佐々木康の情報(ささきやすし) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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山下耕作: 内出好吉・内田吐夢・吉村公三郎・佐々木康・河野寿一・沢島忠・今井正らの助監督を経て、1961年 『若殿千両肌』で監督デビュー。 本郷秀雄: 『悲恋華』 : 監督佐々木康、共演水島光代、1936年1月10日公開 - その弟、88分尺で現存(NFC所蔵) 鈴木清順: その後、岩沢康徳、佐々木康、中村登らについたのを経て、1951年(昭和26年)からメロドラマを得意とした岩間鶴夫のもとで専属助監督を務めた。 小沢茂弘: 稲垣浩・倉田文人・小杉勇・佐々木康・山本薩夫・渡辺邦男らの映画スタッフを経て、1950年の『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』の助監督となる。 近衛十四郎: 時代劇に関わる片岡千恵蔵や市川右太衛門、月形龍之介ら大物スターや、内田吐夢、伊藤大輔、田坂具隆、比佐芳武らが専属契約を解除され、松田定次や河野寿一、佐々木康らはテレビに移された。 高尾光子: 『噫呼空閑少佐』 : 監督佐々木恒次郎・佐々木康、脚本荒牧芳郎、主演岩田祐吉・藤野秀夫 浅野進治郎: 第9話『役者がほれた女』 : 監督佐々木康、1970年9月6日放映 - 市村芳之丞 本郷秀雄: 『若さま侍捕物帖』 : 監督佐々木康、1960年12月27日公開 - 遠州屋小吉 本郷秀雄: 『少年航空兵』 : 監督佐々木康、共演水島光代、1936年9月18日公開 - 主演、100分尺で現存(NFC所蔵) 佐野周二: 「大船撮影所1期生」として、同年の佐々木康監督の『Zメン青春突撃隊』で俳優デビュー。 万城目正: 壮烈新選組 幕末の動乱(佐々木康監督、1960年) 万城目正: 水戸黄門(佐々木康監督、1957年) 万城目正: 若さま侍捕物帖(佐々木康監督、1960年) 長谷川朝晴: ヤメ検の女4(2013年12月21日) - 佐々木康祐 役 万城目正: 征戦愛馬譜 暁に祈る(佐々木康監督、1940年) 井手雅人: 直八子供旅(1958年、監督:佐々木康) 小俣順一: 11代目いいとも青年隊として関根禎剛(サダ)・佐々木康雄(ヤスオ)とともに「T3」を結成し「コマ」として活躍した。 本郷秀雄: 『あの道この道』 : 監督佐々木康、共演水島光代、1936年2月22日公開 谷よしの: 佐々木康監督作品)- 観客 倉田準二: 製作事務係を経て助監督となり、丸根賛太郎、マキノ雅弘、内田吐夢、松田定次、佐々木康らに師事。 関根禎剛: 小俣順一(コマ)・佐々木康雄(ヤスオ)とともに「T3」を結成し「サダ」として活躍した。 万城目正: 懐しのブルース(佐々木康監督、1948年) 本郷秀雄: 『愛の一つ家』 : 監督佐々木康、共演水島光代、1936年11月20日公開 桑野通子: 新女性問答(監督:佐々木康、1939年)※主演作 大庭秀雄: 慶應義塾大学国文科卒業後、松竹に入社、映画監督佐々木康の助監督を経て、1939年に『良人の価値』で監督デビューした。 木俣尭喬: 『旅笠道中』 : 監督佐々木康、主演大川橋蔵、製作東映京都撮影所、配給東映、1958年4月1日公開 - 「木南兵介」名義で出演・「徳松」役 丸山智己: 秘密諜報員 エリカ 第10話(2011年12月8日、読売テレビ・日本テレビ) - 佐々木康介 / 飯沼明 役 松尾正武: 佐々木康「浪人街の顔役」1963年 新藤兼人: 噂の男(1948年3月23日公開、佐々木康監督、松竹) 桑野通子: 進軍の歌(監督:佐々木康、1937年) |
佐々木康の情報まとめ
佐々木 康(ささき やすし)さんの誕生日は1908年1月25日です。秋田出身の映画監督のようです。
映画、テレビ、引退に関する情報もありますね。1993年に亡くなられているようです。
佐々木康のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 1993年9月13日)は、昭和期の映画監督。法政大学本科国文科中退。松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。映画作品168本、テレビ作品500本弱を撮った、典型的なプログラムピクチャーの監督である。 1908年、秋田県平鹿郡沼館村(のち雄物川町、現・横手市)沼館の大地主の家に生まれる。山形県立新荘中学校時代に映画に興味を持ち、1929年法政大学在学中に清水宏の助監督として松竹に入社。清水の盟友の小津安二郎組に移り、1931年助監督の身分のまま『受難の青春』で監督デビュー。その後数年間は、監督と清水の助監督の両方をこなし、1936年正式に監督に昇進。 得意のプレイバックの技術を駆使して撮影した、1939年の高峰三枝子とコロムビア歌手陣が共演した『純情二重奏』が大ヒットし、歌謡映画のヒットメーカーとしての地位を確立。戦争中は松竹の他の監督が苦手とした戦争国策映画を撮り続け、『撃滅の歌』などを手がける。 終戦後、戦後第1作の映画『そよかぜ』を撮り、その主題歌『リンゴの唄』(歌:並木路子)は大ヒットし、終戦直後の日本を象徴する歌謡曲となる。1946年に公開された『はたちの青春』は、日本初のキスシーンが登場する映画と宣伝され(実際は川島雄三の『追ひつ追はれつ』が先)大ヒット。封切日の5月23日は「キスの日」になった。その後、監督:佐々木、主演:高峰三枝子、音楽:万城目正のトリオで作った歌謡映画『懐しのブルース』、『別れのタンゴ』、『思い出のボレロ』、『情熱のルムバ』がことごとくヒット。 1952年、東映の制作部長のマキノ光雄に誘われ、東映に移籍。翌年1953年に『憧れの星座』(主演:高千穂ひづる)、その後『旗本退屈男』などの市川右太衛門作品、美空ひばり作品を中心に時代劇映画を撮り続け、松田定次に次ぐ東映の時代劇監督として君臨。松田が正統派の時代劇をとったのと比べると、佐々木は松竹時代の経験を生かして、時代劇に歌謡映画の要素を取り込んだ。この時代の佐々木は映画一本100〜130万の高給を取っていたが、スタッフを祇園に引き連れて豪遊し続けたため、そのことごとくを使い果たし、佐々木の妻は月15万円の専属料をこつこつと貯めてアパートを建てる。 1964年、東映京都撮影所で大リストラが敢行された際、ギャラの高い佐々木は専属契約を解除され、東映テレビプロダクションに移籍。『銭形平次』を中心に時代劇を撮り続け、黎明期の東映テレビの発展に大きく貢献する。 1979年引退。現役時代の豪遊とはうってかわって、妻の建てたアパートの家賃で細々と暮らし、1993年急性肺炎のため死去。85歳没。1994年、日本アカデミー賞会長特別賞が贈られた。 ズーズー弁をしゃべるため、師匠の清水宏に「ズー」と綽名され、愛称として定着。 大酒飲み、気さくな性格、親分肌、面倒見が良く、『君の名は』(1953年 - 1954年)の監督の大庭秀雄や、佐々木が東映に移籍した後の松竹のプログラムピクチャーを支えた『この世の花』(1955年)の穂積利昌、『サラリーマンの勲章』(1965年)の堀内真直、『湖愁』(1962年)の田畠恒男を育てた。とくに後者の3監督は、早撮り、親分肌、大酒飲みという師匠の気質をも受け継いだ。 楽天楽観 映画監督佐々木康(ワイズ出版) 円尾敏郎編 ISBN 9784898301609 佐々木康 - allcinema 佐々木康 - KINENOTE 佐々木康 - 日本映画データベース Yasushi Sasaki - IMDb(英語) VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 日本の映画監督 松竹の人物 東映の人物 東映時代劇 山形県立新庄北高等学校出身の人物 秋田県出身の人物 1908年生 1993年没 2024/11/21 17:00更新
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