村井弦斎の情報(むらいげんさい) ジャーナリスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
村井 弦斎さんについて調べます
■名前・氏名 |
村井弦斎と関係のある人
火坂雅志: また、明治の小説家である村井弦斎を敬愛し、長年にわたる弦斎研究を行っていたことでも知られる。 黒岩比佐子: ^ 2005年に岩波文庫より村井弦斎作『食道楽』が上下巻で刊行されるが、その解説を黒岩比佐子が執筆している。 黒岩比佐子: 鳥海義晃『鳥さんの料理教室 日本料理と村井弦斎から食育を考える』湘南ジャーナル社、2018年6月9日、73頁。 長山靖生: 『少年小説大系 第13巻 森田思軒・村井弦斎集』(三一書房、1996) 村上浪六: 大衆文学大系 3 村井弦斎、村上浪六、塚原渋柿園、碧瑠璃園、大倉桃郎 講談社、1971 黒岩比佐子: 『『食道楽』の人 村井弦斎』岩波書店 2004 ISBN 978-4000233941 黒岩比佐子: 特に、火坂雅志とともに村井弦斎研究の第一人者とされており、村井の死後に著書が復刊された際には解説章の執筆を任された。 黒岩比佐子: 村井弦斎『食道楽』(上)岩波書店、2005年7月15日、577-589頁。 火坂雅志: 同じく平塚に居を構えた明治時代のベストセラー作家村井弦斎にとりわけ強い関心を寄せ、その存在に光を当てるべく尽力した。 三浦謹之助: 村井弦斎、長岡半太郎、田中館愛橘、鈴木万次郎、芳賀栄次郎、青山胤通、北里柴三郎、浜田玄達、三宅秀、エルヴィン・フォン・ベルツ、ユリウス・スクリバ、ルイ・パスツール ロベルト・コッホ、パウル・エールリヒ、ジャン=マルタン・シャルコー、カール・ゲルハルト、フェリックス・マルシャン、ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー、ルートヴィヒ・キュルツ、ウィルヘルム・エルブ、竹下勇中将、吉岡弥生、橋本綱常、藤浪鑑、石黒忠悳、長谷川泰、高木兼寛、後藤新平、福田得志、島薗順次郎、高橋忠雄、吉利和、緒方知三郎、勝沼精蔵、村地長考、植松七九郎、西野忠次郎、武谷広、加藤豊治郎、塩谷不二雄、福島東作、井村英二郎 村上浪六: また、遅塚麗水、村井弦斎、原抱一庵との四人で「報知の四天王」と呼ばれた。 黒岩比佐子: 2004年、『「食道楽」の人 村井弦斎』でサントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞。 火坂雅志: 墓は生前、研究に力を注いだ村井弦斎の墓所に並ぶように建てられた。 |
村井弦斎の情報まとめ
村井 弦斎(むらい げんさい)さんの誕生日は1864年1月26日です。愛知出身のジャーナリストのようです。
兄弟、結婚、母親、現在、テレビに関する情報もありますね。1927年に亡くなられているようです。
村井弦斎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)村井 弦斎(むらい げんさい 村井 弦齋、文久3年12月18日(1864年1月26日) - 昭和2年(1927年)7月30日)は、愛知県豊橋市出身の明治・大正時代のジャーナリスト、小説家。諱は寛(ゆたか)。 三河吉田藩の武家の子。父も祖父も儒者として藩に使え、漢学をよくした家柄だった。父の村井清は著述家として『傍訓註釈 西洋千字文』など数冊の本を出版、また渋沢栄一の子息の家庭教師も勤めたほどの教養人であった。甥は作曲家の呉泰次郎である。 父は明治維新後、社会の身分の変動を目の当たりにしたことから「息子には漢学だけでなく洋学も早くから学ばせたい」と考えるようになり、1872年に一家の将来を9歳の弦斎に託し一家で上京した。 彼は幼少のころから、ロシア語の家庭教師をつけられたり、漢学の塾に入れられたりして、早期の英才教育を受けた。1873年に東京外国語学校(現・東京外国語大学)が開校すると、入学資格が13歳以上にもかかわらず、12歳で受験・入学させられた。猛勉強で首席にもなったものの健康を害し、1881年に露西亜語科を中退。その後、ロシア語の翻訳や著述で身を立てるようになる。しかし、家庭のしつけや猛勉強などがたたって、うつ病傾向などの神経性の疾患を抱え、しばらく療養した。病が癒えた後、新聞、雑誌の懸賞論文に応募を行い、毎日新聞に応募した論文が3等に入選したほか、いくつかの論文が活字になった。英字新聞の論文募集に入選し、アメリカ旅行の懸賞を得た。20歳で渡米し、アメリカではロシア系移民の家に住み込み英語を学び、働きながら社会制度などを学んだ。滞米中に報知新聞社長の矢野龍渓と知り合った。 1887年の帰国後、郵便報知新聞客員となり、1890年に郵便報知新聞正社員に、1895年同編集長。遅塚麗水、原抱一庵、村上浪六との四人で「報知の四天王」と呼ばれた。明治から大正にかけて著述家として活躍した。 また、1887年には東京専門学校(後の早稲田大学)に入学して本格的に文学の道を歩む。『小説家』 (1890年~91年) で認められ、現代小説から未来戦争小説となる『小猫』 (1891年~92年) により小説家の地位を確立、発明小説『日の出島』 (1896年~1901年) でその人気は絶頂に達した。このころの未来戦記、政治小説、発明小説の発表により、「SF小説の先駆者」ともされる。 代表作とされるのは、報知新聞に1903年(明治36年)1月から12月まで連載された『百道楽シリーズ』で、『酒道楽』『釣道楽』『女道楽』『食道樂』が執筆された。他にも、玉突道楽、芝居道楽、囲碁道楽など案はあったようであるが、執筆したのは4作だけである。これらの作品は、食道楽の様な道楽にうつつを抜かす遊興の徒を描いたものではなく、その様な道楽をたしなめ、飲酒の健康被害を語り、正妻以外に愛人をかこう旧来の悪弊を糾弾する教訓・啓蒙小説である。その中の『食道楽』(くいどうらく)は、明治時代、徳冨蘆花の『不如帰』と並んで最もよく読まれ、小説でありながら、その筋のあちこちに600種以上の四季折々の料理や食材の話題が盛り込まれており、『美味しんぼ』や『クッキングパパ』などのグルメコミックの先駆けともいうべき作品である。ベストセラー作品として文学史的な評価も高い。また、「小児には德育よりも、智育よりも、躰育よりも、食育が先き。躰育、德育の根元も食育にある。」と食育という用語を記述した。続編も書かれたが、正編ほどの反響はなかった。 『食道楽』の執筆前後、弦斎は、大隈重信の従兄弟の娘である尾崎多嘉子と結婚している。また、彼女の母親の妹は、後藤象二郎の後妻であった。女性登山家の草分けとなった村井米子は娘。 1906年『婦人世界』編集顧問となり、初めて料理法、医療法などの実用記事を多く取入れ、現在の女性雑誌の原型をつくった。 結婚後、1904年から亡くなるまで神奈川県平塚市の平塚駅の南側に居住した。『食道楽』の印税で屋敷の広大な敷地に和洋の野菜畑、カキ、ビワ、イチジクなどの果樹園、温室、鶏、ヤギ、ウサギなどの飼育施設、果ては厩舎を築造し、新鮮な食材を自給した。当時は珍しかったイチゴやアスパラガスの栽培まで行った。また各界の著名人を招待したり、著名な料理人や食品会社の試作品などが届けられるという美食の殿堂のように取りざたされる優雅な暮らしを営んだ。ただし、彼は一連の『食道楽』ものを終了した後に断筆、報知新聞をも辞職してしまう。その後、脚気治療のために玄米食の研究に没頭し、また断食、自然食を実践した。また、自ら竪穴建物に住み、生きた虫など、加工しない自然のままのものだけを食べて暮らし、奇人、変人扱いされた。本人の死後、自宅一部、東側を河野一郎に、西側を小平浪平に売却している。 村井多嘉子(1880年 - 1960年):弦斎の妻。『弦斎夫人の料理談』などの著作がある。 村井米子(1901年 - 1986年):弦斎の長女。 平塚市では、2000年以降、毎年秋に弦斎の住まい趾(村井弦斎公園)で「村井弦斎まつり」を開催している。 『酒道楽』新人物往来社(上下) 1977年(村井米子編) 『釣道楽』新人物往来社(上下) 1977年 『定本食道楽』上-春の巻、夏の巻/下-秋の巻、冬の巻 新人物往来社 1978年(村井米子編) 『台所重宝記』平凡社ライブラリー 2001年(村井米子編訳) 『食道楽の献立』角川春樹事務所 1997年(ランティエ叢書) 『食道楽』岩波文庫(上下) 2005年 『酒道楽』岩波文庫 2006年 『台所重宝記』中公文庫 2017年8月(村井米子編訳)ISBN 4122064473 『食道楽』中公文庫 2018年9月(村井米子編訳) 黒岩比佐子『「食道楽」の人村井弦斎』岩波書店 2004年 火坂雅志『美食探偵』(講談社文庫, 2003年)ISBN 4062738252
^ 『百年前の二十世紀』 横田順彌(著)ちくまプリマーブックス ^ 長山靖生『日本SF精神史 完全版』(河出書房新社)P.102 ^ 横田順彌、會津信吾『新・日本SFこてん古典』(徳間文庫)P.275 ^ 「食道楽」の家系 村井弦斎、多嘉子、米子の著作 - 神奈川県平塚市北図書館(2020年8月24日閲覧) 甘糟章・小林信彦 - 甘糟が女性向け雑誌『クロワッサン』編集長時代に、『食道楽』の現代版をということで、小林に小説連載を依頼したのが、『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』であった。 ごちそうさん(連続テレビ小説) - 弦斎をモデルとする文士「室井幸斎」なる人物が登場する(ただし活躍時期は史実とは異なる)。演者は山中崇。 婦人世界 - 創刊時の1906年から編集顧問を務めた婦人雑誌。 平塚市 - 村井弦斎公園がある都市。 収蔵コレクション展8『食道楽』の人 村井弦斎神奈川近代文学館のページ 村井弦斎平塚市のページ 『食道楽』に学ぶ 『食道楽』の人 村井弦斎 1904年の英文小説『Hana』明治の奇才・村井弦斎の足跡 - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分) 弦斎の住まい趾(現、弦斎公園)の地図 村井弦斎まつり公式ホームページ 村井弦斎:作家別作品リスト - 青空文庫 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本のジャーナリスト 20世紀日本のジャーナリスト 日本の男性ジャーナリスト 19世紀日本の小説家 20世紀日本の小説家 明治時代の報知新聞社の人物 戦前の報知新聞社の人物 幕末三河吉田藩の人物 愛知県出身の人物 1864年生 1927年没 2024/11/15 17:08更新
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