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新井貴浩の情報 (あらいたかひろ)
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【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

新井貴浩の情報(あらいたかひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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新井 貴浩さんについて調べます

■名前・氏名
新井 貴浩
(読み:あらい たかひろ)
■職業
野球選手
■新井貴浩の誕生日・生年月日
1977年1月30日 (年齢47歳)
巳年(へび年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和52年)1977年生まれの人の年齢早見表

新井貴浩と同じ1977年生まれの有名人・芸能人

新井貴浩と同じ1月30日生まれの有名人・芸能人

新井貴浩と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


新井貴浩と関係のある人

比嘉寿光: 2008年は正三塁手の新井貴浩が阪神タイガースに移籍したことでチャンスが巡ってくるかと思われたが、春先に故障。


正隨優弥: 目標の選手は新井貴浩で、正隨とは「広島県の出身」「東都大学リーグ加盟校からのドラフト6位指名を経て広島へ入団」「右の長距離砲」といった共通点がある。


安藤優也: そして正念場の10月8日の登板では、3回裏に新井貴浩三塁手の失策が絡んだとはいえ、2二塁打を許す2失点で持ちこたえられなかった。


廣瀬純: オフには新井貴浩と同じく最福寺で護摩行を行った。


東出輝裕: この年はチームメイトで三塁手の新井貴浩と最多失策を争っていたが、上記の離脱で出場機会が減ったため、最多失策は新井となり、3年連続での最多失策は免れた。


大下剛史: その猛練習により野村謙二郎、前田智徳、緒方孝市、江藤智、東出輝裕、新井貴浩といった多くの選手が育成されたことも事実である。


ダルビッシュ有: 6月15日の阪神戦で3回裏二死三塁の場面で、打者の新井貴浩に投じた3球目が高く浮いて暴投となり、この間に三塁走者のマット・マートンが本塁に生還し、この失点で5月10日楽天戦から続く連続無失点記録がプロ野球歴代11位(現役選手では藤川球児に次いで2位)の46回2/3で止まり、パ・リーグ新記録の4試合連続完封も逃した。


矢野輝弘: 2008年には、チームから藤川球児・新井貴浩と共に北京オリンピックの野球日本代表へ参加。


新井良太: 広島の一軍監督を務める新井貴浩は兄である。


宮本慎也: コーチ就任により3年続けてきた日本プロ野球選手会会長職は同年オフ、新井貴浩に譲っている。


達川光男: 監督時代も「詐欺師」ぶりは変わらず、2000年9月19日の巨人戦で、新井貴浩の明らかなファウルボールをホームランだと抗議し、三塁ベースコーチの阿部慶二、三塁走者だった金本知憲に加えて、巨人の三塁手だった江藤智、更に森健次郎三塁塁審にまで笑われたことがある。


菊地原毅: しかし、同年も前年同様登板機会を得られず、9月28日に現役引退を表明し、10月2日の対阪神戦(マツダ)で同じく現役引退を表明していた前田智徳と共に出場、8回に登板し新井貴浩を見逃し三振に抑え、試合後に胴上げされた。


田中秀太: 特に、他球団の主力選手で同世代の新井貴浩・金村曉が移籍した際には、チームに早く溶け込むためにほぼ付きっきりで世話を焼いていた。


山本浩二: 監督時代の第1期では前田智徳や緒方孝市、江藤智など、第2期には新井貴浩や嶋重宣、栗原健太を打線の主力として育成した。


浅井樹: 2003年は野村謙二郎の故障によって新井貴浩が三塁手を務める機会が増え、新井に代わる一塁手としてのスタメン起用に好調な打撃で応えた。


浅田真由: 2019年12月15日、広島市内のホテルで結婚披露宴を行い、松田元オーナー、鈴木清明球団本部長、佐々岡真司監督、カープチームメイト、カープOBの黒田博樹、新井貴浩ら176人が出席し祝福を受けた。


髙橋聡文: 1イニング4奪三振:2013年7月9日、対阪神タイガース8回戦(沖縄セルラースタジアム那覇)、5回裏に大和・鳥谷敬(振り逃げ)・新井貴浩・俊介から ※史上16人目


赤松真人: その直後、2008年1月6日、FA移籍で阪神に入団した新井貴浩の人的補償で広島東洋カープに移籍した。


小嶋達也: 初奪三振:同上、1回表に新井貴浩から空振り三振


藤井彰人: 試合後のヒーローインタビューで新井貴浩と展開したやり取りをきっかけに、「男前」というキャラクターで注目されるようになった(詳細後述)。


藤井彰人: 阪神時代の2011年7月2日には、移籍後初本塁打を放った対横浜戦の試合後に、移籍後自身2度目のヒーローインタビューを新井貴浩と共に受けた。


福原忍: 高校3年時は二岡との二枚看板で夏の広島大会では優勝候補筆頭に挙げられていたが、新井貴浩を擁する広島工業高校に敗れた。


田中広輔: 7月19日の対中日ドラゴンズ戦(マツダ)では、新井貴浩・鈴木誠也と共に3点本塁打を記録。


藤井彰人: 同17日、阪神時代のチームメイトであり広島東洋カープ監督に就任した新井貴浩の推薦により、2023年シーズンからヘッドコーチとして招聘されたことが報じられ、同24日に正式に発表された。


前田大輔: 駒大では同期に稲田直人と川岸強、3学年先輩に新井貴浩、1学年先輩に武田久、1学年後輩に梵英心、2学年後輩に古谷拓哉、3学年後輩に服部泰卓がいた。


糸井嘉男: それでもオールスターに出場し、7月21日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で戦線復帰し、9月21日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で野村祐輔からプロ通算1500安打を記録したが、8回裏一死二塁で打席に入った代打新井貴浩の打球を、ダイビングキャッチを試みた際に左肩腱板部分を損傷し、29日に登録を抹消され、シーズンを終えた。


木村拓也: また、生前所属していた巨人・広島の各選手と関係者、当日に巨人の対戦相手で広島時代に同僚だった阪神の金本知憲、新井貴浩、岡義朗1軍野手チーフコーチ、広島の当日の対戦相手で、広島時代の同僚だったヤクルトの福地寿樹などが喪章を付けて試合を行った。


木塚敦志: 試合では8回表2死2塁、打者は新井貴浩の場面で登板。


岡田彰布: 2008年、チームは開幕からスタートダッシュに成功し首位を独走していたが、北京オリンピックの野球日本代表に主力である新井貴浩・矢野輝弘・藤川球児を派遣して以後、チーム状態が空転し始め、打撃陣の不振や故障者の続出などで、一時は13ゲーム差をつけていた巨人に終盤で逆転されペナントレース優勝を逃した。


仙田和吉: 金本知憲の通算2000安打と新井貴浩(いずれも阪神)の通算1000安打達成の瞬間を実況した。


新井貴浩の情報まとめ

もしもしロボ

新井 貴浩(あらい たかひろ)さんの誕生日は1977年1月30日です。広島出身の野球選手のようです。

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卒業、結婚、テレビ、兄弟、引退、家族、趣味、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。新井貴浩の現在の年齢は47歳のようです。

新井貴浩のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は、広島県広島市佐伯区出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球監督。2023年シーズンより広島東洋カープの第20代監督を務める。

第7代日本プロ野球選手会会長。マネジメントはエイベックス・マネジメント。弟は同じく広島東洋カープ二軍打撃コーチの新井良太。良太の妻である河村綾奈は義理の妹にあたる。

広島市西区・市立天満小学校の4年生のとき(1986年)広島市立五月が丘小学校へ転校、1989年3月の同校卒業時には将来の夢として「プロ野球の選手になる」と書いていた。広島市立五月が丘中学校(佐伯区)を経て、県立広島工業高校へ進学。高校では甲子園出場なし。1994年、韓国国内の高校が出場する、鳳凰大旗全国高等学校野球大会に在日韓国人チームの4番打者として出場し、ベスト8に導いた。この時のチームメイトにはのちに横浜ベイスターズに入団する金城龍彦がいた。外野手だったが、当時広島東洋カープのスカウトだった備前喜夫によれば、特に守備はドラフト指名されるレベルではなかったという。

その後、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学し、4年時に日米大学野球で打率5割を記録。同年秋のリーグ戦では打点王とベストナインを獲得した。リーグ通算60試合に出場、187打数45安打、打率.241、2本塁打、26打点。駒大では1学年先輩に高橋尚成、2学年後輩に武田久、3学年後輩に稲田直人と前田大輔と川岸強がいた。

1998年のドラフト会議前に、新井は大学の先輩である野村謙二郎の自宅を訪れ、自らのバットスイングをアピールした。この縁で、ドラフトでは野村からの強い推薦があり、広島に6位で指名された。駒澤大学の当時の監督・太田誠は「新井がどうしてもプロに入りたいというので駒大OBの大下剛史に相談して、当時の広島スカウト・渡辺秀武に話をまとめてもらった」と話している。大学通算2本塁打で守備にも課題(肩が弱く、スローイングに難があるとされた)があった新井の指名は、周囲からは驚きをもって受け止められた。入団後は「将来の4番候補」として期待され、自身もその意気込みを「空に向かって打つ」と宣言した。

入団後、大学の先輩でもある大下剛史ヘッドコーチから朝から晩まで徹底的にしごかれた。新井は後に「僕を甘やかすことは決してせず、ケガでもしたらそれまでの選手という気持ちで指導していた」という趣旨のコメントで当時の大下を表現している。一方、プロ入り直後(1999年2月)には春季キャンプで当時広島の主軸打者として活躍していた金本知憲や江藤智の打撃を見てレベルの違いを痛感させられ、「自分はプロでは通用しないのではないか」という不安も抱いていた。

1999年は新人ながら53試合に出場し、105打席で7本塁打を記録。同年オフには長らく4番打者として活躍していた江藤がフリーエージェント (FA) の権利を行使して読売ジャイアンツ(巨人)に移籍したため、新井は「ポスト江藤」として期待されるようになった。新井自身は後年に「もし江藤さんが広島に残っていたら今の自分はなかっただろう」と当時を回顧している。

2000年は特別強化指定選手に指名され、92試合に出場し、前年を上回る16本塁打を記録するなど活躍した。

2001年は規定打席にはわずかに届かなかったが、レギュラーに定着し124試合に出場。打率.284、18本塁打、56打点を記録した。

2002年は全140試合にフル出場し、プロ入り初の規定打席にも到達。28本塁打を記録し、オールスターにも初出場。入団当初から目をかけていた当時の広島球団オーナーの松田耕平に見送られたが、その直後に松田が他界した。オールスター第2戦で本塁打を打ち、松田への手向けとした。

2003年は前年オフに阪神にFA移籍した金本の後を継ぐ形で開幕から4番に座ったが、打撃不振に陥って後半戦からはアンディ・シーツに4番を譲り、打率.236、19本塁打と前年より成績を落とした。

2004年も前年に引き続いて打撃不振が続き、ボールを待ちすぎて追い込まれ悪いボールに手を出し、打ち取られるパターンを繰り返したため、シーズンを通して103試合の出場に留まり規定打席にも届かず、打率.263、10本塁打の成績に終わった。同年12月に結婚を発表し、披露宴の席では山本浩二に叱咤激励された。

2005年は内田順三コーチの指導によるフォーム改造と初球から積極的に打ちに行く打撃スタイルに変えたことが功を奏し、自身初の3割超えとなる打率.305を記録し、6月28日の対阪神戦ではリチャード・ランスに並ぶ球団タイ記録の6試合連続本塁打を打ち、山本浩二の持つ球団年間本塁打記録には1本差で届かなかったものの本塁打王を獲得し、完全復活を遂げた。三塁手としての出場が中心だったが、シーズン終盤は打球を右肩に受けた影響から、栗原健太と入れ替わりで一塁手として出場する場面もあり、初のベストナインを一塁手部門で獲得した。オフにはFA権について「一つのチームで選手生活を終えるのが理想」「FA? そんな選手じゃない」と発言。

2006年1月にこれまで金本や佐々岡真司らと共に行っていた鹿児島県・最福寺での護摩行合宿を単独で3泊4日かけて行った。シーズンでは、マーティ・レオ・ブラウン監督が掲げていたケースバッティングを心がけたのが実を結び、本塁打数は25本と前年より減少したが、前年を上回る100打点を記録した。一方で、積極的に打ちに行く打撃スタイルから四球数が非常に少なく選球眼の悪さを指摘された。オフには「カープが好きだし、いられるならずっといたい。このチームで優勝したい」と語った。

2007年は自己最多の55四球を選び、28本塁打、102打点を記録した。守備では三塁手として最多の守備機会でリーグトップの守備率を記録。シーズン終了後には北京オリンピックアジア予選兼第24回アジア野球選手権大会に全試合で4番・一塁手として出場し、日本代表の五輪出場権獲得に大きく貢献した。この年に国内FA権を所得。

前年まで、FA権を得ても広島に残留する旨の発言を繰り返していたが、「自分を厳しい環境に置き、そこでどう変わっていくか、挑戦する気持ちが出てきた」との理由で、2007年11月8日にFA権の行使を宣言。「残留に傾いた日もあれば、宣言しようとした日もある。その繰り返しで焦っていた」という状況の中で、1か月間悩み抜いた末「残留したら、いつか後悔するかもしれない」との考えに至った。記者会見の席では「辛いです…カープが好きだから」「カープが好きだから、辛かったです」「喜んで出て行くわけではない」「FAなんてなかったら良かったのに……」と涙ながらに発言した。

前述のFA権行使宣言を受けて、阪神タイガースや福岡ソフトバンクホークスなど、複数の球団が新井の獲得に乗り出した。しかし新井にとって絶対的な存在の金本がいる阪神が圧倒的に有利な状況にあったため、他球団は獲得を見送った。新井自身も阪神と2度の交渉を経て入団の意志を表明。その後アジア野球選手権大会終了後に入団を正式に発表した。12月11日付で、NPBからFA宣言選手契約締結合意が公示された。

新井の自著『阪神の四番』によれば、移籍の最大の理由は「もう一度金本さんと一緒に野球がしたい」という金本移籍以来抱えていた強い思いであったが、それを口にすれば金本本人に迷惑が及ぶとして会見では自重した。また、「FAなんて……」という発言は「FAがなければ金本さんが出て行くことはなかったし、金本さんがいれば自分も移籍を考えることはなかった」という思いから自然と口に出てしまったものであった。翌年1月2日に放送された広島ホームテレビの特別番組では「僕のことを野次るファンよりも僕の方がカープを愛してる」と語り、広島への愛着と未練を覗かせた。阪神に移籍した後も「今でもやっぱりカープの試合は気になる」と古巣への愛着を口にしていた。

2008年は古巣・広島と移籍後初めて対した広島市民球場での公式戦(4月1日)に、「3番・一塁手」としてスタメンで出場。広島時代のレプリカユニフォームがグラウンドに投げ込まれたほか、広島ファンから大きなブーイングを受けながらも、3打数2安打2四球でチームの勝利に貢献した。その一方で、同月12日の対横浜ベイスターズ戦(横浜)で、寺原隼人から安打を打って通算1000安打を達成。前半戦は好調で高打率を維持し、チームの首位独走に貢献した。しかし、前半戦終了間近になって腰痛を訴え、一時登録を抹消されて以降は不振に陥った。シーズン成績も8本塁打・59打点と落としたが、守備では自身初となるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞。12月には宮本慎也から日本プロ野球選手会会長職を引き継いだ。

2009年は第2回WBCの日本代表の一次候補者入りを打診されたが、腰の状態を理由に辞退した。レギュラーシーズンでは全試合スタメンでフル出場し、15本塁打、82打点を記録したが、一方でリーグワーストの20併殺打、出塁率.299、OPS.700に終わった。U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にはオーバーエイジで大会最年長選手として出場。

2010年は長らく阪神の4番打者を務めてきた金本が4月18日の対横浜戦でスタメン落ちしたことにより、移籍後初めて4番打者を務めた。それ以降ほぼ全ての試合で4番を打ち続け自己最高の打率・打点・盗塁を記録した。また、2年連続のフルイニング出場(全て三塁手)を記録した。オフにトレードで弟・良太が阪神に移籍し、自身が阪神を退団する2014年まで共に同じチームでプレーすることになった。

2011年は3月に発生した東日本大震災後、当初予定通りの日程でシーズン開幕すると発表したセントラル・リーグに対し、労組プロ野球選手会会長として開幕の延期を強く要望し、問題解決のため奔走した。その中で出場したオープン戦では、心身ともに疲労が重なり20打数以上の連続無安打が続いたが、選手会側の要求通り開幕の延期が決定した後は調子を戻した。震災被災地支援のため、2011年に打った本塁打1本につき10万円、打点1点につき5万円の義援金を送ると開幕前に発表。開幕戦では「4番・三塁手」で出場し、同点打を打ってお立ち台に立った。4月19日にサヨナラ安打を打っていた弟・良太に続き、同22日に新井も4番定着後初となるサヨナラ安打を打ち、史上初の同年同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した。しかし交流戦に入ると打撃不振に陥り、さらに得点圏に走者を置いての凡退も目立ったため、2度にわたって4番から外れる経験をしたが、最後は4番に戻り、リーグトップの93打点で打点王のタイトルを獲得した。なお、この年は併殺打と失策数もリーグトップだった。オフに再取得したFA権を行使した上で新たに3年契約を結び残留した。

2012年は開幕4番で迎えたが、以前より抱えていた慢性的な右肩痛の悪化により打撃不振に陥った。5月始めには6番に降格、それまでの2年間4番でのスタメン出場がなかった金本に4番を明け渡した。5月末にはスタメンからも外れる時期もあった。その後4番に戻ることもあったが打撃の調子は上がらず、弟の良太が4番を打つことになり、以後は6番・一塁で出場が主となった。7月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)で、同じく先発出場した良太とともに本塁打を打ち、1981年にロッテ・オリオンズのレロン・リーとレオン・リーが記録して以来、31年ぶり3組目の兄弟同一試合本塁打を記録した。しかし9月に右肩痛で登録抹消されるなど同年は122試合の出場にとどまり、2008年以来4年ぶりに全試合出場を果たせなかった。また規定打席に到達しながらも打率.250・9本塁打・52打点で阪神移籍後最低の成績に終わった。後の報道で右肩後方関節唇損傷、腱板不全断裂、肩峰下滑液包炎と複数の大きな怪我を抱えながら試合に出場していたことが明らかとなったが、シーズン中は公表していなかった。12月には日本プロ野球選手会会長職を嶋基宏に譲った。

2013年は2005年以来の開幕ベンチスタートとなったが、その後スタメンの機会を得て、6月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦(阪神甲子園球場)で成瀬善久から本塁打を打ち、通算1000打点を達成。オールスターゲームにも出場し、2戦目で決勝打を含む3安打1打点を挙げて阪神の選手では2006年の藤本敦士以来7年ぶりとなるMVPに選出され、さらに3戦目では2安打を打ち敢闘賞を獲得した。しかし後半戦は徐々に成績を落とし、終盤には5番を外されたりスタメン落ちすることもあった。シーズンを通して140試合に出場したが、8月25日を最後に本塁打は1本も放てず、最終的に15本塁打に終わった。

2014年には、ポジションの重なる長距離打者のマウロ・ゴメスが加入し、4番・一塁の座をめぐってゴメスとの競争になった。新井はゴメスの調整遅れを尻目に、春季キャンプで和田豊からMVPに選ばれたが、シーズンに入るとゴメスが4番・一塁に定着し、新井は代打や三塁の控えに回った。5月10日の対読売ジャイアンツ戦(甲子園)で、7回裏に代打で適時打を打つと、9回裏に良太も代打で安打を記録したことによって「同一チーム・同一試合における代打での兄弟安打」を初めて達成。同月21日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、2点ビハインドの6回表二死一塁から、自身9年ぶり、阪神移籍後初めての代打本塁打を記録した。シーズン通算では94試合出場で、打率.244・3本塁打・31打点の成績に終わり、ソフトバンクとの日本シリーズでは直前に腰痛を発症した影響で出場がなかった。シーズンオフには、規約を上回る大幅減俸通告を受け、また翌年も代打中心になることが確実視されていたこともあって、新天地を求めて11月4日に球団に自由契約を申し入れ、了承された。12月2日に、NPBから自由契約選手として公示。

阪神からの退団が報じられた後に、右打ちの長距離打者が補強ポイントだった広島が獲得に動いた。2014年11月14日には、広島との契約合意が球団から発表されるとともに、入団記者会見が開かれた。背番号は、プロ入り以来着用していた「25」を高橋大樹が着用していたため28に決まった。自由契約前に阪神から提示されていた年俸は7000万円で、広島との契約はそれをさらに下回る2000万円だったが、新井はこの条件を即決で受け入れた。

2015年は開幕直前に右肘関節炎を発症するも開幕を一軍で迎え、開幕戦のヤクルト戦(マツダスタジアム)では代打で復帰後初出場。移籍の経緯もあり「罵声を受けるかもしれない」と覚悟していたが大歓声を受け、以後「あれは一生忘れられない。今度は自分がファンを喜ばせたい。絶対に喜ばせる」と誓った。右の代打起用がしばらく続いたが、4月7日の巨人戦(マツダ)で、復帰後初の「4番・一塁手」でスタメン入りを果たしてからは、故障したヘスス・グスマンに代わって4番に定着した。5月9日の古巣阪神戦(甲子園)で、復帰後初本塁打を打ったが、その試合で左手中指を脱臼し、一時的にスタメンを外れることもあった。阪神時代の2008年以来のファン投票選出で、広島在籍中では初となったオールスターゲーム(セ・リーグの得票数第3位)では、2戦目(マツダスタジアム)に2013年の出場同様、敢闘賞を獲得した。9月2日の古巣阪神戦(甲子園)で、四回表二死一・三塁での7番・田中広輔の打席で三塁にいた新井は、一塁にいた鈴木誠也に対して投手・岩田稔が投げた牽制球が逸れた隙を突いて2000年9月13日の中日戦(ナゴヤドーム)以来15年ぶりのホームスチールを成功させた。8月18日に3度目のFA権を取得した。後半戦から終盤戦にはスタメンでの起用が増えたため、最終的には規定打席にも到達し、打率.275と、出塁率.349を記録した。シーズン終了後の12月16日には、復帰時点から3倍増の推定年俸6000万円で契約を更改。2016年から再び背番号25を着用することも発表した。

2016年4月26日の対ヤクルト3回戦(明治神宮野球場)の第2打席、ヤクルト先発の成瀬善久から左翼線への適時二塁打を打ち、史上47人目の通算2000安打を達成。続いて8月2日に、史上42人目の通算300本塁打を達成。その後も連続出場による疲労を回避するため、先発を外れたり、試合終盤にベンチに下がるなどの配慮を受けながらも、シーズンを通して4番打者を務め、シーズン終盤まで打点リーグトップに立つなど好調を維持。チームの快進撃の原動力となった。8月7日の巨人戦でもレフトへサヨナラ打を打った。そしてチームは優勝マジックを1とした9月10日の巨人戦(東京ドーム)で逆転勝ちし、25年ぶりのリーグ優勝を果たす。試合終了直後に監督の緒方孝市、この年限りで引退し背番号が永久欠番にもなった黒田博樹と共にチームメイトから胴上げをされた。チームはクライマックス・シリーズも優勝し、広島所属としては初めて日本シリーズにも進出。日本一はならなかったが、プロ18年目にして初めて歓喜の美酒を味わった。個人としては打点王はリーグ優勝決定後に休養とポストシーズンへの調整のために出場機会を少なくした影響で9月下旬に筒香嘉智にその座を譲り2011年以来の栄冠はならなかったものの、主要6部門は全て6年ぶりの打率.300(自己3位)、19本塁打(同5位)、100打点(同4位)、出塁率.370(同2位)、長打率.480(同3位)、OPS.850(同3位)の大台を達成する全盛期並みの成績を残し、本塁打王を獲得した2005年以来自身2度目のベストナインを受賞。2015年に9年ぶりに同賞を受賞した福留孝介を抜くセ・リーグ史上最長ブランクでの受賞となった。さらに同賞の表彰のため出席した11月28日のNPB AWARDS 2016にて、リーグMVPの受賞が発表・表彰された。39歳での同賞の受賞は、2010年に38歳で受賞した和田一浩の記録を塗り替え、同賞受賞のセ・リーグ史上最年長記録を樹立した。史上初めて2000安打・300本塁打・リーグ優勝・リーグMVPを同一シーズンに達成した、本人曰く「夢のようなシーズン」となった。

2017年は序盤はスタメン出場を続けていたものの徐々にスタメンでの出場機会を減らし代打での起用が増えた。それでも限られた出番でも要所で目覚ましい活躍を見せた。5月4日の中日ドラゴンズ戦(マツダスタジアム)では8回裏に代打で登場して三ツ間卓也から決勝の適時二塁打を打ち、これで安打を打った投手の数が517人となり、谷繁元信と並んで歴代最多タイ記録となった。6月27日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では7回表に代打で登場して逆転の2点適時二塁打を打ち史上28人目の通算3500塁打を達成。7月7日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では9回表に代打で登場しバックスクリーンへ逆転の3点本塁打を打った。7月19日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では8回に決勝の適時二塁打を打ち、この試合で通算2284試合出場となり、球団OBの山本浩二に並んだ。チームは9月18日の阪神戦に勝利し球団史上37年ぶりのリーグ連覇を果たした。新井はこの年100試合の出場だったが3割近い打率を残した。しかし、クライマックスシリーズファイナルステージではペナントレース3位のDeNAにアドバンテージを含む2勝3敗と追い込まれると10月24日の第5戦(マツダスタジアム)では4番でスタメン出場し6回裏に三上朋也からソロ本塁打を打ったが、チームはこの試合に敗れて日本シリーズ進出を逃した。しかし試合後、新井は2018年シーズンも現役を続行する意思を示した。

2018年、41歳で迎えるシーズン開幕直前左ふくらはぎを痛め、開幕は14年ぶりの二軍となった。6月、『週刊ベースボールマガジン』の創刊60周年記念としてカープの歴史が特集された際、現役との別れを匂わせるコメントが掲載された。9月5日、シーズン限りでの現役引退を表明。広島市のマツダスタジアム内で記者会見を開き「若手が力をつけているカープの今後を考え、今年が良いのではないかと考えた。大歓声をもらえる中で(ファンを)喜ばせてあげることができていない」などと涙ながらに理由を語った。現役最終出場試合は11月3日にマツダスタジアムで行われたSMBC日本シリーズ2018(広島対ソフトバンク)第6戦で、8回裏に代打で登場してショートゴロ。その後9回表には一塁の守備に就いた。

引退直後の2018年11月5日、中国新聞に新井を讃える全面広告が2ページにわたり掲載された。表面は「新井ブレーキ」「絶好球見逃す」「流れを変えた空振り」など新井が酷評されている記事のスクラップ画像となっているが、裏面をめくるとガッツポーズをする新井の姿に「結局、新井は凄かった。」「広告主 黒田博樹」という文言が添えられたものとなっている。この広告は話題を呼び、第39回新聞広告賞の新聞広告大賞に選ばれた。

2019年からは、TBSテレビ・中国放送の野球解説者、スポーツニッポン・デイリースポーツの野球評論家を務める。中国放送の解説者としては、テレビ中継で「RCCスペシャル解説者」、ラジオ中継で「RCC野球解説者」と紹介。毎日放送が制作する阪神戦のテレビ中継にも、金本知憲などとのダブル解説扱いで、ゲスト解説者(TBS派遣)として随時出演する他、在広局中継にもゲスト扱いで出演する。ただし、放送メディアにおいては契約上TBS系の専属扱いであり、J SPORTS等への中継では(中国放送からの裏送りを含め)必ず別立て差し替えが行われる。

2022年10月7日、同年をもって退任した佐々岡真司の後任として、2023年シーズンより広島の第20代監督に就任することが発表された。NPBでは高橋由伸・平石洋介・三木肇・松井稼頭央(新井の6日後に就任発表)に次いで史上5人目、球団では初めてとなる昭和50年代生まれの一軍監督が誕生した。なお、東京ヤクルトスワローズの一軍監督を務める高津臣吾と並んで広島工業高等学校出身者2人が同一リーグで一軍監督を務めることとなり、1962年に同じ旧制広陵中学出身の濃人渉が中日ドラゴンズ、門前眞佐人が広島東洋カープでそれぞれ監督を務めて以来の非常に珍しいケースとなる。同月12日、マツダスタジアム内で監督就任会見が行われ、同月15日には、2023年度から着用となる新ユニフォームのお披露目と共に背番号が現役時代に長年着用した「25」に決定したことが発表された。なお、弟の良太も18日に二軍打撃コーチに就任し、阪神退団から9年ぶりに指導者としても兄弟で同じチームに在籍することとなった。ヘッドコーチには阪神時代の同僚であった藤井彰人に自ら就任を要請、同月25日に就任会見が開かれた。他にも新井の意向で、低迷する盗塁阻止率向上を狙い2020年に引退したかつての正捕手石原慶幸をバッテリーコーチに、機動力野球の復活を狙い(この年の盗塁数は両リーグワーストだった)球団OBであり足のスペシャリストとして活躍しヤクルトでコーチを務めた福地寿樹を走塁コーチに招聘。 10月24日に全ての新コーチ就任が発表され、新井新体制が固まった。また、2008年から2014年にかけて所属した阪神には2008年の監督だった岡田彰布が就任し、阪神時代1年目の監督とは同じリーグの異なるチームでの監督就任となった。就任後の11月14日に日南秋季キャンプへ合流、練習前の全体訓示で「お前たちが思っている以上に期待している」「好き嫌いで起用しない」「カープは大きな家族」と表明、切磋琢磨と結束を呼び掛けた。

2023年の就任初年度は、開幕から4連敗を喫し、4月6日の開幕5戦目の対阪神戦にて6回表降雨コールドで監督就任初勝利。その後チームは鬼門の交流戦を勝率5割、7月には10連勝と一時首位を奪う好調を見せ、外国人選手の不調や西川龍馬の故障離脱の逆境もあったが、打線の連動性を重視し上本崇司や菊池涼介を4番起用するなど大胆な采配で対処、阪神の独走こそ許したものの8月から2位をキープ。5年ぶりのクライマックスシリーズでは横浜とのファーストステージを全勝突破、師弟対決となった岡田監督率いる阪神とのファイナルステージでは全敗を喫し、シーズンを終了した。中継ぎの整備による投手力の充実、適材適所の選手起用、盗塁数の大幅増など機動力野球の復活、セオリーにこだわならい柔軟な作戦、守備指標が示す総合的な守備改善、選手とのコミュニケーションを密にするなど特色のある采配を見せチームを5年ぶりのAクラスに導き、低い下馬評を見事覆した。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。2次リーグの韓国戦では一打逆転サヨナラの場面で空振り三振に倒れるなど結果を残せず、出場機会はごくわずかだった。

打撃フォームは、左足を高く上げるのが特徴である。2004年まではグリップの位置が低く、胸の前で構えていた。2003年に極度の打撃不振に陥って以降フォーム作りに苦労したが、2005年にグリップの位置を上げ、顔の後ろで構える形に改造したことが見事にはまって、バットがスムーズに出るようになって確実性が増し、打率・本塁打・打点の3部門全てでキャリアハイの成績を残し自身初の打撃タイトルとなる本塁打王(43本)を獲得した。ただし、シーズン30本塁打以上を記録したのはこの年のみである。また、シーズン100打点以上を2006年、2007年の2年連続を含む4回記録している。阪神移籍後は腰痛の影響もあって、打撃フォームをオープンスタンスにするなどバッティングの形を変更し、また本拠地が広島市民球場から広い甲子園に変わったこともあり、本塁打数は減少した。

一塁到達は4.38秒。

在日韓国人であったが、2004年6月に日本に帰化している。帰化前の本名は朴貴浩(パク・グィホ、박귀호)。

広島入団後の2年目に作成され(2作目)、2015年に復帰後も使われた自身の応援歌を「すべてが完璧」と語るほど気に入っていた。また、他の応援歌では阪神時代の鳥谷敬の曲が好きであったと語っている。

好きな言葉は、漫画『はだしのゲン』より、"踏まれても踏まれても、強くまっすぐ伸びる麦になれ"。

幼少期から広島の大ファンであり、パジャマはカープのユニフォームをあしらったものであった。

駒沢大学時代は野球部マネージャーを務めていた堀内恒夫(読売巨人軍元投手・監督)の長女と同級生で、堀内の長女は新井のことを「チュウさん」と呼んでいた。また野球部の合宿所では堀内の長男・康史と同部屋だったとのことである。

温厚で優しい性格であり、大学の1年先輩である高橋尚成は、大学時代の新井を「打てないし、守れないが、足はそこそこ速く、素直で礼儀正しいので、先輩の受けはとても良かった」と話している。若手の頃はとにかく先輩からオモチャにされ、広島時代の金本が本塁打を打った際には、金本は他の選手とはハイタッチをするが新井だけには張り手を喰らわせたり、選手会ゴルフの始球式で打球方向に立たされたりするなどのエピソードが残っている。「スポーツニッポン」の新井へのインタビューによると、金本の趣味が「新井イジリ」である故に阪神時代ホテルの部屋での金本による「ピンポンダッシュ」の被害者であったことを告白している。しかも金本も毎回鳴らし方を変えてくるという手の込みようであったため新井も「シカト不能だった」との事。他にも、夜中に電話がかかってきて出てみると電話の主は金本で、「早く寝ないと。だからチャンスで打てないんですよ。」などと言われたこともある。金本が引退した後の2年間は、入れ替わりにMLBから国内復帰した西岡剛主導で先輩であるにもかかわらずチームメイトにいじられることが多かった(いずれも阪神在籍当時)。

英語が堪能で、通訳なしでも外国人と会話ができることもあった。

長らくガラケー愛用者として知られていたが、2020年以降スマホを使用し始めたことで話題となる。

阪神移籍後はファンの間でもいじられキャラとして定着し、名前と移籍時の発言をもじった「辛いさん」というあだ名が浸透した。(ネット上では「ツライさん」とカタカナ表記されることもある。)更に2003年、2009年、2011年にセ・リーグ最多併殺打を記録したことから、新井の打つ併殺打は「辛いさん」と「ゲッツー(併殺打)」をもじった「ツラゲ」と呼ばれていた。

現役時代は、長年にわたって自主トレーニングのメニューに護摩行を取り入れていた。現役引退後の2019年にも、「自分の心を引き締めたかった」という理由で、野球解説者として活動していた夏場に護摩行へ臨んだという。

2023年、カープの監督に就任することが決まった際には『広島優勝 心願成就』と叫んでいる。

2024年、高野山の清浄心院において21年連続となる護摩行に臨んだ。

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞

本塁打王:1回(2005年)

打点王:1回(2011年)

最優秀選手:1回(2016年)

ベストナイン:2回(一塁手部門:2005年、2016年)

ゴールデングラブ賞:1回(一塁手部門:2008年)

月間MVP:2回(2005年6月、2008年3、4月)

JA全農Go・Go賞:1回(最多二・三塁打賞:2002年8月)

優秀JCB・MEP賞:2回(2002年、2005年)

オールスターゲームMVP:1回(2013年第2戦)

オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2002年第2戦)

オールスターゲーム敢闘選手賞:2回(2013年第3戦、2015年第2戦)

オールスターゲーム新人賞(2002年)

セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2018年)

ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2010年)

報知プロスポーツ大賞:1回(2016年)

広島市民賞(2016年)

広島県民栄誉賞(2016年)

駒澤大学栄誉賞(2016年)

初出場・初打席:1999年4月3日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、5回表に代打で出場、野口茂樹の前に中飛

初得点:1999年4月6日、対阪神タイガース1回戦(広島市民球場)

初三振:1999年4月11日、対ヤクルトスワローズ2回戦(広島市民球場)、6回裏に加藤博人から

初安打:1999年5月12日、対読売ジャイアンツ7回戦(広島市民球場)、7回裏にホセ・パーラから右前安打

初先発出場:1999年6月6日、対中日ドラゴンズ11回戦(浜松球場)、7番・一塁手で先発出場

初本塁打・初打点:同上、4回表に野口茂樹から左中間越3ラン

100本塁打:2005年4月3日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム) ※史上237人目

150本塁打:2006年6月2日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(尾道しまなみ球場)、4回裏に小林宏之からソロ ※史上141人目

1000試合出場:2007年6月19日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(広島市民球場)、4番・三塁手で先発出場 ※史上418人目

1000安打:2008年4月12日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、寺原隼人から ※史上249人目

200本塁打:2008年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、7回表にブライアン・スウィーニーから ※史上90人目

1000三振:2009年9月5日、対広島東洋カープ19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表にマイク・シュルツから ※史上46人目

1500試合出場:2011年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、4番・三塁手で先発出場 ※史上169人目

1500安打:2011年7月30日、対横浜ベイスターズ13回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に須田幸太から左翼線二塁打 ※史上110人目

250本塁打:2011年9月28日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(明治神宮野球場)、3回表に七條祐樹から左越3ラン ※史上56人目

1000打点:2013年6月8日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に成瀬善久から中越2ラン※史上39人目。

2000試合出場:2015年5月24日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)4番・一塁手で先発出場 ※史上47人目

1500三振:2015年9月9日、対中日ドラゴンズ20回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回裏に大野雄大から空振り三振 ※史上12人目

350二塁打:2016年4月22日、対阪神タイガース4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回裏にランディ・メッセンジャーから3点適時二塁打 ※史上40人目

2000安打:2016年4月26日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、3回表に成瀬善久から左前適時二塁打 ※史上47人目

300本塁打:2016年8月2日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮野球場)、2回表に石川雅規から中越2ラン ※史上42人目

1000得点:2016年8月25日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、6回表に鈴木誠也の中前適時打で生還して達成 ※史上41人目

3500塁打:2017年6月27日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、7回表にスペンサー・パットンから中越適時二塁打 ※史上28人目

22試合連続安打:2011年9月19日対広島東洋カープ戦 - 同年10月15日対広島戦

6試合連続本塁打:2005年6月22日対ヤクルトスワローズ戦 - 同年6月28日対阪神タイガース戦

全球団から本塁打:2008年5月14日、対広島東洋カープ戦、史上10人目

オールスターゲーム出場:8回(2002年、2005年、2007年、2008年、2013年、2015年、2016年、2017年)

25(1999年 - 2014年、2016年 - 2018年、2023年 - )

28(2015年)

「It's My Life」- BON JOVI(2008年 - 2010年)

「MONSTER」- MONKEY MAJIK(2011年 - 2012年)※2012年は偶数打席のみ

「Headlight」- MONKEY MAJIK(2012年 - 2013年)※2012年は奇数打席のみ

「FOREVER YOUNG」- MONKEY MAJIK(2014年)

「fighting fists,angry soul」- Hi-STANDARD(2015年)

「全力少年」‐ スキマスイッチ(2016年 - 2018年)

「Down And Out」‐ Tantric(2017年)

2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

2008年北京オリンピック野球日本代表

『阪神の四番 七転八起』PHP研究所、2012年11月。ISBN 978-4569805399。http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-80539-9。 

『赤い心』KADOKAWA、2016年3月。ISBN 978-4046015266。http://www.kadokawa.co.jp/product/321510000330/。 

『撓まず 屈せず 挫折を力に変える方程式』扶桑社、2017年2月。ISBN 978-4594076597。http://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594076597。 

『ただ、ありがとう「すべての出会いに感謝します」』(2019年4月3日、ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4583112121

新井貴浩2000安打記念グラフ ムック(2016年5月2日、中国新聞社)

『広島アスリートマガジン2016年6月号 新井貴浩 2000安打達成! ファンのみなさん本当にありがとう!』サンフィールド、2016年5月。http://sanfield.net/2016/05/25/%E6%96%B0%E4%BA%95%E8%B2%B4%E6%B5%A9-2000%E5%AE%89%E6%89%93%E9%81%94%E6%88%90%EF%BC%81/。 

中野慶、吉田路子『新井貴浩物語』南々社、2016年12月。ISBN 978-4864890588。http://nannanbook.com/?pid=110168970。 

週刊ベースボール増刊 新井貴浩[広島] 引退記念号 2018年12/1号(2018年11月21日、ベースボール・マガジン社)

引退記念 新井貴浩・全力疾走〜あの日、あの時(2018年12月18日、中国新聞社)

MEN'S CLUB2019年 2月号増刊 新井貴浩特別版(2018年12月25日、ハースト婦人画報社)

5,000部限定発売で、2018年日本シリーズの終了翌日(11月4日)にマツダスタジアムで撮影された写真を表紙に採用。同誌の2019年2月号(通常版)にも、この時の写真の一部やインタビュー記事が掲載された。

キリン一番搾り生ビール 広島東洋カープ応援デザイン缶(2018年)

サントリー烏龍茶 中四国限定菊池ボトル(菊池涼介と共演)(2018年)

サントリー ザ・プレミアム・モルツ 〈香る〉エール『夏の神泡(ラバーズ)』篇(2019年)

大和興産(2019年)イメージキャラクターに就任。同社には広島時代の同僚だった中東直己が在職

広島トヨペット(2019年)店長に就任

新井貴浩連載コラム/球の心は正直者(『週刊ベースボール』2019年5月13日号 - )

新井貴浩の全力人生相談!(『広島アスリートマガジン』2019年6月号 - )

新井貴浩の「忘れじのカープ名場面」(『広島アスリートマガジン』2020年8月号 - )

以下はいずれも、TBSテレビの野球解説者として定期的に出演。

S☆1(2019年 - 、TBSテレビ

SAMURAI BASEBALL→S☆1 BASEBALL(2019年 - 、TBS系列のプロ野球中継)

RCCテレビ制作の広島戦中継には「RCCスペシャル解説者」、MBSテレビ制作の阪神戦中継、CBCテレビ制作の中日戦中継(地上波のみ)にはゲスト解説者として随時出演していた。
TBSテレビ制作分では、TBS系列衛星波(BS-TBS・TBSチャンネル)のみ放送の中継にも出演している。
MBSテレビ制作分への出演時は、『GAORAプロ野球中継』でも同時放送されることがあった。ただし、対広島戦への出演時は、内容が阪神応援放送という性質上、RCCテレビでは実況を差し替えられたため、新井の解説が広島県では放送されない形になっていた(RCCテレビでの解説は、広島時代のコーチだった安仁屋宗八・山崎隆造と、同僚だった天谷宗一郎のいずれかが出演)。
RCCテレビ制作中継への出演時は、契約の関係上、通常同時ネットしている『J SPORTS STADIUM』(J SPORTS)では、J SPORTSが手配したフリーアナウンサー(熊谷龍一など)とフリー解説者(主に笘篠賢治・金石昭人)による実況に差し替えられていた。

以下はいずれも、現役からの引退に関して広島ローカルで放送された特別番組。

新井貴浩 引退表明 緊急特番(2018年9月5日、RCCテレビ

カープ 新井貴浩 引退表明特番〜ファンに愛された男〜(2018年9月5日、広島ホームテレビ

番組内で2016年5月1日放送「恋スポspecial Red Soul #25 新井貴浩〜不屈の2000本安打〜」(ナレーション:吉弘翔)を再放送。

緊急特番 スポラバSP カープ新井選手引退表明会見(2018年9月5日、テレビ新広島)

みみよりライブ 5up! 緊急生放送 新井貴浩 引退(2018年9月5日、広島ホームテレビ

テレビ派 緊急SP! 新井貴浩選手引退へ…(2018年9月5日、広島テレビ

イマなまっ! カープ新井選手引退表明(2018年9月5日、RCCテレビ

カープ道 新井選手引退表明SP(2018年9月5日深夜、広島ホームテレビ

新井さんに聞いてみよう!(2018年12月12日 - 2018年12月26日、RCCテレビ

この他にも、阪神での現役時代から、年に1回『痛快!明石家電視台』(毎日放送)に単独(または良太とのコンビ)でゲスト出演。同局で制作する『戦え!スポーツ内閣』でも、2019年4月17日に「誰からも愛された男・新井貴浩スペシャル」を放送した。

カーチカチ!テレビ 初夢SP 〜新井さん家の新年会〜(2020年1月1日、RCCテレビ)責任編集:新井貴浩

カーチカチ!テレビ カープ初夢SP 新井さん家の新年会2(2021年1月1日、RCCテレビ

カーチカチ!テレビ カープ初夢SP 新井さん家の新年会3(2022年1月1日、RCCテレビ

カーチカチ!テレビ カープ初夢SP 新井さん家の新年会4(2023年1月1日、RCCテレビ

カーチカチ!テレビ カープ初夢SP 新井さん家の新年会5(2024年1月1日、RCCテレビ

勝ちグセ。カープ新春スペシャル 新指揮官が開く新時代の扉(2023年1月3日、広島ホームテレビ

広島東洋カープ新監督 新井貴浩の信念(2023年4月9日、広島テレビ

新井カープ下馬評を覆す躍進~指揮官と参謀に迫る「5つの真相」(2023年12月30日、広島テレビ

RCCカープナイター(2019年 - 、RCCラジオ)

解説者就任時に同局のプレス発表で出演が示唆されていたが、2021年8月までの時点では後述のオリンピック中継のネット受けを除いて出演実績がない(TBSテレビ兄弟会社であるTBSラジオをキー局とするJRNナイターの全国配信が廃止され、全国配信をニッポン放送・文化放送をキー局とするNRNナイターに一本化したため)。

東京2020オリンピック野球競技中継(2021年、ジャパンコンソーシアム配給分。NHKラジオ第1放送・ニッポン放送ほかで放送)

カープ愛に包まれた男 新井貴浩 2000安打への軌跡(2016年7月8日、発売元:中国放送、GAORA / 販売元:TCエンタテインメント)

新井貴浩 2000安打達成記念DVD 〜ど根性でつかんだ栄光! ドラフト6位から名球会へ〜(2016年7月13日、発売・販売元:広島テレビ放送 / 販売協力:TCエンタテインメント)

BRAVE RED 新井貴浩の流儀 〜不撓不屈の20年 辿りついた栄光〜(2019年2月、発売元:広島ホームテレビ

新井貴浩 全力カレー(2019年9月1日発売)

新井貴浩 全力カレンダー2020(2019年11月1日発売)

^ 新井の自著「阪神の四番」によると、この時当時野村を慕っていた金本知憲も野村の自宅にいたという。

^ 2014年まで28番だった岩見優輝は復帰が報じられる前に46番に変更となった。

^ 2015年に25番を付けていた高橋は、背番号を50番に変更。

^ 「チュウ」の由来は、いかりや長介とザ・ドリフターズの元メンバーだった荒井注から。

^ 『中国新聞』2008年7月23日朝刊25頁「北京で輝け郷土勢 <5> 野球 新井貴浩(阪神タイガース、広島・広島工高出) 重圧越え真の4番に」(中国新聞社 山本修)

^ 『中国新聞』2008年12月5日朝刊3頁「この人 日本プロ野球選手会の新会長に就任 新井貴浩さん(31) 球界にしっかり恩返し」(中国新聞社 浅山慶彦=共同)

^ 『中国新聞』2022年10月7日朝刊1頁「新井氏 カープ新監督 リーダーシップに期待」(中国新聞社)

^ 『中国新聞』2022年10月13日朝刊2頁「この人 広島東洋カープの監督に就任した 新井貴浩さん(45)」(中国新聞社 五反田康彦)

^ 「新井貴浩」『avex management Web』。2023年4月26日閲覧。

^ 『中国新聞』2016年12月4日朝刊28頁「カープ新井選手 絵本に 小学時代の恩師・佛圓さん監修 がむしゃらに歩む姿」(中国新聞社 滝尾明日香)

^ 『中国新聞』2016年9月11日朝刊38頁「赤い歓声 最高です ファンで幸せ/黒田にしびれた カープ優勝 病床に元気 新井君ありがとう 小学校担任 ○○さん」(中国新聞社 久保友美恵)

^ 『中国新聞』2016年9月12日朝刊24頁「カープ今季躍進 ベテランが支え 作家・迫さん 広島市佐伯区で講演」(中国新聞社)

^ 「「どこを守らせればいいんだろうか? というのが正直なところだった」。ドラフト6位で新井貴浩が指名された理由|carp|編集部コラム|アスリートマガジンWEB」『アスリートマガジンWEB』2023年5月23日。2023年5月23日閲覧。

^ 「残念です」『野村謙二郎コラム 熱き野球魂』広島テレビ、2007年11月9日。2007年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月26日閲覧。

^ 「駒大恩師・太田氏、新井2000安打に「びっくりポンだ」」『サンスポ』2016年4月27日。2023年4月26日閲覧。

^ 「入団は“コネ”だった…広島・新井貴浩の壮絶プロ人生20年」『日刊ゲンダイ』2018年9月7日。2020年12月19日閲覧。

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^ 「連載:ただ、ありがとう「すべての出会いに感謝します」 新井さんが41歳までプレーできた原点 挫折から始まった新井さんのプロ人生 まさかの開幕一軍も喜べなかった理由 圧倒的なプロのレベルを痛感」『スポーツナビ』ベースボール・マガジン社、2019年6月7日。2020年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月12日閲覧。

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^ 「連載:ただ、ありがとう「すべての出会いに感謝します」 新井さんが41歳までプレーできた原点 猛練習、罵声、正座でファンから失笑も… “ポスト江藤”の試練」『スポーツナビ』ベースボール・マガジン社、2019年6月9日。2020年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月12日閲覧。

^ 「連載:ただ、ありがとう「すべての出会いに感謝します」 新井さんが41歳までプレーできた原点 新井さんが3年目で思い知ったプロの厳しさ「休むな!」金本さんの言葉と遅かった後悔 空へ向かって打つ」『スポーツナビ』ベースボール・マガジン社、2019年6月10日。2019年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月12日閲覧。

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^ これが後述する愛称『辛いさん』の由来になっている。

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^ 特記ない場合、この節の出典は セリーグ公式サイト

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広島県出身の人物一覧

駒澤大学の人物一覧

広島東洋カープの選手一覧

阪神タイガースの選手一覧

兄弟スポーツ選手一覧

個人年度別成績 新井貴浩 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB

新井貴浩|チームデータ - 広島東洋カープ公式サイト

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

新井貴浩 (@araitakahiro_official) - Instagram

新井貴浩 - Ameba Blog - 広島復帰後の2016年2月1日に開設

25 新井貴浩

77 藤井彰人(ヘッド)

83 朝山東洋(打撃)

89 小窪哲也(打撃)

80 赤松真人(外野守備・走塁)

90 三好匠(内野守備・走塁)

86 菊地原毅(投手)

74 永川勝浩(投手)

81 石原慶幸(バッテリー)

71 高信二(監督)

85 福地寿樹(ヘッド兼打撃・走塁)

84 新井良太(打撃)

75 廣瀬純(外野守備・走塁)

72 東出輝裕(内野守備・走塁)

87 高橋建(投手)

82 横山竜士(投手)

76 倉義和(バッテリー)

78 畝龍実(統括・大野寮長)

91 迎祐一郎(野手総合兼アナリスト)

92 野村祐輔(投手兼アナリスト)

73 小林幹英(投手育成強化)

11 九里亜蓮

12 大道温貴

13 森浦大輔

14 大瀬良大地

16 森翔平

17 常廣羽也斗

18 森下暢仁

19 野村祐輔

20 栗林良吏

21 中﨑翔太

22 髙太一

24 黒原拓未

26 益田武尚

28 床田寛樹

29 ケムナ誠

30 滝田一希

34 高橋昂也

35 赤塚健利

36 塹江敦哉

39 長谷部銀次

41 矢崎拓也

43 島内颯太郎

45 松本竜也

46 河野佳

47 斉藤優汰

48 アドゥワ誠

49 戸根千明

53 小林樹斗

65 玉村昇悟

66 遠藤淳志

67 内間拓馬

68 ハーン

70 日髙暖己

93 岡田明丈

98 コルニエル

27 會澤翼

31 坂倉将吾

32 石原貴規

40 磯村嘉孝

57 持丸泰輝

62 清水叶人

64 髙木翔斗

00 曽根海成

0 上本崇司

2 田中広輔

7 堂林翔太

33 菊池涼介

44 林晃汰

51 小園海斗

54 韮澤雄也

58 仲田侑仁

61 矢野雅哉

63 内田湘大

69 羽月隆太郎

94 佐藤啓介

99 二俣翔一

9 秋山翔吾

37 野間峻祥

38 宇草孔基

50 中村健人

52 末包昇大

55 松山竜平

56 久保修

59 大盛穂

60 田村俊介

96 中村奨成

97 中村貴浩

120 杉田健

125 辻大雅

128 杉原望来

127 前川誠太

130 ラミレス

121 名原典彦

131 ロベルト

石本秀一 1950 - 1953

白石勝巳 1953 - 1960

門前眞佐人 1961 - 1962

白石勝巳 1963 - 1965

長谷川良平 1965 - 1967

根本陸夫 1968 - 1972

別当薫 1973

森永勝也 1974

ジョー・ルーツ 1975

古葉竹識 1975 - 1985

阿南準郎 1986 - 1988

山本浩二 1989 - 1993

三村敏之 1994 - 1998

達川晃豊 1999 - 2000

山本浩二 2001 - 2005

マーティ・ブラウン 2006 - 2009

野村謙二郎 2010 - 2014

緒方孝市 2015 - 2019

佐々岡真司 2020 - 2022

新井貴浩 2023 - 現在

1950 小鶴誠

1951 川上哲治

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 川上哲治

1956 別所毅彦

1957 与那嶺要

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 長嶋茂雄

1962 村山実

1963 長嶋茂雄

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 長嶋茂雄

1967 王貞治

1968 長嶋茂雄

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 長嶋茂雄

1972 堀内恒夫

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 山本浩二

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 若松勉

1979 江夏豊

1980 山本浩二

1981 江川卓

1982 中尾孝義

1983 原辰徳

1984 衣笠祥雄

1985 R.バース

1986 北別府学

1987 山倉和博

1988 郭源治

1989 W.クロマティ

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 J.ハウエル

1993 古田敦也

1994 桑田真澄

1995 T.オマリー

1996 松井秀喜

1997 古田敦也

1998 佐々木主浩

1999 野口茂樹

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 金本知憲

2006 福留孝介

2007 小笠原道大

2008 A.ラミレス

2009 A.ラミレス

2010 和田一浩

2011 浅尾拓也

2012 阿部慎之助

2013 W.バレンティン

2014 菅野智之

2015 山田哲人

2016 新井貴浩

2017 丸佳浩

2018 丸佳浩

2019 坂本勇人

2020 菅野智之

2021 村上宗隆

2022 村上宗隆

2023 村上頌樹

1950 小鶴誠

1951 青田昇

1952 杉山悟

1953 藤村富美男

1954 青田昇

1955 町田行彦

1956 青田昇

1957 青田昇, 佐藤孝夫

1958 長嶋茂雄

1959 桑田武, 森徹

1960 藤本勝巳

1961 長嶋茂雄

1962 王貞治

1963 王貞治

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 王貞治

1967 王貞治

1968 王貞治

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 王貞治

1972 王貞治

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 田淵幸一

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 山本浩二

1979 掛布雅之

1980 山本浩二

1981 山本浩二

1982 掛布雅之

1983 山本浩二, 大島康徳

1984 宇野勝, 掛布雅之

1985 R.バース

1986 R.バース

1987 ランス

1988 C.ポンセ

1989 L.パリッシュ

1990 落合博満

1991 落合博満

1992 J.ハウエル

1993 江藤智

1994 大豊泰昭

1995 江藤智

1996 山崎武司

1997 D.ホージー

1998 松井秀喜

1999 R.ペタジーニ

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 A.ラミレス, T.ウッズ

2004 T.ローズ, T.ウッズ

2005 新井貴浩

2006 T.ウッズ

2007 村田修一

2008 村田修一

2009 T.ブランコ

2010 A.ラミレス

2011 W.バレンティン

2012 W.バレンティン

2013 W.バレンティン

2014 B.エルドレッド

2015 山田哲人

2016 筒香嘉智

2017 A.ゲレーロ

2018 N.ソト

2019 N.ソト

2020 岡本和真

2021 村上宗隆, 岡本和真

2022 村上宗隆

2023 岡本和真

2024 村上宗隆

1950 小鶴誠

1951 青田昇

1952 西沢道夫

1953 藤村富美男

1954 杉山悟, 渡辺博之

1955 川上哲治

1956 宮本敏雄

1957 宮本敏雄

1958 長嶋茂雄

1959 森徹

1960 藤本勝巳

1961 桑田武

1962 王貞治

1963 長嶋茂雄

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 王貞治

1967 王貞治

1968 長嶋茂雄

1969 長嶋茂雄

1970 長嶋茂雄

1971 王貞治

1972 王貞治

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 王貞治

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 王貞治

1979 山本浩二

1980 山本浩二

1981 山本浩二

1982 掛布雅之

1983 原辰徳

1984 衣笠祥雄

1985 R.バース

1986 R.バース

1987 C.ポンセ

1988 C.ポンセ

1989 落合博満

1990 落合博満

1991 広沢克己

1992 L.シーツ

1993 広沢克己, R.ローズ

1994 大豊泰昭

1995 江藤智

1996 L.ロペス

1997 L.ロペス

1998 松井秀喜

1999 R.ローズ

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 A.ラミレス

2004 金本知憲

2005 今岡誠

2006 T.ウッズ

2007 A.ラミレス

2008 A.ラミレス

2009 T.ブランコ

2010 A.ラミレス

2011 新井貴浩

2012 阿部慎之助

2013 T.ブランコ

2014 M.ゴメス

2015 畠山和洋

2016 筒香嘉智

2017 J.ロペス

2018 W.バレンティン

2019 N.ソト

2020 岡本和真

2021 岡本和真

2022 村上宗隆

2023 牧秀悟

2024 村上宗隆

1950 西沢道夫

1951 川上哲治

1952 西沢道夫

1953 川上哲治

1954 西沢道夫

1955 川上哲治

1956 川上哲治

1957 川上哲治

1958 川上哲治

1959 藤本勝巳

1960 近藤和彦

1961 藤本勝巳

1962 王貞治

1963 王貞治

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 王貞治

1967 王貞治

1968 王貞治

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 王貞治

1972 王貞治

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 王貞治

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 王貞治

1979 王貞治

1980 谷沢健一

1981 藤田平

1982 谷沢健一

1983 谷沢健一

1984 谷沢健一

1985 R.バース

1986 R.バース

1987 R.バース

1988 落合博満

1989 L.パリッシュ

1990 落合博満

1991 落合博満

1992 J.パチョレック

1993 広沢克己

1994 大豊泰昭

1995 T.オマリー

1996 L.ロペス

1997 L.ロペス

1998 駒田徳広

1999 R.ペタジーニ

2000 R.ペタジーニ

2001 R.ペタジーニ

2002 R.ペタジーニ

2003 G.アリアス

2004 T.ウッズ

2005 新井貴浩

2006 T.ウッズ

2007 T.ウッズ

2008 内川聖一

2009 T.ブランコ

2010 C.ブラゼル

2011 栗原健太

2012 T.ブランコ

2013 T.ブランコ

2014 M.ゴメス

2015 畠山和洋

2016 新井貴浩

2017 J.ロペス

2018 D.ビシエド

2019 D.ビシエド

2020 村上宗隆

2021 J.マルテ

2022 J.オスナ

2023 大山悠輔

2024 岡本和真

1972 王貞治

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 王貞治

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 王貞治

1979 王貞治

1980 王貞治

1981 藤田平

1982 中畑清

1983 中畑清

1984 中畑清

1985 中畑清

1986 中畑清

1987 中畑清

1988 中畑清

1989 駒田徳広

1990 駒田徳広

1991 駒田徳広

1992 J.パチョレック

1993 駒田徳広

1994 駒田徳広

1995 駒田徳広

1996 駒田徳広

1997 駒田徳広

1998 駒田徳広

1999 駒田徳広

2000 R.ペタジーニ

2001 R.ペタジーニ

2002 R.ペタジーニ

2003 G.アリアス

2004 渡邉博幸

2005 A.シーツ

2006 A.シーツ

2007 A.シーツ

2008 新井貴浩, 栗原健太

2009 栗原健太

2010 (該当者なし)

2011 栗原健太

2012 畠山和洋

2013 J.ロペス

2014 森野将彦

2015 畠山和洋

2016 J.ロペス

2017 J.ロペス

2018 J.ロペス

2019 J.ロペス

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2021 D.ビシエド

2022 中田翔

2023 大山悠輔

2024 岡本和真

金田正一

稲尾和久

小山正明

米田哲也

梶本隆夫

皆川睦雄

村山実

鈴木啓示

堀内恒夫

山田久志

江夏豊

平松政次

東尾修

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黒田博樹

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平野佳寿

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松原誠

柴田勲

大杉勝男

藤田平

衣笠祥雄

福本豊

山崎裕之

山本浩二

有藤通世

若松勉

谷沢健一

加藤秀司

門田博光

大島康徳

新井宏昌

秋山幸二

駒田徳広

立浪和義

鈴木一朗(イチロー)

清原和博

古田敦也

野村謙二郎

石井琢朗

松井秀喜

田中幸雄

前田智徳

金本知憲

松井稼頭央

小笠原道大

稲葉篤紀

宮本慎也

小久保裕紀

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中村紀洋

谷繁元信

井口資仁

和田一浩

新井貴浩

福留孝介

荒木雅博

青木宣親

阿部慎之助

鳥谷敬

内川聖一

福浦和也

坂本勇人

栗山巧

大島洋平

1951 川上哲治, 野口明, 林義一

1952 飯島滋弥

1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

1954 中西太, 山内和弘

1955 山内和弘, 西沢道夫

1956 森下正夫, 吉田義男

1957 大下弘, 宮本敏雄

1958 宮本敏雄, 中西太

1959 山内和弘, 中利夫

1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

1962 ブルーム, 張本勲

1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

1969 土井正博, 船田和英

1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

1989 村田兆治, 彦野利勝

1990 R.ブライアント, 清原和博

1991 古田敦也, 広沢克己

1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

1993 清原和博, T.オマリー

1994 秋山幸二, G.ブラッグス

1995 落合博満, 松井秀喜

1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

1997 松井稼頭央, 清原和博

1998 川上憲伸, 松井秀喜

1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

2002 G.アリアス, 的山哲也

2003 高橋由伸, 金本知憲

2004 松坂大輔, SHINJO

2005 金城龍彦, 前田智徳

2006 青木宣親, 藤本敦士

2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

2008 山﨑武司, 荒木雅博

2009 青木宣親, 松中信彦

2010 阿部慎之助, 片岡易之

2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

2016 筒香嘉智, 大谷翔平

2017 内川聖一, A.デスパイネ

2018 森友哉, 源田壮亮

2019 森友哉, 近本光司

2020 (中止)

2021 菊池涼介, 島内宏明

2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

2023 柳田悠岐, 万波中正

2024 牧秀悟,佐藤都志也

初代:中畑清

2代:原辰徳

3代:岡田彰布

4代:正田耕三

5代:古田敦也

6代:宮本慎也

7代:新井貴浩

8代:嶋基宏

9代:炭谷銀仁朗

10代:會澤翼

76 王貞治

77 王貞治

78 若松勉

79 掛布雅之

80 山本浩二

81 江川卓

82 中尾孝義

83 原辰徳

84 衣笠祥雄

85 R.バース

86 北別府学

87 桑田真澄

88 郭源治

89 斎藤雅樹

90 斎藤雅樹

91 佐々岡真司

92 古田敦也

93 広沢克己

94 桑田真澄

95 斎藤雅樹

96 松井秀喜

97 古田敦也

98 佐々木主浩

99 上原浩治

00 松井秀喜

01 古田敦也

02 松井秀喜

03 今岡誠

04 嶋重宣

05 金本知憲

06 福留孝介

07 阿部慎之助

08 小笠原道大

09 坂本勇人

10 前田健太

11 浅尾拓也

12 阿部慎之助

13 阿部慎之助

14 菅野智之

15 山田哲人

16 新井貴浩

17 菅野智之

18 大瀬良大地

19 丸佳浩

20-21 中止

本川貢

伊藤栄治

足立兼敏

佐々木正雄

12 北川智規

14 田中総司

15 奥原大寿

16 木塚敦志

17 小倉丞太郎

18 河端龍

19 吉川昌宏

21 今井康輔

22 里崎智也

23 嶋田功一

2 相川良太

3 本郷宏樹

4 山本明大

6 松瀬大

7 河村哲嗣

8 新井貴浩

9 川越竜也

1 光武徳起

5 佐藤友亮

10 徳山聖訓

24 蔵本英智

25 明平正和

89 王貞治

86 鹿取義隆(投手)

84 武田一浩(投手)

87 大島康徳(打撃)

85 辻発彦(内野守備走塁)

88 弘田澄男(外野守備走塁)

11 清水直行

12 藤田宗一

15 久保田智之

18 松坂大輔

19 上原浩治

20 薮田安彦

21 和田毅

24 藤川球児

31 渡辺俊介

40 大塚晶則

41 小林宏之

47 杉内俊哉

61 石井弘寿(途中離脱)

61 馬原孝浩(追加招集)

22 里崎智也

27 谷繁元信

59 相川亮二

1 岩村明憲

2 小笠原道大

3 松中信彦

7 西岡剛

8 今江敏晃

10 宮本慎也

25 新井貴浩

52 川﨑宗則

5 和田一浩

6 多村仁

9 金城龍彦

17 福留孝介

23 青木宣親

51 イチロー

77 星野仙一

88 田淵幸一

80 山本浩二

72 大野豊

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

14 小林宏之

16 涌井秀章

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

27 藤川球児

28 長谷部康平

60 成瀬善久

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

6 井端弘和

7 西岡剛

17 荒木雅博

25 新井貴浩

36 宮本慎也

50 川﨑宗則

55 村田修一

5 和田一浩

9 大村三郎

23 青木宣親

29 森野将彦

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77 星野仙一

88 田淵幸一(ヘッド兼打撃)

72 大野豊(投手)

80 山本浩二(守備走塁)

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

15 田中将大

16 涌井秀章

17 成瀬善久

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

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10 阿部慎之助

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39 矢野輝弘

2 荒木雅博

3 中島裕之

6 宮本慎也

7 西岡剛

25 新井貴浩

52 川﨑宗則

55 村田修一

23 青木宣親

31 森野将彦

41 稲葉篤紀

46 佐藤隆彦

1位:東出輝裕

2位:井生崇光

3位:矢野修平

4位:森笠繁

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2024/11/25 21:59更新

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