楠淳生アナウンサーの情報 (くすあつお) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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楠淳生と関係のある人
高野純一: ^ 2018年4月1日に旧・朝日放送(朝日放送グループホールディングス)が認定放送持株会社へ移行したことに伴って、前日(3月31日)付で退職した楠淳生(2017年の定年後も嘱託扱いで在籍)以外のアナウンサーは全員、朝日放送テレビへ自動的に転籍。 川島陽子: 楠淳生のABCフレッシュアップボックス(ABCラジオ、2009年) - アシスタント 八塚彩美: 楠淳生のやんちゃな!weekend(2009年11月14日) - アシスタント・セシリアの代役で出演。 芦沢誠: ^ 旧・朝日放送(朝日放送グループホールディングス)の認定放送持株会社化(2018年4月1日)に伴って、当時所属していたアナウンサーは、楠淳生(2017年度に嘱託扱いで在籍した後に2018年3月31日付で退職)を除いて朝日放送テレビへ自動的に転籍。 田中花子: 2009年10月3日、2016年夏季オリンピックの開催地がブラジル・リオデジャネイロに決定したことから、ABCラジオ『ようこそ!伊藤史隆です』『楠淳生のやんちゃな!weekend』番組内で同市内の様子を現地リポートした。 小縣裕介: これを機に、スポーツ担当のゼネラルアナウンサーのうち、同年の誕生日で定年(60歳)に達する楠淳生が嘱託アナウンサーに移行した(楠は2018年3月31日付の退職を経てフリーアナウンサーへ転身)。 |
楠淳生
楠 淳生(くす あつお)さんの誕生日は1957年8月16日です。和歌山出身のアナウンサーのようです。
スポーツ中継での主な実績(朝日放送アナウンサー時代)、人物などについてまとめました。テレビ、退社、映画、引退、現在に関する情報もありますね。楠淳生の現在の年齢は66歳のようです。
楠 淳生(くす あつお、1957年〈昭和32年〉8月16日 - )は、オフィスキイワードに所属するフリーアナウンサー で、元・朝日放送(ABC)アナウンサー。 和歌山県田辺市出身、和歌山県立田辺高等学校から関西学院大学経済学部へ進学。高校時代には、バスケットボールの選手としてインターハイにも2回出場した。 大学4年生だった1980年に、当時新卒の学生にしか門戸を開いていなかった在阪放送局のアナウンサー試験に挑戦。よみうりテレビの最終試験に残った ものの、どの局からも採用されなかった。一時は他の地方の放送局のアナウンサー試験を受けることも考えたが、「在阪局のアナウンサーでなければ、大きな活躍はできない」と一念発起。大学に籍を残したまま、翌1981年に改めてアナウンサー試験へ挑戦したところ、朝日放送に採用された。同局を志望したのは、当時のスポーツアナウンサー・植草貞夫が1979年の第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦・箕島対星稜延長18回テレビ中継の実況で発した「甲子園に奇跡は生きていました」という一言に感銘を受けたことによる。 朝日放送への入社後は、植草の後を追いながら、長年にわたってスポーツアナウンサーとして活動。その一方で、若手時代の1980年代中盤には、ABCラジオの深夜番組『ABCヤングリクエスト』『☆☆倶楽部』『ABCラジオジラ』『ABCラジオファンキーズ』でパーソナリティを務めた。特に、当時の同僚アナウンサー・大岩堅一との「ケンクス・コンビ」で『☆☆倶楽部』『ABCラジオジラ』『ABCラジオファンキーズ』に出演していた時期には、『月刊ラジオパラダイス』のパーソナリティ人気投票で最高12位(1988年5月号)を記録するなど人気を博した。 1980年代後半以降は、もっぱらスポーツ中継の実況・リポーターや定時ニュースを担当。朝日放送の関連会社・スカイ・Aでも、ライスボウル(アメリカンフットボール日本選手権)の中継で長年にわたって実況を務めたほか、太田元治・赤江珠緒(いずれも当時の同僚アナウンサー)と共に『全部見せます 番外編』(プロゴルファーの指導によるゴルフのレッスン番組)へ出演している。 2009年4月からは一時、スポーツアナウンサーの活動と並行しながら、ABCラジオの番組で再びパーソナリティを担当。『楠淳生のABCフレッシュアップボックス』『楠淳生のやんちゃな!weekend』『野球にぴたっと。』『有修・楠の任せんかい』などに出演していた。 その一方で、スポーツアナウンサーとして新しい実況スタイルを研究すべく、社会人学生として大阪経済大学大学院の経営情報研究科へ進学。2014年には、「スポーツアナウンスにおける予測実況と累積実況の提案」という論文 で、修士(経営情報学)の学位を取得した。2016年3月30日には、その成果に実況・取材での経験談を加味した自身初の著書『眠れないほど面白い野球の見方』を、三笠書房から刊行した。 朝日放送では、2010年4月から「ゼネラルアナウンサー」として活動していた。しかし、2017年の誕生日で定年(60歳)に達したことから、同年2月1日付で嘱託アナウンサーへ移行。2017年度も、プロ野球中継の実況・リポーターや、(宿直勤務分を含む)定時ニュースを引き続き担当していた。 朝日放送の定年年度末に当たる2018年3月31日付で、同局を退社。『ABCフレッシュアップベースボール』(ABCラジオのプロ野球中継)公式サイトの「実況アナウンサーページ」でも、2017年度まで掲載されていた楠のプロフィールが、2018年3月上旬の更新(2018年度版の公開)を機に削除された。朝日放送は2018年度(2018年4月1日)から朝日放送グループホールディングスの下でテレビ・ラジオ放送事業の分社(現職のアナウンサーが新会社の朝日放送テレビへ所属する)体制へ移行したため、楠は分社化までの期間で最後に朝日放送を退職したアナウンサーに当たる。 朝日放送からの退社後は、フリーアナウンサーとしてオフィスキイワードへ所属。古巣の朝日放送ラジオ(朝日放送からラジオ放送事業を承継した新会社)が制作する『楠淳生のLET'S GOアスリート』(毎週月曜日19:30 - 20:00)のパーソナリティを退社の2日後(4月2日)から務めるほか、スポーツ中継の実況にも引き続き携わる。 スポーツ中継での主な実績(朝日放送アナウンサー時代)プロ野球では、テレビ・ラジオとも、主に阪神タイガース戦の中継で実況。オリックス・バファローズ戦では、ビジターチームの地元局向けラジオ中継を中心に、実況を担当することもある。全国高等学校野球選手権大会中継では、1984年の第66回全国大会2回戦・弘前実業対唐津商業戦を皮切りに、30年以上にわたって実況を続けている。 1992年(平成4年)5月27日の阪神対大洋戦はABCとリレーナイターでのサンテレビで実況を務め、サンテレビの史上2番目に長い23:41までの中継を全うした。 1996年の第78回全国高等学校野球選手権大会2回戦・海星対早稲田実業戦中継では、海星によるサヨナラ勝ちの瞬間を伝えた。 アトランタ夏季五輪(1996年)ではバスケットボール中継、長野冬季五輪(1998年)ではアイスホッケーなどの中継で実況を担当した。また、アジア競技大会の柔道中継や、ラジオのバレーボール中継で実況を務めたこともある。 大阪近鉄バファローズのパシフィック・リーグ制覇がかかっていた2001年9月26日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(大阪ドーム)では、スカイ・Aの中継で実況を担当(解説:和田徹)。9回裏に大阪近鉄の北川博敏がオリックスのクローザー・大久保勝信から代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を放った際には、北川がダイヤモンドを一周する間に、「(打球が)左中間へ行ったぞ!行ったぞ!行ったぞ! 今年の近鉄何かが起こった! なんと!逆転!サヨナラ!満塁!ホームラ~ン! 代打北川! これ以上の出来事はない大阪ドーム! 帽子を投げ捨てた北川! (近鉄のベンチに控えていた4番打者の)中村走った! 北川を出迎えた!! (北川よ)しっかりと(ホームベースを)踏め!しっかりと踏めよ!ちゃんと踏めよ!ホ~ムイ~ン! 今年の近鉄何かが起こりました!3点ビハインドから神がかり!」と一気に絶叫している。 「野球知識の師」と仰いでいる同郷(和歌山県出身)のノンフィクション作家・佐山和夫や、日本屈指のメジャーリーグ(MLB)通であった伊東一雄からの勧めで、1994年に朝日放送の在外研修(インターンシップ)制度でMLBのシアトル・マリナーズへ派遣された。派遣期間がMLB選手会のストライキによる公式戦の中断期間と重なったため、1シーズン(半年間)の予定だった研修が4ヶ月間に短縮されたものの、8月11日のマリナーズ対オークランド・アスレチックス戦(セーフコ・フィールド)で1イニング限定ながら英語で実況。研修期間の終了後も、他のプロスポーツ(バスケットボールやアメリカンフットボールなど)の現場取材や、ローカルテレビ局への勤務を経験した。帰国後のスポーツ実況でも、このような経験を背景に、現地で定着しているスポーツ用語や表現を交えることがある。 さらに、大阪経済大学大学院での研究活動を通じて、野球中継の実況で最低限伝えるべき要素を「状況設定コメント」「予測実況」「素描」「累積実況」に分類。その後に発表した学術論文や著書では、「『状況設定コメント』と(鋭い反射神経を求められる)『素描』の維持・上達・更新を絶えず心掛ける」という姿勢を持つことを前提に、「プレーや局面に応じて『予測実況』や『累積実況』をはさみ込む」という実況スタイルを提唱している。2017年2月3日には、大学院在学中の指導教官だった中村健二(大阪経済大学准教授)との共著書『野球と実況中継』を、自身2冊目の著書として彩流社から刊行した。 「予測実況」については、北川が代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を放った際の自身の実況(前述)を、「実況アナウンサーと中継ディレクターによる『実況と映像のコラボレーション』がうまく行った例」として提示。「北川が打席へ入った直後に、大阪東通(当時)のディレクターとしてテレビ中継車に乗っていた福家雅明(元・阪神および近鉄投手)の指示で、一塁 → 二塁 → 三塁のズームアップ映像が次々と(実況席のモニター画面に)映し出された。その映像ですべての塁上に走者がいる光景を見た瞬間に、『満塁本塁打が出たら(近鉄から見て)3点ビハインドの展開がひっくり返る』という予測が『降りてきた(頭に浮かんだ)』ので、意を決して(中村がナインを鼓舞する目的でよく口にしていた)『今年の近鉄、何かが起こる』という言葉を連呼した」と述べている。 人物朝日放送のスポーツアナウンサー時代には、「阪神ファン」であることを自称。「『公正中立』ほどプロ野球の実況にそぐわないものはない」という持論を背景に、部下のスポーツアナウンサーには、「関西ローカルの阪神戦中継で実況する場合には、『阪神びいき』に徹してナンボ。阪神が負けた場合には、『(実況で)ひいきしている阪神に勝つことは本当にすごい』と相手球団のファンに思われるように、相手の球団を褒めれば良い」というアドバイスを常に送っている。 中学生時代には野球部へ所属していたが、高校への進学を機にバスケットボールへ転向した。地元の紀南地区にある田辺市に市営球場が落成したことを記念する試合で、中学校の先輩などで結成した地区のオールスターゲームが、尾藤公率いる箕島高校に大敗したシーンを目の当たりにしたことが転機になったという。高校では、1971年の和歌山国体を機に大阪から招聘したバスケットボールの名将・二杉茂の下で、2年生の夏から3季連続で全国大会へ出場。前述した星稜対箕島戦のテレビ中継をきっかけにスポーツアナウンサーを志すと、朝日放送への入社後に、高校野球の中継・関連番組で尾藤とたびたび共演した。 阪神を舞台にした2002年公開の実写映画『ミスター・ルーキー』(朝日放送が製作に出資した作品)には、クライマックスである最終決戦の中継シーンに、田淵幸一とのコンビで実況アナウンサー役で登場。2013年10月5日には、阪神対巨人(甲子園)の終了後に開かれた桧山進次郎(阪神外野手)の現役引退セレモニーで司会を務めた。 今岡誠が阪神の主力選手だった時期には、ヒーローインタビューの担当者として今岡のインタビューを任された際に、以下に記す絶妙のやり取りで阪神ファンを沸かせた。楠自身は、今岡が現役を退いた現在でも、「『インタビュアーが安心して(言葉の)パスを出せる』という意味で、球界随一のコメントのゴールメーカー」という表現で今岡の対応を高く評価している。 『野球と実況中継』の初版を刊行した2017年2月時点では、スポーツアナウンサーとしての活動と並行しながら、大阪バスケットボール協会の評議員や野球殿堂博物館競技者表彰委員会の幹事を務めている。 2024/05/25 20:17更新
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kusu atsuo
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