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岩隈久志の情報 (いわくまひさし)
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【9月29日】今日誕生日の芸能人・有名人

岩隈久志の情報(いわくまひさし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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岩隈 久志さんについて調べます

■名前・氏名
岩隈 久志
(読み:いわくま ひさし)
■職業
野球選手
■岩隈久志の誕生日・生年月日
1981年4月12日 (年齢43歳)
酉年(とり年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和56年)1981年生まれの人の年齢早見表

岩隈久志と同じ1981年生まれの有名人・芸能人

岩隈久志と同じ4月12日生まれの有名人・芸能人

岩隈久志と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


岩隈久志と関係のある人

小林繁: 在任中は岩隈久志に技術的指導だけでなく精神面の大切さを叩き込み、結果が良くなかった時には『気持ちで投げろ』、初先発で3回に5点も取られて降板した際には『かわすんじゃなくて、もっと気迫のこもったボールを投げるように』とアドバイスしている。


野村克也: 2007年とはうって変わり、得失点差はプラスとなり、エース岩隈久志が21勝を挙げて復活するなど戦力の整備は進んだものの、順位には反映されなかった。


大﨑雄太朗: 初打席:同上、8回表に岩隈久志の前に空振り三振


中山由佳: 東北楽天ゴールデンイーグルス 岩隈久志


鈴木啓示: 加えて、自著『俺の苦言を聞け!』の中で、楽天に在籍していた岩隈久志が、当時の岩隈の考えと岩隈がプロに入って最初に在籍した球団が近鉄であったことを重ねた上で、以下のように述べている。


藤井彰人: 近鉄・楽天時代は岩隈久志、阪神時代はランディ・メッセンジャーとの相性がよく、頻繁にバッテリーを組んでいた。


広橋公寿: 自身と同じく楽天球団の創設メンバーで、元プロ野球選手の岩隈久志は義理の息子(長女の夫)にあたる。


大松尚逸: 初盗塁:2006年9月12日、対東北楽天ゴールデンイーグルス18回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏に二盗(投手:岩隈久志、捕手:藤井彰人)


金澤岳: 初打席:同上、2回裏に岩隈久志から空振り三振


村井嘉浩: 元プロ野球選手の佐々木主浩、ノーベル化学賞受賞者の田中耕一、トリノオリンピックフィギュアスケート金メダリストの荒川静香、東北楽天ゴールデンイーグルスの岩隈久志、に県民栄誉賞を授与した。


倉義和: 自身の出場は48試合にとどまったが、5月31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)で、この年はシーズン通算201.2回を投げて僅か3本の本塁打しか許さなかった岩隈久志から貴重な本塁打を放っている。


高橋敏郎: 遠投120メートルなど肩はかなり強く、パンチ力もあり楽天の岩隈久志からもホームランを放っている。


竹安大知: 岩隈久志の投球スタイルや投球フォームを参考にしており、阪神への入団後は大阪近鉄の投手コーチ時代に岩隈を指導した二軍投手コーチ(当時)の久保康生を通じて、岩隈本人からアドバイスを求めていた。


高橋信二: クライマックスシリーズ第2ステージでも、第2戦で岩隈久志から決勝の2点適時打を放つなどで活躍し、敢闘賞を受賞。


原辰徳: 岩隈久志、中島宏之も獲得。


小山裕史: イチロー、山本昌、岩瀬仁紀、山口俊、岩隈久志、鳥谷敬を始めとして、野球選手を中心に多くのスポーツ選手を指導している。


濱矢廣大: 2015年、春季キャンプ前の自主トレーニングで自らが課題とするフォークの握り方を岩隈久志と塩見貴洋から教わった。


広橋公寿: 2022年からは岩隈久志が創設した「青山東京ボーイズ」で監督を務める。


土屋朋弘: 入団の際には、当時のエースだった岩隈久志を目標に掲げていた。


川岸強: 2007年の春季キャンプ中に右肘を痛めたが、首脳陣に指摘されないように隠しながら開幕を迎え、3月31日のオリックス・バファローズ戦(フルキャスト宮城)で、先発予定だった岩隈久志がブルペンで背中の違和感を訴えて登板回避したことによりプロ初先発を果たすが、7失点で敗戦投手となり、2軍に降格。


金澤岳: 初安打・初打点:同上、6回裏に岩隈久志から左前適時打


金田和之: 打者の手許で微妙に変化する最速153km/hのストレートと、岩隈久志に似た投球フォームが持ち味。


ダルビッシュ有: 14日のマリナーズ戦では岩隈久志と投げ合い、7回2安打1失点の好投で15勝目を挙げ、200奪三振に到達。


武智文雄: 対戦経験のある野村克也は著書『プロ野球 最強のエースは誰か?』(彩図社)の中で、野村が選ぶ「近鉄・楽天の歴代投手ベスト10」を挙げ、1位田中将大、2位野茂英雄、3位鈴木啓示、4位岩隈久志に続いて5位に武智を選んでいる。


高橋尚成: 10敗のうち5月8日宮城での東北楽天ゴールデンイーグルス戦で岩隈久志と投げ合い敗北した分も含まれ、球団史上初の交流戦敗戦投手となった。


礒部公一: オリックスも、近鉄のエースであった岩隈久志投手を除いてこれを認め(結果的には岩隈も金銭トレードで楽天に移籍)、楽天が彼らを獲得した。


小久保裕紀: 2011年東北地方太平洋沖地震もK'Projectを通して2011年3月26日にトークショーを行い、急きょだったにも関わらず、ホークスの一軍選手ほぼ全員、被災地東北の球団である楽天の選手も、嶋基宏、岩隈久志、田中将大らが参加した。


嶋基宏: 楽天のエースだった岩隈久志は「正捕手になってからは自信を持ってサインを出している。


ダルビッシュ有: 前年以上のペースで白星を積み重ね、シーズン前半から勝利数、防御率で楽天の岩隈久志とタイトル争いを繰り広げた。


釜田佳直: 目標とする投手は、自身が楽天に入団する前年まで背番号21を着用していた岩隈久志と楽天入団時のエースであった田中将大で、新入団選手発表会見では「日本球界を代表する投手になりたいです」と目標を語っている。


岩隈久志の情報まとめ

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岩隈 久志(いわくま ひさし)さんの誕生日は1981年4月12日です。東京出身の野球選手のようです。

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卒業、結婚、引退、テレビ、父親、ドラマ、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。岩隈久志の現在の年齢は43歳のようです。

岩隈久志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

岩隈 久志(いわくま ひさし、1981年〈昭和56年〉4月12日 - )は、東京都東大和市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者。MLBのシアトル・マリナーズ特任コーチ・アドバイザー、少年硬式野球チームの青山東京ボーイズ創設者・コーチ。

NPBではパ・リーグの大阪近鉄バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルスでエースとして活躍し、MLBではアジア人として野茂英雄以来2人目となるノーヒットノーランを達成した。2004年アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)・コーチ・監督の広橋公寿は義父、独立リーグの四国アイランドリーグ第1期生として、高知ファイティングドッグスへ1年間在籍していた広橋貴寿は義兄にあたる。

小学校1年生の時から野球を始める。西武拝島線玉川上水駅近くの桜が丘周辺に住んでいたこともあり、小さい頃はファンクラブに入って西武ライオンズ球場に通い詰めるほどの熱烈な西武ライオンズファンだった。中学時代は東大和リトルシニアでプレーし、堀越高等学校に進学。

堀越高校は野球推薦で入学したが、技術のことよりも連帯責任や精神的な指導が多い部活環境が合わず、1年の秋には退学覚悟で退部も考えたが、担任から「野球部じゃなくてもいいじゃないか。高校は卒業しておけ」と言われたことや、シニア時代の監督から「お前が野球を好きなら続けなさい」と助言を受け、思い留まった。3年夏は西東京大会準決勝で日大三高にコールド負けするなど甲子園に出場はできなかったが、春の大会でプロ注目の選手が多かった帝京高校と対戦して好投するとプロのスカウトの目に留まり、1999年度ドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから5位指名を受けて入団。なおこの時、中日ドラゴンズも4位で指名するプランを持っていたが、球団事情で指名を見送ったという。

2000年、一軍で登板することはなく、シーズンオフに黒潮リーグに参加し、149km/hを記録するなど首脳陣から期待を受ける。

2001年、5月29日の対日本ハムファイターズ戦で8回裏1点リードの状況で初登板し、9回裏に小笠原道大にソロ本塁打を打たれて同点に追いつかれた。しかし、延長10回表に近鉄打線が爆発し、中村紀洋のこの日3本目の本塁打となる満塁弾などで大きく勝ち越し、結果近鉄が17-12で勝利して岩隈はプロ初登板初勝利を挙げた。試合後には「自分が抑えていればすんなり勝てている状態だったのに打たれてしまいチームに申し訳ない」と語り、プロ初勝利の喜びの声はなかった。この年の後半戦に活躍し、最終的には完封1つを含む4勝2敗。手薄であった近鉄投手陣に貢献し、チームのリーグ優勝への力となった。ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは第2戦に先発している(勝敗つかず)。

2002年、先発ローテーションの一角として23試合に登板し8勝7敗を記録する。12月、21歳で西武ライオンズ・広橋公寿打撃コーチ(当時)の長女と結婚

2003年、チーム最多となる15勝を挙げ、この年の最多完投、最多無四球を記録する。

2004年、自身初の開幕投手に抜擢され、球団新記録となる開幕12連勝を達成。なお後述する球団合併のため、結果的に岩隈は近鉄バファローズ最後の開幕投手となった。最終的に15勝2敗となり、最多勝と最優秀投手(最高勝率)のタイトルを獲得。シーズン最終戦にして近鉄球団最後の試合である同年9月27日の対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(Yahoo!BBスタジアム)では、1回2/3イニングを自責点0で抑えれば、松坂大輔(西武)を抜いて最優秀防御率のタイトルを獲得できるという状況で先発登板したが、あと1人抑えれば確定という2回裏・二死の場面で相川良太に2点本塁打を打たれ、球団では1990年の野茂英雄以来となる投手三冠獲得はならなかった。オールスターゲームのファン投票ではパ・リーグの先発部門でトップとなり、球宴第1戦の先発投手となる。日米野球の第5戦でも7回1失点の好投で勝ち投手となる活躍を見せた。この試合は岩隈にとって近鉄のユニフォームを着て登板した最後の試合となった。一方で、シーズン中に右肩の違和感をたびたび訴え、何度か登板をスライドさせていたが、これが後に悩まされる右肩の故障の前兆だったと言われる。6月に明らかとなった大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの球団合併と、シーズン終了後楽天の新規参入に伴う分配ドラフトで、合併球団のオリックス・バファローズに分配されたが、岩隈は合併に際しての労使「申し合わせ」を引き合いに入団を拒否し、オリックス側は説得を試みたが失敗した。

後に岩隈本人が2024年3月12日公開分の『フルタの方程式』で語ったところによると「一番は新規参入球団で新しい気持ちでやりたいという気持ちが強かった」という。

2005年、楽天球団初年度の開幕投手を任せられ、千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投し、球団初の勝利投手になった。その後、1年間にわたり先発ローテーションを守ったが、シーズン途中から右肩の故障などもあり背信投球を繰り返すようになる。それでも新球団の初代エースとして勝ち星も重ねていったが2桁勝利には届かなかった。低迷したチームにおいて9勝を挙げ楽天球団の規定投球回到達投手の第1号となったが、防御率は規定投球回到達投手の中ではワーストの4.99、敗戦数もこの年のリーグワーストの15敗を喫した。

2006年はこの年から禁止事項となった2段モーションを修正するためにフォームを変更したがフォームが固まらず、前年の右肩の故障の影響などで開幕には間に合わず、8月半ばまでは二軍での調整が続いた。8月29日の対日本ハム戦で一軍復帰し、9月12日の対ロッテ戦(千葉)でシーズン初勝利を記録したが最終的には6試合の登板で防御率3.72、1勝2敗に終わった。それでもオフには東北のステキなお父さんを選ぶ「第1回ベストファーザー in 東北」に選出された。

2007年、2年ぶりに開幕投手を務める。1週間後のホーム開幕戦でも先発投手に選ばれたが、試合開始直前(スタメン発表後)に背中の違和感を訴えて登板を回避し、川岸強が急遽登板する事態となり、翌日には登録抹消。4月下旬に一軍復帰して1勝を挙げるも、5月中旬に今度は左脇腹の肉離れを起こし、再び戦線離脱。後半戦に一軍復帰し、7月31日の対ロッテ戦(千葉)で2勝目を挙げる。8月23日の対ロッテ戦(千葉)では野村克則コーチ(当時)と乱闘寸前の小競り合いを起こした。この日は3回まで無失点に抑えたものの、4回に味方の失策を機に崩れ3失点。この回で降板した後、7回途中までロッカールームに閉じこもっていたところを野村に注意され激高し、コーチ陣が割って入り事態は収まったが、その様子はCS放送で中継された。その後、岩隈は試合中に野村に対して謝罪した(なお、2人は堀越高の先輩・後輩という間柄であり、普段はとても仲が良い)。後にロッカールームに閉じこもっていた理由を「娘が発熱し、自宅に連絡していたため」とブログで公表している(なお、試合はその後、楽天が同点に追い着いたが最後はサヨナラ負け。岩隈に勝敗は付かなかった)。その後もシーズン終了まで先発ローテーションの一角を務め、規定投球回こそ届かなかったが最終的に16試合に登板し5勝5敗、防御率3.40を記録。シーズン終了後の10月には曲げるだけで痛みを感じていた右肘の軟骨除去手術を受ける。

2008年、2年連続4度目の開幕投手を務め、7回1失点の好投を見せるも自身に勝敗はつかず、チームはサヨナラ負け。3月27日の対オリックス戦では楽天移籍後初の完封勝利を無四球で挙げた。その後も勝ち星を量産し5月上旬に前年に並ぶ5勝、6月15日の対巨人戦で4年ぶりの10勝目を無四球完封で挙げる。前半戦を19試合の先発で両リーグトップの14勝を記録するも8月の北京オリンピック日本代表にまさかの落選。本人も悔しさをあらわにした。8月16日の対ロッテ戦(千葉)で自己最多となる16勝目。更に9月22日の対西武戦(西武ドーム)で、パ・リーグでは2003年の斉藤和巳以来となる20勝目に到達。そして、シーズン最終登板となった10月5日、Kスタ宮城での対福岡ソフトバンクホークス戦でも勝利し、1985年の佐藤義則以来23年ぶりの21勝を挙げ最多勝を獲得。この試合で防御率ではダルビッシュ有を抜き、勝率では同率であった小松聖をかわして単独投手三冠を達成。リーグ最多投球イニングも記録し、チームのシーズン65勝のうち3分の1近くを1人で挙げる自己最高のシーズンとなった。特筆すべきは被本塁打であり、200投球イニング以上で被本塁打が3本であった(うち2本はセ・パ交流戦で許したもので、パ・リーグチーム相手に許した本塁打は9月29日、ソフトバンクの松田宣浩に打たれた1本のみ)。200投球回数以上で被本塁打3本以下という数字は、1958年に秋本祐作が記録して以来50年ぶりの快挙であった。オフの各表彰では、チームが5位であったにも拘らず沢村賞、最優秀選手、ベストナイン、最優秀バッテリー賞など、投手関連の主要な賞を独占。最優秀選手のBクラスチームからの選出は、1988年の門田博光以来。12月26日に契約更改交渉に臨み、3年総額10億円の複数年契約でサインした。

2009年は開幕前にチームの3代目選手会長に就任。1月には第2子の長男が誕生。シーズンでは開幕戦でダルビッシュと投げ合い、6回1失点で4年ぶりとなる開幕戦勝利を挙げる。しかし、開幕戦は6回59球で降板し、前半戦は100球に達する前での降板が目立った上、6月末には登録を抹消。更に7月12日の対ソフトバンク戦では4回に松中信彦、多村仁志、田上秀則、5回に小久保裕紀の4選手から自身ワーストの1試合4被本塁打を打たれ、被安打はリーグ最多を記録するなど精彩を欠いた。それでも、チーム2位タイとなる13勝を挙げ、15勝の田中将大、13勝の永井怜と共に、チーム初の2位に大きく貢献した。ソフトバンクとのクライマックスシリーズ第1ステージでは第一戦に登板し完投勝利。日本ハムとの第2ステージでは2戦目に登板するも、打線の援護無く8回3失点で第1ステージとは相反した結果となった。3敗で迎えた4戦目にリリーフとして志願登板したが、ターメル・スレッジに勝負を決定づける3点本塁打を打たれ、涙を見せた。オフでは、GQ MEN OF THE YEAR 2009を受賞。

2010年、オリックスとの開幕戦では5安打1失点完投の好投を見せるも、打線が金子千尋に4安打完封と抑えこまれ、敗戦投手となった。その後もなかなか勝ちがつかず、初勝利は4月10日の対オリックス戦だった。4月17日の対ソフトバンク戦で初の完投勝利を挙げると、4月24日の対日本ハム戦ではダルビッシュと投げ合い、完封勝利を挙げる。6月5日の対横浜ベイスターズ戦では三浦大輔から三振を奪い、通算1000奪三振を記録。7月10日の対埼玉西武ライオンズ戦では涌井秀章に投げ勝ち、8月31日の対ロッテ戦では通算100勝を6回無失点の好投で飾った。最終的に防御率2.82の好成績を記録するものの、10勝9敗に終わったが、3年連続2桁勝利を達成。オフには団野村を代理人としてポスティングシステムでのメジャー挑戦を表明。球団はポスティングシステム行使を容認し、オークランド・アスレチックスが交渉権を獲得。スティーブン・ストラスバーグと同水準の4年1525万ドルを提示されたが、岩隈サイドが7年1億2500万ドルを要求したとも言われ、その後の交渉は難航。交渉期限の12月7日午前0時(米国東部時間=日本時間同日午後2時)までの契約合意に至らなかった。その後、入札額についてはアスレチックスが1910万ドル、次いでミネソタ・ツインズが770万ドルの入札をしていたことが明かされ、8日に仙台市内の球団事務所で記者会見し、改めて残留を表明した。

2011年、星野仙一が監督に就任。5年連続となる開幕投手を務めて白星を挙げた。開幕当初は安定した内容を続け、4月の月間MVPも受賞したが、5月10日の日ハム戦(Kスタ)にて完投目前のところで右肩を負傷して緊急降板。負傷を抱えたまま次の17日の巨人戦(Kスタ)で先発登板したが5回39球で降板し、以降右肩の治療のため2か月戦線離脱。7月の後半には戦線復帰したものの状態は思わしくなく、投球数も多くて100球前後、少ないときは80球前後での交代が多かった。それでもQS率82.4%を記録し、規定投球回には届かなかったものの防御率2.42、WHIP1.05の成績を残したが、打線の援護に恵まれなかったため6勝7敗と4年連続2桁勝利とはならなかった。8月2日には代理人を団野村からポール・コブに変更していたことを明かし、オフには海外FA権を行使してのメジャー移籍を目指すことを表明した。

2012年1月5日にシアトル・マリナーズと年俸150万ドル+先発数20以上と投球回数140以上、タイトル受賞によって変動していく出来高340万ドルの1年契約を結んだ。スプリングトレーニングでは5試合の登板で防御率3.60、WHIP1.53の成績を残すも、先発ローテーション入りすることなく開幕を迎える。しかし開幕から出番がなく、4月17日にはメジャー開幕ロースターに登録された全投手で登板のない唯一の選手となり、20日のシカゴ・ホワイトソックス戦の6回に3番手としてメジャーリーグ初登板。その後はロングリリーフとして起用され、5月30日のテキサス・レンジャーズ戦では7回から3回を投げ5安打3失点、2四死球の投球でプロ入り後初となるメジャー初セーブを挙げる。6月16日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では同点の6回から2回無安打無失点の投球でメジャーリーグ初勝利を挙げる。7月2日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーリーグ初先発。この試合ではイチローと川﨑宗則も先発出場し、同一チームで日本人選手3人が先発出場するのはメジャーリーグ史上初となった。後半戦から先発ローテーション入りし、7月30日のトロント・ブルージェイズ戦では、8回を4安打、1失点、13奪三振、3四球の投球で先発初勝利を挙げ、13奪三振はプロ入り後の自己最多かつルーキーとしての球団最多記録となった。8月17日のミネソタ・ツインズ戦では7回1失点の好投で4勝目を挙げる。この試合では4回まで走者を出さず、フェリックス・ヘルナンデスが前日に達成した完全試合から合わせて、メジャーリーグ史上1974年以降最長となる42者連続アウトのチーム記録を達成した。9月14日のレンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、51⁄3回を2本塁打を含む7安打2失点の投球で5敗目を喫する。後半戦はデビッド・プライスに次ぐリーグ2位の防御率2.50を記録。最終的には先発としては16試合に登板し8勝4敗、防御率2.65、WHIP1.23。防御率はフェリックス・ヘルナンデスが2005年に記録した2.67を抜いて球団新人記録となった。9月には代理人をアーン・テレムに変更していたことを明かし、11月4日に2年総額1400万ドル(3年目は年俸700万ドルの球団オプション)でマリナーズと契約を延長した。

2013年、開幕から先発ローテーション入りし、誕生日となった4月12日のレンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、62⁄3回を3安打1失点の投球で2勝目を挙げ、この試合の5回に四球を与えるまで開幕から18回連続無四球も記録した。6月10日のヒューストン・アストロズ戦まで、ホームのセーフコ・フィールドでは前年から9試合連続でのクオリティ・スタートを記録する安定した投球を続け、前半戦は20試合の先発で8勝4敗、リーグ6位の防御率3.02、リーグ1位のWHIP0.94の成績で折り返し、オールスターに選手間投票での選出を果たす。前半戦最終戦となった7月14日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦に先発したため、アメリカン・リーグの監督を務めたデトロイト・タイガース監督のジム・リーランドの方針でオールスター当日の登板はなかった。25日のツインズ戦では、6回4安打無失点の好投でメジャー移籍後初の10勝目を挙げ、9月13日のセントルイス・カージナルス戦で200イニングに到達。その後も好投を続け、後半戦は13試合の先発で6勝2敗、防御率2.14、WHIP1.11の好成績を残し、最後の3試合は23回連続無失点を記録。シーズン通算ではリーグ7位の14勝、日本人選手歴代2位となるリーグ3位の防御率2.66、同じく日本人選手歴代1位となるリーグ2位のWHIP1.01、同じく2位となるリーグ3位の219.2イニングを投げ、rWARはリーグ1位かつ日本人投手歴代1位となる7.0、RSAAはリーグ1位の36.13を記録した。P/IP(1イニングあたりの投球数)はリーグ1位の14.12、ストライク割合(ストライク/全投球)68%、与四死球率1.64は共にリーグ3位と、コントロールと燃費のよさが目立つシーズンとなった。サイ・ヤング賞投票ではマックス・シャーザーとダルビッシュ有に次ぐ3位に入る。

2014年、1月20日に南カリフォルニアで練習中にネットを掴んだ際に右手中指の第一関節を痛め、4週間から6週間の投球禁止となったことを2月12日に発表した。28日の再検査でさらに3週間の投球禁止と診断され、3月29日に15日間の故障者リスト入りした。4月27日からAAA級タコマ・レイニアーズでリハビリを開始し、5月3日に故障者リストから外れた。メジャー通算50試合目の先発となった同日のアストロズ戦で復帰しシーズン初勝利を挙げ、その後も3連勝を挙げる。6月には2試合連続の5失点を喫したが、7月7日のツインズ戦でメジャー通算30勝目に到達し、12日のオークランド・アスレチックス戦では82⁄3回を無失点の投球で規定投球回に到達するなど復調。14試合の先発で8勝4敗、防御率2.98、WHIP1.00の成績で前半戦を折り返す。7月29日のクリーブランド・インディアンス戦では日米通算2000投球回に到達し9勝目を挙げる。10勝目を挙げた8月8日のホワイトソックス戦で前年からの合計350イニングに到達し、翌年の契約オプションの更新条件を満たす。9月5日のレンジャーズ戦で2年連続の14勝目を挙げ、チームもワイルドカードを争う好調を見せていたが、その後3連敗を喫し、9月は防御率7.61、WHIP1.56と絶不調に陥る。シーズン最終登板では61⁄3回を4安打2失点の投球でメジャー自己最多の15勝目を挙げるが、チームは1勝差で13年ぶりのポストシーズン進出を逃しシーズンを終えた。この年は与四球21(与四球率1.06)と抜群の制球力を見せた。オフには日米野球2014のMLB選抜に選出され、東京ドームでの第2戦に先発登板した。

2015年、開幕から3試合に登板して0勝1敗、防御率6.61と不調で、右広背筋を痛めて4月24日に15日間の故障者リスト入りした(登録上は21日から)。7月6日に復帰し、デトロイト・タイガース戦に先発したが5回5失点で降板し敗戦投手となった。8月12日のボルチモア・オリオールズ戦で先発し、3四球7奪三振で、MLBでは自身初完投、初完封となるノーヒットノーランを達成。日本人選手としては、2001年の野茂英雄(ボストン・レッドソックス)以来2人目の達成となった。2015年のメジャーリーグ・レギュラーシーズンでは4人目、DH制のあるアメリカン・リーグでは3年ぶりの達成となった。戦線離脱もあったため、20試合の先発登板に留まって規定投球回到達を逃した。調子の波が大きかったこともあり、防御率はメジャー移籍後ワーストの3.54だった。11月2日にFAとなった。フリーエージェントとなった岩隈の獲得にドジャースが乗り出していることが4日分かったが、フィジカルチェック後に白紙に戻され、12月18日、マリナーズと1年契約(2017年、2018年の契約は球団が選択権を持つ)で再契約した。

2016年、防御率はメジャー移籍以来最低となる4点台でシーズンを終えるも、勝利数はメジャー自己最多となる16勝を挙げる。

2017年、開幕から6試合の先発登板で0勝2敗、防御率4.35の成績で、6試合目の登板となった5月3日のロサンゼルス・エンゼルス戦で左膝に打球を受けた。当初は次回の登板を予定より2日順延させ、同月11日のトロント・ブルージェイズ戦に先発予定と発表されたが、新たに右肩の炎症も発覚したため、同10日に10日間の故障者リスト入りとなった。その後の精密検査の結果、同13日には4~6週間の離脱を要すると発表された。6月14日には傘下アドバンスドA+級のモデスト・ナッツで実戦復帰を果たし、4回を1安打無失点、4三振と好投した。同19日に傘下AAA級タコマ・レイニアーズで2度目の調整登板を行い、順調ならば同月週末のヒューストン・アストロズ戦でメジャーに復帰する予定だったが、2回で1本塁打を含む4安打4失点、3三振、2四球と精彩を欠き、メジャー昇格は見送られた。7月4日には同1日に行った投球練習の際に違和感を訴え、最低1週間のノースロー調整を要すると発表され、9月19日には今シーズン中の復帰を断念することをスコット・サーバイス監督が発表した。同27日に右肩のクリーニング手術を受け、回復まで5か月を要する見込みと診断された。11月2日に翌年の契約オプションを行使しないことを通告され、FAとなったが、11月27日にマリナーズとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。

2018年9月5日、傘下マイナーの1Aエバレットの一員としてスポケーン戦に先発し、2回4安打3失点、1奪三振、3四球で敗戦投手となった。球速は88マイル(約142km/h)を記録するなど、復調の兆しがあった。前年9月の手術後、今回が3度目の実戦登板だった。9月11日、メジャーでの登板を果たせないまま、この年のシーズン限りでマリナーズを退団することが発表された。岩隈本人は来シーズン以降も現役を続投する意向で、日本球界復帰も視野に入れている。9月26日の本拠地でのオークランド・アスレチックス戦の試合前に始球式を務めた(捕手役はイチロー)。

2018年12月6日に読売ジャイアンツが岩隈と契約を結んだことを発表し、19日に入団会見が行われた。背番号は21。

2019年はキャンプ当初から右肩のリハビリが長引いていたが、8月21日のイースタン・リーグの日本ハム戦で日本球界復帰後初登板を果たし、1イニングを三者凡退に抑えた。しかし、実戦復帰が終盤近くだったこともあり日本では新人時代の2000年以来となる一軍登板なしに終わった。

2020年も一軍登板はなかった。10月、原辰徳監督の提案で東京ドームでシート打撃に登板するも、1球投げただけで右肩を脱臼し、引退を決断。同月19日に現役を引退することが球団から正式発表された。

2004年にアテネオリンピック野球日本代表に選出される。

2009年3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。同大会では松坂大輔、ダルビッシュと共に先発の三本柱を任される。一次ラウンドでは韓国との1位決定戦に先発したが、51⁄3回を1失点に抑えるも打線の援護がなくチームは0-1で惜敗した。二次ラウンドの初戦キューバ戦では2番手として登板し、1回を2三振で抑える。二次ラウンドのキューバとの敗者復活戦で6回を無失点に抑え、チームは5-0で勝利。この試合ではキューバ中堅手のヨエニス・セスペデスが小笠原道大の放った中飛を落球するなど霧深い悪質なグラウンドコンディションであったが、守りやすくしようと「フライを打たせないようにした」と低めにスライダーやシュートを制球し、アウトの15/18は内野ゴロで打ち取り、一次リーグで最も本塁打数の多かったキューバ打線を完全に手玉に取って準決勝進出に貢献した。決勝の韓国戦では奉重根と投げ合い、大会史上最高投球回数(第2回大会当時)となる72⁄3回を2失点に抑える快投を見せる。試合は8回を終わって3対2と日本リードであったが、9回裏から登板したダルビッシュが同点とされたため勝利投手の権利は得られなかった。大会に出場した全投手中最多の合計20回を投げ3失点で防御率1.35、WHIP0.90を記録。全試合で好投したものの打線の援護は計6点と少なく、救援失敗などもあって個人成績は1勝(1敗)に終わるも優秀選手賞を受賞した。MVPは3戦に先発し3勝した松坂大輔であったが、決勝戦直後のシャンパンファイトでは、チームメイトらから「クマ!クマ!クマ!」のかけ声で胴上げを受けた。WBCでの活躍があり、2006年の荒川静香以来の宮城県民栄誉賞が授与された。

2021年1月12日に古巣のシアトル・マリナーズの特任コーチに就任することが球団から発表された。代理人はワッサーマン・メディア・グループ。また、テレビ東京の野球解説者・日本テレビのゲスト解説者・J SPORTS MLB中継の野球解説者をそれぞれ務める。さらに、12月31日に自身のインスタグラムより、シアトル・マリナーズとアドバイザー契約を結んだことを発表した。しかし、コロナ禍のために日本で生活をしながら、仕事をすると明かした。

2022年3月には硬式野球チーム『青山東京ボーイズ』を立ち上げ、義父の広橋公寿らと共に中学生に指導を行っている。

2024年からはフジテレビ『すぽると!』のレギュラー解説者となり、またフジテレビ系列の野球中継解説も本数契約で務める。

スリークォーターから平均球速89.5mph(約144km/h)のフォーシームと平均88.6mph(約142.6km/h)のツーシーム、平均84.8mph(約136.5km/h)のフォークボール、平均81.1mph(約130.5km/h)の2種類の球速や変化の違うスライダー、平均72.5mph(約116.7km/h)のカーブを投げ分ける。

制球力は日本時代から高い評価を得ており、NPBでの通算与四球率は1.99を記録。メジャーのスカウトからは「コマンド(狙ったスポットに投げる能力)と球を低めに集めるコントロール(ストライクに投げる能力)はダルビッシュよりずっと上」との評価を得ていた。同じくスプリットも日本時代からメジャーのスカウトより「スプリットはメジャーでも最高級」との評価を得ており、マリナーズ移籍後もスカウトやGM、選手から、速球とほぼ同じリリースポイントから正確に低めに投げることができる点からメジャー最高の決め球のひとつに挙げられた。クイックモーションにも定評があり、2014年には被盗塁成功率0%を記録している。2014年にはESPNにより「メジャー最高の先発9投手」に選ばれている。

近鉄時代は右腕をダラリと垂らす独特のタメから投げ込む特徴的なスリークォーターから繰り出す最速153km/hのストレートと100km/h台のスローカーブと大きく曲がる縦のスライダーを武器にしたスタイルだった。

楽天移籍後はストレートがシュート回転することを課題としていたが、2008年には下半身が安定したことで球持ちが良くなり、球速も2010年には平均球速約142.6km/h、最速152km/hを記録。また、楽天移籍後は肩に負担の大きい縦のスライダーを多投しないようになり、真下かシンカー方向に落とすフォークボールを中心に、斜めに小さく曲がる横のスライダーや右打者の内角へ切り込む速いシュート、110km/h - 120km/h台で打者のタイミングを外すカーブをまれに使って、アウトの65パーセント近くをゴロで稼ぐ。

マリナーズ移籍前まではフォーシームの速球を投球の中心に考えていたが、移籍後は打者の手元で動くムービング系の球種を中心に考えるようになる。シュートはツーシームと呼ぶようになり、日本時代に使っていた右打者のインコースを攻める投球に加えて右打者のフロントドアや左打者のバックドアを攻める投球を身につけた。さらに、日本ではホームベース目がけて落とすようにスプリッターを使っていたが、メジャーの投手たちがワンバウンドするかどうかギリギリの所に落ちる球種を投げているのを見て、落とす場所をしっかり意識してスプリッターを投げるようになったと言う。また、マリナーズ移籍前の2011年には右肩腱板の故障から球速が落ちていたが、移籍後は前述の通り平均球速89.3mph(約143.7km/h)を記録している。

練習ではラグビーボールを一回り小さくした楕円形の長球を使ったキャッチボールをしており、肘を故障したことを考慮して肘の位置を確認しながら投げているという。これにより肘の位置が前年と比べて高くなったことで、フォークの落差が大きくなったと話している。

右投げ右打ちだが、元々は左利きであり、食事やペン等は左手を使っている。

愛称はクマ、催眠術師 (hypnotist)。近鉄時代はなにわのプリンス、また当時監督の梨田昌孝からは、足の長さ・細さからバンビちゃんとも呼ばれ、楽天移籍後は杜の貴公子と呼ばれた。所属するマリナーズではRock Bear(岩 熊)と称し熊を模したグッズを製作している。

高校の同級生に安達祐実、佐藤江梨子がいる。

分配ドラフトの際にオリックスを拒否して楽天への入団に拘った理由として、オリックスが嫌だった訳ではなく、合併によって近鉄の選手達と別れてプレーすることになったため、それなら新規参入球団である楽天でプレーしたかったと話している。

ケガをしてシーズンを棒に振った経験から、無理をしないことを信条としているため、大敗している場面でもないのに球数100球未満で降板する場面がたびたびあり、楽天時代の監督の野村克也や『サンデーモーニング』に出演している張本勲などに、チームのエースとしての姿勢に反する行動と批判されたことがある。特に野村は、エースとしての姿勢について田中将大とは正反対と評している。

2008年のセ・パ交流戦で優秀選手賞を受賞した際、賞金の100万円を岩手・宮城内陸地震の被災地に寄付した。

2016年4月25日、この月に発生した熊本地震を受けて、熊本県に対して2000万円を寄付した。

端正な顔立ちとしても認められている。

創価学会員である。聖教新聞によると、岩隈がマウンドに立つ際、池田大作の言葉を思い浮かべて自分を奮い立たせているという。

2023年7月6日に第4子三女が誕生。ちなみに岩隈は2002年に結婚して実際にすぐに長女が生まれて父親になったこともあり、「長女と三女が20歳以上も離れている漫画みたいな感じになった」と形容している。

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字はリーグ最高

最多勝利:2回(2004年、2008年)

最優秀防御率:1回(2008年)

最高勝率:2回(2004年、2008年) ※最優秀投手として表彰

沢村栄治賞:1回(2008年)

最優秀選手:1回(2008年)

ベストナイン:2回(2004年、2008年)

最優秀投手:2回(2004年、2008年)

最優秀バッテリー賞:1回(2008年 捕手:藤井彰人)

セ・パ交流戦 日本生命賞:1回(2008年)

月間MVP:5回(2003年4月、2004年4月、2004年5月、2008年6月、2011年4月)

JA全農Go・Go賞(最多奪三振賞):1回(2004年5月)

ゴールデンスピリット賞:1回(2008年)

ア・リーグ 週間MVP:1回(2015年8月)

第2回WBCベストナイン(2009年)

日本プロスポーツ大賞 殊勲賞:1回(2008年)

報知プロスポーツ大賞(野球部門パ・リーグ):1回(2008年)

紺綬褒章:1回(2021年)

初登板・初勝利:2001年5月29日、対日本ハムファイターズ10回戦(東京ドーム)、8回裏一死に8番手として救援登板・完了、1回2/3を1失点

初奪三振:同上、8回裏二死に野口寿浩から

初先発:2001年6月10日、対日本ハムファイターズ13回戦(大阪ドーム)、3回5失点で敗戦投手

初先発勝利:2001年8月19日、対福岡ダイエーホークス24回戦(福岡ドーム)、6回1失点

初完投勝利・初完封勝利:2001年9月18日、対西武ライオンズ26回戦(大阪ドーム)

初安打:2005年6月4日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、5回表に石川雅規から右前安打

初登板:2012年4月20日、対シカゴ・ホワイトソックス戦(セーフコ・フィールド)、6回表に3番手として登板・完了、4回1安打1失点1四球(2奪三振)

初奪三振:同上、6回表一死にアレクセイ・ラミレスから空振り三振

初勝利:2012年6月16日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦(セーフコ・フィールド)、6回表に登板、2回無安打無失点1四球

初先発:2012年7月2日、対ボルチモア・オリオールズ戦(セーフコ・フィールド)、

初先発勝利:2012年7月30日、対トロント・ブルージェイズ戦(セーフコ・フィールド)、8回4安打1失点

初完投勝利・初完封勝利:2015年8月12日対ボルチモア・オリオールズ戦(セーフコ・フィールド)、9回無安打3四球(7奪三振)

初セーブ:2012年5月31日、対テキサス・レンジャーズ戦(レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン)、7回から2番手として登板し3回3失点

1000投球回:2008年8月16日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、4回裏三死目にサブローを三振で達成 ※史上314人目

1000奪三振:2010年6月5日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、2回裏に三浦大輔から ※史上128人目

100勝:2010年8月31日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、6回無失点 ※史上127人目(205試合登板での100勝達成はドラフト制後では松坂大輔、上原浩治、菅野智之、江川卓、和田毅に次ぎ6番目のスピード記録:2020年時点)。

1500投球回:2011年8月23日、対北海道日本ハムファイターズ15回戦(札幌ドーム)、6回裏三死目に稲葉篤紀を三振で達成 ※史上164人目

オールスターゲーム出場:3回(2003年、2004年、2008年)

開幕投手からのシーズン連勝:12(2004年)※パ・リーグ記録

全員奪三振:2009年9月1日、対埼玉西武ライオンズ戦、史上5人目(なお、同試合で7者連続奪三振も記録)

複数球団での最多勝利タイトル獲得 ※史上5人目

MLBオールスターゲーム選出:1回(2013年)

ノーヒットノーラン:2015年8月12日、対ボルチモア・オリオールズ戦、3四球7奪三振

WBCにおける1登板中史上最多投球回数:7.2回(2009年)

48(2000年 - 2002年)

21(2003年 - 2011年、2019年 - 2020年)

18(2012年 - 2017年)

    20(アテネ五輪、2009年WBC)

    「Pacific Island Music」Def Tech(2007年)

    「小さな掌」Aqua Timez(2008年前期)

    「NO.1」日華(2008年後期 - 2010年)

    「Almost Famous」Eminem(2011年)

    「ただ、ありがとう」MONKEY MAJIK(2019年 - )

    2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表

    2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

    第1回 ベストファーザー(イエローリボン賞) IN 東北(2006年)

    宮城県民栄誉賞(2009年)

    GQ Men of the Year 2009(2009年)

    森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ

    メレンゲの気持ち(日本テレビ

    おしゃれイズム(日本テレビ

    Going!Sports&News(日本テレビ

    奇跡のレッスン(NHK BS1)

    すぽると!(フジテレビ

    すき家(スザンヌと共演)

    ジーンズカジュアルショップ アメリカ屋

    スカパー!

    NHK 地上デジタル放送 普及促進

    『絆(きずな)冬は必ず春となる』潮出版社(2009年)

    『イワクマクマときずなのえほん』主婦の友社(2010年) - 岩隈がプロデュースし、夫人と娘が執筆した岩隈久志を主人公とした絵本。

    『投球革命』ベースボール・マガジン社(2010年)

    『感情をコントロールする技術』ワニブックス(2013年)

    『岩隈久志のピッチングバイブル メジャーリーグトップクラスの少ない球数で打ち取る投球術』 舵社(2014年)

    ^ クリス・ヘストン(2015年6月9日、サンフランシスコ・ジャイアンツ)、マックス・シャーザー(2015年6月20日、ワシントン・ナショナルズ)コール・ハメルズ(2015年7月25日、フィラデルフィア・フィリーズ)がそれぞれ達成している。

    ^ シュートやシンカーとも呼ばれることがあるが、本人はメジャー移籍後はツーシームと呼んでいる。

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    Category:紺綬褒章受章者

    個人年度別成績 岩隈久志 - NPB.jp 日本野球機構

    選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

    Hisashi Iwakuma stats MiLB.com (英語)

    選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

    岩隈久志オフィシャルブログ - Ameba Blog(旧ブログ)

    岩隈久志 - ウェイバックマシン(2016年3月20日アーカイブ分) - LINE BLOG

    Hisashi Iwakuma (岩隈 久志) (@hisashiiwakuma_21) - Instagram

    83 エドワード・バザード

    67 コディ・ボルトン(英語版)

    47 マット・ブラッシュ(故障者リスト)

    58 ルイス・カスティーヨ(故障者リスト)

    84 J.T.シャギワ

    74 ジョナサン・ディアス

    63 イーミ・ガルシア(故障者リスト)

    36 ローガン・ギルバート

    62 エマーソン・ハンコック

    68 ジョージ・カービー

    -- オースティン・キッチン(英語版)

    37 ジャクソン・カワー(故障者リスト)

    50 ブライス・ミラー

    75 アンドレス・ムニョス

    48 グレゴリー・サントス

    60 テイラー・ソーセド

    52 コリン・スナイダー

    55 ゲイブ・スパイアー

    59 トロイ・テイラー(英語版)

    46 トレント・ソーントン

    54 カルロス・バルガス

    30 オースティン・ボス

    22 ブライアン・ウー

    29 カル・ローリー

    1 ライアン・ブリス

    3 J.P.クロフォード

    27 タイラー・ロックレア(英語版)

    25 ディラン・ムーア

    7 ホルヘ・ポランコ

    76 レオ・リーバス(英語版)

    4 ジョシュ・ロハス

    2 ジャスティン・ターナー

    23 ルイス・ウリアス

    56 ランディ・アロサレーナ

    8 ドミニク・キャンゾーン

    0 サム・ハガーティ(故障者リスト)

    17 ミッチ・ハニガー

    5 ケイド・マーロウ(英語版)

    20 ルーク・ラリー

    10 ビクター・ロブレス

    44 フリオ・ロドリゲス

    12 サマド・テイラー

    18 ミッチ・ガーバー

    6 ダン・ウィルソン(監督)

    11 エドガー・マルティネス(打撃コーチ)

    81 トミー・ジョゼフ(打撃コーチ補佐)

    32 ピート・ウッドワース(投手コーチ)

    80 ダニー・ファーカー(投手コーチ補佐兼投球ストラテジスト)

    21 クリストファー・ネグロン(一塁コーチ)

    14 マニー・アクタ(三塁コーチ)

    57 トニー・アーネリック(英語版)(ブルペンコーチ)

    40 トレント・ブランク(英語版)(コーチ兼投手戦略ディレクター)

    16 ペリー・ヒル(英語版)(内野守備コーチ)

    39 カーソン・ビテール(英語版)(フィールドコーディネイター)

    89 ナスセル・カブレラ(打撃投手)

    66 フレミング・バエズ(ブルペン捕手)

    95 ジャスティン・ノバック(ブルペン捕手)

    日本の旗 松坂大輔

    投手:日本の旗 松坂大輔, 日本の旗 岩隈久志, 大韓民国の旗 奉重根

    捕手:プエルトリコの旗 イバン・ロドリゲス

    一塁手:大韓民国の旗 金泰均

    二塁手:ベネズエラの旗 ホセ・ロペス

    三塁手:大韓民国の旗 李杋浩

    遊撃手:アメリカ合衆国の旗 ジミー・ロリンズ

    外野手:日本の旗 青木宣親, キューバの旗 フレデリク・セペダ, キューバの旗 ヨエニス・セスペデス

    指名打者:大韓民国の旗 金賢洙

    1947 別所昭

    1948 中尾碩志

    1949 藤本英雄

    1950 真田重男

    1951 杉下茂

    1952 杉下茂

    1953 大友工

    1954 杉下茂

    1955 別所毅彦

    1956 金田正一

    1957 金田正一

    1958 金田正一

    1959 村山実

    1960 堀本律雄

    1961 権藤博

    1962 小山正明

    1963 伊藤芳明

    1964 G.バッキー

    1965 村山実

    1966 村山実, 堀内恒夫

    1967 小川健太郎

    1968 江夏豊

    1969 高橋一三

    1970 平松政次

    1972 堀内恒夫

    1973 高橋一三

    1974 星野仙一

    1975 外木場義郎

    1976 池谷公二郎

    1977 小林繁

    1978 松岡弘

    1979 小林繁

    1981 西本聖

    1982 北別府学

    1983 遠藤一彦

    1985 小松辰雄

    1986 北別府学

    1987 桑田真澄

    1988 大野豊

    1989 斎藤雅樹

    1990 野茂英雄

    1991 佐々岡真司

    1992 石井丈裕

    1993 今中慎二

    1994 山本昌広

    1995 斎藤雅樹

    1996 斎藤雅樹

    1997 西口文也

    1998 川崎憲次郎

    1999 上原浩治

    2001 松坂大輔

    2002 上原浩治

    2003 井川慶, 斉藤和巳

    2004 川上憲伸

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 ダルビッシュ有

    2008 岩隈久志

    2009 涌井秀章

    2010 前田健太

    2011 田中将大

    2012 攝津正

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 前田健太

    2016 K.ジョンソン

    2017 菅野智之

    2018 菅野智之

    2020 大野雄大

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2005 金本知憲, 中村剛也

    2006 佐藤充, 松中信彦

    2007 高橋尚成, サブロー

    2008 金本知憲, 岩隈久志

    2009 T.ブランコ, ダルビッシュ有

    2010 阿部慎之助, 和田毅

    2011 内海哲也, 坂口智隆

    2012 杉内俊哉, 吉川光夫

    2013 能見篤史, 田中将大

    2014 山田哲人, 則本昂大

    2015 畠山和洋, 菊池雄星

    2016 鈴木誠也, 大谷翔平

    2017 丸佳浩, 松本剛

    2018 石山泰稚, 石川歩

    2019 柳裕也, 鈴木大地

    2020 (中止)

    2021 D.ビシエド, 伊藤大海

    2022 大山悠輔, 杉本裕太郎

    2023 牧秀悟, 近藤健介

    2024 才木浩人, 近藤健介

    1950 別当薫

    1951 山本一人

    1952 柚木進

    1953 岡本伊三美

    1954 大下弘

    1955 飯田徳治

    1956 中西太

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 山内和弘

    1961 野村克也

    1962 張本勲

    1963 野村克也

    1964 J.スタンカ

    1965 野村克也

    1966 野村克也

    1967 足立光宏

    1968 米田哲也

    1969 長池徳二

    1970 木樽正明

    1971 長池徳二

    1972 福本豊

    1973 野村克也

    1974 金田留広

    1975 加藤秀司

    1976 山田久志

    1977 山田久志

    1978 山田久志

    1979 C.マニエル

    1980 木田勇

    1981 江夏豊

    1982 落合博満

    1983 東尾修

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 石毛宏典

    1987 東尾修

    1988 門田博光

    1989 R.ブライアント

    1990 野茂英雄

    1991 郭泰源

    1992 石井丈裕

    1993 工藤公康

    1994 イチロー

    1995 イチロー

    1996 イチロー

    1997 西口文也

    1998 松井稼頭央

    1999 工藤公康

    2000 松中信彦

    2001 T.ローズ

    2002 A.カブレラ

    2003 城島健司

    2004 松中信彦

    2005 杉内俊哉

    2006 小笠原道大

    2007 ダルビッシュ有

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有

    2010 和田毅

    2011 内川聖一

    2012 吉川光夫

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 柳田悠岐

    2016 大谷翔平

    2017 D.サファテ

    2018 山川穂高

    2019 森友哉

    2020 柳田悠岐

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    1950 荒巻淳

    1951 江藤正

    1952 野口正明

    1953 川崎徳次

    1954 宅和本司, 田中文雄

    1955 宅和本司

    1956 三浦方義

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 久保征弘

    1963 稲尾和久

    1964 小山正明

    1965 尾崎行雄

    1966 米田哲也

    1967 池永正明

    1968 皆川睦男

    1969 鈴木啓示

    1970 成田文男

    1971 木樽正明

    1972 山田久志, 金田留広

    1973 成田文男

    1974 金田留広

    1975 東尾修

    1976 山田久志

    1977 鈴木啓示

    1978 鈴木啓示

    1979 山田久志

    1980 木田勇

    1981 今井雄太郎, 村田兆治

    1982 工藤幹夫

    1983 東尾修, 山内和宏

    1984 今井雄太郎

    1985 佐藤義則

    1986 渡辺久信

    1987 山沖之彦

    1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明

    1989 阿波野秀幸

    1990 渡辺久信, 野茂英雄

    1991 野茂英雄

    1992 野茂英雄

    1993 野田浩司, 野茂英雄

    1994 伊良部秀輝

    1995 K.グロス

    1996 K.グロス

    1997 西口文也, 小池秀郎

    1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏

    1999 松坂大輔

    2000 松坂大輔

    2001 松坂大輔

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 涌井秀章

    2008 岩隈久志

    2009 涌井秀章

    2010 和田毅, 金子千尋

    2011 D.ホールトン, 田中将大

    2012 攝津正

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平, 涌井秀章

    2016 和田毅

    2017 東浜巨, 菊池雄星

    2018 多和田真三郎

    2019 有原航平

    2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    1950 荒巻淳

    1951 柚木進

    1952 柚木進

    1953 川崎徳次

    1954 宅和本司

    1955 中川隆

    1956 稲尾和久

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 久保田治

    1963 久保征弘

    1964 妻島芳郎

    1965 三浦清弘

    1966 稲尾和久

    1967 足立光宏

    1968 皆川睦男

    1969 木樽正明

    1970 佐藤道郎

    1971 山田久志

    1972 清俊彦

    1973 米田哲也

    1974 佐藤道郎

    1975 村田兆治

    1976 村田兆治

    1977 山田久志

    1978 鈴木啓示

    1979 山口哲治

    1980 木田勇

    1981 岡部憲章

    1982 高橋里志

    1983 東尾修

    1984 今井雄太郎

    1985 工藤公康

    1986 佐藤義則

    1987 工藤公康

    1988 河野博文

    1989 村田兆治

    1990 野茂英雄

    1991 渡辺智男

    1992 赤堀元之

    1993 工藤公康

    1994 新谷博

    1995 伊良部秀輝

    1996 伊良部秀輝

    1997 小宮山悟

    1998 金村暁

    1999 工藤公康

    2000 戎信行

    2001 N.ミンチー

    2002 金田政彦

    2003 斉藤和巳, 松坂大輔

    2004 松坂大輔

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 成瀬善久

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有

    2010 ダルビッシュ有

    2011 田中将大

    2012 吉川光夫

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平

    2016 石川歩

    2017 菊池雄星

    2018 岸孝之

    2019 山本由伸

    2020 千賀滉大

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    1953 川崎徳次

    1954 西村貞朗

    1955 中村大成

    1956 島原幸雄

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 斉藤和巳

    2006 斉藤和巳

    2007 成瀬善久

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉

    2010 杉内俊哉

    2011 田中将大

    2012 攝津正

    1950 野村武史

    1951 中谷信夫

    1952 柚木進

    1953 大神武俊

    1954 西村貞朗

    1955 中村大成

    1956 植村義信

    1957 稲尾和久

    1958 秋本祐作

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 皆川睦男

    1963 田中勉, 森中千香良

    1964 J.スタンカ

    1965 林俊彦

    1966 皆川睦男

    1967 石井茂雄

    1968 村上雅則

    1969 清俊彦

    1970 佐々木宏一郎

    1971 山田久志

    1972 佐藤道郎

    1973 八木沢荘六

    1974 竹村一義

    1975 鈴木啓示, 野村収

    1976 山田久志

    1977 稲葉光雄

    1978 山田久志

    1979 山田久志

    1980 木田勇

    1981 間柴茂有

    1982 工藤幹夫

    1983 高橋直樹

    1984 石川賢

    1985 石本貴昭

    1986 渡辺久信

    1987 工藤公康

    1988 郭泰源

    1989 星野伸之

    1990 野茂英雄

    1991 工藤公康

    1992 石井丈裕

    1993 工藤公康

    1994 郭泰源

    1995 平井正史

    1996 星野伸之

    1997 西口文也

    1998 黒木知宏

    1999 篠原貴行

    2000 小野晋吾

    2001 田之上慶三郎

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 斉藤和巳

    2006 斉藤和巳

    2007 成瀬善久

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉

    2010 杉内俊哉

    2011 田中将大

    2012 攝津正

    2013 田中将大

    2014 岸孝之

    2015 大谷翔平

    2016 和田毅

    2017 千賀滉大

    2018 M.ボルシンガー

    2019 山岡泰輔

    2020 石川柊太

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    1950 荒巻淳

    1951 江藤正

    1952 柚木進

    1953 川崎徳次

    1954 西村貞朗

    1955 中村大成

    1956 梶本隆夫

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 稲尾和久

    1963 稲尾和久

    1964 J.スタンカ

    1965 尾崎行雄

    1966 田中勉

    1967 足立光宏

    1968 皆川睦男

    1969 鈴木啓示

    1970 木樽正明

    1971 山田久志

    1972 山田久志

    1973 成田文男

    1974 金田留広

    1975 鈴木啓示

    1976 山田久志

    1977 山田久志

    1978 鈴木啓示

    1979 山田久志

    1980 木田勇

    1981 村田兆治

    1982 工藤幹夫

    1983 東尾修

    1984 今井雄太郎

    1985 東尾修

    1986 渡辺久信

    1987 工藤公康

    1988 西崎幸広

    1989 阿波野秀幸

    1990 野茂英雄

    1991 郭泰源

    1992 石井丈裕

    1993 工藤公康

    1994 伊良部秀輝

    1995 伊良部秀輝

    1996 E.ヒルマン

    1997 西口文也

    1998 西口文也

    1999 松坂大輔

    2000 松坂大輔

    2001 松坂大輔

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 ダルビッシュ有

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有

    2010 和田毅

    2011 田中将大

    2012 吉川光夫

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平

    2016 大谷翔平

    2017 菊池雄星

    2018 菊池雄星

    2019 千賀滉大

    2020 千賀滉大

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    1991 工藤公康 - 伊東勤

    1992 石井丈裕 - 伊東勤

    1993 金石昭人 - 田村藤夫

    1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎

    1995 平井正史 - 中嶋聡

    1996 西口文也 - 伊東勤

    1997 西口文也 - 伊東勤

    1998 西口文也 - 伊東勤

    1999 工藤公康 - 城島健司

    2000 吉田修司 - 城島健司

    2001 田之上慶三郎 - 城島健司

    2002 豊田清 - 伊東勤

    2003 斉藤和巳 - 城島健司

    2004 三瀬幸司 - 城島健司

    2005 渡辺俊介 - 里崎智也

    2006 斉藤和巳 - 的場直樹

    2007 成瀬善久 - 里崎智也

    2008 岩隈久志 - 藤井彰人

    2009 涌井秀章 - 銀仁朗

    2010 杉内俊哉 - 田上秀則

    2011 田中将大 - 嶋基宏

    2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也

    2013 田中将大 - 嶋基宏

    2014 金子千尋 - 伊藤光

    2015 大谷翔平 - 大野奨太

    2016 石川歩 - 田村龍弘

    2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗

    2018 多和田真三郎 - 森友哉

    2019 増田達至 - 森友哉

    2020 千賀滉大 - 甲斐拓也

    2021 山本由伸 - 若月健矢

    2022 山本由伸 - 若月健矢

    2023 山本由伸 - 若月健矢

    2005 岩隈久志

    2006 一場靖弘

    2007 岩隈久志

    2008 岩隈久志

    2009 岩隈久志

    2010 岩隈久志

    2011 岩隈久志

    2012 田中将大

    2013 則本昂大

    2014 則本昂大

    2015 則本昂大

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    2017 美馬学

    2018 則本昂大

    2019 岸孝之

    2020 則本昂大

    2021 涌井秀章

    2022 則本昂大

    2023 田中将大

    2024 早川隆久

    1950 黒尾重明

    1951 関根潤三

    1952 沢藤光郎

    1953 関根潤三

    1954 田中文雄

    1955 武智文雄

    1956 武智文雄

    1957 武智文雄

    1958 山下登

    1959 大津守

    1960 大津守

    1961 蔦行雄

    1962 板東里視

    1963 徳久利明

    1964 久保征弘

    1965 徳久利明

    1966 徳久利明

    1967 鈴木啓示

    1968 鈴木啓示

    1969 鈴木啓示

    1970 鈴木啓示

    1971 鈴木啓示

    1972 鈴木啓示

    1973 鈴木啓示

    1974 鈴木啓示

    1975 神部年男

    1976 神部年男

    1977 鈴木啓示

    1978 鈴木啓示

    1979 鈴木啓示

    1980 鈴木啓示

    1981 柳田豊

    1982 柳田豊

    1983 谷宏明

    1984 鈴木啓示

    1985 鈴木啓示

    1986 村田辰美

    1987 村田辰美

    1988 阿波野秀幸

    1989 阿波野秀幸

    1990 阿波野秀幸

    1991 阿波野秀幸

    1992 小野和義

    1993 野茂英雄

    1994 野茂英雄

    1995 山崎慎太郎

    1996 高村祐

    1997 高村祐

    1998 高村祐

    1999 岡本晃

    2000 B.ウォルコット

    2001 門倉健

    2002 S.バーグマン

    2003 J.パウエル

    2004 岩隈久志

    1999 松井秀喜

    2000 片岡篤史

    2001 中村紀洋

    2002 飯田哲也

    2003 井上一樹

    2004 赤星憲広

    2005 ボビー・バレンタイン

    2006 和田毅

    2007 三浦大輔

    2008 岩隈久志

    2009 小笠原道大

    2010 ダルビッシュ有

    2011 山﨑武司

    2012 藤川球児

    2013 宮本慎也

    2014 栗山巧

    2015 今江敏晃

    2016 内海哲也

    2017 岩田稔

    2018 井口資仁

    2019 秋山翔吾

    2021 矢野燿大

    2022 吉田正尚

    2023 宮西尚生

    76 山田久志

    77 山田久志

    78 鈴木啓示

    79 C.マニエル

    80 木田勇

    81 江夏豊

    82 落合博満

    83 東尾修

    84 ブーマー

    85 落合博満

    86 落合博満

    87 工藤公康

    88 門田博光

    89 阿波野秀幸

    90 野茂英雄

    91 秋山幸二

    92 石井丈裕

    93 辻発彦

    94 イチロー

    95 イチロー

    96 イチロー

    97 松井稼頭央

    98 イチロー

    99 松坂大輔

    00 中村紀洋

    01 T.ローズ

    02 松井稼頭央

    03 城島健司

    04 松中信彦

    05 渡辺俊介

    06 ダルビッシュ有

    07 山﨑武司

    08 岩隈久志

    09 鉄平

    10 T-岡田

    11 内川聖一

    12 吉川光夫

    13 田中将大

    14 大谷翔平

    15 柳田悠岐

    16 大谷翔平

    17 D.サファテ

    18 山川穂高

    19 森友哉

    20-21 中止

    33 中畑清

    31 高木豊(守備・走塁)

    32 大野豊(投手)

    11 清水直行

    13 岩瀬仁紀

    15 黒田博樹

    16 安藤優也

    17 三浦大輔

    18 松坂大輔

    19 上原浩治

    20 岩隈久志

    21 和田毅

    30 小林雅英

    61 石井弘寿

    9 城島健司

    59 相川亮二

    2 小笠原道大

    5 中村紀洋

    6 宮本慎也

    8 金子誠

    25 藤本敦士

    1 福留孝介

    10 谷佳知

    23 村松有人

    24 高橋由伸

    27 木村拓也

    55 和田一浩

    83 原辰徳

    72 伊東勤(総合)

    71 山田久志(投手)

    92 与田剛(投手)

    81 篠塚和典(打撃)

    63 高代延博(内野守備走塁)

    73 緒方耕一(外野守備走塁)

    11 ダルビッシュ有

    14 馬原孝浩

    15 田中将大

    16 涌井秀章

    18 松坂大輔

    19 岩田稔

    20 岩隈久志

    22 藤川球児

    26 内海哲也

    28 小松聖

    31 渡辺俊介

    39 山口鉄也

    47 杉内俊哉

    2 城島健司

    10 阿部慎之助

    29 石原慶幸

    5 栗原健太(追加招集)

    6 中島裕之

    7 片岡易之

    8 岩村明憲

    9 小笠原道大

    25 村田修一(途中離脱)

    52 川﨑宗則

    1 福留孝介

    23 青木宣親

    24 内川聖一

    35 亀井義行

    41 稲葉篤紀

    51 イチロー

    1位:宮本大輔

    2位:高木康成

    3位:前田忠節

    4位:山下勝己

    5位:岩隈久志

    6位:鷹野史寿

    7位:覚前昌也

    8位:奈良将史

    9位:吉川勝成

    VIAF

    日本

    CiNii Books

    CiNii Research

    岩隈久志

    日本の野球選手

    MLBの日本人選手

    在アメリカ合衆国日本人の野球選手

    大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手

    オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

    シアトル・マリナーズの選手

    東北楽天ゴールデンイーグルスの選手

    最優秀選手 (NPB)

    最優秀防御率 (NPB)

    最多勝利 (NPB)

    最高勝率 (野球)

    沢村栄治賞

    ゴールデンスピリット賞受賞者

    NPBオールスターゲーム選出選手

    MLBオールスターゲーム選出選手

    野球日本代表選手

    オリンピック野球日本代表選手

    ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手

    2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手

    ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手

    日本のオリンピック銅メダリスト

    野球のオリンピックメダリスト

    紺綬褒章受章者

    日本の仏教徒

    野球解説者

    堀越高等学校出身の野球選手

    東京都出身のスポーツ選手

    1981年生

    存命人物

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iwakuma hisashi


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山本 彩乃(やまもと あやの、1986年4月12日 - )は、日本の声優、女優、タレント。アミュレート所属。 東京都出身。 2002年 全国女子高生制服コレクションで『7up! baby's』に選…

森川 由加里(もりかわ ゆかり)
1963年4月12日生まれの有名人 東京出身

森川 由加里(もりかわ ゆかり、1963年4月12日 - )は、日本の歌手、タレント、女優。本名、布施 由加里(ふせ ゆかり)、旧姓、森川。東京都葛飾区出身。身長160cm。所属事務所は日音プロモーシ…

坪内 ミキ子(つぼうち みきこ)
1940年4月12日生まれの有名人 東京出身

坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。本名、桜井美紀子。 父親は演劇評論家・坪内士行(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した…

笠井 信輔(かさい しんすけ)
1963年4月12日生まれの有名人 東京出身

笠井 信輔(かさい しんすけ、1963年(昭和38年)4月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元フジテレビエグゼクティブアナウンサー。 オールラウンド所属。 人形劇団「太郎座」の座員から市役…

古田 恵(ふるた めぐみ)
1987年4月12日生まれの有名人 東京出身

古田 恵(ふるた めぐみ、1987年4月12日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。2012年10月まで81プロデュースに所属していた。血液型はAB型。身長158cm。 2009年 エレメントハ…

浅井 清己(あさい きよみ)
4月12日生まれの有名人 東京出身

浅井 清己(あさい きよみ、1974年4月12日 - )は、日本の女性声優。アミュレート所属。東京都出身。既婚。 小学生のころに『風の谷のナウシカ』を見て、声優に憧れる。声優を志す前は一時期児童劇団…

渡辺 晃三(わたなべ こうぞう)
1938年4月12日生まれの有名人 東京出身

渡辺 晃三(わたなべ こうぞう、1938年4月12日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。國學院大學卒。本名は渡辺 宣貮(わたなべ のぶじ)。 劇団俳優座養成所第13期生として俳優デビューし、同…

荒井 聡太(あらい そうた)
4月12日生まれの有名人 東京出身

荒井 聡太(あらい そうた、4月12日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。東京都出身。青二プロダクション所属。 東京理科大学大学院工学研究科建築学専攻修了。アミューズメントメディア総合学院卒業。…

前田 隣(まえだ りん)
1936年4月12日生まれの有名人 東京出身

前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年2月19日)は、日本のコメディアン。本名:中澤 永一郎(なかざわ えいいちろう)。芸名はMy Darling(マイ・ダーリン)から。後輩芸人…

中島 保(なかじま たもつ)
1974年4月12日生まれの有名人 東京出身

中島 保(なかじま たもつ、1974年4月12日 - )は、日本のピン芸人でフードファイター。 松竹芸能タレントスクール東京校10期生。身長168cm、体重70kg。 東京都東大和市出身。東京都立…


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