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若生智男の情報 (わこうともお)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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若生 智男さんについて調べます

■名前・氏名
若生 智男
(読み:わこう ともお)
■職業
野球選手
■若生智男の誕生日・生年月日
1937年4月5日 (年齢87歳没)
丑年(うし年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
宮城出身

(昭和12年)1937年生まれの人の年齢早見表

若生智男と同じ1937年生まれの有名人・芸能人

若生智男と同じ4月5日生まれの有名人・芸能人

若生智男と同じ出身地宮城県生まれの有名人・芸能人


若生智男と関係のある人

王貞治: 1回一塁に国松彰を置いて先発の左腕太田紘一からフルカウントで6球目の真ん中高めのカーブを右翼場外の富坂署球場派出所を越えてアイスパレスとローラースケート場の中間に届く約150mの14号2ラン、4回再び太田の初球の真ん中高めの直球を15号ソロ、6回3番手の若生智男から1ストライク2ボールで4球目の真ん中高めのカーブを16号ソロ、さらに7回二塁に柴田を置いて4番手の本間勝から1ストライク2ボールで4球目の外角低めの直球を17号2ラン、すべて130m超級の本塁打で4打数4安打6打点、守りは高橋明投手が完封して9対0で巨人が勝利した。


杉下茂: 1962年には大毎の一軍投手コーチに就任し、菅原紀元・若生智男・坂井勝二とタイプが異なる10勝投手を3人輩出すると、最終戦終了後に即座に辞表を提出した。


間柴茂有: 5月7日の広島戦(川崎)では自らのバットで若生智男からサヨナラ犠飛を放ち、リーグ最多の3完封を含む開幕6連勝を飾るが、この試合を最後に勝ち星から遠ざかる。


植村義信: 7月9日の東映戦(駒澤)に中西勝己・若生智男の3番手で1勝目、同12日の阪急戦(後楽園)にディック・ディサの2番手で2試合連続勝利を挙げ、これが現役最後の勝利となった。


若生正広: 実兄はプロ野球選手の若生智男


岩上江笠: 初本塁打:1963年4月28日、対毎日大映オリオンズ3回戦(日本生命球場)、6回裏に伊藤幸男の代打として出場、若生智男からソロ


池田重喜: 4月29日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で若生智男と投げ合った末に、公式戦初勝利を挙げた。


加藤俊夫: 初本塁打:1968年4月9日、対阪神タイガース1回戦(明治神宮野球場)、7回裏に若生智男からソロ


加藤俊夫: 1968年には西鉄に移籍した岡本凱孝の後継正捕手に定着し、4月9日の阪神戦(神宮)で若生智男から初本塁打を放つ。


川崎徳次: 結局、1年目の江夏は、村山実・若生智男・権藤正利ら先輩投手にカーブの投げ方を教わるしかなくなった。


荒川博: 1957年に登録名を本名に戻すと、8月30日の南海戦(大阪)に若生智男の代打で木村保から2年ぶりの本塁打を記録。


安仁屋宗八: 1974年には春のオープン戦期間中にジョー・ルーツ一軍打撃コーチと投球フォームの変更を巡って対立してしまい、同年オフにルーツが監督に昇格すると、若生智男とのトレードで阪神タイガースに移籍。


宮原秀明: 初出場・初打席:1961年4月21日、対毎日大映オリオンズ2回戦(後楽園球場)、7回表に高木公男の代打として出場、若生智男の前に凡退


西山和良: 1964年の開幕直前、永田雅一会長の希望により、小山正明・ソロムコー山内一弘・若生智男のトレードの裏で東京オリオンズに金銭移籍。


上田二朗: 1972年5月9日の対大洋戦で、先発の若生智男が1回無死一・三塁の場面で負傷したため、上田が代わって登板。


辻恭彦: 3年目の1964年には9月30日のシーズン最終戦、リーグ優勝のかかった中日戦(甲子園)で河村保彦から初安打を放ち、リードでも古沢憲司・太田紘一・若生智男・ピーター・バーンサイド・渡辺省三の5人を引っ張って勝利に導いた。


小野正一: 同年の大洋ホエールズとの日本シリーズでは、第2戦で2回から若生智男をリリーフするが、7回に鈴木武に決勝打を許し敗戦投手となる。


若生照元: 東北高校時代は若生忠男・若生智男と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。


若生忠男: 東北高校時代は若生智男・若生照元と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。


古沢憲司: 村山実・若生智男・太田紘一に次ぐ4番手でマウンドに上がり、三振を2つ奪うなど無安打に抑えた。


村山実: さらに、嶋尾康史も村山監督の時代は「大変だった」と語り、「ブルペンに電話する前に投手交代がしょっちゅうありました」と述べたところ、投手コーチであった若生智男も「あったね。


大宮龍男: 3球団から出場は若生智男(大毎→阪神→広島)・永尾泰憲(ヤクルト→近鉄→阪神)・中尾孝義(中日→巨人→西武)・阿波野秀幸(近鉄→巨人→横浜)・工藤(西武→ダイエー→巨人)・中嶋聡(阪急→西武→日本ハム)・江藤智(広島→巨人→西武)・岡島秀樹(巨人→日本ハム→ソフトバンク)と並んで最多タイであった。


沼澤康一郎: 1959年の開幕前には三平晴樹・若生智男・稲垣忠美・醍醐・谷本と共にペナントレースへのミーティングを開き、他球団の仮想メンバーを作り、各チームのキャンプ、オープン戦の動きを伝えるスポーツ紙を資料にして討論。


若生智男の情報まとめ

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若生 智男(わこう ともお)さんの誕生日は1937年4月5日です。宮城出身の野球選手のようです。

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詳細情報などについてまとめました。卒業、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。87歳で亡くなられているようです。

若生智男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - 2024年6月3日)は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、評論家。

兄には仙台商業高校元監督で宮城県野球連盟会長を務めた若生久二雄、弟には埼玉栄高校元監督の若生正廣がいる。東北高校時代は若生忠男(西鉄→巨人)・若生照元(中大→大洋)と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。

卒業後の1956年に毎日オリオンズへ入団し、8月23日の阪急戦(駒澤)に和田功・中西勝己の3番手で初登板。9月3日の大映戦(後楽園)では先発に起用されるが、5回途中で降板。

2年目の1957年は8月18日の大映戦(西京極)で初勝利を挙げ、10月23日から同24日の東映3連戦(駒澤)では2勝を記録。

3年目の1958年は再び0勝に終わったが、1959年には10月だけで3勝をマーク。3勝中2勝を西鉄から挙げており、同17日の西鉄戦(後楽園)では初完封を記録。

1960年には初の2桁となる13勝を挙げ、規定投球回(4位、防御率2.15)にも達し10年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献。大洋との日本シリーズでは10月12日の第2戦(川崎)に先発、同14日の第3戦(後楽園)に三平晴樹の2番手で登板。

大柄でがっちりとした体格からあまり体に負担をかけない投法で、小野正一に次ぐ投手として活躍。打たれて悩んだ時には荒巻淳が支えとなり、若生も一軍で荒巻のゲーム運びや、投げる姿を参考にして、自分の成績に繋げた。当時は球界屈指のスピードで「和製火の玉投手」と言われた荒巻の球速がありながら、力任せに投げない姿は参考になった。

1962年には2年ぶりの2桁で自己最多の15勝を挙げるが、1963年に故障。

1964年には小山正明・山内一弘の「世紀のトレード」に並行して、マイク・ソロムコと交換で阪神タイガースへ移籍。同年は5勝にとどまるが、5勝中4勝は中日からマーク。南海との日本シリーズでは10月1日の第1戦(甲子園)に村山実、同9日の第6戦(甲子園)にジーン・バッキーの2番手で登板。投手王国・阪神では、先発と中継ぎの両刀使いで活躍し、首脳陣から重宝される存在であった。

1966年には4年ぶりの2桁となる10勝をマークし、防御率は自身唯一の1点台でリーグ3位の1.96を記録。

1967年も同僚の権藤正利に次ぐリーグ2位となる防御率2.14の好成績を挙げる。30歳を超えてからは球威が増して江夏豊・古沢憲司と3本柱を形成し、四球、被安打が少なく、安定感があった。

1969年には自身唯一のオールスターゲーム出場を決め、7月20日の第2戦(甲子園)に小野の2番手で登板。同年から1971年まで3年連続2桁勝利をマークし、その間の1970年からは投手コーチを兼任。1972年には5試合登板で1勝、選手専任に戻った1973年には25試合登板と盛り返すも0勝5敗に終わる。

1975年には安仁屋宗八とのトレードで広島東洋カープに移籍し、先発ローテーションの谷間を埋めて初優勝に貢献。3勝中2勝は中日戦から挙げたが、移籍後初勝利は4月6日に行われた開幕2戦目のヤクルト戦(神宮)でマーク。5月4日の阪神戦(広島市民)では古巣から初セーブを記録し、阪急との日本シリーズでは10月26日の第2戦(西宮)、11月2日の第6戦(西宮)で共に5番手で登板。

1976年は5月26日の巨人戦(後楽園)でセーブを挙げたが、9月2日の中日戦(ナゴヤ)に高橋里志の2番手で登板したのを最後に現役を引退。大毎・阪神・広島でリーグ優勝を経験しており、3チームから日本シリーズに出場。これはプロ野球史上初めてであったが、日本一には1度もなれなかった。

引退後は広島(1977年二軍投手コーチ→1978年一軍投手コーチ)、ロッテ(1979年 - 1983年一軍投手コーチ, 1987年一軍投手チーフコーチ)、阪神(1984年・1988年 - 1989年一軍投手コーチ, 1985年二軍投手コーチ→1986年編成部調査担当)、ダイエー(1990年スカウト→1990年途中 - 1992年二軍投手コーチ)、横浜(1993年 - 1996年二軍投手コーチ)でコーチ・フロントを歴任。

コーチ時代は選手時代からの実績、体力、理論、人間性を兼ね備え、選手の信頼を得る「投手育成名人」として知られたほか、評論家時代の野村克也曰く「ローテーション堅持保持者」であった。

横浜退団後は故郷・仙台に戻り、宮城・東北野球界の御意見番としても活躍。NPO法人「野球振興ふるさと宮城プロ野球選手・OB会」副理事長などを務めたほか、1999年から2000年には日本初のアマ野球硬式全日本女子チーム「チーム・エネルゲン」で臨時コーチを務め 、2001年に発足したプロ野球マスターズリーグでは大阪ロマンズの最年長投手としてプレー。

2006年には森田健作率いるクラブチーム「千葉熱血MAKING」初代選手兼任監督に就任したが、チーム運営の意見の食い違いで本西厚博ヘッドコーチと共に同年退任。

2009年11月21日には東京ドームで初めて行われた「OBオールスターアスリートカップ」に西軍の最年長として出場し、2番手として2回に登板。最速105kmをマークして30歳以上若い東軍の小関竜也を右飛に打ち取るなど1イニングを無失点で抑え、観客を沸かせた。試合後には「110km目指してトレーニングを積む」と意気盛んに語った。

その後はデイリースポーツ東京本部評論家の傍ら、千葉県船橋市の中学校と高校で外部コーチ、2020年からは千葉日本大学第一高等学校の外部特別コーチを長冨浩志と共に務めた。

2024年6月3日に肝臓癌により船橋市内の病院で死去。87歳没。奇しくも弟・正廣も2021年7月に肝臓癌で亡くしていた。

詳細情報

年度別投手成績

各年度の太字はリーグ最高

毎日(毎日オリオンズ)は、1958年に大毎(毎日大映オリオンズ)に球団名を変更

記録

オールスターゲーム出場:1回 (1969年)

背番号

32 (1956年 - 1961年)

18 (1962年 - 1963年)

27 (1964年 - 1974年)

12 (1975年 - 1976年)

79 (1977年 - 1983年)

82 (1984年、1993年 - 1996年)

71 (1985年、1988年)

86 (1987年)

81 (1989年)

80 (1990年 - 1992年)

2024/06/17 03:08更新

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