平野龍一の情報(ひらのりゅういち) 法学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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平野龍一と関係のある人
団藤重光: 違法性の実質については、小野と同じく規範違反説をとりつつも、その内容を小野が国家的法秩序違反としていた点を批判し、法は道徳の最低限を画すものであるとの考えから、国家の制定法とは独立した社会倫理秩序違反をさすとして行為無価値論の立場をとり、後に結果無価値論に立つことを明確にした平野龍一と対立した。 滝川幸辰: その立場は佐伯千仭、中山研一、平野龍一らに継承されているが、瀧川の刑法理論は、当時の左翼的・マルクス主義的な思想を背景に、階級対立社会では、罪刑法定主義が厳守されなければ、刑法が階級抑圧の手段とされてしまうとして客観主義を強調するもので、このような立場からは、社会防衛・主観主義を強調する牧野英一らの新派刑法理論が批判されるのは当然のことながら、同じ客観主義を主張する小野に対してもその道義的責任を強調する国家主義的な刑法理論は批判されることになり、このような反国家的な思想が危険思想とみなされ後に滝川事件を引き起こすきっかけとなった。 松尾浩也: 元・東大総長平野龍一の高弟。 前田雅英: 前田の刑法学説の基本的立場は、平野龍一と同じく結果無価値論に立脚するが、国民の「規範意識」と結論の具体的妥当性を重視する「実質的犯罪論」の立場から理論を修正して、未遂犯と不能犯の区別において客観説をとりつつ、その判断時を行為時とするなど、行為無価値論に近い結論に至ることが多い。 中山研一: 主著『刑法総論』は、佐伯千仭、平野龍一の刑法学説を継承する体系書であるとともに、執筆当時の通説的立場の代表であった団藤重光、大塚仁の行為無価値論的な刑法学説に対する批判の書でもあり、初期にソ連刑法を研究しただけあって、第2章「刑法の歴史と理論」では、マルクス主義的立場からの記述が目立ち、刑法改正問題にも積極的に反対の立場を明らかにした。 |
平野龍一の情報まとめ
平野 龍一(ひらの りゅういち)さんの誕生日は1920年9月29日です。熊本出身の法学者のようです。
現在、卒業、事故に関する情報もありますね。2004年に亡くなられているようです。
平野龍一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月29日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学、1962年〈昭和37年〉、学位論文は「刑事訴訟法」)。東京大学名誉教授。元東京大学総長。日本学士院会員。勲一等瑞宝章受章。文化功労者。熊本県熊本市出身。 父は鹿本選出の県会議員、のち熊本市長の平野龍起。同郷(熊本県鹿本町来民)の内閣総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。その後、アメリカ合衆国に留学。 かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して、日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。1954年(昭和29年)に発足した青年法律家協会の発起人の一人。 2004年(平成16年)7月16日、呼吸不全のため東京都文京区の病院で死去。83歳没。 平野は、師の小野清一郎が後期旧派の立場に立っていたことから、ドイツの刑法学者ハンス・ヴェルツェルの人的不法論を日本に紹介し、故意を主観的違法要素とする行為無価値論に賛成したこともあるが、後に改説して小野の学説を承継した団藤重光を徹底的に批判した。 平野の刑法学説の特徴は、刑法だけを考察の対象とし、そもそも犯罪の本質とは?という哲学的で抽象的な観念論から出発し、形式的な法違反を重視して、その違反者の道義的責任を問うという後期旧派の道義的応報刑論に対し、刑法のみならず民法その他の法律と同様に、刑法を社会統制の一手段とみて、刑事政策や他の隣接諸科学の成果を踏まえ、刑法の任務を実質的・機能的に考察するものといえる。 このような見地から、平野は、刑罰論において、前期旧派と新派の対立を止揚することを企図して、両派はリベラルで科学的である点で共通性があるとして、刑罰を科すことを予告することによって犯罪抑止を目的とする抑止刑論を展開した上で、犯罪論においては、瀧川幸辰が展開した前期旧派を基調に、違法論において、結果無価値論を採用して刑法の脱倫理化・客観化を推し進め、戦後の自由主義的な風潮の下多くの門弟を育て上げることで支持を広げた。 そして、平野は、かつての新派旧派の学説の対立は、それぞれの論者が形式的な体系性の追求を求めることによって無意味に争いが激化したもので形骸化しており、具体的に妥当な結論を導き問題を解決するのをかえって阻害していると批判して、これを「体系的思考から問題的思考へ」というスローガンで表し、刑法を実質的・機能的に考察し、その成果を刑事政策などの立法提言につなげることを可能にしたのである。 1956年(昭和31年)に刑法全面改正作業が師の小野清一郎を会長とする刑法改正準備会で始められ、数次の改定を経て、その成果として改正刑法草案が発表されると、平野は厳しく批判した。すなわち、改正草案は戦前の国家主義と応報刑論に基づくものであり、刑法の任務を国家的道義の維持と解しており、積極的責任主義に陥る危険があると警鐘を鳴らした。そのためもあって改正作業は頓挫した。 平野は、従来の通説であった職権主義構造を本質とする立場(審判の対象には、客観的な嫌疑である公訴事実も含まれるとする考え。法典起草者でもある団藤重光も、公訴事実も潜在的には審判対象であると解する)を批判し、刑事訴訟は当事者主義構造をその本質とし、審判の対象は一方当事者である検察官が主張する訴因であると主張し、それが今日の通説的立場となって、現在の刑事訴訟法学の基礎を形成した。 更に公判における当事者主義構造を捜査にも及ぼすべきであると主張した。すなわち、従来の実務では、被疑者は取調べの客体にすぎず、取調べ受忍義務があるとしており、それを糾問的捜査観であるとして批判した。そして公判を当事者主義とする以上、捜査は一方当事者にすぎない捜査官の公判準備手続にすぎず、被疑者は取調べの客体ではなく他方当事者として独自に公判準備をすることができるのであり、取調べ受忍義務はないとする弾劾的捜査観を提唱した。 旧制熊本県師範学校附属小学校(現・熊本大学教育学部附属小学校)卒業 旧制熊本中学校(現・熊本県立熊本高等学校)卒業 旧制第五高等学校卒業 1942年(昭和17年) - 東京帝国大学法学部法律学科卒業 1948年(昭和23年) - 東京大学法学部助教授 1957年(昭和32年) - 東京大学法学部教授 1969年(昭和44年) - 東京大学法学部長 1977年(昭和52年) - 東京大学学長特別補佐 1981年(昭和56年)
4月 - 東京大学総長 1985年(昭和60年) - 東京大学名誉教授 1988年(昭和63年) - 日本学士院会員 1993年(平成5年) - 勲一等瑞宝章 1999年(平成11年) - 文化功労者 『刑事訴訟法』(有斐閣、1958年) 『矯正保護法』(有斐閣法律学全集、1963年) 『犯罪者処遇法の諸問題』(有斐閣、1963年) 『犯罪論の諸問題上下巻』(有斐閣、1963年) 『刑事訴訟法の基礎理論』(日本評論社、1964年) 『刑法の基礎』(東京大学出版会、1966年) 『刑事訴訟法概説』(東京大学出版会、1968年) 『刑法総論I・II』(有斐閣、1972年、1975年) 『刑法概説』(東京大学出版会、1977年) 「刑事法研究」全6巻(有斐閣) 『東大の内と外』(東京大学出版会、1986年) 『精神医療と法 新しい精神保健法について』(有斐閣、1988年) 『刑事訴訟法教材』松尾浩也共編 有斐閣、1959年、判例教材叢書 『判例演習 刑法総論』福田平、大塚仁共編、有斐閣、1960年 『刑事法辞典』内藤謙、田宮裕共著、一粒社、1961年、法律小辞典全書 『判例演習 刑法各論』福田平、大塚仁共編、有斐閣、1961年 『刑事訴訟法』松尾浩也共編、青林書院新社、1963年、実例法学全集 『経験法学入門』B.J.ジョージ、田宮裕共編、東京大学出版会、1966年 『刑法改正の研究』全2巻、平場安治共編、東京大学出版会、1972年 - 1973年 『自動車事故をめぐる紛争処理と法』川島武宜共編著、岩波書店、1978年 『刑法各論 判例教材』編 東京大学出版会、1980年 『中国の刑法と刑事訴訟法』浅井敦共編 東京大学出版会、1982 『小野先生と刑事判例研究会』編 有斐閣、1988年 『新実例刑事訴訟法』全3巻、松尾浩也共編、青林書院、1998年 エドウィン・H.サザランド『刑事学原論』団藤重光、高田卓爾、福田平共訳、朝倉書店、1950年 E.H.サザーランド『ホワイト・カラーの犯罪 独占資本と犯罪』井口浩二共訳、岩波書店、1955年 ロイド・W.マッコークル,アルバート・エリヤス,F.ロベル・ビックスビー『ハイフイールズストーリー 非行少年処遇の新しい実験』樋口幸吉共訳、一粒社、1959年 サザーランド、クレッシー『刑事学原論』所一彦共訳、有信堂、1962年 - 1964年 J.H.ウィグモア『証拠法入門』森岡茂共訳 東京大学出版会、1964年 G.B.ヴォルド, T.J.バーナード『犯罪学 理論的考察』岩井弘融共監訳 東京大学出版会、1990年 『平野龍一先生古稀祝賀論文集』上下 内藤謙ほか編、有斐閣、1990年 - 1991年 松尾浩也 三井誠 堀内捷三 町野朔 大越義久 西田典之 前田雅英 林幹人 山口厚 佐伯仁志 芝原邦爾 岩井宜子 小田中聰樹 後藤昭 遠藤聡太 橋爪隆 小林憲太郎 伊藤渉 ^ “平野龍一氏死去 元東京大学長、刑事法学”. 47NEWS. 共同通信社. (2004年7月16日). オリジナルの2013年5月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130511070242/http://www.47news.jp/CN/200407/CN2004071601006388.html 2020年10月20日閲覧。 ^ 平野龍一「故意について」(法学協会雑誌67巻3号34頁、1949年(昭和24年)) ^ 上掲『刑法総論I』のはしがき ^ 上掲『刑法総論I』11 - 12、21 - 29頁 ^ 上掲『刑法総論I』49 - 51頁 ^ 上掲『刑事訴訟法』131 - 144頁 ^ 上掲『刑事訴訟法』83 - 85頁 ^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年(平成5年)11月3日朝刊 表 話 編 歴 法理文三学部綜理 加藤弘之 1877-1881 医学部綜理 池田謙斎 1877-1881 加藤弘之 1881-1886 事務取扱 外山正一 1886 事務取扱 外山正一 1886 初代 渡辺洪基 1886-1890 第2代 加藤弘之 1890-1893 第3代 浜尾新 1893-1897 第3代 浜尾新 1897 第4代 外山正一 1897-1898 第5代 菊池大麓 1898-1901 第6代 山川健次郎 1901-1905 第7代 松井直吉 1905 第8代 浜尾新 1905-1912 事務取扱 桜井錠二 1912 第9代 山川健次郎 1913-1920 第10代 古在由直 1920-1928 第11代 小野塚喜平次 1928-1934 第12代 長与又郎 1934-1938 事務取扱 佐藤寛次 1938 第13代 平賀譲 1938-1943 事務取扱 寺沢寛一 1943 第14代 内田祥三 1943-1945 第15代 南原繁 1945-1947 第15代 南原繁 1947-1951 第16代 矢内原忠雄 1951-1957 第17代 茅誠司 1957-1963 第18代 大河内一男 1963-1968 事務取扱/第19代 加藤一郎 1968-1969/1969-1973 第20代 林健太郎 1973-1977 第21代 向坊隆 1977-1981 第22代 平野龍一 1981-1985 第23代 森亘 1985-1989 第24代 有馬朗人 1989-1993 第25代 吉川弘之 1993-1997 第26代 蓮實重彦 1997-2001 第27代 佐々木毅 2001-2005 第28代 小宮山宏 2005-2009 第29代 濱田純一 2009-2015 第30代 五神真 2015-2021 第31代 藤井輝夫 2021- 辻新次 1872 辻新次 1872 柳本直太郎 1872 副長 伴正順 1872-1873 学長/校長 伴正順 1873/1873 畠山義成 1873-1874 畠山義成 1874-1876 校長補 浜尾新 1875-1877 綜理 加藤弘之 1877 学長 長谷川泰 1872 学長/校長 相良知安 1872-1873/1873-1874 相良知安 1874 長与専斎 1874-1877 池田謙斎 1877 権頭/頭 楠田英世 1871-1873/1873-1875 第二局法学課長 杉山孝敏 1875-1877 学校課長 青山貞 1877-1879 学校課長/生徒課長 植村長 1879-1880/1880 生徒課長/第七局長 黒川誠一郎 1880-1881/1881-1884 書記局学務課長 加太邦憲 1884-1886 心得 加太邦憲 1884-1885 山尾庸三 1871-1872 権頭/頭 大鳥圭介 1875/1875-1877 大鳥圭介 1877-1882 大鳥圭介 1882 副長 竹田春風 1882-1886 関沢明清 1877-1882 関沢明清 1882-1885 岩山敬義 1885-1886 前田献吉 1886 松野礀 1881-1886 前田献吉 1886-1889 高橋是清 1889 前田正名 1889-1890 肥田昭作 1874-1876 服部一三 1876-1877 主幹 服部一三 1877-1879 主幹 浜尾新 1877-1880 主幹/予備門長 服部一三 1880-1881/1881-1882 杉浦重剛 1882-1885 事務取扱 小林小太郎 1885 心得/予備門長 野村彦四郎 1885-1886/1886 野村彦四郎 1886-1887 古荘嘉門 1887-1889 木下広次 1889-1893 嘉納治五郎 1893 心得 久原躬弦 1893-1894 心得/校長 久原躬弦 1894/1894-1898 澤柳政太郎 1898 狩野亨吉 1898-1906 事務取扱/校長 今村有隣 1906/1906 新渡戸稲造 1906-1913 瀬戸虎記 1913-1919 事務取扱/校長 菊池寿人 1919/1919-1924 杉敏介 1924-1929 森巻吉 1929-1937 橋田邦彦 1937-1940 事務取扱 佐久節 1940 安倍能成 1940-1946 事務取扱 日高第四郎 1946 天野貞祐 1946-1948 麻生磯次 1948-1949 矢内原忠雄 1949-1950 湯原元一 1921-1927 塚原政次 1927-1934 近沢道元 1934-1940 藤原正 1940-1945 峰尾都治 1945-1949 矢内原忠雄 1949-1950 高木貞二 1950-1951 塩谷不二雄 1939-1943 事務取扱/主事 颯田琴次 1943/1943-1944 部長/事務取扱 颯田琴次 1944-1947/1947 事務取扱 颯田琴次 1947-1952 カテゴリ メディア 東京大学 東京大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 初代会長 南原繁 1950 - 1951 第2代 矢内原忠雄 1951 - 1957 第3代 茅誠司 1957 - 1963 第4代 大河内一男 1963 - 1968 第5代 奥田東 1968 - 1969 第6代 加藤一郎 1969 - 1973 第7代 加藤六美 1973 第8代 林健太郎 1973 - 1977 第9代 岡本道雄 1977 第10代 向坊隆 1977 - 1981 第11代 平野龍一 1981 - 1985 第12代 沢田敏男 1985 第13代 森亘 1985 - 1989 第14代 有馬朗人 1989 - 1993 第15代 吉川弘之 1993 - 1997 第16代 井村裕夫 1997 第17代 阿部謹也 1997 - 1998 第18代 蓮實重彦 1998 - 2001 第19代 長尾真 2001 - 2003 第20代 佐々木毅 2003 - 2005 第21代 相澤益男 2005 - 2007 第22代 小宮山宏 2007 - 2009 第23代 濱田純一 2009 - 2013 第24代 松本紘 2013 - 2014 第25代 里見進 2014 - 2017 第26代 山極壽一 2017 - 2019 第27代 永田恭介 2019 - ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 20世紀日本の法学者 日本の刑法学者 刑事訴訟法学者 刑事政策学者 日本学士院会員 文化功労者 法学博士取得者 東京大学総長 東京大学の教員 東京大学出身の人物 旧制第五高等学校出身の人物 熊本県立熊本高等学校出身の人物 熊本市出身の人物 1920年生 2004年没 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 学者関連のスタブ項目 法学者関連のスタブ項目
2024/11/19 18:27更新
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hirano ryuuichi
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