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矢野輝弘の情報 (やのあきひろ)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

矢野輝弘の情報(やのあきひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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矢野 輝弘さんについて調べます

■名前・氏名
矢野 輝弘
(読み:やの あきひろ)
■職業
野球選手
■矢野輝弘の誕生日・生年月日
1968年12月6日 (年齢55歳)
申年(さる年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和43年)1968年生まれの人の年齢早見表

矢野輝弘と同じ1968年生まれの有名人・芸能人

矢野輝弘と同じ12月6日生まれの有名人・芸能人

矢野輝弘と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


矢野輝弘と関係のある人

矢野燿大: その一方で、『矢野輝弘のどーんと来い!!』については、2010年から『矢野燿大のどーんと来い!!』と改称したうえでパーソナリティを続けている。


土谷鉄平: 初盗塁:2004年5月29日、対阪神タイガース11回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:ジェフ・ウィリアムス、捕手:矢野輝弘


大橋雅法: 高齢化が進む阪神の捕手陣の次世代の捕手として二軍で狩野恵輔、岡﨑太一、小宮山慎二らとともに期待されていたが、矢野輝弘・野口寿浩ら1軍捕手の壁が厚かった事や狩野のブレイクも相まり、次第に内野手としての出場も多くなっていった。


中谷仁: 2002年、プロ入り5年目にして初の一軍昇格、正捕手矢野輝弘の骨折などもあり出場機会に恵まれ初安打・初打点を記録した。


矢野燿大: なお、地元民放局の朝日放送(2018年以降は朝日放送ラジオ)では、矢野をパーソナリティに起用した『矢野輝弘のどーんと来い!!』をこの年からオフシーズン(主に年末)に編成している。


マイク=グラン: 初盗塁:2002年5月30日、対阪神タイガース12回戦(阪神甲子園球場)、2回表に二盗(投手:谷中真二、捕手:矢野輝弘


森笠繁: 初盗塁:1999年6月9日、対阪神タイガース10回戦(大阪ドーム)、7回表に二盗(投手:福原忍、捕手:矢野輝弘


田中花子: 矢野輝弘のどーんと来い!!(ラジオ、2006年度)


渡真利克則: 球審を担当していた2006年4月21日の巨人対阪神戦で、阪神先発の井川慶が巨人小坂誠に5球目を投げようとしたとき、捕手の矢野輝弘に向かって覆いかぶさるように倒れ途中交代した。


城島健司: この時阪神が城島の獲得に至った経緯として、前年までの正捕手矢野輝弘がこの年故障で長く欠場し、代わって正捕手格となった狩野恵輔も送球面などの不安を抱えていたこと、また右打ちの強打者がチームに少なかったことがあり、城島はいずれの補強ポイントにも合致していた。


広池浩司: 初盗塁:2005年4月7日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、8回裏に二盗(投手:ジェフ・ウィリアムス、捕手:矢野輝弘


野村克也: 暗黒時代となった3年間だったが、桧山に赤星憲広、矢野輝弘、井川慶ら、星野阪神での03年優勝の力になった。


浅井良: 2006年は相性の良い江草仁貴が先発する試合を中心に捕手としてスタメン起用される機会も増え、矢野輝弘に次ぐ第2捕手となった。


関川浩一: この年のシーズンオフに久慈照嘉と共に大豊泰昭・矢野輝弘との2対2の交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。


北川博敏: 1年目(1995年)のジュニアオールスターでMVPを受賞するなど打力のある捕手として期待されたが、当時チームには関川浩一・矢野輝弘などが活躍しており、北川もセールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。


朝山東洋: 初盗塁:1999年4月8日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、7回裏に二盗(投手:山﨑一玄、捕手:矢野輝弘


野村克也: 日本語が通じないのか」と度々酷評していた今岡誠や大豊泰昭(後に中日移籍)との対立が話題に挙がることも多かったが、こうした対立はあくまでも少数派であり、岡田彰布が監督に就任した前後で野村が楽天の監督となった後も赤星、藤本、矢野輝弘、桧山らは楽天戦の試合前には必ず挨拶し、その様子は新聞などによって度々報じられていた。


野口寿浩: 2003年は前年の故障から復活した矢野輝弘が正捕手として活躍したため2番手捕手として活躍。


関本健太郎: 前年まで八木裕がつけていた番号のため、球団から打診が来た際には「恐れ多い」という意識もあったというが、「一桁の背番号をつけることはプロ入り時からの憧れだった」ことに加え、矢野輝弘に相談したところ「そんな機会は二度と来ないかもしれないから、そりゃ行くべきだ」と言われたことから、球団に承諾の返事をした。


福井敬治: 初盗塁:2002年5月10日、対阪神タイガース5回戦(東京ドーム)、2回裏に二盗(投手:井川慶、捕手:矢野輝弘


松崎伸吾: ちなみに、東北福祉大学でバッテリーを組んだ投手と捕手が卒業と同時にNPB入りを果たした事例は、1990年の吉田太 - 矢野輝弘(いずれも中日ドラゴンズ)以来であった。


伊藤義博: 1991年(平成3年)には全日本大学野球選手権大会で優勝を飾るなど同大学を学生野球界屈指の強豪校に育て上げ、この時期に育て上げた選手には、佐々木主浩・金本知憲・矢野輝弘・斎藤隆・門倉健をはじめプロ球界入りした者も数多い。


吉田義男: 一方人材補強の面では在任中に今岡誠・関本健太郎・濱中治・坪井智哉・井川慶らを育成すると共にトレードで矢野輝弘を獲得。


廣瀬純: 初盗塁:2002年7月18日、対阪神タイガース15回戦(阪神甲子園球場)、7回表に二盗(投手:谷中真二、捕手:矢野輝弘


青木宣親: 初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:安藤優也、捕手:矢野輝弘


武内晋一: 初盗塁:2008年7月17日、対阪神タイガース14回戦(阪神甲子園球場)、9回表に二盗(投手:久保田智之、捕手:矢野輝弘


光山英和: 1997年開幕直前の3月31日に、金銭トレードで控え捕手の故障が相次いでいた中日ドラゴンズへ移籍するが、中村武志と矢野輝弘の2人が一軍に固定されており出場機会が少なく、結果を残すことができなかった。


久慈照嘉: 1997年オフ、脱税事件で出場停止となった鳥越裕介の穴埋めとして1998年に関川浩一とともに、大豊泰昭・矢野輝弘との交換トレードで中日へ移籍。


塩川達也: 初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:ジェフ・ウィリアムス、捕手:矢野輝弘


萩原誠: 初盗塁:1994年6月25日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤ球場)、6回表に二盗(投手:鹿島忠、捕手:矢野輝弘


矢野輝弘の情報まとめ

もしもしロボ

矢野 輝弘(やの あきひろ)さんの誕生日は1968年12月6日です。大阪出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

引退、卒業、テレビ、趣味、家族、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。矢野輝弘の現在の年齢は55歳のようです。

矢野輝弘のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

矢野 燿大(やの あきひろ、本名:矢野 輝弘〈読み同じ〉、1968年12月6日 - )は、大阪府大阪市平野区出身の元プロ野球選手(捕手)、野球評論家、野球解説者。

現役選手時代は、1991年から1997年まで中日ドラゴンズ、1998年から2010年まで阪神タイガースに在籍。阪神時代の 2003年・2005年には、一軍の正捕手としてチームのセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝に貢献した。

現役を引退してからは、評論・解説活動や野球日本代表のバッテリーコーチを経て、2016年に一軍作戦兼バッテリーコーチとして阪神へ復帰。2018年には二軍監督としてチームをウエスタン・リーグの優勝、2019年からは一軍監督としてチームを4年連続のAクラス入りに導いたが、自身の意向から2022年限りで監督職を退いた(詳細後述)。

市立瓜破小学校・大阪市立瓜破中学校出身。小学2年時に、地元の少年野球チームで軟式野球を始めた。当初は遊撃手だったが、チームの捕手が故障してから捕手を務めた。卒業後に入学した瓜破中学校では、当時野球部がなかったため、バスケットボール部で活動していた。もっとも、在学中もバットの素振りを実家で毎日欠かさなかったほか、週末には軟式野球チームの「瓜破エンゼルス」でプレーを続けていた。

大阪市立桜宮高等学校への進学直後は、バスケットボール部から入部を誘われていたものの、結局は伊藤義博が監督・岡田龍生がコーチを務めていた硬式野球部へ入部。少年野球での活躍を知る伊藤によって、1年時からレギュラーに抜擢された。伊藤が1年後に東北福祉大学の硬式野球部監督へ転じてからは、投手以外の全ポジションを経験。捕手として1年後輩の土井善和とバッテリーを組みながら、高山知浩などとクリーンナップを担うまでに打力を伸ばしたほか、3年時には主将も務めた。在学中には対外試合で3本の本塁打を記録したものの、春・夏とも甲子園球場での全国大会出場を果たせなかった。

高校卒業後は明治大学への進路も考えたが、東洋大姫路高出身の岡田コーチにより東洋大学のセレクションを秋に受験した。セレクションでは当時の同大学監督高橋昭雄のお眼鏡にもかなったが、夏に捕手のセレクション枠が埋まっていたため泣く泣く不合格とされた。当初伊藤からの東北福祉大学への誘いを丁重に断っていたが、行き場を失っていた矢野を伊藤が再度勧誘し、伊藤の後を追う格好で同大学へ進学した。硬式野球部に入部してから、高校時代と同じく捕手以外のポジションもこなしていた。3年時の1989年には、三塁手として仙台六大学野球春季リーグ戦のベストナインに選ばれたばかりか、大学日本代表や第18回日米大学野球選手権のメンバーにも入った。4年時の仙台六大学野球リーグ戦では、捕手として春季から2季連続でベストナインに選出。ラストシーズンであった秋季には、最優秀選手と最多打点のタイトルも獲得した。なお、チームは矢野の在学中に仙台六大学のリーグ戦で優勝を続けていて、矢野の4年時には大学選手権で決勝、明治神宮大会準決勝に進出した。また、金本知憲は矢野と同じ年齢ながら、1年浪人の後に矢野の下級生として入学。矢野と共にチームの主軸として活躍すると、卒業後に阪神で再びチームメイトになっている。

大学からの卒業後に教職へ就くことも検討していたが、1990年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)と中日から2位で指名を受けた。指名の重複に伴う抽選の結果、中日が独占交渉権を獲得。4位で指名された大学の同級生吉田太投手と共に入団した。入団当初の背番号は2。この会議では、東北福祉大学から矢野・吉田のバッテリーに加えて、内野手の宮川一彦が横浜大洋ホエールズ、吉田との両輪で投手陣を支えたエース小坂勝仁がヤクルトスワローズからの指名を経て入団している。

入団1年目の1991年から一軍公式戦に22試合に出場したほか、一軍公式戦で本塁打をマーク。翌1992年には、一軍公式戦72試合の出場で打率.259を記録した。捕手としての出場は65試合、スタメンでの起用は22試合で、10月1日の対阪神タイガース戦(ナゴヤ球場)では1対1で迎えた延長10回2死1・2塁の打席で猪俣隆からサヨナラ安打を放っている。

1993年からは、一軍公式戦での出番が減少。1995年には57試合に出場したものの、ドラフト会議での1位指名を経て入団した荒木雅博に背番号2を譲る格好で、1996年から自身の背番号を38に変更した。

1996年には、8月11日の対巨人戦(東京ドーム)において、野口茂樹とのバッテリーでノーヒットノーランを達成した。この年は一部の公式戦に外野手として起用されるほど打撃が好調で、一軍公式戦56試合の出場ながら、打率.346、7本塁打、19打点をマーク。10月6日の対巨人戦(ナゴヤ球場)では、「1番・中堅手」としてスタメンで起用されると、2回裏の第2打席で宮本和知からシーズン7号本塁打を放った。中日の一軍は2日後(8日)の同カードで主催公式戦におけるナゴヤ球場の使用を終えたものの、この試合では中日の選手から本塁打が出ず、矢野に出場の機会はなかった。その結果、矢野が6日の対巨人戦で記録した本塁打は、中日の選手がナゴヤ球場の一軍公式戦で最後に放った本塁打にもなっている。

1997年には、一軍公式戦で入団後最多の83試合に出場。捕手としての出場は60試合、スタメンで出場した試合は62試合だったが、シーズン終盤は主に右翼手として起用された。しかし、シーズン終了後に関川浩一・久慈照嘉との交換トレードで、大豊泰昭と共に阪神へ移籍。移籍を機に、現役を引退するまで背番号39を着用するようになった。当時の中日監督で、後に阪神でも指揮を執った星野仙一が生前に語ったところによれば、当初は正捕手の中村武志を放出する前提で阪神と交渉していて、交渉が成立した場合には矢野を中村の後釜に据えていたという。

1998年は、一軍監督の吉田義男からリード面を高く評価されたことを背景に、正捕手として一軍公式戦110試合に出場。5月26日の対中日戦(倉敷マスカットスタジアム)でもスタメンマスクを任されると、バッテリーを組んでいた川尻哲郎をノーヒットノーランの達成に導いた。奇しくも、最初にノーヒットノーランを達成させた野口を、中日はこの試合に先発させていた。シーズン通算では打率が.211にとどまったものの、7月7日の対横浜ベイスターズ戦(大阪ドーム)では、1点ビハインドの9回裏2死1・2塁の打席で佐々木主浩(大学の1年先輩)からサヨナラ安打をマーク。佐々木の一軍公式戦連続試合セーブ(日本プロ野球における公式戦最長記録)を22試合で止めたばかりか、結果として、佐々木にこの年唯一の黒星を付けた。

1999年は、前年までヤクルトを指揮していた野村克也をチームが監督へ招聘したことを背景に、プロ入り9年目で初めてシーズンの最終規定打席に到達。さらに、リーグ10位の打率.304を記録した。セ・リーグの最終規定打席以上で打率3割を記録した阪神の捕手は、1979年の若菜嘉晴(打率.301)以来20年振りであった。8月13日の対ヤクルト戦(大阪ドーム)では、2対2で迎えた延長15回裏2死満塁の打席で高津臣吾からサヨナラ安打を放っている。

2000年は、2年連続でセ・リーグの最終規定打席に到達。阪神の捕手としては若菜以来20年振りの記録であったが、「捕手の大先輩」に当たる監督の野村からは、配球を徹底的に非難されていた。さらに、自身が移籍してもチームが長期の低迷から脱していないことから、一時は優勝を狙えるチームへの移籍を模索。シーズン中にFA権を初めて取得したことをきっかけに、捕手の補強を目指す巨人が矢野の獲得調査を水面下で進めていたが、結局はFA権の行使を宣言したうえでチームに残留した。野村からは2001年も薫陶を大いに受けていたものの、野村がチームの3年連続最下位などを理由にこの年限りで監督を辞任したことから、球団は中日の監督を退いたばかりの星野を野村の後任として招聘。前述したように、星野は中日の監督時代から捕手としての矢野の力量を高く評価していたが、当の本人は「(中日からのトレードに続いて)また星野監督に捨てられてしまう」と思うほど危機感を募らせていたという。

2002年は、星野から「開幕ダッシュのMVP」に挙げられるほど、正捕手として順調なスタートを切っていた。しかし、4月13日の対横浜戦(阪神甲子園球場)で9回表の守備中に本塁上のクロスプレイで左肩を脱臼。戦線に復帰するまで1ヶ月を要したものの、7月26日の対中日戦(甲子園)では、同点で迎えた9回無死1塁の打席でチームを22年振りの3試合連続サヨナラ勝利に導く安打を落合英二から放った(実際には左翼手の蔵本英智が打球を後逸)。チームはシーズン中盤まで好調だったが、矢野が8月10日の対中日戦(ナゴヤドーム)での骨折によって戦線を離脱したことを境に失速した。この結果を受けて、星野はシーズン終了後に、在籍選手の3分の1を入れ替える大型補強を球団に指示。矢野がチームに残留した一方で、東北福祉大学から広島東洋カープへ入団した後にFA権の行使を宣言していた金本が移籍したほか、日本ハムファイターズから正捕手の野口寿浩や下柳剛が大型トレードで入団した。

2003年は、野口の入団で正捕手の座が危ぶまれながらも、金本の影響で強い体作りに着手。シーズン当初のチーム構想では「矢野を休ませる」という理由で野口を週に1回のペースでスタメンに起用することになっていたが、実際には矢野が正捕手として投手陣をリーグトップの防御率(3.53)に導いたばかりか、チームの18年ぶり4回目のセ・リーグ優勝に大きく貢献した。また、「7番・捕手」として藤本敦士(8番・遊撃手)と共に「恐怖の下位打線」と呼ばれるほどの打力を発揮した末に、リーグ3位の打率.328をマーク。甲子園球場での対横浜戦では勝負強さが顕著に表れていて、6月17日には2点ビハインドで迎えた9回裏無死満塁の打席でデニーから逆転サヨナラ3点適時三塁打、9月5日には1点ビハインドで迎えた9回裏無死1塁の打席でエディ・ギャラードから逆転サヨナラ2点本塁打を放った。シーズン終了後には、阪神でバッテリーを組む井川慶が選ばれたMVPで4点差の次点に付けていたほか、35歳にしてセ・リーグの捕手部門でベストナインとゴールデングラブ賞を初めて受賞。35歳でのゴールデングラブ初受賞は、パシフィック・リーグを含めても、捕手としては史上最年長であった。

2004年は、36歳にして初めての一軍公式戦全試合出場を達成。ただし、代打だけで退いた試合が1試合あったため、阪神では1971年の辻恭彦以来となる「捕手としての全試合出場」は成らなかった。7月29日の対中日戦(甲子園)では、7対7で迎えた延長12回2死1・2塁の打席で、阪神打線が数年来苦手にしていた岩瀬仁紀からサヨナラ安打を放っている。なお、地元民放局の朝日放送(2018年以降は朝日放送ラジオ)では、矢野をパーソナリティに起用した『矢野輝弘のどーんと来い!!』をこの年からオフシーズン(主に年末)に編成している。

2005年は、三振を減らすべく、宮本慎也(ヤクルト)を参考に打撃フォームの改造へ着手。この改造が功を奏して、レギュラーシーズンでは一軍公式戦で自己最高の19本塁打を放つなど、攻守にわたってチームの2年ぶり5回目のセ・リーグ優勝に貢献した。8月18日の対横浜戦(大阪ドーム)では、5対5で迎えた延長10回裏1死1・2塁の打席で木塚敦志からサヨナラ安打を放ったことによって、横浜戦におけるチームのシーズン勝ち越しを確定させた。さらに、盗塁阻止率はリーグ3位ながら、自己最高記録の.434をマーク。チームは千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズで第1戦から4連敗を喫したものの、自身はシリーズの敢闘選手として表彰された。さらに、シーズン終了後には2003年に続いて、セ・リーグの捕手部門でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞している。なお、シーズン中に国内FA権を再び獲得したものの、シーズン終了後に行使を宣言したうえで再び残留。

2006年は、5月4日の対巨人戦(甲子園)延長10回裏2死2塁の打席で福田聡志からサヨナラ安打を放つと、翌5日の対横浜戦(横浜スタジアム)では、自身初の1試合3本塁打を含む(5打数)4安打で7打点をマーク。さらに、10月4日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)2回表に、石井一久からの3点本塁打によって一軍公式戦通算100本塁打を達成した。シーズン全体でも打撃はおおむね好調で、17本塁打を放ったほか、チーム2位の78打点を記録。シーズン終了後には、セ・リーグの捕手部門で2年連続3度目のベストナインに選ばれた。

2007年は、シーズンの序盤から野口や狩野恵輔と併用されたほか、セ・パ交流戦の期間中に右足のふくらはぎを痛めて戦線を一時離脱。4月24日の対ヤクルト戦(甲子園)では1対1で迎えた9回裏1死満塁の打席で高津からサヨナラ安打を放ったが、シーズン全体では打率.236、 6本塁打と振るわなかった。その一方で、シーズン終了後に開かれた北京オリンピックのアジア予選に、野球日本代表の一員として参加。試合を締めくくる「抑え捕手」として、チームの予選突破に貢献した。

2008年は、チームから藤川球児・新井貴浩と共に北京オリンピックの野球日本代表へ参加。オリンピックでは「抑え捕手」としての出場に加えて、ブルペン捕手の役割も随時担っていた。2008年北京オリンピックの野球競技・韓国代表との準決勝(8月22日)にも岩瀬とのバッテリーで途中から出場したものの、同点の8回裏1死1塁で李承燁に逆転本塁打を許した末に敗れたため、メダルの獲得に至らなかった。その一方で、オリンピックの前後に組まれていたNPBのレギュラーシーズンでは、前年に続いて野口と併用。矢野は下柳・安藤優也・福原忍の先発登板試合でスタメンマスクを任されていたほか、それ以外の試合では、代打からの出場でクローザーの藤川とバッテリーを組むことが多かった。それでも、セ・リーグの最終規定打席へ2年ぶりに到達。9月には、9日の対ヤクルト戦で同点の9回裏に押本健彦からサヨナラ本塁打、13日の対広島戦(いずれも甲子園)で両チーム無得点の延長10回裏に梅津智弘からサヨナラ二塁打を放った。最も、シーズン中盤からは疲労が蓄積した影響で右肘を痛めていて、シーズン終了後の11月27日に右肘の関節形成手術を受けた。

2009年は、前年に手術を受けた右肘の回復に時間を要した影響で、7月に入ってから一軍に昇格。昇格後も、スタメン出場は安藤や下柳が先発する試合に限られた。8月16日の対巨人戦(東京ドーム)では、当時41歳の下柳と揃ってスタメンに起用されたところ、日本プロ野球の公式戦史上初めて「40代のバッテリーによる勝利」を達成。シーズンの終盤に右足首を骨折した影響で、一軍公式戦全体では30試合の出場にとどまったものの、打席数が100未満ながら3割台の打率と得点圏打率4割超を記録した。シーズン終了後に、登録名を本名の矢野輝弘から矢野燿大(読み方は本名と同じ)へ変更。

2010年は、福岡ダイエーホークスとMLBのシアトル・マリナーズで正捕手を務めていた城島健司がチームに加入。右肘の状態が芳しくないこともあって、6月上旬まで一軍公式戦の出場が7試合に留まっていた。自らの申し出で6月8日に出場選手登録を抹消されたうえで、同日中に病院で診察を受けたところ、右肘内側の側副靱帯を損傷していることが判明。修復手術を受けなければ完治が難しい状況にあったが、「自分の置かれた立場で、2年続けて(一軍で)何もしないことは許されない」という想いから、手術を受けずに右肘のリハビリを続けた。しかし、日常生活に支障を来すほどの激痛に何度も見舞われたことから、この年限りで現役を引退することを8月に決意。9月2日に引退を球団に申し入れた。球団ではこの申し入れを受け入れたうえで、一・二軍ともホーム最終戦を「矢野の引退試合」として開催することを決めた。

一軍では2010年9月30日の対横浜戦(甲子園)が引退試合に設定されていたが、チームがこの時点で優勝争いの渦中にあったことから、矢野の出場については「リードを付けている展開で9回表の2死から」との条件が付けられていた。チームは2点リードの9回表から藤川を登板させたものの、1死から村田修一に逆転3ランを浴びたため、矢野は満員のファンの前でラストプレーを見せることなく現役生活を終えた。試合後に号泣しながら「これまでお前のおかげでいっぱいええ思いさせてもらったよ」との言葉で藤川を慰めていたほか、引退セレモニーではファンに向けて「最高の野球人生でした。またいつの日か甲子園で会いましょう!」と述べた。

なお、二軍での引退試合であった2010年9月25日の対中日戦(阪神鳴尾浜球場)には、下柳とのバッテリーで9回表に出場。1イニングを無失点に抑えると、試合後の引退セレモニーで阪神と古巣・中日の双方の選手から胴上げされたことを受けて、「中日での7年間がなければ僕はない。野球人生を幸せに送れた」という表現で感謝の意を伝えている。

2010年11月、スポーツニッポン大阪本社専属野球評論家への就任を発表。2011年1月からは、朝日放送テレビ・朝日放送ラジオとサンテレビの野球解説者としても活動を始め、2月13日に朝日放送テレビが関西ローカルで放送した阪神対ヤクルトの練習試合中継で、事実上の解説者デビューを果たした。

朝日放送では、『おはよう朝日です』『NEWSゆう+』『キャスト』で月曜日のスポーツキャスターを務めるかたわら、同局のゴルフやラグビーなどのスポーツ中継や、サンテレビ『熱血!タイガース党』に不定期で出演。朝日放送の全国高等学校野球選手権大会中継でも、不定期で登場した。その一方で、『矢野輝弘のどーんと来い!!』については、2010年から『矢野燿大のどーんと来い!!』と改称したうえでパーソナリティを続けている。

2012年の日本プロ野球公式戦期間中に開催されたロンドンオリンピックでは、競技種目に野球が入っていないにもかかわらず、朝日放送を代表して岩本計介アナウンサーとともに現地取材を敢行。金本が現役引退を発表した同年9月12日には、ABCラジオの『ABCフレッシュアップベースボール』で阪神対ヤクルト中継の解説を担当する一方で、試合前に開かれた金本の引退発表記者会見の取材にも携わった。

2011年3月には、自身初の著書『考える虎』が発売された。発売の直前に東日本大震災が発災したことを受けて、同書の印税の全額を、大学時代を過ごした仙台市を含む被災地域への義援金として寄付することを表明した。

2014年11月23日には、第4回神戸マラソンでフルマラソンにデビュー。かつて天満屋に所属していたマラソンランナーで、熱烈な阪神ファンでもある坂本直子(2004年アテネオリンピック・女子マラソン7位入賞)から指導を受けた結果、3時間55分37秒で完走を果たした。

2013年、常設されていた野球日本代表(侍ジャパン)の新体制化に伴ってトップチームの新監督に就任した小久保裕紀の下でバッテリーコーチに就任。背番号は、自身の好きな数字(8)や矢野の妻の誕生日(8月8日)にちなんだ88。矢野にとってはプロ・アマを通じて初のコーチ就任であった。

コーチとして、同年11月に台湾で開催された国際強化試合「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」、2014年11月に日本で開催された日米野球2014、2015年3月の強化試合「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」、同年11月の第1回WBSCプレミア12に参加した。

プレミア12開催期間中に阪神の一軍コーチ就任を発表したが(後述)、大会期間中は日本代表コーチとしての活動を優先した。

2015年10月27日付で、阪神の一軍作戦兼バッテリーコーチに就任した。大学および阪神でのチームメイトだった金本の一軍監督就任を受けての本格的な現場復帰で、登録名は阪神での現役後期→野球解説者時代に続いて矢野 燿大、背番号は日本代表コーチと同じ88。

2016年には、春季キャンプから捕手陣を「横一線」として競い合わせた末に、二軍生活の長かった岡﨑太一に一軍開幕戦のスタメンマスクを初めて任せた。その後は、解説者時代から注目してきた原口文仁や、新人の坂本誠志郎を一軍に抜擢。故障の影響で育成選手契約を結んでいた原口については、4月の支配下再登録を経て、クリーンアップの一角を担う正捕手格の主力選手に育て上げた。

2017年には、打力の高い原口を事実上一塁手へ転向させる一方で、2015年の正捕手だった梅野隆太郎に開幕から多くの試合でスタメンマスクを任せていた。4月4日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)5回表に阪神の先発投手藤浪晋太郎からヤクルトの畠山和洋への死球をきっかけに乱闘が生じた際には、藤浪を守る目的でグラウンド上に出たところ、畠山への死球に激昂したウラディミール・バレンティンに突き倒されたことから跳び蹴りで応戦。結局、バレンティンと共に審判団から退場を宣告された。矢野にとってはコーチ就任後初の退場処分で、翌5日にNPBから厳重注意と制裁金15万円を科された。2016年から二軍の指揮を執っていた掛布雅之が、シーズン終了後に「オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー」(SEA)という特別職へ転じたことに伴って二軍監督へ異動。

2018年のウエスタン・リーグ公式戦では、「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という方針の下で、若手選手に積極的な走塁の意識を植え付けた。チームが勝利した試合では、勝利へ貢献した選手にヒーローインタビューやファンに対するスピーチを必ず体験させた。その結果、前年のシーズンをリーグ最下位で終えたチームを8年ぶりのリーグ優勝に導いたばかりか、ファーム日本選手権も12年振りに制した。ウエスタン・リーグでの最終成績は、115試合で68勝40敗7分。通算勝率は.630で、リーグ内のチーム最多記録であるシーズン163盗塁と、チーム歴代最多記録のシーズン68勝を達成した。

その一方で、一軍ではセ・リーグの最下位でシーズンを終えたことを受けて、監督の金本が辞任を表明。球団は、この表明を受けて、矢野に一軍監督への就任を要請した。

2018年10月18日に、一軍の監督へ就任することが球団から正式に発表された、就任に際しては、金本監督時代の方針を継承しながら、二軍監督時代に続いて「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という姿勢を選手に浸透させることを表明。一軍監督として初めて臨んだ10月25日のNPBドラフト会議では、藤原恭大・辰己涼介の交渉権を逃しながらも、二軍監督時代に大阪ガスとの練習試合で対戦した近本光司の指名に漕ぎ着けた。

「ブチ破れ!オレがやる」というチームスローガンを提唱。野球解説者時代に契約を結んでいたスポーツニッポン大阪本社発行分紙面での恒例企画(阪神の一軍監督が年始に自筆の書を披露する企画)でも、このスローガンを毛筆でしたためた。さらに、二軍監督時代からの方針に加えて、一軍監督としての「5か条」(チームの勝利、勝利プラス1、喜怒哀楽、裏方への感謝、球団とも一体となったチーム作り)を提示。就任後初めて迎えた春季キャンプでは、自分で考える力を選手に植え付けるべく、自主性を重視しながら相応の結果を求める方針を打ち出した。レギュラーシーズン中には、試合に敗れてもナイン一同でグラウンドに出て観客に一礼したり、感情を抑えながらインタビューに応じたりするなど、ファンに対する真摯な姿勢を貫徹。その一方で、味方の選手が活躍した際に満面の笑みでガッツポーズを見せる姿が、「矢野ガッツ」と呼ばれるようになった。

レギュラーシーズンでは、新人ながら中堅手としてレギュラーに定着した近本などの活躍によって、69勝68敗6分(勝率.504)という成績で終了。最終順位は3位で、クライマックスシリーズ(CS)への進出を果たした。阪神の一軍監督が就任1年目でチームをAクラスに導いたことは、吉田義男の監督第2期初年に当たる1985年(リーグ優勝)以来34年振りで、新人監督が5割以上の最終勝率でAクラスを実現させた事例は1982年(リーグ3位)の安藤統男以来37年振りであった。もっとも、前年のレギュラーシーズン最下位からAクラス入りに至った事例は、球団史上初めてである。

CSでは、DeNAとのファーストステージを2勝1敗で突破。第1戦(10月5日)では、CS史上初めて、最大6点差から逆転勝利を収めた。ファイナルステージでは、レギュラーシーズンで大きく負け越した巨人から1勝を挙げただけで、日本シリーズへの進出に至らなかった。

「楽しむからこそ実力が発揮できる」「笑うことには大きなパワーがある」というニュアンスで、チームスローガンを「It's 勝 Time! オレがヤル」(ロゴでは「勝」を「笑」と重ね合わせた特殊な文字で表記)に変更。その一方で、中日捕手時代のチームメイトで、阪神に所属した経験のない井上一樹を一軍の打撃コーチに招いた。

日本国内ではこの年の初頭から新型コロナウイルス感染症の流行が始まっていて、チーム内でも、レギュラーシーズンの開幕前から選手などの感染が続出。この事態を受けて、球団では感染防止策の一環として、チーム関係者によるシーズン中の外食の機会・参加人数を制限する内規を定めていた。実際には矢野が夏場の広島遠征中に内規を超える大人数での会食に臨んでいたことが9月上旬に報じられたため、残りシーズンにおける(選手・スタッフを含めた)遠征先の外食を一切禁止したが、矢野の会食については不問に付した。感染者数が当時全国で少ない部類に入っていた広島県内での会食であったことや、球団本部の責任者が「監督のチームマネジメントやチーム力の強化に資する」という理由で会食を事前に許可していたことによる。

レギュラーシーズンの成績は、60勝53敗7分(勝率.531)。新型コロナウイルスへの感染が確認された選手や、「濃厚接触者」とみなされた選手10名の出場選手登録を9月24日に抹消したにもかかわらず、最終盤での6連勝によって、最終戦で2位を確定させた。ただし、この年は新型コロナウイルス感染症流行の影響でCSの開催が見送られている。

なお、シーズン終盤の10月26日に開催されたNPBドラフト会議では、大学球界屈指のスラッガーであった佐藤輝明(近畿大学)に対する独占交渉権を、3球団との指名重複の末に抽選で自ら引き当てた。

コーチ陣の一部を入れ替えるとともに、「一軍監督としての過去2年間の成績(最高はセ・リーグ2位)を『超』えて『頂』(優勝)に『挑』む」というニュアンスで、「挑・超・頂-挑む 超える 頂(いただき)へ-」というチームスローガンを設定。前年まで2年続けてNPBの全12球団で最多の失策数を記録していたことを踏まえて、現役時代のチームメイトではなく、阪神に在籍したこともなかった川相昌弘を春季キャンプで臨時コーチに招聘した。

レギュラーシーズンでは、リーグトップの77勝を記録したほか、貯金が前年から3倍増の21にまで達した。シーズン中盤まではセ・リーグの首位を走っていたが、夏場から失速した影響で、リーグ優勝のヤクルトに次ぐ2位でシーズンを終えた。もっとも、ヤクルトとの最終勝率の差は5厘(ゲーム差は0)で、セ・リーグではシーズンを通じて他の5球団に負け越さなかった。2リーグ分立後(1950年以降)の阪神の一軍監督で、チームを就任1年目から3年連続のAクラス入りに導いた人物は矢野が初めてである。

クライマックスシリーズ(CS)では、ファーストステージでシーズン3位の巨人に2連敗を喫したため、ヤクルトとのファイナルステージに進めなかった。その一方で、矢野の下で一軍に定着した佐藤、伊藤将司、中野拓夢はいずれも、シーズン終了後にセ・リーグから新人特別賞を授与されている。

一軍監督としてはこの年が3年契約の最終年であったが、レギュラーシーズンの9月には、NPBの球団では最も早く球団トップ(オーナー兼球団社長の藤原崇起)から続投を要請。CSで敗退後の11月9日に、一軍監督契約を改めて締結した。締結後は、「捕手としての出番が減っているので、他のポジションに回ってでも出場機会を増やしたい」という原口の要望を受けて、一塁手や外野手に専念させることを秋季練習から容認。その一方で、阪急ブレーブス・オリックスブルーウェーブOBの藤井康雄を、球団初の「一・二軍巡回打撃コーチ」に招いた。阪神に在籍したことのない藤井を招聘したのは、他球団のコーチ時代にT-岡田(オリックス・バファローズ)や柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)といった長距離打者を育て上げていたことに加えて、自身と同じく「4スタンス」という打撃理論を信奉していることによる。

「1球、一打、一瞬にこだわる」「チームが1つになる(ONE TEAM)」「一番上(リーグ優勝)に向けて前年よりもう1勝増やす」というニュアンスを掛け合わせたチームスローガンとして、「イチにカケル!」を新たに設定。しかし、春季キャンプインの前日(1月31日)に、この年限りで監督職を退任する意向を選手と報道陣に相次いで明かした。本人によれば、退任を決断したのは2021年シーズンの終了後で、同年9月に続投の要請(前述)を受けてから熟考を重ねた結果であったという。

レギュラーシーズンでは、開幕戦で球団史上初めて最大7点差からの逆転負けを喫したばかりか、セ・リーグ史上最長の開幕9連敗を記録。開幕投手に内定していた青柳晃洋が新型コロナウイルス感染の影響で開幕に出遅れたことや、ロベルト・スアレス(前年まで2年連続でセ・リーグ最多のセーブを記録しながらMLBのサンディエゴ・パドレスへ移籍した右投手)に代わるクローザーが定まっていなかったことも相まって、開幕からの2ヶ月(3・4月)は9勝20敗1分(勝率.310)と低迷した。その後は、セ・パ交流戦から7月にかけて徐々に復調。8月の長期ロード中に一軍の選手から相次いで新型コロナウイルスへの感染が確認された影響で再び失速しながらも、最終成績は68勝71敗4分(勝率.489)の3位で、チームを4年連続のAクラス入りに導いた。

クライマックスシリーズ(CS)では、2位・DeNAとのファーストステージを2勝1敗で突破。しかし、ヤクルトとのファイナルステージでは3連敗を喫したため、監督生活を日本シリーズで終えることは叶わなかった。その一方で、前年まで一軍での実績が皆無に近かったにもかかわらず、矢野が開幕の直後からセットアッパーに抜擢した湯浅京己(入団4年目)はリーグ最優秀中継ぎ投手やセ・リーグ新人特別賞といったタイトルを獲得している。

球団ではCSファイナルステージ敗退の翌日(10月15日)に、岡田彰布(矢野の阪神選手時代に一軍のコーチや監督を歴任)を一軍監督へ15年振りに復帰させることを正式に決めたうえで、矢野の監督退任記者会見を開催。本人はこの会見で、4年間の一軍監督生活を「強いチームは作れなかったが、『夢と理想を語りながらやってくる野球を貫けた』という思いはある」と回顧するとともに、退任後の野球との関わり方を「『子どもたちを笑顔にしていく』ということを含めて、僕の夢はまだ続く。今後も何かに挑戦するような人生を歩んでいきたい」という表現で示唆した。

一軍監督への在任中は、二軍監督時代に指導していた選手を含めて、新人・若手選手を積極的に登用。在任中に高校から直接入団した西純矢・井上広大・森木大智も入団1年目から一軍の公式戦へ出場させるなど、現有戦力の底上げと若返りを図っていた。俊足が持ち味の選手(熊谷敬宥や植田海)ばかりか、長距離打者の佐藤や大山悠輔(いずれも登録上のポジションは内野手)にも内外野で複数のポジションを守らせていたが、金本の監督最終年(2018年)から続いていた「NPB全12球団で最多のチーム失策数」という弱点の解消には至らなかった。打線では「走塁で次の塁を積極的に狙う」という意識が根付いた一方で、外国人野手の長期離脱や不振が相次いだこともあって、長打力不足を勝負所でたびたび露呈。在任中に打撃コーチへ招聘した井上と藤井も、この年限りで阪神を退団した。

2023年シーズンから阪神の一軍監督へ復帰した岡田は、野球解説者・野球評論家の立場で把握していたチームの弱点を解消すべく、金本と矢野の下で成長した選手を戦略的に登用。チームがこの年に(岡田が最初に監督を務めていた2005年以来)18年振り6回目のセ・リーグ優勝、(和田豊監督の下でリーグ2位からCSを突破した2014年以来)9年振り7回目の日本シリーズ進出、(岡田が現役の内野手だった1985年以来)38年振り2回目の日本シリーズ優勝(日本一)を相次いで成し遂げたことによって、新人選手の獲得や若手選手の育成に関する矢野の慧眼(前述)も、「日本一への土台を築いた」という観点から改めて注目されるようになった。

矢野自身は2023年から、スポーツニッポンの評論家へ復帰するとともに、ABCテレビ・ABCラジオ・サンテレビ解説者としての活動を再開。テレビ中継での解説は本数契約で、毎日放送(MBSテレビ)・関西テレビ・NHK大阪放送局が制作する阪神戦の中継や、MBSテレビの関西ローカル番組(主に『よんチャンTV』)にも解説者として出演している。その一方で、「子どもたちの野球(における指導のあり方)に(かねてから)危機感を覚えているので、野球界に恩返しをしたい」との想いから、阪神監督退任後の2022年末に学生野球資格回復研修制度を活用。2023年2月3日付で資格回復の適性を日本学生野球協会から認定されたことによって、同協会へ加盟する高校・大学の硬式野球部で学生を指導できるようになった。

なお、2023年NPBシーズン中の8月には、MBSテレビの企画(「やってみたかってん!!4年ぶりの夏」)の一環で少年野球を指導。2024年には、和歌山県立田辺高等学校硬式野球部(この年の第96回選抜高等学校野球大会の出場校)の監督や選手を矢野が取材した映像を『よんチャンTV』で3月8日(大会抽選会の当日)に放送したほか、翌4月から「老若男女を問わず、少年野球や草野球のチームからのリクエストに応じて矢野が指導に出向く」という企画を同番組で本格的に始めている。

阪神タイガースを2度のリーグ優勝に導いた強打の名捕手。勝負強い打撃と卓越したリード、通算守備率.996を記録した堅守が武器であり、攻守にわたり活躍した。一方で、打てそうで打てなかった(苦手にしていた)投手に、小笠原孝(古巣の中日で活躍した左投手)を挙げていた。

山本昌からは、技術的にはストレートで追い込んで最後に変化球というタイプの捕手であったと評されている。

プロ入りを検討していた当時は、レギュラー捕手が高齢で捕手の層も薄かった阪神や巨人への入団を希望していた。それだけに、2歳年上の中村武志がレギュラー捕手として全盛期を迎えていた中日からドラフト会議で指名されたことに不安を感じていた。後に中日時代の思い出を振り返り「(中村の)存在が大き過ぎて、勝てるとは思えなかった」と、ラジオ番組『スポーツにぴたっと。』で語っている。その中で、2010年に自身が引退する際に、当時中日のコーチに就任していた中村から労われたことに対し「中日時代はどうしても超えられなかった人なので嬉しい」と語り、「幸せな野球人生を送れた」と20年の現役生活を振り返った。

ドラフト会議では、司会者だった伊東一雄から名前を「てるひろ」と読み間違えられ、当時中日の監督であった星野仙一から「テル」と呼ばれるようになった。中日では星野から打撃力を評価されていたが、入団4年目(1994年)まで一軍で目立った実績を残せなかった。しかし、東北福祉大から一緒に入団した吉田が、その年のシーズン終了後に戦力外通告を受けてひっそりと退団したことから一念発起。「自分が辞める時に後悔だけはしたくない」という危機感を抱きながら、正捕手の中村のリードを本格的に研究するなど、自ら率先して練習に励むようになった。さらに、外野手として公式戦に出場する機会を重ねるうちに、捕手というポジションへの思いを強めた。「ボールがいつ飛んでくるか分からない外野手では、一球ごとにサインを考えたり投手にボールを返したりする捕手に比べて、どこか試合に参加してないような気持ちになった」という。解説者に転じてからは、このような下積みの経験を基に、(捕手を含めた)若手野手のプレーや野球へ取り組む姿勢に苦言を呈することが多かった。

中日から阪神へのトレードが決まった際、当時中日の監督であった星野からは何も言葉を掛けてもらえず「絶対に星野さんを見返す。中日戦だけには絶対、負けへん」と中日相手には多く死球を要求していた。なお、星野の阪神監督就任後は、気まずい素振りも見せずに星野がよく話しかけてきてくれたため、次第に「星野さんに認められたい。認められるために頑張る」と気持ちが変わっていった。

阪神の選手時代には、「優しい」と形容する解説者が多い一方で、「阪神で一番短気」と言われることもあった。現に、退場寸前の乱闘を年に1度のペースで起こしたほか、幼児が駄々をこねるような仕草で審判の判定に不服を示すことも珍しくなかった。前述した2017年の退場処分以外にも、阪神捕手時代の1998年と2006年に、審判への暴力行為で退場処分を受けている。

愛称は「テル」、「アキちゃん」など。

読書家で、愛読書は『夢をかなえるゾウ』(水野敬也)や『アドラー心理学』など。阪神での現役時代に星野の前任監督・野村克也から読書を勧められたことをきっかけに、読書の重要性を認識したことから、若手選手にも自主的に考えながら本を読むことを勧めている。阪神二軍監督へ就任してからのキャンプでは、宿泊先のホテルで朝食を取ってから球場へ出発するまでの1時間を読書に充当。「活字を追い掛けながら頭に入れたことは、他人に話すことで覚えられる」という考えから、読んだ本の内容を、チームミーティングや選手へのアドバイスに反映させることも多い。

大のスイーツ好きで、阪神の現役時代後期には、プロ野球シーズン中に甲子園球場内の売店だけで販売されるスイーツのプロデュースも手掛けた(後述)。

現役を引退してからは、野球解説者・評論家として活動するかたわら、現役時代からの趣味であるゴルフ関連の番組にもたびたび出演。朝日放送が毎年11月に主催するマイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメントでは、ABCテレビの中継でラウンドリポーターを務めたり、アマチュアのゴルファーとして「マンデートーナメント」に参加したりしていた(#関連情報に詳述)。しかし、他のゴルフトーナメントへの出場に向けた練習中に左肘を痛めたことから、2014年5月20日に患部を手術。手術の直後には、左腕を大きなギプスで固定しながら、同局のレギュラー番組への出演を続けていた。

現役時代には験を担がなかったが、阪神の一軍監督に就任してからは、「未来に起こりそうな慶事をあらかじめ祝ってしまうことで現実を引き寄せる」という「予祝」(よしゅく)を実践。在任中は、チームがリーグ優勝や日本シリーズ制覇を既に達成したかのようなコメントを、年頭から報道陣の前で意識的に繰り返していた。就任2年目の2020年には、「日本シリーズの制覇を記念してチーム全体でハワイ旅行」という予祝を体現すべく、選手会長の糸原健斗など選手有志からの発案による「矢野ハワイ」(現地の挨拶であるアロハにちなんだポーズ)をオープン戦で披露していた。しかし、その後は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、予祝どころではない事態に次々と遭遇。「矢野ハワイ」実現への絶対条件である日本シリーズへの出場も、2年続けて巨人に阻まれた。2021年にもリーグ制覇を僅差で逃したものの、シーズン限りでの監督退任を表明したうえで臨んだ2022年沖縄春季キャンプの終盤(2月23日)には、練習の前に選手から3回にわたって胴上げされた。「1日キャプテン」を任されていた糸井嘉男・西勇輝の発案による「サプライズ予祝」で、NPBの春季キャンプ期間中に監督が選手から胴上げされたことは初めてであったが、レギュラーシーズンに入ってからは胴上げを経験することなく監督生活を終えた。

2019年のレギュラーシーズン最終盤には、試合がある日に起床してから球場でユニフォームに着替えるまで赤色のパンツを履くように心掛けていた。この時期、チームは6連勝でレギュラーシーズンを終え、前述した最終戦でシーズン3位を確定していた。その後も、クライマックスステージやドラフト会議など、監督として大事な局面へ臨むたびに赤色のパンツを着用していた。このエピソードにちなんで、阪神球団では2020年6月から、矢野の監修による「矢野監督勝負パンツ」(矢野のイラストと阪神球団のロゴを入れた赤色のボクサーブリーフ)を公式グッズとして発売している。もっとも、佐藤輝明への独占交渉権を4球団の指名重複による抽選で引き当てた同年のドラフト会議には、赤色のパンツを履くなどの験を担かずに「自然体」で臨んでいた。

2020年1月13日(月曜日・成人の日)、兵庫県西宮市の成人式式典「二十歳を祝うつどい」が甲子園球場で初めて開催された際には、同球場スコアボード内の「オーロラビジョン」から式典中に流されるメッセージビデオに阪神のユニフォーム姿で出演。阪神の一軍監督として、新成人に「チャレンジ」を勧めるメッセージを寄せた。この式典には、監督在任中の2021年・2022年にもビデオを通じてメッセージを寄せている。

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "矢野燿大" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2015年2月)
桜宮高校の硬式野球部では、河本栄得と高山知浩が同級生として在籍。高山が3番、矢野が4番を打っていた。高山の前に走者が出ると勝負強い矢野に打席が回るよう、ほぼ毎回高山にバントのサインが出されたと高山が語っている。河本と高山は、卒業後に吉本総合芸能学院(NSC)を経て「ベイブルース」という漫才コンビで活躍。河本が1994年に脳出血で急逝してからも、高山は芸名を「高山トモヒロ」に改めたうえで、ピン芸人としての活動を経て「ケツカッチン」という漫才コンビを和泉修(圭・修の元メンバー)と結成している。矢野は(名前の読みの「アキヒロ」にちなんで)高山から「アキちゃん」と呼ばれているほか、阪神のセ・リーグ優勝記念旅行(2005年)の模様を放送する特別番組で高山と漫才に挑んでいた。 阪神での現役時代には、当時の主力投手陣(藤川、福原、安藤、下柳など)からは絶大な信頼を受けていた。ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した井川からも「ヤンキースに来て下さい」と言われたことがある。巨人時代の上原浩治からも、オールスターでバッテリーを組んだ際にブログで「阪神で矢野さんがみんなに好かれる訳がわかった。すごく話しやすいいい人」と評され、2007年12月のアジア予選対韓国戦でバッテリーを組み9回裏を三者凡退で抑え勝利した際は、ウイニングボールを上原から直接手渡され、自らのブログで「一生の宝物」と書いた。 阪神時代のチームメイトである関本賢太郎とも仲が良く、矢野の現役時代には、「必死のパッチ」(「必死で頑張った」という意味の大阪弁)という発言をめぐる丁々発止のやり取りが人気を博した。矢野は、「自分がヒーローインタビューで最初に発した『必死のパッチ』を、翌日のヒーローインタビューで関本が勝手に真似たせいで、いつの間にか球団公認で関本の『必死のパッチ』グッズまで作られた」と主張。ヒーローインタビューや出演番組では、関本に向けて冗談交じりで「『必死のパッチ』を返せ」と迫る一幕もあった。実際には、関本が「必死のパッチ」を使用することを容認しており、矢野が現役を退いた後は、現役後期の関本にとどまらず、自身より後で阪神に入団した西岡剛・藤浪・原口もヒーローインタビューで使用している。その一方、関本が試合後のヒーローインタビューにて西岡に対して「“必死のパッチ”は矢野さんに借りている」と発言した翌日、『おはよう朝日です』で「貸した覚えはない」と応酬した。また、『キャスト』のスポーツキャスターを務めていた時期には、自身が担当するコーナー「ヤノスポ」で「必死のパッチ賞」を創設。公式ブログで阪神のコーチ就任を報告する際にも、「必死のパッチで頑張って来ます!」という言葉で記事を結んでいる。 また、阪神での現役時代には、オフシーズンを中心に関本や福原忍と趣味の釣りに興じていた。日本を代表するバスプロの今江克隆とも親しく、今江が経営している会社IMAKATSUの工場へ足を運んでルアーを作るほどである。なお、そのルアーは、同社ウェブサイト内のブログなどでたびたび紹介。解説者時代には、スポーツキャスターやラジオパーソナリティとして、野球・釣り以外のスポーツも積極的に取材していた。 阪神の一軍監督就任を機にヘッドコーチとして東北楽天ゴールデンイーグルスから招聘した清水雅治とは、2人とも現役の選手として星野監督時代の中日に在籍した時期に同じマンションで生活。ナゴヤ球場やナゴヤドームで中日のホームゲームを開催する日に、矢野が4歳年上の清水を自家用車に同乗させてから、自身の運転によって一緒に球場へ入るほどの間柄でもあった。清水は、2002年に西武ライオンズで現役を引退した後に、西武・日本ハム・千葉ロッテマリーンズ・楽天や野球日本代表で16シーズンにわたってコーチを歴任。2018年シーズン終了後も楽天から残留の要請を受けていたが、その最中に阪神の一軍監督へ就任した矢野から直々に一軍ヘッドコーチ就任を要請されたため、現役時代にプレー経験がない阪神への移籍を決めた。2019年のシーズン終了後には、中日時代のチームメイトだった井上一樹も一軍打撃コーチに招聘。2021年シーズンには、井上が一軍のヘッドコーチ、清水が二軍の野手総合コーチに異動した。清水はレギュラーシーズンの終了後に退団したものの、シーズン中に開催された2020東京オリンピックの野球競技に日本代表チームのコーチとして携わったほか、退団後も代表チームのコーチを続けている。 2020年11月10日の阪神対巨人戦(甲子園)終了後に催された藤川の現役引退セレモニーでは、公の場としては自身の引退以来10年ぶりに藤川とのバッテリーが実現した。前述した事情で矢野の引退試合が幻に終わったことを背景に、藤川本人が「監督と選手」の立場を越えて1球だけの「ラストピッチング」を提案したことによるもので、矢野は捕手役で藤川の投球を受けた。ただし実際には、2010年のシーズン終了後にも、関西テレビで放送された年末特別番組の企画で藤川を相手に「ラストキャッチング」に臨んでいた。 矢野のファンであることを公言している声優の水樹奈々が2006年1月21日に行った日本武道館ライブ(NANA MIZUKI LIVEDOM-BIRTH- AT BUDOKAN)でビデオメッセージとサインボールを送り、2009年に水樹がナビゲーターとして出演していたGAORAの『ぷちトラ!』にて、お礼としてそのライブのDVDをプレゼントされた。また、矢野の地元・関西では、ラジオパーソナリティの桜井一枝も矢野公認のファンとして知られている。

プロデュース・社会貢献活動

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "矢野燿大" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2015年2月)
2006年から2008年シーズンには、本人プロデュースのオリジナルスイーツ「Yano Chou(矢野シュー)」を甲子園球場の内野席売店で販売。夏季には、シューの中身をアイスに変えていた。2008年9月から現役最終年の2010年シーズンまでは、プロデュースメニューの第2弾「矢野輝弘(燿大)のヘルシーミックスジュース」と、繰り返し使える専用のタンブラーを同様の方法で販売。2006年8月末には、公式サイト限定でオリジナルTシャツを発売した。解説者時代にも、2014年に「矢野燿大のタイガースワッフルボウル」、2015年に「矢野の中華風牛肉弁当」を期間限定で発売している。 2003年からは、筋ジストロフィーを患うファンとも交流。現役最終年の2010年には、筋ジストロフィー患者や児童養護施設で暮らす子供たちへの支援を目的に、社会福祉法人・大阪府社会福祉協議会からの協力で「39(サンキュウ)矢野基金」を設立した。 2011年3月には、あきんどスシローの「応援部長」に就任。同月9日から31日までは、売上の一部を「39矢野基金」への寄付に充てることを目的に、自身のプロデュースによる2種類の寿司メニュー「必死のパッチまき」を近畿2府4県および徳島県の店舗(全103店)で発売していた。同様の趣旨で、同年5月には「39矢野ネクタイ」、2012年3月には「Tシャツ」を公式サイトで販売している。 2015年には、「プロ野球の世界で、20年にわたり一線で活躍してきた矢野燿大だからこそできる恩返し」と称して、矢野が関西各地の少年野球チームを直々に指導する「39ベースボールプロジェクト」を4月から実施。軟式・硬式を問わず、指導を希望するチームを自身の公式サイトで募り、抽選で決まったチームを月に2回のペースで訪れていた。2016年からは、前年に現役を引退した関本が同プロジェクトを引き継いでいる。 阪神一軍監督時代の2020年には、日本高等学校野球連盟(高野連)主催の全国大会(第92回選抜高等学校野球大会・第102回全国高等学校野球選手権大会および第65回全国軟式高等学校野球選手権大会)、男子の硬式選手権大会への出場校を決める地方大会、全国高等学校女子硬式野球連盟主催の第21回全国高等学校女子硬式野球選抜大会・第24回全国高等学校女子硬式野球選手権大会・第11回全日本女子硬式野球ユース選手権大会、全日本女子軟式野球連盟主催の第18回全国高等学校女子軟式野球選手権大会が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で軒並み中止に追い込まれた。この事態を受けて、上記の連盟に加盟する学校の硬式・軟式野球部の3年生男女部員とマネジャー全員(約5万名)に「甲子園の土キーホルダー」を贈呈することを、コーチ・選手と揃って提案。球場を運営する阪神甲子園球場と阪神園芸からも協力を得られたため、キーホルダーに用いる土を6月16日に甲子園球場のグラウンドで直々に採取するなど、プレゼントの実現に尽力した。その結果、約4万8700個のキーホルダーが全加盟校へ贈呈されたため、11月27日には高野連から阪神球団への感謝状を梅野と共に受け取った。
なお、2020年に高野連加盟校の硬式野球部へ所属していた選手の有志は、感染症関連の国内法における新型コロナウイルスの位置付けが季節性インフルエンザと同等の「五類感染症」へ移行された2023年に「あの夏を取り戻せ~全国元高校球児野球大会2020-2023~」の開催を企画。クラウドファンディングによる資金の確保などを経て、同年の11月29日に甲子園球場で開会式と「特別試合」、同月30日と12月1日に兵庫県内の別の球場で「交流試合」を開催することが決まった。この決定を受けて、阪神の監督を2022年限りで退いていた矢野は、荒木大輔と共に大会の「公式アンバサダー」をノーギャラで引き受けている。矢野はアンバサダーを引き受けた理由の一つに、阪神での現役最終年に「引退試合」へ向けて「高校球児のように、内野にゴロを放ってヘッドスライディングで一塁へ滑り込む」ための練習を二軍で重ねていたにもかかわらず、前述した経緯で「引退試合」へ出場できなかったことも挙げている。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1991 中日 22 30 27 2 3 0 0 1 6 4 0 0 1 0 2 0 0 15 0 .111 .172 .222 .395
1992 72 118 108 10 28 6 0 0 34 8 0 1 0 1 8 0 1 20 3 .259 .314 .315 .628
1993 24 39 31 5 10 0 0 1 13 3 0 0 1 0 6 2 1 4 1 .323 .447 .419 .867
1994 35 53 46 5 10 2 0 1 15 2 0 1 3 0 3 1 1 9 2 .217 .280 .326 .606
1995 57 123 115 14 28 2 2 1 37 5 1 0 0 0 7 1 1 31 5 .243 .293 .322 .614
1996 56 124 104 26 36 3 0 7 60 19 1 0 2 2 13 0 3 16 2 .346 .426 .577 1.003
1997 83 244 214 24 54 8 0 3 71 19 1 0 5 0 22 1 3 32 3 .252 .331 .332 .662
1998 阪神 110 340 285 27 60 18 0 3 87 20 1 2 24 0 27 3 4 63 9 .211 .288 .305 .593
1999 113 418 369 39 112 13 2 3 138 27 5 2 6 2 36 2 5 74 14 .304 .371 .374 .745
2000 114 428 376 41 101 12 1 5 130 26 1 2 9 4 35 4 4 87 9 .269 .334 .346 .680
2001 119 364 327 26 79 10 1 8 115 30 1 1 5 3 28 0 1 72 10 .242 .301 .352 .653
2002 66 253 221 31 71 18 2 6 111 27 1 1 5 0 24 4 3 51 6 .321 .395 .502 .897
2003 126 484 433 65 142 25 5 14 219 79 1 0 4 1 38 6 8 84 8 .328 .392 .506 .897
2004 138 551 502 38 143 23 3 11 205 65 1 3 4 3 35 7 7 110 19 .285 .338 .408 .747
2005 138 550 499 53 135 26 0 19 218 71 1 1 9 2 32 1 8 113 12 .271 .323 .437 .760
2006 133 501 453 42 124 20 3 17 201 78 0 0 8 5 32 1 3 94 12 .274 .323 .444 .766
2007 106 401 356 25 84 14 1 6 118 42 0 0 7 1 34 0 3 92 9 .236 .307 .331 .639
2008 119 404 371 20 102 17 1 4 133 36 0 1 10 5 16 1 2 100 13 .275 .305 .358 .663
2009 30 83 75 9 23 1 1 2 32 8 1 0 0 0 8 1 0 17 1 .307 .373 .427 .800
2010 8 9 9 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .222 .222 .222 .444
通算:20年 1669 5517 4921 503 1347 218 22 112 1945 570 16 15 103 29 406 35 58 1089 138 .274 .335 .395 .730

年度別守備成績

年度 球団 捕手 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1991 中日 14 34 3 0 0 2 1.000 3 0 3 1.000 -
1992 65 210 16 2 2 2 .991 22 18 4 .182 -
1993 21 56 7 0 1 3 1.000 8 5 3 .375 1 0 0 0 0 ----
1994 26 76 7 0 1 1 1.000 8 5 3 .375 -
1995 41 191 21 1 3 0 .995 16 10 6 .375 -
1996 38 157 13 1 0 3 .994 13 9 4 .308 12 14 1 1 0 .938
1997 60 307 28 2 3 4 .994 41 34 7 .171 22 34 0 0 0 1.000
1998 阪神 109 521 49 2 8 7 .997 80 54 26 .325 -
1999 111 693 52 5 8 6 .993 79 53 26 .329 -
2000 113 752 62 6 9 6 .993 69 45 24 .348 -
2001 108 556 72 3 14 2 .995 81 49 32 .395 4 4 0 0 0 1.000
2002 66 528 30 1 7 4 .998 31 19 12 .387 -
2003 123 932 66 2 11 14 .998 100 65 35 .350 -
2004 137 1126 56 3 16 5 .997 87 57 30 .345 -
2005 138 1130 76 3 11 8 .998 76 43 33 .434 -
2006 132 1001 75 6 7 5 .994 67 39 28 .418 -
2007 101 720 56 3 8 3 .996 67 47 20 .299 -
2008 116 748 63 2 7 4 .998 71 45 26 .366 -
2009 26 144 14 2 1 0 .988 18 13 5 .278 -
2010 1 0 0 0 0 0 .--- 0 0 0 .--- -
通算 1546 9882 766 44 117 79 .996 937 610 327 .349 39 52 1 1 0 .981
    太字年はゴールデングラブ賞

    2022年度シーズン終了時

    ベストナイン:3回(2003年、2005年、2006年)

    ゴールデングラブ賞:2回(2003年、2005年)

    日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2005年)

    最優秀バッテリー賞:2回(2003年 投手:井川慶、2005年 投手:藤川球児)

    優秀JCB・MEP賞:1回(2003年)

    ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回(2003年)

    サンスポMVP大賞:1回(2003年)

    ベスト・ファーザー in 関西(2007年)

    ゴールデンスピリット賞:1回(2021年)

    初出場:1991年8月3日、対阪神タイガース19回戦(ナゴヤ球場)、7回表に中村武志に代わり捕手として出場

    初打席・初三振:同上、7回裏に中田良弘から

    初安打・初本塁打・初打点:1991年8月26日、対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)、9回表に山本昌広の代打で出場、野田浩司から左越2ラン

    初先発出場:1991年9月18日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場

    1000試合出場:2004年4月4日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、8番・捕手で先発出場 ※史上390人目

    1000本安打:2005年9月15日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、7回表に酒井純也から右越ソロ ※史上238人目

    100本塁打:2006年10月4日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、2回表に石井一久から左越3ラン ※史上247人目

    1500試合出場:2007年9月16日、対中日ドラゴンズ22回戦(阪神甲子園球場)、7番・捕手として先発出場 ※史上155人目

    1000三振:2008年5月23日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、2回表に大隣憲司から ※史上41人目

    オールスターゲーム出場:7回(1999年、2002年 - 2006年、2008年)

    通算サヨナラ安打10本 ※阪神タイガース球団タイ記録

    2(1991年 - 1995年)

    38(1996年 - 1997年)

    39(1998年 - 2010年)

      39(2008年北京オリンピック)

      88(2016年 - 2022年)

        88(2014日米野球、2015プレミア12)

        矢野 輝弘(やの あきひろ、1991年 - 2009年)

        矢野 燿大(やの あきひろ、2010年、2016年 - 2022年)

        「マイ・シャローナ」ザ・ナック(2000年)

        「Do You Believe In Love」ヒューイ・ルイス(2003年)

        「Ain't No Mountain High Enough」マイケル・マクドナルド(2004年)

        「Party Hard」アンドリューW.K.(2005年)

        「サルビアのつぼみ」HOME MADE 家族(2006年)

        「マイペース」SunSet Swish(2007年)

        「ボーイズ・オン・ザ・ラン」馬場俊英(2008年)

        「カーニバル」ケツメイシ(2009年)

        2008年北京オリンピックの野球競技・日本代表

        日米野球2014

        2015 WBSCプレミア12 日本代表

        2011年から2015年まで、朝日放送の解説者として、テレビ・ラジオで放送されるプロ野球中継(主に阪神戦)に登場。同局からの出向扱いで、『サンテレビボックス席』の阪神戦中継にも解説者として出演している。さらに中日OBでもあることから、CBCラジオの中日対阪神戦中継(ABCラジオと相互ネットの場合)に出演することがあった。

        2023年から、朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ(現場復帰時代の2018年に分社化)の解説者に復帰。テレビでの解説については本数契約に移行したため、毎日放送(MBSテレビ)・関西テレビ・NHK大阪放送局が制作する阪神戦の中継にも随時出演している。以下では、プロ野球中継以外で定期的に出演している番組を記載。

        熱血!タイガース党(サンテレビ

          阪神での現役時代にゲストやVTRで出演。最初の解説者時代から、阪神への復帰中を含めて、「優勝対策委員長」という肩書で随時登場している。

          よんチャンTV(毎日放送)

            解説者としての活動を再開するとともに、テレビでの解説活動が(阪神への復帰前に締結していた)朝日放送との専属契約から(朝日放送テレビや毎日放送などとの)本数契約へ移行した2023年の1月から随時登場。平日に『MBSベースボールパーク』の阪神ナイトゲーム中継で解説を担当する場合には中継先の球場の放送席から、中継以外でプロ野球関連の話題を取り上げる場合にはスタジオへ出演している。

            2024年3月25日以降の月曜日には、「『MBSベースボールパーク』(MBSラジオ版)準解説者」の掛布・能見篤史(阪神の捕手時代にバッテリーを組んでいた元・投手)との週替わり方式で、関西ローカルパートの全編にわたってスタジオに出演。翌4月からは、「教えて!矢野先生」のロケにも登場している。

            矢野輝弘のどーんと来い!!(朝日放送ラジオ、朝日放送時代の2004年度からオフシーズンに放送)

              阪神での現役時代からメインパーソナリティを担当していて、2006年度まではレギュラー番組、2009年度以降は『矢野燿大のどーんと来い!!』というタイトルで放送。指導者として阪神へ復帰していた時期(2016 - 2022年度)にも、年末年始の特別番組として編成されていた。

              オレたちの夢(ラジオ関西、2023年10月2日 - 、毎週月曜日20:00 - 20:30) - 杉浦誠司・背尾匡徳と共に出演

                「文字職人」との肩書で活動している杉浦とかねてから親交が深いことを踏まえて、阪神の一軍監督退任後(2023年4月30日)に「杉浦とのコラボレーション企画」として大阪市内で開催した同名のトークショーから派生した番組。

                虎バン(朝日放送テレビ) - 阪神での現役時代から、インタビューやドキュメンタリー企画などにたびたび登場。2011年以降は、レギュラーコメンテーターとして出演。

                おはよう朝日です月曜日(朝日放送テレビ) - 2011年3月7日放送分から、スポーツキャスターとしてレギュラー出演。

                キャスト(朝日放送テレビ) - 『NEWSゆう+』の後番組で、2011年10月の放送開始から2015年3月まで、月曜日に編成されていた「ヤノスポ」でキャスターを担当。番組リニューアルで同コーナーが終了した2015年4月以降は、阪神時代のチームメイトだった下柳や桧山進次郎と交互に、水曜日の「週刊 浦川スポーツ」へ出演している。

                スポーツにぴたっと。(ABCラジオ、オフシーズン番組)- 現役引退後初のレギュラー番組で、2010年度の途中(2011年1月5日放送分)から水曜日に出演(2011年度も続投)。2012年1月6日からは金曜日にも登場していた。2012年度は金曜日、『武田和歌子のぴたっと。』第2部として放送された2013 - 2015年度には火曜日にのみ出演。

                金谷多一郎・矢野燿大の考えるゴルフ(Sky・A sports+、2011年 - )

                虎魂(sky・A sports+、2011年10月から月1回のペースで放送)

                NEWSゆう+月曜日(朝日放送テレビ) - 2011年3月28日放送分から番組終了の同年9月まで、スポーツコーナー「週刊YANO+」にレギュラー出演。

                見知らぬ関西新発見!みしらん(朝日放送テレビ) - 2013年1月5日放送分からスポーツコーナー「スポーツみしらん」が新設されたことを機に、スポーツキャスターとして同年9月21日の最終回まで出演。

                以下は、ゲストで出演した主な番組。

                報道ステーション SUNDAY(テレビ朝日) - 2011年11月13日放送分

                GET SPORTS(テレビ朝日) - 2011年11月13日深夜(14日未明)放送分

                ABC創立60周年記念特別番組 スポーツのキセキは、いつまでも(朝日放送テレビ、2011年12月30日)

                ジャパンラグビートップリーグ・神戸製鋼コベルコスティーラーズ対ヤマハ発動機ジュビロ戦中継(朝日放送テレビ)- 2012年1月29日深夜に録画で放送

                ガラスの地球を救えスペシャル いま見直そう!ニッポンの心 関西のチカラ(朝日放送テレビ、2012年4月30日)生放送の全編にゲストで出演したほか、兵動大樹(矢野・兵動)とともに、「新 矢野・兵動」と名乗りながら甲子園球場の環境保全施策を取材。

                パネルクイズ アタック25(朝日放送テレビ制作・テレビ朝日系列で放送)

                  オープニングクイズ出題者としてVTR出演(2013年3月3日放送分)

                  2000回記念番組対抗芸能人大会に古田敦也と共に「熱闘甲子園&スーパーベースボールチーム」として回答者出演(2015年7月19日放送分)

                  探偵!ナイトスクープ(朝日放送テレビ) - 自身の著書『阪神の女房』のPRを兼ねて“顧問”として出演。

                  矢野燿大の「アスリートの舞台裏」(朝日放送) - 2011年5月16日から月1回のペースで放送。

                  CBCドラゴンズナイター(CBCラジオ) - 中日主管の阪神戦(ABCラジオが同時ネットで放送する火曜 - 木曜全般と土・日曜デーゲームの試合)中継にのみ、ゲスト解説者として出演。

                  全国高校野球選手権大会中継(朝日放送テレビ)- 2011年から、試合前後に甲子園スタジオから放送される中継に、ゲストとして随時出演。ただし、試合の解説まで担当していなかった。

                  マイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメント(朝日放送テレビ制作、テレビ朝日系列で放送) - 2011年以降のテレビ中継で、金谷とともにラウンドリポートを担当。2013年には、アマチュアのゴルフプレイヤーとして、本選への出場を目指して「マンデートーナメント(主催者推薦の予選会)」に初めて挑戦した(結果は6オーバーの59位で本選出場ならず)。

                  『ミスター・ルーキー』(2002年) - 阪神をテーマにした作品。当時の現役選手を代表して、本人役で最終決戦のシーンに捕手として出演。

                  NEXTStage「極肌」(2012年、ABCラジオ・関西ローカル限定で放送)

                  NTTDoCoMo関西(2013年 - ) - スポンサーに付いているABCテレビ制作・全国ネットの高校野球関連番組(『速報!甲子園への道』や全国高校野球選手権大会中継)内を中心に放送

                  関西アーバン銀行(2015年、ABCラジオ・関西ローカル限定で放送)

                  阪神甲子園球場(2015年、関西ローカル限定で放送) - 阪神甲子園球場へ来場する際に電車・バスの利用を促す内容で、阪神電鉄の駅貼りポスターのモデルにも起用されている。

                  ABCラジオでは、矢野を起用した他社のスポットCMも随時流している。以下はいずれも、阪神での現役選手時代に出演したテレビCM。

                  上新電機(赤星憲広・今岡誠と共に出演、2008年まで)

                  ハウス食品「六甲のおいしい水」(2004年からの今岡に加わって2006年より出演)

                  『考える虎:最強タイガースを作り上げた攻守のカナメ』(ベースボール・マガジン社、2011年3月、ISBN 9784583103440)

                  『阪神の女房』(朝日新聞出版、2011年6月、ISBN 9784022508553)

                  『捕手目線のリーダー論:六つの要』(講談社、2012年3月、ISBN 978-4062169189)

                  『気を込める:虎の成功プロセス』(下柳剛との共著、ベースボール・マガジン社、2013年10月、ISBN 9784583106212)

                  『左手の記憶:20年間受け止めた「投手の決め球」と「男の気持ち」』(竹書房、2014年10月、ISBN 9784801900387)

                  ^ “矢野氏 作戦兼バッテリーコーチに就任”. デイリースポーツ. (2015年10月27日). https://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2015/10/27/0008516664.shtml 2015年10月27日閲覧。 

                  ^ “矢野監督「えぐいなあ」ソフトバンク栗原の打撃絶賛”. 日刊スポーツ. (2020年11月24日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202011230000800.html 2020年11月25日閲覧。 

                  ^ “阪神の新監督に矢野燿大・二軍監督が就任へ”. 朝日新聞デジタル. (2018年10月15日). https://www.asahi.com/articles/ASLBG31H8LBGPTQP001.html 2022年10月15日閲覧。 

                  ^ 『'91ドラゴンズファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日新聞本社(発売)、1991年3月6日、30頁。

                  ^ “【阪神】矢野燿大前監督 学生指導へ資格回復に動く「僕の根本は少年野球にあったんですよ」”. 東京スポーツ. (2023年1月31日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/252613 2023年2月4日閲覧。 

                  ^ “【矢野燿大物語42】野球とバスケ“二足のわらじ”貫いた中学生活”. スポーツニッポン. (2018年2月4日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/tigersyano/kiji/20181204s00001410330000c.html 2021年7月10日閲覧。 

                  ^ 【矢野燿大物語20】新天地・仙台から全国制覇目指すには… スポニチ、2018年11月14日

                  ^ 仙台六大学野球リーグ戦パンフレット

                  ^ “第18回日米大学野球選手権日本代表選手”. 全日本大学野球連盟. 2021年7月10日閲覧。

                  ^ “「教師になりたかった」阪神・矢野燿大監督の“言葉”へのこだわり 嬉しかった主将・糸原の変化”. Sports Graphic Number. p. 1 (2020年12月31日). 2023年2月4日閲覧。

                  ^ “【矢野燿大物語117】「何で中日やねん…」喜びより落胆が勝った”. スポーツニッポン. (2018年11月11日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/tigersyano/kiji/20181108s00001410135000c.html 2021年7月10日閲覧。 

                  ^ 「矢野10回殊勲打 阪神痛恨サヨナラ負け」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1992年(平成4年)10月2日付朝刊、19面(スポーツ面)。

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                  ^ “甲子園で初の成人式 阪神矢野監督「チャレンジを」”. 日刊スポーツ. (2020年1月11日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202001130000306.html 2020年1月11日閲覧。 

                  ^ “コーチ”. 矢野燿大オフィシャルブログ (2015年10月28日). 2015年10月29日閲覧。

                  ^ “阪神清水HC矢野監督と一心同体 星野イズムも継承に”. 日刊スポーツ. (2018年10月23日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810230000291.html 2019年2月4日閲覧。 

                  ^ “球児提案で最強バッテリー復活 “戦友”の矢野監督「気遣いかな」”. スポーツニッポン. (2018年10月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/11/11/kiji/20201111s00001173128000c.html 2020年11月12日閲覧。 

                  ^ “【矢野燿大物語48】人々の記憶に永遠に刻み込まれた「最強バッテリー」”. スポーツニッポン. (2018年12月12日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/tigersyano/kiji/20181204s00001410350000c.html 2021年11月19日閲覧。 

                  ^ “阪神OB矢野氏がスシロー応援部長に就任”. 日刊スポーツ. (2011年3月8日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110308-746120.html 2015年10月29日閲覧。 

                  ^ “阪神矢野監督ら甲子園の土集め、女子野球部3年にも”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年6月16日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202006160000245.html 2020年6月16日閲覧。 

                  ^ “「甲子園の土」キーホルダーの贈呈について”. 阪神タイガース公式サイト (2020年6月8日). 2020年6月8日閲覧。

                  ^ “阪神、甲子園の土を球児の元へ キーホルダー4万8700個発送”. 47NEWS (共同通信社). (2020年8月31日). https://www.47news.jp/news/5201566.html 2020年9月3日閲覧。 

                  ^ “阪神に日本高野連から「甲子園の土」寄贈の感謝状”. 日刊スポーツ. (2020年11月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202011270000310.html 2020年11月28日閲覧。 

                  ^ “矢野氏が語る“消えた引退試合” 「悲劇の世代」に共感…ノーギャラでひと肌脱いだ理由”. FullCount (2023年11月5日). 2023年11月2日閲覧。

                  ^ “2台目ベンツゲット!虎・福留「来年優勝」してEクラス頂く(5)ヤナセ・阪神タイガースMVP賞歴代受賞者”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2015年12月12日). https://www.sanspo.com/gallery/20151211-MDL4DYGIFBLINHBHXRRHTCSUB4/ 2018年3月1日閲覧。 

                  ^ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2016年11月23日). https://www.sanspo.com/gallery/20161122-JEYGFEERFFNUPIAFIRRQJ3A66A/ 2017年9月8日閲覧。 

                  ^ 「阪神・矢野が1000試合出場」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)4月5日付朝刊、19面(スポーツ面)。

                  ^ 「阪神・矢野が通算サヨナラ安打の球団タイ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2008年(平成20年)9月14日付朝刊、22面(スポーツ面)。

                  ^ 『月刊タイガース』2000年5月号45p

                  ^ 阪神主催の中日戦に出演した場合は、曜日及び時間帯により東海ラジオにネットされることがあった(この場合CBCラジオはMBSラジオとの相互ネットを組んだ)。

                  ^ ラジオ関西 2023年10月新番組・番組変更のお知らせ

                  ^ 矢野燿大×杉浦誠司の「オレたちの夢」コラボトークショー開催!(矢野燿大オフィシャルサイト2023年3月18日付「お知らせ」)

                  ^ “元阪神矢野氏 ゴルフツアー本戦出場ならずも「ホッとしました」”. スポーツニッポン. (2013年10月29日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/29/kiji/K20131029006903970.html 2021年10月6日閲覧。 

                  大阪府出身の人物一覧

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                  矢野燿大オフィシャルウェブサイト - 公式サイト

                  矢野燿大オフィシャルブログ「Thank you」 - Ameba Blog

                  矢野燿大 (@akihiro_yano_official) - Instagram

                  森茂雄 1936

                  石本秀一 1936 - 1939

                  松木謙治郎 1940 - 1941

                  若林忠志 1942 - 1944

                  藤村富美男 1946

                  若林忠志 1947 - 1949

                  松木謙治郎 1950 - 1954

                  岸一郎 1955

                  藤村富美男 1955 - 1957

                  田中義雄 1958 - 1959

                  金田正泰 1960 - 1961

                  藤本定義 1961 - 1965

                  杉下茂 1966

                  藤本定義 1966 - 1968

                  後藤次男 1969

                  村山実 1970 - 1972

                  金田正泰 1973 - 1974

                  吉田義男 1975 - 1977

                  後藤次男 1978

                  ドン・ブレイザー 1979 - 1980

                  中西太 1980 - 1981

                  安藤統男(統夫) 1982 - 1984

                  吉田義男 1985 - 1987

                  村山実 1988 - 1989

                  中村勝広 1990 - 1995

                  藤田平 1996

                  吉田義男 1997 - 1998

                  野村克也 1999 - 2001

                  星野仙一 2002 - 2003

                  岡田彰布 2004 - 2008

                  真弓明信 2009 - 2011

                  和田豊 2012 - 2015

                  金本知憲 2016 - 2018

                  矢野燿大 2019 - 2022

                  岡田彰布 2023 - 2024

                  藤川球児 2025 - 現在

                  1953 簑原宏

                  1954 大下弘

                  1955 戸川一郎

                  1956 稲尾和久

                  1957 宮本敏雄

                  1958 藤田元司

                  1959 土屋正孝

                  1960 田宮謙次郎

                  1961 J.スタンカ

                  1962 吉田義男

                  1963 稲尾和久

                  1964 山内一弘

                  1965 森下整鎮

                  1966 渡辺泰輔

                  1967 足立光宏

                  1968 長池徳二

                  1969 長池徳二

                  1970 井石礼司

                  1971 山田久志

                  1972 足立光宏

                  1973 野村克也

                  1974 高木守道

                  1975 山本浩二

                  1976 柴田勲

                  1977 河埜和正

                  1978 足立光宏

                  1979 井本隆

                  1980 小川亨

                  1981 井上弘昭

                  1982 上川誠二

                  1983 西本聖

                  1984 山沖之彦

                  1985 石毛宏典

                  1986 達川光男

                  1987 篠塚利夫

                  1988 宇野勝

                  1989 新井宏昌

                  1990 岡崎郁

                  1991 川口和久

                  1992 岡林洋一

                  1993 清原和博

                  1994 清原和博

                  1995 小林宏

                  1996 仁志敏久

                  1997 松井稼頭央

                  1998 大塚光二

                  1999 川上憲伸

                  2000 城島健司

                  2001 T.ローズ

                  2002 A.カブレラ

                  2003 金本知憲

                  2004 井上一樹

                  2005 矢野輝弘

                  2006 川上憲伸

                  2007 ダルビッシュ有

                  2008 A.ラミレス

                  2009 髙橋信二

                  2010 和田一浩

                  2011 吉見一起

                  2012 稲葉篤紀

                  2013 長野久義

                  2014 R.メッセンジャー

                  2015 山田哲人

                  2016 B.エルドレッド

                  2017 宮﨑敏郎

                  2018 鈴木誠也

                  2019 亀井善行

                  2020 戸郷翔征

                  2021 山本由伸

                  2022 J.オスナ

                  2023 紅林弘太郎

                  2024 今宮健太

                  1950 荒川昇治

                  1951 野口明

                  1952 野口明

                  1953 広田順

                  1954 広田順

                  1955 広田順

                  1956 藤尾茂

                  1957 藤尾茂

                  1958 藤尾茂

                  1959 藤尾茂

                  1960 土井淳

                  1961 森昌彦

                  1962 森昌彦

                  1963 森昌彦

                  1964 森昌彦

                  1965 森昌彦

                  1966 森昌彦

                  1967 森昌彦

                  1968 森昌彦

                  1969 木俣達彦

                  1970 木俣達彦

                  1971 木俣達彦

                  1972 田淵幸一

                  1973 田淵幸一

                  1974 田淵幸一

                  1975 田淵幸一

                  1976 田淵幸一

                  1977 木俣達彦

                  1978 大矢明彦

                  1979 木俣達彦

                  1980 大矢明彦

                  1981 山倉和博

                  1982 中尾孝義

                  1983 山倉和博

                  1984 達川光男

                  1985 八重樫幸雄

                  1986 達川光男

                  1987 山倉和博

                  1988 達川光男

                  1989 中尾孝義

                  1990 村田真一

                  1991 古田敦也

                  1992 古田敦也

                  1993 古田敦也

                  1994 西山秀二

                  1995 古田敦也

                  1996 西山秀二

                  1997 古田敦也

                  1998 谷繁元信

                  1999 古田敦也

                  2000 古田敦也

                  2001 古田敦也

                  2002 阿部慎之助

                  2003 矢野輝弘

                  2004 古田敦也

                  2005 矢野輝弘

                  2006 矢野輝弘

                  2007 阿部慎之助

                  2008 阿部慎之助

                  2009 阿部慎之助

                  2010 阿部慎之助

                  2011 阿部慎之助

                  2012 阿部慎之助

                  2013 阿部慎之助

                  2014 阿部慎之助

                  2015 中村悠平

                  2016 石原慶幸

                  2017 會澤翼

                  2018 會澤翼

                  2019 會澤翼

                  2020 大城卓三

                  2021 中村悠平

                  2022 中村悠平

                  2023 大城卓三

                   投  井川慶

                   捕  矢野輝弘

                   一  G.アリアス

                   二  今岡誠

                   三  鈴木健

                   遊  二岡智宏

                   外  福留孝介 / 赤星憲広 / A.ラミレス

                   投  黒田博樹

                   捕  矢野輝弘

                   一  新井貴浩

                   二  荒木雅博

                   三  今岡誠

                   遊  井端弘和

                   外  青木宣親 / 赤星憲広 / 金本知憲

                   投  川上憲伸

                   捕  矢野輝弘

                   一  T.ウッズ

                   二  荒木雅博

                   三  岩村明憲

                   遊  井端弘和

                   外  青木宣親 / 金本知憲 / 福留孝介

                  1972 大矢明彦

                  1973 田淵幸一

                  1974 田淵幸一

                  1975 大矢明彦

                  1976 大矢明彦

                  1977 大矢明彦

                  1978 大矢明彦

                  1979 若菜嘉晴

                  1980 大矢明彦

                  1981 山倉和博

                  1982 中尾孝義

                  1983 山倉和博

                  1984 達川光男

                  1985 木戸克彦

                  1986 達川光男

                  1987 山倉和博

                  1988 達川光男

                  1989 中尾孝義

                  1990 古田敦也

                  1991 古田敦也

                  1992 古田敦也

                  1993 古田敦也

                  1994 西山秀二

                  1995 古田敦也

                  1996 西山秀二

                  1997 古田敦也

                  1998 谷繁元信

                  1999 古田敦也

                  2000 古田敦也

                  2001 古田敦也

                  2002 阿部慎之助

                  2003 矢野輝弘

                  2004 古田敦也

                  2005 矢野輝弘

                  2006 谷繁元信

                  2007 谷繁元信

                  2008 阿部慎之助

                  2009 谷繁元信

                  2010 城島健司

                  2011 谷繁元信

                  2012 谷繁元信

                  2013 阿部慎之助

                  2014 阿部慎之助

                  2015 中村悠平

                  2016 石原慶幸

                  2017 小林誠司

                  2018 梅野隆太郎

                  2019 梅野隆太郎

                  2020 梅野隆太郎

                  2021 中村悠平

                  2022 中村悠平

                  2023 坂本誠志郎

                  2024 山本祐大

                   投  上原浩治

                   捕  矢野輝弘

                   一  G.アリアス

                   二  今岡誠

                   三  立浪和義

                   遊  宮本慎也

                   外  福留孝介 / 高橋由伸 / 赤星憲広

                   投  黒田博樹

                   捕  矢野輝弘

                   一  A.シーツ

                   二  荒木雅博

                   三  岩村明憲

                   遊  井端弘和

                   外  金城龍彦 / 福留孝介 / 赤星憲広

                  1991 西村龍次 - 古田敦也

                  1992 岡林洋一 - 古田敦也

                  1993 山本昌広 - 中村武志

                  1994 桑田真澄 - 村田真一

                  1995 T.ブロス - 古田敦也

                  1996 斎藤雅樹 - 村田真一

                  1997 田畑一也 - 古田敦也

                  1998 佐々木主浩 - 谷繁元信

                  1999 野口茂樹 - 中村武志

                  2000 五十嵐亮太 - 古田敦也

                  2001 藤井秀悟 - 古田敦也

                  2002 上原浩治 - 阿部慎之助

                  2003 井川慶 - 矢野輝弘

                  2004 川上憲伸 - 谷繁元信

                  2005 藤川球児 - 矢野輝弘

                  2006 川上憲伸 - 谷繁元信

                  2007 高橋尚成 - 阿部慎之助

                  2008 S.グライシンガー - 阿部慎之助

                  2009 D.ゴンザレス - 阿部慎之助

                  2010 前田健太 - 石原慶幸

                  2011 吉見一起 - 谷繁元信

                  2012 内海哲也 - 阿部慎之助

                  2013 前田健太 - 石原慶幸

                  2014 菅野智之 - 阿部慎之助

                  2015 石川雅規 - 中村悠平

                  2016 野村祐輔 - 石原慶幸

                  2017 菅野智之 - 小林誠司

                  2018 大瀬良大地 - 會澤翼

                  2019 山口俊 - 小林誠司

                  2020 大野雄大 - 木下拓哉

                  2021 柳裕也 - 木下拓哉

                  2022 青柳晃洋 - 梅野隆太郎

                  2023 東克樹 - 山本祐大

                  2024 菅野智之 - 小林誠司

                  1999 松井秀喜

                  2000 片岡篤史

                  2001 中村紀洋

                  2002 飯田哲也

                  2003 井上一樹

                  2004 赤星憲広

                  2005 ボビー・バレンタイン

                  2006 和田毅

                  2007 三浦大輔

                  2008 岩隈久志

                  2009 小笠原道大

                  2010 ダルビッシュ有

                  2011 山﨑武司

                  2012 藤川球児

                  2013 宮本慎也

                  2014 栗山巧

                  2015 今江敏晃

                  2016 内海哲也

                  2017 岩田稔

                  2018 井口資仁

                  2019 秋山翔吾

                  2021 矢野燿大

                  2022 吉田正尚

                  2023 宮西尚生

                  松田博明

                  伊藤義博

                  竹内昭文

                  望月教治

                  大谷孝司

                  葛西稔

                  小宮山悟

                  酒井光次郎

                  佐々木主浩

                  岡林洋一

                  水尾嘉孝

                  竹下潤

                  中西美之

                  瀬戸輝信

                  三輪隆

                  大森剛

                  岡本圭治

                  深水康博

                  藤田隆弘

                  奈良原浩

                  長谷高成泰

                  矢野輝弘

                  町田公二郎

                  大塚孝二

                  黒須陽一郎

                  内匠政博

                  比嘉孝也

                  本田智久

                  宮本晃司

                  内田俊雄

                  伊藤義博

                  岩井美樹

                  岸雅司

                  大庭恵

                  小坂勝仁

                  小池秀郎

                  高津臣吾

                  長谷川滋利

                  水尾嘉孝

                  落合英二

                  若松幸司

                  関川浩一

                  瀬戸輝信

                  長谷川義法

                  矢野輝弘

                  加藤茂樹

                  斉藤慎太郎

                  奈良原浩

                  堀内尊法

                  宮川一彦

                  奥村伸一

                  浜名千広

                  梶田茂生

                  斉藤一也

                  中村孝志

                  町田公二郎

                  松尾幸典

                  伊礼忠彦

                  77 星野仙一

                  88 田淵幸一

                  80 山本浩二

                  72 大野豊

                  11 川上憲伸

                  13 岩瀬仁紀

                  14 小林宏之

                  16 涌井秀章

                  18 ダルビッシュ有

                  19 上原浩治

                  27 藤川球児

                  28 長谷部康平

                  60 成瀬善久

                  10 阿部慎之助

                  22 里崎智也

                  39 矢野輝弘

                  6 井端弘和

                  7 西岡剛

                  17 荒木雅博

                  25 新井貴浩

                  36 宮本慎也

                  50 川﨑宗則

                  55 村田修一

                  5 和田一浩

                  9 大村三郎

                  23 青木宣親

                  29 森野将彦

                  41 稲葉篤紀

                  77 星野仙一

                  88 田淵幸一(ヘッド兼打撃)

                  72 大野豊(投手)

                  80 山本浩二(守備走塁)

                  11 川上憲伸

                  13 岩瀬仁紀

                  15 田中将大

                  16 涌井秀章

                  17 成瀬善久

                  18 ダルビッシュ有

                  19 上原浩治

                  21 和田毅

                  28 藤川球児

                  47 杉内俊哉

                  10 阿部慎之助

                  22 里崎智也

                  39 矢野輝弘

                  2 荒木雅博

                  3 中島裕之

                  6 宮本慎也

                  7 西岡剛

                  25 新井貴浩

                  52 川﨑宗則

                  55 村田修一

                  23 青木宣親

                  31 森野将彦

                  41 稲葉篤紀

                  46 佐藤隆彦

                  90 小久保裕紀

                  73 奈良原浩(ヘッド)

                  79 大西崇之(外野守備・走塁)

                  80 稲葉篤紀(打撃)

                  87 仁志敏久(内野守備・走塁)

                  88 矢野燿大(バッテリー)

                  89 鹿取義隆(投手)

                  10 松井裕樹

                  11 菅野智之

                  14 則本昂大

                  15 澤村拓一

                  16 大谷翔平

                  18 前田健太

                  19 増井浩俊

                  21 西勇輝

                  22 大野雄大

                  24 山﨑康晃

                  29 小川泰弘

                  30 武田翔太

                  35 牧田和久

                  27 炭谷銀仁朗

                  37 嶋基宏

                  52 中村悠平

                  2 今宮健太

                  3 松田宣浩

                  5 川端慎吾

                  6 坂本勇人

                  9 中島卓也

                  13 中田翔

                  23 山田哲人

                  60 中村剛也

                  7 中村晃

                  8 平田良介

                  25 筒香嘉智

                  55 秋山翔吾

                  1位:小島弘務

                  2位:矢野輝弘

                  3位:山本保司

                  4位:吉田太

                  5位:森田幸一

                  6位:寺西秀人

                  VIAF

                  日本

                  CiNii Books

                  CiNii Research

                  中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

                  阪神タイガース及びその前身球団の選手

                  NPBオールスターゲーム選出選手

                  日本の野球選手

                  大阪府立桜宮高等学校出身の野球選手

                  東北福祉大学硬式野球部の選手

                  日本の野球監督

                  野球日本代表選手

                  オリンピック野球日本代表選手

                  日米大学野球選手権大会日本代表選手

                  野球解説者

                  阪神タイガース及びその前身球団の監督

                  ゴールデンスピリット賞受賞者

                  日本のラジオパーソナリティ

                  大阪府出身のスポーツ選手

                  大阪市出身の人物

                  1968年生

                  存命人物

                  無効な出典が含まれている記事/2022年

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                  野球に関する記事

                  プロジェクト人物伝項目

2024/11/16 03:47更新

yano akihiro


矢野輝弘と同じ誕生日12月6日生まれ、同じ大阪出身の人

田中 さなえ(たなか さなえ)
1972年12月6日生まれの有名人 大阪出身

田中 さなえ(たなか さなえ、1972年12月6日 - )は、日本のタレント。旧芸名は田中 早苗(読み同じ)。 大阪府四條畷市出身。松竹芸能所属。 関西外国語大学短期大学部英米語学科在学中、学園祭…

吉田 敬_(作曲家)(よしだ たかし)
1978年12月6日生まれの有名人 大阪出身

吉田 敬(よしだけい、Kay Yoshida、本名:よしだたかし、1978年12月6日 - )は、熊本在住の作曲家、編曲家、キーボーディスト。大分県、熊本県出身。日本作曲家協会会員、株式会社サンナナ副…

高野 祐衣(たかの ゆい)
【NMB48】
1993年12月6日生まれの有名人 大阪出身

高野 祐衣(たかの ゆい、1993年〈平成5年〉12月6日 - )は、日本の経営者、元タレントである。アイドルグループ「NMB48チームM」及び「吉本坂46・RED」の元メンバー。「株式会社ゆい酒店」…

朝見 優香(あさみ ゆうか)
1975年12月6日生まれの有名人 大阪出身

朝見 優香(あさみ ゆうか、1975年12月6日 - )は、日本の女優。大阪府出身。 血液型はA型。身長160cm。旧芸名は辻本 牧子(1994年まで)。 所属事務所であった株式会社キューブを退いて…

吉野 悦世(よしの えつよ)
12月6日生まれの有名人 大阪出身

吉野 悦世(よしの えつよ、12月6日 - )は、大阪市平野区出身の女優、演歌歌手である。松竹芸能所属(2013年頃まではさち子プロ所属だった)。 2歳の時に歌い始める。『素人名人会』(MBSテレビ…


福崎 文吾(ふくさき ぶんご)
1959年12月6日生まれの有名人 大阪出身

福崎 文吾(ふくさき ぶんご、1959年12月6日 - )は、将棋棋士。田中魁秀九段門下。棋士番号は135。大阪府守口市出身。十段、王座のタイトル獲得歴がある。竜王戦1組通算10期。現役最年長棋士(2…

宍戸 錠(ししど じょう)
1933年12月6日生まれの有名人 大阪出身

宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称…

門尾勇治(かどお ゆうじ)
1978年12月6日生まれの有名人 大阪出身

門尾 勇治(かどお ゆうじ、1978年12月6日 - )は、日本の漫画家。石川県出身。大阪府在住。 18歳で単身大阪に転居し、専門学校に通う。 2002年より南勝久のアシスタントを務めた後、2007…

大須賀 二朗(おおすが じろう)
1924年12月6日生まれの有名人 大阪出身

大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2008年11月4日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1937年に京都帝国大学工学部応用物理科を卒業し、同年…

辻 晴雄(つじ はるお)
1932年12月6日生まれの有名人 大阪出身

辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)は、日本の実業家。シャープ株式会社相談役。弟の妻が第2代社長佐伯旭の子。 大阪府大阪市生まれ。1955年、関西学院大学商学部卒業。同年、早…


前田 憲男(まえだ のりお)
1934年12月6日生まれの有名人 大阪出身

前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひと〉、1934年12月6日 - 2018年11月25日)は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。 大阪府出身。小学校教師であっ…


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矢野輝弘と近い名前の人

矢野 顕子(やの あきこ)
1955年2月13日生まれの有名人 東京出身

矢野 顕子(やの あきこ、女性、1955年〈昭和30年〉2月13日 - )は、日本のシンガーソングライター。1990年以降からアメリカ合衆国ニューヨーク州へ移住している。 1955年2月東京都生まれ…

矢野 明仁(やの あきひと)
1959年3月22日生まれの有名人 広島出身

矢野 明仁(やの あきひと、1959年3月22日 - )は、タレント、俳優。広島県出身。A型。拓殖大学卒業。 オーケープロダクション、ロビンフッドアーチスツを経て、2012年8月からオフィスキイワー…

矢野 燿大(やの あきひろ)
1968年12月6日生まれの有名人 出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 矢野 燿大(やの あきひろ、本名:矢野 輝弘〈読み同じ〉、1968年12月6日 - )は、大阪府大阪市平野区出身の元プロ野球選手(捕手…

矢野 良子_(歌手)(やの りょうこ)
1960年1月9日生まれの有名人 京都出身

矢野 良子(やの りょうこ、本名:矢野 登志子、 1960年1月9日 - )は、日本の元アイドル歌手。京都府京都市出身。身長163cm、B82、W59、H85。 きょうだいは妹と弟がいる。高校のとき…


矢野 健太郎_(数学者)(やの けんたろう)
1912年3月1日生まれの有名人 東京出身

矢野 健太郎(やの けんたろう、1912年〈明治45年〉3月1日 - 1993年〈平成5年〉12月25日)は、日本の数学者。東京工業大学名誉教授。専門は微分幾何学。従三位勲二等瑞宝章。数学教育、一般へ…

矢野 健太郎_(漫画家)(やの けんたろう)
1957年10月3日生まれの有名人 大阪出身

矢野 健太郎(やの けんたろう、1957年〈昭和32年〉10月3日 - )は、日本の漫画家。主な作品に『ネコじゃないモン!』などがある。大阪芸術大学の漫画アニメーション研究会グループ「CAS」の創設者…

矢野 貴章(やの きしょう)
1984年4月5日生まれの有名人 静岡出身

矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・栃木SC所属。 ポジションはフォワード、ディフェンダー。元日本代表。マネジメント会社はサニーサイ…

矢野 有美(やの ゆみ)
1966年4月15日生まれの有名人 香川出身

矢野 有美(やの ゆみ、1966年4月15日 - )は、香川県高松市生まれ(3歳まで)、東京都東村山市育ちの元・アイドルタレント、女優、歌手。1982年デビュー、1986年引退。堀越高等学校卒業。 …

矢野 未希子(やの みきこ)
1986年12月4日生まれの有名人 大阪出身

矢野 未希子(やの みきこ、1986年12月4日 - )は、日本の女性ファッションモデル。愛称は、みっこ。 大阪府堺市出身。レプロエンタテインメント所属。 堺女子高等学校卒業。同校に入学時からファ…


矢野目 美有(やのめ みゆ)
1991年2月27日生まれの有名人 栃木出身

矢野目 美有(やのめ みゆ、1991年2月27日 - )は、日本の女性タレント、グラビアアイドル。愛称、みゆみゆ。 栃木県宇都宮市出身。元プラチナムプロダクション所属。女性アイドルグループ『ユルリラ…

矢野 未夏(やの みか)
1991年8月1日生まれの有名人 東京出身

矢野 未夏(やの みか、1991年8月1日 - )は、日本の元グラビアアイドルである。 東京都出身。 2011年12月、DVD『ハックツ美少女 Revolution』で、デビュー。 2012年2…

矢野 清香(やの さやか)
1991年4月24日生まれの有名人 三重出身

矢野 清香(やの さやか、1991年4月24日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元タレントである。プラチナムプロダクションに所属していた。三重県四日市市出身。愛称はやのっち。 三重県立四日市四郷…

矢野 陽子(やの ようこ)
5月4日生まれの有名人 東京出身

矢野 陽子(やの ようこ、1942年5月4日 - )は、日本の女性声優。リベルタ所属。東京都出身。本名は新城洋子。以前は矢野 洋子で活動していた。1960年代から1970年代には東宝に所属していた。…

矢野 優花(やの ゆうか)
1998年1月6日生まれの有名人 宮崎出身

矢野 優花(やの ゆうか、1998年〈平成10年〉1月6日 - )は、日本の女優。 宮崎県出身。スターダストプロモーション制作3部所属。 2008年、スターダストプロモーション芸能3部に所属し、芸…


矢野 マイケル(やの まいける)
1979年1月22日生まれの有名人 東京出身

矢野 マイケル(やの マイケル、1979年1月22日 - )は、ガーナ出身で日本国籍の元サッカー選手、元キックボクサー、ソングライター。俳優・モデルの矢野デイビットは実弟。 ガーナにて、日本人の父と…

矢野 吉彦(やの よしひこ)
1960年10月21日生まれの有名人 東京出身

矢野 吉彦(やの よしひこ、1960年10月21日 - )は、日本のアナウンサー、競馬評論家。 元文化放送アナウンサー(1983年 - 1988年)ののち、フリーアナウンサー。TCP Artist、…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「矢野輝弘」を素材として二次利用しています。

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