松方三郎の情報(まつかたさぶろう) 登山家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


松方 三郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
松方三郎と関係のある人
八木沼純子: 子沢山だった曽祖父・松方正義の子孫は約600人おり、その中には松本重治、エドウィン・ライシャワー元駐日アメリカ合衆国特命全権大使、白洲次郎、松方三郎、牛場信彦、牛場友彦、松方正熊、井上保次郎、遠縁には大久保利通、牧野伸顕、麻生太賀吉、麻生太郎、福沢諭吉、小沢征爾、芦田均、柳原前光、柳原白蓮、堤清二、木内みどり、水野成夫、近藤廉平、吉田茂などがいる。 植村直己: 1970年2月、日本山岳会エベレスト登山隊の本隊(総隊長:松方三郎、登攀隊長:大塚博美、以下39人)をカトマンズで迎え入れた。 中江利忠: しかし日本のビッグ・リンカーといわれる元国際文化会館理事長・同盟通信社常務理事松本重治の又従兄弟に当たることから元首相松方正義公爵一族に連なり(一族に元共同通信社専務理事松方三郎がいる)、朝日新聞社の上野社主家とも親戚で、元首相吉田茂の側近で終戦連絡中央事務局次長、東北電力会長などを歴任した白洲次郎や白洲の岳父樺山愛輔伯爵(元国際通信社社長)、元同盟通信社社長岩永裕吉(息子の岩永信吉は元共同通信社常務理事)、元東京帝国大学総長長與又郎男爵(息子の長與道夫は元共同通信社常務理事)、元首相犬養毅(孫の犬養康彦は元共同通信社社長)、元外相芳沢謙吉、元朝日新聞社副社長(第4次・第5次吉田内閣副総理・自由党総裁・自由民主党総裁代行委員)緒方竹虎らとも遠縁に当たる「華麗なる一族」ぶりなどから、本社採用同様の扱いを受け、「朝日のプリンス」として早くから社長候補に擬せられた。 鈴木大拙: 英語を教えたが、終生交流した教え子に柳宗悦や松方三郎等がいる。 岸田劉生: 岸田劉生の作品の多くはパトロンであった松方三郎と兄の森村義行により収集されたが、両者の死後、1970年代から1980年代にかけて相次ぎ手放された。 板倉勝宣: 1922年に佐幌岳にスキー登山、大雪山系の旭岳に初登頂したほか、槍ヶ岳北鎌尾根を松方三郎らと登攀、新聞には初登頂(実際の初登頂はウォルター・ウェストン)と報道され、新進気鋭の登山家として知られるところとなった。 芳野満彦: 松方三郎,川崎隆章編『登山全書.第2巻』(河出書房,1956年) 長谷川才次: 7月14日、長谷川は共同常務理事の松方三郎(松方正義の末子)と直接交渉し、「覚書」の撤廃を実現させた。 尾崎喜八: 犬養健、松方三郎らと親しむ。 濱田庄司: 柳宗悦の同志として民藝運動の興隆にあたり、1961年(昭和36年)5月の柳の没後は、日本民藝館・第2代館長に就任した、1970年大阪万博の日本民芸館パビリオンの名誉館長を経て、1972年春に新装開館した大阪日本民藝館の初代館長にも就任し、1974年には松方三郎の後任で日本民藝協会会長を兼務した。 槇有恒: 有恒をリーダーとするパーティーの一行は松方三郎、松本重治の上流階級の子弟からなる秩父宮サロンであり、山岳界の学閥系はこれを濫觴とする。 鈴木文四郎: 1949年1月30日、親友同士であったUPI通信社極東担当副社長マイルス・ボーンと元電通社長の上田碩三が東京湾浦安沖で遭難し他3名と共に死亡すると、第二次世界大戦前、戦後と国際報道に貢献した二人の死を悼み、更にはその業績を顕彰しピューリッツァー賞にならい国際報道に貢献した報道者を表彰することを鈴木が提案、その構想を受け賞の制定に動いた高田元三郎ほか長谷川才次、本田親男、吉田秀雄、高石真五郎、松方三郎など日米のマスコミ有志が発起人となり、国際報道に貢献した報道者を表彰するボーン国際記者賞が創設された。 岸田劉生: 1929年(昭和4年)9月末から、南満洲鉄道(満鉄)の松方三郎の招きで生涯ただ一度の海外旅行に出かけ、大連・奉天・ハルビンなどに滞在する。 |
松方三郎の情報まとめ

松方 三郎(まつかた さぶろう)さんの誕生日は1899年8月1日です。東京出身の登山家のようです。

卒業、解散、テレビ、趣味に関する情報もありますね。1973年に亡くなられているようです。
松方三郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松方 三郎(まつかた さぶろう、1899年(明治32年)8月1日 - 1973年(昭和48年)9月15日)は、日本の登山家、ジャーナリスト、実業家。ボーイスカウト日本連盟第6代総長。共同通信社専務理事、東京ロータリークラブ会長。従三位勲一等瑞宝章。松方家第3代当主。本名は義三郎。筆名として後藤 信夫(G.N.)など。 日本の登山界の草分けの一人で、キスリング・ザックを日本に紹介し、その名称を定着させた人物でもある。 父は明治の元勲で第4代、第6代内閣総理大臣の松方正義。兄は川崎造船所(現・川崎重工)、川崎汽船、国際汽船などの社長を務めた松方幸次郎(幸次郎は三男、義三郎は十五男の末子である)。 1899年(明治32年)8月1日 - 松方正義と妾・キタの子として生まれる。義三郎と名付けられる。京都の北、松ヶ崎(現:左京区)の農婦である乳母の家に預けられ、4歳までここに育つ。その後、兄・巌に養われ、芝区南佐久間町に住む。 1905年(明治38年)4月 - 兄・幸次郎の養子として届出。 1916年(大正5年)3月 - 学習院中等科卒業。 1919年(大正8年)
9月 - 京都帝国大学経済学部入学。河上肇教授に傾倒する。また賀川豊彦の影響で社会運動に接近。 1922年(大正11年)
3月 - 燕岳、槍ヶ岳に登頂(いずれも積雪期初登頂)。 7月5日 - 板倉勝宣とともに槍ヶ岳北鎌尾根に登頂(新聞には初登頂と報じられる。)。 1923年(大正12年)9月 - 神奈川県鎌倉一ノ鳥居の松方家別邸で関東大震災に遭い、2階で読書中、放り出されて重傷を負う。神戸から船で駆けつけた兄・幸次郎の同伴した医師の手で一命は取りとめたが、終生足に傷跡が残った。 1924年(大正13年)12月 - 日本郵船榛名丸でヨーロッパへ留学。 1925年(大正14年) - 嘉治隆一との共著『マルクスとエンゲルス』を弘文堂から出版。スイス山岳会会員となる。 1926年(大正15年)8月 - エンゲルヘルナー群峰の岩登りに槇有恒らとともに秩父宮雍仁親王に随伴。 1927年(昭和2年) - 英国山岳会(アルパイン・クラブ)会員となる。 1928年(昭和3年)
4月 - 南満州鉄道株式会社入社、東亜経済調査局勤務。 1934年(昭和9年)2月 - 社団法人新聞聯合社入社、外信部勤務。 1936年(昭和11年)1月 - 社団法人同盟通信社発足、初代調査部長となる。 1938年(昭和13年)
8月 - 北支総局長・英文部長兼任。 10月 - 北支総局長のまま香港支局長を兼務。香港に駐在。 1939年(昭和14年)2月 - 同盟通信社中南支総局長となり上海に赴任。 1940年(昭和15年)5月 - 南京還都の国民政府の機関通信社中央電訊社創設、理事となる。 1945年(昭和20年)
9月 - 同盟通信社へ復帰、調査局長に就任。 10月 - 社団法人同盟通信社解散の後を受け継ぐ、社団法人共同通信社創立社員総会が開かれ常任理事に選出される。 1946年(昭和21年)
6月 - 日本山岳会会長。 1949年(昭和24年)4月 - 慶應義塾大学体育科目講師。 1951年(昭和26年)
12月 - 株式会社日本電報通信社(現・電通グループ)取締役に就任。 1953年(昭和28年)4月 - 株式会社たくみ取締役に就任。 1960年(昭和35年)
11月 - 株式会社共同テレビジョン・ニュース取締役会長。 1962年(昭和37年)
12月 - 株式会社国際テレビ・フィルム設立、代表取締役に就任。 1963年(昭和38年)
10月 - 日英協会副理事長。 1968年(昭和43年)12月 - 社団法人日本山岳会名誉会員。 1969年(昭和44年)11月 - 勲一等瑞宝章を受章。 1970年(昭和45年)
5月 - 同隊がエベレスト登頂に成功(5月11日、同隊の松浦輝夫と植村直己が日本人初登頂に成功した。)。 1971年(昭和46年)1月 - 株式会社ニュース・サービス・センター設立、取締役となる。ボーイスカウト・世界ジャンボリー組織委員長を務める。 1973年(昭和48年)
8月 - 病床にて受洗、洗礼名はピオ・アンブロジオ。 9月15日 - 死去。従三位に叙せられる。 宗教はキリスト教。趣味は読書、登山等。 芸術にも造詣が深く、岸田劉生などへの支援を行った。没時まで日本民藝協会会長も務めた。 妻:松方星野(山口県、実業家・佐藤市十郎次女) 長男:松方峰雄(元日本航空勤務、松方家第4代当主)
曾孫:理紗(1991年12月12日-) 孫:松方岩雄(1959年10月25日生)
孫:松方雪雄(1960年11月2日生)
次男:松方富士雄(トヨタ勤務)(妻に恭子(伊藤愿次女、1944年11月19日生)1933年6月12日-) 三男:松方登(不二音響社長)(妻に萬里(永橋大介長女、1945年5月5日生)1935年2月4日-1989年2月4日) 長女:友子(山本康夫夫人、1936年12月14日-) 四男:松方進 次女:和子(久守哲雄夫人、1942年7月8日-) 五男:松方七郎(妻に由紀子(中須早二長女、1949年2月20日生)1945年9月26日-) 三女:八枝子(浅岡敏明夫人、1947年7月28日-) アルプス記(1937年、新版1974年、龍星閣)、平凡社ライブラリー、1997年 アルプスと人(1948年、岡書院) 遠き近き(1951年、龍星閣) 父と子の山(1957年、中央公論社) 「松方三郎エッセー集」全5巻 築地書館
手紙の遠足(1975年) 山を楽しもう(1975年) アルプスと人(1976年) 民芸・絵・読書(1976年) 田邊純『松方三郎とその時代』新聞通信調査会/共同通信社(発売)、2018年 松本重治(編者代表)『松方三郎』 共同通信社 1974年 ハル・松方・ライシャワー『絹と武士』広中和歌子訳、文藝春秋 1987年 鳥居英晴『国策通信社「同盟」の興亡 通信記者と戦争』花伝社、2014年 民藝運動 - 柳宗悦 白樺派 内村鑑三 河上肇 鈴木大拙 乃木希典 松本重治 槇有恒 濱田庄司 大原総一郎 ^ 昭和30年(1955年)5月9日、本名“義三郎”を“三郎”と改名。子供のころから“義三郎”の名を嫌い、自他ともに“三郎”で通っていたのが家庭裁判所で認められた(『松方三郎』341頁)。 ^ 母・キタは京都で舞楽用の装身具を販売していた家の娘という ^ “岸田劉生の作品42点を12億円で一括収蔵 京都国立近代美術館”. 毎日新聞 (2021年4月20日). 2021年4月21日閲覧。 ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第一章 松方正義」の項 ^ 平成新修旧華族家系大成下p576-579 ^ 『絹と武士』 43-46頁 ハル・松方・ライシャワーと松方三郎/日本山岳会
表 話 編 歴 スカウティング 『スカウティング・フォア・ボーイズ』 スカウト教育法 スカウトのおきて(英語版) スカウトのちかい(英語版) スカウトのモットー(英語版) ウッドバッジ(英語版) ガールスカウト レンジャー (ガールスカウト)(英語版) ジャンボリー スカウター(英語版) 独立スカウティング(英語版) スカウティングに関する論争(英語版) ポップカルチャーにおけるスカウティング(英語版) スカウトの一覧(英語版) スカウティングにおける最高位の章の一覧(英語版) スカウティングの部門(英語版) ビーバースカウト カブスカウト ボーイスカウト ベンチャースカウト ローバースカウト テンダーフット(英語版) ブラウニー(英語版) ジュニア・シニア(英語版) レンジャー(英語版) エアスカウト エクステンション・スカウティング(英語版) ローンスカウト(英語版) ローンガイド(英語版) シースカウト ロバート・ベーデン=パウエル オレブ・ベーデン=パウエル アグネス・ベーデン=パウエル ダニエル・カーター・ビアード(英語版) フレデリック・バーナム(英語版) ロウリー・ドリング(英語版) ベア・グリルス ウィリアム・ヒルコート(英語版) ラズロ・ナジ アーネスト・トンプソン・シートン フランシス・ベイン(英語版) ベーデン=パウエル・ハウス(英語版) ブラウンシー島 エディス・メイシー会議場(英語版) フォックスリース(英語版) ギルウェル・パーク カンデルステッヒ国際スカウトセンター(英語版) アワカバニャ(英語版) アワシャレー(英語版) パックス・ヒル(英語版) パックス・ロッジ(英語版) フィロモントスカウト牧場(英語版) サンガムスカウトセンター(英語版) ヨーロッパスカウト連合(英語版) 国際スカウト・ガイド組合(英語版) 世界スカウト騎士団(英語版) 亡命スカウト ヨーロッパ国際スカウト・ガイド連合(英語版) ガールスカウト・ガールガイド世界連盟(英語版) 独立スカウト世界連盟(英語版) 世界独立スカウト機構(英語版) 世界スカウト機構 ギンガングリ(英語版) 国際スカウティング収集家協会(英語版) 最古のスカウト組織一覧(英語版) 野外教育 スカウティングにおける宗教(英語版) スカウトの握手(英語版) スカウト精神(英語版) 世界スカウト記章 世界スカウトムート
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2025/04/09 11:38更新
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matsukata saburou
松方三郎と同じ誕生日8月1日生まれ、同じ東京出身の人


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