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矢野顕子の情報 (やのあきこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

矢野顕子の情報(やのあきこ) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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矢野 顕子さんについて調べます

■名前・氏名
矢野 顕子
(読み:やの あきこ)
■職業
シンガー ソングライター
■矢野顕子の誕生日・生年月日
1955年2月13日 (年齢69歳)
未年(ひつじ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和30年)1955年生まれの人の年齢早見表

矢野顕子と同じ1955年生まれの有名人・芸能人

矢野顕子と同じ2月13日生まれの有名人・芸能人

矢野顕子と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


矢野顕子と関係のある人

ミック=カーン: 1982年、矢野顕子のアルバム『愛がなくちゃね』の収録曲「愛がなくちゃね」では、ベーシストとしてのみならずデヴィッド・シルヴィアンと共にコーラスとして参加している。


清水ミチコ: また、当時から桃井かおり、松任谷由実、矢野顕子などのモノマネをしていた。


ピーター=バラカン: スタジオテクノポリス24/21 (2013年8月 - ・InterFM)- 不定期 矢野顕子と共演。


高野寛: 「ME AND MY SEA OTTER」 作詞・作曲 - 矢野顕子・高野寛。


岡田有希子: 坂本龍一「Ballet Mécanique」 - 作詞:矢野顕子、翻訳:ピーター・バラカン。


マーク=リボー: 矢野顕子との2008年のアルバム『akiko』の制作にも大きく寄与して、そのアイデアを生かしてレッド・ツェッペリンの曲を取り上げている。


坂本龍一: 1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。


森山良子: 2010年、矢野顕子とユニット「やもり」を結成。


松武秀樹: 『ト・キ・メ・キ』(矢野顕子


橋本一子: 1980年には矢野顕子の産休中、YMO初の国内ツアー、「TECHNOPOLIS 2000-20」をサポート。


伊藤つかさ: 作詞:仲畑貴志/作曲:矢野顕子


安部譲二: 「ロブロイ」では菅野邦彦も弾いたが、当時高校生の矢野顕子も弾いた。


坂本美雨: 父親は坂本龍一、母親は矢野顕子という、ミュージシャンの両親の元に生まれ、YMOやクラフトワークを胎教として育った。


岸田繁: 5.おいてくよ(作詞:矢野顕子・岸田繁、作曲:岸田繁・矢野顕子)


坂本龍一: これが原因で、矢野顕子と翌年に別居したと報じられた。


福澤もろ: 高校時代よりバンド活動を開始し、1976年、「高度1万マイル」(矢野顕子参加)でデビュー。


窪田晴男: 並行して、S-KEN&ホットボンボンズで活動する他、坂本龍一、EPO、矢野顕子らのレコーディング、ライブツアーに参加。


高野寛: 10. わたしのニャンコ(矢野顕子のカヴァー)


ピーター=バラカン: スタジオ・テクノポリス27(1982年6月 - 1984年3月・FM東京) - 矢野顕子と共演。


伊藤つかさ: 作詞・作曲:矢野顕子/編曲:後藤次利


原田郁子: フェイバリットミュージシャンは、矢野顕子、フィッシュマンズ、セロニアス・モンク、ドクター・ジョン、ザ・バンド、リッキー・リー・ジョーンズなど。


宮川泰: ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ、坂本スミ子、西田佐知子、和田弘とマヒナスターズ、矢野顕子&大貫妙子)


吉田政美: クラフト、さだまさし、矢野顕子といったゲストミュージシャンが参加。


細野晴臣: 演奏・プロデュースチームとして多数のアーティストの楽曲に参加、荒井由実、矢野顕子などのプロデュースも行う。


澤村小夜子: 12月4日、Zepp Tokyoにて開催された「チャットモンチーの求愛ツアー」ファイナル公演に矢野顕子と共にゲスト出演。


柳田真宏: また、1977年には巨人ファンの矢野顕子が「行け柳田」という応援歌をリリースした。


坂本龍一: この年、矢野顕子と離婚。


駒沢裕城: 矢野顕子


渡辺香津美: 1999年ボトムラインNYにてマイク・マイニエリ、ラリー・コリエル、ジョン・パティトゥッチ、ミノ・シネル、矢野顕子らとライブ収録。


清水ミチコ: 高校1年生の時、デビュー間もない矢野顕子の音楽をラジオで初めて聴いて衝撃を受けた。


矢野顕子の情報まとめ

もしもしロボ

矢野 顕子(やの あきこ)さんの誕生日は1955年2月13日です。東京出身のシンガー ソングライターのようです。

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人物・配偶者・子女関係、略歴などについてまとめました。父親、卒業、解散、現在、離婚、母親、再婚、結婚、ドラマ、映画、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。矢野顕子の現在の年齢は69歳のようです。

矢野顕子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

矢野 顕子(やの あきこ、女性、1955年〈昭和30年〉2月13日 - )は、日本のシンガーソングライター。1990年以降からアメリカ合衆国ニューヨーク州へ移住している。

1955年2月東京都生まれであるが、幼少期は医師である父親が青森県で開業したため、同県で過ごした。3歳からクラシック系の音楽教室に通い始めている。両親ともに音楽好きであり、父はハワイの民族音楽や南米のラテンミュージックといった洋楽が好きだったことを明かしている。小学校高学年の頃にクラシックからジャズに関心を移した。青森県内の中学に進学している。中学生時代から父親と一緒に、ジャズ喫茶に通うようになった。

中学卒業後は、青山学院高等部(高校)に進学するため、1971年春に上京した。住居は杉並区であった。プロの音楽家(ミュージシャン)になるためとして、同校音楽部に入部するが、当時流行りのロック系であり、ジャズがしたかったと語っている。外部生と内部生の壁を学内の作曲コンクールで優勝した(かっさらった)際に感じたことを振りかえっている。そして、先輩の1人に学校外のジャズのサークルとか大学のサークルとかに連れてってもらううちに、10代からレストランやクラブで夜までピアノを奏でるバイトをしだした。しかし、睡眠時間が確保出来なくなり、ジャズミュージシャンになるため、青山学院高等部を中退した。顕子は、両親の反応は意外とあっさりしており、父は「しょうがないんじゃないの?」という感じであった。ただし、父親は若い女の子だから心配だと、知り合いの安部譲二さんに頼み、港区赤坂にあった安部の自宅に居候させた。デビューのきっかけは、安部夫妻が経営していた港区の青山のジャズクラブ「ロブロイ」である。最初はピアノだけであったが、他の場所でピアノをひくうちにスタジオミュージシャンとして仕事の依頼が来るようになった。山下洋輔(ピアニスト)、坂田明(サックス奏者)といったジャズ音楽家らと連日セッションの日々を送った。さらに、作曲家の筒美京平にすごく気に入られ、彼のセッションに呼ばれるようになった。顕子は、コレで人脈が広がったと明かしている。 1972年に細野晴臣、鈴木茂、林立夫らによる音楽ユニット「キャラメル・ママ」のセッションにも参加した。この頃から、作曲も始めている。翌1973年、音楽仲間と「ザリバ」というバンドを結成し、「或る日」というシングルを発売した。発売直後にバンド解散となった後、顕子は音楽プロデューサーで後の1974年に初婚相手になる矢野誠、キャラメル・ママのメンバーらと共にソロデビューの準備を開始した。

フィリップスレコードのディレクター三浦光紀にも「(顕子の)レコードを作りたい」と言われ、1976年7月に1stアルバム「JAPANESE GIRL」でデビューした。

『mimi』1977年3月号の「ニューミュージックスター年鑑」での矢野の紹介では「洋楽志向の多い中で、より日本的なものをめざす異色のシンガー・ソングライター」と書かれている。

1986年5月から1997年9月まで、本人の渾名である「アッコちゃん」を題名とした、月刊カドカワで「月刊アッコちゃん」を連載していた。

1990年のアメリカ合衆国ニューヨークへ移住後も日本国外のミュージシャンとのセッションも多くこなしている。とりわけ、アンソニー・ジャクソン(ベース)、クリフ・アーモンド(ドラムス)とは、1996年以来キーボード・トリオである、通称「さとがえるトリオ」または「矢野顕子グループ」を組み定期的に活動している(現在は中断)。「akiko」レコーディング・メンバーのマーク・リーボウ(ギター)、および「矢野顕子トリオ」としてウィル・リー(ベース)、クリストファー・パーカー(ドラムス)とも、日米で共演を重ねている。トーマス・ドルビーとはレコーディングを見学中に気にいられて急きょコーラスとして参加、後にリリースされた曲では歌詞の中でも登場することとなった。「She Blinded Me With Science 」(1982年)の歌詞で、"Good heavens Miss Sakamoto - you're beautiful!"と歌われている。2008年にリリースしたアルバム、「akiko」のプロデューサーは、2009年にグラミー賞を獲得したT・ボーン・バーネットである。

人物・配偶者・子女関係

生誕時の姓は鈴木顕子。「矢野」の姓はデビュー時点では担当プロデューサーだった矢野誠と婚姻関係(1974年 - 1979年)にあったため、当時の本名(婚姻姓)を芸名に使っていた。そして、この芸名で世に知れ渡ったために離婚後も使っている。

糸井重里をはじめ、親しい仲間から「アッコちゃん」と呼ばれている。

2人の子供を持つ母親である。一人目の子供は元夫である矢野誠との間にできた長男である。二人目である歌手の坂本美雨は、1982年に音楽仲間で再婚同士の坂本龍一との間に生まれた長女である。坂本の初婚は東京芸大2年時の2歳年上女性とであり、彼女との間に長女をもうけている。

坂本龍一の女性関係・不倫に気づいていたが、ある程度は容認していた。坂本龍一は昔からモテる女好きであり、矢野と籍を入れながら、マネージャー女性と事実婚していた。2000年には女優鶴田真由との手つなぎデート不倫も週刊誌にキャッチされている。同年時点では、鶴田真由とマネージャー女性という、矢野顕子以外に2人の女性が坂本龍一の周りにいたことが報道されている。1990年ごろからマネージャー女性と坂本龍一は一緒に暮らし始め、1990年にマネージャーとの間に子どもが生まれている。彼は空音央として映像プロデューサーになった。顕子は二人の交際を認めたものの、離婚しなかった。結局は、1992年から14年間の坂本龍一との別居期間後、2006年に離婚している。交友関係は維持したものの、2023年3月に亡くなるまでの坂本龍一の看病はマネージャー女性がした。

医師であった母方の祖父は、ロシア人の父親と日本人の母親との間に生まれた人物で、三陸沖地震や関東大震災の際の医療活動にも従事したという。

歌や同業者への意見

1981年4月の雑誌インタビューで、1979年のYMOの世界ツアー参加に対して、「毎日おんなじ人たちばっかり顔を合わせて、毎日おんなじことしなくちゃいけない。もうスケジュール表見ただけで疲れそう。旅自体キライだから、ウチでゴロゴロしている方がいいです」等と話した。 長い不遇の後、1981年にようやく「春咲小紅」が大ヒットした事に触れると口も滑らかになり、「"私はあの人に恋したけどダメでした"とか"今日はメシがまずくてどーのこーの"とか歌われるとね、別にオマエの繰り言なんかどうでもいいヨって言いたくなるよね。でも繰り言ばかりでできちゃうスタイルもあるのよね。吉田拓郎みたいにさ。でも私はあれはやりたくない。なぜなら聴きたくないからだってのがあるからね。吉田拓郎はその点において一流だと思うのね。そういう繰り言をアピールする点で、たいへんな才能だと思う。中島みゆきサンみたいにさ、トロトロ自分の中のいろんな姿を歌の中に織り込んでいって、人の共感を得るってのも、すばらしい才能なのね。特に男と女とかさ。でも私は、あんなの作れたらいいナと思うけど、別に歌いたくないナって思う。じゃあ自分で歌いたい歌ってどういうのかっていうとさ、"今日は暑い、涼しくなりたい"とかさ、"水が飲みたい"とか、それがいいと思うのね。だからやってるだけ。ラブソングだったら思いっきりラブソングがいいと思うのね。いつかやろうと思うけどさ、もっとうまい人がいっぱいいるからね。だったらユーミン聴いてるほうがいい、大貫妙子さん聴いてるほうがいいって思うじゃない。それは自分に向いてないと、自分を見てるわけよ。オフコースすてきだナと思っても、オフコースと同じことは、私できないもんね。『ごはんができたよ』も現実みたいだけど、ホントは夢なんですよ」等と同業者について話した。

略歴

出生 - 1955年

1955年、東京生まれ。

    医師である父の開業に伴い、3歳で青森に転居。中学まで青森市で過ごす。青森明の星高等学校付属ピアノ教室でピアノを習い始める。鍵盤にカミソリを立てて演奏するという厳しいレッスンだったという。

    既にこの頃から「その日起きた楽しかったこと」などを、即興のピアノと歌で表現していたほか、発表会では既定の曲を即興でアレンジすることもあったという。

    ザ・ゴールデン・カップスのファンになり、しばしば当時居住していた青森から、彼らがデビュー以来出演していた横浜市本牧のバー「ゴールデン・カップ」まで見物に行っていたという。

    中学生のころから父親に連れられてジャズ喫茶に通う。独学でジャズを弾くようになる。

    1971年 - 軽音楽部に憧れて単身上京し青山学院高等部に入学。

      ジャズをやるため軽音楽部に入部したものの、部ではロックばかりだったので落胆する。このとき組んでいたバンドのメンバーには、後に作曲家となる渡辺俊幸がいた。この軽音楽部の先輩の紹介でレストランのピアノ演奏の仕事を始める。帰宅が深夜になるため高校を中退。心配した父親が知人である安部譲二の家に居候させる。ピアノ弾きとして売れっ子になり、安部と当時の妻であった遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」にも出演する。これが業界人の間で評判になり、筒美京平らに声をかけられる。

      1973年 - ファースト・アルバム発売を前提に、細野晴臣、林立夫らキャラメル・ママ(のちティン・パン・アレー)の主要メンバーと共にスタジオ録音を行う。結局アルバムは発売されず、一部の録音がアルバム『JAPANESE GIRL』、『いろはにこんぺいとう』、および1996年発売のベスト・アルバム『ひとつだけ/the very best of 矢野顕子』に収録された。この頃からスタジオ・ミュージシャン(キーボード・コーラス)として、アグネス・チャン、荒井由実、吉田美奈子などさまざまなアーティストのレコーディングに参加。

      1974年 - バンド「ザリバ」名義で、トリオレコードよりシングル『或る日』をリリース。筒美京平が作曲、矢野誠がアレンジを担当。

        デビュー当時18歳。レコード会社は矢野にしか興味が無かったので、シングル1枚を発売しただけですぐに解散となる。

        長男の妊娠を機に矢野誠と結婚。当時19歳。

        1975年 - 小坂忠に対し、「鈴木晶子」名義で楽曲提供。

        1976年 - デビュー・アルバム『JAPANESE GIRL』を発表。

          デビュー作ではA面で米国のバンド、リトル・フィートをバックに迎え、B面であがた森魚、細野晴臣、鈴木茂、駒沢裕城、ムーンライダーズの面々と共演。自作曲のほか、故郷青森の民謡と歌謡曲を矢野顕子流にアレンジしている。アメリカ録音では、リトル・フィートのリーダー、ローウェル・ジョージは矢野の音楽のレベルに対して自分達が十分サポートしきれなかったことをプロデューサーに泣きながら詫び、ギャラを受け取らなかった。

          1977年

            4月より1年間、NHKのAMラジオ番組「若いこだま」のラジオパーソナリティを担当。

            8月発売のセカンド・アルバム『いろはにこんぺいとう』において、シンセサイザー・プログラマーに松武秀樹が参加。

              翌年には次作『ト・キ・メ・キ』でも松武が参加し、さらに矢野、松武ともどもイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)にサポート・メンバーとして参加することになる。

              矢野はその後坂本龍一、ジェフ・ボヴァ、レイ・ハラカミらと電子音楽に傾倒していく。

              1978年

                9月26日、「ト・キ・メ・キ」ツアーにYMOのメンバー3人が参加。YMOメンバーとの共同作業を開始する。

                1979年

                  矢野誠と離婚

                  ライブ・アルバム『東京は夜の7時』発表。ジャケット写真は長男の風太(当時4歳)である。アルバム収録曲「カタルン・カララン」の作詞は、矢野・菊地まみ・風太の3名の共作となっている。

                  KYLYN BAND(渡辺香津美主宰)やカクトウギ・セッション(坂本龍一主宰)、YMOの第1回ワールドツアーに参加。

                  1980年 - 1989年

                  1980年

                    3月から産休に入り、5月に長女美雨誕生。7月には加藤和彦のレコーディングのためベルリンに行く。YMOの国内ツアーには参加せず、10月からの第2回ワールドツアーに帯同する。

                    10月発売のアルバム『ごはんができたよ』からジャパンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)に移籍。このアルバムは、YMOのメンバーが全面的にバッキングしたLP2枚組の大作である。

                    1981年 - カネボウ化粧品のCMソングに起用されたシングル『春咲小紅』が、オリコンシングルチャート最高5位となるヒット。

                      矢野の作品はシングルヒットとは殆ど無縁で、この曲以後、1990年にドラマ『やっぱり猫が好き』のオープニングテーマだった「David」が発売されるまでは、オリコンシングルチャートに登場することはなかった。

                      1982年

                        坂本龍一と正式に結婚

                        糸井重里の発案で、中断期をはさみながらピアノ1台あればどこへでもライヴに赴くという「出前コンサート」をスタートする。時期により形態は異なるが、スタッフはマネジメントとサウンドエンジニアのみ、個人でも招聘することができ、若年者と高齢者は入場料が無料となったこともある。

                        5月、「ヘンタイよいこバンド」のライブで、忌野清志郎と共演。

                        1983年

                          4-5月、「わたしのにゃんこ」が、NHK「みんなのうた」で放映される。

                          ムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎のアルバム『リラのホテル』を共同制作。かしぶちのツアーにも参加。

                          1984年 - アルバム『オーエス オーエス』発売。収録曲の「ラーメンたべたい」が、1994年に詩の教材として高校国語の教科書に掲載される。

                          1985年 - 高橋悠治のピアノによるクラシック歌曲集『BROOCH』を自主制作盤として発売。

                          1986年

                            レコード・デビュー10周年。

                            2月発売のアルバム『峠のわが家』より、自らも設立に関与したレコード会社、ミディに移籍。

                            5月より、雑誌「月刊カドカワ」において、コラム「月刊アッコちゃん」の連載を開始(- 1997年)。

                            1987年 - 「グラノーラ・ツアー」を最後に、「矢野顕子解散宣言」にて音楽活動を一旦終了し、翌年より1年間の育児休暇に入る。

                            1989年 - パット・メセニーらニューヨークのジャズ・ミュージシャンとのコラボレーションを機に活動を再開し、アルバム『WELCOME BACK』を発売。

                            1990年 - 1999年

                            1990年 - 一家でアメリカニューヨーク州へ移住し、活動の拠点とする。

                            1991年 - アルバム『LOVE LIFE』よりEpic/Sonyへ移籍。

                            1992年 - アルバム『SUPER FOLK SONG』発売。弾き語りシリーズの第一弾。これに伴い、ドキュメンタリーフィルム『SUPER FOLK SONG - ピアノが愛した女。』上映。坂本龍一との別居が報じられる。

                            1994年

                              アサヒ飲料烏龍茶CMに出演。小林薫と共演。

                              ネスレ「ブライト」のCMに宮沢和史とともに出演。使用楽曲は『二人のハーモニー』。

                              1995年 - アルバム『Piano Nightly』制作のため、ウィーン郊外の城にピアノを持ち込みレコーディング。「ピアノ・ナイトリィ・ツアー」では託児所つきコンサートを行った。

                              1996年

                                レコード・デビュー20周年。

                                年末の「さとがえるコンサート」をスタート。アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンドと通称「さとがえるトリオ」または「矢野顕子グループ」(Blue Note東京公演での名称)結成。

                                映画『モスラ』の挿入曲の作曲を担当。小林恵、山口紗弥加が歌唱。映画への書き下ろし作品提供は初。音楽担当は、高校時代にバンドを組んでいた渡辺俊幸であった。

                                1997年 - ジェフ・ボヴァとのユニット「THE HAMMONDS」結成。日米でアルバムを発表。

                                1998年 - 「出前コンサート」再開。

                                1999年 - スタジオジブリの映画『ホーホケキョ となりの山田くん』の音楽を手がけ、藤原先生役で声を担当。- 織部賞を受賞。

                                2000年 - 2009年

                                2000年 - 大貫妙子・鈴木慶一・宮沢和史・奥田民生と「Beautiful Songs」コンサートを全国8カ所で行う。ライブ・アルバム『LIVE Beautiful Songs』も発売。

                                2002年

                                  NHK「みんなのうた」にて、坂本美雨と『くまんばちがとんできた』を共演。

                                  「FUJI ROCK FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に、忌野清志郎との共演で初出演。

                                  2003年

                                    アニメ映画『あたしンち』の主題歌を担当。

                                    この年から、ブルーノート東京での出演を開始。

                                    2004年

                                      アルバム『ホントのきもち』よりヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍。同アルバムにてくるりの岸田繁やレイ・ハラカミとのコラボレーションによる楽曲なども発表。

                                      2005年

                                        デビュー以来初のオフィシャルファンクラブ「The gathering」を開設。会報などの紙媒体の発行は行っておらず、インターネット上でのファンクラブであり、矢野が毎月ニューヨークの名所を映像で紹介するコーナーや、月2回のコンサートのストリーム配信等を行っている。

                                        映画『誰がために』の劇中音楽全てを担当。また、花王の消臭剤「リセッシュ」のCMソングの歌唱を担当。

                                        11月23日 - 銀座のApple Store で ライブイベントを開き、話題となった。ARENAmac.ASCII24

                                        そのほか、マイラ・カルマン作の絵本『しょうぼうていハーヴィ ニューヨークをまもる』を翻訳。

                                        ジブリ美術館で上映されている映画『やどさがし』、『水グモもんもん』で声優として出演。

                                        2006年

                                          レコード・デビュー30周年。「さとがえるコンサート」10周年。ベスト・アルバム『いままでのやのあきこ』をリリース。

                                          アルバム『はじめてのやのあきこ』にて槇原敬之・小田和正・YUKI・井上陽水・忌野清志郎・上原ひろみと共演。

                                          レイ・ハラカミと共演で「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に初出演。「FUJI ROCK FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に再出演。

                                          8月 - 坂本龍一と14年に亘る別居の末、協議離婚が成立。

                                          8月 - 病床に伏したレコーディング・エンジニア、吉野金次のために「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」を細野晴臣らと共に実施。のちにDVD『音楽のちから』も発売。

                                          2007年

                                            レイ・ハラカミとのユニット、yanokamiとしての本格始動開始。デビュー・アルバム『yanokami』を、8月8日ヤマハミュージックコミュニケーションズからリリース。

                                            2008年

                                              yanokamiとしてのデビュー・アルバムの英語版、『yanokamick』を3月12日にリリース。 yanokamiとしてシンガポールのMosaic Music Festivalに出演。

                                              3月21日、デビュー・アルバム『JAPANESE GIRL』のリメイクをライブにて敢行。のちにiTunes配信の形で発売。

                                              8月1日から3日の間、ギタリスト、マーク・リーボウと一緒に、ブルーノート東京に出演。15日には「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に再出演した。

                                              10月にはT・ボーン・バーネットのプロデュースによるアルバム、『akiko』をリリース。

                                              河口湖ステラシアターでは、森山良子と共演を果たす。

                                              映画『崖の上のポニョ』では、声優として「ポニョの妹」を担当。

                                              2009年

                                                大阪サンケイホールブリーゼにて、岡林信康、細美武士、清水ミチコをゲストに迎えたリサイタルを開催。

                                                7月12日には、上原ひろみとのデュオで、North Sea Jazz Festival(オランダ・ロッテルダム)に初出演。

                                                8月にはブルーノート東京にて、ウィル・リー、クリス・パーカーとのトリオで出演。

                                                9月4日には、東京JAZZフェスティバルにも、「矢野顕子 x 上原ひろみ」として出演。

                                                9月22日に開催される、くるりのイベント、「京都音博2009」に出演。

                                                2010年 - 2019年

                                                2010年

                                                  約10年ぶりとなる弾き語りアルバム『音楽堂』を発売。

                                                  森山良子とユニット「やもり」を結成。アルバム『あなたと歌おう』発売。

                                                  2011年

                                                    3月27日、ニューヨーク市内で行われた、ジョン・ゾーンの呼び掛けによる東日本大震災被災者の支援を訴えるチャリティ・コンサートに、オノ・ヨーコらと共に参加。5月17日にはウィル・リー主催のものにも参加。

                                                    6月4日 - 矢野が歌を担当した揖保乃糸CM放送開始。

                                                    9月公開の映画『監督失格』(平野勝之監督)において、主題歌『しあわせなバカタレ』など6曲を担当。

                                                    9月3日・4日、東京芸術大学の学生とのコラボレーション企画、「やの屋」実施。

                                                    9月9日、上原ひろみと東京・昭和女子大学人見記念講堂にてレコーディング・ライブを実施、11月にライブ・アルバム『Get Together 〜LIVE IN TOKYO〜』発売。12月の「さとがえるコンサート」でも上原と共演。

                                                    2012年

                                                      5月3日・4日 - フリーライブイベント「TOKYO M.A.P.S」(六本木ヒルズ)のオーガナイザーを務める。

                                                      12月 - 「さとがえるコンサート」にて、清水ミチコと共演。

                                                      2013年

                                                        8月 - シングル『リラックマのわたし』よりSPEEDSTAR RECORDSに移籍。

                                                        2014年

                                                          4月 - レーベル移籍後初となるアルバム『飛ばしていくよ』を発表。

                                                          2015年

                                                            12月 - 「さとがえるコンサート」にて、TIN PAN(細野晴臣、鈴木茂、林立夫)と共演。

                                                            2016年

                                                              3月-4月 - 活動40周年記念「第1弾“ふたりでジャンボリー”」として、石川さゆり、上妻宏光、清水ミチコ、奥田民生、森山良子、大貫妙子と共演。

                                                              2019年

                                                                上妻宏光とのコラボユニット「やのとあがつま」を始動。

                                                                2020年 -

                                                                2020年

                                                                  3月4日 - 「やのとあがつま」のアルバム『Asteroid and Butterfly』をリリース。

                                                                  3月6日 - テレビアニメ『大家さんと僕』(3月2日 - 6日放送、NHK総合)の主題歌を担当。同タイトルの書き下ろし楽曲を配信。

2024/06/24 15:02更新

yano akiko


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