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近藤 健介さんについて調べます
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近藤健介と関係のある人
山本泰寛: 3年時の神奈川県春季大会準決勝では、乙坂智、近藤健介、柳裕也などを擁して前年の第83回選抜高等学校野球大会に出場した横浜高校を破っている。 樋口龍之介: 高校時代の同学年には柳裕也、田原啓吾、1学年上には近藤健介、乙坂智がおり、乙坂とはリトルシニア時代もチームメイトだった。 松井裕樹: 横浜高校との決勝では、乙坂智や近藤健介、柳裕也などを擁する横浜打線を相手に4回無失点と好投。 頓宮裕真: 9月22日までにシーズンの規定打席に達し、リーグトップの打率.307を記録したが、同年9月23日に左足薬指中足骨の疲労骨折を起こし、今シーズンの復帰は絶望的となるも、10月9日の段階で自身初のタイトルとなる首位打者を事実上確定させ、2位の近藤健介(ソフトバンク)と4厘差で、シーズン全日程終了をもって獲得した。 小谷野栄一: さらに、離脱期間中に三塁手を務めた近藤健介が小谷野の復帰後も引き続き三塁手で起用されるなど、打率は.296を記録するも出場試合数は84試合に留まった。 田原啓吾: 2年時の夏は、投手だけでなく一塁手や外野手もこなす控えとして復帰し、1学年先輩の近藤健介や乙坂智ら共に第93回全国高等学校野球選手権大会に出場。 西川遥輝: なお、この年着用した背番号8は、捕手の近藤健介が着用することとなった。 岩本輝: 1死3塁から西川遥輝・近藤健介を申告敬遠で立て続けに出塁させた挙句、中田翔にサヨナラ満塁本塁打を浴びたため、チームは8年連続で開幕戦に敗れた。 赤木誠: 2015年9月5日、オリックス×日本ハム(ほっともっとフィールド神戸)のラジオ中継(HBCラジオ向けの裏送り分、解説:安藤)で、6回表に日本ハムの中田翔・近藤健介およびブランドン・レアードがオリックスの西勇輝から3者連続本塁打を放った瞬間を実況。 髙山俊: さらに、近藤健介、船越涼太らと共に、千葉ロッテマリーンズジュニアチームのメンバーへ選出、12球団ジュニアトーナメント準優勝を経験した。 松坂大輔: 迎えた試合では先発登板し、横浜高校の後輩・近藤健介に対して5球投げ、四球を与えてマウンドを降りた。 浅村栄斗: シーズンではグレゴリー・ポランコ(ロッテ)、近藤健介(ソフトバンク)と並ぶ26本塁打で自身2度目の本塁打王を獲得した。 青山大紀: 3回戦では乙坂智、近藤健介擁する横浜高校戦では4点を取られるも、9回に8点を取り逆転勝利。 牧原巧汰: “Breaking news ソフトバンク3年目捕手牧原巧汰が近藤健介に弟子入り志願「高校の時から理想の打者」現状維持550万円でサイン”. 柳裕也: 1学年先輩に乙坂智、近藤健介、同期に田原啓吾、樋口龍之介、2学年後輩に髙濱祐仁、淺間大基、渡邊佳明、伊藤将司がいる。 横尾俊建: 2019年は前年までの正三塁手であったブランドン・レアードが退団し、シーズン序盤は積極的に三塁手としてスタメン起用されるも調子が上がらず中盤以降は近藤健介や平沼翔太、石井一成らにスタメンを奪われることが多く最終的には78試合に出場し打率.188、3本塁打、13打点に終わる。 大田泰示: 2018年は、開幕を「7番・左翼手」で迎えたが、怪我から復帰した近藤健介が左翼を守ることもあるため、右翼手のレギュラーとして出場。 池田隆英: 2023年1月11日に日本ハムは、海外FA権を行使してソフトバンクに移籍した近藤健介の人的補償として、田中正義を獲得したことを発表。 船越涼太: この時のチームメートに髙山俊、近藤健介らがいる。 田辺義三: 高卒ルーキー捕手の日本シリーズ出場は田辺以降、2012年の近藤健介(日本ハム)まで56年現れなかった。 樋口龍之介: 横浜高校の1年先輩である近藤健介を尊敬しており、「TEAM 徳之島」の一員として近藤らとともに鹿児島県徳之島での自主トレに2018年1月から2年連続で参加していた。 平野佳寿: 後続の3番打者・近藤健介に粘られながらも9球で凡退させたことによって、一軍公式戦での登板が2試合目だった椋木を2連勝に導くとともに、自身にもシーズン24個目のセーブが付いた。 石川慎吾: 日本ハム時代は同い年の松本剛、近藤健介、上沢直之とも仲が良く、4人で一軍の試合に出ることが1つの目標だった。 細川成也: 高卒新人野手の日本シリーズ出場は、セ・リーグでは1988年の立浪和義(中日)以来29年ぶり、パ・リーグを含めても2012年の近藤健介(北海道日本ハムファイターズ)以来5年ぶり9人目。 今川優馬: その後は長らく二軍調整が続いたが、イースタン・リーグでは打率.306、14本塁打、45打点と結果を残すと一軍で近藤健介がフェンス激突で負傷し「脳震盪特例措置」で登録抹消となり、近藤と入れ替わる形で9月12日に一軍へ昇格。 小坂将商: 3回戦、渡辺元智監督が率い近藤健介らを擁する横浜高校(神奈川)に、9回表2死1・3塁と「あと一人」の土壇場、1-4のスコアから8得点も奪って9-4で大逆転勝利、夏の甲子園では16年振りにベスト8へ進出した(準々決勝は石井一成を擁する作新学院(栃木)に6-7で惜敗、ベスト4進出ならず)。 渡辺元智: 近藤健介 門脇誠: 守備面では元東京ヤクルトスワローズの宮本慎也、打撃面では福岡ソフトバンクホークスの近藤健介を理想として挙げている。 大野奨太: 5月4日にはスタメン復帰はしたものの、前年の二番手捕手の市川もヘルニアの手術の影響で一軍復帰ができておらず一軍捕手が若手の近藤健介・石川亮の二人だったこともあり、肘が完全復調するまでは二人をサポートする形での出場が続いた。 平良海馬: また、2023年7月13日のソフトバンク戦では0-0の5回表二死一・二塁、近藤健介に対してカウント2ボールとした場面で「近藤さんがパ・リーグで一番いいバッターだと思っている。 |
近藤健介の情報まとめ
近藤 健介(こんどう けんすけ)さんの誕生日は1993年8月9日です。千葉出身の野球選手のようです。
結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。近藤健介の現在の年齢は31歳のようです。
近藤健介のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、千葉県千葉市緑区出身のプロ野球選手(外野手、捕手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球を始めた。千葉市立泉谷小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されると、第1回NPB12球団ジュニアトーナメントで髙山俊、船越涼太らと共に準優勝を経験した。 中学野球界の強豪である修徳中学校に進学し、軟式野球部に入部。2年時には「1番・遊撃手」として第29回全国中学校軟式野球大会へ出場(初戦敗退)するとともに、捕手としてマスクを被った。3年生のKボール全国大会(第3回KB全国中学生秋季野球大会)では、ロッテジュニアで4番打者・主将・捕手の3役を兼ねながら、チームを準決勝進出に導いた。 2009年に横浜高等学校へ入学し、硬式野球部へ入部。中学軟式野球出身者では通用しないと考えた父の反対を押し切り、同期が硬式野球経験者の推薦入試組だらけの中、同期で唯一となる一般入試組として入部したものであった。同期生には乙坂智などがいた。同校でコーチを務める小倉清一郎(入部1年目は部長)は後に、「私が勧誘したわけではなく、近藤の方から『横浜高校に入りたい』と売り込んできた。総合力で横浜高校歴代捕手でも3本の指に入る」と評価している。入部当初は遊撃手としてレギュラーを確保。主将だった筒香嘉智の下で、夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会に出場すると、1年生ながら打率.438を記録した。チームが準々決勝で横浜隼人高等学校に僅差で敗れると、秋からは肩の強さを買われ捕手へ転向した。 2年時(2010年)は、夏の選手権神奈川大会決勝で東海大相模に敗退。2年秋から3年春の第83回選抜高等学校野球大会まで主将を務めた。選抜大会で初戦敗退を喫してからは、当時監督だった渡辺元智の判断で主将の座を乙坂に譲りながらも、副主将として乙坂を支えた。 3年時(2011年)は、夏の選手権神奈川県大会の直前に右足首の靭帯を痛めた影響で打撃不振に陥ったが、桐光学園高校との決勝戦では、試合を決める一打を放ってチームを全国大会出場へ導いた。さらに、全国大会の終了後には第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出。相手走者の盗塁を阻止するなどの強肩でチームの優勝に貢献したほか、自身も捕手としてオールスターチーム(ベストナイン)に選ばれた。高校時代には、対外試合で通算38本の本塁打を放った。 2011年10月27日に行われたドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから捕手として4位指名を受け、契約金3000万円、年俸500万円(金額は推定)の条件で入団した。背番号は54。担当スカウトは大渕隆。 2012年は、春季名護キャンプのスタートを二軍で迎えたものの、2月16日には、横浜DeNAベイスターズとの練習試合で、8回から捕手として対外試合にデビュー。2010年のイースタン・リーグ盗塁王だった梶谷隆幸の盗塁を阻止したことで、首脳陣に注目された。キャンプ終盤の2月24日から一軍に昇格。3月6日に一軍の本拠地である札幌ドームで催されたロッテとのオープン戦では、8回裏から出場すると、初打席で本拠地での初安打を放った。開幕は二軍で迎え、イースタン・リーグ公式戦48試合に出場。7月4日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)の6回表に代打で一軍公式戦デビューを果たすと、その裏から試合終了まで捕手の守備に就いた。7月13日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)では、「8番・捕手」として先発出場を果たした。日本ハムの高卒新人選手が捕手として公式戦に出場した事例は、前身の東映フライヤーズ時代の安藤順三(1954年)、山本八郎(1956年)に次いで史上3人目であった。また、先発での出場でも、山本以来56年ぶり、史上3人目の記録となった。このシーズンの一軍公式戦には、通算で20試合に出場し、打率.192で、2打点、出塁率.241を記録した。読売ジャイアンツとの日本シリーズには代打で3試合に出場した。また、高卒新人捕手の日本シリーズ出場は、1956年の田辺義三(西鉄ライオンズ)以来56年ぶりの記録となった。 2013年は、春季キャンプからオープン戦の終盤まで一軍に帯同したが、開幕を二軍で迎えた。3月28日には、埼玉西武ライオンズとのイースタン・リーグ公式戦(ファイターズ鎌ケ谷スタジアム)3回裏の打席で頭部に死球を受けたが、わずか2日で実戦に復帰。捕手ながら二軍のクリーンナップに定着すると、4月に安打数、出塁率でリーグのトップに立ったことから、3・4月の「ファーム月間MVP」を受賞した。その後、5月8日に一軍昇格を果たしたが、5月16日に抹消。しかし、抹消後もイースタン・リーグで長らくトップの打率を維持したことから、フレッシュオールスターゲームでは同リーグの選抜メンバーに名を連ねた。8月2日の再昇格後は、レギュラー外野手の中田翔の死球による戦線離脱を背景に、捕手登録ながら右翼手として先発出場した。32試合に出場し、捕手としては15試合の出場で、打率.152、2打点、出塁率.269という成績を残した。 2014年は、プロ3年目で初めての開幕一軍を迎えると、大野奨太、市川友也と併用される形で捕手として先発出場した。5月2日のオリックス戦(札幌ドーム)からは、三塁手のレギュラーである小谷野栄一の故障による戦線離脱に伴い、「横浜高校時代以来」という三塁手として連日先発で起用された。「7番・三塁手」として出場した5月16日のロッテ戦(札幌ドーム)では、1回裏の第1打席で一軍公式戦での初本塁打となる2点本塁打を記録した。同月29日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で「2番・三塁手」として先発出場し、3回表の第2打席で、「人生で初めて」という満塁本塁打をバックスクリーンへ放った。また、この本塁打を放った時点の年齢が20歳9か月であり、「パ・リーグの公式戦で満塁本塁打を放った最年少選手」の球団記録(従来の記録は1961年の張本勲〈21歳1か月。東映フライヤーズ時代〉)を更新した。その後も三塁手として先発出場を続けたが、6月15日のヤクルト戦(札幌ドーム)で走塁中に左太腿裏に筋挫傷を発症したため、6月17日に出場選手登録を抹消された。一軍への復帰以降は、三塁手での先発出場を中心に、本来のポジションである捕手としても出場。9月15日のオリックス戦(札幌ドーム)では、同期入団である上沢直之とのバッテリーで先発出場し、上沢を公式戦初完封勝利に導いた。このシーズンは前年を大きく上回る80試合に出場し、捕手としてマスクを被ったのは16試合で、三塁手として70試合、遊撃手としては2試合守備に就いた。前述のように遊撃手のレギュラーであった大引啓次が足腰を痛めていた時期には僅か2試合ながらも、大引に代わって遊撃の守備に就くこともあった。打撃面では打率.258ながら、4本塁打、28打点、出塁率.295、チーム最多の20二塁打を記録するなど長打力を発揮した。オフの11月に開催された第1回21U野球ワールドカップの日本代表に選出され、同大会では「4番・一塁手」で起用された。 2015年は、大野と市川が揃って開幕戦に間に合わなかったことから、3月28日の楽天戦(札幌ドーム)で「7番・捕手」として自身初となる開幕スタメンを果たした。その後も正捕手としてレギュラーに定着。3割を越える打率を維持したことから、5月下旬からは5番打者を任されるようになった。その一方で、盗塁阻止率が1割台にとどまるなど、送球面で粗さが露呈した。前半戦で指名打者を務めていたジェレミー・ハーミッダや大谷翔平が打撃不振に陥ったこともあり、後半戦からは持ち前の打力を活かすべく、主に指名打者で起用された。129試合に出場し、捕手としては58試合にとどまるも、規定打席に初めて到達した。リーグ3位の打率.326、8本塁打、60打点、同3位となる出塁率.405を記録するなど、飛躍のシーズンとなった。シーズンオフに、背番号を8へ変更した。 2016年は、春季キャンプから膝の故障に悩まされた影響で、コンディションが整わないまま開幕を迎えた。3月25日のロッテ戦(QVCマリンスタジアム)で「5番・指名打者」で2年連続となる開幕スタメンに名を連ねた。怪我の影響もあり、前年からは減少となる80試合に出場し、打率.265、2本塁打、27打点、出塁率.337を記録した。また、二刀流の大谷が指名打者として起用されたこともあり、栗山英樹監督の方針で、5月下旬から6月中旬までは捕手への本格復帰に向けて二軍での調整もしたが、一軍では54試合で外野を守り、捕手としての出場は1試合にとどまった。10月12日の福岡ソフトバンクホークスとのCSファイナルステージ(札幌ドーム)では2点適時打を、10月23日の広島東洋カープとの日本シリーズ(マツダスタジアム)では守備で好プレーを見せ、10年ぶりとなる日本一に貢献した。 2017年は、前年の秋季キャンプから練習を続けていた二塁手に挑戦し、春キャンプの起亜タイガースとの練習試合でも「2番・二塁手」として出場していたが、体調不良も重なり転向は頓挫した。3月31日の西武との開幕戦(札幌ドーム)を「5番・右翼手」で迎えると、以降も右翼手や指名打者としてクリーンナップの一角を担い、4割を超える打率を維持し続けた。シーズン47試合目の出場であった6月1日の横浜DeNAベイスターズ戦(札幌ドーム)終了時点で打率.415を残したことによって、「パ・リーグの開幕戦から4割以上の打率を維持した連続試合」という球団のシーズン記録(張本が日拓ホームフライヤーズ時代の1973年に達成した46試合)を更新し、以降も打率4割を維持したままセ・パ交流戦に突入した。これらの活躍もあり、オールスターゲームでは選手間投票のパ・リーグ外野手部門3位で自身初となる選出を果たした。しかし、6月3日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)へ出場した後に右太腿の張りを訴えると、6月6日の広島戦(札幌ドーム)の7回裏の代打起用を最後に出場選手登録を抹消された。登録抹消時点で打率.407、開幕戦からの打率4割連続試合記録を50試合にまで更新していたが、抹消後の検査で腰部の椎間板ヘルニアと診断されたため、6月28日には脊椎の内視鏡手術(腰椎椎間板ヘルニア摘出術PED法)を受けた。実戦への復帰までに約3か月を要した。手術後には、オールスターゲームへの出場を辞退し、補充選手として西川遥輝が出場した。その一方で、患部のリハビリを急ぎ、シーズン中の復帰を示した。3か月後の9月28日の楽天戦(札幌ドーム)で「3番・指名打者」で復帰すると、いきなり2安打を放ち、更に打率を上げていった。しかし、パ・リーグ規定打席である443打席には遠く及ばず、「規定打席を満たした状態での打率4割」というNPB史上初の快挙達成には至らなかった。しかし、復帰後も17打数8安打で打率4割台を維持し、53試合の出場で3本塁打、29打点を記録し、231打席で打率.413(シーズン打席数が100打席以上の選手としては歴代最高打率)、出塁率.567と脅威の数字を残した。シーズン途中での打率4割は1989年の403打席のウォーレン・クロマティのように存在したが、クロマティのシーズン最終成績は打率4割を下回り、100打席以上立ちなおかつ打率4割のままシーズンを終えたのはNPBでは近藤のみとなった。オフの契約更改では1300万円増となる5600万円で更改し、目標として首位打者を掲げた。 2018年は、アリゾナ春季キャンプで2年ぶりとなる捕手復帰を果たすも、開幕戦となる3月30日の西武戦(札幌ドーム)を「3番・右翼手」で迎えた。開幕戦から4月20日のソフトバンク戦(札幌ドーム)まで17試合連続で4割以上の打率を記録するなど、前年に続きリーグ打率トップを独走した。4月24日のオリックス戦(札幌ドーム)では1回裏の第1打席で単打、3回裏の第2打席で二塁打、4回裏の第3打席で三塁打を記録するも、以降の打席で凡退したため、自身初となるサイクル安打達成には至らなかった。4月28日のロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)までは23試合連続で先発で起用されていたが、この試合の2回裏の左翼の守備中に本塁へ返球した際に右ふくらはぎに軽度の筋挫傷を発症したため、途中で交代した。交代時点でリーグトップの打率.392を記録していたが、筋挫傷の影響で5月1日に登録を抹消された。7月のオールスターゲームでは前年に続いてパ・リーグの指名打者部門ファン投票で1位を獲得し、2度目となる選出を果たし、2年越しの初出場となった。シーズンでは2015年以来、3年ぶりに規定打席へ到達し、柳田悠岐、秋山翔吾と首位打者の座を争った。129試合に出場し、リーグ3位となる打率.3225で、2位の秋山とは打率.3233で僅か8毛だけ下回った。その他にも自己最多となる9本塁打、69打点、リーグ2位となる出塁率.427を記録した。守備面では、左翼手のレギュラーとしてリーグ3位のUZR+10.2を記録した。攻守で活躍したこともあり、パ・リーグの指名打者部門で自身初となるベストナインを受賞した。10月13日のソフトバンクとのCSファーストステージ(ヤフオクドーム)では、第1打席でアリエル・ミランダからポストシーズン初本塁打を放った。オフには正三塁手のブランドン・レアードの退団、王柏融の獲得など、チーム状況が変わりつつあることを背景に、秋季キャンプで三塁手の守備練習を2年ぶりに再開した。契約更改ではほぼ倍増となる1億円で更改したことにより、1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。また、目標として今年も首位打者を掲げた。 2019年は、登録ポジションを捕手から外野手へ変更したが、春季キャンプから同じ外野手の大田泰示、淺間大基と正三塁手の座を争った。開幕前の3月15日に結婚したことが発表された。3月29日のオリックスとの開幕戦(札幌ドーム)を「3番・指名打者」で迎えるも、以降は左翼を守った。しかし、王との兼ね合いもあり、3年ぶりとなる三塁手での出場も果たした。4月24日の楽天戦(札幌ドーム)から連続試合出塁記録を伸ばし、6月11日の広島戦(札幌ドーム)まで40試合連続出塁を記録した。2日後の13日の同じく広島戦(札幌ドーム)に代打で出場し、三振を喫したことで記録が「40」で止まった。しかし、球団では小笠原道大、西川、田中賢介に次ぐ史上4人目の記録となった。7月にはパ・リーグ指名打者部門のファン投票で1位を獲得し、3年連続でオールスターゲームに選出され、2度目の出場を果たした。シーズンでは自己最多の138試合に出場し、リーグ6位となる打率.302、2本塁打、59打点、四球ではリーグ最多となる103個を記録し、出塁率.422で自身初のタイトルとなる最高出塁率を獲得した。守備面では86試合で外野を、30試合で三塁を守った。また、左翼の守備では前年からは大きく指標を落とし、リーグワーストとなるUZR-1.3を記録した。オフの12月3日に、2022年シーズンまでとなる3年契約を結んだ。年俸は変動制で、2020年シーズンの年俸は1億5000万円。近藤は「ファイターズにいたいというのが一番だったので。それは吉村GMにも伝えましたし、それもあっての3年契約かなと思います」とチーム愛を語った。 2020年は、3月6日に第一子となる長女が誕生し、球団を通して発表された。開幕戦となった6月19日の西武戦(メットライフドーム)では、「3番・左翼手」として先発出場。6月は月間打率.212と低調スタートとなったものの、7月以降は毎月打率3割超えを維持した。10月15日の西武戦(札幌ドーム)では史上13人目、球団では糸井嘉男以来10年ぶりとなる、1試合4二塁打のNPBタイ記録を記録した。10月を過ぎても吉田正尚、柳田との首位打者争いは続き、15日時点で打率.346を記録し、トップの吉田の打率.350まであと4厘差と迫ったが、最終的には吉田の打率.350、柳田の打率.342に次ぐリーグ3位となる打率.340を記録した。全120試合中108試合に出場し、5本塁打、60打点、リーグ3位となる89四球、出塁率では前年を大きく上回る出塁率.465を記録し、2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得した。守備面では74試合に左翼手として出場し、前年からは指標を落とすもリーグ2位となるUZR-4.5を記録した。オフには2年ぶり2度目となるベストナインを外野手部門で受賞し、2021年シーズンからは中島卓也の後任となる選手会長に就任した。契約更改では4500万円増となる1億9500万円で更改し、目標として再び首位打者を掲げた。 2021年は、指名打者を中心に時折左翼手として起用されたが、大田泰示の不振と淺間大基の活躍の影響で西川遥輝が左翼に回り、指名打者では王柏融の活躍があったことで、右翼手としての出場が増えていった。またシーズン中に中田が不在の状況が長引き、最終的に移籍した影響もあってか、4番打者での起用も多くなった。2年ぶりに開催されたオールスターゲームに選出されたが急性胃腸炎に罹って2試合とも欠場となった。東京オリンピック後は王の不調もあり指名打者での出場が多かったが、9月11日のソフトバンク戦では右翼手で先発出場するも守備の際にフェンスに激突し負傷交代。翌9月12日に「脳震盪特例措置」で登録抹消となった。10・11月は打率.351、2本塁打、10打点を記録し、初となる月間MVPを受賞した。この年の球団は極度の貧打に喘いでいた中、打率.298はリーグ5位、11本塁打、69打点はそれぞれ球団1位、37二塁打はリーグ1位と気を吐き、指名打者部門として3年ぶり2回目、外野手部門も含めると2年連続3回目となるベストナインに選出された。契約更改では6000万円増の推定年俸2億5500万円で更改した。 2022年は、開幕から主に中堅手として出場を続け、4月10日の楽天戦では松井裕樹からサヨナラ二塁打を放った。29試合の出場で打率.294を記録していたが、5月4日の試合前練習で右脇腹を痛めて離脱すると、同日に右内腹斜筋肉離れ(2度)と診断され、翌5日に登録抹消された。その後、6月17日にイースタン・リーグ実戦復帰すると、同28日の西武戦(ベルーナドーム)で一軍に復帰した。自身の誕生日である8月9日の西武戦では増田達至からプロ入り初となる逆転サヨナラ3点本塁打を放った。誕生日のサヨナラ本塁打はNPB史上2人目であり、また日本ハムにとっては、元号が令和になって初のサヨナラ本塁打でもあり、月間サヨナラ賞(2022年8月)を受賞した。9月10日の西武戦(ベルーナドーム)では松本航から史上314人目となる通算1000安打を、翌11日の同カードでは史上517人目となる通算1000試合出場を達成した。この年は前述の肉離れ以外で離脱することなく、最終的に99試合に出場。打率.302、8本塁打、41打点を記録した。オフに、7月7日に取得した海外FA権を行使。宣言残留を認める日本ハムに加え、ソフトバンク、オリックス、西武、ロッテが獲得に乗り出した。 2022年12月12日、福岡ソフトバンクホークスへ移籍することが発表された。背番号は3。12月14日に入団会見を行い、会見の中で7年総額50億円といった契約条件を報じられていたものの、近藤は「ギータさんより貰っているわけないんで。ギータさんより高い、は絶対にないです」と語った。GMの三笠杉彦は入団条件の年俸について問われると、「我々から契約内容についてお答えすることはございませんので、回答を差し控えたいと思います」と明言を避けた。 2023年前半は2番、3番で出場していたが、4月は月間打率.256、5月は.235と低迷。交流戦で12球団トップの打率.413、出塁率.519を記録し、パ・リーグの優秀選手に選ばれた。6月.342、7月.343と打撃成績が向上し、後半からは柳田に代わり4番に定着。8月は打率.365、7本塁打、リーグトップタイの19打点を記録し、2度目の月間MVPを受賞した。繋ぎの打撃が目立っていた日本ハム時代と変わり、長打狙いのスタイルへと変わったことで本塁打を量産し、自身最多となる26本塁打及び87打点を記録、打率は.303で首位打者の頓宮裕真(オリックス)に及ばず4厘差で逃したが、パ・リーグで打率3割を超えたのは頓宮と近藤の2人のみだった。初の打撃主要三大タイトルとなる最多本塁打と最多打点の二冠を獲得し、併せて3シーズンぶり3度目の最高出塁率タイトルも獲得した他、二塁打・得点・四球・長打率・OPS・得点圏打率がリーグ首位、安打数と塁打では柳田悠岐に次ぐリーグ2位と全般的に最高水準の成績を残した。このうち四球数については、1968年の野村克也を55年ぶりに抜く球団新記録となった。移籍初年度の主要2冠獲得は、2017年アルフレド・デスパイネ以来6年ぶり6人目、日本出身者では1950年小鶴誠(松竹ロビンス)・別当薫(毎日オリオンズ)以来73年ぶり4人目。本塁打と打点の二冠かつ打率2位はNPBでは2003年のA.ラミレス以来、パ・リーグでは1970年の大杉勝男以来53年ぶり4人目となった。またプロ12年目にして自身初の143試合全試合出場も果たした。得点圏打率はリーグトップの.373。左翼で99試合、中堅で4試合に先発出場して失策はわずか1、補殺は柳田らと共にリーグトップの7を記録した。ゴールデングラブ賞を初受賞し、ベストナインは外野手での選出で4度目(外野手2回、指名打者2回)の受賞になった。シーズンオフには推定5億5000万円+出来高払いと報じられた。 2024年5月18日の西武戦(みずほPayPayドーム福岡)で松本航から逆転勝ち越し2ラン、5月19日の西武戦(みずほPayPayドーム福岡)でアルバート・アブレイユからサヨナラ二塁打を記録した。6月2日の広島戦(みずほPayPayドーム福岡)では2回にアドゥワ誠からソロ本塁打、10回に島内颯太郎から2ランサヨナラ本塁打(1試合2本塁打はプロ入り初)を放った。6月15日の阪神戦(みずほPayPayドーム福岡)でジェレミー・ビーズリーから3点本塁打を放ち全球団から本塁打を達成した。交流戦では2度の決勝打を打ち、1位タイの14打点を記録したほか、打率.356(2位)、4本塁打(2位タイ)の成績を残し、2年連続の優秀選手賞を受賞した。6月はリーグトップの打率.413、7本塁打、打点23、長打率.773、出塁率.516の好成績を残し3度目の月間MVPを受賞した。7月12日の日本ハム戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)で12回二死満塁の場面で齋藤友貴哉から決勝2点適時打を放った。前半戦の打率部門を初めて2位以下に大差をつけて折り返す。8月2日の日本ハム戦(みずほPayPayドーム福岡)で1回と3回に加藤貴之から自身初となる2打席連続本塁打を放った。規定打席は到達し打率が2位以下とも差が開いた状態だったが9月16日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で右足首を負傷し途中交代、9月17日に出場選手登録を抹消された。4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。本塁打王と打点王のタイトルはこの年加入した山川穂高に譲ったものの、打率.314、出塁率.439を記録、自身初となる首位打者と4度目となる最高出塁率のタイトルを獲得、特に打率は歴史的投高打低シーズンもあり、パ・リーグで唯一の打率3割台でもあった。日本ハムとのクライマックスシリーズで5番DHでスタメン復帰、第1戦伊藤大海から中越え二塁打を放ち、先制点を呼んだ。第2戦加藤貴之から初回勝ち越し2ランを放った。第3戦は山﨑福也から適時二塁打、2本の二塁打をマークするなど4安打1打点の活躍で3戦連続安打で11打数6安打、1本塁打、打率.545でCS突破に大きく貢献した。 2017年11月に東京ドームで開催された第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出された。同大会では「3番・指名打者」として全3試合にスタメンで起用された。12打数7安打、打率.583という好成績で日本の優勝に大きく貢献すると共に、指名打者として大会のベストナインに選ばれた。 2019年11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。同大会では外野手として日本の初優勝に貢献した。 2021年は東京オリンピックの野球日本代表に選出された。代打で2試合・先発で1試合に出場し、打率.333を記録し、金メダル獲得に貢献。 2023年3月に開催された第5回ワールド・ベースボール・クラシック (WBC) の日本代表に選出された。WBCでは全試合に先発出場し、2番打者として7試合で打率.346、1本塁打、5打点、出塁率も5割と打線の中心として躍動し、優勝に貢献した。 選球眼は球界でもトップクラス。2015年シーズンは四球の数が三振と同じ59であり、このシーズンで規定打席に到達した野手で四球の数が三振数を超えたのは中村晃のみであった。2017年シーズンでは231打席中60四球を記録しており、四球での出塁率が25%を超えた。2019年シーズンは103四球で81三振、2020年シーズンも89四球で72三振を記録し、2年連続で四球数が三振数を上回った。 2020年までは規定打席に到達したシーズン全てで打率3割以上を記録しており、レギュラー定着以降の2018年シーズンからは3年連続で出塁率.420を超えている(2021年シーズンは打率.298、出塁率.413)。また、打率.340を記録した2020年シーズンのコース別打率では、真ん中高めは打率.184に留まったものの、残りの全てのコースで打率.290以上を記録しており、内角低めでは打率.433、外角低めは打率.417、外角高めは打率.409を記録した。 2014年以降は強肩と打撃の能力を生かすべく、三塁手、外野手、指名打者と、捕手以外のポジションでのスタメン起用が増えていた。2017年には春季キャンプで二塁手の守備練習にも取り組んだが、腰痛を悪化させたため、転向を断念した。しかし、その後の秋季キャンプでは腰のヘルニア手術を経て完治させ、再び捕手としての守備練習を再開した。 2016年以降は外野を守ることが多くなり、正左翼手として出場した2018年では12球団左翼手の中は3位のUZR10.2を記録し、左翼の守備と送球で高い評価を得ている。 高校時代の遠投では120メートルほどあり、肩が強く、二塁への送球が2秒を切った。「打てて、勝てる捕手」を目標に掲げていたが、日本ハム入団後の2014年頃から送球にイップスの傾向が見られる影響で、盗塁阻止率が急速に低下していた。 愛称は「コンスケ」「コンちゃん」。 高校時代には物怖じしない性格で、場を明るくする雰囲気を持ち合わせており、チームリーダーになりうる存在と評価されている。2023年3月開催のワールド・ベースボール・クラシック日本代表による決起集会の場では、先輩であるダルビッシュ有の肩に腕をまわすなどして会場で一番笑いを取っていた。 東京オリンピック 野球日本代表(侍ジャパン)として金メダルを獲得した栄誉を称え、2022年1月21日、千葉市緑区の千葉泉谷郵便局前に記念のゴールドポスト(第52号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト)。 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 太字年度は規定打席到達年度 -は10位未満(打率、出塁率は規定打席未到達の場合も-と表記) 太字は大会最高 太字は大会最高 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最多 太字年はゴールデングラブ賞受賞 首位打者:1回(2024年) 本塁打王:1回(2023年) 打点王:1回(2023年) 最高出塁率:4回(2019年、2020年、2023年、2024年) ベストナイン:4回
外野手部門:2回(2020年、2023年) ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:2023年) セ・パ交流戦 日本生命 優秀選手賞:2回(2023年、2024年) オールスターゲーム 敢闘選手賞:2回(2023年第1戦、2024年第2戦) ホームランダービー 優勝:1回(2024年) 月間MVP:3回(野手部門:2021年10・11月、2023年8月、2024年6月) 月間サヨナラ賞:1回(2022年8月) 初出場:2012年7月4日、対オリックス・バファローズ11回戦(京セラドーム大阪)、6回表に鶴岡慎也の代打で出場 初打席:同上、6回表に西勇輝から左飛 初先発出場:2012年7月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、8番・捕手で先発出場 初安打:2012年7月27日、対オリックス・バファローズ13回戦(京セラドーム大阪)、6回表に寺原隼人から左前安打 初打点:2012年8月22日、対オリックス・バファローズ17回戦(旭川スタルヒン球場)、6回裏にミンチェから二塁ゴロの間に記録 初盗塁:2013年9月4日、対福岡ソフトバンクホークス18回戦(東京ドーム)、7回裏に二盗(投手:山中浩史、捕手:山崎勝己) 初本塁打:2014年5月16日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(札幌ドーム)、1回裏に成瀬善久から右越2ラン 1000安打:2022年9月10日、対埼玉西武ライオンズ22回戦(ベルーナドーム)、1回表に松本航から右前安打 ※史上314人目 1000試合出場:2022年9月11日、対埼玉西武ライオンズ23回戦(ベルーナドーム)、3番・左翼手で先発出場 ※史上517人目 高卒新人記録
捕手として先発出場 ※同3人目 20歳9か月で満塁本塁打:2014年5月29日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、3回表に木谷良平から ※球団史上最年少 打率.413:2017年 ※シーズン打席数が100打席以上の選手では歴代最高 40試合連続出塁:2019年4月24日 - 6月11日 ※球団史上4人目 1試合4二塁打:2020年10月15日、対埼玉西武ライオンズ21回戦(札幌ドーム) ※史上最多タイ、史上13人目 7試合連続二塁打:2021年9月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(楽天生命パーク宮城)- 2021年10月7日、対オリックス・バファローズ22回戦(京セラドーム大阪)※2024年6月30日岡大海に更新され、金子誠と並び歴代2位となる。 全球団から本塁打:2024年6月15日、対阪神タイガース2回戦(みずほPayPayドーム福岡)、1回裏にジェレミー・ビーズリーから左越3ラン ※史上45人目 オールスターゲーム出場:4回(2018年、2019年、2023年、2024年)※2017年は選手間投票で選出されるも出場辞退。2021年は選手間投票で選出されるも欠場。 54(2012年 - 2015年) 8(2016年 - 2022年) 3(2023年 - ) 「Boys Meet U」SHINee 「アカリ」GReeeeN 2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ 日本代表 2019 WBSCプレミア12 日本代表 2020年オリンピック野球日本代表 2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 証言 WBC2023 侍ジャパン激闘の舞台裏(2023年5月26日、宝島社、ISBN 978-4299043290) - 白井一幸、中村悠平、城石憲之らとの共著 ^ 後に同校は神奈川大会で優勝し、第91回全国高等学校野球選手権大会の神奈川県代表校となった。 ^ 2021年の日本ハムの打撃主要3成績は、打率.231、78本塁打、437打点といずれもリーグ最下位だった。 ^ 他に1950年の別当薫、1953年・1956年の中西太が記録。 ^ 2001年・小笠原道大:60試合、2016年・西川遥輝:45試合、2009年・田中賢:41試合に次ぐ。プロ野球記録は1994年・イチローの69試合。 ^ 「ソフトバンク - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2023年12月15日閲覧。 ^ 「日ハム 近藤健介「1.8秒」の強肩」『ゲンダイネット』2012年2月29日。2012年3月2日閲覧。 ^ 「【日本ハム4位】近藤健介 捕手らしい捕手 日本代表の正妻」『スポーツニッポン』2011年10月27日。2021年4月18日閲覧。 ^ 「【日本ハム】ドラ4近藤と仮契約」『日刊スポーツ』2011年11月13日。2022年12月12日閲覧。 ^ 「下剋上へ手応え。選手起用に見る日本ハムのチーム戦略」『web Sportiva』2016年7月12日。2024年8月3日閲覧。 ^ 「二盗阻止に中前打!高卒新人捕手に首脳陣びっくり」『スポニチ』2012年2月16日。2012年2月17日閲覧。 ^ 「ドラ4新人近藤 初出場初打席初安打 福良コーチ「開幕1軍争う力ある」」『日刊スポーツ』2012年3月7日。2022年12月12日閲覧。 ^ 「ハム近藤 56年ぶり1軍マスク」『日刊スポーツ』2012年7月5日。2020年10月19日閲覧。 ^ 「近藤 56年ぶり高卒捕手スタメンマスク」『スポーツニッポン』2012年7月14日。2020年10月20日閲覧。 ^ 「日本ハム・近藤が右側頭部の死球で縫う」『デイリースポーツ』2013年3月28日。2013年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月17日閲覧。 ^ 「2013年3、4月度「ミズノ月間MVP」受賞選手」『NPB.jp 日本野球機構』。2020年10月20日閲覧。 ^ 「高卒2年目・近藤、F球宴「MVP狙う」田中vs.斎藤佑でマスクかぶった成長株」『スポーツナビ』2013年7月17日。2013年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月17日閲覧。 ^ 「ハム必死の勝利 捕手近藤を右翼強行起用」『日刊スポーツ』2013年8月23日。2020年10月19日閲覧。 ^ 「ハム近藤プロ初「5番三塁」でスタメン」『日刊スポーツ』2014年5月2日。2020年10月19日閲覧。 ^ 「ハム今季最多14得点 火付け役は近藤弾」『日刊スポーツ』2014年5月29日。2020年10月19日閲覧。 ^ 「近藤が張本超え ハム最年少満弾」『日刊スポーツ』2014年5月30日。2020年10月19日閲覧。 ^ 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高波文一(外野守備走塁) 87 細川亨(バッテリー) 011 大越基(監督) 013 森笠繁(打撃) 014 笹川隆(内野守備走塁) 015 釜元豪(外野守備走塁) 016 的山哲也(バッテリー) 017 森山良二(リハビリ担当〈投手〉) 018 中谷将大(リハビリ担当〈野手〉) 012 川越英隆(コーディネーター〈投手ファーム統括〉) 020 星野順治(コーディネーター〈投手〉) 023 荒金久雄(コーディネーター〈野手統括〉) 019 関川浩一(コーディネーター〈野手〉) 022 森浩之(コーディネーター〈野手〉) 021 井出竜也(コーディネーター〈野手〉) 1 風間球打 2 スチュワート・ジュニア 11 津森宥紀 14 又吉克樹 16 東浜巨 17 有原航平 18 武田翔太 20 中村亮太 26 大津亮介 27 岩井俊介 29 石川柊太 34 村田賢一 35 モイネロ 38 澤柳亮太郎 39 尾形崇斗 40 杉山一樹 41 前田悠伍 42 三浦瑞樹 47 大関友久 48 藤井皓哉 49 松本晴 50 板東湧梧 51 前田純 53 大山凌 54 オスナ 56 田浦文丸 58 木村大成 59 長谷川威展 60 大野稼頭央 63 ヘルナンデス 66 松本裕樹 67 笠谷俊介 68 木村光 70 田上奏大 12 嶺井博希 19 甲斐拓也 22 牧原巧汰 45 谷川原健太 55 石塚綜一郎 62 海野隆司 64 吉田賢吾 65 藤田悠太郎 79 渡邉陸 0 川瀬晃 4 ダウンズ 6 今宮健太 8 牧原大成 13 三森大貴 23 周東佑京 24 栗原陵矢 25 山川穂高 33 廣瀨隆太 36 イヒネイツア 43 井上朋也 46 川原田純平 52 リチャード 69 仲田慶介 99 野村勇 3 近藤健介 7 中村晃 9 柳田悠岐 28 ウォーカー 30 佐藤直樹 31 正木智也 32 柳町達 37 生海 44 笹川吉康 57 緒方理貢 61 川村友斗 126 宮里優吾 133 星野恒太朗 134 大城真乃 135 アルメンタ 136 大竹風雅 139 井﨑燦志郎 142 藤原大翔 145 ハモンド 146 藤田淳平 148 山崎琢磨 156 ロドリゲス 158 赤羽蓮 160 長水啓眞 161 内野海斗 162 岡植純平 163 佐々木明都 164 水口創太 165 宮崎颯 169 飛田悠成 176 サルディ 151 加藤晴空 171 盛島稜大 122 藤野恵音 124 桑原秀侍 129 佐倉俠史朗 130 勝連大稀 131 中澤恒貴 159 山下恭吾 170 西尾歩真 175 アルモンテ 123 大泉周也 144 シモン 150 山本恵大 166 重松凱人 168 佐藤航太 173 オスーナ 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 大下弘 1952 深見安博 1953 中西太 1954 中西太 1955 中西太 1956 中西太 1957 野村克也 1958 中西太 1959 山内和弘 1960 山内和弘 1961 野村克也, 中田昌宏 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 野村克也 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 大杉勝男 1972 長池徳二 1973 長池徳二 1974 C.ジョーンズ 1975 土井正博 1976 C.ジョーンズ 1977 L.リー 1978 B.ミッチェル 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ, 門田博光 1982 落合博満 1983 門田博光 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 秋山幸二 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 小久保裕紀 1996 T.ニール 1997 N.ウィルソン 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 T.ローズ 2004 松中信彦, F.セギノール 2005 松中信彦 2006 小笠原道大 2007 山﨑武司 2008 中村剛也 2009 中村剛也 2010 T-岡田 2011 中村剛也 2012 中村剛也 2013 M.アブレイユ 2014 E.メヒア, 中村剛也 2015 中村剛也 2016 B.レアード 2017 A.デスパイネ 2018 山川穂高 2019 山川穂高 2020 浅村栄斗 2021 杉本裕太郎 2022 山川穂高 2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 中西太 1954 山内和弘 1955 山内和弘 1956 中西太 1957 中西太 1958 葛城隆雄 1959 葛城隆雄 1960 山内和弘 1961 山内和弘 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 G.アルトマン 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 門田博光 1972 野村克也, 大杉勝男 1973 長池徳二 1974 長池徳二 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 L.リー 1978 B.マルカーノ 1979 加藤英司 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ 1982 落合博満 1983 水谷実雄 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 ブーマー 1988 門田博光 1989 ブーマー 1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦 1991 O.デストラーデ, J.トレーバー 1992 ブーマー 1993 R.ブライアント 1994 石井浩郎 1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄 1996 T.ニール 1997 小久保裕紀 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 T.ローズ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 小笠原道大, A.カブレラ 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 中村剛也 2010 小谷野栄一 2011 中村剛也 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 中田翔 2015 中村剛也 2016 中田翔 2017 A.デスパイネ 2018 浅村栄斗 2019 中村剛也 2020 中田翔 2021 島内宏明 2022 山川穂高 2023 近藤健介 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1962 張本勲 1963 ブルーム 1964 張本勲 1965 D.スペンサー 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 張本勲 1974 張本勲 1975 小川亨 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 栗橋茂 1981 門田博光 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 スティーブ 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 門田博光 1988 門田博光 1989 松永浩美 1990 清原和博 1991 白井一幸 1992 清原和博 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 中村紀洋 2002 A.カブレラ 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 松中信彦 2007 T.ローズ 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 A.カブレラ 2011 糸井嘉男 2012 糸井嘉男 2013 E.ヘルマン 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 柳田悠岐 2017 柳田悠岐 2018 柳田悠岐 2019 近藤健介 2020 近藤健介 2021 吉田正尚 2022 吉田正尚 2023 近藤健介 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 大下弘 1951 大下弘 1952 飯島滋弥 1953 岡本伊三美 1954 L.レインズ 1955 中西太 1956 豊田泰光 1957 山内和弘 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 榎本喜八 1961 張本勲 1962 ブルーム 1963 ブルーム 1964 広瀬叔功 1965 野村克也 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 永淵洋三, 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 加藤秀司 1974 張本勲 1975 白仁天 1976 吉岡悟 1977 有藤道世 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 L.リー 1981 落合博満 1982 落合博満 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 新井宏昌 1988 高沢秀昭 1989 ブーマー 1990 西村徳文 1991 平井光親 1992 佐々木誠 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 福浦和也 2002 小笠原道大 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 和田一浩 2006 松中信彦 2007 稲葉篤紀 2008 リック 2009 鉄平 2010 西岡剛 2011 内川聖一 2012 角中勝也 2013 長谷川勇也 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 柳田悠岐 2019 森友哉 2020 吉田正尚 2021 吉田正尚 2022 松本剛 2023 頓宮裕真 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1975 長池徳二 1976 大田卓司 1977 高井保弘 1978 土井正博 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 門田博光 1982 T.ソレイタ 1983 門田博光 1984 L.リー 1985 L.リー 1986 石嶺和彦 1987 石嶺和彦 1988 門田博光 1989 門田博光 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 T.ニール 1996 T.ニール 1997 D.マルティネス 1998 N.ウィルソン 1999 P.クラーク 2000 N.ウィルソン 2001 F.ボーリック 2002 和田一浩 2003 A.カブレラ 2004 F.セギノール 2005 松中信彦 2006 F.セギノール 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 山﨑武司 2010 福浦和也 2011 J.フェルナンデス 2012 W.ペーニャ 2013 M.アブレイユ 2014 中村剛也 2015 李大浩 2016 大谷翔平 2017 A.デスパイネ 2018 近藤健介 2019 A.デスパイネ 2020 栗山巧 2021 近藤健介 2022 吉田正尚 2023 G.ポランコ 表 話 編 歴 1950 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1951 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1952 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1953 大下弘, 別当薫, 堀井数男 1954 大下弘, 関口清治, 山内和弘 1955 飯田徳治, 戸倉勝城, 山内和弘 1956 杉山光平, 戸倉勝城, 山内和弘 1957 大下弘, 毒島章一, 山内和弘 1958 杉山光平, 関口清治, 毒島章一 1959 杉山光平, 高倉照幸, 山内和弘 1960 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1961 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1962 張本勲, 山内一弘, 吉田勝豊 1963 張本勲, 広瀬叔功, 山内一弘 1964 高倉照幸, 張本勲, 広瀬叔功 1965 張本勲, 広瀬叔功, 堀込基明 1966 高倉照幸, 張本勲, 毒島章一 1967 土井正博, 長池徳二, 張本勲 1968 G.アルトマン, 土井正博, 張本勲 1969 長池徳二, 永淵洋三, 張本勲 1970 G.アルトマン, 長池徳二, 張本勲 1971 門田博光, G.アルトマン, 長池徳二 1972 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1973 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1974 D.ビュフォード, 張本勲, 福本豊 1975 佐々木恭介, 白仁天, 弘田澄男 1976 門田博光, 弘田澄男, 福本豊 1977 門田博光, 福本豊, L.リー 1978 佐々木恭介, 福本豊, 簑田浩二 1979 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1980 栗橋茂, 福本豊, L.リー 1981 島田誠, テリー, 福本豊 1982 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1983 島田誠, テリー, 簑田浩二 1984 高沢秀昭, T.クルーズ, 簑田浩二 1985 金森永時, 熊野輝光, 横田真之 1986 秋山幸二, 新井宏昌, 横田真之 1987 秋山幸二, 新井宏昌, T.ブリューワ 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 藤井康雄, R.ブライアント 1990 秋山幸二, 石嶺和彦, 西村徳文 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平井光親 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 高橋智 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 藤井康雄 1994 イチロー, K.ライマー, 佐々木誠 1995 イチロー, 佐々木誠, D.ジャクソン 1996 イチロー, 田口壮, 村松有人 1997 イチロー, 佐々木誠, T.ローズ 1998 イチロー, 大村直之, 柴原洋 1999 イチロー, 谷佳知, T.ローズ 2000 イチロー, 柴原洋, S.オバンドー 2001 礒部公一, 谷佳知, T.ローズ 2002 谷佳知, T.ローズ, 小関竜也 2003 谷佳知, T.ローズ, 和田一浩 2004 和田一浩, SHINJO, 谷佳知 2005 和田一浩, 宮地克彦, M.フランコ 2006 稲葉篤紀, 松中信彦, 和田一浩 2007 稲葉篤紀, 森本稀哲, 大村直之 2008 稲葉篤紀, 栗山巧, リック 2009 鉄平, 糸井嘉男, 稲葉篤紀 2010 多村仁志, T-岡田, 栗山巧 2011 糸井嘉男, 内川聖一, 栗山巧 2012 糸井嘉男, 角中勝也, 内川聖一 2013 長谷川勇也, 内川聖一, 中田翔 2014 柳田悠岐, 糸井嘉男, 中田翔 2015 秋山翔吾, 柳田悠岐, 清田育宏 2016 角中勝也, 糸井嘉男, 西川遥輝 2017 柳田悠岐, 秋山翔吾, 西川遥輝 2018 柳田悠岐, 秋山翔吾, 吉田正尚 2019 荻野貴司, 秋山翔吾, 吉田正尚 2020 柳田悠岐, 吉田正尚, 近藤健介 2021 杉本裕太郎, 吉田正尚, 柳田悠岐 2022 松本剛, 柳田悠岐, 島内宏明 2023 近藤健介, 万波中正, 柳田悠岐 表 話 編 歴 投 菊池雄星 捕 森友哉 一 山川穂高 二 浅村栄斗 三 松田宣浩 遊 源田壮亮 外 秋山翔吾 / 柳田悠岐 / 吉田正尚 指 近藤健介 表 話 編 歴 投 千賀滉大 捕 甲斐拓也 一 中田翔 二 浅村栄斗 三 鈴木大地 遊 源田壮亮 外 柳田悠岐 / 吉田正尚 / 近藤健介 指 栗山巧 表 話 編 歴 投 山本由伸 捕 森友哉 一 B.レアード 二 中村奨吾 三 宗佑磨 遊 源田壮亮 外 杉本裕太郎 / 吉田正尚 / 柳田悠岐 指 近藤健介 表 話 編 歴 投 山本由伸 捕 森友哉 一 頓宮裕真 二 浅村栄斗 三 宗佑磨 遊 紅林弘太郎 外 近藤健介 / 万波中正 / 柳田悠岐 指 G.ポランコ 表 話 編 歴 1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊 1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊 1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊 1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二 1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二 1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二 1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文 1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博 1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠 1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮 1998 イチロー, 大友進, 大村直之 1999 秋山幸二, イチロー, 大友進 2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮 2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知 2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知 2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人 2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO 2005 大村直之, サブロー, SHINJO 2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO 2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲 2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲 2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆 2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧 2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆 2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文 2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾 2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐 2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏 2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男 2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝 2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝 2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐 2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平 2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介 2024 辰己涼介, 周東佑京, 万波中正 表 話 編 歴 投 山本由伸 捕 若月健矢 一 中村晃 二 中村奨吾 三 宗佑磨 遊 源田壮亮 外 辰己涼介 / 万波中正 / 近藤健介 表 話 編 歴 2005 金本知憲, 中村剛也 2006 佐藤充, 松中信彦 2007 高橋尚成, サブロー 2008 金本知憲, 岩隈久志 2009 T.ブランコ, ダルビッシュ有 2010 阿部慎之助, 和田毅 2011 内海哲也, 坂口智隆 2012 杉内俊哉, 吉川光夫 2013 能見篤史, 田中将大 2014 山田哲人, 則本昂大 2015 畠山和洋, 菊池雄星 2016 鈴木誠也, 大谷翔平 2017 丸佳浩, 松本剛 2018 石山泰稚, 石川歩 2019 柳裕也, 鈴木大地 2020 (中止) 2021 D.ビシエド, 伊藤大海 2022 大山悠輔, 杉本裕太郎 2023 牧秀悟, 近藤健介 2024 才木浩人, 近藤健介 表 話 編 歴 20 渡辺元智 21 斎藤智也 22 森士 1 吉永健太朗 2 原樹理 3 釜田佳直 4 歳内宏明 5 松本竜也 6 北方悠誠 7 野田昇吾 8 道端俊輔 9 近藤健介 10 佐藤大貢 11 板崎直人 12 横尾俊建 13 宮内和也 14 高橋周平 15 谷田成吾 16 畔上翔 17 北川倫太郎 18 臼田哲也 表 話 編 歴 72 平田勝男 77 豊田清 78 鳥山泰孝 79 小島啓民 11 中村勝 14 戸田隆矢 15 森雄大 16 野村亮介 17 田口麗斗 18 上沢直之 19 山岡泰輔 20 桜井俊貴 21 横山雄哉 22 熊原健人 26 平良拳太郎 5 近藤健介 10 髙城俊人 27 若月健矢 2 三好匠 3 北條史也 6 辻東倫 9 牧原大成 12 柴田竜拓 1 鈴木誠也 7 武田健吾 23 笹川晃平 24 畔上翔 36 榎本葵 表 話 編 歴 80 稲葉篤紀 88 金子誠(ヘッド兼打撃) 81 建山義紀(投手) 84 村田善則(バッテリー) 82 井端弘和(内野守備走塁) 87 清水雅治(外野守備走塁) 11 野田昇吾 16 又吉克樹(OA) 18 多和田真三郎 19 山﨑康晃 20 近藤大亮 21 今永昇太 23 薮田和樹 25 平井克典 30 石崎剛 34 堀瑞輝 90 田口麗斗 4 若月健矢 10 近藤健介 22 田村龍弘 62 甲斐拓也(OA) 1 京田陽太 6 源田壮亮 7 外崎修汰 8 中村奨吾 12 松本剛 33 山川穂高(OA) 63 西川龍馬 9 オコエ瑠偉 37 桑原将志 51 上林誠知 表 話 編 歴 80 稲葉篤紀 88 金子誠(ヘッド兼打撃) 81 建山義紀(投手) 84 村田善則(バッテリー) 82 井端弘和(内野守備・走塁) 87 清水雅治(外野守備・走塁) 11 岸孝之 13 山岡泰輔 17 大竹寛 18 山口俊 19 山﨑康晃 20 甲斐野央 21 今永昇太 22 大野雄大 28 高橋礼 43 山本由伸 47 中川皓太 57 嘉弥真新也 90 田口麗斗 10 小林誠司 27 會澤翼 62 甲斐拓也 1 山田哲人 2 源田壮亮 3 浅村栄斗 4 菊池涼介 5 外崎修汰 6 坂本勇人 7 松田宣浩 8 近藤健介 9 丸佳浩 23 周東佑京 34 吉田正尚 51 鈴木誠也 表 話 編 歴 80 稲葉篤紀 88 金子誠(ヘッド兼打撃) 81 建山義紀(投手) 84 村田善則(バッテリー) 82 井端弘和(内野守備・走塁) 87 清水雅治(外野守備・走塁) 12 青柳晃洋 13 岩崎優 15 森下暢仁 16 伊藤大海 17 山本由伸 18 田中将大 19 山﨑康晃 20 栗林良吏 21 千賀滉大 22 大野雄大 61 平良海馬 7 梅野隆太郎 10 甲斐拓也 1 山田哲人 2 源田壮亮 3 浅村栄斗 4 菊池涼介 6 坂本勇人 55 村上宗隆 8 近藤健介 9 柳田悠岐 31 栗原陵矢 34 吉田正尚 51 鈴木誠也 表 話 編 歴 89 栗山英樹 90 白井一幸(ヘッド) 77 吉村禎章(打撃) 79 城石憲之(内野守備・走塁兼作戦) 81 吉井理人(投手) 87 清水雅治(外野守備・走塁) 75 厚澤和幸(ブルペン) 74 村田善則(バッテリー) 11 ダルビッシュ有 12 戸郷翔征 13 松井裕樹 14 佐々木朗希 15 大勢 16 大谷翔平 17 伊藤大海 18 山本由伸 20 栗林良吏(途中離脱) 21 今永昇太 22 湯浅京己 26 宇田川優希 28 髙橋宏斗 29 宮城大弥 47 高橋奎二 63 山﨑颯一郎(追加招集) 10 甲斐拓也 24 大城卓三 27 中村悠平 1 山田哲人 2 源田壮亮 3 牧秀悟 5 牧原大成 7 中野拓夢 9 周東佑京 25 岡本和真 33 山川穂高 55 村上宗隆 8 近藤健介 23 ラーズ・ヌートバー 34 吉田正尚 表 話 編 歴 1位:菅野智之(入団拒否) 2位:松本剛 3位:石川慎吾 4位:近藤健介 5位:森内壽春 6位:上沢直之 7位:大嶋匠 日本の野球選手 横浜高等学校出身の野球選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 本塁打王 (NPB) 打点王 (NPB) 首位打者 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手 2023 ワールド・ベースボール・クラシック選手 オリンピック野球日本代表選手 日本のオリンピック金メダリスト 野球のオリンピックメダリスト 2020年東京オリンピックのメダリスト WBSCプレミア12日本代表選手 2019 WBSCプレミア12選手 WBSCプレミア12優勝選手 千葉県出身のスポーツ選手 千葉市出身の人物 1993年生 存命人物 最高出塁率 (NPB) Pages using the JsonConfig extension 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 典拠管理識別子が1つもない記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/20 06:46更新
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kondou kensuke
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