東八郎の情報(あずまはちろう) タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
東 八郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
東八郎と関係のある人
山崎まさや: 1990年代初頭、東八郎の私塾に入塾していたが、東の急逝後には志村けんの付き人をしており、当時は『志村けんのだいじょうぶだぁ』に端役で出演するなどしていた。 桑野信義: 『志村けんのバカ殿様』では、初代家老役を演じていた東八郎の逝去後、正式に二代目家老役として抜擢された。 萩本欽一: 1970年代〜1980年代に、「なんでそーなるの!」などのギャグや、「欽ちゃん走り」と言われる独特の走り方(原点は師匠の東八郎)など体を使った笑い、さらに素人および素人っぽさを残す芸能人の才能を開花させたり番組でユニットを作り曲を出すなど、現在のバラエティの基本を開発した人物で、お笑い界の革命児として一世を風靡した。 高山栄: 1963年にTBS系列で放映されたアニメ「エイトマン」の主人公・東八郎役で知られている。 有田哲平: 「海砂利水魚」時代は尖った芸風だったが、2000年に東貴博脚本・主演の東八郎十三回忌追悼公演に出演した際、演出の萩本欽一に自身の不真面目な態度を肯定的に捉えられたことがきっかけでテキトーなキャラクターを確立し、次第にバラエティ番組への起用が増えていった。 矢島正明: 「ヨード卵・光」(1984年、出演・東八郎) 志村けん: 『バカ殿』で共演していた東八郎に「東さんはいい歳になってもなぜ馬鹿な演技が出来るのでしょうか?」と尋ねた時、東から「芸人が本当は利口だと思わせようとしたり、文化人面したりするようになったらおしまい」と言われた。 伊東四朗: かつての喜劇役者仲間であり、親しい友人でもあった東八郎、関敬六、また渥美清や由利徹などといった浅草喜劇出身の役者たちが次々に冥界の人になって以後は、「浅草喜劇の伝統を後代へ引き継ぎたい」という想いと、「彼らの分まで、体が動く限り現役で頑張りたい」との想いが年々強くなっているとのこと。 桂米多朗: 1986年(昭和61年)4月 - 東八郎笑塾に第1期生として入塾。 小松政夫: 一方で、東八郎とも植木のもとから独立して以降共演の機会がある毎に交遊を深め、後年東が東八郎劇団を立ち上げた際には、「お前を副座長として迎えたい」と直々に口説き落とされ、東が逝去する当年まで本多劇場(東京都世田谷区)や新宿コマ劇場(東京都新宿区)での公演にて、息の合った共演をみせ人気を博した。小松は東のことを「植木等が小松政夫の生みの親なら、育ての親は東八郎」と述懐している。 東貴博: 金魚を飼育し、自宅には東八郎の遺影や形見のロレックス、レコードを保管している。 東貴博: 東八郎の次男(五人兄弟)。 宍戸開: 8マン・すべての寂しい夜のために(1992年) - 主演・東八郎 役 東貴博: 1969年12月31日、東京都台東区浅草にて東八郎の次男として生まれる。 小島三児: その後テレビの台頭に伴い東八郎・原田健二とともにトリオスカイラインを結成。 高山栄: エイトマン(東八郎・エイトマン) 高山栄: 代表作はアニメ『エイトマン』の主人公、東八郎の声優担当。 高田文夫: ありがとう笑名人 第1巻 - 三木のり平・由利徹・笑福亭松鶴・東八郎・古今亭志ん朝(編著:高田文夫・笑芸人、白夜書房、2003年6月) 桂米多朗: 東八郎劇団員として本多劇場、新宿コマ劇場公演、近藤真彦講演、坂東玉三郎公演などに出演。 尾上寛之: 浅草キッド(2021年12月9日 - 、Netflix)‐ 東八郎 役 はしのえみ: 東八郎十三回忌公演「86の13」(2000年7月、新宿シアターアプル) 斎藤哲也: 大学在学中に東八郎が主宰する「笑塾」にてお笑いを学び、新宿コマ劇場を始め数々の舞台を経験するが、大学卒業と東の死去に伴い、お笑いからアナウンサーへ転身。 萩本欽一: 東洋劇場では、先輩芸人である池信一や石田英二、そして東八郎から数多くの指導を受ける。 滝大作: 東八郎劇団『スラップスティック・サラダ』(演出、1984年) 東貴博: 1988年、18歳の時に父の東八郎が52歳の若さで脳出血のため急逝。 団しん也: 東八郎 東朋宏: 父は東八郎。 東朋宏: 2011年(平成23年)1月27日に長男が誕生、この男児が飛田家(東八郎)にとっては初孫。 |
東八郎の情報まとめ
東 八郎(あずま はちろう)さんの誕生日は1936年5月31日です。東京出身のタレントのようです。
人物、出演番組などについてまとめました。家族、父親、卒業、テレビ、解散、結婚、ドラマ、映画に関する情報もありますね。52歳で亡くなられているようです。
東八郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)、1936年〈昭和11年〉5月31日 - 1988年〈昭和63年〉7月6日)は、日本のコメディアン、タレント。昭和を代表するコメディアンの一人。妻との間に3男2女があり、次男はお笑いコンビ・Take2の東貴博、三男はタレントの東朋宏。タレントの安めぐみは義娘(次男・貴博の妻)にあたる。 東京府東京市浅草区 (現・東京都台東区浅草) 出身。父は岐阜県大垣市の出身で皇宮警察官であった。戦時中に家族とともに名古屋市に疎開し、名古屋時代の親友にプロゴルファー塩谷育代の父親がいた。 中学校卒業後にコメディアンを志して歌手の田谷力三に弟子入り、そして浅草公園六区の浅草フランス座などで活躍する(この頃のフランス座には、関敬六、長門勇、渥美清、伊東四朗など後に有名になったコメディアンたちが出演していた)。 浅草の東洋劇場では池信一、東八郎、石田映二の丁稚トリオを結成、のちにまだ駆け出しの萩本欽一が加わった。 東八郎の芸名はフランス座を経営する東洋興業創業者の松倉宇七にちなんだものであった。 テレビの台頭と共に浅草の演劇街が衰退してきたため、1964年に小島三児、原田健二と共にトリオ・スカイラインを結成し、テレビに進出。コントを行い人気を博した。しかしトリオ・スカイラインは1971年に解散し、以降は単独で芸能活動を行った。三波伸介とともにNHK『お笑いオンステージ』にレギュラー出演し、全国区の有名なコメディアンとなった。その後、東八郎劇団を結成して後進の育成にも力を注ぎ、全国各地で喜劇を演じていた。最晩年では『志村けんのバカ殿様』の城代家老役や額に「光」のシールを貼り、BGMにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が流れる「ヨード卵光」のコマーシャルが有名であった。なお、萩本欽一は東の預り弟子であった。東の直弟子には他にすず風金魚(すず風にゃん子・金魚)がいる。 また人気コメディアンとしてテレビや舞台を数多くこなし、RCAビクターから『娘へのバラード』(1981年)を発売するなど歌手活動も行っていた。『娘へのバラード』は、結婚披露宴で歌われる定番曲のひとつとして広く知られている。また1986年には芸能人養成のために私塾「笑塾」を開いた。 しかし、それから間もない1988年7月6日の昼過ぎ、自宅で眠っている最中に突然脳溢血を起こす。日本医科大学付属病院へ救急車で緊急搬送されたが、意識が回復することなく同日15時30分に急逝した(52歳没) 。 人物志村けんは子供からバカにされることに内心、憤慨していた時期があったため、その際『志村けんのバカ殿様』で共演していた東に「東さんはその歳になっても、なぜバカな演技ができるのですか?」と尋ねたところ、東から「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」と諭され、大いに感激したという。志村はことあるごとにこのエピソードを披露し、東に対する敬意を表している。東の死で「笑塾」が解散となった際、志村は「(当時の)自分には一人しか面倒を見てやれる余裕がないが、誰かの面倒を見たいね」と申し出た。この時、志村の付き人に採用されたのがジョーダンズの山崎まさやだった。なお、元々、バカ殿様のネタは東が浅草の劇場で演じていたネタでもあった。 「笑塾」の出身者は他に桂米多朗、ぴろき、斎藤哲也らがいる。 東の持ちネタである「頑張れ、強いぞ、僕らのなまか〜」は、テレビアニメ『赤胴鈴之助』のテーマ曲の替え歌で、「仲間」が訛って「なまか」となった。「なまか」は後に、フジテレビドラマ『西遊記』でSMAPの香取慎吾扮する孫悟空の口癖として使われた。 長年にわたって糖尿病を患っており、逝去の数ヶ月前には病状が悪化していた。しかし、その後も新宿コマ劇場での舞台公演に家族や関係者の反対を押し切って出演し、これが生涯最後の舞台となった。 逝去の数日前には家族で外食した際に「俺が死んだら、この子たちはどうなるんだろうなあ」と語ったり、夫人に「俺は苦しんだりせず、朝起きたら俺の顔を覗き込んで『あら、死んでるわ』っていう死に方が理想なんだ」と語るなど、自身の死期を悟っていたふしが見られ、奇しくも自身の理想に寸分違わぬ最期を遂げた。 出演番組バラエティお笑いオンステージ(NHK) - 「てんぷく笑劇場」レギュラー みごろ!たべごろ!笑いごろ!(NET→テレビ朝日) オールスター家族対抗歌合戦(フジテレビ) - 常連ゲスト、のち審査員 志村けんのバカ殿様(1986年 - 1988年、フジテレビ) - 家老役(逝去後は、桑野信義がこの役を務めた) お笑いスター誕生(日本テレビ) - 審査員 欽ちゃんの仮装大賞(日本テレビ) - 審査員(※名前にちなんで8マンの仮装をしたことがある) ドリフ大爆笑(フジテレビ) - 常連ゲスト 今夜は最高!(日本テレビ) - 常連ゲスト 所さんのただものではない!(フジテレビ) - 常連ゲスト テレビドラマ右門捕物帖(1974年 ‐ 1975年)- 仙太 役 家なき子 第7話「東京へ帰ろう」(1974年) - 果物屋店員 役 新五捕物帳 第6話「ドジ野郎いちばん手柄」(1977年) - 熊五郎 / 清兵衛 役 鬼平犯科帳 (萬屋錦之介) 第1シリーズ 第8話「おしま金三郎」(1980年) - 七兵衛 役 意地悪ばあさん 第2話「意地悪も命がけの巻」(1981年) - 丹木 役 銭形平次
第848話「自慢にならぬ初手柄」(1983年) - 茂兵ヱ 役 メチャン子・ミッキー(1982年) - 花村小百合 役 あんみつ姫(1983年 - 1984年) - 品川千兵衛 役 のんき君(1983年 - 1984年) 花田春吉なんでもやります(1985年) 西田敏行の泣いてたまるか 第2話「目の上のたんこぶ」(1986年、TBS) 独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)(1987年) - 飯坂宗康 役 六本木ダンディーおみやさん(1987年)- 風見署長 役 裸の大将(1988年、KTV) - 第26話 清のくれた幸せの星砂 - 石山村長 役 映画としごろ(1973年) 超能力だよ全員集合!!(1974年) - 八百徳 役 おしゃれ大作戦(1976年)- 大野九郎 役 愛と誠・完結篇(1976年)- オスカーのマスター 役 闇の狩人(1979年)- 岡っ引き 役 男はつらいよ 寅次郎紙風船(1981年) アニメーションコアラボーイ・コッキィ(1985年、トップクラフト制作、テレビ東京系列で放映、コッキィのパパの声) CMアースレッド(アース製薬) アクロン(ライオン) もろこし村(明治製菓) チョコボール・メカボーグ(明治製菓) ヨード卵光(日本農産工業) 2024/06/12 02:49更新
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azuma hachirou
東八郎と同じ誕生日5月31日生まれ、同じ東京出身の人
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