もしもし情報局 > 1951年 > 1月5日 > テニス

沢松和子の情報 (さわまつかずこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

沢松和子の情報(さわまつかずこ) テニス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

沢松 和子さんについて調べます

■名前・氏名
沢松 和子
(読み:さわまつ かずこ)
■職業
テニス選手
■沢松和子の誕生日・生年月日
1951年1月5日 (年齢73歳)
卯年(うさぎ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和26年)1951年生まれの人の年齢早見表

沢松和子と同じ1951年生まれの有名人・芸能人

沢松和子と同じ1月5日生まれの有名人・芸能人

沢松和子と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


沢松和子と関係のある人

杉山愛: 誕生した日は沢松和子が1975年ウィンブルドンの女子ダブルスで日本人初優勝を達成した日でもあった。


フランソワーズ=デュール: ウィンブルドン 混合ダブルス:1勝(1976年) [1975年の女子ダブルス決勝で沢松和子&アン清村組に敗れる]


佐藤直子: 1973年3月南アフリカで開催されたフェドカップに沢松和子、畠中君代と共にメンバーに選ばれるが出場はなし。


杉山愛: また日本人選手として沢松和子以来28年ぶりとなった2003年ウィンブルドン選手権ダブルス優勝の際には「(沢松が優勝した)1975年以降、日本のテニス界は「沢松以来」という枕詞に縛られてきており、意識的な壁を作っていた。


坂井利郎: ほぼ同時代に活躍した沢松和子の1975年ウィンブルドン女子ダブルス優勝を契機に、日本にもテニスブームが広がっていった。


ミマ=ヤウソベッツ: 1974年の全仏オープンで4大大会にデビューした時、本戦1回戦の相手は日本の沢松和子選手であった。


ジュリー=アラール=デキュジス: 日本人選手を含むペアが4大大会の女子ダブルス部門で優勝したのは、1975年ウィンブルドンで優勝した沢松和子とアン清村組以来25年ぶりであった。


杉山愛: ダブルスではこの年から新たにジュリー・アラール=デキュジスと組み、第2シードで出場した全米オープン決勝で第10シードのカーラ・ブラック&エレーナ・リホフツェワ組を6–0, 1–6, 6–1のフルセットで下し、1975年ウィンブルドンでアン清村と組んで優勝した沢松和子以来、25年ぶりのグランドスラム女子ダブルス優勝を果たす。


マリア=ブエノ: この時、準決勝で対戦した沢松和子を破りその国内連勝記録を192でストップした。


アン清村: 1975年のウィンブルドン選手権女子ダブルスで、日本の沢松和子とペアを組んで優勝した選手としてよく知られている。


ベティ=ストーブ: このペアが、1975年ウィンブルドンの女子ダブルス決勝で沢松和子とアン清村組に 5-7, 6-1, 5-7 で敗れた相手である。


アン清村: 1975年のウィンブルドン選手権女子ダブルスで、アン清村は日本の沢松和子とペアを組んで決勝に勝ち進む。沢松和子は、この偉業の後1975年限りで現役を退いた。


マヘシュ=ブパシ: 日本人選手を含むペアが4大大会のダブルスで優勝したのは、1975年ウィンブルドン選手権女子ダブルスで優勝した沢松和子/アン清村組以来22年ぶりだった。


石津幸恵: 日本人選手としては、1969年の沢松和子以来41年ぶりの快挙であった。


沢松奈生子: 沢松和子(1975年のウィンブルドン女子ダブルスで、日本人女性初のテニス4大大会優勝を果たした)は、彼女の叔母に当たる。


多田護: 1975年、沢松和子女子ダブルス初優勝、ビョルン・ボルグ(スウェーデン)大会5連覇等、日本向け初の衛星テレビ中継を担当( - 1981年)


フランソワーズ=デュール: 1975年のウィンブルドン女子ダブルス決勝で沢松和子とアン清村のペアに 5-7, 6-1, 5-7 で敗れた相手は、ほかならぬデュールとベティ・ストーブ(オランダ)の組であった。


沢松和子の情報まとめ

もしもしロボ

沢松 和子(さわまつ かずこ)さんの誕生日は1951年1月5日です。兵庫出身のテニス選手のようです。

もしもしロボ

卒業、姉妹、テレビ、引退、結婚、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。沢松和子の現在の年齢は73歳のようです。

沢松和子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

沢松 和子(さわまつ かずこ、1951年1月5日 - )は、兵庫県西宮市出身の元女子テニス選手。現・日本テニス協会副会長。神戸松蔭女子学院大学卒業。身長174cm、体重61kg、右利き。日本人初のプロテニス選手。

1975年のウィンブルドン女子ダブルス部門で、日系人選手のアン清村とペアを組んで優勝し、日本人女子テニス選手として史上初の4大大会タイトルを獲得した名選手である。シングルスでは日本人女子初のグランドスラムベスト4進出を果たした。

姉の沢松順子もテニス選手で、沢松奈生子は姪(順子の娘)にあたる。

2022年文化功労者。

沢松家は、和子から見れば祖父の時代からのテニス名門一家だった。西宮市にあるテニスコートつきの家で、和子と順子の2人姉妹は自然にテニスに親しんでいった。和子は1967年、16歳の時に第42回全日本テニス選手権と全日本室内テニス選手権で優勝し、同年にジュニアテニス選手の登竜門と言われる「オレンジボウル選手権」の女子シングルスでも優勝を果たす。それ以後、1967年から1975年までの足掛け8年間で、彼女は日本国内の試合で「192連勝」の記録を樹立する。それから2年後、18歳になった1969年には全仏オープンとウィンブルドンの女子ジュニア部門で優勝し、4大大会のジュニア2大会連続優勝を飾った。当時の日本テニス界には「アマチュア」も「プロフェッショナル」もなかったが、その中で沢松和子は日本人テニス選手として史上初の「プロ選手」になった。1970年から1975年まで、女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップの日本代表選手を務める。

1968年の全仏オープンから、沢松和子の世界挑戦が始まる。それから5年後、1973年1月の全豪オープンで、沢松は準々決勝でイギリスのバージニア・ウェードを 0-6, 6-1, 6-4 の逆転で破ったが、続く準決勝でオーストラリアのイボンヌ・グーラゴングに 4-6, 3-6 で敗れた。グーラゴングには1975年の全豪オープン準々決勝と、最後の4大大会出場となった全米オープンでも敗れている。

1975年のウィンブルドンで、沢松和子はシングルスの3回戦で第1シードのクリス・エバートに 2-6, 2-6 で敗れたが、日系3世選手であるアン清村とペアを組んだ女子ダブルスで快進撃を見せた。決勝戦の相手はフランソワーズ・デュール(フランス)&ベティ・ストーブ(オランダ)組に決まった。大会最終日、男子シングルス決勝戦の終了後、沢松は日本人女子選手として初めてウィンブルドンのセンター・コートに足を踏み入れ、7-5, 1-6, 7-5 のスコアで強豪ペアを倒した。当時は衛星中継が始まって間もない時期であり、この試合の模様が録画でテレビ放映されたため、日本人女性初の快挙は全国に大反響を及ぼし、テニスブームが空前の規模で広がった。ウィンブルドンの前後にはシングルスでも好成績を出し、全仏オープンではクリス・エバートとの準々決勝まで進み(スコア:2-6, 2-6)、全米オープンでも準々決勝に進出したが、イボンヌ・グーラゴングに 6-7, 5-7 で惜敗した。これを最後に、沢松和子はテニス界から引退した。日本プロスポーツ大賞殊勲賞受賞。

現役選手引退後は、吉田宗弘(現・吉田記念テニス研修センター理事長)との結婚により「吉田和子」の名前に変わる。現在は千葉県柏市に在住し、自宅の敷地で吉田記念テニス研修センターを運営している。

2019年度より日本テニス協会副会長に就任した。

2024/06/19 00:44更新

sawamatsu kazuko


沢松和子と同じ誕生日1月5日生まれ、同じ兵庫出身の人

藤沢カミヤ(ふじさわ カミヤ)
1月5日生まれの有名人 兵庫出身

藤沢 カミヤ(ふじさわ カミヤ、1月5日 - )は、日本の漫画家。兵庫県在住。 2006年以前より、コミックアンソロジーなどを執筆。2013年2月3日にCOMITIA103の会場において、講談社の…

三木 清(みき きよし)
1897年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

三木 清(みき きよし、1897年(明治30年)1月5日 - 1945年(昭和20年)9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者、評論家。法政大学法文学部教授。京大哲学科卒。西田幾多郎…

木下 正一(きのした せいいち)
1929年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

ポップコーン正一・正二、またはポップコーンは、かつて太田プロダクション、オフィス北野に所属し活動した日本の双子漫才コンビである。 ポップコーン正一( - しょういち、本名:木下正一、兄) ポップコ…

井奥 貞雄(いおく さだお)
1939年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

井奥 貞雄(いおく さだお、1939年1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社…

武田 国男(たけだ くにお)
1940年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15日 - 2024年(令和6年)6月8日)は、日本の実業家。武田薬品工業代表取締役会長CEO、日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長を…

井上 凱文(いのうえ いつのり)
1944年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

井上 凱文(いのうえ いつのり、1944年〈昭和19年〉1月5日 - )は、元山陽放送(RSK)アナウンサー。岡山弁協会名誉顧問。 番組内では、井上いつのりと紹介されることが多い。 兵庫県神戸市…

南部 靖之(なんぶ やすゆき)
1952年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

南部 靖之(なんぶ やすゆき、1952年1月5日 - )は、日本の実業家。パソナ創業者で、株式会社パソナグループ代表取締役グループ代表兼社長並びに株式会社パソナ代表取締役会長CEOを務める。大阪大学大…

本岡 典子(もとおか のりこ)
1956年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

本岡典子(もとおか のりこ、1956年-)は、日本のノンフィクション作家。 兵庫県生まれ。兵庫県立加古川西高等学校、関西学院大学卒。サンテレビアナウンサーを経て文筆に転じる。 著書 『キミはど…

内藤 航世(ないとう こうせい)
1998年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 内藤 航世(ないとう こうせい、1998年1月5日 - )は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(投手)。トロワリヴィエール・エーグルス…

丸山 完二(まるやま かんじ)
1940年1月5日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。 ファッショ…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


沢松和子と近い名前の人

沢松 奈生子(さわまつ なおこ)
1973年3月23日生まれの有名人 兵庫出身

沢松 奈生子(さわまつ なおこ, 1973年3月23日 - )は、兵庫県西宮市出身の元女子プロテニス選手。夙川学院高等学校、神戸松蔭女子学院大学卒業。シングルス自己最高ランキングは14位。WTAツアー…

沢松 綾子(さわまつ あやこ)
1983年11月7日生まれの有名人 神奈川出身

11月7日生まれwiki情報なし(2024/06/26 05:01時点)

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
沢松和子
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

純烈 AeLL. DA PUMP アリス十番 Rev.from DVL 夢みるアドレセンス CheekyParade predia KAT-TUN AKB48G 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「沢松和子」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました