もしもし情報局 > 4月1日 > 法学者

我妻栄の情報 (わがつまさかえ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

我妻栄の情報(わがつまさかえ) 法学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

我妻 栄さんについて調べます

■名前・氏名
我妻 栄
(読み:わがつま さかえ)
■職業
法学者
■我妻栄の誕生日・生年月日
1897年4月1日 (年齢76歳没)
酉年(とり年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
山形出身

我妻栄と同じ1897年生まれの有名人・芸能人

我妻栄と同じ4月1日生まれの有名人・芸能人

我妻栄と同じ出身地山形県生まれの有名人・芸能人


我妻栄と関係のある人

川井健: 我妻栄の最後の弟子であるとされている。


鳩山秀夫: 我妻栄によれば、この噂は、事実ではないか、少なくともそれが唯一の原因ではなかったということである。


牧野英一: 民法学の泰斗我妻栄の師の一人でもあり、牧野の自由法学、法規の社会的作用に関する見解は、我妻理論・体系に大いなる影響を与えている。


岸信介: 我妻栄と2人で法律学の勉強に精を出し、昼食後や休講時などに、大学の運動場の片すみや大学御殿下の池の木などで、最近聞いた講義の内容や、2人が読んだ参考書などについて議論を戦わせた。


川島武宜: 我妻栄門下。


大内兵衛: これを受けて1958年6月8日、大内、宮澤俊義、我妻栄、清宮四郎、茅誠司、恒藤恭、矢内原忠雄、湯川秀樹ら8人が発起人となり「憲法問題研究会」が結成された。


岸信介: 第一高等学校の入学試験の成績は最下位から2、3番目だったが、高等学校から大学にかけての秀才ぶりは様々に語り継がれ、同窓で親友であった我妻栄、三輪寿壮とは常に成績を争った。


愛知揆一: 学生時代は秀才として鳴らし、中学時代には同級生で後に最高裁判所長官となる岡原昌男と常に成績トップの座を競い合ったり、東大法学部時代には刑法の牧野英一、民法の我妻栄という大家の下で学び、成績も「優」を10個取得すれば秀才と言われた中にあって15個も取得するなど、秀才ぶりを伝える逸話もある。


星野英一: 我妻栄門下。


鳩山秀夫: 弟子に我妻栄など。


三輪寿壮: 一高・東大の同期であり、首席を争った岸信介、我妻栄、蠟山政道とは生涯の親友であった。


鳩山秀夫: 愛弟子であった我妻栄はこうした鳩山の生涯を『透徹・犀利な頭脳をもってドイツ法学を学んだため、日本法の隅から隅までが瞭然として疑問の余地が無いようになり、そこで更に進んで経済学や社会学など、新しいものを学んで方向転換する必要に迫られたが、そこで勉強が嫌になってしまった、ドイツ流儀の法律学の極致に達し、そのままで終わった』と評している。


星野英一: 我妻栄の弟子。


牧野英一: 終戦後の1946年、憲法改正(日本国憲法制定)のための第90帝国議会貴族院小委員会にて、憲法前文を起草し、司法法制審議会委員として民法改正にあたった際に夫婦とその子供(核家族)を家族の基本単位とすべきである我妻栄ら民法学者の主張に対して、病弱な妹の存在という個人的な事情を抱えていた牧野が親兄弟こそが家族の柱であるとして猛反対して「家族の扶養義務」などの条項を存続させた。


宮沢俊義: 政府は宮澤、我妻栄、清宮四郎に憲法調査会への参加を求めたが、3人はいずれもこれを断った。政府の動きに対抗すべく、1958年6月8日、大内兵衛、宮澤俊義、我妻栄、清宮四郎、茅誠司、恒藤恭、矢内原忠雄、湯川秀樹ら8人が発起人となり「憲法問題研究会」が結成され、50人あまりの知識人が同研究会に集まった。


三島由紀夫: 岸信介、我妻栄、三輪寿壮とは一高、帝大の同窓であった。


我妻栄の情報まとめ

もしもしロボ

我妻 栄(わがつま さかえ)さんの誕生日は1897年4月1日です。山形出身の法学者のようです。

もしもしロボ

家族、学説などについてまとめました。家族、卒業に関する情報もありますね。76歳で亡くなられているようです。

我妻栄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

我妻 榮(わがつま さかえ、1897年(明治30年)4月1日 - 1973年(昭和48年)10月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。鳩山秀夫に師事。弟子に有泉亨、川島武宜、四宮和夫、幾代通、加藤一郎、鈴木録彌、星野英一など。

山形県米沢市出身。英語教師の父・又次郎と家計のたしにするため、自宅で中学生相手に国・漢・数学を教えた母・つるの長男として生まれる。5人の子における唯一の息子であったため、父母を安心させなければという気持ちから一心に勉強に励んだ。

小学校、県立米沢中学ともに常に首席、一高は入学・卒業とも一番だった(在学中は必ずしも首席ではなく、例えば2年次は大熊興吉が首席であった。)。東京帝国大学法学部独法科に入学し、在学中に高等文官試験に合格。指導教官の鳩山秀夫に望まれ大学に残り、30歳のとき同大教授、1945年に法学部長となり、のちに名誉教授となる。末弘厳太郎、穂積重遠、牧野英一ら名だたる学者からも指導を受けた。

戦後は、日本国憲法制定のため最後の貴族院議員に勅選され、農地改革立法に参与して中央農地委員となる。ほかに、日本学術会議の副会長、日本学士院会員にも就任。さらに、法務省特別顧問として民事関係の立法に尽力し、恩師の鳩山、末弘、穂積が果たし得なかった民法の総合的研究の完成にあたり、「我妻民法」といわれる独自の民法体系を作り上げた。1964年の文化勲章受章を機にその年金を母校愛から米沢興譲館高校に寄託し、財団法人自頼奨学財団を設立。後輩の育英にあてた。

1973年10月21日、急性胆嚢炎のため、熱海市の国立熱海病院で死去。76歳没。有斐閣法律学全集の『法学概論』の執筆途中の出来事であった(同書は、我妻の遺した草稿に沿って原稿を補訂できる箇所は補訂したうえ、未完のまま出版されている)。

家族

父・我妻又次郎 ‐ 私立米沢中学校の英語教師

姉・孫田ちよ ‐ 法学者・孫田秀春(1886-1976)の妻。夫の秀春は西根村 (山形県西置賜郡)に生まれ、東京帝国大学卒業後、欧米留学を経て東京商科大学教授、日本大学法文学部長、専修大学教授、上智大学商学部長などを務め、労働法の研究で知られたほか、『国体の本義』の執筆、『国家科学大系』の編集などにも携わった。長女・杜美子は富樫総一の妻、三女の杜代子は平野亮一郎(篠原英太郎の甥、平野次郎の父)の後妻となった。

妻・緑 ‐ 鈴木米次郎(作曲家、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)創立者)の四女。

長男・我妻洋 ‐ 心理学者で、東京工業大学教授等を歴任。

二男・我妻堯 ‐ 産婦人科医で、東京大学医学部助教授を経て国立病院医療センター(現:国立国際医療研究センター)国際医療協力部初代部長等を歴任した。

孫・我妻学 ‐ 民事訴訟法学者で東京都立大学教授。

学説

我妻は、師である鳩山の研究に依拠したドイツ法由来の解釈論を発展させて、矛盾なき統一的解釈と理論体系の構築を目指すとともに、資本主義の高度化によって個人主義に基礎を置く民法の原則は取引安全、生存権の保障といった団体主義に基づく新たな理想によって修正を余儀なくされているので、条文の単なる論理的解釈では社会生活の変遷に順応することはできないとした上で、「生きた法」である判例研究の結果に依拠した法解釈を展開した。このような我妻理論・体系は、鳩山、末弘、穂積の学説を総合したものといえ、理論的に精緻であるだけでなく、結論が常識的で受け入れやすいとの特徴があったことから学界や実務に大きな影響を与え続け長らく通説とされた。

我妻の生涯の研究テーマは「資本主義の発達に伴う私法の変遷」であり、その全体の構想は、所有権論、債権論、企業論の3つからなっている。

後掲「近代法における債権の優越的地位」は1925年から1932年に発表された論文を収録したもので、債権論と所有権論がテーマとなっているが、その内容は以下のとおりである。前近代的社会においては、物資を直接支配できる所有権こそ財産権の主役であったが、産業資本主義社会になると、物資は契約によって集積され資本として利用されるようになり、その発達に従い所有権は物資の個性を捨てて自由なものとなり、契約・債権によってその運命が決定される従属的地位しか有しないものとして財産権の主役の座を追われる。これが我妻の説く「債権の優越的地位」であるが、その地位が確立されることにより今度は債権自体が人的要素を捨てて金銭債権として合理化され金融業の発達を促す金融資本主義に至る。我妻は、このような資本主義発展の歴史をドイツにおける私法上の諸制度を引き合いに出して説明し、このような資本主義の発達が今後の日本にも妥当すると予測した。

我妻は、金融資本主義の更なる発達によって合理化が進むと、企業は、人的要素を捨てて自然人に代わる独立の法律関係の主体たる地位を確立し、ついには私的な性格さえ捨てて企業と国家との種々の結合、国際資本と民族資本との絶え間なき摩擦等の問題を産むと予測し、企業論において、会社制度の発展に関する研究によって経済的民主主義の法律的特色を明らかにするはずであったが、その一部を含む後掲『経済再建と統制立法』を上梓したのみで全体像は未完のままとなっている。上掲のとおり我妻の予測は現代社会にそのまま当てはまるものも多く、「近代法における債権の優越的地位」は日本の民法史上不朽の名論文とされている。

2024/06/14 05:43更新

wagatsuma sakae


我妻栄と同じ誕生日4月1日生まれ、同じ山形出身の人

阿部 亀治(あべ かめじ)
1868年4月1日生まれの有名人 山形出身

4月1日生まれwiki情報なし(2024/06/16 07:16時点)

阿部 豪一(あべ ひでかず)
1941年4月1日生まれの有名人 山形出身

阿部 豪一(あべ ひでかず、昭和16年(1941年)4月1日 - )は日本の洋画家、現代アート作家。板のパネルに金属質の被膜、銀紙等を張り、エッチングナイフで削って下絵を描いた後、油絵の具で仕上げるオ…

加藤 典洋(かとう のりひろ)
1948年4月1日生まれの有名人 山形出身

加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。 講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「…

鈴木 貞春(すずき さだはる)
1979年4月1日生まれの有名人 山形出身

4月1日生まれwiki情報なし(2024/06/04 22:48時点)

会田 豊彦(あいだ とよひこ)
1937年4月1日生まれの有名人 山形出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


我妻栄と近い名前の人

我妻 三輪子(わがつま みわこ)
1991年2月11日生まれの有名人 東京出身

我妻 三輪子(わがつま みわこ、1991年2月11日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、歌手、タレント、作詞家。浅井企画所属。 2002年、女子小中学生向けファッション雑誌『ニコラ』(新潮…

我妻 桃実(わがつま ももみ)
2000年9月13日生まれの有名人 東京出身

我妻 桃実(わがつま ももみ、2000年9月13日 - )は、日本の女優、アイドル。女性アイドルグループ「ハコイリ♡ムスメ」の元メンバーで、2017年4月より2019年7月までリーダーを務めた。東京都…

我妻ゆりか(わがつま ゆりか)
2000年5月15日生まれの有名人 千葉出身

我妻ゆりか(わがつま ゆりか、2000年5月15日 - )は、日本のグラビアアイドル。千葉県出身。ゼロイチファミリア所属。 生まれつき感音性難聴で、3歳ぐらいから「聞こえの教室」に通い、舌の動かし…

我妻 佳代(あがつま かよ)
1968年7月25日生まれの有名人 宮城出身

我妻 佳代(あがつま かよ、1968年7月25日 - )は、主に1980年代後半に活動した日本のアイドル。 歌手デビュー当時の所属事務所はアンクルエフ(現・ジャパン・ミュージックエンターテインメント…

我妻 絵美(あがつま えみ)
1983年10月26日生まれの有名人 宮城出身

我妻 絵美(あがつま えみ、本名:田辺 絵美、旧姓:我妻、1983年10月26日 - )は、三桂所属のフリーアナウンサー。元中京テレビ放送アナウンサー。宮城県仙台市出身。宮城県第一女子高等学校(現・宮…

我妻 正崇(あづま まさたか)
1月25日生まれの有名人 東京出身

我妻 正崇(あづま まさたか、1月25日 - )は、日本の男性声優。東京都出身。パワー・ライズ所属。 寿美菜子とは中ある アミューズメントメディア総合学院声優タレント学科卒業。T-project…

我妻 恒太(あづま こうた)
1986年6月29日生まれの有名人 東京出身

退所したソロアイドル ソロでレコードデビュー、もしくは主にソロタレントとして扱われていた者を記す。 永田英二(後の八田英士、現:長田栄二) 内田喜郎 郷ひろみ 葵テルヨシ(現:葵てるよし) 井上純一 …

我妻 沙織(あがつま さおり)
1986年11月9日生まれの有名人 東京出身

11月9日生まれwiki情報なし(2024/06/18 12:33時点)

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
我妻栄
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

OCTPATH 三四郎 Number_i PRIZMAX DISH// WATWING NORD (アイドルグループ) さくらしめじ SUPER★DRAGON King & Prince 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「我妻栄」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました