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鳥山明の情報 (とりやまあきら)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

鳥山明の情報(とりやまあきら) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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鳥山 明さんについて調べます

■名前・氏名
鳥山 明
(読み:とりやま あきら)
■職業
漫画家
■鳥山明の誕生日・生年月日
1955年4月5日 (年齢68歳没)
未年(ひつじ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
愛知出身

(昭和30年)1955年生まれの人の年齢早見表

鳥山明と同じ1955年生まれの有名人・芸能人

鳥山明と同じ4月5日生まれの有名人・芸能人

鳥山明と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


鳥山明と関係のある人

稲葉ちあき: 2007年、『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号に、『ONE PIECE』と鳥山明の『ドラゴンボール』のコラボ作品「CROSS EPOCH」が掲載された。


尾田栄一郎: 2007年、『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号に、『ONE PIECE』と鳥山明の『ドラゴンボール』のコラボ作品「CROSS EPOCH」が掲載された。


カーロス=ニュートン: 愛読書は宮本武蔵の「五輪書」と鳥山明の「DRAGON BALL」。


米林宏昌: 子どもの頃から漫画が好きで、「週刊少年ジャンプ」を読んで鳥山明などのまねをして絵を描いたり、自作の漫画を家族に見せたりしていた。


下村トモヒロ: パワード誌上の作者インタビューによると、最初に描いた作品は電脳ロボットバトル物、影響を受けた漫画家は鳥山明だとのこと。


野沢雅子: 選考は役者の名前シールを外したテープを聞いて行われ、当時、声優に詳しくなかった原作者・鳥山明が野沢の演技を聞いて「絶対にこの人!」と感じたことで決まったという。


尾田栄一郎: 最も尊敬する漫画家は鳥山明


桐丘さな: “「青エク」10周年本にSQ.作家や鳥山明、尾田栄一郎ら70名超える作家が寄稿”.


吉富昭仁: 『週刊少年ジャンプ』の新人賞に鳥山明が審査員を務める回を狙い作品を投稿したが、箸にも棒にもかからなかった。


桂正和: 鳥山明との合作『さちえちゃんグー!!』では好きでありながら自分で封印しているデフォルメにも挑戦している。


鳥嶋和彦: 同月24日にフジテレビ系列で放送された「地上波特別編」でも、この放送で使われた一部と、『ドラゴンボール』や鳥山明の秘話などを熱く語ったものが放送された(一部地域を除く)。


岸大武郎: 恐竜大紀行(1988年 - 1989年、『週刊少年ジャンプ』、集英社) - 鳥山明が大絶賛したことで有名(『ドラゴンボール』のレビューでコメント)。


久川綾: オーディションテープを聴いた原作者の鳥山明から指名されて決定した。


マーク=ハント: 作者の鳥山明とも面識があり、その際には感動して大喜びした。


桂正和: 同じく漫画家で友人の鳥山明は桂の作風について「(桂は)感動させたくてしょうがない」と評している。


富田祐弘: “「ドラゴンボール」鳥山明や声優・古川登志夫が受賞!「TAAF2024」アニメ功労部門の顕彰者が決定”.


大川知英: 鳥山明と大親友という関係で、『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、鳥山から一番初めに相談を受けた


山本健司: 実際の放送では音楽担当は、1981年開始の『Dr.スランプ アラレちゃん』から15年に渡って鳥山明原作のアニメで音楽を担当していた菊池俊輔で、全曲が菊池の曲に差し替えられており、実質的な降板となった。


久保帯人: 小学生時代は、車田正美の『聖闘士星矢』、ゆでたまごの『キン肉マン』、鳥山明の『ドラゴンボール』のほか、スズキコージの児童書『大千世界のなかまたち』を愛読していた。


宮地謙典: 鳥山明と大親友という関係で、『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、鳥山から一番初めに相談を受けた


横井孝二: 学生時代のペンネーム鳥山劣(とりやま おとる)は、同郷で漫画家の鳥山明へのリスペクトである。


笑福亭鶴瓶: ラジオ番組『ミッドナイト東海』で漫画家・鳥山明と対談した事がある。鳥山明は漫画家デビュー前から『ミッドナイト東海』のリスナーで、葉書に鶴瓶の似顔絵を描いてラジオに送った事もあった。鳥山明が『Dr.スランプ』に遊び心で鶴瓶を描いた ところ、『ミッドナイト東海』に同番組リスナーから、その絵の切り抜きが送られてきた。その絵を見た鶴瓶が番組内で鳥山明に呼びかけると、鳥山明からラジオ宛に「ぜひお電話ください」と手紙で返事があり、対談に至った。また、その後『週刊セブンティーン1981年4・5合併号』では鶴瓶と鳥山明の対談記事「新春あこがれ対談 Dr.スランプVS鶴瓶」が掲載された。


小田井涼平: 好きな作家と漫画家は三谷幸喜、中島かずき、福井晴敏、鳥山明、桂正和、井上雄彦、原哲夫、三浦建太郎。


山崎渉: デビューがドラクエ4コマであるため、鳥山明(どちらかというと攻略本)に酷似した画風を持っていた。


まるいミカ: 鳥山明と江口寿史に憧れて漫画家を目指す。


桂正和: 同じく鳥嶋にラブコメを求め続けられながらも頑なに拒否した鳥山明とは対極的に、桂はその要望を受け入れたことによって作品が時代とマッチし、ヒット作を生み出していった。


板垣恵介: 絵柄に関しては池上遼一、谷口ジロー、鳥山明の影響を受けていると語っている。


森本英樹: 鳥山明と大親友という関係で、『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、鳥山から一番初めに相談を受けた


許斐剛: 少年時代から父兄の影響で音楽に親しみ自作の楽曲を歌ったり、鳥山明や原哲夫のサイン入りイラストを色紙に模写し「描いてもらった」とうそぶくなどして周囲に作品を発表していた。


森多ヒロ: 鳥山明の『ドラゴンボール』がきっかけとなり、絵を描き始める。


鳥山明の情報まとめ

もしもしロボ

鳥山 明(とりやま あきら)さんの誕生日は1955年4月5日です。愛知出身の漫画家のようです。

もしもしロボ

生涯、死後などについてまとめました。テレビ、現在、父親、卒業、映画、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。68歳で亡くなられているようです。

鳥山明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - 2024年〈令和6年〉3月1日)は、日本の漫画家、キャラクターデザイナー。

プロダクションはBIRD STUDIO(バード・スタジオ)。愛知県清須市(旧:西春日井郡清洲町)出身。妻は少女漫画家のみかみなち。

代表作の『Dr.スランプ』の累計発行部数は3000万部を記録、『ドラゴンボール』は2億6000万部を記録、『ドラゴンクエストシリーズ』は、8,800万本の出荷本数を記録している。

日本の漫画が海外で「MANGA」と呼ばれ、世界に広まるきっかけを作った先駆者であり、数多くの文化に影響を与え、「伝説の漫画家」「史上最も影響力のある漫画家」と評価されている。

1978年に『週刊少年ジャンプ』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜日19時 - 19時30分は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期にわたり鳥山原作のアニメが放映されていた。

漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、『Dr.スランプ』単行本(1980年発行)の描きおろしページによると、当時は名古屋空港(小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた。初代編集担当者の鳥嶋和彦によれば、鳥山は『Dr.スランプ』連載中も東京で暮らすことを嫌がって地元の愛知で暮らしており、連載中に一度でも原稿が締め切りに間に合わなかった場合は東京で暮らしてもらうという約束で連載をしていたが、結局一度も原稿を遅延させることはなかったという。

1980年から1990年代の『(週刊少年)ジャンプ』の全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。

『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は2024年現在でも、コマーシャルに起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。

2024年3月1日、急性硬膜下血腫のため死去。68歳没。訃報は同8日に『週刊少年ジャンプ』公式サイト、集英社、バード・スタジオおよびカプセルコーポレーション・トーキョーの連名で公表された。  

生涯

幼少時代

初代担当編集者の鳥嶋和彦と面会した鳥山は自分の生い立ちについて語り、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と本人が述べている。

鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた。欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている。「当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持った」と言い、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している。妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた。

尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた。一番影響を受けたのはディズニーアニメであり、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた。

愛知県西春日井郡清洲町(現:清須市)の町立清洲中学校、同県一宮市の愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)デザイン科を卒業した。幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画テレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、起工業高校デザイン科に進学した。高校時代は美術部に所属した。

「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」という。鳥山が漫画同好会を設立するに当たり、教諭に同会顧問に就任してほしい旨を頼んだところ、教諭は一旦は「漫画を描いている暇があったら、デッサンでもやっておきなさい」と断ったものの、鳥山は別の教諭に依頼して同好会を発足させ、後に部に昇格した。1974年に同校を卒業した。

デザイン会社時代

高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い、地元の広告関係のデザイン会社「第一紙行名古屋支店」にデザイナーとして就職した。

しかし、平然と遅刻を繰り返し、レタリング作業が主な仕事になり嫌気が差していたという。最終的に、約2年半ほど経った1977年1月に退職した。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と述べている。

デビューまでの経緯

デザイン会社を退職後、1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った漫画雑誌の『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する。投稿したのはギャグ漫画であるが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分であったため。

投稿した作品は入賞には及ばないかったものの、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった。

鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ。

鳥山明は本名である。デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した。『Dr.スランプ』第11巻によれば愛知県に3軒しかない変わった名前で、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たという。そのため、“水田二期作(みずたにきさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」であるという。ただし、鳥山明のデビュー当時の愛知県の電話帳を調べると、名古屋版の五十音別電話帳に載っている、局番が名古屋市と同じだが名古屋市でない地域の鳥山家は3軒であるものの、その他に名古屋市内の鳥山家が77軒載っている。名古屋以外の愛知県の各電話帳にも合わせて300軒ほどの鳥山家が載っている。

Dr.スランプの連載

1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、読者アンケートの結果は最下位であり、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。しかし、鳥嶋は鳥山の手を離すことなく「面白い漫画を作り上げよう」と打ち合わせを重ねた。そして『Dr.スランプ』の基本コンセプトが誕生した。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と決めており、則巻アラレは脇役と考えていたが、鳥嶋は「アラレを主人公にした方が良い」と提案した。そこで、賭けをすることになった。鳥山が苦手とする、女の子を主人公とした作品を読み切りとして『ジャンプ』本誌に掲載し、読者アンケートで4位以下だったら千兵衛を主人公、3位以内だったらアラレを主人公にするというもの。賭けに乗る形で描いた作品が、1979年に発表した『ギャル刑事トマト』である。アンケートで3位を獲得、主人公はアラレに決まった。ただし、『Dr.スランプ』(ドクター≒千兵衛)というタイトルだけは譲らなかった。

1980年5・6合併号より『Dr.スランプ』の連載開始。瞬く間に人気作品となり、早々にテレビアニメ化が決定。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、1981年4月より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてフジテレビ系列の水曜19時台枠で放送開始。一大ブームを巻き起こす。最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している。

ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り、第6巻は初版220万部を記録した。

連載1年目は、睡眠は3日に1回、最高記録となる6日連続徹夜、ペン入れの記憶がない回があるなどと多忙を極めた。

『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現キャラメル・ママ会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている。

ドラゴンボールの連載

アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3か月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。

同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であった。連載開始当初は期待も大きく反響もあったが、徐々に読者アンケート順位は下降。鳥嶋と分析を重ね、悟空に魅力がないという結論に至った。そこで貪欲に強さを追い求めるキャラを際立たせ、格闘大会天下一武道会という大舞台に向けて修行に励む過程を描く明快なストーリーに軌道修正。すると低迷していたアンケート順位がV字回復し、『ジャンプ』の看板作品に躍り出る。以降、次々と登場する強敵・難敵との戦闘や修行をメインに据えた物語となった。しかし、戦闘シーンが多くなるにつれ、小柄な少年体型の悟空では動き(アクション)に限界があり作画が難しく、連載をやめたいと申し入れたことがある。編集長から合意を得て、悟空を青年(大人)の体型にすることで連載継続に合意した(悟空が成長し、第23回天下一武道会に出場した場面)。

1986年から1997年まで『Z』『GT』と二度の改題を経て放送されたテレビアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した。また『Z』の放送開始から20周年となる2009年には、『Z』のデジタルリマスター再編集版である『改』がフジテレビ系列の日曜9時台枠で放送開始され、2009年 - 2011年に第1期が、2014年 - 2015年に第2期がそれぞれ放送された。『改』放送終了後の2015年から2018年には、鳥山が原案を手掛けた完全新作テレビアニメ『超』が同枠で放送されている。

ドラゴンクエスト

『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を基にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。堀井のラフ絵では目も口もないドロっとしたスライムであり、鳥山により「ドロドロしてデザインしにくかったから」という理由で、液体で雨粒様のデザインになった。また、タイトルロゴの青いドラゴンは鳥山が描きおろしたものである。デザインを手掛けた榎本一夫(バナナグローブスタジオ)の提案で、ロゴに竜を描き加えることになり、鳥嶋を介して依頼を受けた。なお、専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。

鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという。『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』が発売された段階で、『ドラゴンクエスト』のイラストの中では『ドラゴンクエストII』のパッケージイラストが一番気に入っていると語っている。なお、キャラクターなどが多く面倒なため『ドラゴンクエスト』の漫画を描くのは絶対に嫌だという。

鳥嶋の紹介により「あっ、いいですよ」という軽い気持ちで引き受けたが、30年以上続くシリーズになるとは想定しておらず、「そんなに続くなら断っていた」と心境を語っている。キャラクターデザインは楽しくもキツい仕事であるといい、最初はなんでもない雑魚キャラクターを自由にデザインをしていたが、回を重ねていく内に個人的にあまり興味のない健全なメインキャラクターのデザインが多くなり、ある程度の時代設定や細かく指定されるデザイン設定のため自由に書かせてもらえなくなり、今は騙し騙しで描いているという。ただし引き受けた仕事は目一杯やる主義であり、今後も一生懸命デザインすると語っている。

『ドラゴンクエスト』のデザインは当初ドットで描いてきたというエピソードを堀井雄二や鳥嶋和彦が述べているが、これは実際は『ドラゴンクエストII』のときであり、当初の話ではない。このときのドット絵風に描かれた原画は、後年の画集にも掲載されている。

その後の活動

『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。

1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。

また、2003年には絵本『てんしのトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである。

2007年3月には、『Dr.スランプ』の最終回から1年後の物語『ドクター・スランプ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん』を執筆した。

2013年7月、13年ぶりとなる新連載『銀河パトロール ジャコ』を『週刊少年ジャンプ』33号 - 44号まで短期集中連載した。鳥山が同誌で連載を行うのは、同誌2000年23号(5月9日発売)から同年36・37合併号(8月8日発売)まで手がけた『SAND LAND』以来約13年ぶりのことで、また、同誌に作品が掲載されるのは、2010年50号(11月15日発売)の『KINTOKI-金目族のトキ-』以来、2年8ヶ月ぶりとなる。

2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。

2017年11月、租税回避に関する流出文書、パラダイス文書に鳥山の名が記載されており、投資組合に出資していたことがわかった。ただし本人によれば資産運用は完全に税理士任せで、報道を見て知ったという。この組合は12人の投資で組成されていたが赤字に陥り、本業の所得からの控除が認められず修正申告を行ったことで知られていたが、パラダイス文書の解析の結果、そのひとりが鳥山であったことが判明した。この報道を受けて11月8日に自宅前で『FLASH』の突撃取材に遭い、顔出しをすることになった。

2018年12月14日、映画『ドラゴンボール超 ブロリー』が公開された。鳥山は原作と脚本、キャラクターデザインを担当した。

2022年6月11日、映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』が公開された。鳥山は前作「ブロリー」に引き続いて、脚本、キャラクターデザインを担当した。

死去

2024年3月1日に急性硬膜下血腫のため68歳で死去した。訃報は3月8日に『週刊少年ジャンプ』の公式ウェブサイトおよび『ドラゴンボール』公式サイトで公表され、葬儀は近親者だけで行われた。

内閣官房長官の林芳正は3月8日午後の定例会見において、訃報に触れ、「(鳥山の作品によって)日本のコンテンツが幅広く世界で認知をされるなど我が国のソフトパワーの発揮に重要な役割を担った」と述べた。

鳥山の元アシスタントで、漫画の連載終了後も交流を続けてきたイラストレーターのまつやまたかしが2023年秋に鳥山宅を訪問した際、鳥山から「2024年2月に脳腫瘍の手術を受ける予定である」「外側だから、それほど大変じゃない」「禁煙するのが辛い」といった内容の話を聞かされ、松山は、退院後に見舞いをする旨を伝えたという。

海外でも死去のニュースが速報で伝えられ、BBC、ニューヨーク・タイムズ、フォーブス、ル・モンド、中国中央テレビ、聯合ニュース、アル=アラビーヤほか数多くのメディアが報じた。フランスの有力紙『リベラシオン』は、一面トップに孫悟空のイラストを掲げたうえ社説を掲載、「若者を対象とする今世紀の文化は、事実上すべて鳥山明の影響を受けている。 (…) 鳥山はかつて子供の心をとらえていたタンタンやスーパーマンとは全く異なる方法で〈成長への旅〉を再発明してみせたのだ」と急逝を悼んだ。

また、一時Xや新浪微博(ウェイボー)のトレンドワードでも1位になるなど、SNSでも世界中から哀悼の言葉が続々と投稿された。アメリカでは訃報が発表された同じ時間に行われていたアメリカ合衆国大統領のジョー・バイデンによる一般教書演説に関する投稿数を一時超える事態となった。

死後

各国での追悼・反応

訃報を受け、日本全国の書店で鳥山明の追悼コーナーが設けられる動きが広がった。また、東京証券取引所で「漫画全巻ドットコム」や「まんが王」などのネット書店を手掛ける「TORICO」が後場急伸し、一時ストップ高となった。『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』などの作品をまとめ買い思惑から買いを集める展開となっている。市場では「悲しいニュースだが、鳥山氏の死を惜しんだファンが全巻まとめ買いすることが考えられ、思惑買いが生じやすい」との声があがった。

鳥山の居住地で、市制20周年記念ロゴをデザインした清須市は、市の公式サイトで追悼のコメントを発表した。同市の市立図書館では、『ドラゴンボール』など鳥山の関連作品を集めた追悼コーナーが開設された。

2024年3月9日に開催された『第18回声優アワード』では、鳥山がアニメ業界に多大な貢献をしたことを理由に、同日に訃報が伝えられた声優のTARAKOとともに授賞式の冒頭で異例の黙祷が15秒間行われた。

鳥山を見出した初代編集者の鳥嶋和彦は、2024年3月26日(25日深夜)に自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN「ゆう坊&マシリトのKosoKoso放送局」』において鳥山明追悼回を放送。45年に及ぶ鳥山との信頼関係や仕事ぶりをはじめとする、その胸中を語った。

『週刊少年ジャンプ』2024年17号で、連載中の漫画家20人が追悼コメントを寄せた。

『ジャンプスクエア』2024年5月号で、連載中の漫画家22人が追悼コメントを寄せた。

また、上記の雑誌などで追悼コメントを寄せた人達以外も自身のSNSや、自身の作品の公式サイトなどで追悼コメントを寄せている。

韓国では、訃報が伝えられて以降の3月11月から13日までの『ドラゴンボール』の単行本の販売数が先週比1277%増と急増した。また、『Dr.スランプ』の単行本の販売数も先週比290%増加した。

台湾では、台湾国内で『ドラゴンボール』など鳥山明の書籍の出版を手掛けてる東立出版社が、鳥山明の全書籍の重版を決定した。東立出版社は「鳥山明の全作品を順次重版する予定です。特別な記念版はないかもしれないが、重版を通じて台湾のファンが鳥山明の作品を再訪できることを期待している」と述べた。

台湾の花蓮県花蓮市の市役所では、訃報を受け鳥山明ファンである魏嘉彦市長の提案で始業や終業に流れるチャイムを『ドラゴンボールGT』の主題歌『DAN DAN 心魅かれてく』に変更された。

中国でも作者の訃報が速報で伝えられ、中国外務省報道官の毛寧は「著名な漫画家で、彼の作品は中国でもとても人気があった」と評価した上で深い哀悼の意を表明した。新京報(電子版)は「日本の漫画黄金時代の中核人物であるだけでなく、世界の漫画界の一里塚となる人物だった」と鳥山を評価し、中国のSNS微博(ウェイボー)で「鸟山明去世(鳥山明死去)」のワードが入ったポストの閲覧数が1時間で2億4000万回を記録し、中国でも悲しみの声で溢れた。

香港の俳優ジャッキー・チェンは、SNSに鳥山との2ショット写真と共に「鳥山明先生、あなたがあんなにも多くの名作を作ってくださったことに感謝します。それらは永遠に世界とともにあるでしょう。ご冥福をお祈りします」と偲んだ。

ペルーでは、鳥山明を偲んで現地の数十人のアーティストが長さ110メートルに及ぶ、『ドラゴンボール』の巨大壁画を描いた。

『ドラゴンボール』はアニメを通じて南米各国でも人気があり、とくにアルゼンチンでは、訃報が伝えられると、首都ブエノスアイレスに数千人が集まって「アキラ」と連呼し、全員で「元気玉」にエネルギーを送るポーズを繰りかえして死を惜しんでいる。

エルサルバドル政府は鳥山明の死去を受けて公式声明を発表し、「鳥山明氏の逝去により、エルサルバドルは日本に哀悼の意を表します。エルサルバドルは非常に悲しいことですが、ドラゴンボールの作者である有名な芸術家、鳥山明の死を悼みます。」と追悼し、エルサルバドル全土で追悼期間を設けると発表した。

メキシコでは、2024年3月9日に首都メキシコシティにあるソガロ広場に大勢のファンが集まり、参加者全員で「元気玉」のポーズをして追悼した。

チリでは、2024年3月10日に首都サンティアゴにあるイタリア広場に大勢のファンが集まり、参加者全員で「元気玉」のポーズをして追悼した。

ブラジルの副大統領で以前から同国政府の政策説明やトヨタ自動車による同国への大規模投資に対する感謝のメッセージの際にドラゴンボールのキャラクターを使用していたジェラルド・アルキミンもSNSにて追悼コメントを発信している。

フランスでも同国大統領のエマニュエル・マクロンと同国首相のガブリエル・アタルがそれぞれXにて追悼のコメントを投稿した。後日、日本の内閣総理大臣である岸田文雄は2024年5月にフランスを訪問した際にマクロンにドラゴンボールを題材とした江戸切子のグラスを、アタルには同作品のキャラクターをモチーフにしたこけしをそれぞれ贈呈した。

スペイン・カタルーニャ州の首相ペレ・アラゴネスもXにて追悼のコメントを投稿した。

カタルーニャ州・タラサにある文化団体は訃報を受け、市内の通りの名称を鳥山明の名前に因んだ名称にするように市議会に提案した。ジョルディ・バラート市長も「伝説的な作品を見て育った多くの市民にとって、鳥山明は人生の一部」と賛成を表明したが、カタルーニャ州の命名規則の規定では、死後5年を経過しないと申請手続きを開始できないため、提案の実現には時間がかかるとのこと。

マイクロソフト社は、鳥山明を追悼して、Xbox Series X/S、Xbox One用に鳥山明が手掛けた『ブルードラゴン』のダイナミック背景を無料配布した。マイクロソフトXbox公式アカウントは「真のレジェンドに敬意を表して」と述べた。

各国のサッカー界からも追悼コメントが寄せられており、フランスリーグ・アンより、パリ・サンジェルマンは「ありがとう、鳥山明さん」とコレオグラフィーの写真と共に追悼し、イタリアセリエAより、セリエA公式、ACミラン、ユヴェントスFC、カリアリ、スペインラ・リーガより、FCバルセロナ、バレンシアCF、レアル・ソシエダ、レアル・ベティス、ビジャレアルCF、ビルバオ、ドイツブンデスリーガより、ドルトムント、ブラジルブラジレイロンより、CRフラメンゴ、サントスFC、アルゼンチンリーガ・プロフェシオナルより、CAインデペンディエンテなどが追悼コメントを寄せた。

没後の作品展開

2024年3月4日、『SAND LAND』の映画・アニメ・ゲーム・グッズを展開する「SAND LAND Project」が発表され、2024年3月20日より、Disney+にて『SAND LAND: THE SERIES』の配信が始まった。『SAND LAND: THE SERIES』は、映画版に新規カットを加えて再構築した「悪魔の王子編」と、鳥山が考案した新たな物語を描く「天使の勇者編」の2章で全13話の構成となっている。

鳥山は「SAND LAND Project」について、「続編となる『天使の勇者編』についても、いただいた概要には見事に初めからドラマチックな要素と動きのある展開がたくさん盛り込まれていました。僕は新キャラである天使のムニエルの設定とデザイン、アンなどのデザイン、エピソードなどを提案させていただき、続編が完成しました。」とコメントした。

2024年3月8日、スクウェア・エニックスは開発中の新作『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』について発売を目指して開発を進める方針と明かした。

2024年3月11日、フジテレビのオンラインイベント『フジテレビ アニメラインナップ発表会2024』内で『ドラゴンボールDAIMA』が2024年秋より、フジテレビで放送される事が発表された。同作は鳥山が原作、ストーリー、キャラクターデザインほか、制作に詳細に携わった完全新作アニメシリーズである。

2024年3月22日、サウジアラビアで世界初となる『ドラゴンボール』のテーマパークが建設される事が発表された。「ドラゴンボールテーマパーク」は50万㎡を超える広さを誇り、7つのエリアで構成された敷地に「カメハウス」「カプセルコーポレーション」「ビルスの星」など、本作を象徴する建物や、30以上のアトラクションが用意されている。同プロジェクトは2021年からスタートし、鳥山にも話が伝えられていたとの事。

2024/06/14 19:18更新

toriyama akira


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