柳家さん喬の情報 (やなぎやさんきょう) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
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柳家さん喬
柳家 さん喬(やなぎや さんきょう)さんの誕生日は1948年8月4日です。東京出身の落語家のようです。
人物、活動などについてまとめました。卒業、趣味に関する情報もありますね。去年の情報もありました。現在の年齢は75歳のようです。
柳家 さん喬(やなぎや さんきょう)は、落語家の名前。 柳家さん喬 - 後∶初代柳家小はん 柳家さん喬 - 本項にて記述 柳家 さん喬(やなぎや さんきょう、1948年8月4日 - )は、東京都墨田区本所出身の落語家、落語協会所属。本名:稲葉 稔。出囃子は「鞍馬獅子」。紋は「丸に三ツ柏」。 1948年8月4日、本所吾妻橋の洋食店「キッチンイナバ」(2014年4月30日閉店)の次男として誕生。子供の頃のあだ名は「みっちゃん」だった。本所に生まれ育ち、歩いて5分のところに大歓楽街「浅草公園六区」があったため、幼少のときから祖父や父に寄席や演芸場に連れていってもらうなど、落語に親しむ環境にあった。中央大学附属高等学校卒業。従姉の紹介で芸能学校の落語教室に通い、当時吉生といった六代目三遊亭圓窓に教えを受けた。 実家の常連「大沢さん」が師匠小さんを二ツ目時代からの贔屓にしていた関係で紹介してもらい、1967年4月23日に五代目柳家小さんへ入門し前座名「小稲」を名乗る。初高座は1968年12月28日で、場所は日本橋人形町末廣の小さん一門会、演目は『道灌』であった。 1972年11月に五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、立川談十郎、三遊亭楽松と共に二ツ目に昇進し、「さん喬」と改名。さん喬の名は自分で考えたものであり、師匠小さんの「さん」に橘家圓喬の「喬」の字を加えて「さん喬」とした。 1980年10月に真打試験に合格し、1981年3月に五街道雲助、三遊亭圓龍、むかし家今松、三遊亭歌司、二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵と共に真打昇進。 1984年に国立演芸場金賞受賞。1986年、選抜若手演芸大賞 真打部門大賞受賞。1987年、文化庁芸術祭賞受賞。1994年、浅草芸能大賞新人賞受賞。 2001年に落語協会理事付役員に就任し、2006年に落語協会常任理事に転任。 2013年に芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。2014年に国際交流基金賞 受賞(落語家としては初受賞)、浅草芸能大賞奨励賞受賞。2017年、紫綬褒章受章。 人物特技は日本舞踊(藤間流名取)、趣味は創作料理、演劇鑑賞。 政治家(細野豪志、小泉進次郎、松井孝治など)のファンも多く、2018年結成された国会議員による超党派落語議員連盟の設立会合ではゲストとして招かれ国会内で落語を演じた。その後、2021年2月9日に国会内で開催されたコロナ禍での落語界の実情と対策を考える落語議連会合では、新型コロナウイルスによる落語業界の現状についてのヒアリングに実演家として唯一参加、「落語を守っていかなければならないが、危機にひんしている」と落語家が置かれている状況について説明した。 2022年から墨田区議会議員の稲葉一弘は甥にあたる。 活動同じ五代目柳家小さん門下(元は5代目の孫弟子)の柳家権太楼と親交が深く、よきライバルでもあり、毎年8月の上野の鈴本演芸場や、年末の新宿末広亭における2人の高座は人気を博している。また上方の六代目笑福亭松喬一門とも交流がある。 2006年から毎年7月に、米国ミドルベリー大学夏期日本語学校に招かれ、落語を通して外国人に日本語と日本文化を紹介する活動を続けている。2007年の秋には、国際交流基金ブダペスト日本文化センター主催の「落語を通じてハンガリー人を笑わせる」試みに協力した。 2023年6月に公開された落語協会マナー動画では、若手落語家からの依頼で、高座の粋なイメージとは異なる寄席の客席で迷惑な客の役を熱演。弟子の柳家喬太郎がナレーションでツッコミを入れるという構成の妙もあり、動画は一か月で3万以上のアクセス数となった。 2024/05/16 14:11更新
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yanagiya sankyou
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