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嶋基宏の情報 (しまもとひろ)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

嶋基宏の情報(しまもとひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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嶋 基宏さんについて調べます

■名前・氏名
嶋 基宏
(読み:しま もとひろ)
■職業
野球選手
■嶋基宏の誕生日・生年月日
1984年12月13日 (年齢39歳)
子年(ねずみ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
岐阜出身

(昭和59年)1984年生まれの人の年齢早見表

嶋基宏と同じ1984年生まれの有名人・芸能人

嶋基宏と同じ12月13日生まれの有名人・芸能人

嶋基宏と同じ出身地岐阜県生まれの有名人・芸能人


嶋基宏と関係のある人

松井裕樹: 嶋基宏は、松井の投球を田中将大と比較したうえで、「スライダーについても一級品です。


野村克也: 捕手は育成を兼ねてルーキーの嶋基宏を多用。


内村賢介: 5月13日の北海道日本ハムファイターズ戦の4回に嶋基宏の犠打で1死後、聖澤諒のセーフティスクイズを内野手がエラーした後にスクイズを決めたため、プロ野球タイ記録となるチーム1イニング3犠打を記録した。


新井貴浩: 12月には日本プロ野球選手会会長職を嶋基宏に譲った。


石原彪: 初出場:2018年8月24日、対北海道日本ハムファイターズ17回戦(札幌ドーム)、8回表に嶋基宏の代打で出場


早川大輔: 7月3日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦の9回の打席で、ヒットエンドランの際に投球はピッチドアウトで大きく外れていたにもかかわらず、嶋基宏捕手が二塁へ送球するタイミングでバットを放り投げた(捕手がうまくかわし、二塁へ送球したため結果は盗塁死となった)。


細川亨: 2017年は正捕手の嶋基宏や若手投手へのサポート役として、公式戦の開幕から一軍に帯同した。


五十嵐亮太: 4月18日対楽天戦7回6点ビハインドから登板、本多雄一のファンブルにより先頭鉄平の出塁を許すと、続く嶋基宏、西田哲朗に連続四球、藤田一也に2点適時打を打たれた。


岡島豪郎: 楽天入団後は、嶋基宏が正捕手を務めているチーム事情もあり、2年目の2013年から外野手に転向した。


星野仙一: 戦力外にした山崎、メジャーリーグに移籍した岩隈久志の退団に加え、前半戦は田中将大、松井稼頭央、嶋基宏、ルイス・ガルシアら主力の離脱が目立ち戦力低下が不安視されていた。


藤田一也: その後は同僚の宮﨑敏郎、楽天時代にともにプレーした嶋基宏、横浜同期入団の石川雄洋、家族らから花束を受け取り、グラウンドを1周してファンの声援に応えた。


足立祐一: 2016年、5月21日に左手首の骨折によって登録抹消された嶋基宏に代わって一軍登録され、その日の試合で「9番・捕手」でプロ初先発出場を果たした。嶋基宏が一軍に再登録されてからは出場機会は減ったが、安樂智大が先発する試合はスタメン出場することが多く、結果的に嶋に次ぐ73試合出場を果たした。


金子圭輔: 7月19日の対楽天戦で9番遊撃手として移籍後初の先発出場を果たし、5回二死の場面で山村宏樹からライト前安打で出塁したが、直後に嶋基宏の送球によりプロ入り初の盗塁失敗を喫してチェンジとなった。


クレイグ=ブラゼル: そのため、ある試合で田中将大・嶋基宏のバッテリーが、不用意にストレートを選択して、ブラゼルに特大の本塁打を打たれた時には、野村は思わず怒鳴り倒した。


平沼翔太: 初盗塁:2019年5月21日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(札幌ドーム)、2回裏に二盗(投手:塩見貴洋、捕手:嶋基宏


聖澤諒: 同年秋のリーグ戦終了後、後に楽天でもチームメイトとなる嶋基宏の後を継ぎ主将となる。


下妻貴寛: 2015年、一軍の捕手陣から嶋基宏や伊志嶺忠が相次いで故障に見舞われたことを背景に、6月16日にシーズン初の出場選手登録。


内川聖一: 10月3日、同年限りで引退する坂口智隆・嶋基宏とともに引退セレモニーが行われ、工藤公康ソフトバンクホークス前監督から花束を受け取った。


梨田昌孝: 記念のウイニングボールは、試合終了時のバッテリー松井裕樹-嶋基宏からサイン入りでプレゼントされた。


小久保裕紀: 2011年東北地方太平洋沖地震もK'Projectを通して2011年3月26日にトークショーを行い、急きょだったにも関わらず、ホークスの一軍選手ほぼ全員、被災地東北の球団である楽天の選手も、嶋基宏、岩隈久志、田中将大らが参加した。


五十嵐亮太: アンドリュー・ジョーンズに低めのストレートを見極められ四球で満塁とすると、続く嶋基宏にはボールスリーからストレートの連続四球で押し出し、続く枡田慎太郎にはフルカウントから3連続四球となる押し出し、松井稼頭央には粘られ12球目で空振り三振、岩﨑達郎にもフルカウントから四球で押し出し、さらに西田哲朗にも3ボール1ストライクから押し出しと、大乱調の4失点でイニングの途中で降板となり、自身は9月だけで3敗、チームは3連敗して自力優勝の可能性が消滅し、オリックスに逆マジック「7」が点灯した。


横山徹也: ところが、嶋基宏と伊志嶺忠が6月に相次いで負傷で戦線離脱し、一軍に残る捕手が小関翔太だけとなってしまったため、二軍から下妻貴寛と小山桂司が急遽一軍に昇格した。


深町亮介: チームメイトには2番セカンド、主将の嶋基宏(現・東京ヤクルトスワローズ)がいた。


炭谷銀仁朗: 2017年は、当初第4回WBC日本代表選手28人から漏れたが、嶋基宏の負傷による離脱に伴う補充選手として2大会連続で選出された。12月7日、嶋基宏の後を継ぎ、労働組合日本プロ野球選手会の第9代会長に選出された。


伊藤義弘: 同期の梅津智弘との2本柱で2年下の嶋基宏ともバッテリーを組んだ。


小関翔太: 再び一軍に戻ってくると、嶋基宏の骨折や伊志嶺忠の肉離れもあり、スタメンでの出場機会が増えていく。


高堀和也: 嶋基宏などの呼びかけによりボールは無事戻ってきたが、高堀は「ヤバい! と思った」と青ざめていた。


渡辺直人: 同年オフに選手会副会長に就任し、プロ4年目でチームの精神的支えとなっていた選手の放出はチーム内に大きな波紋を呼び、渡辺の涙のトレード会見の翌10日に契約更改に臨んだ鉄平(渡辺と合同自主トレをしてきた)、草野大輔(渡辺と社会人野球時代からの知己)、嶋基宏(渡辺と同期入団)が各々の記者会見の席上で、自らの話題よりも渡辺のトレードの件にふれて言葉をつまらせ、涙を流した。


落合博満: 他球団で実績のある捕手の嶋基宏(当時は楽天)、炭谷銀仁朗(当時は西武)を、FAで獲得する可能性を中日が調査したとの報道があったが、いずれも実現していない。


西田明央: 2020年、正捕手の中村や新加入の嶋基宏が相次いで故障したため開幕から先発出場する機会が増えた。


嶋基宏の情報まとめ

もしもしロボ

嶋 基宏(しま もとひろ)さんの誕生日は1984年12月13日です。岐阜出身の野球選手のようです。

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プレースタイル、人物などについてまとめました。テレビ、引退、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。嶋基宏の現在の年齢は39歳のようです。

嶋基宏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

嶋 基宏(しま もとひろ、1984年12月13日 - )は、岐阜県海津郡海津町(現:海津市)出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。

労働組合日本プロ野球選手会第8代会長。

海津市立吉里小学校1年から「吉里少年団」で投手として野球を始め、海津市立日新中学校では軟式野球部に所属して2年時に第20回全国中学校軟式野球大会に出場し、3年時には主将を務めた。子供のころから中日ドラゴンズのファンだった。小学生の頃から成績優秀、運動神経抜群で、テレビでも取り上げられた(情熱大陸にて)。

愛知県名古屋市にある中京大学附属中京高等学校出身。同校では、1年秋からベンチ入りし、上級生が引退した後は主将となり秋季東海大会で優勝。明治神宮大会ベスト4。3年春の第74回選抜高等学校野球大会に二塁手として出場。1回戦で西村健太朗、白濱裕太らを擁する広陵高校と対戦し初戦敗退。夏は愛知大会決勝で東邦高等学校に敗れ準優勝。野球部の同期には深町亮介がいる。

高校の大藤敏行監督が東都大学野球連盟に所属する國學院大學硬式野球部の竹田利秋監督に推薦し、本人も「野球のためだけではなく教師になりたかったから」という理由で同大学に進学。強肩を見込まれて捕手にコンバートされ、1年春からベンチ入りした。2年春のリーグ戦以降正捕手となり、3年時は春季リーグ戦で首位打者を獲得して秋からは主将となった。4年春には二部リーグで優勝してMVPに選出され、入れ替え戦を制して1993年春以来となる一部昇格に貢献。秋の一部リーグ戦では3試合目に左足首を負傷したが、「後輩のためにも絶対に降格は出来ない」と痛み止めを飲まずテーピングのみで出場。チームは優勝争いを演じて3位となり、自身はベストナイン(捕手)に輝く。1部リーグ通算15試合に出場、49打数14安打、打率.286、5打点、2部通算64試合、216打数73安打、35打点、2本塁打、打率.338を記録。大学の1年後輩にはプロでも同僚となる聖澤諒がいた。

2006年の大学生・社会人ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスより3巡目指名を受け入団した。野村克也監督が縁起を担いでいる「足して10になる数字」にあやかり、背番号は37。入団会見の挨拶では「19(野村監督の現役時代の背番号)が欲しかった」と冗談混じりに発言し、その場で監督から「いい捕手になったら19番を譲る」と約束された。

2007年、チーム内の新人で唯一開幕一軍登録され、125試合に出場。盗塁阻止率リーグ2位を記録し、オールスターにもファン投票で出場した。打撃ではシーズン通して打率2割未満だったが、リーグ8位の20犠打を記録した。

2008年は藤井彰人や井野卓の台頭などにより、出場機会が減少。オフの12月4日、契約更改後の記者会見時に大学の同級生だった女性との入籍を発表。2009年もシーズン前半から出場機会が多く、藤井が怪我で離脱してからは岩隈久志ともバッテリーを組むようになった。しかし、正捕手へ定着するには至らなかった。

2010年5月29日の対広島東洋カープ戦では、10回裏一死満塁の場面で永川勝浩から自身初のサヨナラ安打を記録した。また、オールスターには選手間投票で選出された。自身初で楽天の捕手としても初めて規定打席に到達し、パ・リーグの捕手としては2005年の城島健司以来の3割超となる打率.315を記録した。また、球団史上初となるゴールデングラブ賞を受賞し、ベストナインにも選出された。オフ、選手会長に就任した。楽天生え抜きの選手としては初めてとなる。

2011年、4月2日に東日本大震災の復興支援のために行われた慈善試合の前にスピーチした際の「見せましょう、野球の底力を」という言葉が注目を集めた。

シーズンでは藤井がFA移籍したため、5年目で初の開幕スタメンマスクを被り、試合では成瀬善久から決勝打となる勝ち越し3点本塁打を打ち勝利に貢献した。しかし前年に見られた巧打は精彩を欠き、伊志嶺忠が2番手捕手として台頭した影響もあって僅かながら規定打席には到達せず、打率は.224と成績を落とした。一方この年、嶋とバッテリーを組んだ時の田中将大の成績は18勝2敗、防御率0.998と優秀なものだったこともあり、田中との最優秀バッテリー賞を受賞した。

2012年4月30日に第一子が誕生。シーズン開幕から不動の正捕手として起用され続け、同年5月12日の試合終了時点で打率.319だったが、13日の対オリックス戦で川端崇義のファウルチップを右手に受けて負傷交代。その後は、23日の中日戦まで痛みを押して強行出場を続けていたが、24日に仙台市内の病院で第1中手骨基底部の骨折で全治1か月と診断され、同日登録抹消となる。7月6日に一軍復帰を果たしたが、復帰後は離脱中に台頭した新人の岡島豪郎と併用での起用となった。オールスターには3年連続での出場となり、特に第3戦ではスタメン出場し、田中将大と塩見貴洋を好リードし、三浦大輔から右前打を打つ活躍を見せた。91試合の出場は2008年に次ぐ少なさとなったが、打率は.291と前年の不振を払拭する数字を残した。守備率はリーグ2位、自己最高の.997を記録した。オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され代表入りした。12月6日、阪神タイガースの新井貴浩の後を継ぎ、パ・リーグ生え抜きの選手として初めて、労働組合日本プロ野球選手会の第8代目会長に史上最年少の27歳で就任した。

2013年の開幕直後は打撃好調で、4月上旬の時点で2012年度の本塁打・打点数を超え、ケーシー・マギーからは『打点マシン』とあだ名されるなど、打点ランキングの上位に食い込んだ。シーズン後半に調子を落としたが、7月26日に田中の開幕14連勝を決めるサヨナラヒットを打つなど田中将大の無敗記録を守備、打撃面からアシスト。さらに球団創設初のリーグ制覇、日本一に貢献した。この功績が認められ自身二度目となる最優秀バッテリー賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。12月7日、翌年から推定年俸1億2千万円+出来高払いの4年契約を結んだ。

2014年、わずかに規定打席に届かず、安打数も100を割ったが、オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出されたことが発表された。

2015年、2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された。3月10日の第1戦に「9番捕手」で先発出場している。3月11日の第2戦には途中出場している。シーズン序盤は打率3割以上を記録するなど好調だったが、徐々に調子を落とした。6月13日の中日ドラゴンズ戦でファウルチップを受け、肋骨を骨折した。1か月後の7月14日に復帰すると、その後はほぼスタメンを守り抜いた。骨折した影響もあり規定打席には届かず、打率は.219とプロ入り2番目に低い打率だが、IsoDは.119を記録するなど、数字以上の活躍をした。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された。10月30日、シーズン中に取得していた海外FA権を行使せずにチームに残留することを表明した。12月8日に第二子が誕生。

2016年公式戦の開幕前に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表へ選出されたが、左手甲部分の打撲を理由に辞退。公式戦でも、5月18日の対オリックス戦(岩手県営野球場)の守備中にファウルチップを左手首に受けて骨折したため、2か月間の戦線離脱を余儀なくされた。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された。

2017年、「第4回 ワールド・ベースボール・クラシック」の日本代表メンバーに選出されたが、右脹脛の張りで調整が遅れたため3月4日に代表辞退が発表された。シーズンでは112試合に出場した。

2018年、開幕からほぼシーズンを通してスタメンマスクを被り、前年と同じ112試合に出場した。(捕手でチーム出場数2位は山下斐紹の43試合)打率.206、盗塁阻止率.312と前年の成績を上回ったが、捕逸はリーグ最多の9を記録した。チームは開幕から不調で6月に梨田昌孝監督が辞任し、以降平石洋介一軍ヘッド兼打撃コーチが監督代行が指揮を執ったなかでの正捕手であった。

2019年は、腰痛の影響で2度の登録抹消を経験し、盗塁阻止率が1割を割るなど攻守に精彩を欠き、自己ワーストの57試合の出場にとどまった。10月頭に球団から減額制限を超える条件提示を受け、10月21日に他球団で出場機会を求めるため自由契約を申し入れ了承された。11月15日、東京ヤクルトスワローズより入団が発表された。ヤクルトとは2年契約を結んだ。

2020年は、3月21日の阪神タイガースとの練習試合で中田賢一から死球を受け、右手の親指付近を骨折。新型コロナウイルス流行の影響で開幕が延期されたことで、6月19日の開幕前には復帰を果たした。出場10試合目の7月11日の対読売ジャイアンツ戦にフル出場していたものの、守備中に負傷し、試合後の診察で右足舟状骨骨折が判明し、翌日に登録を抹消された。9月末に二軍で実戦復帰し、10月3日に一軍登録されたが、自己最少の20試合の出場に終わった。

2021年は、3月31日以降一軍に同行し続け、チームのムードの盛り上げ役を買って出て、6年ぶりのリーグ優勝に貢献。一方、出場は前年よりも更に少ない15試合にとどまった。チームは無敗でCSを制し、日本シリーズにも出場選手登録された。シリーズMVPとなった中村悠平が全イニング出場したため嶋をはじめ控え捕手陣に出場機会は無かったが、自身としては楽天時代以来8年ぶりの日本一となった。球団は嶋の野球に取り組む姿勢や、ベンチでの振る舞いを高く評価し、選手兼任コーチとして嶋と契約することを検討していることが報じられ、翌シーズンからはコーチ補佐を兼任することとなった。

2022年は、シーズンを通して出場選手登録がされない期間が長く、一軍に帯同しコーチ補佐としてベンチに入っていた。9月27日に現役引退を発表。この時点で今シーズンの試合出場は1試合のみだった。10月3日、現役最終戦となる横浜DeNAベイスターズ戦に8回代打で出場。結果は7球粘っての空振り三振だった。終了後のセレモニーでファンへ挨拶を行い、楽天所属時に東日本大地震に際して発した「見せましょう、野球の底力を!」を彷彿とさせる「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!」という言葉で締めた。

2023年はバッテリーコーチ兼作戦補佐を担当。背番号は楽天時代の恩師であった野村克也がヤクルト監督時代に使用していた73となった。2024年からはヘッド兼バッテリーコーチを務める。

プレースタイル

守備

1.9秒台の二塁送球をコンスタントに記録する素早く正確なスローイングに定評があり、プロ入り以来リーグ上位の盗塁阻止率を記録してきたが数字自体は徐々に下降している。

リード面ではエース級の投手では自信を持ってサインを出すものの、力の劣る投手に対しての配球に迷いを見せることがあったが、当時の楽天監督野村克也の薫陶を受け着実に成長。楽天のエースだった岩隈久志は「正捕手になってからは自信を持ってサインを出している。(中略)今は打者を打ち取ることをイメージできてるし、立ち居振る舞いも堂々としてきましたね。」と評し、その成長を認めている。

捕球面ではショートバウンドの処理を手だけで行うクセなどが指摘されており、捕逸が多い傾向にある。2012年は守備の規定に到達した捕手の中では最少の捕逸1にとどめたものの、それ以外ではリーグ最多捕逸を7度記録している。

投手とのコミュニケーションを大切にしており、外国人投手に対しても積極的に接する。その甲斐あって、2011年に楽天に所属した5人の外国人投手が嶋とバッテリーを組んだ時の通算防御率は3.25、他の捕手と組んだ時は6.63と、外国人投手との相性が非常に良い。

元々内野手だったこともあり、バント処理時には動きの良いところを見せている。

打撃

プロ入り当初はスイングの弱さ等が指摘されており、プロ1年目には一時期バスター打法にしたり流し打ちに取り組んだりした。その後は着実に力強さとミートの上手さが増してきており、2010年には打率.315、2012年には打率.291を記録した。プロ入り以降例年右方向への打球割合が45パーセントを越えるなど、打球方向は中堅から右翼方向が多く、典型的な右打ちのアベレージヒッターである。この打撃スタイルのため、嶋の打席では守備が右寄りのシフトを敷かれる。この右方向を意識した打撃によって打席内では粘り強いため四球を呼び込むことも多くなり、2014年から2016年はIsoDが0.1以上を記録するように出塁率が上がってきている。

左投手に強く、特に2009年から2010年にかけては対右打率.268に対し左では.319を残している。

バント等の小技も上手く、過去には2番打者として出場したこともあり、満塁でセーフティスクイズを決めたこともある。一塁到達4.22秒と捕手としては足も遅くなく、2010年には12球団の捕手で最多タイとなる9盗塁を記録している。

人物

この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2011年12月)

読書が趣味で、特技の書道は六段の腕前。座右の銘は「愛情」「真心」。

尊敬する野球選手は谷繁元信。谷繁が自宅から近い國學院大學グラウンドを毎年自主トレ場に使っており、学生時代からその姿に魅了されたという。実戦でも谷繁から直接譲り受けたミットを使用している。

中学時代は野球部の主将に加えて生徒会執行部、体育祭の応援団長を務め、学業でも9教科でオール5の成績だった。

高校時代は実家のある岐阜県海津市から電車で片道1時間半かけて通学していた。愛知県外出身者としては中京大中京高校史上初めての主将であった。

高校入学当初は強豪野球部の中では目立たぬ存在で、二塁手としては補欠の三番手ということもあり、2年時には「マネージャーとしてチームに貢献したい」と申し出るも、大藤敏行監督は「怪我人も出るかもしれんし、まだチャンスはある」と諭し、慰留した。

大学時代の監督で、仙台育英高校と東北高校の監督として27回の甲子園出場経験が有る竹田利秋は「嶋ほど人間性やコミュニケーションに優れた学生や、頭脳、心、洞察力を持った選手は見たことがない」「嶋は相手を見抜く洞察力と投手の力を引き出す能力がある。監督が何を考えているかをくみ取ってゲームメークできる。佐々木主浩の天職がクローザーなら、嶋は捕手が天職」と高く評価している。

元楽天監督の野村克也は捕手は頭脳が良くなければいけないという持論から、コーチに頼んで正捕手候補数名の中学時代の通知票を取り寄せたところ、嶋がオール5だったことからルーキーでの一軍起用を即決したという。嶋は野村に試合中でも怒られ、時には野村の横で立たされて“公開説教”を受けることもあった。その野村が死去した際には、会見で「野村監督が、最期に育てたキャッチャーが、僕だと思うので」と声を詰まらせ、号泣し「いずれ野村さんのように名監督と呼ばれるようにこれから勉強したい」と決意を述べた。

2012年に就任したプロ野球選手会会長を前会長の新井貴浩から最初の打診を受けたときは、「経験があまりにも少ないし、ほかの先輩たちが納得しないのでは。自分には務まらない」と断ったが、「やはりおまえしかいない。選手会を引っ張っていってくれ。引き受けてくれるまでこの電話を絶対切らない」と新井の熱意に押し切られた。

2024/06/25 12:10更新

shima motohiro



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藤嶋 花音(ふじしま かのん、2005年4月8日 - )は、日本の女優、タレント。東京都出身。ホリ・エージェンシー所属。 2005年4月8日、東京都で生まれる。 中学3年生だった2021年には『…

平嶋 夏海(ひらじま なつみ)
1992年5月28日生まれの有名人 東京出身

平嶋 夏海(ひらじま なつみ、1992年〈平成4年〉5月28日 - )は、日本のタレント、女優、グラビアアイドル、声優、歌手。女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。東京都出身。ワンエイトプロモ…

姫嶋 菜穂子(ひめじま なおこ)
1982年3月24日生まれの有名人 埼玉出身

姫嶋 菜穂子(ひめじま なおこ、1982年3月24日 - )は、埼玉県出身の元アイドル、元タレント。元7代目ミニスカポリス。 テレビ東京の「出動!ミニスカポリス」で7代目ミニスカポリスとして活躍…

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嶋基宏
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