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嶋基宏の情報 (しまもとひろ)
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嶋基宏の情報(しまもとひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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嶋 基宏さんについて調べます

■名前・氏名
嶋 基宏
(読み:しま もとひろ)
■職業
野球選手
■嶋基宏の誕生日・生年月日
1984年12月13日 (年齢39歳)
子年(ねずみ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
岐阜出身

(昭和59年)1984年生まれの人の年齢早見表

嶋基宏と同じ1984年生まれの有名人・芸能人

嶋基宏と同じ12月13日生まれの有名人・芸能人

嶋基宏と同じ出身地岐阜県生まれの有名人・芸能人


嶋基宏と関係のある人

袴田彩会: 野球ファンで、嶋基宏選手が東北楽天ゴールデンイーグルス在籍は、休日もスコアブック片手に宮城球場へ赴いた。


聖澤諒: 同年秋のリーグ戦終了後、後に楽天でもチームメイトとなる嶋基宏の後を継ぎ主将となる。


小関翔太: 同月4日に同球場で開催のソフトバンク戦では、前日のオリックス戦で負傷した正捕手・嶋基宏に代わる捕手として、一軍公式戦で初めてスタメン起用された。


星孝典: 初盗塁:2011年8月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス14回戦(西武ドーム)、6回裏に二盗(投手:ケルビン・ヒメネス、捕手:嶋基宏


深町亮介: チームメイトには2番セカンド、主将の嶋基宏(現・東京ヤクルトスワローズ)がいた。


石原彪: 初出場:2018年8月24日、対北海道日本ハムファイターズ17回戦(札幌ドーム)、8回表に嶋基宏の代打で出場


金子圭輔: 7月19日の対楽天戦で9番遊撃手として移籍後初の先発出場を果たし、5回二死の場面で山村宏樹からライト前安打で出塁したが、直後に嶋基宏の送球によりプロ入り初の盗塁失敗を喫してチェンジとなった。


クレイグ=ブラゼル: そのため、ある試合で田中将大・嶋基宏のバッテリーが、不用意にストレートを選択して、ブラゼルに特大の本塁打を打たれた時には、野村は思わず怒鳴り倒した。


髙田知季: 8月11日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でショートゴロで出塁し、ブランドン・ダックワース - 嶋基宏バッテリーからプロ初盗塁を記録した。


炭谷銀仁朗: 2017年は、当初第4回WBC日本代表選手28人から漏れたが、嶋基宏の負傷による離脱に伴う補充選手として2大会連続で選出された。12月7日、嶋基宏の後を継ぎ、労働組合日本プロ野球選手会の第9代会長に選出された。


二保旭: 4月7日の対楽天戦で8回二死満塁、再び場面から登板して嶋基宏をファーストゴロに抑えて切り抜けたが8回につかまり一死満塁とした所で降板、後続を森福允彦が抑えたことでプロ入り初ホールドを挙げた。


足立祐一: 2016年、5月21日に左手首の骨折によって登録抹消された嶋基宏に代わって一軍登録され、その日の試合で「9番・捕手」でプロ初先発出場を果たした。嶋基宏が一軍に再登録されてからは出場機会は減ったが、安樂智大が先発する試合はスタメン出場することが多く、結果的に嶋に次ぐ73試合出場を果たした。


木村文和: 初盗塁:2014年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(西武ドーム)、4回裏に二盗(投手:塩見貴洋、捕手:嶋基宏


藤井彰人: 大卒ルーキーの嶋基宏と正捕手の座を争った。


小関翔太: 再び一軍に戻ってくると、嶋基宏の骨折や伊志嶺忠の肉離れもあり、スタメンでの出場機会が増えていく。


中谷仁: 2007年は怪我で出遅れ、更にルーキー嶋基宏の抜擢など一軍試合出場は無く、二軍でも内野も守るなど出場機会が減った。


藤田一也: その後は同僚の宮﨑敏郎、楽天時代にともにプレーした嶋基宏、横浜同期入団の石川雄洋、家族らから花束を受け取り、グラウンドを1周してファンの声援に応えた。


松井裕樹: 嶋基宏は、松井の投球を田中将大と比較したうえで、「スライダーについても一級品です。


細川亨: 2017年は正捕手の嶋基宏や若手投手へのサポート役として、公式戦の開幕から一軍に帯同した。


中村悠平: 2020年、東北楽天ゴールデンイーグルスから移籍してきた嶋基宏らとの争いを制し、開幕前日に先発出場が発表されていたが、開幕日である6月19日の試合前練習で上半身を痛めスタメンを嶋に譲り、翌6月20日に出場登録を抹消された。


星野仙一: 戦力外にした山崎、メジャーリーグに移籍した岩隈久志の退団に加え、前半戦は田中将大、松井稼頭央、嶋基宏、ルイス・ガルシアら主力の離脱が目立ち戦力低下が不安視されていた。


大野奨太: 契約更改でも600万円減の2200万円で契約となり、ヤクルト嶋基宏が引退したことにより現役最年長捕手となった。


早川大輔: 7月3日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦の9回の打席で、ヒットエンドランの際に投球はピッチドアウトで大きく外れていたにもかかわらず、嶋基宏捕手が二塁へ送球するタイミングでバットを放り投げた(捕手がうまくかわし、二塁へ送球したため結果は盗塁死となった)。


伊志嶺忠: 背番号は48で、指名の直後には、当時編成部長を務めていた山下大輔から「(正捕手の)嶋基宏と2人揃えば、向こう10年間は捕手に心配がない」と評価された。


菅野智之: チームが2勝3敗で楽天に王手をかけられた中で迎えた11月2日の第6戦(Kスタ宮城)では、2回裏に嶋基宏の内野ゴロで先制され、ホセ・ロペスの失策もあり2失点するも味方からの援護もあり、7回2失点(自責点1)3奪三振の内容で、チームは4対2で勝利。


西田明央: 2020年、正捕手の中村や新加入の嶋基宏が相次いで故障したため開幕から先発出場する機会が増えた。


新井貴浩: 12月には日本プロ野球選手会会長職を嶋基宏に譲った。


小久保裕紀: 2011年東北地方太平洋沖地震もK'Projectを通して2011年3月26日にトークショーを行い、急きょだったにも関わらず、ホークスの一軍選手ほぼ全員、被災地東北の球団である楽天の選手も、嶋基宏、岩隈久志、田中将大らが参加した。


江川智晃: 控えだったが、小久保裕紀の肋間神経痛や腰痛により、4月18日から20試合連続で先発起用され、5月2日の対日本ハム戦で決勝2点本塁打、5月5日の対楽天戦では戸村健次 - 嶋基宏バッテリーからプロ入り初盗塁も決めた。


大藤敏行: 嶋基宏(現東京ヤクルトスワローズ)


嶋基宏の情報まとめ

もしもしロボ

嶋 基宏(しま もとひろ)さんの誕生日は1984年12月13日です。岐阜出身の野球選手のようです。

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テレビ、引退、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。嶋基宏の現在の年齢は39歳のようです。

嶋基宏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

嶋 基宏(しま もとひろ、1984年12月13日 - )は、岐阜県海津郡海津町(現:海津市)出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。

労働組合日本プロ野球選手会第8代会長。

海津市立吉里小学校1年から「吉里少年団」で投手として野球を始め、海津市立日新中学校では軟式野球部に所属して2年時に第20回全国中学校軟式野球大会に出場し、3年時には主将を務めた。子供のころから中日ドラゴンズのファンだった。小学生の頃から成績優秀、運動神経抜群で、テレビでも取り上げられた(情熱大陸にて)。

愛知県名古屋市にある中京大学附属中京高等学校出身。同校では、1年秋からベンチ入りし、上級生が引退した後は主将となり秋季東海大会で優勝。明治神宮大会ベスト4。3年春の第74回選抜高等学校野球大会に二塁手として出場。1回戦で西村健太朗、白濱裕太らを擁する広陵高校と対戦し初戦敗退。夏は愛知大会決勝で東邦高等学校に敗れ準優勝。野球部の同期には深町亮介がいる。

高校の大藤敏行監督が東都大学野球連盟に所属する國學院大學硬式野球部の竹田利秋監督に推薦し、本人も「野球のためだけではなく教師になりたかったから」という理由で同大学に進学。強肩を見込まれて捕手にコンバートされ、1年春からベンチ入りした。2年春のリーグ戦以降正捕手となり、3年時は春季リーグ戦で首位打者を獲得して秋からは主将となった。4年春には二部リーグで優勝してMVPに選出され、入れ替え戦を制して1993年春以来となる一部昇格に貢献。秋の一部リーグ戦では3試合目に左足首を負傷したが、「後輩のためにも絶対に降格は出来ない」と痛み止めを飲まずテーピングのみで出場。チームは優勝争いを演じて3位となり、自身はベストナイン(捕手)に輝く。1部リーグ通算15試合に出場、49打数14安打、打率.286、5打点、2部通算64試合、216打数73安打、35打点、2本塁打、打率.338を記録。大学の1年後輩にはプロでも同僚となる聖澤諒がいた。

2006年の大学生・社会人ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスより3巡目指名を受け入団した。野村克也監督が縁起を担いでいる「足して10になる数字」にあやかり、背番号は37。入団会見の挨拶では「19(野村監督の現役時代の背番号)が欲しかった」と冗談混じりに発言し、その場で監督から「いい捕手になったら19番を譲る」と約束された。

2007年、チーム内の新人で唯一開幕一軍登録され、125試合に出場。盗塁阻止率リーグ2位を記録し、オールスターにもファン投票で出場した。打撃ではシーズン通して打率2割未満だったが、リーグ8位の20犠打を記録した。

2008年は藤井彰人や井野卓の台頭などにより、出場機会が減少。オフの12月4日、契約更改後の記者会見時に大学の同級生だった女性との入籍を発表。2009年もシーズン前半から出場機会が多く、藤井が怪我で離脱してからは岩隈久志ともバッテリーを組むようになった。しかし、正捕手へ定着するには至らなかった。

2010年5月29日の対広島東洋カープ戦では、10回裏一死満塁の場面で永川勝浩から自身初のサヨナラ安打を記録した。また、オールスターには選手間投票で選出された。自身初で楽天の捕手としても初めて規定打席に到達し、パ・リーグの捕手としては2005年の城島健司以来の3割超となる打率.315を記録した。また、球団史上初となるゴールデングラブ賞を受賞し、ベストナインにも選出された。オフ、選手会長に就任した。楽天生え抜きの選手としては初めてとなる。

2011年、4月2日に東日本大震災の復興支援のために行われた慈善試合の前にスピーチした際の「見せましょう、野球の底力を」という言葉が注目を集めた。

シーズンでは藤井がFA移籍したため、5年目で初の開幕スタメンマスクを被り、試合では成瀬善久から決勝打となる勝ち越し3点本塁打を打ち勝利に貢献した。しかし前年に見られた巧打は精彩を欠き、伊志嶺忠が2番手捕手として台頭した影響もあって僅かながら規定打席には到達せず、打率は.224と成績を落とした。一方この年、嶋とバッテリーを組んだ時の田中将大の成績は18勝2敗、防御率0.998と優秀なものだったこともあり、田中との最優秀バッテリー賞を受賞した。

2012年4月30日に第一子が誕生。シーズン開幕から不動の正捕手として起用され続け、同年5月12日の試合終了時点で打率.319だったが、13日の対オリックス戦で川端崇義のファウルチップを右手に受けて負傷交代。その後は、23日の中日戦まで痛みを押して強行出場を続けていたが、24日に仙台市内の病院で第1中手骨基底部の骨折で全治1か月と診断され、同日登録抹消となる。7月6日に一軍復帰を果たしたが、復帰後は離脱中に台頭した新人の岡島豪郎と併用での起用となった。オールスターには3年連続での出場となり、特に第3戦ではスタメン出場し、田中将大と塩見貴洋を好リードし、三浦大輔から右前打を打つ活躍を見せた。91試合の出場は2008年に次ぐ少なさとなったが、打率は.291と前年の不振を払拭する数字を残した。守備率はリーグ2位、自己最高の.997を記録した。オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され代表入りした。12月6日、阪神タイガースの新井貴浩の後を継ぎ、パ・リーグ生え抜きの選手として初めて、労働組合日本プロ野球選手会の第8代目会長に史上最年少の27歳で就任した。

2013年の開幕直後は打撃好調で、4月上旬の時点で2012年度の本塁打・打点数を超え、ケーシー・マギーからは『打点マシン』とあだ名されるなど、打点ランキングの上位に食い込んだ。シーズン後半に調子を落としたが、7月26日に田中の開幕14連勝を決めるサヨナラヒットを打つなど田中将大の無敗記録を守備、打撃面からアシスト。さらに球団創設初のリーグ制覇、日本一に貢献した。この功績が認められ自身二度目となる最優秀バッテリー賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。12月7日、翌年から推定年俸1億2千万円+出来高払いの4年契約を結んだ。

2014年、わずかに規定打席に届かず、安打数も100を割ったが、オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出されたことが発表された。

2015年、2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された。3月10日の第1戦に「9番捕手」で先発出場している。3月11日の第2戦には途中出場している。シーズン序盤は打率3割以上を記録するなど好調だったが、徐々に調子を落とした。6月13日の中日ドラゴンズ戦でファウルチップを受け、肋骨を骨折した。1か月後の7月14日に復帰すると、その後はほぼスタメンを守り抜いた。骨折した影響もあり規定打席には届かず、打率は.219とプロ入り2番目に低い打率だが、IsoDは.119を記録するなど、数字以上の活躍をした。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された。10月30日、シーズン中に取得していた海外FA権を行使せずにチームに残留することを表明した。12月8日に第二子が誕生。

2016年公式戦の開幕前に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表へ選出されたが、左手甲部分の打撲を理由に辞退。公式戦でも、5月18日の対オリックス戦(岩手県営野球場)の守備中にファウルチップを左手首に受けて骨折したため、2か月間の戦線離脱を余儀なくされた。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された。

2017年、「第4回 ワールド・ベースボール・クラシック」の日本代表メンバーに選出されたが、右脹脛の張りで調整が遅れたため3月4日に代表辞退が発表された。シーズンでは112試合に出場した。

2018年、開幕からほぼシーズンを通してスタメンマスクを被り、前年と同じ112試合に出場した。(捕手でチーム出場数2位は山下斐紹の43試合)打率.206、盗塁阻止率.312と前年の成績を上回ったが、捕逸はリーグ最多の9を記録した。チームは開幕から不調で6月に梨田昌孝監督が辞任し、以降平石洋介一軍ヘッド兼打撃コーチが監督代行が指揮を執ったなかでの正捕手であった。

2019年は、腰痛の影響で2度の登録抹消を経験し、盗塁阻止率が1割を割るなど攻守に精彩を欠き、自己ワーストの57試合の出場にとどまった。10月頭に球団から減額制限を超える条件提示を受け、10月21日に他球団で出場機会を求めるため自由契約を申し入れ了承された。11月15日、東京ヤクルトスワローズより入団が発表された。ヤクルトとは2年契約を結んだ。

2020年は、3月21日の阪神タイガースとの練習試合で中田賢一から死球を受け、右手の親指付近を骨折。新型コロナウイルス流行の影響で開幕が延期されたことで、6月19日の開幕前には復帰を果たした。出場10試合目の7月11日の対読売ジャイアンツ戦にフル出場していたものの、守備中に負傷し、試合後の診察で右足舟状骨骨折が判明し、翌日に登録を抹消された。9月末に二軍で実戦復帰し、10月3日に一軍登録されたが、自己最少の20試合の出場に終わった。

2021年は、3月31日以降一軍に同行し続け、チームのムードの盛り上げ役を買って出て、6年ぶりのリーグ優勝に貢献。一方、出場は前年よりも更に少ない15試合にとどまった。チームは無敗でCSを制し、日本シリーズにも出場選手登録された。シリーズMVPとなった中村悠平が全イニング出場したため嶋をはじめ控え捕手陣に出場機会は無かったが、自身としては楽天時代以来8年ぶりの日本一となった。球団は嶋の野球に取り組む姿勢や、ベンチでの振る舞いを高く評価し、選手兼任コーチとして嶋と契約することを検討していることが報じられ、翌シーズンからはコーチ補佐を兼任することとなった。

2022年は、シーズンを通して出場選手登録がされない期間が長く、一軍に帯同しコーチ補佐としてベンチに入っていた。9月27日に現役引退を発表。この時点で今シーズンの試合出場は1試合のみだった。10月3日、現役最終戦となる横浜DeNAベイスターズ戦に8回代打で出場。結果は7球粘っての空振り三振だった。終了後のセレモニーでファンへ挨拶を行い、楽天所属時に東日本大地震に際して発した「見せましょう、野球の底力を!」を彷彿とさせる「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!」という言葉で締めた。

2023年はバッテリーコーチ兼作戦補佐を担当。背番号は楽天時代の恩師であった野村克也がヤクルト監督時代に使用していた73となった。2024年からはヘッド兼バッテリーコーチを務める。

1.9秒台の二塁送球をコンスタントに記録する素早く正確なスローイングに定評があり、プロ入り以来リーグ上位の盗塁阻止率を記録してきたが数字自体は徐々に下降している。

リード面ではエース級の投手では自信を持ってサインを出すものの、力の劣る投手に対しての配球に迷いを見せることがあったが、当時の楽天監督野村克也の薫陶を受け着実に成長。楽天のエースだった岩隈久志は「正捕手になってからは自信を持ってサインを出している。(中略)今は打者を打ち取ることをイメージできてるし、立ち居振る舞いも堂々としてきましたね。」と評し、その成長を認めている。

捕球面ではショートバウンドの処理を手だけで行うクセなどが指摘されており、捕逸が多い傾向にある。2012年は守備の規定に到達した捕手の中では最少の捕逸1にとどめたものの、それ以外ではリーグ最多捕逸を7度記録している。

投手とのコミュニケーションを大切にしており、外国人投手に対しても積極的に接する。その甲斐あって、2011年に楽天に所属した5人の外国人投手が嶋とバッテリーを組んだ時の通算防御率は3.25、他の捕手と組んだ時は6.63と、外国人投手との相性が非常に良い。

元々内野手だったこともあり、バント処理時には動きの良いところを見せている。

プロ入り当初はスイングの弱さ等が指摘されており、プロ1年目には一時期バスター打法にしたり流し打ちに取り組んだりした。その後は着実に力強さとミートの上手さが増してきており、2010年には打率.315、2012年には打率.291を記録した。プロ入り以降例年右方向への打球割合が45パーセントを越えるなど、打球方向は中堅から右翼方向が多く、典型的な右打ちのアベレージヒッターである。この打撃スタイルのため、嶋の打席では守備が右寄りのシフトを敷かれる。この右方向を意識した打撃によって打席内では粘り強いため四球を呼び込むことも多くなり、2014年から2016年はIsoDが0.1以上を記録するように出塁率が上がってきている。

左投手に強く、特に2009年から2010年にかけては対右打率.268に対し左では.319を残している。

バント等の小技も上手く、過去には2番打者として出場したこともあり、満塁でセーフティスクイズを決めたこともある。一塁到達4.22秒と捕手としては足も遅くなく、2010年には12球団の捕手で最多タイとなる9盗塁を記録している。

読書が趣味で、特技の書道は六段の腕前。座右の銘は「愛情」「真心」。

尊敬する野球選手は谷繁元信。谷繁が自宅から近い國學院大學グラウンドを毎年自主トレ場に使っており、学生時代からその姿に魅了されたという。実戦でも谷繁から直接譲り受けたミットを使用している。

中学時代は野球部の主将に加えて生徒会執行部、体育祭の応援団長を務め、学業でも9教科でオール5の成績だった。

高校時代は実家のある岐阜県海津市から電車で片道1時間半かけて通学していた。愛知県外出身者としては中京大中京高校史上初めての主将であった。

高校入学当初は強豪野球部の中では目立たぬ存在で、二塁手としては補欠の三番手ということもあり、2年時には「マネージャーとしてチームに貢献したい」と申し出るも、大藤敏行監督は「怪我人も出るかもしれんし、まだチャンスはある」と諭し、慰留した。

大学時代の監督で、仙台育英高校と東北高校の監督として27回の甲子園出場経験が有る竹田利秋は「嶋ほど人間性やコミュニケーションに優れた学生や、頭脳、心、洞察力を持った選手は見たことがない」「嶋は相手を見抜く洞察力と投手の力を引き出す能力がある。監督が何を考えているかをくみ取ってゲームメークできる。佐々木主浩の天職がクローザーなら、嶋は捕手が天職」と高く評価している。

元楽天監督の野村克也は捕手は頭脳が良くなければいけないという持論から、コーチに頼んで正捕手候補数名の中学時代の通知票を取り寄せたところ、嶋がオール5だったことからルーキーでの一軍起用を即決したという。嶋は野村に試合中でも怒られ、時には野村の横で立たされて“公開説教”を受けることもあった。その野村が死去した際には、会見で「野村監督が、最期に育てたキャッチャーが、僕だと思うので」と声を詰まらせ、号泣し「いずれ野村さんのように名監督と呼ばれるようにこれから勉強したい」と決意を述べた。

2012年に就任したプロ野球選手会会長を前会長の新井貴浩から最初の打診を受けたときは、「経験があまりにも少ないし、ほかの先輩たちが納得しないのでは。自分には務まらない」と断ったが、「やはりおまえしかいない。選手会を引っ張っていってくれ。引き受けてくれるまでこの電話を絶対切らない」と新井の熱意に押し切られた。

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字年はゴールデングラブ賞受賞年

ベストナイン:2回(捕手部門:2010年、2013年)

ゴールデングラブ賞:2回(捕手部門:2010年、2013年)

最優秀バッテリー賞:2回(2011年 投手:田中将大、2013年 投手:田中将大)

「ジョージア魂」賞 選考委員特別賞:1回(2011年)

「ジョージア魂」賞:1回(2011年度第1回)

月間サヨナラ賞:1回(2013年7月)

海津市民栄誉賞(2013年12月)

初出場:2007年3月28日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回裏に藤井彰人に代わり捕手で出場

初打席・初安打:同上、8回表に杉内俊哉から投手内野安打

初先発出場:2007年4月1日、対オリックス・バファローズ2回戦(フルキャストスタジアム宮城)、9番・捕手で先発出場

初盗塁:2007年4月20日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(フルキャストスタジアム宮城)、7回裏に二盗(投手:藤田宗一、捕手:里崎智也)

初打点:2007年4月24日、対オリックス・バファローズ3回戦(スカイマークスタジアム)、4回表にダン・セラフィニから中前適時打

初本塁打:2007年4月29日、対北海道日本ハムファイターズ8回戦(フルキャストスタジアム宮城)、7回裏に八木智哉から左越ソロ

1000試合出場:2015年8月9日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(札幌ドーム)、7番・捕手で先発出場 ※史上472人目

オールスターゲーム出場:8回(2007年、2010年、2011年、2012年、2013年、2014年、2015年、2017年)

37(2007年 - 2019年)

45(2020年 - 2022年)

73(2023年 - )

『Chaka Dance』Beenie Man(2007年)

『熱くなれ』大黒摩季(2008年 - 2022年) ※2015年と2019年途中からは第2打席以降で使用、ヤクルト移籍後は全打席で使用

『ファイティングスピリット』パンダライオン(2015年) ※第1打席のみ

『パプリカ』Foorin(2019年途中) ※第1打席のみ

2015 WBSCプレミア12 日本代表

^ 野球浪漫 嶋基宏『週刊ベースボール』2011年12月5日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/5, 54-57頁。

^ 「嶋“初体験”楽天、延長10回サヨナラ!」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン、2010年5月30日。2013年4月19日閲覧。

^ 「嶋基宏&鉄平が明かす3.11の葛藤と伝説スピーチの裏側。星野仙一監督に直談判もした」『web Sportiva』2021年3月10日。2021年5月2日閲覧。

^ 「「見せましょう、野球の底力を」が重圧だった… 楽天・嶋基宏が苦悩から解き放たれた瞬間とは【3.11】(間淳)」『Number Web』2021年3月11日。2021年5月2日閲覧。

^ 「嶋が届けた 楽天に東北に「特別な」1勝」スポーツニッポン、2011年4月13日。2021年6月4日閲覧。

^ 「嶋が負傷交代 ファウルボールを右手親指に受ける」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン、2012年5月13日。2013年4月19日閲覧。

^ 「楽天・嶋 右親指骨折 近日中に手術へ 全治1カ月」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン、2012年5月25日。2013年4月19日閲覧。

^ 「侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー」NPB公式サイト、2012年11月6日。2015年4月14日閲覧。

^ 「日本代表メンバー」NPB公式サイト、2012年11月6日。2015年4月14日閲覧。

^ 「“打点マシン”嶋 肉食変身のV打 リーグ1位14打点」『Sponichi Annex』2013年4月12日。2013年4月21日閲覧。

^ 「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト。2015年3月30日閲覧。

^ 「【楽天】嶋4年契約 年俸倍増1・2億円」日刊スポーツ、2013年12月7日。2021年6月4日閲覧。

^ 「2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表!」侍ジャパン公式サイト、2014年10月9日。2015年3月26日閲覧。

^ 「欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集」侍ジャパン公式サイト、2015年2月16日。2015年3月22日閲覧。

^ 「ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第1戦 2015年3月10日(火) 東京ドーム 打席結果・投打成績」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年3月10日。2016年3月10日閲覧。

^ 「ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年3月11日。2016年3月10日閲覧。

^ 「トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年7月16日。2015年8月4日閲覧。

^ 「「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年9月10日。2015年9月20日閲覧。

^ 「「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!!」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年10月9日。2015年10月9日閲覧。

^ 「【楽天】海外FA権取得の嶋、残留表明「もう一度、東北の方々と優勝を」」『スポーツ報知』2015年10月30日。2015年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月26日閲覧。

^ 「3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表!」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2016年2月15日。2016年2月17日閲覧。

^ 「侍ジャパン強化試合 出場選手変更のお知らせ」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2016年3月4日。2021年6月4日閲覧。

^ 「楽天嶋が骨折、交流戦絶望的 18日ファウル直撃」『日刊スポーツ』2016年5月20日。2021年6月26日閲覧。

^ 「楽天嶋、22日ロッテ戦で骨折から2カ月ぶり復帰へ」『日刊スポーツ』2016年5月20日。2021年6月26日閲覧。

^ 「11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定」野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト、2016年10月18日。2016年10月18日閲覧。

^ 「楽天嶋 自由契約を了承「人生1回きりなので勝負」」日刊スポーツ、2019年10月21日。2021年6月4日閲覧。

^ 「選手獲得のお知らせ」東京ヤクルトスワローズ、2019年11月15日。2021年6月4日閲覧。

^ 「「ヤクルトの嶋基宏です」 新天地ユニ写真にファン興奮「めっちゃ似合ってます」」『Full-Count』2020年2月1日。2021年5月2日閲覧。

^ 「ヤクルト嶋が骨折「右手の親指の近く」監督明かす」『日刊スポーツ』2020年3月21日。2021年10月27日閲覧。

^ 「ヤクルト・嶋「開幕したときは元気ハツラツに」右手骨折後初のリハビリ経過報告」『デイリースポーツ online』2020年4月14日。2021年10月27日閲覧。

^ 「ヤクルト・嶋が右足舟状骨を骨折で登録抹消、全治は不明…正捕手の中村も離脱中でかなりの痛手に…」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』2020年7月12日。2021年5月2日閲覧。

^ 「ヤクルト嶋が登録抹消、右足舟状骨骨折で全治未定」『日刊スポーツ』2020年7月12日。2021年10月27日閲覧。

^ 「ヤクルト・嶋が一軍復帰!今季2度目の骨折を乗り越えて 3日のプロ野球公示」『BASEBALL KING』2020年10月3日。2021年10月27日閲覧。

^ 「ヤクルト嶋「本当に悔しい1年」骨折で最少20試合」『日刊スポーツ』2020年12月10日。2021年10月27日閲覧。

^ 「ヤクルト嶋基宏“伝説の声出し”助っ人コンビに仕込んだ爆笑ネタでVロード」『日刊スポーツ』2021年10月26日。2021年10月27日閲覧。

^ 「ヤクルトが嶋基宏に選手兼任コーチ打診を検討 アドバイザー役も期待」『日刊スポーツ』2021年10月27日。2021年10月27日閲覧。

^ 「【ヤクルト】来季スタッフを正式発表 嶋基宏が選手兼コーチ補佐、球団OBの城石憲之氏が2軍チーフ兼守備走塁コーチに」『スポーツ報知』2021年12月8日。2021年12月8日閲覧。

^ 「【ヤクルト】嶋基宏、引退スピーチで名言再現「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!」」『スポーツ報知』2022年10月3日。2023年11月9日閲覧。

^ 「【野球】引退・嶋の思いと“前を向く”理由 来季からヤクルト1軍バッテリーコーチ兼作戦補佐に」『デイリースポーツ online』株式会社デイリースポーツ、2022年11月4日。2022年12月13日閲覧。

^ 「【ヤクルト】嶋基宏氏がヘッドコーチ兼バッテリーコーチに/来季1軍陣容一覧」『日刊スポーツ』2023年10月10日。2023年11月9日閲覧。

^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクトムック、2007年、226頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。

^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、236頁。ISBN 978-4-331-51519-8。

^ 『週刊プロ野球データファイル』2011年25号、ベースボール・マガジン社、雑誌27741-10/5、10頁。

^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、97頁。ISBN 978-4-86191-595-6。

^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2012』廣済堂出版、2012年、198頁。ISBN 978-4-331-51613-3。

^ 「楽天は田中将大だけじゃない新人捕手・嶋基宏に期待!」web R25、2007年5月31日。2007年5月31日閲覧。

^ 「決勝3ラン楽天嶋 復興へ奇跡呼ぶ怒られ役の“底力”」zakzak、2011年4月13日。2011年4月13日閲覧。

^ 山村宏樹「首位ターン・楽天を牽引する嶋基宏の成長と苦悩」『Yahoo!ニュース 個人』2013年7月18日。2013年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月23日閲覧。

^ 「野村さんの最後の教え子ヤクルト・嶋、訃報に悲痛…「いずれ監督のように」」サンケイスポーツ、2020年2月12日。2021年12月28日閲覧。

^ 「歴代最年少のプロ野球選手会会長 楽天・嶋基宏」日本経済新聞、2013年1月12日。2021年6月4日閲覧。

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個人年度別成績 嶋基宏 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

22 髙津臣吾

73 嶋基宏(ヘッド兼バッテリー)

89 伊藤智仁(投手)

98 石井弘寿(投手)

78 大松尚逸(打撃チーフ)

74 杉村繁(打撃)

87 福川将和(打撃)

75 森岡良介(内野守備走塁)

82 松元ユウイチ(外野守備走塁兼作戦)

88 池山隆寛(監督)

79 城石憲之(総合)

72 小野寺力(投手)

81 正田樹(投手)

84 松岡健一(投手)

76 宮出隆自(打撃)

70 河田雄祐(外野守備走塁)

83 衣川篤史(バッテリー)

95 土橋勝征(内野守備走塁兼育成担当)

92 山本哲哉(投手兼育成担当)

12 石山泰稚

14 西舘昂汰

15 山下輝

16 原樹理

17 清水昇

18 奥川恭伸

19 石川雅規

20 木澤尚文

21 吉村貢司郎

24 星知弥

26 山野太一

28 松本健吾

29 小川泰弘

34 田口麗斗

35 石原勇輝

37 ロドリゲス

40 高梨裕稔

41 柴田大地

43 山本大貴

44 大西広樹

45 小澤怜史

47 高橋奎二

48 金久保優斗

49 嘉弥真新也

52 尾仲祐哉

53 長谷川宙輝

56 坂本拓己

58 阪口皓亮

61 宮川哲

62 竹山日向

68 丸山翔大

69 今野龍太

27 中村悠平

30 西田明央

32 松本直樹

33 内山壮真

57 古賀優大

65 鈴木叶

90 中川拓真

93 橋本星哉

00 赤羽由紘

1 山田哲人

5 川端慎吾

7 長岡秀樹

10 宮本丈

13 オスナ

36 西村瑠伊斗

38 北村拓己

46 太田賢吾

50 北村恵吾

55 村上宗隆

59 小森航大郎

60 武岡龍世

63 増田珠

66 三ツ俣大樹

67 伊藤琉偉

0 並木秀尊

3 西川遥輝

4 丸山和郁

9 塩見泰隆

23 青木宣親

25 サンタナ

31 山崎晃大朗

42 澤井廉

51 濱田太貴

64 岩田幸宏

015 沼田翔平

016 西濱勇星

017 翔聖

026 髙野颯太

初代:中畑清

2代:原辰徳

3代:岡田彰布

4代:正田耕三

5代:古田敦也

6代:宮本慎也

7代:新井貴浩

8代:嶋基宏

9代:炭谷銀仁朗

10代:會澤翼

1950 土井垣武

1951 土井垣武

1952 土井垣武

1953 松井淳

1954 C.ルイス

1955 C.ルイス

1956 野村克也

1957 野村克也

1958 野村克也

1959 野村克也

1960 野村克也

1961 野村克也

1962 野村克也

1963 野村克也

1964 野村克也

1965 野村克也

1966 野村克也

1967 野村克也

1968 野村克也

1969 岡村浩二

1970 野村克也

1971 野村克也

1972 野村克也

1973 野村克也

1974 村上公康

1975 野村克也

1976 野村克也

1977 加藤俊夫

1978 中沢伸二

1979 梨田昌崇

1980 梨田昌崇

1981 梨田昌崇

1982 中沢伸二

1983 香川伸行

1984 藤田浩雅

1985 伊東勤

1986 伊東勤

1987 伊東勤

1988 伊東勤

1989 山下和彦

1990 伊東勤

1991 伊東勤

1992 伊東勤

1993 田村藤夫

1994 吉永幸一郎

1995 中嶋聡

1996 吉永幸一郎

1997 伊東勤

1998 伊東勤

1999 城島健司

2000 城島健司

2001 城島健司

2002 伊東勤

2003 城島健司

2004 城島健司

2005 城島健司

2006 里崎智也

2007 里崎智也

2008 細川亨

2009 田上秀則

2010 嶋基宏

2011 細川亨

2012 鶴岡慎也

2013 嶋基宏

2014 伊藤光

2015 炭谷銀仁朗

2016 田村龍弘

2017 甲斐拓也

2018 森友哉

2019 森友哉

2020 甲斐拓也

2021 森友哉

2022 甲斐拓也

2023 森友哉

 投  和田毅

 捕  嶋基宏

 一  A.カブレラ

 二  田中賢介

 三  小谷野栄一

 遊  西岡剛

 外  多村仁志 / T-岡田 / 栗山巧

 指  福浦和也

 投  田中将大

 捕  嶋基宏

 一  浅村栄斗

 二  藤田一也

 三  C.マギー

 遊  鈴木大地

 外  内川聖一 / 長谷川勇也 / 中田翔

 指  M.アブレイユ

1972 種茂雅之

1973 野村克也

1974 村上公康

1975 有田修三

1976 有田修三

1977 加藤俊夫

1978 中沢伸二

1979 梨田昌崇

1980 梨田昌崇

1981 梨田昌崇

1982 大宮龍男

1983 梨田昌崇

1984 藤田浩雅

1985 伊東勤

1986 伊東勤

1987 伊東勤

1988 伊東勤

1989 中嶋聡

1990 伊東勤

1991 伊東勤

1992 伊東勤

1993 田村藤夫

1994 伊東勤

1995 伊東勤

1996 高田誠

1997 伊東勤

1998 伊東勤

1999 城島健司

2000 城島健司

2001 城島健司

2002 城島健司

2003 城島健司

2004 城島健司

2005 城島健司

2006 里崎智也

2007 里崎智也

2008 細川亨

2009 鶴岡慎也

2010 嶋基宏

2011 細川亨

2012 炭谷銀仁朗

2013 嶋基宏

2014 伊藤光

2015 炭谷銀仁朗

2016 大野奨太

2017 甲斐拓也

2018 甲斐拓也

2019 甲斐拓也

2020 甲斐拓也

2021 甲斐拓也

2022 甲斐拓也

2023 若月健矢

2024 甲斐拓也

 投  涌井秀章

 捕  嶋基宏

 一  小久保裕紀

 二  田中賢介

 三  小谷野栄一

 遊  西岡剛

 外  坂口智隆 / 糸井嘉男 / 栗山巧

 投  田中将大

 捕  嶋基宏

 一  浅村栄斗

 二  藤田一也

 三  松田宣浩

 遊  今宮健太

 外  陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 秋山翔吾

1991 工藤公康 - 伊東勤

1992 石井丈裕 - 伊東勤

1993 金石昭人 - 田村藤夫

1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎

1995 平井正史 - 中嶋聡

1996 西口文也 - 伊東勤

1997 西口文也 - 伊東勤

1998 西口文也 - 伊東勤

1999 工藤公康 - 城島健司

2000 吉田修司 - 城島健司

2001 田之上慶三郎 - 城島健司

2002 豊田清 - 伊東勤

2003 斉藤和巳 - 城島健司

2004 三瀬幸司 - 城島健司

2005 渡辺俊介 - 里崎智也

2006 斉藤和巳 - 的場直樹

2007 成瀬善久 - 里崎智也

2008 岩隈久志 - 藤井彰人

2009 涌井秀章 - 銀仁朗

2010 杉内俊哉 - 田上秀則

2011 田中将大 - 嶋基宏

2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也

2013 田中将大 - 嶋基宏

2014 金子千尋 - 伊藤光

2015 大谷翔平 - 大野奨太

2016 石川歩 - 田村龍弘

2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗

2018 多和田真三郎 - 森友哉

2019 増田達至 - 森友哉

2020 千賀滉大 - 甲斐拓也

2021 山本由伸 - 若月健矢

2022 山本由伸 - 若月健矢

2023 山本由伸 - 若月健矢

2024 有原航平 - 甲斐拓也

90 小久保裕紀

73 奈良原浩(ヘッド)

79 大西崇之(外野守備・走塁)

80 稲葉篤紀(打撃)

87 仁志敏久(内野守備・走塁)

88 矢野燿大(バッテリー)

89 鹿取義隆(投手)

10 松井裕樹

11 菅野智之

14 則本昂大

15 澤村拓一

16 大谷翔平

18 前田健太

19 増井浩俊

21 西勇輝

22 大野雄大

24 山﨑康晃

29 小川泰弘

30 武田翔太

35 牧田和久

27 炭谷銀仁朗

37 嶋基宏

52 中村悠平

2 今宮健太

3 松田宣浩

5 川端慎吾

6 坂本勇人

9 中島卓也

13 中田翔

23 山田哲人

60 中村剛也

7 中村晃

8 平田良介

25 筒香嘉智

55 秋山翔吾

1巡目:永井怜

3巡目:嶋基宏

4巡目:横川史学

5巡目:渡辺直人

1巡目:田中将大

3巡目:山本大明

1巡目:金森久朋

2巡目:中村真人

日本の野球選手

中京大学附属中京高等学校出身の野球選手

國學院大學硬式野球部の選手

東北楽天ゴールデンイーグルスの選手

東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手

NPBオールスターゲーム選出選手

アジアシリーズ選手

野球日本代表選手

WBSCプレミア12日本代表選手

2015 WBSCプレミア12選手

日本の野球指導者

岐阜県出身のスポーツ選手

1984年生

存命人物

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2024/11/20 00:33更新

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島本 真衣(しまもと まい)
1983年12月11日生まれの有名人 兵庫出身

島本 真衣(しまもと まい、1983年12月11日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 父は、和歌山県立箕島高等学校時代、エースで四番打者として甲子園大会に出場し、後に南海ホークスや近鉄バファロー…

嶋本 えみ(しまもと えみ)
1980年2月6日生まれの有名人 熊本出身

嶋本 えみ(しまもと えみ、1980年2月6日 - )は熊本県を拠点に九州を中心に活動するローカルタレント。 愛称及び一部番組でのクレジットは「えみりィー」。本名は嶋本 絵美(読み同じ)。 熊本県…

島本 里沙(しまもと りさ)
1987年8月29日生まれの有名人 東京出身

島本 里沙(しまもと りさ、1987年8月29日 - )は、日本の元グラビアアイドル。 東京都出身。 2008年4月16日に、芸能界からの引退を発表した。芸能活動を行っていた際は、ACEに所属して…

嶋谷 征四郎(しまたに せいしろう)
1938年11月6日生まれの有名人 京都出身

嶋谷 征四郎(しまたに せいしろう、1938年11月6日 - 2001年10月24日)は、京都府京都市出身のサッカー選手、サッカー指導者。サッカー日本代表として国際Aマッチ1試合に出場した。 京都の…


田嶋 幸三(たしま こうぞう)
1957年11月21日生まれの有名人 熊本出身

田嶋 幸三(たしま こうぞう、1957年11月21日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、元サッカー日本代表。サッカー指導者。第14代日本サッカー協会会長(JFA初の会長選挙で当選)及びアジアサッカ…

北嶋 秀朗(きたじま ひであき)
1978年5月23日生まれの有名人 千葉出身

北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元日本代表。現役時代のポジションはフォワード。愛称はキタジ。 市立船橋高校時代に、…

青嶋 達也(あおしま たつや)
1965年8月12日生まれの有名人 静岡出身

青嶋 達也(あおしま たつや、1965年8月12日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 静岡県浜松市中区富塚町出身。浜松市立富塚小学校卒、浜松市立北部中学校卒、静岡県立浜松北高等学校卒、早稲田大学…

矢嶋 里紗(やじま りさ)
1985年5月1日生まれの有名人 神奈川出身

矢嶋 里紗(やじま りさ、1985年5月1日 - )は、日本の元女優。本名および旧芸名、石部 里紗(いしべ りさ)。 神奈川県出身。NHK教育『天才てれびくんワイド』てれび戦士(出演期間:1999年…

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水嶋 友香(みずしま ゆか、1985年3月20日 - )は、日本のタレント、元グラビアアイドル。静岡県浜松市出身。有限会社エクセルヒューマンエイジェンシー所属。 静岡県浜松市出身。血液型はA型。 …


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