もしもし情報局 > 1995年 > 10月30日 > 野球選手

松井裕樹の情報 (まついゆうき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

松井裕樹の情報(まついゆうき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

松井 裕樹さんについて調べます

■名前・氏名
松井 裕樹
(読み:まつい ゆうき)
■職業
野球選手
■松井裕樹の誕生日・生年月日
1995年10月30日 (年齢28歳)
亥年(いのしし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(平成7年)1995年生まれの人の年齢早見表

松井裕樹と同じ1995年生まれの有名人・芸能人

松井裕樹と同じ10月30日生まれの有名人・芸能人

松井裕樹と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


松井裕樹と関係のある人

茂木栄五郎: 桐光学園高校との準決勝では、1年生ながら先発した松井裕樹を降板させながら4-5で惜敗。


キャム=ミコライオ: その後の診断で全治に3ヶ月を要することが判明したため、大久保は、先発要員からセットアッパーへの転向を予定していた高卒2年目の松井裕樹を急遽クローザーに抜擢した。


若林晃弘: しかし、松井裕樹を擁する桐光学園高校との準決勝に、4-5で惜敗した。


吉田輝星: 夏の甲子園1回戦から準々決勝にかけて4試合連続2桁奪三振を記録し、斎藤佑樹・松井裕樹が持つ大会記録に並んだ。


大嶋匠: 初打席:同上、8回裏に松井裕樹から空振り三振


今野龍太: 4人の新人投手だけで継投した8月27日の対埼玉西武ライオンズ戦(楽天koboスタジアム宮城)では、先発・松井裕樹、2番手・相原和友に次ぐ3番手として8回表一死から登板すると、ソロ本塁打で1点を失いながらも二死を取ったうえで西宮悠介につないだ。


小川正太郎: 正太郎が達成した この記録は桐光学園・松井裕樹が更新するまで86年間破られなかった。


宗佑磨: 7月10日の楽天戦(楽天生命パーク)では、同点で迎えた延長10回表二死一・二塁の打席で、高校2年時の選手権神奈川大会以来6年ぶりに対戦した松井裕樹から決勝の適時打を打っている。


田中賢介: 4月29日の楽天戦では、松井裕樹から自身4年ぶりとなるサヨナラ打を放った。


小倉清一郎: 2013年の夏の神奈川大会においては、淺間大基、髙濱祐仁を筆頭とした2年生中心のチームながら、準々決勝で全国No.1左腕として知られていた桐光学園の松井裕樹を攻略するなど、自身はベンチには入ることができないものの2年ぶりの甲子園に大きく貢献した。


野村収: “楽天松井裕樹が記録した3者連続3球三振を過去に達成しているのは?”.


土屋恵三郎: 決勝では前年夏の決勝で敗れた相手、甲子園を沸かせた松井裕樹擁する桐光学園に4-0とリベンジし(ただし松井は登板せず)、久々の神奈川制覇となった。


柿田裕太: DeNAは1位指名の松井裕樹をくじ引きで外した後の指名で、阪神タイガース、北海道日本ハムファイターズとのくじ引きの末、交渉権を引き当てた。


楠本泰史: 小中学校で同級生だった松井裕樹とは、別々の高校へ進学してからも連絡を取り合う仲である。


山岡泰輔: 山岡は後に、U-18ワールドカップ日本代表でのチームメイトだった松井裕樹との実力差を感じたことを、東京ガス入社の理由に挙げている。


渡邉諒: 2013年のドラフト会議では北海道日本ハムファイターズから3度の抽選失敗(松井裕樹、柿田裕太、岩貞祐太)後1位指名を受けた。


石橋杏奈: 夫はサンディエゴ・パドレス投手の松井裕樹


藤村富美男: この記録は、1925年の夏の甲子園で東山中の森田勇が対北海中戦で達成した記録に並ぶものであり、2012年の夏の甲子園で、神奈川・桐光学園の松井裕樹が対今治西戦で1試合22奪三振で記録を更新するまで、実に77年間もの間、夏の甲子園の1試合最多奪三振記録であった。


梨田昌孝: 記念のウイニングボールは、試合終了時のバッテリー松井裕樹-嶋基宏からサイン入りでプレゼントされた。


中村剛也: 8月24日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では松井裕樹からサヨナラ打を放った。


淺間大基: 以降も髙濱との「AT砲」で打線の中軸を担うと、2年生だった2013年夏の神奈川大会では、桐光学園との準決勝で松井裕樹から決勝の2点本塁打を打った。


和田恋: プロに入って対戦してみたい選手には同学年で東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト1位で指名された松井裕樹の名前を挙げている。


泰勝利: オフには松井裕樹に弟子入りし合同自主トレを行った。


西村凌: 8月30日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)では、1点を追う9回表2死1・2塁の局面で迎えた打席で、一軍公式戦でのチーム初安打を松井裕樹からの逆転2点適時二塁打で記録した。


辛島航: 2020年、オープン戦の先発登板で打ち込まれ弓削隼人、松井裕樹ら先発左腕が台頭したことで前年までとは一転してレギュラーシーズンの開幕を一軍の救援要員として迎えた。


加治屋蓮: 2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議において、ドラフト1巡目で松井裕樹、杉浦稔大をそれぞれ重複抽選で外した福岡ソフトバンクホークスに指名され、契約金9000万円、年俸1500万円(金額は推定)で入団に合意した。


齊藤大将: 2年夏の県大会決勝では松井裕樹擁する桐光学園高等学校と対戦したが、4回3失点で降板し敗れた。


宗佑磨: 2年時の春には、前年夏の選手権本大会で大会史上最多の1試合22奪三振・10打者連続奪三振を樹立した桐光学園高校の松井裕樹から2安打を打ったことで注目された。


松井稼頭央: 2014年からは楽天に松井裕樹が在籍するためアナウンスはフルネームであるが、スコアボード表記は「松井」となる。


則本昂大: また、長年チームの絶対的守護神を務めていた松井裕樹が海外FA権を行使し、サンディエゴ・パドレスに移籍した。


松井裕樹の情報まとめ

もしもしロボ

松井 裕樹(まつい ゆうき)さんの誕生日は1995年10月30日です。神奈川出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

代表経歴、選手としての特徴などについてまとめました。病気、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。松井裕樹の現在の年齢は28歳のようです。

松井裕樹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのサンディエゴ・パドレス所属。

妻は女優の石橋杏奈。

横浜市立山内小学校2年時に「元石川サンダーボルト」で野球を始める。左利きだが、野球を始めた頃は二塁と三塁を守り、3年時の終わりに投手をやるようになる。当時は地元球団・横浜ベイスターズのジュニアチームに加入することが目標で、6年時に同級生でチームメイトの楠本泰史と一緒にベイスターズジュニアのセレクションを受け揃って合格。NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。横浜市立山内中学校への進学後は、楠本と共に「青葉緑東シニア」へ所属。3年時には、全国大会での優勝を経験した。

桐光学園高校へ進学すると、1年夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会に柏原史陽とのダブルエースで出場。茂木栄五郎や若林晃弘を擁する桐蔭学園高校との準決勝では、先発投手として4回1失点という内容でチームの決勝進出に貢献した。横浜高校との決勝では、乙坂智や近藤健介、柳裕也などを擁する横浜打線を相手に4回無失点と好投。5回裏から柏原が登板したが、チームは延長10回の末に1―2でサヨナラ負けを喫した。1年秋からエースとして一本立ちを果たすと、冬場に下半身の強化へ取り組んだ。高校2年夏の第94回全国高等学校野球選手権神奈川大会では、準々決勝で横浜打線から被安打3で11三振を奪い、横浜の4季連続優勝を阻止した。桐蔭学園との決勝では、齊藤大将との投手戦を15奪三振で制し、チームを5年ぶりの全国大会出場へ導いた。本大会では、今治西高校との1回戦で、大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録。ウイニングボールは、記録翌日の8月10日から甲子園歴史館に展示された。2回戦の常総学院高校戦でも19奪三振を挙げて2試合で41奪三振、これまで板東英二が持っていた2試合計での最多奪三振記録を更新した。2試合連続の毎回奪三振は、2000年の選手権大会で坂元弥太郎が記録して以来、史上5度目のことであった。3回戦の対浦添商業高校戦では相手が打席で投手よりに立ち、ソフトボールのようなノーステップ打法を取り入れてきたことから3回二死まで三振がなく1回戦から続いた毎回奪三振は途切れたが、8回から6連続三振に取るなどで最終的に12奪三振を記録。前日にスーパー銭湯での温冷交代浴や、酸素カプセルの使用、マッサージなどで体調を整えて臨んだ準々決勝の対光星学院高校戦でも15奪三振を奪ったが、両チーム無失点で迎えた8回に3失点を喫して敗退した。大会通算成績は36イニングを投げ防御率2.25、奪三振率17.00。1大会通算68奪三振は夏の甲子園では歴代3位の記録であり、左腕投手としては2005年に辻内崇伸が記録した65奪三振を更新し1大会での史上最多記録となった。秋の神奈川大会では準々決勝の対平塚学園高校戦で9回を2安打2失点12奪三振を記録するも敗退し、翌年の選抜大会出場は逃す。プロ野球の複数球団から翌年のドラフト1巡目指名候補に挙げられたが、2年時1月に行われた公開練習の記者会見で進路については未定と答えた。2年冬は走り込みやウエイトトレーニングを増やし下半身の強化に取り組む。3年春にはスライダーを使用しない投球やチェンジアップの精度向上にも取り組み、7月には浦和学院高校との練習試合で9回を1安打無失点、18奪三振、無四球の快投を見せた。3年夏の選手権神奈川大会では、準々決勝の対横浜高校戦で淺間大基、髙濱祐仁に本塁打を打たれ、8回を8安打3失点、10奪三振、高校時代の最速149km/hを記録する投球を見せるも敗退。横浜のコーチの小倉清一郎によると、横浜はスライダーの見極め対策や球威対策に取り組み、さらに配球の偏りや投球フォームの崩れ、クイックモーションでの投球を分析して試合に臨んでいたという。8月には第26回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出され、予選1次ラウンドの台湾戦、予選2次ラウンドの韓国戦、決勝のアメリカ戦で先発。

2013年9月27日にプロ志望届を日本学生野球協会へ提出することを表明し、翌月(10月24日)開催のNPBドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルス、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークス、横浜DeNAベイスターズ、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受けた。指名の重複による抽選で楽天が交渉権を獲得し、1億円に出来高分5000万円を加えた契約金と、年俸1500万円(金額は推定)という条件で契約した。なお、「自分の野球の原点は高校野球にある。そこで長くつけさせてもらった背番号でスタートしたいと思ったからです」という本人の希望を受けて、背番号は1に決まった。

2014年は同期入団の新人9選手からただ1人、春季キャンプを一軍でスタート。楽天の新人選手では、2007年の田中将大以来2人目であった。春季キャンプ後のオープン戦に帯同すると、13イニング連続無失点や、ストレートで最速150km/hを記録するなど好投を継続。一軍監督の星野仙一は、2007年の田中と同様に、一軍公式戦の開幕直後から松井を先発陣の一角に組み込むことを明言した。一軍公式戦開幕直後の4月2日の対オリックス・バファローズ戦(楽天Koboスタジアム宮城)に先発投手として一軍デビュー。6回3失点という内容で黒星が付くと、4月16日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオクドーム)まで3連敗を喫した。NPBの一軍公式戦において、高卒の新人投手が初登板から3連敗を喫した事例は、2リーグ分立(1950年)以降では初めてであった。4月23日の対埼玉西武ライオンズ戦(コボスタ宮城)では、ストライク率が54.3%にとどまるなど制球難を露呈。5回表の途中に降板すると、翌24日に出場選手登録を抹消された。抹消後には、イースタン・リーグ公式戦6試合の登板で防御率0.89を記録したほか、星野の病気休養を機に監督代行へ就任した一軍投手コーチ・佐藤義則からも制球力の向上を認められた。6月6日に一軍へ復帰してからは、一時救援要員に転向。星野の病気療養などで大久保博元が一軍監督代行に就任した7月2日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で、救援投手として公式戦初勝利を記録した。7月17日のフレッシュオールスターゲーム(長崎ビッグNスタジアム)では、イースタン・リーグ選抜の先発投手として登板。1イニング限定ながら、2被安打1与四球という内容で1失点に終わった。8月13日の対ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)では、一軍公式戦9試合目の先発登板で、シーズン2勝目を記録。先発投手としての一軍初勝利でもあった。また、一軍デビュー戦のオリックス戦初回から8月26日の対西武戦(コボスタ宮城)2回表二死まで、延べ70回2/3イニングにわたって被本塁打0を継続。ドラフト制度の導入(1965年)後に堀内恒夫(1966年)が保持していた「NPB球団の高卒新人投手による一軍公式戦の連続イニング無被本塁打」という記録を48年ぶりに更新した(後に記録を71回1/3まで継続)。一軍公式戦通算では4勝8敗と負け越したが、この年のNPBの新人投手では最も多い(パシフィック・リーグ5位タイ)126奪三振を記録した。

2015年は公式戦の開幕前に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された。選出時点での年齢は19歳で、日本代表のトップチームに選出された選手としては歴代最年少であった。3月11日の第2戦(東京ドーム)では、4番手投手としてトップチームでの対外試合デビューを果たした。楽天では、この年から一軍監督へ昇格した大久保がセットアッパーへの起用を決めていたが、抑え候補として広島東洋カープから移籍したキャム・ミコライオがオープン戦の終盤に椎間板ヘルニアを発症。全治に3か月を要することから、大久保は奪三振率の高い松井を急遽抑えへ抜擢させた。レギュラーシーズンでは、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えると、シーズン初登板から13登板試合(通算16イニング)にわたって無失点を続け、この間に7セーブを記録した。救援の失敗を経験しないまま、5月25日の対西武戦(西武プリンスドーム)で10セーブ目を挙げた。NPB一軍公式戦でのシーズン10セーブは、高卒2年目の左腕投手では初めての事例。登板17試合目での達成は、右腕投手を含めてもNPB史上最速であった。31試合目の登板であった7月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦(コボスタ宮城)でシーズン初黒星を喫したものの、オールスターゲームのファン投票では、パ・リーグの抑え投手部門で1位を獲得。7月17日の第1戦(東京ドーム)では、同リーグ選抜の7番手投手として初登板を果たし、打者2人と対戦した。8月4日の対西武戦でシーズン23セーブ(一軍公式戦シーズン最多セーブの球団記録)、9月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦(いずれもコボスタ宮城)で28セーブ(高卒2年目までの投手によるNPBシーズン最多記録)を達成。シーズンを通じて一軍の抑えへ定着し、3勝2敗33セーブ12ホールド、防御率0.87という好成績を残した。

2016年は一軍監督へ就任した梨田昌孝の構想で、前年に続いて抑えに起用。レギュラーシーズンの開幕前には、「40セーブ、救援失敗なし、防御率0.75以下」を目標に掲げた。レギュラーシーズンの前半戦では、1点リードの展開で登板した5月5日の対ロッテ戦(コボスタ宮城)9回表に中村奨吾に3点本塁打を打たれるなど6失点。逆転負けを喫するなど、救援の失敗が相次いだ。しかし、11試合に登板した8月には、9セーブ2ホールド、防御率0.69を記録。パ・リーグ投手部門の月間MVPを初めて受賞した。受賞時点の年齢は21歳で、パ・リーグの投手部門における左腕投手として史上最年少記録でもあった。シーズン全体では、前述の目標の到達に至らなかったが、球団史上初の一軍公式戦2年連続30セーブを達成している。

2017年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の準決勝敗退を受けてチームへ復帰すると、調整登板の機会を経ずに、3月31日にオリックスとの開幕戦(京セラドーム大阪)で同点の9回裏から登板。自身の志願で10回裏までの2イニングを投げて無安打無失点で凌ぎ、チームの勝利によってシーズン初白星を手にした。以降の登板試合でも、4月29日の対日本ハム戦(札幌ドーム)9回裏にシーズン初の救援失敗でサヨナラ負けを喫するまで、13試合続けて無失点・無敗で凌ぐなど好調を維持。4月25日の対ロッテ戦(東京ドーム)に2点リードの9回表から登板すると、対戦した3人の打者から3者連続の3球三振を奪い、リーグトップの9セーブ目を挙げた。NPBの一軍公式戦において、1人の投手が1イニングに3者連続3球奪三振を記録した事例は史上17人目(延べ18例目)だが、楽天の投手では初めてであった。また、奪三振はいずれも空振りによるもので、相手打者を空振りさせた球数(9球中7球)もこの記録の達成者としては最も多かった。オールスターゲームでは、パ・リーグ抑え投手部門のファン投票1位で選出されると、7月14日の第1戦(ナゴヤドーム)で最後に登板。リーグ戦の再開後は、セーブ数を29にまで伸ばしていた。しかし、左肩後方筋肉の部分損傷が判明したため、同月29日付で出場選手登録を抹消された。8月19日から一軍に復帰すると、9月7日の対日本ハム戦(東京ドーム)でNPB史上7人目の一軍公式戦3年連続シーズン30セーブを達成した。結局、レギュラーシーズンの通算セーブ数は33、NPB一軍公式戦での通算セーブ数は96にまで到達。また、シーズン終了後に推定年俸1億4000万円(前年から5000万円増)という条件で契約を更改したことによって、1億円プレイヤーの仲間入りを果たした。

2018年は一軍公式戦の開幕当初から、救援に失敗する試合が続いた。5月中旬からセットアッパーとして再起を期したものの、開幕からセ・パ交流戦中までの成績が0勝5敗2セーブにとどまったことを背景に、6月7日から1か月にわたって二軍での調整を余儀なくされた。一軍への復帰後は、本調子に程遠い状態が続きながらも、救援だけで4勝を記録。9月16日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)では、NPB史上31人目の一軍公式戦通算100セーブを、史上最年少の22歳10か月で達成した。シーズン終盤には、暫定措置ながら先発で2試合に登板。最初の登板であった9月27日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)で、2014年9月23日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)以来1465日ぶりの先発勝利を挙げた。先発2試合目の10月4日の日本ハム戦(楽天生命パーク)では、6回4失点という内容で黒星が付いたが、球団タイ記録の7者連続三振、プロ入り後初の1試合14奪三振および、先発全員奪三振を同時に記録した。シーズン通算では、一軍公式戦53試合の登板で、5勝8敗5セーブ、防御率3.65を記録。日本シリーズ終了後の11月に開催された日米野球の日本代表に選出された。救援で3試合に登板すると、1勝1セーブを記録した。12月13日に、かねてから交際していた石橋杏奈との結婚を発表(詳細後述)。チームの選手で最後に臨んだ契約交渉では、球団から初めての減俸提示(3000万円減)を受けた末に、推定年俸1億1000万円という条件で契約を更改した。

2019年はレギュラーシーズンの開幕から抑えに返り咲くと、前年から一転して好調を維持し、オールスターゲームにも、パ・リーグ抑え投手部門のファン投票1位で2年ぶりに出場した。シーズン通算では2勝8敗と負け越したが、チームトップ(パ・リーグ2位)の68試合に登板。防御率を1.94にまで改善させるとともに、チーム2年ぶりのクライマックスシリーズ進出に貢献した。また、パ・リーグの歴代左腕投手で最も多いシーズン38セーブを達成したことによって、リーグ最多セーブのタイトルを初めて手にした。楽天で(最優秀中継ぎ投手も含めて)救援関連のタイトルを獲得した投手は、松井が初めてである。なお、日本シリーズの終了後に開催された第2回WSBCプレミア12の日本代表に選出され2大会連続2度目の選出を果たした。しかし、左肘に違和感が生じたため、大会前に代表を辞退した。12月17日に推定年俸2億5000万円(前年から1億4000万円増)という条件で4年契約を締結。契約更改後の記者会見で、翌2020年から先発へ再び転向することを明言した。

2020年は春季一軍キャンプから先発要員として調整していたが、オープン戦では調子が上がらず、巨人二軍との練習試合(3月27日)でも6失点を喫して1回で降板。レギュラーシーズン開幕直前の練習試合で復調し、6月20日にオリックスとの開幕カード第2戦(京セラドーム)で一軍公式戦625日ぶりの先発登板を果たした。しかし、この試合から2試合の先発登板で5回を持たず降板し、6月下旬からおよそ1か月にわたって二軍で再調整。8月27日の対ロッテ戦で一軍公式戦シーズン6試合目の先発登板に臨むと、7回を無失点、1被安打、毎回の11奪三振という好投で、先発登板では2年ぶり、本拠地での先発では入団1年目以来6年ぶりの勝利を挙げた。以降も先発で2勝を記録。3勝目を挙げた9月24日の同カード(いずれも楽天生命パーク)では、5回表の終了後に交代するまで114球を投げながらも、15アウト中12アウトを三振で奪っていた。しかし、この年に二軍監督から一軍監督へ昇格した三木肇の判断で、レギュラーシーズン終盤の10月から救援陣へ復帰。先発では10試合の登板で4勝3敗にとどまったが、復帰後は15試合の救援登板で、1勝2敗ながら2セーブと8ホールドを記録した。この年が4年契約の1年目で、シーズン終了後の11月27日に、現状維持という条件で2年目の契約を更改。ゼネラルマネジャーの石井一久は、三木の二軍監督復帰と自身の一軍監督兼務を決めたうえで、一軍の指揮官として翌2021年から松井を抑えへ再び固定させることを明言した。

2021年はレギュラーシーズンの開幕から抑えへ返り咲くと、5月9日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でシーズン9個目のセーブを記録し、一軍公式戦通算150セーブを歴代最年少の25歳6か月で達成した。その後もセーブ数を順調に積み重ねていったものの、8月25日の練習中に右太ももを痛め翌日に出場登録を抹消された。

2022年は32セーブを達成し、2度目の最多セーブ投手のタイトルを獲得するとともに、パ・リーグ史上初の5回目のシーズン30セーブを記録する。

2023年は4月5日の楽天モバイルパークで行われた対西武戦で史上9人目となる通算200セーブを達成。前年に山﨑康晃(DeNA)が記録した29歳10か月を抜き、史上最年少となる27歳5か月で達成した。シーズンオフの10月25日に同年取得した海外FA権を行使してMLB移籍を目指すことが発表され、11月8日には海外FA権を行使したことを正式に表明した。

2023年12月24日、サンディエゴ・パドレスと契約したことが正式に発表された。契約金額は5年総額2800万ドル(約40億円)。背番号は楽天時代と同じく1を使用する。

2024年3月20日に開幕ロースター入りした。3月20日のロサンゼルス・ドジャース戦(開幕戦)で、6回一死から4番手として登板し、2/3回を無安打無失点(1四球)に抑えた。

代表経歴

2015年11月に開かれた第1回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。代表では内川聖一が所属チーム(ソフトバンク)と同じ背番号「1」を着用した関係で、プロ入り後初めて背番号10を付けた。大会では抑えとして起用された。

2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に、野手を含めた日本代表の最年少選手として選出された。2次ラウンドまでの3試合に救援で登板すると、通算で2回2/3を投げて無失点に抑えた。

2023年はシーズン開幕前の3月に開催された第5回WBCの日本代表に2大会連続2度目の選出を果たした。松井の登板は1次ラウンドの韓国戦の1試合1イニングのみにとどまったが無安打無失点に抑えた。

選手としての特徴

オーバースローから最速154km/hのストレートと2種類のスライダー、チェンジアップ、カーブを持ち球とし、「消える」とも称される曲がりの大きな縦スライダーで高校時代は空振りを量産した。ストレートの回転数が多く、最高2,600rpm超を記録した。2015年シーズン途中からカットボールも投げ始めた。2021年以降はフォークボールを決め球としており、伏見寅威が「とても速いし落ちる。すごいスピン量の速い真っすぐを打とうとしたらフォークに手が出てしまう。逆にフォークをケアしていると真っすぐは絶対に打てない。途中まで軌道は一緒なので、最強のコンビネーションです」とコメントするほど評価が高く、週刊ベースボールの企画『12球団選手&首脳陣に聞く! 2023NPB現役投手最高の変化球は?』で松井のフォークが10位タイに選出されている。

スライダーは高校1年時に「カウントを取る速い変化球がほしい」と独学で握りを研究し習得し、手首に当たるとボールの縫い目の痕がつくほどのキレを誇る。工藤公康は松井の奪三振数が多い理由として、「右肩が開き始めてからも左腕がなかなか出て来ず、ボールの出所が見づらい」、「直球とスライダーの軌道が同じなので見分けが難しく、直球だと思ってバットを振ってしまう」、「ボールの回転数が多いため、打者の手元で急に曲がるように見える」の三点を挙げている。嶋基宏は、松井の投球を田中将大と比較したうえで、「スライダーについても一級品です。田中の得意球は鋭く大きく曲がるスライダーでした。一方、松井のスライダーは、打者の手元にきてスピードが増し、タテに鋭く落ちます。ふたりのスライダーは、まったく別ものです。特に松井のスライダーはあまり受けたことのないボール。楽天でこんなボールを投げる投手はいません」と語っている。

高校時代には驚異的な奪三振率を記録したが、本人は「三振にはこだわっていない。自分は勝てるピッチャーになりたい。球数が多くなると、どうしても勝ちには近づきにくい」と語っている。

左投手としてはクイックモーションがうまく、器用な一面を合わせ持つ。楽天への入団1年目(2014年)のレギュラーシーズン序盤に制球難から二軍での再調整を余儀なくされた時期に、当時二軍監督だった大久保から「(当時楽天に在籍していた左投手で、大久保が『牽制球の投げ方が抜群にうまい』と評価していた)トラビス・ブラックリーの投げ方を真似しろ」との指示を受けたところ、大久保の想定を上回るほど簡単に身に付けたという。

2024/06/18 18:02更新

matsui yuuki


松井裕樹と同じ誕生日10月30日生まれ、同じ神奈川出身の人

星野 奏(ほしの かなで)
1991年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

星野 奏(ほしの かなで、1991年10月30日 - )は、日本のグラビアモデル、レースクイーン。 神奈川県出身。スリーライズ所属。愛称は「ほっしー」。 歯科大卒業後に歯科衛生士の資格を取得。歯…

大橋 マキ(おおはし まき)
1976年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

大橋 マキ(おおはし マキ、1976年10月30日 - )は、アロマセラピスト(英国IFA認定アロマセラピスト資格所持)。元フジテレビアナウンサー。 夫はCMクリエーターの志伯健太郎。 神奈川県…

吉田 茉以(よしだ まい)
1990年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

吉田茉以(よしだ まい、1990年10月30日 - )は日本の歌手、ファッションモデル、タレント。 神奈川県出身。趣味、特技はダンス、体操。 出演 映画 疵2(1999年) Looking Fo…

荻原賢次(おぎはら けんじ)
1921年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1990年1月7日)は、日本の漫画家。 祖先は松本藩士であったという。神奈川県横浜市で生まれ、東京市浅草区(現:東京都台東区)の「職人の多…

迫畠彩(さこはた あや)
【Splash!】
1990年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

10月30日生まれwiki情報なし(2024/06/26 12:54時点)

古橋 舞悠(ふるはし まゆ)
【アイドリング】
1998年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

Aqilla(アキラ、1998年10月30日 - )は、日本の女性歌手。神奈川県横浜市出身。グローイングアップ所属。 ソロシンガーデビュー以前は古橋 舞悠(ふるはし まゆ)名義でタレント・女優として…

山本 小鉄(やまもと こてつ)
1941年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

山本 小鉄(やまもと こてつ、1941年10月30日 - 2010年8月28日)は、日本のプロレスラー。本名は山本 勝(やまもと まさる)。リングネームは豊登の命名。神奈川県横浜市南区出身。新日本プロ…

ジャッキー佐藤(じゃっきー さとう)
1957年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

ジャッキー佐藤(ジャッキーさとう、1957年10月30日 - 1999年8月9日)は、日本の女子プロレスラー。本名:佐藤 尚子(さとう なおこ)神奈川県横浜市港南区出身。 出生時の体重は3900g…

菊地 勲(いくち いさお)
1970年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

10月30日生まれwiki情報なし(2024/06/21 16:10時点)

相馬 圭祐(そうま けいすけ)
1986年10月30日生まれの有名人 神奈川出身

相馬 圭祐(そうま けいすけ、1986年10月30日 - )は、日本の俳優。神奈川県出身。ヒラタオフィスを経て、現在はフリーで活動している。 宮崎あおいに憧れ、ヒラタオフィスに履歴書を送付したのが…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


松井裕樹と近い名前の人

松井 結(まつい ゆい)
1984年4月6日生まれの有名人 埼玉出身

松井 結(まつい ゆい、1984年4月6日 - )は、日本の元モデル、元タレント。レヴィプロダクションに所属していた。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校普通科卒業、慶應…

松井 友香(まつい ゆか)
1977年10月24日生まれの有名人 埼玉出身

松井 友香(まつい ゆか、1977年10月24日 - )は、日本の元女優、元タレント、元グラビアアイドル。旧所属事務所はプロシード。埼玉県さいたま市北区出身。さいたま市立日進中学校、堀越高等学校卒業。…

松井 友里絵(まつい ゆりえ)
1988年4月6日生まれの有名人 東京出身

松井 友里絵(まつい ゆりえ、1988年4月6日 - )は東京都出身のタレント・ファッションモデルで、アイドルユニット「キャナァーリ倶楽部」の元メンバー。血液型B型。 2007年3月3日、キャナァ…

松井 優征(まつい ゆうせい)
1981年1月31日生まれの有名人 埼玉出身

松井 優征(まつい ゆうせい、1979年1月31日 - )は、日本の漫画家。埼玉県入間市出身。男性。 2001年、『ラビングデッド』で第51回天下一漫画賞審査員特別賞を受賞する。2004年、『魔人…

松井 奏(まつい みなと)
【IMP.】
2000年9月2日生まれの有名人 千葉出身

松井 奏(まつい みなと、2000年9月2日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。TOBE所属。男性アイドルグループ・IMP.のメンバー。 千葉県出身。 2012年6月にジャニーズ事務所に入所…

松井 健太(まつい けんた)
【カスタマイZ】
1997年8月1日生まれの有名人 出身

テレビドラマ『幽かな彼女』 松井 健太(まつい けんた、1997年8月1日 - )は、日本の俳優。 東京都出身。俳優・TRIPLETに所属。身長180cm。血液型A型。 趣味は茶道・野球観戦(…

松井 清隆(まつい きよたか)
1961年1月4日生まれの有名人 大阪出身

松井 清隆(まつい きよたか、1961年1月4日 - )は大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 京都西高校・大阪体育大学を経て日本鋼管サッカー部、清水エスパルスでプレーしたGK。ポジ…

松井 大輔(まつい だいすけ)
1981年5月11日生まれの有名人 京都出身

松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - )は、京都府京都市山科区出身の元プロサッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。現役時代のサッカーのポジションはミッドフィールダー・フォワー…

松井 みどり(まつい みどり)
1967年6月25日生まれの有名人 新潟出身

松井 みどり(まつい みどり、1967年6月25日 - )は、新潟県新潟市出身のナレーター、フリーアナウンサー。シグマ・セブン所属。 フジテレビにアナウンサー、スポーツ記者として在職後、フリーに転身…

松井 玲奈(まつい れな)
【SKE48】
1991年7月27日生まれの有名人 愛知出身

松井 玲奈(まつい れな、1991年〈平成3年〉7月27日 - )は、日本の女優、タレント、小説家、YouTuberであり、女性アイドルグループ・SKE48の元メンバー、乃木坂46の元兼任メンバーであ…

松井 美緒(まつい みお)
1974年1月15日生まれの有名人 新潟出身

松井 美緒(まつい みお、旧姓:菊池、1974年1月15日 - )は、日本のタレント。 新潟県新潟市出身。夫は元プロ野球選手の松井稼頭央。 地元の高校を卒業後、1年間会社に勤務した。その後CMモ…

松井 珠理奈(まつい じゅりな)
【AKB48】
1997年3月8日生まれの有名人 愛知出身

松井 珠理奈(まつい じゅりな、1997年〈平成9年〉3月8日 - )は、日本のタレント、アイドルであり、女性アイドルグループ・SKE48チームSおよび派生ユニット・ラブ・クレッシェンドの元メンバーで…

松井 咲子(まつい さきこ)
【AKB48】
1990年12月10日生まれの有名人 埼玉出身

松井 咲子(まつい さきこ、1990年〈平成2年〉12月10日 - )は、日本のタレント、ピアニストで、女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。サムデイ所属。埼玉県蕨市出身。蕨市立中央東小学校、…

松井 さやか(まつい さやか)
1993年6月18日生まれの有名人 北海道出身

松井 さやか(まつい さやか、1993年〈平成5年〉6月18日 - )は北海道出身の元女性ファッションモデル、元タレント。アイドルグループ「転校少女*」の全活動期(2014年 - 2022年)のメンバ…

松井 紀美江(まつい きみえ)
1953年10月2日生まれの有名人 神奈川出身

松井 紀美江(まつい きみえ、1953年10月2日 - )は、日本の女優である。本名は同じ。旧芸名は松井 きみ江(読み同じ)。 神奈川県鎌倉市出身。北鎌倉女子学園高等部卒。人間プロダクション、向日…

松井 愛莉(まつい あいり)
1996年12月26日生まれの有名人 福島出身

松井 愛莉(まつい あいり、1996年〈平成8年〉12月26日 - )は、日本の女性ファッションモデル、女優、歌手であり、女性アイドルグループさくら学院の元メンバー、『ニコラ』、『Ray』の元専属モデ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
松井裕樹
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

WEST. 猿岩石 BABYMETAL カスタマイZ FLAME HEADS Travis Japan A.B.C-Z フェアリーズ まなみのりさ 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「松井裕樹」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました