斉藤和巳の情報(さいとうかずみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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岩隈久志: 更に9月22日の対西武戦(西武ドーム)で、パ・リーグでは2003年の斉藤和巳以来となる20勝目に到達。 内田湘大: 投手としては斉藤和巳、打者としては鈴木誠也を目標に掲げている。 根本陸夫: 吉武真太郎・小久保裕紀・渡辺秀一・城島健司・藤井将雄・斉藤和巳・佐久本昌広・井口忠仁・松中信彦・柴原洋・倉野信次・永井智浩・篠原貴行・星野順治などをドラフトで獲得し、福岡移転後の初優勝および現在に至る地元人気の土台を築いた。 大引啓次: 初打席・初安打:同上、2回表に斉藤和巳から右前安打 松本裕樹: 背番号は斉藤和巳がかつて使用していた66。 ジェフリー=リーファー: 初本塁打・初打点:2006年5月5日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回裏に斉藤和巳から右越ソロ 松本奉文: 6月8日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(広島市民球場)、7回裏2死に斉藤和巳から 田之上慶三郎: 安定感ではこの年5勝を挙げて一軍に定着した斉藤和巳に勝っていたため、日本シリーズ第4戦(10月26日、福岡ドーム)では先発も経験し、敗戦投手にはなったが読売ジャイアンツ(巨人)打線を5回2失点に抑えた。 坪井智哉: 現役引退後、週刊ベースボールのインタビューにて「今まで対戦したなかでNo.1の投手は?」という質問に、「松坂大輔や金子千尋など素晴らしい投手はたくさんいたが、特に斉藤和巳は負けない投手で、彼の背中から炎が見えるようだった」「マウンド上に立っている斉藤は背後に何かが見える感じ」「彼がどのような気持ちで投げていたか分からないですけど、すごく伝わるものがありました。また、自身のブログでも「No.1投手は斉藤和巳」と述べている。 小久保裕紀: 現役時代、主にアリゾナ州や奄美大島で行っていた自主トレは大所帯で、ソフトバンクのチームメイトである斉藤和巳は毎年恒例で参加しており、過去には松中信彦、村松有人、川﨑宗則、明石健志、長谷川勇也、岩嵜翔、中村晃なども参加していた。 王貞治: 2003年は前年の秋山引退や若田部健一の移籍があり、開幕直前に精神的支柱であり主砲の小久保裕紀が大怪我でシーズン絶望と判明するも、前年のドラフト自由獲得枠の和田毅・新垣渚の両投手が大車輪の活躍をし、斉藤和巳の20勝や村松有人・川﨑宗則の打棒開花などでかえって戦力の底上げが実現した。 的場直樹: ソフトバンク時代は同学年の斉藤和巳からの信頼が厚く、斉藤の専属捕手を務めた。 山﨑颯一郎: 目標とする投手は斉藤和巳。 檜山進次郎: 日本シリーズでも4番・右翼手として出場し、第5戦で6回二死満塁の打席で斉藤和巳から決勝逆転2点適時打、第6戦で4回に杉内俊哉から本塁打を放ち、優秀選手賞を獲得。 末永仁志: 南京都高校出身のプロ野球選手は斉藤和巳(1995年ダイエー1位)以来2人目で、斉藤と同じ背番号66を着けた。 脇谷亮太: さらに6月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、斉藤和巳の完全試合とノーヒットノーランを阻止する投手内野安打を放ったが、直後に牽制でアウトとなり、結果的に打者27人の準完全試合を決められた。 小田智之: 本塁打は0本に終わったが、松坂大輔や斉藤和巳など大物投手に滅法強い事から「大物打ち」と呼ばれ、とりわけ渡辺俊介に対してはシーズン後半の不調時にさえ得意としていたほどであった。 木佐貫洋: 2006年1月に二岡智宏とともに奄美大島での小久保裕紀・斉藤和巳の自主トレに同行。 山田秋親: 2003年はエースの若田部健一がFA移籍するなど先発投手の再編もあり山田にも期待が持たれたが、若手の斉藤和巳、杉内俊哉、寺原隼人や新人の和田毅、新垣渚の台頭で先発投手陣は激戦になり、山田は先発投手枠から外れ辛うじてリリーフのみでの登板で2勝挙げるのがやっとだった。 木佐貫洋: 当時低迷していた巨人投手陣の再建を期待され招聘された尾花高夫投手コーチが実際に巨人の若手投手の投球を目にした際、「ソフトバンクを超える投手陣を作れる」とコメントしたが、特に木佐貫は「潜在能力は斉藤和巳クラス」と、そのポテンシャルが絶賛された。 島田一輝: 特に松坂大輔や斉藤和巳などの大物投手に強いため「ビッグバン打線」の5番打者を任されるようになり、右翼手の定位置を確保した。 尾花高夫: 育成した印象に残っている投手は斉藤和巳、山口鉄也、三瀬幸司、篠原貴行、渡辺正和を挙げている。 林孝哉: 同じ和歌山県出身の先輩、小久保裕紀とはダイエー時代から親交が深く、斉藤和巳、木佐貫洋らとともに小久保組を形成している。 重松通雄: これは、現在も規定投球回(規定登板(完投)数)到達者としてはプロ野球のワースト記録となっている(1年1シーズン、および規定投球回制の下でのワースト記録は、2004年に斉藤和巳が記録した6.26)。 上原浩治: 日本時代に2回の沢村賞を受賞したが、複数回の沢村賞を受賞したのは15人で、平成に入ってからは斎藤雅樹・上原・斉藤和巳・田中将大・前田健太・菅野智之・山本由伸の7人しかいない(2019年シーズン終了現在)。 下柳剛: 相手の先発はシーズン20勝投手の斉藤和巳だったが6回2失点の好投で日本シリーズ初登板初先発で勝利投手となった。 早川大輔: 初本塁打:2004年8月6日、対福岡ダイエーホークス21回戦(Yahoo! BBスタジアム)、6回裏に斉藤和巳から右越ソロ 村田辰美: チーム順位、個人記録とも1年2シーズン制を採っていた1937年の秋シーズンに、重松通雄が7.20、繁里栄が6.11を記録した例を除けば、規定投球回到達者で防御率が6点以上だったのは村田が日本プロ野球史上初めてで、この数字は2004年に斉藤和巳が6.26を記録するまで破られなかった。 藤岡好明: 愛称は「タゴッチ」で、ソフトバンク時代の先輩・斉藤和巳が命名。 大引啓次: プロ初打席で斉藤和巳から初安打を記録し出塁すると、直後に初盗塁も決めた。 |
斉藤和巳の情報まとめ
斉藤 和巳(さいとう かずみ)さんの誕生日は1977年11月30日です。京都出身の野球選手のようです。
テレビ、卒業、再婚、引退、離婚、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。斉藤和巳の現在の年齢は46歳のようです。
斉藤和巳のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 斉藤和巳 / KAZUMI SAITOH 斉藤 和巳(さいとう かずみ、1977年11月30日 - )は、京都府京都市南区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ、YouTuber。 投手として福岡ソフトバンクホークスでは3度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで合計12個のタイトル(8個)・主要表彰(4個)を獲得している。 プロ野球選手時代は福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークスに所属していた。1996年から1999年までの登録名は「カズミ」。 2006年に、日本プロ野球史上7人目・21世紀初・平成唯一の投手5冠を達成した。パシフィック・リーグ史上初の沢村栄治賞複数回受賞者(2回)。最優秀投手賞3回。 右肩腱板(けんばん)損傷により2007年を最後に一軍登板がなく、2011年からは支配下選手登録を外れ同球団のリハビリ担当コーチを務めながら現役復帰を目指すも、2013年7月に復帰を断念することを表明。同月31日付で退団した。 2014年からは福岡を拠点にTVQ九州放送や本数契約としてテレビ東京(BSテレ東)の野球解説者と西日本スポーツの専属評論家として活動していたが、2023年からはソフトバンクの一軍投手コーチを務めている。PAMSとマネジメント契約を結んでいる。 1977年に京都府京都市で誕生。兄の影響で小学1年生時に祥豊ファイターズに入団し、4年生時には捕手として試合に出場。中学校に入学するとボーイズリーグの京都スターズに入団。強肩捕手として活躍し、3年生になると投手としても注目を集めるようになった。 南京都高等学校に進学し、2年秋からエースを務めた。3年生の夏にエースで4番打者として甲子園出場を目指すも府大会ベスト8に終わる。甲子園出場経験のない無名高校の選手ながらも、同じく甲子園出場経験のない長谷川昌幸・星野智樹とともに高校好投手ビッグ3として注目されていた。高校生当時から190cmを超える長身と潜在能力の高さを買われ、1995年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスからドラフト1位指名を受け、同球団に入団した(背番号は66)。チームに斉藤姓の投手が3人になることから(斉藤学、斉藤貢)、「カズミ」が登録名となった(同時に斉藤貢も登録名を「ミツグ」に改めている)。のちに、2018年4月22日にAbemaTVで配信された「東京六大学野球」の解説にて、ドラフトで指名が無ければ高校で野球を辞めるつもりだったことを明かしている。進路について、大学から声がかかっていたものの高校卒業とともに野球を辞める方向で話していたところ、スカウトから「会いたい」と言われ斉藤自身は「『人違いでもしているのではないか』としか思っていなかった」と語っている。 1997年のシーズン終盤に中継ぎで一軍初登板を果たす。 1998年も一軍に登板するが1試合のみに終わり、ルーズショルダー持ちであったことから9月には右肩を手術する。手術後には野球を辞める考えもよぎっていたが、同時期に斉藤と同じく肩を手術し、隣の病室に入院していた小久保裕紀がリハビリに励む姿を見て、自身の考えの甘さを痛感し一念発起する。また、この頃には野手転向も勧められたというが固辞している。 2000年には登録名を本名の「斉藤和巳」とした。6月24日の千葉ロッテマリーンズ12回戦(福岡ドーム)でプロ初勝利。この試合では、前述のとおり同時期に肩の手術を受けた小久保が先制本塁打を放ち、共にヒーローインタビューを受けた。さらにこの試合では史上7人目となる「1イニング4奪三振」も記録。この年は5勝を挙げ、そのうち4勝は後半戦で挙げたが、日本シリーズでの先発登板はなかった。この年のパ・リーグ新人王は32年ぶりの該当者なしだったが、新人王対象選手の中で最も票が入ったのは斉藤だった。 2001年のシーズンもエース候補に上がったが、原因不明の右肩痛が再発して離脱。結局この年は勝利を挙げられなかった。 2002年8月10日の大阪近鉄バファローズ戦で2年ぶりの勝利を挙げ、シーズン4勝を挙げた。若菜嘉晴はこの年の斉藤を「打たれても粘る、大人のピッチングをできるようになった」と評価した。 2003年前年勝ち頭だった若田部健一がFA移籍し、残った主な先発投手も不安定な成績だったためキャンプから先発投手を大々的に再編(前年10試合以上先発登板した投手は斉藤だけで、他の投手は5試合以下の先発登板で終わっていた)。熾烈な先発ローテーション争いに勝ち3月28日のロッテ戦で初の開幕投手を務め、勝利投手となる。その後はいずれもプロ野球新記録(当時)となる先発登板16連勝および登板試合15連勝(勝敗の付かない試合を挟まない連勝)を記録するなど、パ・リーグでは1985年の佐藤義則以来となる20勝(3敗)を記録。最多勝・最優秀防御率・最高勝率・ベストナイン・沢村賞などのタイトルを総なめにし、チームのリーグ優勝、日本一に貢献した。この年は、同じく20勝を挙げた阪神の井川慶と共に、史上初となる両リーグで沢村賞投手同時選出となった。また、両リーグから20勝投手が出たのは1982年の北別府学・工藤幹夫以来だった。また、投球回・自責点はともに松坂大輔と全く同じで、こちらも史上初の最優秀防御率同時受賞となった。この年、優勝争い最大のライバルとしていた西武から6勝を挙げたほか、松坂との投げ合いでは3戦全勝とエース対決の強さも見せた。阪神タイガースとの日本シリーズでは第1戦と第5戦に先発。いずれもクオリティ・スタートを記録したが、第1戦は勝敗が付かず(チームは勝利)、第5戦は敗戦投手となった。 2004年は3月27日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で2年連続開幕投手に指名され勝利投手となった。しかし開幕勝利以降は不安定な投球が目立ち序盤には二軍落ち。5月に復帰後は再び先発ローテーションに入り、8月27日の西武戦でホークスでは村田勝喜以来の2年連続二桁勝利を達成した。その後は4試合に登板したものの勝ち星を挙げることができず、勝利数は前年の2分の1となる10勝(7敗)に終わった。さらに1試合に9失点した試合が3度もあったことなどもあり、規定投球回到達投手としてはリーグ最下位の防御率6.26を記録した。この年より導入されたプレーオフでは第2ステージ(対西武戦)の第3戦に先発したが、4被本塁打を浴びるなど5回0/3を6失点でKOされ敗戦投手となった。 2005年のキャンプ中に既に開幕投手に指名されていたものの、開幕直前に右肩痛で離脱。4月27日の対北海道日本ハムファイターズ戦でシーズン初登板し、勝利。その後も破竹の勢いで勝ち星を重ね、8月24日のロッテ戦で自身2度目の14連勝を達成、プロ野球史上初となる「14連勝以上を複数回達成した投手」となった。8月31日のロッテ戦では1981年の間柴茂有に並ぶプロ野球タイ記録となる開幕15連勝を記録。キャリアで15連勝以上を2度記録したのは日本プロ野球初だった。8月は5勝(0敗)を挙げ、月間MVPを受賞した。しかし9月7日のオリックス・バファローズ戦では5回1/3を投げ8失点を喫し敗戦投手となり、連勝はストップし、2点台前半を誇っていた防御率も2点台後半に転落した。その後は1勝(0敗)を挙げ、シーズン通算では16勝1敗で2度目の最高勝率を獲得。防御率も2.92と2点台でシーズンを終えた。プレーオフでは第2ステージの第2戦に先発し、5回まで無失点に抑え、毎回の7奪三振を記録したが、6回に3点を失い、黒星がついた。最終戦にはブルペン待機したが出番はなく、チームも逆転負けを喫し、優勝を逃した。12月24日、ホークスの投手としては初の複数年となる、3年7億5000万円+出来高で契約更改した。 2006年、選手会長に就任。同年から2段モーションが禁止となり、キャンプで克服に取り組んだが、結局キャンプの最後までしっくりいかなかった。3月26日のロッテ戦で3度目の開幕投手を務め、8回2失点で勝利投手となった。5月23日の試合後には王から「優勝する気はあるのか!選手会で意見をまとめてこい!」と 交流戦開幕前までは7試合で3勝2敗(防御率2.29)と勝ち星が伸びなかったが、交流戦開幕後からオールスターまでは10試合8勝2敗(防御率1.73)、オールスター後は9試合で7連勝、3完封を含む7勝1敗(防御率1.37)と、終盤になるにつれ調子を上げた。8月には4先発で4勝・2完封を記録して月間MVPを受賞。同月に記録した2試合連続2桁奪三振での完封勝利は球団史上初だった。レギュラーシーズン最終成績は18勝5敗、防御率1.75、205奪三振、勝率.783を記録し勝利数・防御率・奪三振・勝率の投手四冠を達成。完封数もリーグトップで、1981年の江川卓以来、2リーグ分立後4人目となる投手五冠王を達成した。 プレーオフでは10月7日の西武・第1ステージ第1戦、10月12日の日本ハム・第2ステージ第2戦に先発。右肩に不安を抱える斉藤の中4日登板は2000年以来のことだったが、チームはそれぞれ松坂、八木智哉に完封負けを喫した。2試合16回2/3で2失点(防御率1.08)という内容ながら、いずれも0-1で完投敗戦に終わり、サヨナラ負けを喫した日本ハム戦ではマウンドに片膝をつき涙を流した。バッテリーを組んだ的場直樹も悔し涙を流していた。試合後は、ズレータとホルベルト・カブレラに肩を抱えられながらマウンドを去った。この試合は2010年に実施された「現役監督・選手・コーチが選ぶ最高の試合Best9」の3位に、同「名場面・名勝負Best10」の5位にランクインした。10月23日、パ・リーグ所属選手としては史上初となる2度目の沢村賞を受賞した。しかし同月24日に病院でメディカルチェックを受け「右肩の炎症」と診断され、楽しみにしていたという日米野球の出場を辞退。参加予定だった宮崎秋季キャンプも不参加が決定した。 2007年3月24日のオリックス戦で、昨年に続き2年連続4度目の開幕投手を務めるも勝敗は付かず、チームは敗れた。4月26日、右肩の筋疲労で二軍落ちとなった。7月に復帰するも、10日以上の間隔を空けて登板した。監督の王は「本来の投球は来年からでいい。ただ存在感やリーダーとしての役割があるので一軍にいてもらいたい」と語っている。中10日以上、7回もしくは100球という限定登板ながら、オールスター明けは5勝1敗とチームを救い、時にはベンチに入り盛り上げ役にも徹した。10月8日のクライマックスシリーズ第1戦に先発したが、4回5失点で敗戦投手となった。翌年以降は故障の影響で登板できなかったためこの試合が現役最後のマウンドとなった。チームは第2戦に勝利するも第3戦で敗れ第1ステージで敗退した。後に斉藤はこの2007年について、何十球投げたらもう感覚がなく、登板後は歩いて腕を振っているだけで亜脱臼という状態だったことなどを明かしている。 2008年1月に右肩関節唇修復手術を行う。この年はリハビリに専念してシーズンを全休、9月に帰国してチームを裏から支え、翌年の開幕投手を狙うと宣言した。前年に沢村賞を獲得し、この年も球界トップクラスの成績を残したダルビッシュ有は契約更改で「来年はソフトバンクの斉藤さんが戻ってくるので(楽しみ)」と発言していたが、斉藤の右肩の回復は思わしくなかった。 2009年は全休。 2010年2月には右肩腱板修復手術を受け、2010年も実戦登板なしに終わった。3月17日には写真週刊誌『フライデー』でタレントのスザンヌとの交際が報じられた。斉藤は同誌の取材に対し「彼女は大事な人です」と交際を認めたが、故障でシーズンを全休している選手が週刊誌に交際報道されるという事態を重く見られ、球団から厳重注意処分を受けた。 2011年に支配下選手登録を解かれ、1月1日付で「三軍リハビリ担当コーチ」としてコーチ契約を結ぶこととなった。日本野球機構の登録上は自由契約扱いとなるが、本人は引き続き現役復帰を目指したリハビリを続け、球団も復帰が可能となった時点で選手契約を再締結する方針を示し、背番号も当面「66」のまま変更されなかった。12月1日にはスザンヌとの再婚を発表。 2012年には打撃投手を務めるなど、順調な回復を見せていたが、2013年7月29日に記者会見を開き、「肩を手術することを決断した際には、ただ一軍で投げるだけでなく戦力になるつもりでいた。しかし、2013年7月になって一軍の戦力になるイメージができなくなった」として現役への復帰を断念し、7月31日付で球団を退団。9月28日にヤフオクドームにて引退セレモニーが行われ、セレモニアルピッチでは最優秀バッテリー賞を一緒に受賞した城島健司に対して投球した。 現役引退後はテレビ東京・TVQ九州放送・FOXスポーツ&エンターテイメントの野球解説者、西日本スポーツの専属評論家を務める。2015年3月18日、2度目の妻だったスザンヌと離婚。 2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる。 2022年11月1日、ソフトバンクに一軍投手コーチとして10年ぶりに復帰することが発表された。2024年シーズンからは四軍監督を務める。2023年の秋季キャンプでは既に報道でも四軍監督の肩書きが使われていたが、四軍に専任の打撃投手が配置されておらず監督やコーチが自ら打撃投手を務める必要がある中、20分間特打で投げ通しとなって話題となった。 初回でもアウト一つを奪うたびに 長身ながら投球フォームは重心が低いため角度はないが、バランスの良い下半身主体のフォームで打者の距離感を惑わした。決め球に使う高速フォーク(スプリット・フィンガード・ファストボール)は平均球速約139km/h、最速146km/hを誇り、フォークでの奪空振り率はリーグ平均を10パーセント近く上回った。山﨑武司は最高のフォークを投げる投手として斉藤の名を挙げている。 通算79勝23敗、通算勝率.775を誇り、「負けないピッチャー」、「負けないエース」と称された。2005年に新設された交流戦では、通算12試合の登板で10勝1敗、防御率1.89と強い一方で、ポストシーズンは通算10試合の登板で0勝6敗と結果を残せなかった。 事あるごとに「自分のことはどうでもいい。チームが勝てばそれでいい」旨の台詞を発し、また、ヒーローインタビューでは「チームの勝利を優先して投げている」が口癖だった勝利至上主義者。試合展開に合わせたゲームプランで試合を支配していた。 2006年に最優秀バッテリー賞を受賞した的場直樹とのバッテリー結成は斉藤本人が決めたわけではなく、成績がいいためにバッテリーが成立したと明かしている。 苦手としていた打者に橋本将、塩崎真、タフィ・ローズを挙げている。 松坂大輔は自身が選ぶ歴代ベストナインの投手(先発)に斉藤を選出している。「どのボールが一番(素晴らしい)?」との江川卓の問いに対しては「ストレート」を挙げており、「見ているこっちが羨ましくなるようなストレートでしたね」などと述べている。 落合博満は、まだ本格的に活躍する前の2001年に著書で「ホークスの斉藤和巳という投手は非常に高い能力を持ちながら、故障や制球難でなかなか一軍に上がれないでいる。こういう場合は殻を破らせるよう、トレードをするなどして環境を変えてあげたほうがいいと思う」と著し、沢村賞を獲得する活躍を見せた後も「斉藤こそが球界で最も優秀な投手。斉藤和巳がいる限り、日本球界はなんとか保つ」と高く評している。 現役時代斉藤とチームメイトだった大道典良は「和巳が投げるというだけで、チームには安心感があった」「成績はもちろんだけど、和巳は普段の練習から一生懸命やっている姿がとても印象的だった」などと語っている。鳥越裕介は「良いピッチャーは多いけど、一球にかける思いの強さで群を抜いている。後ろで守っていてそれを実感した」と語っている。クリストファー・ニコースキーも「来日してから目を見開かされるような選手を見たわけじゃないが、斉藤は例外」と語り、2007年にESPNの「ベースボール国際化時代の主役候補10人」にも選ばれるなど、国外からも高い評価を得ていた。 杉内俊哉は「和巳さんは大きいけど、コントロールもよかったし、フィールディングも牽制球もうまかった。それに、本当に黙々と練習してました。絶対に手を抜くことはなかった。おそらく、肩に不安があったから『いまできることは全部やろう』と思ってたんじゃないでしょうか。練習中も、鬼気迫る表情でした。こんなふうに練習しないと、あれだけのピッチャーにはなれないのかと思ったものです」「もしかしたら、僕のほうが天才型かもしれませんね。和巳さんは努力型、それも、不器用な努力型だと思います。投げるボールや活躍ぶりはモンスター級でしたけど」と述べている。 坪井智哉は特に印象に残っている投手について斉藤を挙げている。「マウンド上に立っている斉藤は背後に何かが見える感じ」「彼がどのような気持ちで投げていたか分からないですけど、すごく伝わるものがありました。あんなにマウンド上で大きく、近く感じた投手はいません」「味方が点を取らなくても、自分が点を取られない。0対0の試合展開でも、最終的に1対0で勝つ。特に沢村賞を獲得したシーズンは凄かったですね」などと語っている。 『週刊ベースボール』実施の「球界200人が選ぶ歴代投手ランキング」では2位に選出されている。 自身の登板について「点を許さないのがエース。味方が点を取ってくれるまでいかに粘れるかで、ナインに信頼される。そうでなくてはエースじゃない。点を取れないのだったら、取ってくれるまで我慢を続けて0点に抑えればいい」という持論を持つ。 斉藤は守備が好きで、グラブも守備優先に特注して作るほど重視している。そのためゴールデングラブ賞に並々ならぬ思いがあった。しかし、取れなかったため非常に無念に思っている。 斉藤の元チームメイトである杉内俊哉は斉藤について「頼りになるいい先輩」と語っている。 背番号を入団以来66のまま変更しなかったのは、当時の夫人(2006年に離婚)と共に自身を支えてくれた彼女の祖父の葬儀で背番号66のユニフォームを着せたことがあり、「背番号を変えたら天国から見ているじいちゃんが俺だと分からなくなる」ためだという。この話は後日、自身のTwitterにより真実ではないことが公表された。斉藤とホークスでチームメイトだった新垣渚は後に東京ヤクルトスワローズに在籍中の2015年に同球団で空き番号となった66を自ら希望。「『66』にはカズミさんのイメージしかないですけど、格好よかったし、たくましかった。僕の中では『18』と変わらないくらい価値のある番号」と語っている。 元広島東洋カープの黒田博樹を尊敬している。黒田はニューヨーク・ヤンキース時代に斉藤からカーブを教えてもらっていたという。 各年度の太字はリーグ最高 ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更 最多勝利:2回(2003年、2006年) 最優秀防御率:2回(2003年、2006年) 最多奪三振:1回(2006年) 最高勝率:3回(2003年、2005年、2006年) ※最優秀投手として表彰、2年連続は山本由伸に次ぐ歴代2位タイ(他に御園生崇男、藤田元司、山田久志、堀内恒夫、北別府学、杉内俊哉、青柳晃洋)。3回獲得は山田に次ぐパ・リーグ2位タイ(他に工藤公康、山本由伸) 沢村栄治賞:2回(2003年、2006年) ベストナイン:2回(投手部門:2003年、2006年) 最優秀投手:3回(2003年、2005年、2006年) 月間MVP:3回(投手部門:2003年6月、2005年8月、2006年8月) 最優秀バッテリー賞:2回(2003年 捕手:城島健司、2006年 捕手:的場直樹) 初登板:1997年10月5日、対西武ライオンズ26回戦(西武ライオンズ球場)、4回裏に2番手で救援登板、2/3回2失点 初奪三振:同上、4回裏にドミンゴ・マルティネスから 初先発・初勝利:2000年6月24日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(福岡ドーム)、7回無失点 初完投勝利:2003年4月4日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、9回2失点 初完封勝利:2003年8月13日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(福岡ドーム) 初安打・初打点:2006年5月19日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、6回表に館山昌平から中前2点適時打 投手三冠王:1回(2006年) ※史上17人目、21世紀初、パ・リーグ平成最後 投手4冠:1回(2006年)※史上11人目、平成最後 投手5冠:1回(2006年)※史上7人目、平成唯一 1イニング4奪三振:2000年9月3日、対オリックス・ブルーウェーブ23回戦(福岡ドーム)、2回表にジョージ・アリアス・五島裕二・日高剛(振り逃げ)・田口壮 から ※史上7人目(8度目) 先発登板16連勝:2003年 ※プロ野球記録 登板試合15連勝:2003年 ※プロ野球記録 シーズン防御率6.26:2004年 ※1シーズン制でのプロ野球ワースト記録 開幕15連勝:2005年 ※当時のプロ野球タイ記録 シーズン勝率.941:2005年 ※歴代5位タイ、球団記録 オールスターゲーム出場:2回(2003年、2006年) 66(1996年 - 2013年) 71(2023年) 011(2024年) 88(2025年 - ) カズミ(1996年 - 1999年) 斉藤 和巳(さいとう かずみ、2000年 - 2013年) ソフトバンクモバイル「ホワイトプラン」(ホワイト・バット編・ホワイト・身長編)(2007年1月 - )
ソフトバンクモバイル「911SH」「911T」 (2007年3月17日 - )
国内信販「FDHカード」 TVQスーパースタジアム(2014年 - ) 斉藤和巳 Route66 ミュージックブルペン(2022年4月) ^ 該当者なし:115票、斉藤和巳:20票、鷹野史寿:11票、清水直行:4票、清水章夫:1票 ^ 1シーズン制では日本プロ野球ワースト記録。1937年の秋に重松通雄が防御率7.20を記録しているが、当時はチーム順位・個人記録とも1年2シーズン制を採用していた。 ^ 1リーグ時代を合わせると日本プロ野球史上7人目。 ^ 最多勝利2個、最優秀防御率2個、最多奪三振1個、最高勝率3個 ^ 沢村栄治賞2個、ベストナイン2個 ^ 斉藤和巳 | プロフィール・成績・速報・ドラフト・ニュースなど選手情報 - 週刊ベースボールONLINE ^ 宇佐美徹也『プロ野球データブック・最新版』講談社〈講談社文庫〉、1995年、756頁。ISBN 4061859005。 ^ 『2015プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2015年、88頁。ISBN 978-4-905411-26-0。 ^ “斉藤和巳 〜 リハビリ担当コーチで “再出発” 〜”. 夢空間スポーツ. FBS福岡放送 (2011年4月24日). 2012年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月26日閲覧。 ^ 大池和幸 (2013年8月1日). “ソフトB森福、斉藤和巳魂でチーム救った”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130801-1166387.html 2015年3月5日閲覧。 ^ “斉藤和巳氏 引退セレモニーで現役振り返り「正直ケガして良かった」”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2013年9月28日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/09/28/kiji/K20130928006706540.html 2015年3月5日閲覧。 ^ “斉藤和巳氏 王会長らにあいさつ 今後は「ゴルフとペン習字を習いたい」”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 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奥村政稔(投手) 75 大道典良(打撃) 91 金子圭輔(内野守備走塁) 98 高波文一(外野守備走塁) 87 細川亨(バッテリー) 011 大越基(監督) 013 森笠繁(打撃) 014 笹川隆(内野守備走塁) 015 釜元豪(外野守備走塁) 016 的山哲也(バッテリー) 017 森山良二(リハビリ担当〈投手〉) 018 中谷将大(リハビリ担当〈野手〉) 012 川越英隆(コーディネーター〈投手ファーム統括〉) 020 星野順治(コーディネーター〈投手〉) 023 荒金久雄(コーディネーター〈野手統括〉) 019 関川浩一(コーディネーター〈野手〉) 022 森浩之(コーディネーター〈野手〉) 021 井出竜也(コーディネーター〈野手〉) 1 風間球打 2 スチュワート・ジュニア 11 津森宥紀 14 又吉克樹 16 東浜巨 17 有原航平 18 武田翔太 20 中村亮太 26 大津亮介 27 岩井俊介 29 石川柊太 34 村田賢一 35 モイネロ 38 澤柳亮太郎 39 尾形崇斗 40 杉山一樹 41 前田悠伍 42 三浦瑞樹 47 大関友久 48 藤井皓哉 49 松本晴 50 板東湧梧 51 前田純 53 大山凌 54 オスナ 56 田浦文丸 58 木村大成 59 長谷川威展 60 大野稼頭央 63 ヘルナンデス 66 松本裕樹 67 笠谷俊介 68 木村光 70 田上奏大 12 嶺井博希 19 甲斐拓也 22 牧原巧汰 45 谷川原健太 55 石塚綜一郎 62 海野隆司 64 吉田賢吾 65 藤田悠太郎 79 渡邉陸 0 川瀬晃 4 ダウンズ 6 今宮健太 8 牧原大成 13 三森大貴 23 周東佑京 24 栗原陵矢 25 山川穂高 33 廣瀨隆太 36 イヒネイツア 43 井上朋也 46 川原田純平 52 リチャード 69 仲田慶介 99 野村勇 3 近藤健介 7 中村晃 9 柳田悠岐 28 ウォーカー 30 佐藤直樹 31 正木智也 32 柳町達 37 生海 44 笹川吉康 57 緒方理貢 61 川村友斗 126 宮里優吾 133 星野恒太朗 134 大城真乃 135 アルメンタ 136 大竹風雅 139 井﨑燦志郎 142 藤原大翔 145 ハモンド 146 藤田淳平 148 山崎琢磨 156 ロドリゲス 158 赤羽蓮 160 長水啓眞 161 内野海斗 162 岡植純平 163 佐々木明都 164 水口創太 165 宮崎颯 169 飛田悠成 176 サルディ 151 加藤晴空 171 盛島稜大 122 藤野恵音 124 桑原秀侍 129 佐倉俠史朗 130 勝連大稀 131 中澤恒貴 159 山下恭吾 170 西尾歩真 175 アルモンテ 123 大泉周也 144 シモン 150 山本恵大 166 重松凱人 168 佐藤航太 173 オスーナ 表 話 編 歴 1947 別所昭 1948 中尾碩志 1949 藤本英雄 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 杉下茂 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 金田正一 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実, 堀内恒夫 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 星野仙一 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 松岡弘 1979 小林繁 1981 西本聖 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 野茂英雄 1991 佐々岡真司 1992 石井丈裕 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 西口文也 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2001 松坂大輔 2002 上原浩治 2003 井川慶, 斉藤和巳 2004 川上憲伸 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 前田健太 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 前田健太 2016 K.ジョンソン 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2020 大野雄大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 柚木進 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 宅和本司 1955 中川隆 1956 稲尾和久 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保田治 1963 久保征弘 1964 妻島芳郎 1965 三浦清弘 1966 稲尾和久 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 木樽正明 1970 佐藤道郎 1971 山田久志 1972 清俊彦 1973 米田哲也 1974 佐藤道郎 1975 村田兆治 1976 村田兆治 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山口哲治 1980 木田勇 1981 岡部憲章 1982 高橋里志 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 工藤公康 1986 佐藤義則 1987 工藤公康 1988 河野博文 1989 村田兆治 1990 野茂英雄 1991 渡辺智男 1992 赤堀元之 1993 工藤公康 1994 新谷博 1995 伊良部秀輝 1996 伊良部秀輝 1997 小宮山悟 1998 金村暁 1999 工藤公康 2000 戎信行 2001 N.ミンチー 2002 金田政彦 2003 斉藤和巳, 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 石川歩 2017 菊池雄星 2018 岸孝之 2019 山本由伸 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 L.モイネロ 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 野口正明 1953 川崎徳次 1954 宅和本司, 田中文雄 1955 宅和本司 1956 三浦方義 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保征弘 1963 稲尾和久 1964 小山正明 1965 尾崎行雄 1966 米田哲也 1967 池永正明 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 成田文男 1971 木樽正明 1972 山田久志, 金田留広 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 東尾修 1976 山田久志 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 今井雄太郎, 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修, 山内和宏 1984 今井雄太郎 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 山沖之彦 1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野田浩司, 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 K.グロス 1996 K.グロス 1997 西口文也, 小池秀郎 1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 涌井秀章 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 和田毅, 金子千尋 2011 D.ホールトン, 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平, 涌井秀章 2016 和田毅 2017 東浜巨, 菊池雄星 2018 多和田真三郎 2019 有原航平 2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平、伊藤大海 表 話 編 歴 1950 米川泰夫 1951 阿部八郎 1952 柚木進 1953 米川泰夫 1954 宅和本司 1955 河村久文 1956 梶本隆夫 1957 梶本隆夫 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 杉浦忠 1961 稲尾和久 1962 米田哲也 1963 稲尾和久 1964 尾崎行雄 1965 尾崎行雄 1966 田中勉 1967 鈴木啓示 1968 鈴木啓示 1969 鈴木啓示 1970 鈴木啓示 1971 鈴木啓示 1972 鈴木啓示 1973 成田文男 1974 鈴木啓示 1975 東尾修 1976 村田兆治 1977 村田兆治 1978 鈴木啓示 1979 村田兆治 1980 木田勇 1981 村田兆治 1982 松沼博久 1983 山沖之彦 1984 佐藤義則 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 阿波野秀幸 1988 小川博 1989 阿波野秀幸 1990 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 伊良部秀輝 1996 工藤公康 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 工藤公康 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 松坂大輔 2004 新垣渚 2005 松坂大輔 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 杉内俊哉 2009 杉内俊哉 2010 ダルビッシュ有 2011 ダルビッシュ有 2012 田中将大 2013 金子千尋 2014 則本昂大 2015 則本昂大 2016 則本昂大 2017 則本昂大 2018 則本昂大 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大, 山本由伸 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 今井達也 表 話 編 歴 1953 川崎徳次 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 島原幸雄 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 斉藤和巳 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉 2010 杉内俊哉 2011 田中将大 2012 攝津正 表 話 編 歴 1950 野村武史 1951 中谷信夫 1952 柚木進 1953 大神武俊 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 植村義信 1957 稲尾和久 1958 秋本祐作 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 皆川睦男 1963 田中勉, 森中千香良 1964 J.スタンカ 1965 林俊彦 1966 皆川睦男 1967 石井茂雄 1968 村上雅則 1969 清俊彦 1970 佐々木宏一郎 1971 山田久志 1972 佐藤道郎 1973 八木沢荘六 1974 竹村一義 1975 鈴木啓示, 野村収 1976 山田久志 1977 稲葉光雄 1978 山田久志 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 間柴茂有 1982 工藤幹夫 1983 高橋直樹 1984 石川賢 1985 石本貴昭 1986 渡辺久信 1987 工藤公康 1988 郭泰源 1989 星野伸之 1990 野茂英雄 1991 工藤公康 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 郭泰源 1995 平井正史 1996 星野伸之 1997 西口文也 1998 黒木知宏 1999 篠原貴行 2000 小野晋吾 2001 田之上慶三郎 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 斉藤和巳 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉 2010 杉内俊哉 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 岸孝之 2015 大谷翔平 2016 和田毅 2017 千賀滉大 2018 M.ボルシンガー 2019 山岡泰輔 2020 石川柊太 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 伊藤大海 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 西村貞朗 1955 中村大成 1956 梶本隆夫 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 稲尾和久 1963 稲尾和久 1964 J.スタンカ 1965 尾崎行雄 1966 田中勉 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 木樽正明 1971 山田久志 1972 山田久志 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 鈴木啓示 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 東尾修 1986 渡辺久信 1987 工藤公康 1988 西崎幸広 1989 阿波野秀幸 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 伊良部秀輝 1995 伊良部秀輝 1996 E.ヒルマン 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 大谷翔平 2017 菊池雄星 2018 菊池雄星 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 若林忠志 1951 江藤正 1952 大神武俊 1953 大神武俊 1954 西村貞朗 1955 柚木進 1956 川崎徳次 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 中西勝己 1961 J.スタンカ 1962 土橋正幸 1963 稲尾和久 1964 J.スタンカ 1965 杉浦忠 1966 渡辺泰輔 1967 米田哲也 1968 石井茂雄 1969 石井茂雄 1970 木樽正明 1971 足立光宏 1972 山田久志 1973 江本孟紀 1974 金田留広 1975 足立光宏 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 井本隆 1980 井本隆 1981 高橋一三 1982 松沼博久 1983 松沼博久 1984 山田久志 1985 松沼博久 1986 東尾修 1987 東尾修 1988 渡辺久信 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信 1991 工藤公康 1992 渡辺久信 1993 工藤公康 1994 渡辺久信 1995 佐藤義則 1996 星野伸之 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 工藤公康 2000 若田部健一 2001 J.パウエル 2002 松坂大輔 2003 斉藤和巳 2004 石井貴 2005 清水直行 2006 ダルビッシュ有 2007 ダルビッシュ有 2008 涌井秀章 2009 武田勝 2010 成瀬善久 2011 和田毅 2012 吉川光夫 2013 則本昂大 2014 J.スタンリッジ 2015 武田翔太 2016 大谷翔平 2017 千賀滉大 2018 千賀滉大 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平 表 話 編 歴 1991 工藤公康 - 伊東勤 1992 石井丈裕 - 伊東勤 1993 金石昭人 - 田村藤夫 1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎 1995 平井正史 - 中嶋聡 1996 西口文也 - 伊東勤 1997 西口文也 - 伊東勤 1998 西口文也 - 伊東勤 1999 工藤公康 - 城島健司 2000 吉田修司 - 城島健司 2001 田之上慶三郎 - 城島健司 2002 豊田清 - 伊東勤 2003 斉藤和巳 - 城島健司 2004 三瀬幸司 - 城島健司 2005 渡辺俊介 - 里崎智也 2006 斉藤和巳 - 的場直樹 2007 成瀬善久 - 里崎智也 2008 岩隈久志 - 藤井彰人 2009 涌井秀章 - 銀仁朗 2010 杉内俊哉 - 田上秀則 2011 田中将大 - 嶋基宏 2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也 2013 田中将大 - 嶋基宏 2014 金子千尋 - 伊藤光 2015 大谷翔平 - 大野奨太 2016 石川歩 - 田村龍弘 2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗 2018 多和田真三郎 - 森友哉 2019 増田達至 - 森友哉 2020 千賀滉大 - 甲斐拓也 2021 山本由伸 - 若月健矢 2022 山本由伸 - 若月健矢 2023 山本由伸 - 若月健矢 2024 有原航平 - 甲斐拓也 表 話 編 歴 1938秋 鈴木芳太郎 1939 政野岩夫 1940 清水秀雄 1941 神田武夫 1942 神田武夫 1943 清水秀雄 1944 清水秀雄 1946 松川博爾 1947 別所昭 1948 別所昭 1949 柚木進 1950 柚木進 1951 江藤正 1952 江藤正 1953 柚木進 1954 大神武俊 1955 柚木進 1956 柚木進 1957 野母得見 1958 杉浦忠 1959 杉浦忠 1960 杉浦忠 1961 J.スタンカ 1962 J.スタンカ 1963 J.スタンカ 1964 三浦清弘 1965 杉浦忠 1966 森中千香良 1967 皆川睦男 1968 皆川睦男 1969 泉嘉郎 1970 西岡三四郎 1971 西岡三四郎 1972 西岡三四郎 1973 江本孟紀 1974 江本孟紀 1975 江本孟紀 1976 山内新一 1977 山内新一 1978 山内新一 1979 藤田学 1980 山内新一 1981 山内新一 1982 山内新一 1983 山内孝徳 1984 山内和宏 1985 山内孝徳 1986 山内孝徳 1987 山内孝徳 1988 西川佳明 1989 山内孝徳 1990 藤本修二 1991 村田勝喜 1992 村田勝喜 1993 村田勝喜 1994 吉田豊彦 1995 工藤公康 1996 工藤公康 1997 武田一浩 1998 工藤公康 1999 西村龍次 2000 西村龍次 2001 西村龍次 2002 田之上慶三郎 2003 斉藤和巳 2004 斉藤和巳 2005 和田毅 2006 斉藤和巳 2007 斉藤和巳 2008 杉内俊哉 2009 和田毅 2010 杉内俊哉 2011 和田毅 2012 攝津正 2013 攝津正 2014 攝津正 2015 攝津正 2016 攝津正 2017 和田毅 2018 千賀滉大 2019 千賀滉大 2020 東浜巨 2021 石川柊太 2022 千賀滉大 2023 大関友久 2024 有原航平 表 話 編 歴 1位:斉藤和巳 2位:松本輝 3位:土井雅弘 4位:佐久本昌広 5位:高橋和幸 6位:福田信一 VIAF 日本の野球選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 最優秀防御率 (NPB) 最多勝利 (NPB) 最多奪三振 (NPB) 最高勝率 (野球) 沢村栄治賞 NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球監督 野球解説者 日本の男性YouTuber 元NPB選手のYouTuber 京都廣学館高等学校出身の人物 京都府出身のスポーツ選手 京都市出身の人物 1977年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/11/20 10:37更新
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saitou kazumi
斉藤和巳と同じ誕生日11月30日生まれ、同じ京都出身の人
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