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熊木杏里
熊木 杏里(くまき あんり)さんの誕生日は1982年1月27日です。長野出身のシンガー ソングライターのようです。
概要、ディスコグラフィなどについてまとめました。テレビ、ドラマ、映画、結婚に関する情報もありますね。現在の年齢は42歳のようです。
熊木 杏里(くまき あんり、1982年1月27日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。長野県更埴市(現・千曲市)出身。身長153cm。血液型はB型。関東国際高等学校を経て目白学園女子短期大学卒。 1982年1月27日、長野県更埴市(現・千曲市)に生まれる。更埴市には10歳まで在住、その後東京都へ移住。 2001年3月、 日本テレビで放送された『嗚呼!バラ色の珍生!!』の歌手オーディションに参加。最終プレゼンで「時計」(デビューシングル『窓絵』収録)を歌唱。5210人の応募者からグランプリを獲得。 2002年2月21日、シングル『窓絵』でバップよりデビュー。 2003年3月26日、1stアルバム『殺風景』リリース。3月 - 9月、NHKで放送された連続テレビ小説『こころ』劇中挿入歌として楽曲「ヒトツ/フタツ」が起用される。 2004年11月、TBSで放送されたドラマ『3年B組金八先生』劇中挿入歌として楽曲「私をたどる物語」が使用される。 2005年2月23日、キングレコードに移籍。第1弾作品の2ndアルバム『無から出た錆』をリリース。楽曲「私をたどる物語」がテレビオンエアバージョンで収録され話題となり、同年4月6日にシングルカット。シングルには「ヒトツ/フタツ」が音源化され収録。 2006年8月、中島信也が監督を務めた資生堂企業CMに楽曲「新しい私になって」を提供。同曲は同年11月22日にシングル化。翌年第47回ACC CMフェスティバルにおいて特別賞ベストサウンズに選出。 2007年2月21日、シングル『春の風』をリリース。映画『バッテリー』主題歌に起用、前作「新しい私になって」のスマッシュヒットも相乗して各方面から話題を呼ぶ。4月、NHKで放送された土曜ドラマ『病院のチカラ〜星空ホスピタル〜』の主題歌に「最後の羅針盤」が使用される。同曲はテレビ放送から長らく着うたの配信限定曲として発表されCD化されなかったが、同年10月24日にアルバム『私は私をあとにして』で初のCD音源化となる。5月11日放送のフジテレビで放送されたドラマ『奇跡の動物園 2007 ~旭山動物園物語~』(吉俣良が音楽担当)の主題歌として「朝日の誓い」が使用される。同曲は同年7月25日にシングル『七月の友だち』に収録、中島信也によるユニクロ『Wide Leg』CMソングにも採用された。 2008年5月ユニクロ「ブラトップ」CMソングとして「夏の気まぐれ」が採用。12月18日、2009年のJRAテーマソングに「雨が空から離れたら」が採用されることが発表。 2009年の3月から、ytvで放送されている夕方の番組『かんさい情報ネットten.』のコーナー、「めばえ」のテーマ曲に「誕生日」が採用された。5月17日、東京競馬場で行なわれた「第4回ヴィクトリアマイル(G1)」の表彰式のプレゼンターを務めた。同年公開、武田鉄矢主演映画『降りてゆく生き方』の主題歌に新作書き下ろしの「ぼくらのあり方」(アルバム未収録曲)が採用。 2010年4月より、出身地・長野朝日放送のブロードキャストスローガンである「地球を守ろう!プロジェクト」のイメージソングとして、アルバム『はなよりほかに』収録「今日という日の真ん中」が採用。abn全時間帯の環境CM、協賛スポンサーCMや番組内でオンエアされる他、同局の開局イベント、地震復興支援特番などにも出演。 2011年5月公開、新海誠監督のアニメ映画『星を追う子ども』の主題歌に「Hello Goodbye & Hello」が採用される。10月、ワーナーミュージック・ジャパン移籍。10月5日にミニ・アルバム『and...Life』を発売。10月15日放送分より、テレビ朝日『土曜ワイド劇場』の9代目エンディングテーマ曲「今日になるから」が使用。 2012年2月21日、デビュー10周年を迎える。翌2月22日に7thアルバム『光の通り道』をリリース。 2013年3月31日、一般男性と結婚、妊娠を発表。9月28日、3878グラムの第1子の出産を9月29日付の公式サイト及びブログで発表。 概要名前の由来は長野県更埴市(現・千曲市)の観光名所「あんずの里」より採られた。愛称は「あんりこ」。 井上陽水を尊敬する歌手として挙げている。彼のような独自の世界観を作りたく考えている。アコースティック・ギターを前面に押し出したフォークソング調の曲が多いのは父の影響も大きい。 『私は私をあとにして』までは全面的に吉俣良がプロデュース、編曲を行ってきたが、「春隣」からは岩瀬聡志と西垣哲二のタッグに変わった。このことにより吉俣が作曲を手掛けた未発表曲(「短話」など)の今後の扱いが注目される。 対人関係に悩んできたため、自他かかわらず“存在”を問い直した詞が多く、特に初期の頃はそのような内容の歌が彼女の代名詞となっていた。この強い疑問を投げかける着眼点は、次第に「戦争」という広い視野が要される分野や、「自立」という積極性を題材とした曲の制作に繋がり、4thアルバムからは「恋愛」について扱うようにもなる。そのため、インタビュアーはこの変化と照らし合わせて、今はどのような立ち位置にあるかということを彼女に問うことが多い。 読書やキャンペーンへの参加を元に詞を書くことも多い。「戦いの矛盾」収録曲「いつか七夕」は、横田早紀江が著した本を読み、実際に“座り込み”の現場へ行って、創られたものである。[1] 主に詞先形式をとるが、他人と共同制作した曲では詞先、曲先の両方を経験している。 「私をたどる物語」は、作詞者が武田鉄矢だと知らされないまま詞が渡され、熊木が曲をつけた。吉俣の楽曲は、元来サウンドトラックとして存在したものに熊木が詞をつける形式をとっている。 かつて将来の夢の選択肢として国語の先生があった。デビュー前には作詞のほか個人的な小説の執筆も行っていた。そのうち、大学2年生時に著した「鏡のない町」という作品はラジオ小説として「熊木杏里 WiLSONと一緒」で朗読された。[2] 「私をたどる物語」は、もともとは武田鉄矢が歌う予定で熊木に作曲を依頼したが、その仮歌が収録されたデモテープを聞いた武田と番組スタッフが気に入り、そのまま歌うことになった。ただしドラマ最終回で流れた歌詞バージョンはCD化されていない。 「新しい私になって」は、当初はCMのみの使用で音源化の予定はなかったが、オンエア開始から話題となり反響が大きかったため、同年9月からはiTunes StoreでCMオンエアバージョンが配信開始、更には11月22日にはシングル化となった。ただしCDに収録されているバージョンとCMバージョンとでは歌詞が一部異なる部分がある。 「新しい私になって」は、作詞者であり多摩美術大学教授でもあるCMディレクターの中島信也が、大学で出した映像課題のとある提出作品の使用音楽に熊木の「私をたどる物語」が使用されていたことがきっかけで熊木の作曲センスに惚れ込み、熊木に作曲をオファーしたという。 「春の風」は、映画『バッテリー』の制作以前に小説を読んだ熊木が作った曲であるが、映画版の音楽担当が吉俣良であった縁で主題歌に採用された。 自分からみた自分自身を把握するために、時期ごとに自らの心の中で別名を付けていたことがある。 ディスコグラフィ「バッテリー」オリジナルサウンドトラック (2007年3月7日)
吉田拓郎トリビュート~結婚しようよ~ (2008年2月2日)
ぼくらのあり方 (2009年2月25日)
想いうた~歌姫エール・ソングス (2009年3月18日)
a circus troupe ~Gravity's Clowns: Music from and inspired by the motion picture~ (2009年5月20日)
Long Long Love Song (2017年7月26日)
新垣結衣 「扉」(2010年) Tiara 「ゆみはりづき」(2013年)
2024/05/19 03:40更新
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kumaki anri
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