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隈研吾
隈 研吾(くま けんご)さんの誕生日は1954年8月8日です。神奈川出身の建築家のようです。
人物、論評などについてまとめました。父親、卒業、現在に関する情報もありますね。現在の年齢は69歳のようです。
隈 研吾(くま けんご、1954年〈昭和29年〉8月8日 - )は、日本の建築家(一級建築士)、デザイナー。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学特別教授。高知県立林業大学校校長。岐阜県立森林文化アカデミー特別招聘教授。一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長。北九州市アドバイザー。 神奈川県横浜市出身。1990年代半ば以降(ゆすはら座関連設計以降)、木材を使うなど「和(日本)」をイメージしたデザインを旨としており、「和の大家」とも称される。著名な親族として、妻・篠原聡子(建築家)のほか、遠い親戚の後藤勇吉(航空機パイロット)がいる。 神奈川県横浜市大倉山出身。三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)のサラリーマンであった父親(長崎県大村市出身で東京・日本橋育ち先祖は大村藩の重臣)が45歳の時の息子で、医院を営んでいた母方の祖父が建てた大倉山駅近くの古い家で育つ。 初めは猫好きゆえに獣医を志していたが、家屋の修繕をするデザイン好きの父親に付き合ううちに、建築に興味を持つようになる。大田区立田園調布小学校に通っている時、1964年(昭和39年)の開催を控えた東京オリンピックの建築物を目にし、いよいよ本気で建築家を志すこととなった。中学受験をして栄光学園中学校・高等学校に進学。高校時代は183cmの長身を生かしてバスケットボール部でセンターを守っていた。高校卒業後は東京大学理科一類に進学。 東京大学工学部建築学科を卒業後、東京大学大学院工学系研究科建築意匠専攻修士課程を修了(1979年)。在学中は、芦原義信、槇文彦、内田祥哉、原広司らに師事した。同級生には、竹山聖(京都大学名誉教授)、小林克弘(首都大学東京教授)や大江匡(建築家)、村田誉之(大成建設)がいた。 大学院で修士論文を書いていた時期に、同級生の多くは当時話題の新鋭・安藤忠雄に憧れていたが、隈はその逆を行くことを選択し、アトリエ系事務所ではなく、社会に揉まれるためにと大手設計事務所の日本設計に就職した。その後、戸田建設、米国コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員(1985-1986年〈昭和60~61年〉)を経て、1990年(平成2年)に隈研吾建築都市設計事務所を設立する。 法政大学工学部建設工学科非常勤講師、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授(1998年〈平成10年〉4月から1999年〈平成11年〉3月)、早稲田バウハウス・スクール講師(1999年〈平成11年〉から2002年〈平成14年〉春・夏)、慶應義塾大学理工学部客員教授(2002年〈平成14年〉4月から2007年〈平成19年〉3月)慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授(2007年〈平成19年〉から2009年〈平成21年〉3月)、米国イリノイ大学建築学科客員教授(2007年〈平成19年〉から2008年〈平成20年〉)を経て、2009年(平成21年)4月より東京大学工学部建築学科教授に就任。2007年(平成19年)3月に博士論文『建築設計・生産の実践に基づく20世紀建築デザインと大衆社会の関係性についての考察』を慶應義塾大学に提出し、博士の学位を取得。 2008年(平成20年)には、フランスの首都パリに Kuma & Associates Europe を設立。2018年(平成30年)には、高知県立林業大学校の初代校長に決まる。2020年(令和2年)4月に東京大学特別教授。同年4月1日に岡山大学工学部特別招聘教授に就任。2021年12月、一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長に就任。 2022年2月16日、隈研吾建築都市設計事務所が都道府県と結ぶ初の協定として、和歌山県と地方創生で包括連携協定を結んだ。 人物初期はドーリック南青山ビルやM2ビルなどポストモダニズムに一部脱構築主義要素を加えた建物を発表していたが、高知県高岡郡檮原町の「ゆすはら座」存続への関わりをきっかけとして、木材などの自然素材を生かした建築や、縦格子を多用したデザインが特徴的な作品を多く手がけるようになる。 木材を多用するようになったのは、阪神・淡路大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)を見て、コンクリートなどの人工物で自然に立ち向かおうとする20世紀の思想が破綻したと感じたためであると回顧している。森林を手入れして生み出す木材は、人間と地球をつなぎ合わせる存在と位置付けている。また大型の公共建築物が「税金の無駄遣い」「環境破壊」と批判されるようになった時代に育ったうえ、経済成長の鈍化と高齢化が進んでいる日本の現状を見据え、周囲に調和した「負ける建築」や、「コンクリートと鉄の時代」を「木の時代」に変えることを志向している。 近年は活躍の場を海外にも広げ、国際コンペでの受賞も着実に増やしており、世界的に注目される日本人建築家の一人として認識されつつある。また、設計のほか、ホテルやマンションの監修、室内演出や家具、食器、スニーカーなどのデザイン 、ジャケット(企業との共同作成)も手掛ける。 2010年代には、自らのデザインポイントの一つとして、ストラクチャーを際立たせ過ぎないための「粒感」を挙げている。 2005年日本国際博覧会(愛知万博)では、会場計画プロジェクトチームに所属して会場とパビリオンの設計に携わっていたが、自然保護団体の反対で度々計画が縮小したため、辞任した。 中華人民共和国北京市郊外のグレート(バンブー)ウォールは2008年北京オリンピックのCMにも使われた。韓国では、知韓派の建築家として活動している。 2018年(平成30年)には、約30年間の活動を紹介する個展「くまのもの」(会期:3月3日~5月6日)を東京駅構内の東京ステーションギャラリーで開催し、これまで使ってきた10種類の素材(竹、木、紙、土、石、金属、ガラス、瓦、樹脂、膜・繊維)ごとに合計75件のプロジェクトの模型・資料などを展示した。2020年11月から「隈研吾展」が高知県立美術館、長崎県美術館、東京国立近代美術館で巡回開催されている。「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」をテーマに掲げた。これは、新型コロナウイルス感染症蔓延下で外国訪問などができない隈が自宅のある東京の神楽坂界隈を歩き回り、細い道をネコのように巡ったことにより街を再発見としたという視点に基づいている。2021年7月からは、台湾台北市にて個展「場域・啓発―隈研吾展」を開催。 現在は早稲田大学特命教授であり、兼ねてより親交の深い村上春樹の要請により、2021年(令和3年)10月オープン予定の早稲田大学国際文学館、通称「村上春樹ライブラリー」の設計を担当することが決定した。 論評デザイナーの原研哉は、隈について次のように評した。 隈研吾は頭脳派の建築家である。しかし世の頭脳派と呼ばれる建築家がもっぱら自身の建築の解説に頭脳を使っているのとは一線を画する。どこにどんな頭脳を使っているのかというと、建築という名目で立派すぎる造形を世界に示すことを「恥ずかしい」と感じ、そういう局面に良質のデリカシーを持ち込むことに対して繊細で緻密な頭脳を使っている。つまり、モニュメンタルな建造物が権威を発生させてしまうという宿命や、個性的・耽美的な造形を建築を通じて実現したいという欲望を、どう制御・抑制するかという点が、まさに今日の建築の質をはかるポイントであると考え、その点に非常に高い洗練を生み出そうとしている建築家なのである。その制御と抑制の形は一様ではなく、あるときは繊細さをわざと裏返しにした奇抜なオブジェクトを示してみたり、あるときは存在を軽減するために建築を透過させてみたり、またあるときは建築の姿が見えないように設計してみたりする。 2024/05/17 21:22更新
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