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藤岡貴裕の情報 (ふじおかたかひろ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

藤岡貴裕の情報(ふじおかたかひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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藤岡 貴裕さんについて調べます

■名前・氏名
藤岡 貴裕
(読み:ふじおか たかひろ)
■職業
野球選手
■藤岡貴裕の誕生日・生年月日
1989年7月17日 (年齢34歳)
巳年(へび年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
群馬出身

(昭和64年/平成元年)1989年生まれの人の年齢早見表

藤岡貴裕と同じ1989年生まれの有名人・芸能人

藤岡貴裕と同じ7月17日生まれの有名人・芸能人

藤岡貴裕と同じ出身地群馬県生まれの有名人・芸能人


藤岡貴裕と関係のある人

小田裕也: 大学では同級生のチームメイトで鈴木大地、藤岡貴裕がいた。


中後悠平: 自身と同じ大学4年生(当時)の左腕投手で、ロッテから1位で指名された藤岡貴裕を「何年か先には抜いて見せます」とも述べていたが、わずか4年で戦力外通告を受けてしまった。


野村祐輔: 菅野智之(東海大)、藤岡貴裕(東洋大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目される。


藤岡裕大: チームに同姓の藤岡貴裕がいたため、スコアボード表記は「藤岡裕」で、ユニフォームの背ネームは「Y.FUJIOKA」。なお、2018年7月27日に藤岡貴裕はトレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍したため、ロッテにおいて藤岡姓の選手は1人だけとなった。


鍵谷陽平: 2019年6月28日に、藤岡貴裕と共に、宇佐見真吾、吉川光夫とのトレードで読売ジャイアンツに移籍。


大谷翔平: 一方で、打撃面では低調で、4月1日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では先発の藤岡貴裕野手では2試合目、6打席目でのプロ入り最速となる第1号本塁打を放つが、6月19日のソフトバンク戦ではプロ入り初の1試合4三振を記録した。


日暮矢麻人: シート打撃形式で藤井皓哉、山本雅士、松田遼馬、古村徹、藤岡貴裕と対戦し5打数0安打5三振を喫した。


岡大海: 2018年7月26日に、藤岡貴裕との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍することが発表された。


今宮健太: 2012年、4月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、首痛のため3回途中で退いた本多雄一に代わり出場すると、翌29日の同カードでは「8番・遊撃手」でプロ初先発出場、さらに翌30日の同カードでは藤岡貴裕から通算11打席目でプロ初安打・初打点となる適時打を打った。


岡大海: プロ初本塁打は、2015年4月1日の千葉ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で藤岡貴裕から打ったものであるが、3年後岡はロッテにトレードされることとなり、そのトレード相手は奇しくも藤岡だった。


土肥寛昌: 大学では1年上に藤岡貴裕がいて、リーグ通算16試合0勝1敗、防御率3.07。


宮崎祐樹: 初安打・初本塁打・初打点:2012年9月29日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に藤岡貴裕から左越先頭打者初球本塁打 ※史上30人目の初本塁打が初回先頭打者本塁打(1回表初球での達成は史上初)


妹尾克哉: 6月に行われたイースタン・リーグ球団との交流戦メンバーに選出され、第3戦の対ロッテ戦では藤岡貴裕からレフトへの二塁打を打つなどして3打点を挙げた。


種田訓久: 1952年6月26日の近鉄戦(彦根球場)で関根潤三から自身のプロ初安打となる先頭打者ホームランを放った(この記録は、それから60年後の2012年9月29日に宮﨑祐樹〈オリックス〉がロッテ戦〔京セラドーム〕で藤岡貴裕からプロ初安打となる先頭打者ホームランを放つまで出なかった)。


益田直也: 2012年はオープン戦で結果を残し、同期入団投手の藤岡貴裕・中後悠平とともに開幕を一軍で迎えた。


宇佐見真吾: 2019年6月26日に藤岡貴裕、鍵谷陽平とのトレードで吉川光夫と共に北海道日本ハムファイターズに移籍。


福谷浩司: 第60回全日本大学野球選手権記念大会にも出場し、決勝で藤岡貴裕(東洋大学)と投手戦を繰り広げ、福谷は9回までに10安打1失点の力投を見せたが、延長10回裏一死一塁からサヨナラ2ランを打たれ優勝を逃した。


則本昂大: 4年次(2012年)の第61回全日本大学野球選手権大会の1回戦で大阪体育大学相手に延長10回を投げ、大隣憲司(近大)や藤岡貴裕(東洋大)の持つ大会記録の19奪三振を超える20奪三振(参考記録)を記録し、特別賞を受賞した。


山田哲人: 6月28日の対巨人戦(神宮球場)では6回一死満塁の打席で藤岡貴裕から、8月30日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では2回二死満塁の打席で阪口皓亮からそれぞれ満塁本塁打を放ち、同年は2本の満塁打を放った。


榎原好: 開幕戦カードで初先発初勝利を挙げているが、この記録は榎原が達成以降2012年に藤岡貴裕が達成するまで球団唯一の記録だった。


大谷智久: この年は、前年まで抑えを務めた西野が先発再転向、この年から抑えを任された益田や、南昌輝、松永昂大、藤岡貴裕など、前年までブルペンを支えた救援陣が総じて不調に陥る中、新人の有吉優樹と共にフル回転し、最終的に55試合に登板。


福田秀平: 翌日、福岡市内の病院で診察を受けたところ、16日の練習試合の対巨人戦で藤岡貴裕から受けた死球による右肩甲骨の亀裂骨折と診断され、21日に一軍登録抹消となった。


川満寛弥: 3年時には、第38回日米大学野球選手権大会の大学日本代表選手選考合宿(6月17-19日)へのメンバーに選出され、最終代表からは漏れたものの、この時の合宿で当時東洋大学のエースだった藤岡貴裕からスライダーの投げ方を教わるなど目標とする選手への「弟子入り」も経験した。


鶴岡慎也: 8月10日の対千葉ロッテ戦では11回同点一死三塁の場面で代打起用され、藤岡貴裕からプロ11年目にして初のサヨナラ適時打を打った。


小島和哉: 2019年、球団では藤岡貴裕以来7年ぶりとなる新人左腕の開幕ローテーション入りを勝ち取り、4月4日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初登板初先発を果たしたが、2回8失点で敗戦投手。


角中勝也: 首位打者の座から陥落した中島は10月6日の対ロッテ戦で先発出場するも、監督の西村徳文はこの試合で角中を欠場させ、先発投手の藤岡貴裕に中島を敬遠するよう指示した。


宮﨑祐樹: 初安打・初本塁打・初打点:2012年9月29日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に藤岡貴裕から左越先頭打者初球本塁打 ※史上30人目の初本塁打が初回先頭打者本塁打(1回表初球での達成は史上初)


緒方凌介: 大学の1年先輩に藤岡貴裕や鈴木大地がいた。


廣神聖哉: 3年時の夏は、群馬県予選準決勝で桐生第一高のエース藤岡貴裕に4打数無安打に抑えられ甲子園出場を絶たれた。


三ツ俣大樹: 同月14日に一旦登録抹消となったが、9月に再昇格し、同月22日のロッテ戦では藤岡貴裕からプロ初安打を含む2安打を放ち、4試合連続安打を放った。


藤岡貴裕の情報まとめ

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藤岡 貴裕(ふじおか たかひろ)さんの誕生日は1989年7月17日です。群馬出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。卒業、母親、引退、事件、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。藤岡貴裕の現在の年齢は34歳のようです。

藤岡貴裕のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

藤岡 貴裕(ふじおか たかひろ、1989年7月17日 - )は、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。

長尾小学校2年生で長尾イースターズに所属し野球を始める。子持中学校在学中は野手としてプレー、2年時には一塁手として出場し秋の県大会ベスト8。

桐生第一高等学校進学後に投手に転向。入学当初は身体も小さく球速は120km/h程度だったが、走り込みと筋力トレーニングの成果が出始め、2年時の第88回全国高等学校野球選手権大会では外野手の控え選手で出場。初戦の佐賀商業戦に外野手として途中出場し2打席ノーヒット。次戦の東洋大姫路戦では出場の機会なしでチームは敗退。この時の東洋大姫路で登板したピッチャーが、のちに東洋大学で1学年先輩となる乾真大である。

翌年の第79回選抜高等学校野球大会は外野手兼控え投手(背番号9)として出場し、初戦で都城泉ヶ丘と対戦し敗退。9回で被安打6、奪三振数8、自責点2。3年時には球速140キロの直球を武器に県内屈指の左腕に成長、エースとして臨んだ夏の群馬大会は決勝戦で前橋商業高に敗れたものの、得意の直球で勝負を挑み、前橋商業の樺沢健主将(のち東京農業大学→トヨタ自動車)に勝ち越しの本塁打を打たれたことに対して「悔いはない」と答えている。

2008年に高校卒業後、東洋大学経営学部経営学科に進学し、同大学野球部所属。1年次の春から東都大学リーグ戦に出場。2009年秋から2010年春にかけて39回連続無失点を記録。3年次の2010年、開幕から3試合連続で完封勝利し6勝を挙げてチームの優勝に貢献。大会MVPを受賞。続く第59回全日本大学野球選手権大会でも2完投の活躍で優勝に貢献し、最高殊勲選手賞と最優秀投手賞を受賞した。秋も最優秀投手賞を受賞し第5回世界大学野球選手権日本代表に選出された(背番号17)。

2011年の4年次、鈴木大地が主将となり、藤岡自身は副将を務めた。春季リーグ戦では全11試合に登板(内、先発が7試合)し5勝を挙げ、2度目のMVPと最優秀投手賞を受賞。続く第60回全日本大学野球選手権記念大会では2回戦で大会タイ記録の1試合19奪三振を達成、決勝も延長10回を完投するなどの活躍を見せて東洋大の連覇に貢献し、2年連続のMVPを受賞した。7月に米国で開催された第38回日米大学野球選手権大会の大学日本代表に選出(背番号17)。第2戦で先発登板し、6回を被安打6、9奪三振。第5戦で2番手で登板、2回を被安打0、2奪三振。

同2011年の秋季リーグでは8試合に登板し、6勝1敗、防御率 0.93。同年10月11日、秋季リーグ第6週の対亜細亜大学戦で通算奪三振数300を記録して完投勝利を挙げ、また高橋昭雄東洋大監督のリーグ史上2人目となる通算500勝目を達成した。続く10月25日、最終週でリーグ新記録となる高橋監督の通算502勝目となる試合で完投勝利を挙げた。同2011年秋季リーグでベストナイン、敢闘賞、最優秀投手賞受賞。通算成績は東都大学リーグ戦で49試合に登板27勝9敗、奪三振数323、防御率1.31。全国大会で登板試合11試合、投球回数59、奪三振数74、防御率0.92。野村祐輔(明大)、菅野智之(東海大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目される。大学同期に鈴木大地、小田裕也。1学年上に林崎遼、東都リーグ首位打者の木村篤史(のち東邦ガス監督)、1学年下に緒方凌介などがいた。

2011年のドラフト会議では千葉ロッテマリーンズ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスの3球団から1巡目指名を受ける。抽選の結果、ロッテが交渉権を獲得し、11月11日の午前11時11分11秒(2011年も含め12個の1並びとなる)に仮契約を結んだ。背番号は「18」。

2012年の開幕は、同期入団投手の中後悠平、益田直也と共に一軍登録でのスタートとなる。新人選手が3人同時に一軍スタートとなるのは、2008年以来4年ぶり。

4月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Kスタ宮城)でプロ入り初登板を果たす。150km/hを記録した直球と、内外に投げ分けたコントロール抜群のスライダー、球速差の大きいカーブを織り交ぜた投球内容で、7回2/3を投げ、打者29人に対し投球数128、被安打4、与四球2、失点2、奪三振6という内容で初勝利を挙げた。なお4回まで毎回となる6奪三振はすべて空振りで奪っている。この勝利でチームとしては1957年以来55年ぶりの開幕3連勝という記念試合になった。今期の12球団の新人投手としては、初勝利は一番乗り。試合後のヒーローインタビューで手にしたウイニングボールは「母親にあげます」と笑顔で語り、その後球場に観戦に来ていた両親へと手渡された。ロッテの新人投手の初先発初勝利は、2008年4月26日の福岡ソフトバンクホークス戦で唐川侑己が記録して以来4年ぶり、ドラフト制度以降ではチーム5人目となる。また開幕カードでの初先発初勝利は、1950年に榎原好(当時:毎日オリオンズ)が完投勝利を挙げて以来、球団史上2人目。

続く4月15日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で先発し9回を10奪三振1失点の内容でプロ初完投勝利を挙げ2勝目、4月30日のソフトバンク戦(QVCマリン)で6回4安打3失点の内容で3勝目。新人が4月までに3勝を記録したのが、毎日時代の荒巻淳、榎原好、上野重雄、中西勝己に次いで球団史上56年ぶり5人目の快挙。この日は同期入団の投手中後悠平、益田直也と共に3人でお立ち台にあがり、本拠地球場で初のヒーローインタービューとなった。しかしその後は勝ち星も伸び悩み、二軍降格も経験するなどシーズンを通して6勝7敗という成績に終わった。

2013年は開幕から先発ローテーションに入るものの、調子が上がりきらず5月10日に登録抹消。一軍復帰後はロングリリーフでの起用が主となり、39試合に登板。前年に続き6勝に終わり、防御率、イニング数、被安打、四死球などが前年より劣った成績となった。

2014年は自己最多の投球イニングを投げたが、3年連続で6勝に終わり、リーグワーストの被本塁打19本を記録し、防御率も4点台と大きく成績を悪化させた。

2015年は開幕ローテーション入りし、4月1日の北海道日本ハムファイターズ戦に先発したが、2本の本塁打を打たれ5回4失点で敗戦投手となり二軍落ちとなった。その後二軍で調整を進め、5月2日に一軍昇格して日本ハム戦で先発したが今度はさらに内容を悪くし、3回8失点で敗戦投手となり、前日に続いて投手陣が崩壊したこともあり、怒り心頭の伊東勤監督からは「プロ野球の投手じゃない」と酷評され、再び二軍落ちとなった。6月に再昇格してからは中継ぎとして登板した。最終的にこの年は31試合に登板し、2勝2敗6ホールド、防御率3.79、中継ぎでの成績は防御率2.21の成績を残した。

2016年は6月に左肘の靭帯を損傷し、2か月離脱したが、中継ぎとして32試合に登板。プロ入り後初めて先発登板は0に終わったが、防御率は2点台を記録した。

2017年も中継ぎの1人として開幕ベンチ入りをしたが不調で二軍落ち。復帰後の4月25日の対楽天戦、4月28日の対西武戦と立て続けに1回を無失点に抑え復調しかけ、5月4日の対日本ハム戦でも5回に登板してこの年初めて走者を出さずに無失点に抑えたものの、次の回に6失点と炎上した。この試合以降も登録抹消と昇格を数回繰り返したが全試合で失点し、7月の頭に再び二軍に降格してからは一軍登板なしに終わり、入団以来初めて一軍未勝利に終わるなど自己ワーストの成績となった。

2018年は先発復帰を目指していたが開幕から一軍登板がなかった。

2018年7月26日に岡大海との交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。背番号は「56」。移籍後3年ぶりとなる一軍での先発登板を含む4試合に登板したが、勝利を挙げることができず2敗を喫した。

2019年は2試合の登板にとどまっていた。

2019年6月28日、吉川光夫、宇佐見真吾とのトレードで鍵谷陽平とともに読売ジャイアンツに移籍。背番号は「47」。これは令和における日本プロ野球 (NPB) 初のトレードによる移籍であった。しかし、移籍後は一軍登板なくシーズンを終えた。

2020年は12試合に起用され、防御率3.12ながら、WHIPは1.62と不安定な投球内容だった。10月28日のイースタン・リーグでの楽天戦で6回に黒川史陽の頭部に死球を当て危険球退場となった。11月2日、翌年の契約を結ばない旨が発表された。

戦力外通告後は現役続行を希望し12球団合同トライアウトに参加していたが、2021年1月5日に現役を引退し球団職員として球団に残ることが発表され、後日ジャイアンツアカデミーのコーチに就任したことが発表された。2023年3月にアカデミーコーチを退任し、同年からは巨人の打撃投手を務めている。

選手としての特徴

スリークォーターから平均球速約139km/h、最速153km/h(プロ入り後の最速は150km/h)のストレートと縦横二種類のスライダー、カーブ、稀にフォークを投げ分ける。投球のほとんどがストレートかスライダーである。決め球であるスライダーを中心に奪三振能力は高いが、プロ入り前に高く評価されていた制球力はプロ入り後の通算与四球率3.59と精彩を欠く。また2014年度は被本塁打が規定未到達ながらリーグトップであった。2012年度シーズンのオフに、同僚の成瀬善久からチェンジアップを伝授されたが、実戦では一度も投げていない。

クイックやフィールディングに優れ、野手としても非凡な才能を持ち、学生時代は「バットコントロールには自信がある」と言っていた。50メートル6.2秒、遠投110メートルと身体能力が高く、高校時代には監督から「中堅手をやらせたらピカイチ」とも評された。

東洋大学野球部では、ウエイトトレーニング以上に主に走り込みと投球練習での身体作りが推奨されており、太もも周りは63センチという藤岡のがっしりと安定した下半身も、このトレーニングの成果といわれる。

人物

初のチームイベント参加となった2012年1月2日の新春初売りイベント(QVCマリンフィールド)でトークショーを担当し、同年の目標を「新人王」と書き初めをしファンに披露した。

日本プロ野球機構新人選手研修会恒例の「話し方、インタビューへの対応」講義において、模擬インタビューでの受け答えを講師役の元ニッポン放送アナウンサーの深澤弘から100点満点と評された。

さいたま市にあるロッテの新人寮へ入寮する際、1年前のドラフト1位伊志嶺翔大、2年前のドラフト1位荻野貴司が入った出世部屋に入ることが決まったが、活躍して早く退寮したいという想いから荷物は最低限のものだけしか持ってこなかったという。

また、入寮の際は大学ビッグ3と呼ばれた同期の野村祐輔、菅野智之と共に撮った一番の宝物としていた写真を、準備に焦って持って来るのを忘れ、沖縄県石垣島でのキャンプでは、キャンプ用にわざわざ用意した抱き枕を持ってくるのを忘れるという素顔のマイペースな一面をみせるエピソードが続いた。

自身の話題があがる日に、何故か必ず別の話題や出来事が起きたりするということを藤岡自身も語っており、ドラフト指名当日には巨人単独1位指名確実と言われた東海大学菅野智之が競合の末、日本ハムファイターズに1位指名されるという大きなサプライズが、正式契約の日には巨人の清武英利球団代表兼GM(当時)が渡邉恒雄球団会長を告発するという事件が、新人寮への入寮時には同期入団の中後悠平と益田直也が電車を乗り間違えて入寮に大遅刻をするというハプニングが発生、初のブルペン入りを果たした当日は、ダルビッシュ有がMLBレンジャースと正式契約となり、初の対外チームとの先発予定試合で、相手は巨人の澤村拓一と話題になるには充分な舞台が用意されたものの雨天中止、本拠地QVCマリンフィールドでのオープン戦初先発の日(2012年3月25日)には、AKB48の前田敦子がグループを卒業すると突然の発表を行ったというニュースがあり、話題をさらわれている。

2012年3月23日に行われた東洋大学の卒業式で、学長賞と創立125周年スポーツ報奨制度表彰を受けた。同校の同期で共に受賞した箱根駅伝で4年連続区間賞の柏原竜二とは式典で初対面となり、お互いの活躍を祈ってエールを送りあった。

両親も自身も血液型はAB型。大学時代の野球部同期に二重人格を疑われるほどマウンド上と日常の様子が違うというが、本人にはその自覚は無いらしい。

同期の中後悠平、益田直也とプライベートでも仲が良く、自前のRV車で移動していた。代々プロ野球でルーキーは一年通してシーズンの過ごし方を体験していないから試合に集中させるためルーキーは球場から宿泊先、寮までバス移動が基本で車移動の容認は異例の待遇だと言う。

2013年1月14日、同年1月8日に一般女性と結婚したことを発表した。

2024/06/15 21:15更新

fujioka takahiro


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