奈(みうら ゆうな、1993年12月28日 - )は、日本のタレント、キャスター、レポーター、ラジオパーソナリティ。愛知県出身。アミューズ所属を経て2021年4月からポッシブルに所属。 大…

三浦 奈保子(みうら なおこ)
1987年5月13日生まれの有名人 東京出身

三浦 奈保子(みうら なおこ、1987年5月13日 - )は日本のタレント。所属事務所はインセント。千葉県出身。桜蔭中学校・高等学校卒業。早稲田大学法学部入学後、仮面浪人を経て東京大学文学部ドイツ文学…

三浦 早苗(みうら さなえ)
1973年8月22日生まれの有名人 神奈川出身

三浦 早苗(みうら さなえ、1973年8月22日 - )は、日本の元女優、元タレント。本名同じ。神奈川県出身。アーティストハウス・ピラミッドに所属していた。 1991年 - アーティストハウス・ピ…

三浦 葵(みうら あおい)
1990年1月15日生まれの有名人 東京出身

三浦 葵(みうら あおい、1990年1月15日 - )は、日本のファッションモデル、女優。福島県出身。 1990年、福島県で生まれる。実妹はタレントの三浦萌。お笑いコンビドランクドラゴンの鈴木拓は…

三浦 綺音(みうら あやね)
1973年5月8日生まれの有名人 静岡出身

三浦 綺音(みうら あやね、1973年5月8日 - )は、日本の女優、元グラビアアイドル、元ヌードモデル、元歌手である。 静岡県出身で、所属する芸能事務所はケイダッシュを経て現在はエムティ企画である…

三浦 リカ(みうら りか)
1958年11月15日生まれの有名人 岩手出身

三浦 リカ(みうら りか、1958年11月15日 - )は、日本の女優。本名は、早島 康代。旧姓は、三浦 康代。夫は俳優の堤大二郎。姉は女優の三浦真弓 。 出生地は岩手県下閉伊郡岩泉町。東京都立代々…

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