諸橋轍次の情報(もろはしてつじ) 漢学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


諸橋 轍次さんについて調べます
■名前・氏名 |
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橋本武: 橋本がこうした授業を思い立ったきっかけは、小学校三年の時、真田幸村,塙団右衛門直之,三好清海入道などの講談本を使った国語の授業が楽しかったことと、東京高等師範学校時代に『大漢和辞典』の編集作業を手伝い、じっくり考える、きっちり調べるという漢文学者諸橋轍次の姿勢を目にしたことによる。 田中角栄: 諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社刊)では、「その言葉は必ず真実であり、やるべきことは必ずやりとげる。 伊福部昭: 自宅の書斎には「無為」という諸橋轍次の書があり、いつもこの書を見てから仕事を始めた。 鮎川義介: 『稲山嘉寛・嶋田卓弥・林房雄・諸橋轍次・鮎川義介』日本経済新聞社〈私の履歴書 第24集〉、1965年6月。 諸橋晋六: 父は後に大漢和辞典の編者となる諸橋轍次、母・キンは小千谷縮の商家の出身であり、詩人の西脇順三郎は母の従兄弟であった。 橋本武: 後の2年間は諸橋轍次の大漢和辞典編纂を手伝うが、この経験が後年の「『銀の匙』授業」の勉強法にも繋がっていく。 石井茂吉: 1951年、大修館書店の鈴木一平から『大漢和辞典』(諸橋轍次 編)を刊行するために使用する文字(写植原字)の製作を依頼された。 |
諸橋轍次の情報まとめ

諸橋 轍次(もろはし てつじ)さんの誕生日は1883年6月4日です。新潟出身の漢学者のようです。

現在、卒業、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1982年に亡くなられているようです。
諸橋轍次のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年〈明治16年〉6月4日 - 1982年〈昭和57年〉12月8日)は、日本の漢学者・漢字学者。号は止軒。学位は、文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学学長・都留文科大学初代学長を歴任。大著『大漢和辞典』、『広漢和辞典』(各・大修館書店刊)の編者代表として知られる。直江兼続の子孫を称した。 新潟県南蒲原郡庭月村(後に四ツ沢村→森町村→下田村、現在の三条市庭月)の大庄屋の二男に生まれた。1908年に東京高等師範学校を卒業後、漢学の教員として同校に勤める。青年時代には中国に留学したが、このときに満足できる辞書がなかったことが、後の『大漢和辞典』の製作に繋がっていった。 1925年、大修館の鈴木一平が諸橋のもとを訪れ、全漢字を網羅した「漢和辞典」の構想を持ちかけられる。この『大漢和辞典』の本格的な製作は1929年から始まった。 1929年1月に文学博士を授与される。博士論文の題は「儒学の目的と宋儒(慶暦至慶元百六十年間)の活動」。1930年、東京文理科大学教授となる。 1943年、『大漢和辞典』第1巻が完成し、これにより翌年に朝日賞を受賞した。しかし1945年、東京大空襲で大修館が罹災し、組み上がっていた印刷用の版が全て溶けてしまったため、太平洋戦争後、完成していた巻と校正刷りをもとに再スタートを切った。 1946年、諸橋は長年の無理が祟って右目を失明、左目も明暗がやっとわかる程度にまで悪化し、1955年に右目の開眼手術を受けた。 1948年、國學院大學文学部教授となるも翌年退任した。1957年、都留文科短期大学学長に就任し、2年後に退任した。1960年、短期大学の四年制大学への移行と同時に初代学長として就任、同職を1964年まで務めた。 1960年、『大漢和辞典』全13巻が完成した。この功績により1965年、文化勲章を受章した。『大漢和辞典』は数十年にわたり修訂し刊行された。 1972年に『中国古典名言事典』(講談社、のち講談社学術文庫、各・多数重版)、1975年-1977年に『著作集』(全10巻 大修館書店)が刊行された。 1982年11月、大漢和の縮小版『広漢和辞典』を刊行し、同年の12月8日に99歳で大往生した。 1962年、下田村名誉村民。1992年、三条市は諸橋轍次記念館を開設したほか、三条市名誉市民として顕彰している。2018年9月30日には第1回の「諸橋轍次記念漢字文化理解力検定」実施を公表している。 1945年(昭和20年)10月30日 - 正三位 1941年(昭和16年)11月11日 - 勲二等瑞宝章 1976年:勲一等瑞宝章を受章。 建部遯吾(社会学者)は従兄にあたる。(諸橋轍次の父安平の兄慶三郎の子が建部遯吾) 三男の諸橋晋六は三菱商事社長・会長を経て静嘉堂文庫理事長も務めた。 上杉景勝の重臣、直江兼続の子孫を称しているが、真偽は不明である。 娘婿松島良雄は愛媛大学教授ほか。 『詩経研究』目黒書店、1912年11月。 『儒学の目的と宋儒慶暦至慶元百六十年間の活動』大修館書店、1929年10月。 『名及び名実論』東京文理科大学〈東京文理科大学文科紀要 第4巻〉、1931年9月。 『経史八論』関書院、1933年1月。 『新論語講話』章華社、1934年6月。 『経学研究序説』目黒書店、1936年10月。 『論語人物考』春陽堂書店〈論語講座 研究篇〉、1937年5月。 『本を努めよ』目黒書店、1938年10月。 『游支雑筆』目黒書店、1938年10月。
『支那の家族制』大修館書店、1940年5月。 『儒教講話』目黒書店、1941年7月。 『支那の文化と現代』皇国青年教育協会、1942年12月。 『経史論考』清水書店、1945年5月。 『儒教の諸問題』不昧堂書店、1948年9月。 『孔子と老子』清水書店、1952年。 『掌中論語の講義』大修館書店、1956年2月。 『漢字漢語談義』大修館書店、1961年9月。
『荘子物語』大法輪閣、1964年5月。
『中国人の知恵 乱世に生きる』講談社現代新書 55、1965年9月。ISBN 978-4061154551。
『乱世に生きる 中国人の知恵』講談社学術文庫 1514、2001年9月。ISBN 978-4061595149。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000151105。 『古典のかがみ 論語三十三章』広池学園出版部〈れいろうブックス〉、1965年12月。 『続・古典のかがみ』広池学園出版部〈れいろうブックス〉、1969年1月。 『十二支物語』大修館書店、1968年11月。
『如是我聞孔子伝』大法輪閣、1969年7月。 『現代に生きる「大学」』広池学園事業部、1971年10月。 『老子の講義』大修館書店、1973年9月。
『論語の講義』大修館書店、1973年9月。
『孟子の話』広池学園出版部、1975年3月。
モラロジー研究所編集部 編『誠は天の道』廣池学園出版部、1979年5月。
『古典の叡知』講談社学術文庫 545、1981年6月。 『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』講談社学術文庫 574、1982年9月。ISBN 978-4061585744。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150184。 安井小太郎、小柳司気太、中山久四郎、諸橋轍次『経学史 付附録三種』松雲堂書店、1933年10月。 亘理章三郎、諸橋轍次、森本角蔵『教育勅語通解』金港堂書籍、1917年5月。 亘理章三郎、諸橋轍次、森本角蔵『戊申詔書通書』金港堂書籍、1917年12月。 諸橋轍次、原田種成『宋名臣言行録』明徳出版社〈中国古典新書 28〉、1972年2月。 諸橋轍次、中村元『対談 東洋の心 日本の心の原点を探る』大修館書店、1976年5月。 諸橋轍次、中村元『対談 東洋の心』(新装版)大修館書店、1988年9月。ISBN 978-4469230505。 塩谷温、諸橋轍次、宇野哲人『大学新釈 孝経・大学・中庸新釈』致知出版社、2005年12月。ISBN 978-4884747329。https://www.chichi.co.jp/special/koukyo/。 『春秋左氏伝人名索引』諸橋轍次編纂・白橋康秀校正、1928年5月。 『第1巻 儒学の目的と宋儒慶暦至慶元百六十年間の活動』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1975年6月。 『第2巻 経学研究序説、詩経研究』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年9月。 『第3巻 経史論考』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1975年12月。 『第4巻 支那の家族制、儒教講話』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1977年3月。 『第5巻 論語の講義、現代に生きる『大学』』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年3月。 『第6巻 如是我聞孔子伝、如是我聞孔子伝拾遺、論語と私、論語心講』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年12月。 『第7巻 論語人物考、論語に関する故事逸話、孔子と老子』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1977年6月。 『第8巻 老子の講義、荘子物語、孟子の話』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年6月。 『第9巻 遊支雑筆、十二支物語、漢字漢語談義』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1975年9月。 『第10巻 古典のかがみ、続・古典のかがみ、止軒詩艸、回顧、教育・随想、対談・挨拶、序・跋等』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1977年9月。 『1 如是我聞孔子伝 上』大修館書店〈諸橋轍次選書〉、1990年3月。ISBN 978-4469120516。 『2 如是我聞孔子伝 下』大修館書店〈諸橋轍次選書〉、1990年3月。ISBN 978-4469120523。 『3 孟子の話』大修館書店〈諸橋轍次選書〉、1989年9月。ISBN 978-4469120530。 『4 荘子物語』大修館書店〈諸橋轍次選書〉、1989年4月。ISBN 978-4469120547。 『5 現代に生きる大学』大修館書店〈諸橋轍次選書〉、1989年6月。ISBN 978-4469120554。 『6 古典のかがみ』大修館書店〈諸橋轍次選書〉、1989年11月。ISBN 978-4469120561。 『大漢和辞典』全13巻、大修館書店、1955年11月-1959年12月。
「修訂版」全13巻、大修館書店、1984年4月-1986年4月。 「修訂第2版」全14巻、大修館書店、1989年4月-1990年4月。 「補巻」鎌田正、米山寅太郎編、大修館書店、2000年4月。 「デジタル版」大修館書店、2018年11月。 『新漢和辞典』大修館書店、1963年2月。
『新漢和辞典』(3訂版)大修館書店、1973年3月。 『新漢和辞典』(4訂版)大修館書店、1975年12月。 『中国古典名言事典』講談社、1972年11月。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000133079。
『中国古典名言事典』(座右版)講談社、1993年5月。ISBN 978-4061232921。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000131530。 『中国古典名言事典』(新装版)講談社、2001年11月。ISBN 978-4062653299。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000198932。 『広漢和辞典』全4巻、大修館書店、1981年11月-1982年10月。 『諸橋博士古稀祝賀記念論文集』諸橋轍次先生古稀祝賀記念会、1953年10月。 諸橋轍次『誠は天の道 東洋道徳講話』(麗澤大学出版会、2002年)-「私の履歴書」を収む 鎌田正『大漢和辞典と我が九十年』(大修館書店、2001年)- 門下生の回想 『東方学回想 III 学問の思い出〈1〉』(刀水書房、2000年)- 門下生らと座談会での回想 「漢学の里・諸橋轍次記念館」編『諸橋轍次博士の生涯』(新潟県南蒲原郡下田村役場、発売元・大修館書店、1992年) ISBN 4-469-23085-5 原田種成『漢文のすゝめ 諸橋-「大漢和」編纂秘話』(新潮選書、1992年)ISBN 4-10-600428-3 岡本文良・高田勲『ことばの海へ雲にのって 大漢和辞典をつくった諸橋轍次と鈴木一平』(PHP研究所、1982年)ISBN 4-569-28178-8、児童向け著作 ^ 止軒の止は、『荘子』の徳充符篇にある、「仲尼曰:人莫鑑於流水而鑑於止水,…」(仲尼曰く、人は流水に鑑みること莫(な)くして、止水に鑑みる)からの引用(莊子/德充符)。「止水に鑑みる」とは、静止した水を鏡としてそこに姿をうつすことで、雑念のない虚静の心に物をうつして、その真実をとらえるという意味である。原田種成(はらだ たねしげ、1911年 - 1995年)は、「この止軒という号に先生の生き方をうかがうことができる。」と述べている(原田種成 p.109)。 ^ 四年制大学としての初代学長。 ^ 「中国では康熙字典はあるが熟字はなく、佩文韻府は成語は多いが解釈はない。では一つ自分がやってみようかと、おぼろげに感じた」(「私の履歴書」より) ^ 但し門下生の原田種成の回想では「高等師範の出身者は漢文の読解力が不足していたから『大漢和』の原稿作成に関与することはとうていできない」ため原田ら大東文化學院(現・大東文化大学)の出身者が実際の執筆に携わり、かつ諸橋轍次は大漢和辞典を一字も書いていないばかりか校正刷りすら見ていないという。 ^ “諸橋轍次|名誉市民”. www.city.sanjo.niigata.jp. 三条市. 2023年1月18日閲覧。 ^ コレクション展示「諸橋轍次の父 諸橋安平展」※終了しました諸橋轍次記念館 2024年4月4日 ^ 『東京高等師範学校一覧 自明治41年4月至明治42年3月』東京高等師範学校、1908年、369頁。 ^ 『官報』第614号、昭和4年1月18日、p.329 ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2019年3月11日閲覧。 ^ “諸橋轍次記念漢字文化理解力検定”. 三条市諸橋轍次記念館. 2021年3月23日閲覧。 ^ 『官報』第5651号「叙任及辞令」1945年11月12日。 ^ 『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。 国語学者 道の駅漢学の里しただ - 諸橋轍次記念館がある。 橋本武 - 大漢和辞典編集助手 三条市教育委員会 諸橋轍次記念館 三条市の案内 大修館書店『大漢和辞典』記念室 三菱人物伝 諸橋轍次 諸橋轍次 - NHK人物録 『諸橋轍次』 - コトバンク 『諸橋 轍次』 - コトバンク 表 話 編 歴 初代所長 田中哲雄 1953-1955 初代学長 友枝高彦 1955-1957 第2代 諸橋轍次 1957-1960 初代学長 諸橋轍次 1960-1964 第2代 中西清 1965-1969 第3代 増谷文雄 1969-1971 第4代 下泉重吉 1973-1975 第5代 和歌森太郎 1976-1977 第6代 大田堯 1977-1983 第7代 上田薫 1984-1990 第8代 白尾恒吉 1990-1996 第9代 久保木哲夫 1996-2002 第10代 金子博 2002-2008 第11代 今谷明 2008-2010 第12代 加藤祐三 2010-2014 第13代 福田誠治 2014-2020 第14代 藤田英典 2020-2023 第15代 加藤敦子 2023- FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー フランス BnF data ドイツ イタリア イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research IdRef 三条市の歴史 20世紀日本の言語学者 日本の中国学者 日本の中国語学者 日本の中国思想史学者 日本語学者 日本の辞書編集者 明治時代の漢学者 文学博士取得者 朝日賞受賞者 文化勲章受章者 正三位受位者 勲二等瑞宝章受章者 勲一等瑞宝章受章者 東京高等師範学校の教員 東京教育大学の教員 都留文科大学の教員 大東文化大学の教員 國學院大學の教員 私の履歴書の登場人物 東京高等師範学校出身の人物 新潟県出身の人物 1883年生 1982年没 2025/04/02 10:54更新
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