糸井嘉男の情報(いといよしお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


糸井 嘉男さんについて調べます
■名前・氏名 |
糸井嘉男と関係のある人
白村明弘: 野手転向時には、日本ハム在籍中に投手から外野手へ転向した糸井嘉男を目標に挙げた。 小沼健太: ティー打撃のボールを挙げる際は緊張して「ティー上げイップス」になり、糸井嘉男の顔面付近に投げ込んで空振りさせたこともある。 秋山幸二: このシーズンで300盗塁を決めたが後に糸井嘉男に更新されるまでは300盗塁を決めた最年長記録でもあった。 矢野燿大: 「1日キャプテン」を任されていた糸井嘉男・西勇輝の発案による「サプライズ予祝」で、NPBの春季キャンプ期間中に監督が選手から胴上げされたことは初めてであったが、レギュラーシーズンに入ってからは胴上げを経験することなく監督生活を終えた。 高井雄平: 投手としてNPBの球団に入った選手の年俸が、野手転向後に1億円まで達した事例は石井琢朗・福浦和也・糸井嘉男に次いで雄平が4人目である。 桑原将志: 阪神甲子園球場で阪神タイガースのランディ・メッセンジャーからシーズン2本目を放った9月15日には、オリックス・バファローズの糸井嘉男も札幌ドームの対日本ハム戦で初回先頭打者本塁打を放っており、NPB公式戦史上初となる「同じ日に複数の試合で初球先頭打者本塁打」を記録した。 中田翔: 外野手としては、チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男、陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった。 梅田尚通: 野手としては、糸井嘉男を彷彿とさせる大柄な左打者で、荒削りながらパンチ力のある打撃が武器。 谷口雄也: 2012年は糸井嘉男が負傷離脱した際に一軍昇格。 柳田悠岐: 2017年は、糸井嘉男らと行った自主トレで肉体改造を目指し、炭水化物をほとんど摂取しない食事制限を行うが、そのトレーニング法を聞いたダルビッシュ有に苦言を呈される。 野本圭: 守備面では球際に強く、2011年5月26日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)で、糸井嘉男の右中間への抜ければ二塁打もしくは三塁打という打球をダイビングキャッチ。 江尻慎太郎: オールスターゲームでは7月22日第1戦で2回から登板して初出場を果たしたが元同僚の糸井嘉男にタイムリー打を浴びた。 五十嵐亮太: 先頭の伊藤光を変化球でライトフライ、エステバン・ヘルマンを外角の直球で空振り三振、安達了一にセカンドへの内野安打を許し、糸井嘉男には直球を見送られ四球としたが、ウィリー・モー・ペーニャを151 km/hの直球でショートゴロに打ち取り、1回を無失点に抑えて自己最多記録・球団新記録・2014年パ・リーグ最多記録となるシーズン44ホールドを記録し、チームは延長10回に松田宣浩が左中間にサヨナラ打を放ち、3年ぶりのリーグ優勝を決めた。 城所龍磨: 2010年にソフトバンク監督の秋山幸二はパシフィック・リーグの優れた外野手として守備範囲では糸井嘉男、肩では城所を挙げている。 陽岱鋼: 2012年は中堅手で前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞していた糸井嘉男との間で、「センターの守備力は変わらない。 桑田茂: “落合博満、秋山幸二、糸井嘉男…世紀の“大型トレード”はこうして成立した!”. 新潮デイリー (2021年11月17日). 2022年8月17日閲覧。 菅野智之: 5月15日の対阪神戦(東京ドーム)、初回に糸井嘉男に2点本塁打、5回表に福留孝介にソロ本塁打、6回表には木浪聖也にソロ本塁打と大山悠輔に2点本塁打を打たれ、自己ワーストの1試合で4被弾し、5回2/3を投げ、失点も自己ワーストとなる10失点(自責点7)、4奪三振で敗戦投手になり、5月21日に腰の違和感で登録を抹消された。 木村文和: 木村と同じくプロ入り後に投手から野手へ転向した走攻守3拍子揃った選手である糸井嘉男を目標に掲げ、糸井の打撃や守備を動画で閲覧し研究しているという。 高田繁: 投手であった糸井嘉男を野手に転向させたのも高田といわれている。 相川亮二: 通算58本塁打での達成は糸井嘉男に並び当時史上最少通算本塁打数だった(現在は大引啓次の通算32本塁打での達成が最少)。 大引啓次: オフには引退した鈴木郁洋に代わって選手会長に就任したが、2013年1月25日に八木智哉・糸井嘉男との交換トレードで、木佐貫洋・赤田将吾と共に北海道日本ハムファイターズに移籍した。 畠世周: 最初の打者は打ち取るも、前日危険球を投じた上本と、続く糸井嘉男に二者連続でソロ本塁打を打たれた。 赤田将吾: 2013年1月25日 に八木智哉と糸井嘉男との交換トレードで、木佐貫洋・大引啓次と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した。 帆足和幸: 7月9日は本拠地福岡 ヤフオク!ドームで先発としてオリックスを迎え、初回に糸井嘉男、T-岡田のタイムリー安打で2点先制されたが、2回3回を3者凡退に抑えると援護により同点、4回にジョーイ・バトラーの犠牲フライ、中村一生の二塁打で2点勝ち越されたが、味方打線の奮起で逆転、5回を3者凡退、6回は2者を抑えて、左に強いウィリー・モー・ペーニャを敬遠気味の四球で歩かせ、バトラーを迎えた所で、1点リード95球で降板となったが勝利投手となり、自身負けなしの6連勝を達成しチームは首位を奪還した。 杉本裕太郎: 目標の選手として、糸井嘉男を挙げている。 西野真弘: 2016年、チームでは糸井嘉男と共に全試合に出場、1試合以外は全て二塁手として出場した。 近藤健介: 10月15日の西武戦(札幌ドーム)では史上13人目、球団では糸井嘉男以来10年ぶりとなる、1試合4二塁打のNPBタイ記録を記録した。 高木京介: 11月3日には、北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズ第6戦(東京ドーム)で1点リードの7回表二死満塁から登板すると、糸井嘉男を2球で右飛に仕留めて交代した。 武田健吾: 2017年、前述したU-23ワールドカップでの活躍や、糸井嘉男の国内FA権行使による阪神タイガースへの移籍を背景に、春季キャンプからオープン戦期間中まで一軍に帯同した。 清水雅治: 当時一軍監督で、浜田高校の先輩だった梨田昌孝から招聘を受けて就任し、投手から外野手に転向したばかりの糸井嘉男や、内野手から外野手に転向したばかりの陽岱鋼・中田翔の守備力を高め、球界を代表する外野手にまで育て上げた。 |
糸井嘉男の情報まとめ

糸井 嘉男(いとい よしお)さんの誕生日は1981年7月31日です。京都出身の野球選手のようです。

引退、父親、家族、テレビ、母親、解散、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。糸井嘉男の現在の年齢は43歳のようです。
糸井嘉男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 糸井嘉男 超人チャンネル 糸井 嘉男(いとい よしお、1981年〈昭和56年〉7月31日 - )は、京都府与謝郡岩滝町(現:与謝野町)出身の元プロ野球選手(外野手)、YouTuber、野球解説者、野球評論家、タレント。右投左打。2023年より、阪神タイガースの「Special Ambassador」(SA)を務める。 愛称は「超人」、「ヨッピ」。 プロ入り後に投手からの野手コンバートに成功した選手の代表格。野手転向後は日本を代表する所謂5ツールプレイヤーとなる。 2013年からの4年間はオリックス・バファローズに、2017年から引退までは阪神タイガースに所属した。2013年にはワールド・ベースボール・クラシックで侍ジャパンの四番打者も任された。 NPB史上初の6年連続「打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞」達成者。2019年までにNPB史上7位の通算出塁率.394の記録、NPB史上9位の9度の打率3割マークを成し遂げている。 1981年7月31日に、京都府与謝郡岩滝町(現:与謝野町)にて生まれる。父親はトライアスロン選手で2022年時点でも現役。 小学3年生の夏休みに家族で初めて甲子園球場に向かい、真弓明信がアーチを架けたのを見たのがプロ野球選手になりたいと思った理由の一つという。 中学時代は硬式野球部ではなく、旧岩滝町の橋立中学校の軟式野球部に所属。3年時、勝てば府大会へと繋がる重要な大会の日、試合前の練習中にベンチに座り休憩していたが、顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、それを真に受けて帰宅してしまう。学校の目の前に自宅があった糸井は、試合へ出陣するチームのバスに向かって、自宅の二階から「頑張ってこいよ〜!」と手を振っていたという。エースの不在でチームは早々に敗退してしまい、私立強豪校からの誘いを受けられず、岩滝町に隣接する宮津市にある京都府立宮津高等学校に進学した。 高校入学早々に、痛んでいた膝を病院にて診断。中学2年時から膝の皿が割れていて、痛みに耐えながらプレーを続けていたことが発覚し、すぐさま手術する。リハビリを行い、2年時にようやく走れるようにまで回復し、2年の春先の練習試合で復帰登板を果たす。ところが一人に投げ終えたところですぐに肩の痛みを発症し降板。今度は肩を手術することとなり、その後医師の許可が降りた3年春から復帰を果たす。実質3年時の4か月しかプレーしていなかったが、投手として阪神タイガースのスカウトからも注目される。それでもドラフト会議での指名が確実ではなかったことから4年後を見据え、近畿大学に進学した。 近畿大学野球部では、1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之や、1学年下の貴志款八(その後日本新薬)の陰に隠れ、3年時の2002年春まで関西学生野球連盟のリーグ戦出場がなかった。しかし同年の秋季リーグでデビューを果たすと、4年時の春季リーグではエースとして2度の完封勝利を含む5連勝(無敗)の大活躍でリーグMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。大学選手権では初戦で馬原孝浩(九州共立大)と投げ合うが2回途中7失点で降板し、5回コールド負け。大学通算成績は19試合に登板、9勝2敗、防御率1.49であった。同期には田中雅彦や中村真人らがいる。 2003年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で入団。契約金1億円、年俸1500万円で、背番号は26となった。 2004年 - 2005年の2年間は本人曰く「鳴かず飛ばず」で一軍登録されることはなく、二軍では通算36試合に登板し、8勝9敗3セーブで防御率は4.86だった。 2006年4月25日に正式に外野手にコンバート。投手として結果を残すことが出来ず、高田繁GMに投手失格を宣言された(本人曰く、笑いながら言われた)と同時に足が速いなど野手としての素質を見込まれての転向であった。また、チームメイトの新庄剛志も野手転向を助言していた。すると転向僅か5か月にして9月度のイースタン・リーグ月間MVPを受賞(月間打率.397)。二軍のシーズン成績は打率.306、8本塁打、8盗塁を記録。シーズン中の一軍出場はなかったが、11月のアジアシリーズでは出場登録28人枠入りし、11月11日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦にて途中出場で一軍初出場を果たした。 2007年は野手転向2年目にして開幕一軍入りを果たすが、結果を残せずすぐに二軍落ち。その後故障もあったが9月に再昇格し、9月10日にプロ初安打・初盗塁を記録。しかしその盗塁の際に足を痛めてしまい、すぐに登録抹消となった。二軍では同僚の金子洋平に次ぐイ・リーグ2位の12本塁打をはじめ、打率.319、長打率.579、14盗塁と好成績を残した。 2008年は左翼手として初の開幕戦先発出場を果たすものの、3月30日に対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Kスタ宮城)で負った肉離れを押して試合に出続けたことにより、故障箇所を悪化させ二軍落ち。一軍復帰後にはプロ入り初を含む5本塁打を打ち、この年は他に63試合出場、打率.239、45安打、21打点、13盗塁を記録した。クライマックスシリーズ第1ステージでは1番打者に抜擢された。オフに770万円アップの推定年俸1800万円で契約更改。 2009年は「7番センター」として2年連続の開幕スタメンの座を掴むと、打順は7番や2番を中心に、主に3番の稲葉篤紀がスタメンを外れた12試合では3番を担い、ポジションは前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を獲得していた森本稀哲を押しのけセンターとしてついにレギュラーに定着。特に6月は好調で、月間打率、安打数がともにリーグ2位で、4試合で殊勲安打(同点1、先制3)を打ち、チームの首位堅持に貢献。6月11日から30日にかけては11試合連続安打を打ち、月間9二塁打はリーグトップ、6盗塁はリーグトップタイの成績を残し、自身初の月間MVPを受賞した。受賞会見では「不安ばっかりだったが、必死に練習してきた。起用してくれた監督、コーチ、そして転向を打診してくれた高田監督(当時東京ヤクルトスワローズ監督)に感謝したい」と秘めた思いを口にした。7月には監督推薦によりオールスターゲームにも初出場を果たした。シーズン終了までレギュラーを守り切り、チームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。自己最多となる131試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.306(リーグ7位)、15本塁打、24盗塁(同7位)、出塁率.381(同6位)、長打率.520(同4位)、OPS.901(同3位)という成績を記録し、パ・リーグ外野手部門2位で初のベストナインを、同外野手部門1位で初のゴールデングラブ賞をダブル受賞した。契約更改では3倍以上増となる推定年俸6000万円でサインし、「投手で入って野手になったときは一軍が目標だった。活躍できるなんて想像もしていなかった」と喜びを口にした。 2010年は前年主に5番のターメル・スレッジが退団した影響で主に「5番センター」としてクリーンアップの一角を担った。6月15日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では1試合4二塁打を打った。イチローや井口資仁ら好打者に並ぶ史上10人目の記録であったが「ホンマですか。必死なだけです」と語った。7月1日には、選手間投票により2年連続でのオールスターゲーム選出を果たす。本拠地最終戦の9月26日の対埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)では9回裏にサヨナラ打を打ち、勝利を引き寄せた。この年は2年連続15本塁打を打ち、すべて前年を上回る打率.309、64打点、26盗塁、さらに76四球(25四球増)を選び初の4割台となる出塁率.407を記録。2年連続でパ・リーグ外野手部門の1位でゴールデングラブ賞も受賞。オフの契約更改にて年俸は1億円の大台に到達し、背番号を同年まで坪井智哉がつけていた7に変更。背番号7について、「坪井さんの付けてた背番号なので相当な重みを感じています。」とコメントしていた。この記事を見た坪井は自身の公式ブログで「涙が出そうになった」とコメントし、『7番似合ってるやん!』と糸井にメールしたことを明かしている。 2011年、打順は稲葉篤紀に代わる3番に昇格。相手投手の攻めも厳しさを増し、リーグトップタイの19の死球を受け、8月には右手小指に死球を受けて骨折しながらも出場を続けた。それでも打率はシーズン中盤までリーグ首位に立ち、最終的に自己最高でリーグ2位の.319を記録、本塁打も11本打ち3年連続の打率3割・2桁本塁打を記録した。出塁率は12球団全選手の中で唯一4割を超え、自身初タイトルとなる最高出塁率を獲得し、「出塁は毎年意識しており、(タイトルを)獲得できて光栄」と喜びを語った。31盗塁も自己最多でチームトップ。守備でも3年連続でゴールデングラブ賞を受賞。2年ぶり2度目のベストナインはリーグ外野手部門の1位で獲得した。12月13日、9000万円増の推定年俸1億9000万円でサインし、野手転向者としては石井琢朗が横浜時代の2005年の推定年俸2億5000万円に次ぐ高額年俸となった。 2012年、相手チームにライト前へヒットを打たれた時に、一塁走者の三塁進塁を抑止するため、首脳陣が当時右翼手を務めていた陽岱鋼と糸井を比較し「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」という考えによりポジションを入れ替える形で右翼手にコンバートされる。オールスターゲームには稲葉篤紀に次ぐ両リーグ2位の得票を集め初めてファン投票で選出され、4年連続の出場を果たした。しかし怪我を抱えてのプレーとなり、前半戦は僅か2本塁打で、5月16日以来8月3日まで本塁打が出ないなど思いがけない不振に見舞われた。8月25日の試合前練習で左脇腹を痛め、翌日に登録抹消。「負けられない戦いの中、怪我をして不甲斐なかった」と、患部が完治していない状態で9月7日に3番右翼でスタメン復帰し、7回に右前打を打って意地を見せた。9月に打率.380、15打点でリーグ2位、出塁率.473、長打率.608はリーグトップの成績を記録し、5本の先制打、1本の勝ち越し打を打ってチームの3年ぶりのリーグ制覇の大きな原動力となり、3年ぶり2度目の月間MVPを獲得。最終的にシーズン成績は打率は4年連続で3割を超える.304(リーグ3位)を記録、出塁率は.404で2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得という成績を残し、守備ではゴールデングラブ賞を4年連続で獲得し、2年連続でリーグ外野手部門の1位の得票で2年連続3度目のベストナインを受賞した。ポストシーズンに入っても好調を維持し、クライマックスシリーズファイナルステージ(札幌ドーム)では初戦と第2戦に2試合連続本塁打を打ちチームの日本シリーズ進出に貢献。初のクライマックス・シリーズMVPを受賞した。11月17日、18日に行われた「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出され、背番号は1を背負った。第2戦では自身初めての侍JAPANの4番打者に抜擢され4打数2安打を打った。契約交渉では1000万円増の推定年俸2億円の提示を受け、これに保留。球団はこのような評価となった理由を「糸井の成績は上がっているわけではない」とした。2度目の交渉からは代理人を伴ったものの交渉は難航した。 2013年1月23日、木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾との交換トレードで、八木智哉と共にオリックス・バファローズへ移籍することが発表された。球界に激震が走った大型トレードに、チームメイトの武田勝は「痛手であることは間違いない。僕らも気持ちの整理をつけてキャンプに臨みたい」と語り、日本ハム時代に一緒にトレーニングをする仲だったという元同僚で当時テキサス・レンジャースのダルビッシュ有も「糸井さんトレードとか、ありえん」と自身のTwitterにツイート。日本ハムの栗山英樹監督も「これほど悲しいことはない」と話していた。翌26日にほっともっとフィールド神戸で記者会見した糸井は、「関西出身なので、小さいころからよくテレビで見ていた。優勝目指して頑張りたい」とオリックスでの目標を話した。なお背番号は日本ハム時代と同じ7となった。2月20日に第3回WBC日本代表に選出された。背番号は年上の松井稼頭央が7を背負うため9となる。山本浩二侍ジャパン監督から大会前からキーマンに指名されると、3月2日の1次ラウンドA組開幕戦(対ブラジル、5-3、ヤフオクドーム)では4番打者(右翼手)に起用され、4回にライトへの適時打を打ちチームの勝利に早くも貢献する。3月3日の中国戦(5-2、ヤフオクドーム)では5回の満塁のチャンスでフェンス直撃の中越え3点二塁打を打ち、10日の第2ラウンド・オランダ戦(東京ドーム)では4回に右越え3点本塁打を打つなど日本代表のベスト4入りに貢献する活躍を見せた。大会では全7試合に4番、5番などで出場し、打率.286、1本塁打、7打点、2盗塁、OPS1.024の好記録を残した。 シーズンでは安定した調子を維持し、5年連続での打率3割、ゴールデングラブ賞受賞を達成したほか、すべて自己最多の157安打、17本塁打、33盗塁(リーグ3位)を記録。オールスターゲームにはファン投票で唯一の40万票超えとなる約43万票で自身初の両リーグ最多得票となり5年連続で出場。オフの契約更改では自己最高の推定年俸2億5000万円プラス出来高で契約を更改し、その会見の際に「今は将来のことは考えていない。(メジャーへの思いは)でっかい大胸筋の奥に秘めておきます。」と冗談混じりにメジャーリーグ挑戦の思いを一時的に封印すると述べた。 2014年は開幕から好調で、5月10日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)ではディクソンと武田勝の両先発が好投を続け、投手戦となり両者無得点の6回の好機に均衡を破る5号先制3点本塁打を打つ。続く7回にも自身初の2打席連続本塁打となる6号ソロ本塁打を打ちチームの勝利を決定づけた。6月8日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)ではプロ初の4番打者を務め、8号決勝2点本塁打を打った。この試合以降4番として出場し、8月14日からは再び3番に戻ったが、多くの試合で4番として出場した。シーズン終盤まで1位であった盗塁は、過去にパ・リーグでシーズン50試合以上で4番打者を務め盗塁王を獲得した選手はいないため、パ・リーグ史上初の「4番で盗塁王」なるかと注目された。7月18日、19日に行われたMAZDAオールスターゲーム2014には、前年を上回る48万7246票で2年連続でファン投票両リーグ最多得票を集め、選手間投票でも両リーグ最多得票で選出され、6年連続での出場を果たした。最終的に自己最高の打率.331で初の首位打者、同じく出塁率.424で2年ぶり3度目の最高出塁率のタイトルを獲得。2年ぶり4度目のベストナインと、6年連続のゴールデングラブ賞にも選出され、史上初の「6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞」という快挙を達成した。シーズン終了後の日米野球2014には、日本代表の3番打者として出場した。契約更改では1億円増の推定年俸3億5000万円プラス出来高払いでサインしている。 2015年、オリックスの主将に就任。一軍公式戦では、5月20日に通算1000安打、7月30日に通算100本塁打、9月2日に通算1000試合出場と節目の記録を次々と達成。その一方で、シーズン序盤から満身創痍の状態で出場を続けた結果、7月2日に右肘靱帯や右足首腱の損傷で戦線を離脱した。そのまま前半戦を終えたが、外野手部門のファン投票で3位に選ばれたオールスターゲームには、指名打者として出場した。後半戦から復帰し、7月30日の北海道日本ハムファイターズ戦(わかさスタジアム京都)では、プロ入り後初めての地元・京都での公式戦に出場し凱旋を果たす。その試合では1回裏に8号先制2点本塁打を打つと、5回裏には勝利を決定づける9号3点本塁打を打ち、この本塁打で一軍公式戦通算100号本塁打を達成した。同時に1試合における自己最多打点も記録。試合後のヒーローインタビューでは、「思いが詰まった球場で(通算100本塁打を)達成できて嬉しい。光栄です」と述べた。ここから調子を上げ、8月は打率.293、6本塁打、18打点、出塁率.409、さらに9・10月は打率.330、出塁率.434、12打点と復調したが打率は3割を切り、2008年から続いた前年までの連続3割達成は途切れてしまった。シーズン終了後には、推定年俸2億8000万円(7000万円減)で契約を更改。さらに、PRP療法(自身から採取した血小板で左膝組織の修復や再生を図る自己多血小板血漿療法)を受けることで、左膝の回復を図った。 2016年は開幕戦から10試合連続安打を記録。4月13日の北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム大阪)では、5回裏の打席で自身およびチームのシーズン初本塁打を打ち、前日にチームが至った2リーグ制導入後のワーストの開幕13試合連続本塁打無しという記録も止まった。翌日の同カードでは、2試合連続本塁打(ソロ本塁打)でチーム唯一の得点を挙げ、チームにシーズン初の連勝をもたらした。オールスターゲームにも、前年に続いてパ・リーグ外野手部門のファン投票で3位に入り、8年連続で出場した。8年連続の出場は、この年の出場選手で最も長い。8月13日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)第1打席で、一軍公式戦4000打数(NPBにおける通算打率の規定打数)に到達。9月15日の北海道日本ハムファイターズ戦で1回表にルイス・メンドーサから初球で13号先頭打者本塁打を打ったことを皮切りに、公式戦では自身初の3打数連続本塁打を記録。「同一選手による1回表の先頭打者初球本塁打を含む1試合3本塁打」というNPB史上初の快挙も達成した。さらに、次のカードの9月17日・18日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 ヤフオク!ドーム)でも本塁打を打ち、自身初の3試合連続本塁打を記録。走塁面では、5月8日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、一軍公式戦通算200盗塁を記録。35歳の誕生日を迎えた7月31日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)でシーズン自己最多の34盗塁を記録すると、8月下旬からは1番打者に起用された。9月6日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の7回表に二盗を成功させたことによって、シーズン50盗塁に到達。シーズン終盤には、猛烈な勢いで盗塁数を増やしてきた金子侑司(埼玉西武ライオンズ)との間で、熾烈な盗塁王争いを展開。最終的に53盗塁を記録し金子と分け合う形で自身初の盗塁王を獲得した。シーズン終了時35歳2か月での盗塁王獲得は当時の史上最年長記録であった(2021年に荻野貴司が36歳0か月で達成するまで)。また、「34歳で開幕を迎えたシーズンの盗塁王獲得」という日本プロ野球史上4人目の快挙を成し遂げた。シーズン終了後にはゴールデングラブ賞(いずれもパ・リーグ外野手部門)を受賞。ゴールデングラブ賞への選出は通算7度目で、セ・パ両リーグの現役選手としては最も多い。 3月28日に取得していた国内FA権を11月7日に行使することを表明。11月10日付で、NPBからフリーエージェント宣言選手として公示された。既にシーズン中から読売ジャイアンツや阪神タイガースなどの他球団が、糸井の獲得に興味を示していることを示唆する報道が相次いでおり、その一方で、オリックスも推定年俸総額18億円規模の4年契約を提示するなど慰留につとめていた。 2016年11月21日に、阪神タイガースが契約合意を正式発表。契約期間は4年で、年俸総額は推定18億円以上(推定)。背番号は前年まで西岡剛が使用した7を譲り受け、西岡は背番号5に変更となった。 2017年、金本知憲監督から早々に正中堅手の座を確約されていたが、1月の自主トレーニング中に右膝の関節炎が再発。春季キャンプでは一軍の「沖縄組」へ参加したものの、本隊と別のメニューによる調整で患部のリハビリを優先させた。3月15日のオリックス戦で復帰した。3月31日のシーズン開幕戦である対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に「3番中堅手」として移籍後公式戦初出場を果たし、四球を選んだあとの3回無死一・二塁の第2打席で左中間越えの2点適時二塁打を打った。4回一死二塁でもダメ押しの右翼線適時打、7回にも左前打を打ち、3安打猛打賞と活躍し、移籍初戦でヒーローインタビューを受けた。4月5日、対東京ヤクルトスワローズ戦で阪神移籍後初の本塁打を放つ。ちなみにこの本塁打は前日に乱闘騒ぎがあり、これにより監督の金本が鬼の形相をしていたことから「絶対に勝たないといけないと思ったのが理由で本塁打を放つようにした」と後に述べている。7月17日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)、5回裏で出場した打席で、チェンジアップを空振りした際に右の脇腹を痛め、途中交代した。翌日、右脇腹の筋挫傷であることが判明し、登録抹消を余儀なくされた。8月17日に一軍に復帰。8月30日の東京ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)では、10回裏二死で迎えた第4打席で、プロ入り後初となる値千金のサヨナラソロ本塁打を右翼席へ打った。そのままシーズン最終戦及びクライマックスシリーズまで全試合に出場。一軍復帰した8月17日時点の打率は.267だったが、9月16日まで打率.297まで上昇。自身8度目の3割へ射程圏内にいた。最終的に打率.290でシーズンを終え、初めて規定打席に到達した2009年以降、自身2度目となる3割を切る数字となったが、リーグ打撃10傑入りは果たした。また出塁率はリーグ7位の.381を記録。レギュラーに定着以降最少の114試合の出場ながら、自己2位の17本塁打、同5位の62打点やリーグ4位タイの21盗塁を記録した。12月14日、チーム大トリとなる契約更改を行い、1億2000万円増で自己最高の推定年俸4億円プラス出来高という内容で4年契約2年目となる翌年の契約を更改した。 2018年、開幕スタメンを勝ち取り3月30日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で「3番・右翼手」として出場した。5月25日の巨人戦(甲子園)で、プロ通算150本塁打を菅野智之から打った。またその3連戦の最終戦となる27日からは、4番打者として期待されたウィリン・ロサリオの不振を背景に阪神移籍後初の「4番・右翼手」として先発し、6月2日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)では、野田昇吾から逆転満塁弾を打つなど阪神タイガース打線を引っ張り、オールスターゲームの選手間投票で選出されるも、6月30日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)の8回、ヤクルトの風張蓮から死球が原因で、右足腓骨を骨折した。それでもオールスターに出場し、7月21日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で戦線復帰し、9月21日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で野村祐輔からプロ通算1500安打を記録したが、8回裏一死二塁で打席に入った代打新井貴浩の打球を、ダイビングキャッチを試みた際に左肩腱板部分を損傷し、29日に登録を抹消され、シーズンを終えた。そのため119試合の出場に留まるも、打率は2年ぶり自身8度目の3割を超え、出塁率は.420(キャリア2位)、OPSは.900(同3位)を記録した。阪神の選手がOPS.900以上を記録したのは、2010年のブラゼル以来である。 2019年、3月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦(京セラドーム大阪)で「3番・右翼手」として開幕スタメン入りを果たしたが、8月9日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)で二盗を試みて滑り込んだ際に左足を負傷。「左足首の関節炎」と診断され、翌8月10日に登録を抹消された。そのため103試合の出場に留まり、本塁打、打点共に規定打席到達以降ではワーストとなったが、打率は.314(リーグ3位)、出塁率は.403(同2位)を記録した。 2020年は古傷の右膝に悩まされ打撃不振に陥っていたが、9月の月間打率は.352、10月は.290と徐々に復調した。移籍後最少の86試合の出場に終わり、オフには2億1500万円減となる推定年俸1億8500万円でサインした。 2021年、3月26日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で開幕スタメンを逃した。これにより2008年から3球団にまたがり続いていた開幕スタメン連続記録は13年でストップした。9月11日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で約1年半ぶりとなる盗塁を記録し、通算300盗塁を達成した。ただし、勝負強さは目立ったものの、主に代打としての起用であり、シーズン通算では77試合の出場、打率.208、3本塁打、18打点にとどまる。オフに、1億円減となる推定年俸8500万円+出来高払いで契約を更改した。 2022年、オープン戦で結果を残し、6番レフトで2年ぶりの開幕スタメンで出場した3月25日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でチーム初本塁打を放つ。5月13日、前日にぎっくり腰になっていたことを明かす。その後、一軍復帰するも、8月に新型コロナウイルスに感染し、登録を抹消された。9月12日、現役引退を発表した。9月15日、YouTubeのチャンネルを開設したことを発表。9月21日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)が引退試合となり、自身は5回裏に代打で登場。森下暢仁から最終打席で安打を放ち、有終の美を飾った。 2023年からは毎日放送・北海道テレビの野球解説者、デイリースポーツの野球評論家を務める。 プロ入り後に投手から野手へのコンバートに成功した選手として知られ、日本を代表する5ツールプレイヤーであり、2009年から2014年にかけて史上初の「6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞受賞」を達成している。 しかし、2015年は膝の故障によりその全てが途絶え(本塁打は17本を記録)、レギュラー定着後最低のシーズンとなったが、オフに左膝の改善を図り、自身から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図るPRP注射と呼ばれる治療を受けた。すると翌2016年には再び打率.306と53盗塁(盗塁王を受賞)を記録し、ゴールデングラブ賞を受賞。また17本塁打・70打点(共にキャリア2位)を記録。復活を果たし、年を重ねるごとに進化している。 2022年に引退するまでに放ったシーズン本塁打は最大でも19本だったが、コーチをしていた藤井彰人は「40歳だけど30発は打てる」と太鼓判を押した打力を持っていた。 死球が非常に多い上に8打席に1つ近い割合で四球を選ぶ優れた選球眼を持ち、カウントに応じて打球方向を変える器用さも併せ持つ。 芯でボールを捉えた時に日本人離れした打球のスピードと飛距離を見せるパワーを持ち、広い札幌ドームでも左方向へ本塁打を打つことができる技術を持つ。打者転向当初の2008年から2010年までは左投手に対して打率.278と苦手にしていたが、2011年からは対左通算打率.304と克服した。 打率と出塁率では、前述のように2016年シーズン中にNPBの通算成績規定を満たした。通算打率.2965は史上32位(2022年終了時点)。 一塁到達まで基本的に4秒を切り、バントヒットで一塁到達3.54秒を計測したこともある脚力を生かした広い守備範囲と、遠投120メートルの強肩と制球力を持つ。投手として最速151km/hを記録した。大学時代に50m走5秒76を記録した。 中堅守備では後方の打球に強く、2010年にはUZR0.9を記録。2012年には、右翼守備でUZR25.9を記録。一方で自ら「内野手みたい」と語るなどのポカも多く、2010年から3年連続で外野手リーグ最多失策を記録。2013年には失策数を1に留め、外野手としてリーグ4位の守備率.995を記録したが、UZRは右翼守備でマイナスを記録した(-10.2)。 牽制でベースに戻ることひとつ取っても、研ぎ澄まされたセンスと能力を持ち併せており、盗塁の失敗率が低い。また、スタートを判断する嗅覚も優れている。2015年は膝の故障の影響で11盗塁と数字が減少したが、この年のオフに上述のPRP注射を受けたことに加えて膝に負担のかからない走り方をマスターしたことで、2016年9月6日に50盗塁に到達。NPBで35歳以上の選手が50盗塁以上を記録した前例は、1983年に福本豊が35歳11か月で54盗塁したのみで、糸井は33年ぶり史上2人目の快挙を成し遂げた。福本、大石大二郎の34歳11か月を上回る35歳2か月での受賞で、史上最年長盗塁王となった。その背景には、その年に就任したヘッドコーチの西村徳文と打撃コーチの高橋慶彦から「もっと走れる」と言われ上限を定めずに走るようになった影響がある。 愛称は「超人」、「ヨッピ」など。非常に天然でプロ4年目のヒーローインタビューで、インタビュアーに、「うちゅうかん(右中間)ってなんですか?」と聞いてしまうほど。ただ、高校時代の監督である市田匡史は後述の主将在任時の低迷を例に「天然ボケな行動をしますけど、ああ見えて繊細やからね」と評していた。 父はトライアスロンの元選手で、母はバレーボールの元国体選手。母方の祖父は京都府立峰山高等学校の高校体育教師で、教え子に野村克也がいる。 高校時代のある時、通っていたスポーツジムから帰る際に電車の中で寝過ごして自宅から電車で2時間かかる京都駅まで乗り越してしまい、結局母親に迎えに来てもらい翌日の練習を休まざるを得なくなった。当時宮津高校で監督を務めていた市田匡史はこれを高校時代の糸井に関する一番の笑い話としている。 オリックス移籍後の2015年には、当時の森脇浩司一軍監督からの任命を受けて、野球人生で自身初の主将に就任した。しかし、チームは優勝候補と目されながら、森脇がシーズン途中で休養(後に監督を辞任)するなど低迷。糸井自身も、「(前年の好成績から)長打を増やすことを意識し過ぎたことに加えて、主将の肩書がプレッシャーになった」と述懐するなど、開幕から極度の打撃不振に見舞われた。2016年には、前年途中から一軍監督代行を務めていた福良淳一新監督の方針で主将を置いていないが、糸井は「(2015年限りで)主将をクビになった」と受け止めていた。 日本ハム時代から打席に入る際の登場曲としてSMAPの『SHAKE』を使用。オリックス時代には、本拠地の京セラドーム大阪やほっともっとフィールド神戸では、「二人ならヤレルヤ~♪」というサビの部分の歌詞を「糸井ならヤレルヤ~♪」に変えたうえで、同球団のファンがサビを合唱することが恒例になっていた。そのSMAPは2016年末で解散し、同時期に糸井自身も阪神への移籍と共に転機を迎えたが、糸井は移籍後も「SHAKE」を登場曲に使い続けている。「糸井ならヤレルヤ~♪」のコールも阪神ファンに受け継がれている。 2021年に行われた北海道日本ハムファイターズによるファン投票の結果、「FIGHTERS LEGENDS BEST NINE」の一人に選ばれた。 オリックスから阪神への移籍については、移籍が決定した際に、「毎日悩みに悩んできた。」「今までどんなときも温かく声援くださったオリックスファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱい。その想いも踏まえた上でやはり今回の決断に至った中には、野球人として成長するために自分の中で変化というものが必要ではないかと考え、自分を奮い立たせて新しい環境でチャレンジすることにより更に成長出来るのではないかという強い思いと、そして何より金本監督の熱意に心を打たれたことがあった」と述べている。移籍が正式に発表される直前(2016年11月23日)には、退団が決定していたにもかかわらず、オリックスのファン感謝イベントに出席。大声援で迎えられ、「(自分の名前の入った)旗を振っていてくれたり、タオルを掲げてくれていたので何か出来ることあるかな思っていた」と自身のバットに「ありがとう」と記してファンに手渡しし、最後はハイタッチして回るなど4年間を過ごした「どんなときも応援してもらえてありがたい。最後にみんなに会えてよかった」というファンに感謝の気持ちを示した。同年11月25日に開かれた阪神への入団会見には、およそ200人もの報道陣が集結。糸井は、12台のテレビカメラを前に、阪神タイガースのイメージを「記者が多いなと。熱狂的なファンとマスコミのイメージが大半ですね」と表現した。また、「チームがトップに立つために、金本監督を胴上げするために一つでもチームに貢献したいなと思います」と語っている。さらに、翌26日にゲストで出演した関西ローカルの情報番組『せやねん!』(毎日放送)では、2017年の公約として「お立ち台(公式戦でのヒーローインタビュー)7回」を挙げた。 2017年から阪神タイガースで2年間チームメイトになった西岡剛とは、自身と同じパ・リーグの球団出身である縁で、阪神タイガースへの移籍前から親交がある。糸井の阪神タイガース移籍に際しては、西岡が同球団で2016年まで付けていた背番号7を糸井に譲渡する意向を示したうえで、背番号を5に変更した。西岡も千葉ロッテマリーンズに入団した2003年から延べ12年間にわたって背番号7を着用していたが、糸井が阪神でも7番の着用を希望していることを知ったため、「糸井さんは自分より実績がある」という理由で背番号を譲ることを決意。糸井の移籍交渉中には、糸井本人に連絡したうえで、「背番号を7番にするなら、気分よく(阪神に)来て下さい」とのメッセージを伝えたという。 オリックス在籍時に、元々の視力が1.2あるにもかかわらずレーシック手術を受けた。そのおかげでドーム上段のスポンサーの看板の文字がよく見えるようになったという。視力は2.0に落ち着いている。 ベンチプレスで150kgを記録するなど怪力の選手で知られていたが、プロ入り当初から筋肉質であったわけではなく、大学時代は寧ろ細身であった。野手に転向した際にバットが重く感じたのがウエイトトレーニングに没頭した理由である。ウエイトトレーニング開始1か月で元のスーツが合わなくなるほど筋肉の増量に成功し、これに気を良くしてウエイトトレーニングに没頭。本人曰く「野球とはかけ離れた(ウエイトトレーニングを行っていた)時期もあります」「(自分のようなウエイトトレーニングは)おススメはしません」とのこと。 各年度の太字はリーグ最高
太字年は規定打席到達年 -は10位未満(打率、出塁率、長打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)
太字年はゴールデングラブ賞受賞年 首位打者:1回(2014年) 盗塁王:1回(2016年) 最高出塁率:3回(2011年、2012年、2014年) ベストナイン:5回(外野手部門:2009年、2011年、2012年、2014年、2016年) ゴールデングラブ賞:7回(外野手部門:2009年 - 2014年、2016年) 月間MVP:3回(野手部門:2009年6月、2012年9月、2019年6月) クライマックス・シリーズMVP:1回(2012年) オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2013年第1戦) 初出場・初先発出場:2007年3月27日、対オリックス・バファローズ1回戦(京セラドーム大阪)、8番・左翼手で先発出場 初打席:同上、3回表にトム・デイビーから遊飛 初安打:2007年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(千葉マリンスタジアム)、5回表に高木晃次から右前安打 初盗塁:同上、5回表に二盗(投手:高木晃次、捕手:里崎智也) 初打点:2008年3月25日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(札幌ドーム)、1回裏に西口文也から遊撃適時内野安打 初本塁打:2008年6月27日、対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)、3回表にラモン・オルティズから中越ソロ 1000安打:2015年5月20日、対福岡ソフトバンクホークス11回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、1回表に中田賢一から左前安打 ※史上279人目 100本塁打:2015年7月30日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(わかさスタジアム京都)、5回裏に屋宜照悟から左越3ラン ※史上275人目 1000試合出場:2015年9月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス21回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、3番・右翼手で先発出場 ※史上473人目 200盗塁:2016年5月8日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に本盗(投手:大嶺祐太、捕手:田村龍弘) ※史上73人目、一塁走者・T-岡田と重盗 250盗塁:2017年5月28日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(阪神甲子園球場)、1回表に二盗(投手:今永昇太、捕手:戸柱恭孝) ※史上45人目 150本塁打:2018年5月25日、対読売ジャイアンツ10回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に菅野智之から右越ソロ ※史上167人目 1500安打:2018年9月21日、対広島東洋カープ22回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に野村祐輔から右前安打 ※史上124人目 300二塁打:2019年4月28日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、1回表に柳裕也から中越二塁打 ※史上71人目 100死球:2019年6月2日、対広島東洋カープ12回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にアドゥワ誠から ※史上21人目 1500試合出場:2019年8月7日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(明治神宮野球場)、3番・右翼手で先発出場 ※史上195人目 1000三振:2021年6月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(楽天生命パーク宮城)、9回表に松井裕樹から空振り三振 ※史上72人目 300盗塁:2021年9月11日、対広島東洋カープ18回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表に二盗(投手:ケムナ誠、捕手:會澤翼) ※史上31人目 35歳以上の選手のシーズン50盗塁:2016年(35歳、53盗塁)※史上2人目 35歳での盗塁王:2016年 ※当時最年長、2021年に荻野貴司が更新 37歳以上の選手のシーズン20盗塁:2018年(37歳、22盗塁)※史上6人目、セ・リーグ史上3人目、1986年の福本豊(39歳、23盗塁)以来32年ぶり 37歳以上で20盗塁を記録した選手の盗塁成功率:2018年(37歳、.880)※史上最高 6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞:2009年 - 2014年 ※史上単独1位 6年連続打率3割・20盗塁:2009年 - 2014年 ※史上1位タイ(松井稼頭央と並ぶ) 6年連続打率3割・ゴールデングラブ賞:2009年 - 2014年 ※史上2位(イチローの7年連続に次ぐ) 6年連続打率3割:2009年 - 2014年 ※史上8位タイ 出場:10回(2009年 - 2018年) ファン投票選出:6回(2012年 - 2017年) ファン投票両リーグ最多得票:2回(2013年、2014年) 選手間投票選出:8回(2010年 - 2014年、2016年- 2018年) 選手間投票両リーグ最多得票:1回(2014年) 監督推薦選出:1回(2009年) 1試合4二塁打:2010年6月15日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場) ※最多タイ記録・史上10人目(4打席連続は史上6人目) 全球団から本塁打:2013年5月11日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(京セラドーム大阪)、1回裏に谷元圭介から右越3ラン ※史上26人目 1回表の先頭打者初球本塁打を含む1試合3本塁打:2016年9月15日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム) ※史上初 同日開催の試合で2人の選手が1回表に先頭打者初球本塁打:2016年9月15日、糸井が対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)で、桑原将志(横浜DeNAベイスターズ)が対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)で記録 ※史上初 26(2004年 - 2010年) 7(2011年 - 2022年) 1(2012年侍ジャパンマッチ) 9(2013年WBC) 「Lotta Love」MINMI(2007年) 「Pure」EXILE(2008年) 「Closer」ニーヨ(2008年) 「JUST DANCE Feat. Coldy O'Donis」レディー・ガガ(2009年) 「Livin' on a Prayer」ボン・ジョヴィ(2010年) 「On the Floor」ジェニファー・ロペス feat. ピットブル(2012年) 「PAPI」ジェニファー・ロペス(2012年) 「SHAKE」SMAP(2013年 - 2022年) 「レット・イット・ゴー~ありのままで~」松たか子(2014年)※期間限定で使用 「ダイナマイト」SMAP(2015年)※期間限定で使用 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 ^ イチローの4年連続がそれまでの最長記録 ^ 5000打席以上の選手が対象。1位王貞治.446、2位落合博満.422、3位松井秀喜.413、4位青木宣親.401、5位張本勲.399、6位アレックス・カブレラ.398に次ぐ。2019年終了時点。 ^ 規定打席以上の打率3割が対象。1位張本勲16回、2位王貞治13回、3位川上哲治・若松勉12回、5位長嶋茂雄・落合博満・前田智徳11回、8位小笠原道大10回に次ぎ、門田博光・大下弘・加藤英司・山内一弘らに並ぶ。 ^ この試合が終了した時点で、通算打率がNPB歴代23位の.300(4003打数1202安打)になった。 ^ NPBの一軍公式戦で35歳以上の選手がシーズン50盗塁を達成した事例は、通算盗塁数のNPB記録を保持している福本豊が1983年に35歳で達成して以来、33年ぶり史上2人目である。 ^ 1978年の柴田勲、1982年の福本豊、1993年の大石大二郎に次ぐ史上4人目。 ^ 「年度別打撃成績【糸井嘉男(阪神タイガース)】」日本野球機構。2021年11月29日閲覧。 ^ 「【阪神】糸井、新天地デビューへ故郷・京都与謝野町で大応援団結成」スポーツ報知、2017年3月31日。2017年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月12日閲覧。 ^ 「糸井嘉男Special Ambassadorについて」『阪神タイガースオフィシャルサイト』2023年1月20日。2023年1月20日閲覧。 ^ 「阪神糸井「超人宣言」36歳でキャリアハイ目指す」日刊スポーツ、2016年11月26日。2021年4月3日閲覧。 ^ 「糸井偉業挑む!セでも盗塁王 来季も達成なら55年ぶり」スポニチアネックス、2016年11月29日。2016年11月29日閲覧。 ^ 「糸井SMAP存続に「ヨッピハッピシェイクやね」」日刊スポーツ、2016年1月28日。2017年1月3日閲覧。 ^ 「投手から野手転向 開花した糸井、雄平の才能に続くのは誰」Full-Count、2014年10月8日。2019年11月19日閲覧。 ^ 「打者転向からトリプルスリーを狙える存在へ 糸井嘉男にかかる"史上9人目"への期待」Full-Count、2014年9月21日。2019年11月19日閲覧。 ^ 「阪神四藤社長「走攻守すべて」5ツール糸井を大絶賛」日刊スポーツ、2016年11月26日。2020年11月25日閲覧。 ^ 「継続することの難しさ…内川と糸井の連続記録に黄信号」『BASEBALL KING』2015年8月14日。2024年5月19日閲覧。 ^ 「〝元祖超人〟糸井の父「幸せな親父でした」 息子の引退報告「心にポカッと穴があいた感じ」」『デイリースポーツ』2022年9月22日。2022年9月23日閲覧。 ^ 「引退の糸井 小3の夏に見た「背番号7」に心が震えた 涙が止まらなかったトレード通告」『デイリースポーツ』2022年9月22日。2022年9月22日閲覧。 ^ 「糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」」『高校野球ドットコム』2016年2月4日。2024年5月19日閲覧。 ^ 「電撃移籍のWBCキーマン糸井嘉男の超人伝説「俺はケガにも気づかない(笑)」2/2」現代ビジネス、2013年2月8日。2021年9月11日閲覧。 ^ 「電撃移籍のWBCキーマン糸井嘉男の超人伝説「俺はケガにも気づかない(笑)」1/2」現代ビジネス、2013年2月8日。2021年9月11日閲覧。 ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球2003秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社 ^ 「糸井、涙の引退 超人は最後まで超人打 「甲子園、ありがとう」19年の現役生活に幕」デイリースポーツ online、2022年9月22日。2022年10月26日閲覧。 ^ 「阪神SA糸井嘉男氏に投手失格を宣告したGM「使えないよ、はははは」」スポーツニッポン、2023年2月6日。2023年2月7日閲覧。 ^ 「【日本ハム】新庄ビッグボス“同期”糸井嘉男に野手転向を助言していた「人間性も素晴らしい子」」日刊スポーツ、2022年9月13日。2022年9月13日閲覧。 ^ 「【野球】“投手では使えない”で「覚悟」糸井がつかんだ史上31人目の勲章」デイリースポーツ online、2021年9月12日。2022年7月27日閲覧。 ^ 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2009オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2009年、70頁。ISBN 978-4-89453-523-7。 ^ 2009年6月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手(パシフィック・リーグ) 日本野球機構 2020年7月20日閲覧 ^ 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2009オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2009年、35頁。ISBN 978-4-89453-523-7。 ^ 2009年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン) 日本野球機構 ^ 投票結果(三井ゴールデングラブ賞)|2009年度 表彰選手 日本野球機構 ^ 「ハム糸井、査定に四苦八苦も233%増」日刊スポーツ、2009年11月27日。2021年9月11日閲覧。 ^ 『北海道日本ハムファイターズ 2010オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2010年、42頁。ISBN 978-4-89453-577-0。 ^ 投票結果(三井ゴールデングラブ賞)|2010年度 表彰選手 日本野球機構 ^ 「糸井は1億円で更改!初の大台突破に「険しい道のり」」スポーツニッポン、2010年11月25日。2021年9月11日閲覧。 ^ プロの(T . T)坪井智哉オフィシャルブログ「TSUBOCHIKA SPIRITS」、2013年1月24日。 ^ 『北海道日本ハムファイターズ 2011オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2011年、42頁。ISBN 978-4-89453-628-9。 ^ 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2012オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2012年、64頁。ISBN 978-4-89453-672-2。 ^ 2011年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン) 日本野球機構 2019年1月10日閲覧。 ^ 「ハム糸井3年連続3割評価で9000万増」スポーツニッポン、2011年12月14日。2021年9月11日閲覧。 ^ 悲願達成!? 糸井が阪神で“奪い返した”モノとは サンケイスポーツ 2017年3月19日 ^ ファン投票結果|マツダオールスターゲーム2012 日本野球機構 ^ 糸井「アドレナリン満開」 不調脱して2本塁打 スポーツニッポン 2012年8月3日 ^ 2012年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ) 日本野球機構 2017年1月21日閲覧 ^ 2012年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン) 日本野球機構 2019年1月10日閲覧。 ^ ファイターズが3年ぶり4度目のCS制覇!MVPは糸井選手 北海道日本ハムファイターズ (2012年11月6日) 2016年9月8日閲覧 ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー 日本野球機構 (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧 ^ 侍ジャパンマッチ 試合結果(第2戦) 日本野球機構 ^ ハム糸井沈黙は金ならず…2億円保留 日刊スポーツ、2012年12月7日。 ^ ハム糸井越年「納得するまでやる」 日刊スポーツ、2012年12月22日。 ^ 「【日本ハム】糸井、八木がオリへ電撃移籍」『日刊スポーツ新聞社』日刊スポーツ、2013年1月23日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 「オリックス・バファローズとトレードが成立」北海道日本ハムファイターズ、2013年1月23日。2022年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 「日本ハムとオリックスのトレード史 糸井だけじゃなかった大型トレード」『【SPAIA】スパイア』2021年9月19日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 「エースや4番、3冠王まで… 球界を騒がせた大型トレードの歴史」Full-Count、2020年5月8日、2頁。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 日本ハムナイン動揺 糸井トレードに武田勝絶句「痛手 間違いない」 スポーツニッポン ^ 「ダル 糸井の電撃移籍に衝撃「糸井さんトレードとか、ありえん」」スポーツニッポン、2013年1月23日。2022年4月29日閲覧。 ^ 「「これほど悲しいことはない」/栗山監督」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2013年1月24日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 「移籍の糸井「優勝目指し頑張る」 オリックスが入団会見」『日本経済新聞 (nikkei.com)』日本経済新聞社、2013年1月26日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 「【オリックス】糸井「7」八木は「27」」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2013年1月26日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧 ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構 (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧 ^ 日本代表個人成績 日本野球機構 2016年9月8日閲覧 ^ 「オリックス・糸井、2億5000万円で更改 5000万円増」『日本経済新聞 (nikkei.com)』日本経済新聞社、2013年12月13日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。 ^ 「ファン投票結果 マツダオールスターゲーム2013」日本野球機構。2021年9月11日閲覧。 ^ 「オリックス糸井、大リーグ挑戦は「大胸筋の奥に秘めておく」5千万円増の年俸2億5千万円」産経新聞、2013年12月13日。2016年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月11日閲覧。 ^ 「オリックス・糸井、会心の2発!初の連発で日本ハム戦連敗止めた」サンケイスポーツ、2014年5月11日。2022年1月29日閲覧。 ^ オリ糸井、つなぐ意識で8号2ラン 日刊スポーツ 2014年6月8日 ^ 糸井嘉男 パ・リーグ初の4番で盗塁王なるか!? BASEBALL KING 2014年8月19日 ^ マツダオールスターゲーム2014 ファン投票結果 日本野球機構 2015年12月18日閲覧 ^ マツダオールスターゲーム2014 選手間投票結果 日本野球機構 ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧 ^ オリックス・糸井、3億5000万円で更改 パ首位打者 日本経済新聞 (2014年12月15日) 2016年9月8日閲覧 ^ 「オリ糸井3・5億円 来季の主将に任命」日刊スポーツ、2014年12月15日。2021年9月11日閲覧。 ^ 「オリ・糸井が1000安打達成「うれしいです」」SANSPO.COM、2015年5月20日。2015年12月18日閲覧。 ^ 「オリックス糸井、通算1000試合出場を達成」日刊スポーツ、2015年9月2日。2016年2月25日閲覧。 ^ 「糸井、右肘靱帯と右足首腱損傷 復帰まで3~4週間」日刊スポーツ、2015年7月5日。2016年4月17日閲覧。 ^ 「糸井 故郷で2発!プロ入り通算100本塁打到達」Sponichi Annex、2015年7月30日。2016年2月25日閲覧。 ^ 「オリ糸井「やりました!」 地元京都で2発“故郷に錦”100号」スポーツニッポン、2015年7月31日。2021年9月11日閲覧。 ^ 「鳥谷氏が糸井氏に突っ込む「キャプテンになったことが事件」一塁も「センスなさそう」」『デイリースポーツ online』株式会社デイリースポーツ、2022年12月3日。2022年12月7日閲覧。 ^ 「オリックス・糸井が2億8000万円で更改「僕もトリプルスリーを目指したい」」SANSPO.COM、2015年12月17日。2016年2月25日閲覧。 ^ 「オリックス糸井「最高にいい状態」 自主トレ公開」『日本経済新聞』2016年1月27日。2024年5月19日閲覧。 ^ 連続3割はストップも…首位打者争い常連の2人に復活の兆し BASEBALL KING (2016年6月1日) 2016年9月19日閲覧 ^ オリックス小田サヨナラ打、糸井はチーム初本塁打 日刊スポーツ (2016年4月14日) 2016年4月17日閲覧 ^ 糸井二試合連続本塁でオリックス連勝 ^ オリックス・糸井、球宴では盗塁決める デイリースポーツ online (2016年6月28日) 2016年6月29日閲覧 ^ オリックス糸井が4000打数到達、プロ通算打率3割の領域に。史上最年長タイ盗塁王も射程圏内ベースボールチャンネル(2016年8月14日)同日閲覧 ^ 日本ハム連敗 糸井に3発被弾、金子に6回1死まで無安打、大谷は3三振 ^ 糸井 初回表の先頭打者初球本塁打を含む3発は史上初スポーツニッポン(2016年9月14日)同月19日閲覧 ^ 「【オリックス】糸井が手がつけられない!3試合で13打数9安打、4本塁打5打点」スポーツ報知、2016年9月17日。2016年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月27日閲覧。 ^ 3戦連発に酔う糸井=プロ野球・オリックス ^ オリックス・糸井が通算200盗塁達成 本盗で201個目 Sponichi Annex (2016年5月8日) 2016年5月22日閲覧 ^ 35歳オリ糸井 自己最多34盗塁 盗塁王なら最年長 スポーツニッポン (2016年8月1日) 2016年6月29日閲覧 ^ オリ糸井・50盗塁の大台到達「もう一切走りません」サンケイスポーツ(2016年9月6日)同月19日閲覧 ^ オリックス糸井 両リーグトップ50盗塁 日刊スポーツ (2016年9月6日) 同月19日閲覧 ^ 「【オリックス】糸井、35歳以上で2人目のシーズン50盗塁!福良監督「元気ですね」」スポーツ報知、2016年9月6日。2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。 ^ 「【ロッテ】36歳荻野貴司が最年長盗塁王 シーズン24盗塁 最多安打との2冠に輝く」中日スポーツ・東京中日スポーツ、2021年10月30日。2022年1月29日閲覧。 ^ 「【オリックス】FAの糸井、両リーグ最多7度目「三井ゴールデングラブ賞」受賞」スポーツ報知、2016年11月8日。2016年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月29日閲覧。 ^ 「オリックス糸井が国内FA権取得」日刊スポーツ、2016年3月28日。2022年1月29日閲覧。 ^ 「糸井がFA宣言「自分が成長できると思うところで」」日刊スポーツ、2016年11月7日。2022年1月29日閲覧。 ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手 日本野球機構 ^ FA市場の目玉は外野手、外野手の層が薄い球団は? ^ 糸井嘉男や陽岱鋼らはどこへ!?今オフはFA市場が活発化 ^ 「今オフFAの目玉は糸井と陽岱鋼 阪神、巨人らで争奪戦」NEWSポストセブン、2016年11月2日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「糸井嘉男、衰え知らずの35歳はどこへ行く 巨人?阪神!?それとも… (1/3) 〈dot.〉」AERA dot.、2016年9月17日。2021年6月25日閲覧。 ^ 「オリックスオーナーが糸井引き留め厳命、大型契約へ 中島以上の条件も」スポーツニッポン、2016年9月17日。2022年1月29日閲覧。 ^ 「糸井、残留も選択肢「オリックスで優勝したい」 球団首脳が交渉で確認」サンケイスポーツ、2016年9月19日。2022年1月29日閲覧。 ^ 「オリックス・宮内オーナー FA権の糸井に残留懇願」デイリースポーツ、2016年10月14日。2022年1月29日閲覧。 ^ 「糸井嘉男選手との契約合意について」阪神タイガース公式サイト、2016年11月21日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「糸井の入団、阪神が発表=4年契約、18億円超-プロ野球」時事通信、2016年11月21日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「西岡、背番号7→5 糸井に男気譲渡「負けないようにやっていきたい」」デイリースポーツ、2016年11月23日。2021年8月5日閲覧。 ^ 阪神に不安材料…糸井が古傷右ヒザ違和感「関節炎」 日刊スポーツ 2017年1月25日 ^ 阪神糸井「無理ですね」リハビリ順調も中旬合流×」日刊スポーツ 2017年2月8日 ^ 阪神・糸井、いきなり虎初ヒット出たァ!金本監督「安心しきっとる」 イザ! ^ 「糸井、阪神初ヒットは2点タイムリーツーベース 開幕戦2打席目に貴重な一打」Full-Count、2017年3月31日。2022年4月29日閲覧。 ^ 「糸井が3安打3打点の満点虎デビュー「一戦一戦、死ぬ気で戦う」」東京スポーツ、2017年3月31日。2021年4月3日閲覧。 ^ 「糸井氏 鬼の金本監督&跳び蹴り矢野コーチVSバレンティン乱闘が衝撃「とんでもない球団来たな」」『デイリースポーツ online』株式会社デイリースポーツ、2022年11月19日。2022年11月19日閲覧。 ^ 阪神糸井が登録抹消 空振りで右脇腹筋挫傷 日刊スポーツ 2017年8月30日閲覧 ^ 「【阪神】猛チャージの糸井、あるぞ大逆転首位打者」スポーツ報知、2017年9月18日。2017年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月10日閲覧。 ^ 糸井がプロ初のサヨナラ本塁打 「甲子園で打てて最高の気分」 デイリースポーツ 2017年8月30日閲覧 ^ 「阪神・糸井、打率・297で8度目打率3割射程圏」サンケイスポーツ、2017年9月17日。2022年1月29日閲覧。 ^ 2017年度セントラル・リーグ リーダース【打率】 日本野球機構 ^ 2017年度セントラル・リーグ リーダース【出塁率】 日本野球機構 ^ 2017年度セントラル・リーグ リーダース【盗塁】 日本野球機構 ^ 阪神糸井1・2億増更改、今季「50点…いや2点」 日刊スポーツ ^ 「阪神・糸井嘉男は金本以来の強打者か 今季OPSは過去10年で球団内日本人トップ」『SPAIA』2018年11月10日。2021年6月24日閲覧。 ^ 「阪神・糸井 登録抹消へ…チーム唯一の打率3割男がまさかの離脱 矢野阪神にさらなる試練」スポーツニッポン、2019年8月10日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「阪神・糸井が出場選手登録を抹消」スポーツニッポン、2020年11月2日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「阪神・糸井、球団史上最大2・15億円ダウン「自分はレギュラーではない」2021年へ決意」サンケイスポーツ、2020年12月10日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「阪神・糸井 開幕スタメン連続記録「13年」でストップ 日本ハム、オリックスと3球団にまたがり記録」スポニチ Sponichi Annex、2021年3月26日。2021年11月29日閲覧。 ^ 「阪神・糸井が300盗塁達成 史上31人目」デイリースポーツ、2021年9月11日。2021年9月12日閲覧。 ^ 「阪神・糸井、キャンプは「フルメニューこなして勝負」 自主トレを公開」デイリースポーツ online、2022年1月28日。2022年1月28日閲覧。 ^ 「阪神・糸井 2年間で3億超ダウン 1億円減の8500万で更改「来年も勝負できる」」デイリースポーツ online、2021年12月10日。2021年12月10日閲覧。 ^ 「阪神の今季1号は40歳7カ月の糸井! 虎メダルも1号 中野、佐藤輝と開幕猛打賞」デイリースポーツ online、2022年3月25日。2022年3月25日閲覧。 ^ 「阪神・糸井 ぎっくり腰もう大丈夫 「“がっかり腰”にがっかり」も「ここまで回復」」デイリースポーツ online、2022年5月13日。2022年5月13日閲覧。 ^ 「引退表明の阪神・糸井がYouTubeで「糸井嘉男 超人チャンネル」開設」『デイリースポーツ』2022年9月15日。2022年9月15日閲覧。 ^ 「【阪神】糸井嘉男、引退試合で代打出場 三遊間を破る左前打に球場はこの日最大の大歓声」『日刊スポーツ』2022年9月21日。2022年11月8日閲覧。 ^ 「阪神・糸井、現役最終打席は左前打 聖地大歓声に涙「ホンマに感動した」 超人伝説通算1755安打で幕」『デイリースポーツ』2022年9月21日。2022年9月21日閲覧。 ^ 「井川氏×糸井氏対談1 評論家Wデビュー決定 鉄腕&超人目線で阪神追う」『デイリースポーツ online』2023年1月26日。2023年1月26日閲覧。 ^ 「投手から野手転向 開花した糸井、雄平の才能に続くのは誰」Full-Count、2014年10月8日。2019年11月19日閲覧。 ^ 「打者転向からトリプルスリーを狙える存在へ 糸井嘉男にかかる"史上9人目"への期待」Full-Count、2014年9月21日。2019年11月19日閲覧。 ^ 「30代で成績が向上した野手といえば…」BASEBALL KING、2016年10月17日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「阪神・糸井は「30発打てる」 1時間半密着指導の藤井康コーチ驚がく」デイリースポーツ online、2022年2月17日。2022年10月23日閲覧。 ^ 『週刊プロ野球データファイル』2011年31号、ベースボール・マガジン社、雑誌27743-11/16、5-6頁。 ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、152–153頁。ISBN 978-4-331-51519-8。 ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、90頁。ISBN 978-4-86191-595-6。 ^ 打率【通算記録】 日本野球機構 ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、264–265頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。 ^ 「今年も糸井伝説誕生の予感 「クリロナ目指す」発言の真意とは?」Full-Count、2015年2月17日。2018年11月7日閲覧。 ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、58頁。ISBN 978-4-86191-710-3。 ^ 「オリ糸井「やりました!」 地元京都で2発“故郷に錦”100号」スポニチ Sponichi Annex、2015年7月31日。2019年1月10日閲覧。 ^ 「WBC 日本代表 糸井 嘉男」日刊スポーツ。2021年8月5日閲覧。 ^ Baseball Lab守備評価~Center Fielder SMR Baseball Lab ^ DELTA OFFICIAL WEB SITE コラム 2013年1月24日 ^ ハム糸井ポカ厳禁!「1つだけにします」 日刊スポーツ、2011年12月22日。 ^ 2013年度 パシフィック・リーグ 個人守備成績(規定以上) 日本野球機構 2014年3月2日閲覧。 ^ 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、221頁。ISBN 978-4-905411-17-8。 ^ オリックス糸井、史上最年長盗塁王なるか。ハイペースで量産「スタートを判断する嗅覚がすごい」【どら増田のオリ熱コラム#78】 ベースボールチャンネル ^ オリックス糸井「おかげさまで最高にいい状態」 日刊スポーツ 2016年1月27日 ^ 歴代盗塁王と35歳の壁。オリックス・糸井嘉男の史上最年長盗塁王は実現するか!? デイリーニュースオンライン 2016年9月6日 ^ 第42回受賞・糸井嘉男選手|三井ゴールデングラブ賞特別インタビューズ ^ 「ありがとう野村克也さん 阪神・糸井「丹後の星」バトン引き継ぐ 「地元のスーパースターやし…ホンマに残念」」zakzak、2020年2月12日。2021年9月11日閲覧。 ^ オリ糸井3・5億円 来季の主将に任命 日刊スポーツ 2014年12月15日 ^ 最下位オリ糸井が吐露した「打撃不振の原因」と「主将の重圧」(2) 日刊ゲンダイDIGITAL 2015年5月2日 ^ オリックス糸井が勝ち越し二塁打 前主将、今季の浮上期す快音 朝日新聞DIGITAL 2016年4月3日 ^ 2012年選手登場曲 北海道日本ハムファイターズ 2016年10月15日閲覧。 ^ 「阪神糸井、登場曲はSMAPの「SHAKE」継続」『日刊スポーツ』2016年11月26日。2024年5月19日閲覧。 ^ 「北海道誕生後のファイターズ所属全選手対象「FIGHTERS LEGENDS BEST NINE」決定」『北海道日本ハムファイターズ』2021年10月3日。2021年11月29日閲覧。 ^ 「糸井、4年総額18億円で阪神入り決定!「金本監督を男にできるように」」サンケイスポーツ、2016年11月22日。2022年4月29日閲覧。 ^ 「阪神入り糸井、オリックスファンに感謝バットで別れ」日刊スポーツ、2016年11月23日。2022年4月29日閲覧。 ^ 「糸井嘉男選手入団会見」阪神タイガース公式サイト、2016年11月25日。2021年4月3日閲覧。 ^ 「阪神・糸井 来季公約は「お立ち台7回」 今季最多は福留の6回」スポーツニッポン、2016年11月27日。2021年4月3日閲覧。 ^ 2022年12月19日放送分の日本テレビ『有吉ゼミ』にて、糸井が自ら「視力が3.0有った方がボールが良く見えて、落ち着いた視力が2.0」と説明した為。 ^ ベンチプレスは脅威の150kg!糸井嘉男 超人ボディの作り方【筋肉バイブル】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 2023/03/03(2023年3月19日閲覧) ^ パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) 日本野球機構 ^ 日本代表個人成績 日本野球機構 2017年4月11日閲覧 ^ 「阪神・糸井 プロ通算250盗塁達成」スポーツニッポン、2017年5月28日。2021年4月3日閲覧。 ^ 「阪神・糸井、通算150号本塁打達成!史上167人目「自分でもどうやって打てたのか」」Sponichi Annex、2018年5月25日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「阪神・糸井が通算1500安打 プロ野球124人目」サンケイスポーツ、2018年9月21日。2021年6月25日閲覧。 ^ 「阪神・糸井「300二塁打」達成 第1打席で中日・柳から」デイリースポーツ、2019年4月28日。2019年4月28日閲覧。 ^ 「阪神糸井100死球 内角攻められる強打者の証し」『日刊スポーツ』2019年6月2日。2019年6月4日閲覧。 ^ 「阪神の糸井が1500試合出場」『時事ドットコム』2019年8月7日。2019年8月7日閲覧。 ^ 「阪神・糸井が300盗塁達成 史上31人目」『デイリースポーツ online』2021年9月11日。2021年9月11日閲覧。 ^ 「【ロッテ】36歳荻野貴司が最年長盗塁王 シーズン24盗塁 最多安打との2冠に輝く」『中日スポーツ』2021年10月30日。2022年10月3日閲覧。 ^ 「糸井史上6人目37歳以上20盗塁超え/データ連載」日刊スポーツ、2018年12月16日。2021年8月5日閲覧。 ^ 「オリックス糸井3発「筒香と呼んで」FAの目玉証明」日刊スポーツ、2016年9月16日。2022年4月29日閲覧。 京都府出身の人物一覧 近畿大学の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 阪神タイガースの選手一覧 個人年度別成績 糸井嘉男 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 糸井嘉男(Yoshio Itoi) (@itoi7yoshio) - X(旧Twitter) 糸井嘉男/YOSHIO ITOI (@itoiyoshio_7) - Instagram 糸井嘉男 超人チャンネル - YouTubeチャンネル 表 話 編 歴 2007 第1S:サブロー, 第2S:ダルビッシュ有 2008 涌井秀章 2009 T.スレッジ 2010 1st:里崎智也, Final:成瀬善久 2011 内川聖一 2012 糸井嘉男 2013 田中将大 2014 吉村裕基 2015 内川聖一 2016 中田翔 2017 内川聖一 2018 柳田悠岐 2019 今宮健太 2020 中村晃 2021 杉本裕太郎 2022 吉田正尚 2023 杉本裕太郎 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1950 大下弘 1951 大下弘 1952 飯島滋弥 1953 岡本伊三美 1954 L.レインズ 1955 中西太 1956 豊田泰光 1957 山内和弘 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 榎本喜八 1961 張本勲 1962 ブルーム 1963 ブルーム 1964 広瀬叔功 1965 野村克也 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 永淵洋三, 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 加藤秀司 1974 張本勲 1975 白仁天 1976 吉岡悟 1977 有藤道世 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 L.リー 1981 落合博満 1982 落合博満 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 新井宏昌 1988 高沢秀昭 1989 ブーマー 1990 西村徳文 1991 平井光親 1992 佐々木誠 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 福浦和也 2002 小笠原道大 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 和田一浩 2006 松中信彦 2007 稲葉篤紀 2008 リック 2009 鉄平 2010 西岡剛 2011 内川聖一 2012 角中勝也 2013 長谷川勇也 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 柳田悠岐 2019 森友哉 2020 吉田正尚 2021 吉田正尚 2022 松本剛 2023 頓宮裕真 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1962 張本勲 1963 ブルーム 1964 張本勲 1965 D.スペンサー 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 張本勲 1974 張本勲 1975 小川亨 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 栗橋茂 1981 門田博光 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 スティーブ 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 門田博光 1988 門田博光 1989 松永浩美 1990 清原和博 1991 白井一幸 1992 清原和博 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 中村紀洋 2002 A.カブレラ 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 松中信彦 2007 T.ローズ 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 A.カブレラ 2011 糸井嘉男 2012 糸井嘉男 2013 E.ヘルマン 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 柳田悠岐 2017 柳田悠岐 2018 柳田悠岐 2019 近藤健介 2020 近藤健介 2021 吉田正尚 2022 吉田正尚 2023 近藤健介 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 木塚忠助 1951 木塚忠助 1952 木塚忠助 1953 L.レインズ 1954 鈴木武 1955 森下正夫 1956 河野旭輝 1957 河野旭輝 1958 R.バルボン 1959 R.バルボン 1960 R.バルボン 1961 広瀬叔功 1962 広瀬叔功 1963 広瀬叔功 1964 広瀬叔功 1965 広瀬叔功 1966 山本公士 1967 西田孝之 1968 安井智規 1969 阪本敏三 1970 福本豊 1971 福本豊 1972 福本豊 1973 福本豊 1974 福本豊 1975 福本豊 1976 福本豊 1977 福本豊 1978 福本豊 1979 福本豊 1980 福本豊 1981 福本豊 1982 福本豊 1983 大石大二郎 1984 大石大二郎 1985 松永浩美 1986 西村徳文 1987 西村徳文, 大石第二朗 1988 西村徳文 1989 西村徳文 1990 秋山幸二 1991 大野久 1992 佐々木誠 1993 大石大二郎 1994 佐々木誠 1995 イチロー 1996 村松有人 1997 松井稼頭央 1998 松井稼頭央, 小坂誠 1999 松井稼頭央 2000 小坂誠 2001 井口資仁 2002 谷佳知 2003 井口資仁 2004 川﨑宗則 2005 西岡剛 2006 西岡剛 2007 片岡易之 2008 片岡易之 2009 片岡易之 2010 本多雄一, 片岡易之 2011 本多雄一 2012 聖澤諒 2013 陽岱鋼 2014 西川遥輝 2015 中島卓也 2016 金子侑司, 糸井嘉男 2017 西川遥輝 2018 西川遥輝 2019 金子侑司 2020 周東佑京 2021 源田壮亮, 荻野貴司, 和田康士朗, 西川遥輝 2022 髙部瑛斗 2023 周東佑京, 小深田大翔 2024 周東佑京 表 話 編 歴 1950 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1951 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1952 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1953 大下弘, 別当薫, 堀井数男 1954 大下弘, 関口清治, 山内和弘 1955 飯田徳治, 戸倉勝城, 山内和弘 1956 杉山光平, 戸倉勝城, 山内和弘 1957 大下弘, 毒島章一, 山内和弘 1958 杉山光平, 関口清治, 毒島章一 1959 杉山光平, 高倉照幸, 山内和弘 1960 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1961 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1962 張本勲, 山内一弘, 吉田勝豊 1963 張本勲, 広瀬叔功, 山内一弘 1964 高倉照幸, 張本勲, 広瀬叔功 1965 張本勲, 広瀬叔功, 堀込基明 1966 高倉照幸, 張本勲, 毒島章一 1967 土井正博, 長池徳二, 張本勲 1968 G.アルトマン, 土井正博, 張本勲 1969 長池徳二, 永淵洋三, 張本勲 1970 G.アルトマン, 長池徳二, 張本勲 1971 門田博光, G.アルトマン, 長池徳二 1972 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1973 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1974 D.ビュフォード, 張本勲, 福本豊 1975 佐々木恭介, 白仁天, 弘田澄男 1976 門田博光, 弘田澄男, 福本豊 1977 門田博光, 福本豊, L.リー 1978 佐々木恭介, 福本豊, 簑田浩二 1979 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1980 栗橋茂, 福本豊, L.リー 1981 島田誠, テリー, 福本豊 1982 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1983 島田誠, テリー, 簑田浩二 1984 高沢秀昭, T.クルーズ, 簑田浩二 1985 金森永時, 熊野輝光, 横田真之 1986 秋山幸二, 新井宏昌, 横田真之 1987 秋山幸二, 新井宏昌, T.ブリューワ 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 藤井康雄, R.ブライアント 1990 秋山幸二, 石嶺和彦, 西村徳文 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平井光親 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 高橋智 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 藤井康雄 1994 イチロー, K.ライマー, 佐々木誠 1995 イチロー, 佐々木誠, D.ジャクソン 1996 イチロー, 田口壮, 村松有人 1997 イチロー, 佐々木誠, T.ローズ 1998 イチロー, 大村直之, 柴原洋 1999 イチロー, 谷佳知, T.ローズ 2000 イチロー, 柴原洋, S.オバンドー 2001 礒部公一, 谷佳知, T.ローズ 2002 谷佳知, T.ローズ, 小関竜也 2003 谷佳知, T.ローズ, 和田一浩 2004 和田一浩, SHINJO, 谷佳知 2005 和田一浩, 宮地克彦, M.フランコ 2006 稲葉篤紀, 松中信彦, 和田一浩 2007 稲葉篤紀, 森本稀哲, 大村直之 2008 稲葉篤紀, 栗山巧, リック 2009 鉄平, 糸井嘉男, 稲葉篤紀 2010 多村仁志, T-岡田, 栗山巧 2011 糸井嘉男, 内川聖一, 栗山巧 2012 糸井嘉男, 角中勝也, 内川聖一 2013 長谷川勇也, 内川聖一, 中田翔 2014 柳田悠岐, 糸井嘉男, 中田翔 2015 秋山翔吾, 柳田悠岐, 清田育宏 2016 角中勝也, 糸井嘉男, 西川遥輝 2017 柳田悠岐, 秋山翔吾, 西川遥輝 2018 柳田悠岐, 秋山翔吾, 吉田正尚 2019 荻野貴司, 秋山翔吾, 吉田正尚 2020 柳田悠岐, 吉田正尚, 近藤健介 2021 杉本裕太郎, 吉田正尚, 柳田悠岐 2022 松本剛, 柳田悠岐, 島内宏明 2023 近藤健介, 万波中正, 柳田悠岐 2024 近藤健介, 辰己涼介, 周東佑京 表 話 編 歴 投 ダルビッシュ有 捕 田上秀則 一 髙橋信二 二 田中賢介 三 中村剛也 遊 中島裕之 外 稲葉篤紀 / 糸井嘉男 / 鉄平 指 山﨑武司 表 話 編 歴 投 田中将大 捕 細川亨 一 小久保裕紀 二 本多雄一 三 中村剛也 遊 中島裕之 外 糸井嘉男 / 内川聖一 / 栗山巧 指 J.フェルナンデス 表 話 編 歴 投 吉川光夫 捕 鶴岡慎也 一 李大浩 二 田中賢介 三 中村剛也 遊 中島裕之 外 糸井嘉男 / 内川聖一 / 角中勝也 指 W.M.ペーニャ 表 話 編 歴 投 金子千尋 捕 伊藤光 一 E.メヒア 二 藤田一也 三 銀次 遊 今宮健太 外 中田翔 / 糸井嘉男 / 柳田悠岐 指 中村剛也 表 話 編 歴 投 大谷翔平 捕 田村龍弘 一 中田翔 二 浅村栄斗 三 B.レアード 遊 鈴木大地 外 糸井嘉男 / 角中勝也 / 西川遥輝 指 大谷翔平 表 話 編 歴 1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊 1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊 1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊 1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二 1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二 1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二 1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文 1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博 1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠 1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮 1998 イチロー, 大友進, 大村直之 1999 秋山幸二, イチロー, 大友進 2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮 2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知 2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知 2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人 2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO 2005 大村直之, サブロー, SHINJO 2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO 2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲 2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲 2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆 2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧 2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆 2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文 2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾 2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐 2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏 2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男 2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝 2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝 2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐 2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平 2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介 2024 辰己涼介, 周東佑京, 万波中正 表 話 編 歴 投 涌井秀章 捕 鶴岡慎也 一 髙橋信二 二 田中賢介 三 小谷野栄一 遊 金子誠 外 坂口智隆 / 糸井嘉男 / 稲葉篤紀 表 話 編 歴 投 涌井秀章 捕 嶋基宏 一 小久保裕紀 二 田中賢介 三 小谷野栄一 遊 西岡剛 外 坂口智隆 / 糸井嘉男 / 栗山巧 表 話 編 歴 投 田中将大 捕 細川亨 一 小久保裕紀 二 本多雄一 三 松田宣浩 遊 中島裕之 外 坂口智隆 / 糸井嘉男 / 岡田幸文 表 話 編 歴 投 田中将大 捕 炭谷銀仁朗 一 稲葉篤紀 二 本多雄一 三 小谷野栄一 遊 中島裕之 外 陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 岡田幸文 表 話 編 歴 投 田中将大 捕 嶋基宏 一 浅村栄斗 二 藤田一也 三 松田宣浩 遊 今宮健太 外 陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 秋山翔吾 表 話 編 歴 投 金子千尋 捕 伊藤光 一 T-岡田 二 藤田一也 三 松田宣浩 遊 今宮健太 外 陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 柳田悠岐 表 話 編 歴 投 涌井秀章 捕 大野奨太 一 中田翔 二 藤田一也 三 松田宣浩 遊 今宮健太 外 糸井嘉男 / 秋山翔吾 / 陽岱鋼 表 話 編 歴 88 山本浩二 78 東尾修(投手総合) 99 梨田昌孝(野手総合) 92 与田剛(投手) 81 立浪和義(打撃) 63 高代延博(内野守備・走塁) 73 緒方耕一(外野守備・走塁) 75 橋上秀樹(戦略) 11 涌井秀章 14 能見篤史 15 澤村拓一 16 今村猛 17 田中将大 18 杉内俊哉 20 前田健太 21 森福允彦 26 内海哲也 28 大隣憲司 35 牧田和久 47 山口鉄也 50 攝津正 2 相川亮二 10 阿部慎之助 27 炭谷銀仁朗 1 鳥谷敬 3 井端弘和 5 松田宣浩 6 坂本勇人 7 松井稼頭央 41 稲葉篤紀 46 本多雄一 9 糸井嘉男 13 中田翔 24 内川聖一 34 長野久義 61 角中勝也 表 話 編 歴 自由獲得枠:糸井嘉男 2巡目:須永英輝 4巡目:押本健彦 5巡目:稲田直人 6巡目:金森敬之 7巡目:渡部龍一 日本の野球選手 阪神タイガース及びその前身球団の選手 近畿大学体育会硬式野球部の選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 首位打者 (NPB) 盗塁王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 野球日本代表選手 元NPB選手のYouTuber ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 2013 ワールド・ベースボール・クラシック選手 京都府立宮津高等学校出身の人物 京都府出身のスポーツ選手 1981年生 存命人物 最高出塁率 (NPB) 外部リンクがリンク切れになっている記事/2018年5月 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2025/04/06 07:59更新
|
itoi yoshio
糸井嘉男と同じ誕生日7月31日生まれ、同じ京都出身の人


TOPニュース
糸井嘉男と近い名前の人

話題のアホネイター

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「糸井嘉男」を素材として二次利用しています。