加藤秀司の情報(かとうひでじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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加藤秀司と関係のある人
渡辺裕薫: 阪急ファンになったのは小学校の時に加藤秀司から同級生への年賀状を見て。 斎藤喜: しかし体が硬く、故障続きであまり出場機会には恵まれず、1969年には福本豊、加藤秀司ら同年代の選手が社会人から入団したこともあって投手転向を図る。 落合博満: 土肥や得津高宏、加藤秀司などの先輩選手を参考に、自身のバッティングを作り上げていった。 福本豊: 俊足、主に中堅手として足を生かした広い守備範囲を誇る外野守備で加藤秀司、長池徳二、山田久志らと共に阪急黄金時代の主力として活躍した。 山田久志: このときの2位指名が加藤秀司、7位指名に盟友の福本豊がおり、豊作と呼ばれたドラフトの中でも阪急は最も成功したチームと言われている(なお、12位で門田博光も指名しているが、門田は入団拒否)。 福嶋久晃: 高校同期に得津高宏・長井繁夫、1学年下に加藤秀司がいる。 小寺昌治: 初出場・初先発出場:1978年8月31日、対ロッテオリオンズ後期8回戦(宮城球場)、4番・指名打者で先発出場(偵察要員、1回表に加藤秀司と交代) 新井良夫: なお、後に「阪急ブレーブス黄金期」の主力選手となる山田久志・加藤秀司・福本豊といった面々も、新井と同時に入団している。 吉田正尚: チームのシーズン最終戦であった10月1日の対楽天戦(コボスタ宮城)ではオリックスの新人選手としては1969年の加藤秀司以来47年ぶりに一軍公式戦の4番打者に起用された。 中村順司: 1学年先輩に戸田と(当時の四番打者で一塁手の)中塚政幸が、1学年後輩に福嶋久晃・得津高宏・長井繁夫が、2学年後輩に加藤秀司がいた。 簑田浩二: もともと内野手であったが、加藤秀司、ボビー・マルカーノ、大橋穣、森本潔(または森本とのトレードで中日ドラゴンズから移籍してきた島谷金二)と並ぶ内野陣に付け入る余地はなく、2年目の1977年には外野手に転向。 松井成行: 阪急ファンになったのは小学校の時に加藤秀司から同級生への年賀状を見て。 原田治明: 2回戦(初戦)で、後にプロ入りする福嶋久晃、得津高宏、加藤秀司らがいた大阪府のPL学園と対戦し、4-2で敗れた。 蓑田浩二: もともと内野手であったが、加藤秀司、ボビー・マルカーノ、大橋穣、森本潔(または森本とのトレードで中日ドラゴンズから移籍してきた島谷金二)と並ぶ内野陣に付け入る余地はなく、2年目の1977年には外野手に転向。 神部年男: この時のチームメートに岡田と同じく松下電器から補強された福本豊、加藤秀司がいた。 片岡博国: 加藤秀司には手を焼いたという。 西本幸雄: 森本潔をレギュラーに抜擢し、長池徳二は西本門下の「ヤングブレーブス」の象徴の4番打者、山田久志は当初は速球頼みだったが西本に制球力の重要性を説かれ投手生命を伸ばし、福本豊は西本の教えで長打を秘めた打撃を貫き、「西本さんのおかげ」と感謝し、加藤秀司は3番打者に定着した。 加藤英治: この時の高校同期で四番打者、一塁手であった加藤秀司は、後に「英司」と改名したため、両者を間違いやすい。 上田利治: 大熊忠義や福良淳一などのバント戦術を駆使して塁を進めてから加藤秀司やボビー・マルカーノ、ブーマー・ウェルズなどの一振りで得点するケースが多かった。 上田利治: 「花の44年組」の一人である加藤秀司を育て、リーグ2連覇に貢献する。 石川駿: 現役引退表明時、指導を受けた落合博満、加藤秀司、小笠原道大の3人に感謝の気持ちを示し、「この世界に入ったから出会えました」と有り難がった。 福本豊: 社会人3年目の1968年には、同僚の加藤秀司(後の英司)・岡田光雄(元近鉄)と共に富士製鐵広畑の補強選手として都市対抗に出場。 西本幸雄: 西本の教え子には阪急時代には米田哲也、梶本隆夫、足立光宏、森本潔、長池徳士、福本豊・山田久志・加藤秀司の「花の44年トリオ」、近鉄では鈴木啓示、佐々木恭介、梨田昌孝、羽田耕一、平野光泰、井本隆、栗橋茂、柳田豊などが挙げられる。 福本豊: 出塁すれば「自動的にツーベースヒットと同じ意味」を持ち、加藤秀司が「三振さえしなけりゃ、どんな形でも三塁から」生還できると評した。 上田利治: 上田が復帰の挨拶で主力選手にかけた電話に「なにしに帰ってくるんですか?」と応じたという加藤秀司は「なんで正直に、もう一度、阪急のユニホームが着たくなった。 中田昌宏: その後は西本監督の下で1軍打撃コーチとして福本豊、加藤秀司らを指導。 |
加藤秀司の情報まとめ
加藤 秀司(かとう ひでじ)さんの誕生日は1948年5月24日です。静岡出身の野球選手のようです。
卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。加藤秀司の現在の年齢は76歳のようです。
加藤秀司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 加藤 秀司(かとう ひでじ、1948年5月24日 - )は、静岡県榛原郡川崎町(現:牧之原市)出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)・コーチ・監督、解説者。日本プロ野球名球会会員。加藤 英司(読み同じ)の登録名での活動していた時期あり。 通算犠牲フライで歴代2位の記録数を持つ(野村克也に次ぐ105個)。 父は漁師であったが幼少の頃に死別し、単身PL学園高校に進学する。2年次の1965年に控え一塁手として春の選抜へ出場するが、準々決勝で高松商の小坂敏彦に抑えられ敗退。1学年先輩に福嶋久晃・得津高宏・長井繁夫が、2学年先輩に中村順司がいた。3年次の1966年の選抜にも4番・一塁手として連続出場するが、1回戦で、この大会に優勝した中京商に敗れた。高校同期にエースの加藤英治、内野手の野口善男がいる。同年のドラフトで東映フライヤーズから4位指名を受けるが入団を拒否し、卒業後は1967年に松下電器へ入社。同年には都市対抗に出場し、ドラフトでは南海ホークスから10位指名を受けるが再び入団を拒否。1968年の都市対抗では同僚の福本豊・岡田光雄と共に富士製鐵広畑の補強選手として出場し、4番打者として活躍。岡田と神部年男の好投もあって決勝に進出し、河合楽器を降しチームを優勝に導く。同年のドラフトで阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。この時の1位指名に山田久志、7位指名に福本と、後の名球会会員となる3人を獲得することとなった。加藤を視察に来た阪急の関係者が「ついで」として福本をリストアップしていた経緯があり、著書で福本は「松下電器に加藤がいたおかげで、僕も阪急ブレーブスの一員になれた」と記している。 プロ入り当時はまだチーム全員による合同自主トレの習慣があった頃だが、初日から阪急の選手達の練習量に圧倒され、「これについて行こうと思ったら体をゆわせてしまう。慌てても仕方ない。1年じっくりやろう」と思うようになった。また、守備も苦手で、松下電器時代の監督であった仁木安が「阪急は加藤にどこを守らせるつもりだ?」と不思議がったという逸話がある。 1970年は9月から外野手として17試合に先発出場。シーズン終了後の秋季キャンプで西本幸雄監督に「来年からはスタメンで使うぞ」と打ち込みを課せられたことから「これからは徐々にやっていかないかんのかな」と意識するようになった。 1971年には高知キャンプの時に「今年の三番打者」を問われた記者から西本は「加藤でしょう」と答え、それが新聞に載ると加藤は記者に向かって「ホンマですか」と興奮して尋ねたと福本は記している。開幕から西本の言うとおり左翼手、三番打者に抜擢され、6月には一塁手に回る。打率.321(江藤慎一に次ぐリーグ2位)、25本塁打の好成績を記録し、中心打者としてチームを2年ぶりのリーグ優勝に導く。膝を深く曲げ、折り畳むように構える独特の打法で勝負強い打撃をみせた。しかし巨人との日本シリーズでは全5試合で18打数4安打2打点とあまり活躍の場はなかった。1972年もリーグ2連覇に貢献、日本一には届かなかったが、巨人との日本シリーズでは第3戦で2本塁打を放ち気を吐く。 1973年は打率.337で首位打者を獲得。 1975年は32本塁打、97打点(打点王)で、パ・リーグMVPに選出される。日本シリーズでも広島を降し、念願の日本一に到達。この頃は3番加藤秀、4番長池徳士の打順が定番で、長池は「加藤はすごくチャンスに強くて、あいつがみんな走者を返してしまうので、そこで打つなよと言いたくなる時もあったよ」、「他の選手は普通にやってりゃ勝てると思ったけど、加藤だけは『負けたくない』と思わせる奴だった」とライバル意識を見せた一方で、「1番福本、2番大熊(忠義)、3番加藤、前にこれだけ揃っていると4番も楽。加藤のおかげで打点王取らせてもらった年もあった」と振り返っている。一方、加藤は長池について「僕がホームラン25本くらいってときに長池さんは40本以上打っていた。10本差くらいまでならともかく、ここまで差がついちゃうともう勝負はできない。僕は芯に当てる自信はあったので、長池さんがホームランなら僕はヒットで勝負しようと思った。それがある意味ライバル意識だったかもしれない」と語っている。長池同様、加藤も「恵まれた3番だった。福さんが塁に出て盗塁、大熊さんが進めて1アウト三塁って多かったので、重圧もあったけど結構楽しかった。」と優秀な1、2番コンビの存在に敬意を表している。実際、犠牲フライのリーグトップが6回(うち阪急時代に5回記録)もあり、加藤は歴代2位の105本の犠牲フライを記録している。長池が衰えてからは4番を打つことも多くなったが、「だからと言ってバッティングを変えたことはない」と語っている。 1976年には2年連続の打点王を獲得。 1977年までダイヤモンドグラブ賞を3年連続で受賞した。 1979年に登録名を加藤 英司に変更するが、同年は腰痛に苦しみながらPL学園高の後輩・新井宏昌との首位打者争いを制し、打率.364で2度目の首位打者、104打点で3度目の打点王の二冠を獲得。本塁打王も近鉄のチャーリー・マニエルと激しく争ったが、33本で並んでいた時に目の前で今井雄太郎がマニエルにまともに34号を打たれ、「消化試合なのに何やってんだ」とガックリきたという。結局自己最多の35本塁打を記録したものの、37本塁打のマニエルに及ばず、三冠王は逃した。 1981年に、上田利治が3年ぶりに監督に復帰した際、加藤は上田が主力選手に挨拶としてかけた電話に「なにしに帰ってくるんですか?」と応じたといい、復帰後の上田との関係は良好ではなかった。加藤によれば、1978年の日本シリーズ最終戦後に阪神タイガースからのトレード申し入れの話を上田が記者の前で口にした経緯があり、不信感を抱いていたという。 1982年に打率.235、21本塁打の成績に終わると、上田による若手切り替え方針に則り、水谷実雄との交換トレードにより広島東洋カープに移籍した。 1983年、広島ではまずまずの成績を収めていたものの、シーズン半ばで肝炎を患い休養。75試合出場、打率.261、10本塁打の成績に終わる。さらにドラフトで同じ一塁手でPL学園高の後輩でもある法政大の小早川毅彦が2位指名で入団した。シーズン終了後、福井保夫・森脇浩司とのトレードで大原徹也と共に岡本伊三美監督率いる近鉄バファローズに移籍。 1984年は主に指名打者として130試合出場し、打率.253・14本塁打の成績を残した。 1985年も指名打者として打率.286・26本塁打。 1986年に読売ジャイアンツに金銭トレードにて移籍。5月10日の広島戦(広島市民球場)で4回表に北別府学から3ラン本塁打を放って史上3人目の「全球団から本塁打」という記録を達成するものの、中畑清から一塁手のレギュラーを奪えず、指名打者制度のないジャイアンツでは代打での出場が目立った。68試合出場し、打率.219・3本塁打の成績で2,000本安打まで残り13安打にこぎ着けたものの、同年オフに自由契約となる。 1987年、阪急時代の監督であった西本が立教大学の後輩で当時南海監督の杉浦忠に仲介し、南海へ移籍。西暦と同数の1987安打で開幕という点も注目されつつ、5月7日の阪急戦でかつての同僚・山田から本塁打を放ち、2,000本安打を達成。同年限りで現役引退。 プロ入りから長く在籍した阪急、その後の移籍先の近鉄、引退直前の南海という、当時の関西パ・リーグ3球団に現役選手として在籍した数少ない選手である。移籍を繰り返した現役後半時代は、関西(阪急)→広島→関西(近鉄)→東京(巨人)→関西(南海)と関西を離れてはまた関西に戻ってくる、の連続であったために「渡り鳥生活」と呼ばれた。 引退後はフジテレビ・関西テレビ・ラジオ大阪野球解説者(1988年 - 1994年)として活躍し、三菱ギャラントーナメントのリポーターも務めたことがある。 1995年から1997年まで上田利治監督率いる日本ハムファイターズ一軍打撃コーチを務め、小笠原道大を育てた。上田からのコーチ就任要請に加藤は困惑したが、西本幸雄と相談した結果、就任要請を快諾した。 日本ハム退団後は2年間の充電期間(1998年 - 1999年)があった。 2000年から2003年途中までKBS京都テレビ野球解説者を務めた。 2003年は阪急の後継球団であるオリックスの春季キャンプ臨時打撃コーチを務め、シーズン途中から同球団二軍のサーパス神戸監督へ就任。1982年以来21年ぶりの古巣復帰となり、坂口智隆や嶋村一輝ら若手を指導した。2005年退任。 2006年よりJ SPORTSの野球解説者を務める。 2007年よりサンテレビの野球解説者を務めた。 2013年よりFOX SPORTSの野球解説者を務める(この頃より、活動名義も本名に戻している)。 2008年から2009年まで履正社医療スポーツ専門学校内で組織された社会人チーム・履正社学園のコーチを務めていた。 2015年までは大阪ガス臨時打撃コーチを務め、2015年11月13日に中日ドラゴンズ一軍チーフ打撃兼野手総合コーチに就任。教え子の嶋村が一軍打撃コーチ、小笠原が二軍監督に就任している。落合博満ゼネラルマネージャーから「昔の打ち方を教えてくれないか」との要請を受け、伸び悩む若手野手の起爆剤にと大きな期待をされた。 2017年には嶋村と共に二軍打撃コーチに異動し、同年10月4日に退任することが発表された。 2018年2月2日、BASEBALL FIRST LEAGUE・兵庫ブルーサンダーズシニアディレクター、同チームと提携関係にある芦屋大学野球チーム「インパルス」監督に就任することが発表された。1シーズン務め、同年8月22日にはサンテレビのゲスト解説者として出演。 2019年4月5日、関西独立リーグ選抜チームの専任監督に就任することが発表された。 愛称はコメディアン・加藤茶にちなんで「チャ」または「カトちゃん」。松下電器と阪急で長く同僚だった福本豊は著書で「ヒデ」と記している。 シーズンオフに『アップダウンクイズ』(毎日放送)で阪急代表として出場し、1問も正答できなかったことから、大阪球場で南海応援団から「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」(美人を形容する言葉で、元々は生薬の用い方をたとえたもの)と『アホの坂田』(コメディNo.1の楽曲)を替え歌にした「打てば三振守ればエラー走る姿はボケの花、アホ・アホ・アホの加藤」とよくヤジられていた。最初は南海応援団からだけであったが、結果的にパ・リーグ在阪3球団全てに在籍したため、阪急・近鉄応援団からも同じようにヤジられていた。 後に日本野球史上初めて三冠王を3度も達成した落合博満はプロ入り当初に参考にした打者の1人に加藤を挙げ、そのバットコントロールついて「どうやったら、これができるのだろうと思った」と振り返っている。 各年度の太字はリーグ最高 首位打者:2回 (1973年、1979年) 打点王:3回 (1975年 - 1976年、1979年) ※パ・リーグ左打者最多タイ(他にタフィ・ローズ、松中信彦) 最高出塁率:3回 (1976年 - 1977年、1979年) 最多安打:1回 (1979年) ※当時連盟表彰なし、1994年より表彰 最優秀選手:1回 (1975年) ベストナイン:5回 (1973年、1975年 - 1977年、1979年) ダイヤモンドグラブ賞:3回 (1975年 - 1977年) オールスターゲームMVP:1回 (1971年 第3戦) 月間MVP:1回 (1979年6月) パ・リーグプレーオフ首位打者賞:1回 (1977年) 初出場・初打席:1969年7月10日、対ロッテオリオンズ8回戦(東京スタジアム)、8回表に米田哲也の代打で出場、成田文男から三振 初先発出場:1969年7月13日、対西鉄ライオンズ10回戦(小倉球場)、6番・一塁手で先発出場 初安打:1969年10月20日、対近鉄バファローズ26回戦(日生球場)、9回表に岡田光雄から中前安打 初本塁打・初打点:1970年9月27日、対南海ホークス24回戦(阪急西宮球場)、6回裏に三浦清弘から3ラン 100本塁打:1975年7月31日、対太平洋クラブライオンズ後期3回戦(阪急西宮球場)、8回裏に石井茂雄から3ラン ※史上83人目 150本塁打:1977年5月29日、対近鉄バファローズ前期10回戦(島根県立浜山公園野球場)、5回裏に井本隆からソロ ※史上47人目 1000安打:1978年5月23日、対日本ハムファイターズ7回戦(阪急西宮球場)、3回裏に高橋直樹から中前安打 ※史上109人目 1000試合出場:1978年9月8日、対日本ハムファイターズ後期10回戦(後楽園球場)、7番・一塁手で先発出場 ※史上204人目 200本塁打:1979年5月31日、対日本ハムファイターズ前期8回戦(阪急西宮球場)、8回裏に川原昭二から右越ソロ ※史上29人目 250本塁打:1981年5月31日、対近鉄バファローズ前期10回戦(藤井寺球場)、8回表に橘健治から中越同点2ラン ※史上18人目 1500安打:1981年8月29日、対南海ホークス後期6回戦(阪急西宮球場)、5回裏に平沢隆好から投手前内野安打 ※史上42人目 1000打点:1982年7月6日、対近鉄バファローズ後期1回戦(阪急西宮球場)、1回裏に谷宏明から右中間へ2点適時二塁打 1500試合出場:1982年9月14日、対ロッテオリオンズ後期6回戦(宮城球場)、5番・一塁手で先発出場 ※史上73人目 300本塁打:1984年6月9日、対南海ホークス10回戦(藤井寺球場)、9回裏に金城基泰から右越逆転サヨナラ満塁本塁打 ※史上16人目 1000得点:1985年10月17日、対ロッテオリオンズ26回戦(藤井寺球場)、1回裏に柳原隆弘の2ラン本塁打で生還 ※史上7人目 2000安打:1987年5月7日、対阪急ブレーブス6回戦(大阪球場)、6回裏に山田久志から右中間へソロ ※史上23人目 2000試合出場:1987年8月30日、対近鉄バファローズ19回戦(大阪球場)、3番・一塁手で先発出場 ※史上23人目 全球団から本塁打:1986年5月10日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、4回表に北別府学から3ラン ※史上3人目 リーグ最多長打:4回(1971年、1975年、1976年、1979年) ※パ・リーグ最多タイ オールスターゲーム出場:11回 (1971年、1973年 - 1982年) 10 (1969年 - 1982年、1986年) 6 (1983年) 5 (1984年 - 1985年) 7 (1987年) 75 (1995年 - 1997年、2016年 - 2017年) 85 (2003年 - 2005年) 加藤 秀司 (かとう ひでじ、1969年 - 1978年、2016年 - 2017年) 加藤 英司 (かとう ひでじ、1979年 - 1987年、1995年 - 1997年、2003年 - 2005年) プロ野球中継
KBS京都エキサイトナイター(KBS京都テレビ) J SPORTS STADIUM(J SPORTS)→BASEBALL CENTER(FOX SPORTS ジャパン(オリックス主催ゲーム) サンテレビボックス席(サンテレビ。オリックス戦のみ) プロ野球ニュース(フジテレビ系列。関西テレビ・フジテレビ解説者時代に出演) 加藤英司 グラウンドの野性児(江本正記原作・井上コオ作画。監修:日本プロ野球名球会。1992年8月、ぎょうせいから『名球会comics』の第8巻として発行。ISBN 4324026378) ※加藤の生い立ちがつづられた、漫画本。 ああ王者(1976年、東宝レコード) - 山口高志、山田久志、大熊忠義と合唱。 ※1999年バップから発売のアルバムCD『野球小僧 懐かしの野球ソングコレクション』にも第10トラックに収録。 ^ 福本豊『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』ベースボール・マガジン社、2014年、p.43 ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年 ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年 ^ 『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』、p.31 ^ 『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』、p.45 ^ 関西弁で「故障する、壊す」の意。 ^ 『阪急ブレーブス黄金の歴史 よみがえる勇者の記憶』ベースボール・マガジン社 ^ 『豪打列伝2』Sports Graphic Number編(文春文庫ビジュアル版) ^ 1位は野村の113本だが、加藤の通算打席数は野村よりも4,000打席近く少ない。 ^ 田所龍一 (2021年7月9日). “勇者の物語 余計なひと言 加藤「因縁」の上田監督に不信感 虎番疾風録番外編266”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20210709-AMIU6S3TIVJXNPC7PNJMLN3RLA/ 2023年10月29日閲覧。 ^ 「阪急レジェンド対談 福本豊×加藤秀司 ⑥トレードの経緯は?」 - YouTube ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年7月1日). “【勇者の物語】秀さんの後悔 南海移籍「王監督に不義理…」 虎番疾風録番外編18”. 産経ニュース. 2023年2月7日閲覧。 ^ 「阪急レジェンド対談 福本豊×加藤秀司 ⑤引退を決意した理由は?/1番嬉しかった優勝は?」 - YouTube ^ 他には山崎慎太郎、加藤伸一など年代は違ううえに阪急・南海は身売りした(特に南海はダイエーが親会社となって福岡に移転した)後ではあるが在籍し、山崎、加藤伸とも広島にも在籍した共通点もある。山崎は近鉄・南海・阪急の後身のオリックス。加藤伸は南海・オリックス・近鉄に在籍。 ^ 【中日】加藤氏がチーフ打撃野手総合コーチに就任 スポーツ報知2015年11月13日配信 ^ 龍一, 田所 (2021年8月13日). “【勇者の物語】恩師の言葉、わだかまり超え 日本ハムコーチに 虎番疾風録番外編289”. 産経ニュース. 2023年2月7日閲覧。 ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊)より、「久々の復活!」との記述あり。 ^ 2000年から2003年の『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズに加藤のプロフィールを掲載する際、局名については「京都テレビ」表記で紹介された。 ^ 参考:過去の『サンテレビボックス席』公式サイト内出演者リスト(リンク先は、インターネットアーカイブの保存キャッシュ)
2007年シーズン開幕後のリスト(2007年7月6日付保存キャッシュ) ※ここより、加藤の名が明記。 ^ なお、しばらくはプロ野球名鑑に掲載される解説者リスト・名鑑で、加藤の名が明記されることはなかった(参考:『12球団全選手カラー百科名鑑』2006年・2007年・2008年版、『プロ野球選手カラー名鑑2007』)。2010年頃より、サンテレビ解説者として明記されるようになっている。「加藤英司」と明記される名鑑もある(『別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2013』)。 ^ 参考外部リンク(2009年当時の履正社学園硬式野球部ウェブサイト内メンバーリスト):
7月当時のページ(インターネットアーカイブ2009年7月27日付保存キャッシュ) ※加藤の名が削除された最初の版。 ^ “中日加藤秀司コーチ就任会見「この年で…びっくり」 - 野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年2月7日閲覧。 ^ “中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト - ドラゴンズニュース ★来季のコーチ契約について”. dragons.jp. 2023年2月7日閲覧。 ^ 加藤秀司シニアディレクター兼インパルス監督就任について - 兵庫ブルーサンダーズ(2018年2月2日) ^ 【2019年シーズン体制について】 - 兵庫ブルーサンダーズ(2019年1月26日) ^ “【加藤秀司氏 関西独立リーグ選抜チーム監督就任のお知らせ】 | KANDOK さわかみ関西独立リーグ 関西のプロ野球独立リーグ” (2019年4月5日). 2023年2月7日閲覧。 ^ 参考:【5月7日】1987年(昭62) 渡り歩いて5球団…加藤英司、古巣の同期から2000本安打 - スポニチ Sponichi Annex 日めくりプロ野球09年5月(2009年5月配信のウェブ記事) ^ 『日本プロ野球50年史』(1984年12月、ベースボール・マガジン社発行。ISBN 4583024568)に掲載された、加藤の紹介記事より。 ^ 『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』p.12など ^ 「阪急レジェンド対談 福本豊×加藤秀司 ⑨印象に残っているヤジは?/阪急ブレーブスと阪急ファンへメッセージお願いします」 - YouTube ^ “落合博満氏 藤浪に苦言「もうちょっと野球を勉強した方がいい」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2018年12月15日). https://www.daily.co.jp/tigers/2018/12/15/0011907118.shtml 2022年11月8日閲覧。 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズ各年版
2008年版…『ネットマネー』3月号増刊(廣済堂出版発行) プロ野球選手カラー名鑑2007(2007年、日刊スポーツ出版社発行)ISBN 978-4817253262 別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2013(2013年、宝島社発行)ISBN 978-4800206107 各種外部リンク 静岡県出身の人物一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 広島東洋カープの選手一覧 大阪近鉄バファローズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 個人年度別成績 加藤英司 - NPB.jp 日本野球機構 加藤秀司:名球会公式サイト内プロフィール 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 山本一人 1952 柚木進 1953 岡本伊三美 1954 大下弘 1955 飯田徳治 1956 中西太 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 山内和弘 1961 野村克也 1962 張本勲 1963 野村克也 1964 J.スタンカ 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 足立光宏 1968 米田哲也 1969 長池徳二 1970 木樽正明 1971 長池徳二 1972 福本豊 1973 野村克也 1974 金田留広 1975 加藤秀司 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 C.マニエル 1980 木田勇 1981 江夏豊 1982 落合博満 1983 東尾修 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 石毛宏典 1987 東尾修 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 西口文也 1998 松井稼頭央 1999 工藤公康 2000 松中信彦 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 城島健司 2004 松中信彦 2005 杉内俊哉 2006 小笠原道大 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 内川聖一 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 柳田悠岐 2016 大谷翔平 2017 D.サファテ 2018 山川穂高 2019 森友哉 2020 柳田悠岐 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 大下弘 1951 大下弘 1952 飯島滋弥 1953 岡本伊三美 1954 L.レインズ 1955 中西太 1956 豊田泰光 1957 山内和弘 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 榎本喜八 1961 張本勲 1962 ブルーム 1963 ブルーム 1964 広瀬叔功 1965 野村克也 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 永淵洋三, 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 加藤秀司 1974 張本勲 1975 白仁天 1976 吉岡悟 1977 有藤道世 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 L.リー 1981 落合博満 1982 落合博満 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 新井宏昌 1988 高沢秀昭 1989 ブーマー 1990 西村徳文 1991 平井光親 1992 佐々木誠 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 福浦和也 2002 小笠原道大 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 和田一浩 2006 松中信彦 2007 稲葉篤紀 2008 リック 2009 鉄平 2010 西岡剛 2011 内川聖一 2012 角中勝也 2013 長谷川勇也 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 柳田悠岐 2019 森友哉 2020 吉田正尚 2021 吉田正尚 2022 松本剛 2023 頓宮裕真 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 中西太 1954 山内和弘 1955 山内和弘 1956 中西太 1957 中西太 1958 葛城隆雄 1959 葛城隆雄 1960 山内和弘 1961 山内和弘 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 G.アルトマン 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 門田博光 1972 野村克也, 大杉勝男 1973 長池徳二 1974 長池徳二 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 L.リー 1978 B.マルカーノ 1979 加藤英司 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ 1982 落合博満 1983 水谷実雄 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 ブーマー 1988 門田博光 1989 ブーマー 1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦 1991 O.デストラーデ, J.トレーバー 1992 ブーマー 1993 R.ブライアント 1994 石井浩郎 1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄 1996 T.ニール 1997 小久保裕紀 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 T.ローズ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 小笠原道大, A.カブレラ 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 中村剛也 2010 小谷野栄一 2011 中村剛也 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 中田翔 2015 中村剛也 2016 中田翔 2017 A.デスパイネ 2018 浅村栄斗 2019 中村剛也 2020 中田翔 2021 島内宏明 2022 山川穂高 2023 近藤健介 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1962 張本勲 1963 ブルーム 1964 張本勲 1965 D.スペンサー 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 張本勲 1974 張本勲 1975 小川亨 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 栗橋茂 1981 門田博光 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 スティーブ 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 門田博光 1988 門田博光 1989 松永浩美 1990 清原和博 1991 白井一幸 1992 清原和博 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 中村紀洋 2002 A.カブレラ 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 松中信彦 2007 T.ローズ 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 A.カブレラ 2011 糸井嘉男 2012 糸井嘉男 2013 E.ヘルマン 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 柳田悠岐 2017 柳田悠岐 2018 柳田悠岐 2019 近藤健介 2020 近藤健介 2021 吉田正尚 2022 吉田正尚 2023 近藤健介 2024 近藤健介 表 話 編 歴 投 成田文男 捕 野村克也 一 加藤秀司 二 桜井輝秀 三 有藤通世 遊 大橋穣 外 長池徳二 / 張本勲 / 福本豊 表 話 編 歴 投 鈴木啓示 捕 野村克也 一 加藤秀司 二 B.マルカーノ 三 有藤道世 遊 大橋穣 外 佐々木恭介 / 白仁天 / 弘田澄男 指 長池徳二 表 話 編 歴 投 山田久志 捕 野村克也 一 加藤秀司 二 吉岡悟 三 藤原満 遊 大橋穣 外 弘田澄男 / 門田博光 / 福本豊 指 大田卓司 表 話 編 歴 投 山田久志 捕 加藤俊夫 一 加藤秀司 二 B.マルカーノ 三 有藤道世 遊 石渡茂 外 門田博光 / 福本豊 / L.リー 指 高井保弘 表 話 編 歴 投 山田久志 捕 梨田昌崇 一 加藤英司 二 B.マルカーノ 三 島谷金二 遊 石渡茂 外 福本豊 / 新井宏昌 / 栗橋茂 指 C.マニエル 表 話 編 歴 1972 大杉勝男 1973 C.ジョーンズ 1974 W.パーカー 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 柏原純一 1979 柏原純一 1980 小川亨 1981 柏原純一 1982 柏原純一 1983 片平晋作 1984 山本功児 1985 山本功児 1986 ブーマー 1987 ブーマー 1988 清原和博 1989 愛甲猛 1990 清原和博 1991 J.トレーバー 1992 清原和博 1993 清原和博 1994 清原和博 1995 J.フランコ 1996 片岡篤史 1997 髙木大成 1998 髙木大成 1999 小笠原道大 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 小笠原道大 2003 福浦和也 2004 松中信彦 2005 福浦和也 2006 小笠原道大 2007 福浦和也 2008 A.カブレラ 2009 髙橋信二 2010 小久保裕紀 2011 小久保裕紀 2012 稲葉篤紀 2013 浅村栄斗 2014 T-岡田 2015 中田翔 2016 中田翔 2017 銀次 2018 中田翔 2019 内川聖一 2020 中村晃, 中田翔 2021 中村晃 2022 中村晃 2023 中村晃 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1位:山田久志 2位:加藤秀司 3位:長谷部優(入団拒否) 4位:柳橋明(入団拒否) 5位:新井良夫 6位:島崎基慈 7位:福本豊 8位:柿本進(入団拒否) 9位:切通猛 10位:三好行夫(入団拒否) 11位:村上義則(入団拒否) 12位:門田博光(入団拒否) 13位:石井清一郎 14位:鈴木博(入団拒否) 15位:坂出直(入団拒否) 表 話 編 歴 1位:藤原真(入団拒否) 2位:西岡三四郎 3位:横山晴久(入団拒否) 4位:高橋里志 5位:高畠導宏 6位:上林成行(入団拒否) 7位:矢部祐一(入団拒否) 8位:宮島義人(入団拒否) 9位:坂英男 10位:加藤秀司(入団拒否) 11位:青山常夫(入団拒否) 12位:鶴岡泰(入団拒否) 13位:山口和雄 14位:松室武 15位:村井英司(入団拒否) 16位:高瀬逸夫(入団拒否) 表 話 編 歴 1位:桜井憲 2位:島谷金二(入団拒否) 3位:久保陽二(入団拒否) 4位:加藤秀司(入団拒否) 5位:千葉剛(入団拒否) 6位:笠原弘道(入団拒否) 7位:尾関洋司(入団拒否) 8位:井上弘昭(入団拒否) 9位:末永幸士(入団拒否) 1位:高橋善正 2位:大下剛史 3位:里見忠志(入団拒否) 広島東洋カープ及び広島カープの選手 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 日本の野球選手 PL学園高等学校出身の野球選手 パナソニック野球部及びその前身チームの選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 首位打者 (NPB) 打点王 (NPB) 最優秀選手 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 名球会 日本の野球監督 北海道日本ハムファイターズ関連人物 中日ドラゴンズ関連人物 兵庫ブレイバーズ 関西独立リーグ (2代目) 野球解説者 静岡県出身のスポーツ選手 1948年生 存命人物 最高出塁率 (NPB) 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年9月 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/14 19:12更新
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katou hideji
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