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今宮健太の情報 (いまみやけんた)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

今宮健太の情報(いまみやけんた) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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今宮 健太さんについて調べます

■名前・氏名
今宮 健太
(読み:いまみや けんた)
■職業
野球選手
■今宮健太の誕生日・生年月日
1991年7月15日 (年齢32歳)
未年(ひつじ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
大分出身

(平成3年)1991年生まれの人の年齢早見表

今宮健太と同じ1991年生まれの有名人・芸能人

今宮健太と同じ7月15日生まれの有名人・芸能人

今宮健太と同じ出身地大分県生まれの有名人・芸能人


今宮健太と関係のある人

菊池雄星: 準々決勝では今宮健太を擁する明豊高と当たり、4回までパーフェクトと好投を見せ、7対6で勝利するも、腰痛を訴え5回にベンチに退いた。


山田修義: 初奪三振:2012年8月17日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(京セラドーム大阪)、1回表に今宮健太から空振り三振


細山田武史: さらに走者として三塁へ進むと、今宮健太の打席で一塁走者・中村晃とのダブルスチールを敢行、自身5年振りの盗塁となるホームスチールを成功させるなど1イニングで3点を稼いでチームの勝利に貢献した。


明石健志: 試合の終盤には今宮健太が遊撃の守備固めに入っていたため、一塁の守備に回ることも多かった。


柳田悠岐: 10月31日の第3戦では、1回表の先頭打者でライト前ヒットで出塁、2番今宮健太の打席で初球盗塁。


柳川大晟: 幼稚園の時にテレビで甲子園の試合(第91回夏・今宮健太擁する明豊対菊池雄星擁する花巻東の準々決勝第1試合)を見て、今宮のプレーに感銘を受けて野球に触れる。


川島慶三: 中山慎也に死球を受けて出塁し、直後に中山-伊藤光バッテリーから二盗を成功させ移籍後初盗塁を記録し、今宮健太の内野安打により生還し移籍後初得点も記録した。


吉村裕基: 第1戦、第2戦は代打で結果が出なかったが、10月28日の第3戦で7番指名打者として先発出場すると、2回に藤浪晋太郎から四球を選び先頭で出塁し、今宮健太の犠打で進塁、続く細川への7球目が暴投となり、ファウルゾーンを転がる間に二塁から一気に生還した。


古長拓: 大学時代の先輩との縁で福岡ソフトバンクホークスの今宮健太と親交があり、シーズンオフは今宮らソフトバンクの選手と一緒に自主練習を行っている。


西田哲朗: 5月25日には一軍復帰し肘痛で調子の上がらない今宮健太の代役で遊撃手として初のスターティングメンバーに入ると今度はレギュラー二塁手だった本多雄一が怪我で離脱し二塁手として先発出場し時には三塁手や一塁手と内野全てを守った。


倉本寿彦: チームのCS突破を経て臨んだ福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、1点リードで迎えた第2戦7回裏一死一塁の場面で今宮健太が打ったゴロを捌いた二塁手・柴田竜拓からの送球を落球。


栗原陵矢: 8月11日の対オリックス・バファローズ戦(福岡PayPayドーム)には、相手先発(山本由伸)への対策・背中の張りなどを抱えている今宮健太の欠場という事情はあったものの、プロ入り初の4番を務めた。


田中広輔: 代表に選ばれていた今宮健太・中島卓也の辞退による追加招集であったため、代表の28選手で最後に選ばれながらも、大会通算で打率.250(8打数2安打)、2盗塁、2得点を記録した。


嶺井博希: 中学校2年生時には、九州選抜大会に出場(今宮健太も同大会出場)。


牧原大成: 今宮健太の故障離脱により二軍では遊撃手としても実戦経験を積み、7月2日に再び一軍へ昇格。


川瀬晃: 今宮健太が体調不良のため離脱後はショートでのスタメン起用もあったが、交流戦期間中の6月4日の対広島戦の試合で、セーフティーバントを仕掛け、一塁ベースを駆け抜けようとした際に相手一塁手と交錯。


島袋洋奨: 夏の第91回選手権大会・1回戦の今宮健太を擁する明豊高校戦では9番・投手で先発出場した。


上野響平: 目標とする選手は今宮健太


明石健志: また、同チームの松田宣浩、今宮健太、長谷川勇也と並び、史上4人目の日本シリーズで相手リーグの全球団に勝利し、日本一になったことがある選手である。


秋山幸二: 監督時代は長谷川勇也・明石健志・柳田悠岐・中村晃・今宮健太らを育てた。


山野恭介: 1学年上の今宮健太とは幼稚園の頃からの幼馴染で、小学校から高校まで今宮と同じチームでプレーした。


菊池雄星: 高校時代に第81回選抜高等学校野球大会で菊池と対戦経験がある今宮健太は、「100%(内角速球)来るとわかっていても打てなかった」と語っていた。


庄司隼人: 同学年の今宮健太とは小柄な選手同士であることから互いにライバル意識を持っていた。


松田宣浩: また、遊撃手の今宮健太と同時に2013年から5年連続で同賞を受賞したが、同一チームの三遊間のコンビが5年連続で同時受賞したのは両リーグ初である。


城島健司: 城島自身はこれ以前に『夢空間スポーツ』の自身のコーナーにて「(選手として)バリバリの状態で福岡に戻りたい」、「今の自分があるのはホークスのおかげであり、ユニフォームを脱ぐ時は福岡でホークスのユニフォームを脱ぎたい」と語っており、ソフトバンク球団側も背番号「2」を欠番にし、城島のマリナーズ退団情報を9月中旬に掴んでいたが、この年に26本塁打を放ち飛躍した田上秀則の存在や城島自身の年俸の高騰などのため最終的には獲得を見送り、この後球団は背番号「2」を、この年のドラフト会議で1位指名した、城島にとっては高校の後輩にあたる今宮健太に与えた。


川﨑宗則: 以降の公式戦にも、川﨑のメジャー移籍後から今宮健太が正遊撃手として定着していることなどを背景に、二塁手として出場。


石川柊太: 7月13日の楽天戦で先発復帰したが、9月11日の日本ハム戦では初回先頭打者が今宮健太の失策で出塁したのを皮切りに、5安打3四死球の大乱調で自己最悪となる10失点(自責点3)、自己最短の2/3回で降板した。


内川聖一: 現在は独り立ちして自身で自主トレを行っているが、過去には今宮健太も参加していた。


横山貴明: 今宮健太に投じた初球が中前への適時打となったが、二塁を狙った今宮が走塁死を喫した。


山下舜平大: 小学生の頃は福岡ソフトバンクホークスのファンで毎週のように福岡ドームに行き、今宮健太の背番号「2」の入ったTシャツを着て小学校にも通っていた。


今宮健太の情報まとめ

もしもしロボ

今宮 健太(いまみや けんた)さんの誕生日は1991年7月15日です。大分出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。現在、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。今宮健太の現在の年齢は32歳のようです。

今宮健太のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

今宮 健太(いまみや けんた、1991年7月15日 - )は、大分県別府市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

史上最年少での通算200犠打、250犠打の達成者。パ・リーグのシーズン最多犠打数を4度記録する送りバントの名手で、2022年シーズン終了時点で現役最多の犠打数を誇る。また史上初めて20代で通算300犠打を達成した。

明豊中学校時代には第23回全日本少年軟式野球大会にエースとして出場。2007年に入学した明豊高等学校では、1学年下に同じ少年野球チームでプレーしていた山野恭介がいた。

1年次から遊撃手としてレギュラーとなる一方で投手も兼任。1年秋には県大会優勝、及び九州大会優勝。1番打者兼エースとして公式戦打率.540、九州大会決勝では沖縄尚学高校に1失点完投勝利など投打の活躍でチーム初の選抜出場に貢献。2年春の選抜に1番・投手(背番号1)で甲子園初出場し1回戦の常葉菊川戦に先発するも敗退。2年秋は県大会優勝、九州大会4強で2年連続の選抜出場を決めた。3年春からは控え投手となり、選抜には3番・三塁手兼投手(背番号5)として出場し1回戦を勝利するも、2回戦で菊池雄星を擁する花巻東(岩手)に敗れた。

夏の県大会では遊撃手(三塁手)兼投手として出場。3打席連続で本塁打を打つなどして春夏連続での甲子園出場を決める。夏の甲子園では3番・遊撃手(三塁手)兼投手(背番号6)として出場。準々決勝まで勝ち進み、春に敗北した花巻東と再び対戦。4回に連打を打たれ降板し三塁へ回ったが、同点とされた直後の9回一死三塁で再び登板し、2者連続三振でピンチを脱すも10回には勝ち越し打を打たれて敗戦。

2009年10月29日、プロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受け、11月8日に仮契約した。背番号は城島健司が退団して以来空き番だった2。

2011年(2年目)は川﨑宗則を上回る守備力と評され、球団では内之倉隆志以来21年ぶりとなる10代での開幕一軍を果たし、開幕戦では守備から途中出場しこれがプロ初出場となった。シーズンの半分以上を一軍に帯同したが出場機会には恵まれず、18試合の出場、1打席に留まった。11月25日のアジアシリーズ統一セブンイレブン・ライオンズ戦で「8番・一塁手」で初先発出場を果たし、その翌日の26日のアジアシリーズ三星ライオンズ戦では3安打、1打点、1盗塁で猛打賞を受賞。オフにはオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、11試合の出場で打率.238、5盗塁を記録した。

2012年、4月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、首痛のため3回途中で退いた本多雄一に代わり出場すると、翌29日の同カードでは「8番・遊撃手」でプロ初先発出場、さらに翌30日の同カードでは藤岡貴裕から通算11打席目でプロ初安打・初打点となる適時打を打った。8月4日の対埼玉西武ライオンズ戦では松永浩典からプロ初本塁打を打ち、5日の試合でも武隈祥太から本塁打を打ち、2試合連続本塁打を記録。シーズン途中で本多と松田宣浩が故障で長期離脱した際に、ライバルである明石健志が二塁や三塁の守備に入ったため、今宮は84試合に遊撃手として先発出場。また、明石が遊撃手として先発出場した試合でも38試合で終盤の遊撃守備固めとして出場。

2013年、正遊撃手として142試合に先発出場し、7月14日のオリックス・バファローズ戦ではサヨナラ安打を打った。9月25日のオリックス戦で9回一死一塁の場面で投犠打を決めたことがシーズン59個目の犠打となり、2007年に田中賢介が記録したパ・リーグ記録のシーズン58犠打を6年ぶりに更新。最終的には62まで記録を伸ばした。下位を任されていた7月までは打率.235だったが、8月に入り2番打者に定着し、8月は月間打率.362を記録するなど打撃面でも成長を見せた。シーズン後には自身初のゴールデングラブ賞を受賞。オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出。

2014年、4月3日の北海道日本ハムファイターズ戦では武田久からサヨナラ安打を打ち、6月12日のセ・パ交流戦、中日ドラゴンズ戦では岩瀬仁紀からサヨナラ2点適時二塁打を打った。シーズン成績は前年同様62犠打を記録し、「プロ野球史上初となる2年連続60犠打」を達成した。一方で打撃面は打率.240(規定打席到達者ではリーグワースト3位)、出塁率.295(同ワースト3位)に終わった。ポストシーズンはクライマックスシリーズでは打率.136、日本シリーズでは打率.188と振るわなかった。オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出されたことが発表された。この大会では、5試合で計4打数無安打に終わったが、親善試合では3安打を打った。また、自身初となるベストナイン、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。

2015年、2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された。3月11日の第2戦に「8番・遊撃手」で先発出場。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された。シーズン成績は.228、7本塁打、45打点を記録。打率はリーグワースト2位を記録したが、犠打数はリーグ最多の35犠打を記録した。11月2日に柳田悠岐の代わりにプレミア12の日本代表に選出された。

2016年、2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。3月6日の第2戦に「7番・遊撃手」で先発出場し、2打数2安打だった。6月2日に福岡ヤフオク!ドームで行われたセ・パ交流戦・対中日戦において、史上最年少となる200犠打を達成。シーズン成績は、打率.245、10本塁打、56打点を記録。自身初の2桁本塁打を放ったが、9月に右肘痛を発症したこともあり、137試合の出場に留まった。10月28日、福岡県内の病院で右肘の関節内遊離体を摘出する手術を受けたと発表された。11月29日には、4年連続4度目となるゴールデングラブ賞を受賞。12月12日、契約更改交渉を行い、5500万円増の1億4500万円(金額は推定)で契約更改した。

東北楽天ゴールデンイーグルスとのクライマックスシリーズでは、10月18日の第1戦にソロ本塁打を放つなど活躍し、日本シリーズに進出する。横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズでは、10月29日の第2戦、1点ビハインドの7回裏、二死満塁の場面で、中村晃の安打で二塁走者の今宮は本塁突入、リプレー検証となる際どいタイミングであったが、好走塁で決勝点をもぎ取る。11月1日の第4戦では、横浜スタジアムの三塁側エキサイティング・シートに飛び込むダイビングキャッチのビックプレーをみせ、11月2日の第5戦では、自身日本シリーズ初の猛打賞に加え2盗塁と活躍し、2年ぶりのチームの日本一奪還に貢献した。

11月9日、5年連続5度目のゴールデングラブ賞を受賞したほか、2014年以来3年ぶりにベストナインにも選出された。12月20日、7500万円増の年俸2億2000万円(金額は推定)で契約を更改した。

2018年、シーズン序盤は肘痛の影響もあり打撃不振が続き、6月5日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では2回二死一塁の打席で石川雅規から球団通算8500本塁打となる2点本塁打を放つも交流戦期間中に出場選手登録を抹消された。復帰後は夏場に調子を上げ、8月24日の西武戦(福岡ヤフオク!ドーム)で菊池雄星から先頭打者本塁打を放った。8月26日の対西武戦(福岡 ヤフオク!ドーム)で2回二死満塁の打席で郭俊麟から自身初の満塁本塁打を放った。3年連続で2桁本塁打を達成し、打率も離脱前より約5分も上げるほど打撃好調だったが、9月17日の西武戦で守備の際に左太腿裏を痛め(筋損傷と診断される)、翌日シーズン2度目の登録抹消となり、そのままレギュラーシーズンを終えた。故障のため2度出場登録を外れた影響でレギュラー定着後初めて規定打席に到達できず、またゴールデングラブ賞の連続受賞も5年で途切れた。オフに背番号6への変更、2を甲斐拓也につけて欲しいことを球団に要望した。

2019年、自主トレから取り組んでいた、早い段階から左足を上げてタイミングをとるという新しい打撃フォームが功を奏し、シーズン序盤は首位打者として打撃面でチームを牽引。4月19日の西武戦では自身プロ入り後初の3番打者を務め、3回表に多和田真三郎から適時打を打った。しかし、前年痛めた左足太もも裏の痛みが再発してスタメンから外れる試合が多くなり、6月22日に登録抹消された。また、オールスターゲームにも、ファン投票、選手間投票で選出されていたが、怪我のため辞退した。7月23日のロッテ戦で、「2番・遊撃手」でスタメン復帰し、復帰後初打席で本塁打を打った。また、後続のデスパイネ、松田も続き、チームでは2016年6月3日の広島戦以来となる3者連続本塁打を記録した。8月8日のロッテ戦では、7回表に2点ビハインドの状況で代打として登場し、チェン・グァンユウから代打逆転3点本塁打を打った。これが自身プロ入り後初の代打での安打、本塁打、打点、得点であった。

また、西武とのクライマックスシリーズファイナルステージでは第4戦で1試合3本塁打(本田圭佑、松本航、増田達至から)を放つなど打率.526という活躍を見せ、シリーズMVPに選ばれた。

2020年、開幕序盤から背中の張りを抱え、定期的にスタメンから外れる試合が続いた。2019年から犠打の企図数が減っていた中、7月4日に札幌ドームで行われた日本ハム戦(札幌ドーム)で、史上最年少の28歳11か月で通算300犠打を達成。8月19日のロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)で、左脹脛に違和感を覚え途中交代、翌20日に出場選手登録を抹消された。その後、左脹脛のヒラメ筋部分の筋損傷と診断され、実戦復帰までに1か月半から2か月弱かかる見込みとの球団からの発表があり、そのまま復帰することなくシーズンを終えた。

2021年、開幕戦(3月26日、対ロッテ・福岡PayPayドーム)で二木康太からシーズン初打席の初球を打ち、先制の2点本塁打を、翌27日の対ロッテ戦で益田直也からサヨナラ二塁打を打った。4月8日の対日本ハム戦(札幌ドーム)の5回にパ・リーグ新記録の通算306犠打を決めた。6月8日の対広島戦(福岡PayPayドーム)では6回一死無走者の打席で大瀬良大地から史上3球団目となる球団通算9000本塁打を放った。10月5日の対楽天戦では早川隆久から左前安打を放ち、通算1000安打を達成。しかし、10月21日の日本ハム戦で守備中に負傷し、途中交代。左脛骨の骨挫傷と診断されたため登録を抹消され、そのままシーズンを終えた。同年は序盤から両ふくらはぎの状態が万全でない中で125試合に出場したが、規定打席にも4年連続で届かず、打率もレギュラー獲得後ではワーストの.214となった。

2022年、開幕前にはフレディ・ガルビスとの激しいポジション争いが予想されたが、しっかりと結果を残して定位置に返り咲いた。開幕から打撃好調を維持し、5月の月間打率は4割超(.419)、同月25日時点でリーグ2位の打率.345を記録。ところが新型コロナウイルスの濃厚接触者となり登録抹消。1週間で戦列復帰を果たしたが、その後は打撃の状態を落とした。しかし、夏場に復調して以降は再び打線の中心となった。最終的に自己最高記録でパ・リーグ4位となる打率.296、7本塁打、47打点を記録し、5年ぶり3度目のベストナインを受賞。特に満塁の場面で強く、満塁で10打数以上打席に立ったパ・リーグ全選手中、打率は最高の.545(11打数6安打)、打点も吉田正尚(オリックス)の12に次ぐ11を記録した。

2023年は開幕戦から先発出場も10打数(15打席)無安打で始まり、シーズン初安打は5戦目の4月5日の対オリックス2回戦(京セラドーム)で2回表、黒木優太から中安打。4月12日、対日本ハム2回戦(PayPayドーム)2回裏に犠打を決め、NPB史上4人目の通算350犠打、31歳9か月での達成は史上最年少となった。12日の日本ハム戦の3打席目、4打席目、14日の楽天戦(楽天)の1打席目(田中将大から)に3打席連続二塁打、6月15日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)では延長10回一死満塁の打席で清水昇から決勝2点適時打、8月31日の対オリックス戦(福岡PayPayドーム)では両者無得点で迎えた9回二死二塁の打席で平野佳寿からサヨナラ二塁打を放った。同年5月27日、7月10日、9月16日にいずれも体調不良のため、シーズンでは特例2023で3度の出場選手登録抹消を経験した。2年連続で規定打席に到達、成績は打率.255、9本塁打、48打点だった。

2024年は3月29日のオリックス(京セラドーム)との開幕戦で宮城大弥から3年ぶりの三塁打を放った。4月3日のロッテ戦(福岡PayPayドーム)でメルセデスから6年ぶりの先頭打者本塁打を放った。5月21日の楽天戦(福岡みずほPayPayドーム)で4回無死三塁でコディ・ポンセから右越えの適時三塁打を放つ、その後、打者一巡で1死満塁で再び打席が回ると、櫻井周斗から中越えで走者一掃の適時三塁打を再びマークし、1イニング2三塁打は1946年9月7日に中部日本(現在の中日)・杉浦清が記録して以来、史上3人目、1950年の2リーグ分立後は史上初となった。

選手としての特徴

高校時代は投手も務めており、1年生時は投球術を駆使した投球が特長だったが、1年後には常時140km/hと進化を遂げた。3年生時の夏の甲子園では準々決勝にて154km/hを計測した。遠投120メートルを誇る強肩。2019年の秋季キャンプにブルペンで投球した際の最速は142km/h。

内角球を肘を畳んで打つ技術とリストの強さを持ち合わせ、高校通算62本塁打を記録。プロ入り後は「金属(バット)だから打てたというのもあるし、自分に合っているのは本塁打じゃない」と語っていた。しかし2017年から3年連続で2桁本塁打を記録し、2019年のCSでは史上初の1試合3本塁打を記録しており、「しっかりと自分のスイングをした中で飛んでいくのを求めています」と語っている。また犠打のパ・リーグシーズン記録を保持しているが、バントのサインを出されるのは理想ではないと発言している。

身体能力抜群の遊撃手で、高い運動能力を生かした広い守備範囲も見所の一つ、球界屈指の強肩で三遊間の深い位置からでも一塁をアウトにするスローイングは定評がある。50m走のタイムは6秒1の俊足。

三塁手・松田宣浩との同一チームの三遊間での5年連続のゴールデングラブ受賞は、2000年から2002年まで3年連続の遊撃手・宮本慎也、三塁手・岩村明憲(ヤクルトスワローズ)を凌ぎ、歴代最長記録を更新している。

史上最年少での通算200犠打、250犠打の達成の他、パ・リーグのシーズン最多犠打数を4度記録する送りバントの名手でもあり、2019年シーズン終了時点で現役最多の犠打数299を誇っていた。その後、2020年7月3日に300犠打を、2023年4月12日に350犠打を、それぞれ史上最年少で達成している。

また、同チームの松田宣浩、明石健志、長谷川勇也と並び、史上4名の出場した日本シリーズで相手リーグの全球団に勝利し、日本一になったことがある選手である。

人物

最も憧れる野球選手は松井稼頭央である。当時のソフトバンクの秋山幸二監督は今宮について「松井稼頭央のような選手になってくれたら」と語り、今宮も「松井稼頭央さんみたいな選手になって3割、30盗塁を決めたい」と語っている。

入団当時から二軍監督、内野守備走塁コーチを務めていた鳥越裕介には野球のプレーだけではなくいかに「普通の人」であるか社会人としてのモラルも教わり、「僕にとって高校の監督(大悟法久志監督)と鳥越さんが師匠です」とコメントしている。

祖父は大分市の不動尊霊山一心寺の初代住職であり、現在は実兄が3代目住職を務める同寺で2011年からオフに寒行を行うのが恒例になっており、過去にはチームメイトの柳田悠岐や牧原大成らが参加した。

2016年6月6日、同郷で同じ明豊高校出身の一般女性と結婚。2017年1月28日、第1子が誕生したと報じられた。

2017年7月22日に福岡ヤフオク!ドームで行われた対ロッテ戦において、8回裏に右翼フェンス直撃の三塁打を打つが、その際に福岡銀行の広告看板を直撃。この広告にダイレクトで打球を当てた場合、「ふくぎん賞」として100万円が福岡銀行から贈呈されることとなっており、8月23日に贈呈式が行われたが、11月26日、その贈呈された100万円を平成29年7月九州北部豪雨で被害に遭った被災地に全額寄付したと報じられた。

2024/06/15 05:43更新

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今宮健太と同じ誕生日7月15日生まれ、同じ大分出身の人

石川 正史(いしかわ まさし)
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今宮健太と近い名前の人

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今宮 純(いまみや じゅん)
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今宮 純(いまみや じゅん、1949年3月18日 - 2020年1月4日)は、日本のモータースポーツ・ジャーナリスト。日本モータースポーツ記者会(JMS)会員。 妻は翻訳家・ジャーナリストの今宮雅子…

今宮 多力香(いまみや たりか)
1973年6月6日生まれの有名人 千葉出身

6月6日生まれwiki情報なし(2024/06/08 12:46時点)

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今宮健太
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