高千穂ひづるの情報(たかちほひづる) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
高千穂 ひづるさんについて調べます
■名前・氏名 |
高千穂ひづると関係のある人
大瀬康一: 私生活では、1964年に女優の高千穂ひづると結婚。 内川清一郎: 同年、京都のえくらん社(のちのエクラン社)社長の松本常保がプロデュースした『波止場の王者』を監督したことをきっかけに、1957年(昭和32年)、松本が主宰する「すがお集団」に参加、大木実・高千穂ひづる主演の『女だけの街』を、京都・下加茂の京都映画で撮る。1958年(昭和33年)には、宝塚映画で森繁久彌・清川虹子主演の『口から出まかせ』、松竹京都撮影所で高千穂ひづる・大木実主演の『夜の波紋』を手がけ、前者は松本、後者は滝村のプロデュース作品である。 山本嘉次郎: 同年に高千穂ひづるのデビュー作『ホープさん』、翌々年1953年には、東宝で初のカラー映画『花の中の娘たち』を作り、健在をアピールした。 青山京子: 1956年(昭和31年)3月7日、イタリアのローマで同3月12日から18日まで開催された日本映画見本市に出席のため、高千穂ひづるらと共にスカンジナビア航空機で出発。 番匠義彰: 「白い炎」 - 1958年、松竹、出演:高千穂ひづる、井上正彦、夏川静江 番匠義彰: 「クレージーの花嫁と七人の仲間」 - 1962年、松竹、出演:高千穂ひづる、倍賞千恵子、伴淳三郎 佐々木康: 翌年1953年に『憧れの星座』(主演:高千穂ひづる)、その後『旗本退屈男』などの市川右太衛門作品、美空ひばり作品を中心に時代劇映画を撮り続け、松田定次に次ぐ東映の時代劇監督として君臨。 二出川延明: 娘に宝塚歌劇団出身の元女優・高千穂ひづるがいる。 日高真弓: 高千穂ひづる |
高千穂ひづるの情報まとめ
高千穂 ひづる(たかちほ ひづる)さんの誕生日は1930年10月10日です。兵庫出身の女優のようです。
人物・エピソード、主な出演作などについてまとめました。映画、卒業、ドラマ、結婚、引退、病気、兄弟、テレビ、姉妹に関する情報もありますね。
高千穂ひづるのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二出川〈にでがわ〉、1930年10月10日- 2016年2月27日)は、日本の元女優。兵庫県出身。愛称は「イクちゃん」。 父はプロ野球審判員を務めた二出川延明。 自著『胡蝶奮戦』(P8)によると、「いろいろな映画の本には、昭和七年生まれと書いてあるそうで、この機会に訂正しておきますね。宝塚歌劇団のときはちゃんと昭和五年生まれになっていたのですが、いつの間にか二歳若くなってしまったようです。」との記述がある。 西宮市立大社小学校を経て、1947年の神戸女学院中学部卒業後に宝塚音楽学校に入学。1948年、宝塚歌劇団35期生として宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は46人中3位。雪組に所属して娘役として活動した。最終出演公演の演目は雪組公演『シャンソン・ド・パリ』である。 宝塚歌劇団を1952年8月31日付で退団後、松竹に所属。 翌年より東映へ移籍し、1957年まで所属。 時代劇でのお姫様役で人気を得て、それは宝塚在籍時以上だった。 松竹に復帰後は『ゼロの焦点』『背徳のメス』(この2作でブルーリボン賞助演女優賞を受賞)や現代劇のメロドラマなどで大人の女性を演じた。 1956年(昭和31年)3月7日、イタリアのローマで同3月12日から18日まで開催された日本映画見本市に出席のため、青山京子らと共に東京国際空港からスカンジナビア航空機で出発。同3月23日、帰国。日本出発時の飛行機のタラップ(屋根なし)での写真が現存する。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ訪問となった。 1964年に『月光仮面』の祝十郎役を演じた俳優の大瀬康一と結婚。しかし、この時期から球界と距離を置き、起業し事業に専念していた父の二出川延明たっての懇願で大瀬と共に芸能界を完全引退し、夫と共に、二出川が存命中は補佐する形で、没後は二人が主力となり社業に当たった。 一時は全く公の場に出ていなかったが、2000年代以降は、過去の出演映画を題材としたトークショーに時折出演している。2010年8月7日には、東京・池袋の新文芸座で開催された『映画監督内田吐夢没後40年回顧 「命一コマ」 巨匠・内田吐夢の全貌』のトークショーに出演した。 2017年6月、既に没したことが明らかになった。 人物・エピソード本人によると出演映画は二百本に上り、うち百本ほどが時代劇といい、「いつの間にかお姫さん女優にされていた」という。「お姫さん役といっても、割合意地っ張りだったり、わがままな個性を出すようにしました」と語っている。 昭和28年から30年にかけての東映時代劇では、高千穂と千原しのぶ、田代百合子の三人がほとんどの時代劇にぐるぐると出ていて、「その時期はすごく充実し、自分ながら燃えていた」そうで、夜行列車で京都と東京を往復したり、半徹夜で一週間近く過ごしたこともあったという。無理がたたって目を傷め、涙が止まらない病気になったこともあった。 昭和30年の『織田信長』(河野寿一監督)で、中村錦之助と共演、例によって夜行列車で京都のセットに飛び込んだが、疲れと夏の暑さでセリフの半分も覚えておらず、すべて準備万端のなか高千穂だけが神経をピリピリ、イライラさせている、という極限状態で、監督が「NGを出すとフィルムがないんだ、頼むよ!」と一声。「崩れそうだった気持ちがピーンと立ち直ることができました」と述懐している。共演の錦之助については、「やはりこの人は本物だなあ」と感心したと語っている。 東千代之介とは、昭和29年の千代之助のデビュー作『雪之丞変化』(河野寿一監督)から共演。「嬉しい思い出」として、映画初出演の千代之介がラブシーンでコチコチになり、そのうえお腹が出っ張っていてうまくいかず、大笑いしたことを挙げている。 主な出演作映画憧れの星座(1953年) 日輪(1953年、初のカラー映画出演) 雪之丞変化(1954年) 笛吹童子(1954年) 新諸国物語 紅孔雀(1954年) 黒田騒動(1956年) 三つ首塔(1956年) 曽我兄弟 富士の夜襲(1956年) 異母兄弟(1957年) 抱かれた花嫁(1957年) 張込み(1958年) この天の虹(1958年、松竹) 大東京誕生 大江戸の鐘(1958年、松竹、演:松本幸四郎) どんと行こうぜ(1959年) 銀座のお兄ちゃん挑戦す(1960年) ろくでなし(1960年) 背徳のメス(1961年) ゼロの焦点(1961年) 剣に賭ける(1962年) 求人旅行 (1962年) 第三の影武者(1963年) 拝啓天皇陛下様(1963年) 忍者秘帖 梟の城(1963年) ジャコ萬と鉄(1964年) 鼾(1964年) 座頭市血笑旅(1964年) 女賭場荒し (1967年) ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年)※出演場面の抜粋 テレビドラマ東芝日曜劇場 (TBS)
第333回「三役女房」(1963年) 第359回「愛の壁」(1963年) 第499回「努力しても出世しないとは…」(1966年) 妻は告白する(1963年、CX) 虹の設計(1964年、NHK) 武蔵野夫人(1965年 - 1966年、NTV) 体の中を風が吹く(1966年、THK) 松本清張シリーズ / 愛と空白の共謀(1966年、KTV) 幕末姉妹(1968年、CX) ライオン奥様劇場(CX)
兄嫁(1969年) 花王愛の劇場(TBS)
第二の結婚(1971年) 愛ある日々(1973年) ザ・ガードマン (TBS)
24時間の男(TBS、大映テレビ)
バラエティー番組スター千一夜(CX) ズバリ!当てましょう(CX) ドン!アタック(TBS) ランデブークイズ・ペアでハッスル(MBS・NET系列) - 夫婦で出演。 2024/06/17 04:22更新
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takachiho hiduru
高千穂ひづると同じ誕生日10月10日生まれ、同じ兵庫出身の人
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